2021年4月13日 (火)

チャイナテック/趙瑋琳

Photo_20210406080801  新型コロナウイルスとの闘いでも、チャイナテックは世界を驚かせました。さまざまなオンラインサービスをはじめ、上空から市民たちに外出しないよう呼びかけるドローン、5G通信網を活用した遠隔医療、医療機関や隔離用ホテルに医療物資や食事などを運ぶ無人自動運転車とロボット、顔認証によりマスクを着用した通行者の身元の特定と検温を同時に行うAIサービス、支援物資の配布を追跡するブロックチェーンプラットフォーム、人々の健康状況を表すQRコードなどのデジタル技術が、感染の拡大防止に一役買ったのは間違いありません。

デジタルエコノミー進展のトップランナーは間違いなく中国であり、その象徴はチャイナテックだ。

スマートフォンのアプリを利用してタクシーかライドシェアの車に乗って通勤し、昼休みにはスマホを使ってデリバリーサービスでランチをすませ、仕事帰りにはスマホでオンライン・ショッピングを楽しむ・・・。

そのような光景が中国の都市部では日常の姿となっている。

中国ではスマートフォン決済の急速な普及によりキャッシュレス社会が実現し、それがデジタルエコノミーの進展に大きく寄与した。

これほど急速にキャッシュレス社会が実現したのは、リープフロッグが起こったからだと考えられる。

リープフロッグとは、ある技術やサービスに関して未成熟な社会が、最新の技術を取り入れることで、発展過程の段階を飛び越え、一気に最先端に到達する現象をいう。

日本では決済方法に限らずありとあらゆる社会インフラが成熟しているため、最先端のデジタル技術への移行が遅れるという皮肉な現象が起きている。

既存の枠組みに不自由を感じるユーザーが少ない日本よりも、社会インフラが未成熟な中国で最先端技術が急速に普及しているのは、リープフロッグ現象。

生活を変えてしまうような新しいテクノロジーを積極的に受容するか、それとも忌避するのか、その意識の相違もデジタルシフトで日本が中国に先行されている原因の一つと考えられる。

例えばAI技術に対し、日本ではAIは人々の仕事を奪うと否定的な受け止め方をする人が多い。

対して、中国ではAIを活用した新しい技術を期待するなど、圧倒的に前向きな議論が多い。

デジタルシフトに対する日中の社会的受容度の差異の要因の一つは、両国の人口構成の差異にあると考えられる。

世界で最も高齢化が進んでいる日本に対し、中国では生まれたときから携帯電話などが身の回りにあったデジタルネイティブの世代の層が厚く、高いデジタルマインドを持つ人が多い。

中国でスマートフォン決済が爆発的に普及した要因はいくつか考えられる。

デジタルインフラの整備が急速に進んだこと、リープフロッグ現象が起こったこと、規制当局が緩やかな規制で普及を促したことの他、偽札の横行、比較優位性、使用習慣の育成などの要因がある。

中国企業の日本でのビジネスは、製品提供型とサービス提供型の二つに大別できる。

製品提供型の代表はスマートフォン。

中国や東南アジア、欧州などで激しい競争を勝ち抜いたファーウェイ、シャオミ、オッポ(OPPO)は、成功実績をベースに日本市場の開拓に挑んでいる。

サービス提供型のネット関連サービスはメディアやコンテンツ、ゲーム、エンターテイメント、観光など多岐にわたる。

日本はかつて中国の〝先生〟だったが、今や、互いに刺激し合い、学び合う関係へ変貌しつつある。

そうした新しい関係の中で、イノベーションが生まれてくる可能性も期待できる。

少子高齢化や人口減少、地震多発(防災)などの問題を抱える日本は「課題先進国」といわれている。

また、日本の優れたモノ作りを支えているのは、良いものにこだわり実直に技術を磨き継承していく「匠の精神」であり、日本には時間をかけて事業を継承拡大してきた創業100年を超える「百年企業」が多く存在する。
こうした日本の特徴に対し、「テクノロジーの社会実装」や「スピード感」、「起業家精神」などが中国の特徴だといえる。

中国では「議論する前にまずやってみよう」という機運が高く、それがスピード感のあるテクノロジーの社会実装を実現した。

また、時間をかけるよりスピード重視で成功を狙う傾向も強く、ベンチャー企業を次々と生み出しているが、多産多死であることも事実。

著者は、日本の企業には、中国を客観的に見て正しく理解した上で、中国の変化とイノベーション能力の向上の波をチャンスとして捉え、チャイナテックをはじめとする中国の豊富なイノベーションリソースやアイディア、活力、人材、資金力などを十分に活かす戦略が求められると主張するが、今のウイグルや香港への人権弾圧を繰り返す中国を見ると、素直に賛成できないというのもまた事実である。

 

2021年4月12日 (月)

戦略的交渉入門/田村次朗、隅田浩司

Photo_20210405063201  交渉学では、交渉結果については、最終的に「賢明な合意」ができているか否か、という基準で判断します。賢明な合意とは、「当事者双方の正当な要望を可能な限り満足させ、対立する利害を公平に調整し、時間がたっても効力を失わず、また社会全体の利益を考慮に入れた解決」を意味します。

交渉学では、交渉を『対話』としてとらえている。

対話は、お互いの立場の違い、価値観や文化の相違、そして利害の違いを前提にした上で、何らかの解決策を作り出す議論の技法。

最初から、相手の意見に迎合してしまうのは、対話ではない。

また、相手を説き伏せて、自分の思い通りにする、あるいは、自分がひたすらしゃべり続けて、相手に話す機会を与えない、といった「パワープレー」の交渉戦術も、対話を目指す交渉ではない。

交渉において賢明な合意を目指すのであれば、相手の利益に資する提案を我々が与えない限り(ギブ)、相手から利益を引き出す(テイク)ことができないと考えるべき。

ビジネス交渉に限らず、あらゆる交渉における提案や条件は、究極的には、相手に何かをしてもらうか(行動要求型)と、相手がしていることをやめてもらうか(中止要求型)に分けることができる。

交渉とは、自分の利益の最大化を目指すゲーム。

しかし、そのために相手にも何らかの利益を提供しないと、持続性のある合意を作ることができない。

だからこそ、相手の利益にも配慮した交渉の選択肢を準備する必要がある。

自分の利益を最大限反映した合意にしたいのであれば、逆説的だが、自分の提案が相手にどのような利益があるのかをきちんと説明することが重要。

したがって、相手の主張の根拠や背景事情は、聞いてもいいのではなく、必ず聞くべき。

まず論理的な主張というものが何なのかということについて整理しておく。

それは、三つの要素に分けることができる。

第一に、何らかの主張、要求。

第二に、この要求が正当なものであるということを支える根拠・理由が必要。

そして最後にこの根拠・理由を裏付けるデータや証拠。

こちら側は、相手に対して何かを主張する場合には、かならず、

①自分たちの主張や要求の内容、

②なぜ、その提案が合理的なのか、という理由、

③この提案によってお互いの合意がどのように変化するのか、特に交渉相手にどのようなメリットがあるのか、

という3点セットで交渉相手にアプローチする。

交渉力とは、まず、

①対立にあわてず、適切に自己主張し、相手の価値を理解する努力を継続すること、

②表面的な態度や、脅し、ごまかしに惑わされず、真意を見抜き、毅然と対応すること、

③交渉相手の圧力に屈して安易に譲歩せず、時には、意見の対立を恐れず議論し続けることができること、

④どれほど対立的な状況が深刻化したとしても、最後まで対話による問題解決をあきらめないこと、

という四つの交渉姿勢をあらゆる状況下で維持することができる能力を意味する。

交渉とは「対話」であるという、この基本的な考え方から間違ってとらえている人が多いのではないだろうか。

2021年4月11日 (日)

さよなら、男社会/尹雄大

Photo_20210404065601  あなたの中にいる男性性が女性性を支配し、抑圧し、差別している。支配する関係を作り上げるとき、あなたは支配される相手なしに存在しえなくなる。自分こそがその関係性に支配され、釘付けになるのだ。


21世紀になってずいぶん経つというのに、いまだに「女性は感情論で話す」と言ってのける男性に出くわす。

論理的には筋が通っていても、感覚的にはその人の中でつながっていないことがある。

男たちは課題を解決していくような論理や考え方を重んじる。

しかしながら「考える」ためには、その前に「思う」があり、さらにその前には「感じる」がある。

「感じる」の前には体験、つまりは行為がある。

自らの行いと体験が主であり、その次に感じ、思い、考えるが生じる。

一見、彼らもこの順に沿って「女性は感情論で話す」という結論に至ったように見えるのだが、果たしてそうだろうか。 

男性が論理的なのではなく、これまで続いてきた男社会において、男性の間で通じる話法が「論理的」と評価されているだけで、女性はそれとは違う論理を展開しているかもしれないではないか。

つまり何をもって「論理的」としているかと言えば、現行の男社会の作法が「それを論理的とする」と位置づけているからだ。

現行の社会のルールはだいたい18歳から65歳くらいまでの、健常者かつ異性愛者のマジョリティの男性向けに作られている。

マジョリティであることを疑いもしないですくすく育ってきたのならば、自分の感性を育てた環境が当たり前に過ぎて、目を凝らさない限り「(男)社会」の(男)の部分が見えない。

だから「(男)社会=社会」と思えるわけだ。

結果を伴わないのであれば勇気の名に値しない。

期待通りにできないことは弱いことであり、男らしくはない。

男として評価される価値は力強さ、がんばり、忍耐、決断、動じない心、やさしさなどがあるだろう。

それら「男らしさ」が備える強さはやはり従うことにある。

「イエス」と言い続けるところに特徴があるだろう。

腕力と精神的な逞しさ、命じられたことをやり通す。少々の無理なことにも取り組む。できないことをできないと言わない。

弱音を吐かずに遂行する。弱い者を守る。

男は自身の強さを証明するために常に「強くあろう」としなければならない。

男社会が要請する男になるためには、現状の自分を必ず否定しなくてはならない。

できないことはただ単に「できないこと」ではなく、受け入れ難い「弱さ」でしかないとジャッジされれば、それを隠すことが強さだと思ってしまうだろう。

このようにして現状の自分から目を背けることを大抵の場合、克服と呼んでいる。

いまの自分を否定する克己心が自身の強さの証明だと錯覚してしまうのだ。

勝利を目指す男たちが熱心に目を向けるのは、自分の内側の感覚や感情ではなく、外から与えられた環境に対して「いかに立ち向かうか」についてだ。

そこではできるかどうかという荒い分類の仕方は重視されはする。

一方、繊細で感覚的な把握の扱いは、弱さであり取るに足らないものでしかない。

やはりキッパリと決断することが男らしい振る舞いだという考えが幅を利かせている。

男らしい態度で取り組む対象に数え上げられるのは、達成すべき営業ノルマやクリアすべき課題だったりするが、これらにはすでに社会的な価値が与えられている。

だが、「なぜ」という問いがもたらす違和感については考えることがなくなる。

そうなると男がいう「論理」とはどういうものかがだんだんと明らかになるだろう。

大抵は、ノウハウによって現状の問題を克服し、目標を達成していこうという行程を「論理」と呼んでいるのではないか。

しかも、目標は自分と同じ目線の高さにはなく、絶えず上にある。

強くならない限り達成しない高次の目標に向けて、男はにじり寄ろうとする。

いまの自分は弱く小さいのだと誰かが言わずとも信じ込み、自主的に萎縮していく。

男にとって達成すべき目標は常に仰角にあり、男であることを認めてくれる者も上位にいる。

男性が何の危険も感じず、憂慮もなく普通に生活している一方で、女性は能力を抑制することを学んでいる。

それが性差別が蔓延している状態だということを男性は認識しない。

確かに、幼いころから「男とは」という刷り込みが行われ、その枠組みの中でしか考えられなくなっている自分があるのではないだろうか。

深く考えさせられた。

2021年4月10日 (土)

出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記/宮崎伸治

Photo_20210403065701  印税カットをうかつに了承してしまうと取り返しがつかなくなる。また簡単に印税の引き下げを了承していたら、出版社側に「都合が悪くなったら翻訳家の印税をカットすればいい」ということを〝学習〟させることになってしまう。だから簡単に了承などしてはいけない。しかし当時の私はうかつに「わかりました」と言ってしまったのだ。もう、元には戻らない。

出版翻訳家としての収入だけで生活が成り立つだろうか。

たいていの人は成り立たないだろう。

莫大な遺産を受け継いだとか、投資で大儲けしたとか、玉の輿に乗ったとか、逆玉の輿に乗ったとか、宝くじに当たったとか、他人の10倍のスピードで翻訳できるとかといった特別な人は別として、ふつうの人は成り立たない。

特に出版不況の今、幻想は見ないほうが身のため。

翻訳書担当の編集者についてもっとも驚いたのは、彼らが翻訳のクオリティーに対する関心があまりにも薄いこと。

彼らにとって最大の関心事は売れたか売れなかったかであり、売れない翻訳書は翻訳のクオリティーに関係なく「失敗作」。

裁判沙汰を経験して痛感したことが2つある。

ひとつはトラブルが多い出版業界に身をおいておくには本人訴訟ができる程度の法的知識は身につけておくべきということ。

そしてもうひとつは仕事を引き受けるときに欲望に惑わされてはならないということ。

せっかく最後の最後まで訳したのに、なんの理由もなく勝手に出版を中止され、その挙句に地獄に落ちるだのと言われるのだったら、やらないほうがマシ。

彼らが考えているのは金だけ。

金儲けになりそうにないと判断したら10カ月も仕事をさせていても平気で出版を中止する。

翻訳家の気持ちなど何も考えていない。

7年がかりで訳した1650ページにも及ぶ翻訳書を出版中止にされた翻訳家がいた。

裁判で「わけもなく涙が出てくることがある。死を考えることすらある」と陳述したという。

彼のように死の寸前まで追いつめられることもありうるのがこの職業なのである。

60冊近くの単行本を出版し、自分が価値あると認めた本を翻訳しそのうち何冊かはベストセラーにもなったという著者が訴えることであるだけに説得力がある。

翻訳家という職業がいかに過酷なものであるか、本書を読んで初めて知った。

2021年4月 9日 (金)

insight(インサイト)/ターシャ・ユーリック

Insight  自己認識をめぐる大きな間違いのひとつは、「ひたすら自分の内側を見つめればいい」というものだ──つまり、内から湧き出るインサイトだ。しかし自分自身の観察のみに頼っていると、誰より熱心に自己認識へ至ろうとする者でさえ、パズルの重要なピースを見落とす危険性がある。

自己認識とは、要するに、自分自身のことを明確に理解する力──自分とは何者であり、他人からどう見られ、いかに世界へ適合しているかを理解する能力だ。

現在の世界における成功にとって極めて重要な各種の力──心の知能指数、共感力、影響力、説得力、コミュニケーション力、協調力など──は、すべて自己認識がもとになっている。

内的自己認識は、自分自身を明確に理解する力のことを指す。

それは自分の価値観、情熱、野望、理想とする環境、行動や思考のパターン、リアクション、そして他者への影響に対する内的な理解のことだ。

外的自己認識は、外の視点から自分を理解すること、つまり周りが自分をどう見ているかを知る力だ。

要するに、真の意味で自分を知るには、自分自身を知ると同時に自分がどう見られているかを知る必要がある。

結局のところ、この世には二種類の人間が存在する──自分には自己認識があると思い込んでいる人間と、実際に自己認識している人間だ。

自己認識とは、自分自身と、他人からどう見られているかを理解しようとする意志とスキルのことだ。

真の意味で自分を知るには、たしかに自分を理解することも必要だが、周りがどう自分を見ているかも知る必要がある。

そのためには、自分の内側を見つめるだけでは不十分だ。

内省が自己認識を生むという前提は迷信だ。

事実、内省は自己認識を曇らせたり混乱させる可能性があり、さまざまな意図せぬ結果を招いてしまう。

内省の問題は、その行為自体に効果がないのではなく、多くの人がまったく間違った形で実践しているということだ。

人の無意識は、南京錠のかかった扉というよりも、密閉された保管庫に秘められているようなものなのだ。

誰の心にも、悪魔が潜んでいる。

反芻する人は、自分の選択をすぐに疑い、自分には力が足りないのだと考える。

この悪意に満ちた姿の見えない悪魔に負のスパイラルへと蹴り落とされると、ちゃんと頭ではダメだと分かっているのに、止めるのは無理だと感じてしまう。

しかし、もっと危険なのは、反芻は「生産的な内省に取り組んでいるのだ」と人に勘違いさせてしまう点だ。

本来、我々は自分のことは見えていない。

だから他者からのフィードバックが必要だ。

しかし、ついついバリアを張って、都合のよいフィードバックのみを受け取ってしまう。

多くの人にとって厳しくつらい真実のフィードバックより、自己欺瞞な状態でいるほうが楽だから。

本書を要約すると、自己認識とは自分自身を明確に理解する力で、二つの側面で構成されており、一つは自分の観点から自分自身を理解する「内的自己認識」、もう一つは他者の視点から自分自身を理解する「外的自己認識」だということ。

特に「外的自己認識」の重要性は多くの人が見落としてしまいがちなのではないだろうか。

2021年4月 8日 (木)

世界史とつなげて学ぶ中国全史/岡本隆司

Photo_20210401082001  習近平国家主席をはじめとする共産党がもっとも恐れているのは、下層の人々が政権から乖離するとともに、富裕層が諸外国と強く結びついて国家を顧みなくなることでしょう。それは、いま以上の格差拡大と政治・社会の分断を意味するからです。

目前の現代中国とは、過去の歴史の積み重ねの決算であり、通過点でもある。

そこに至るプロセスを知ることなしに、「中国人の考え方は理解できない」「中国の存在は日本にとって脅威」などと評論しても意味がない。

問題はそのプロセス・歴史をうまくとらえていない、そのため偏見に満ちた見方になっていることで、そういう〝偏見〟の自覚すらないのが、一般的な日本人の姿ではないだろうか。

都市にしろ文字にしろ、東アジアでは中国を中心に、共通の文明を発展させていった。

それは遠く隔たる地方の人々の暮らし方や慣習、文化にも及んだ。

そこで中国は、自分たちが周囲とは違う、突出した中心であるという観念を発達させていく。

そういう文化・文明の中心である黄河流域を「華」「中華」「中原」「中国」と呼び、その中で分立する邑や国の支配層を「諸侯」と呼ぶ。

「中原」も「中国」も中心地というくらいの意味の漢語。

かれらはそれぞれ自分たちこそ「中華」であり、センターであると思い込んでいた。

それが春秋戦国時代であり、並みいる「諸侯」が徐々に淘汰されて、最終的にトップに立った者が「天子」と呼ばれて中国の政治体系を確立していく。

それが秦であり、その後の漢であるわけ。

自分たちの周辺に住む、違う習俗・文化・文明を持っていたり、文字を持たなかったりする人々に対しては、「夷(野蛮人)」として排斥する。

「夷」は「華」の対極にある言葉で、それぞれ二文字に引き伸ばして、「外夷」と「中華」といっても、まったく同じ意味。

それはちょうど、古代ギリシア人が自らを「ヘレネス」と呼び、異邦人を「バルバロイ」と称した感覚に似ている。

概して中国というと、いわゆる中華思想で、自分以外の対等な存在を認めないようなイメージがある。

しかし、そういう時代はむしろ特殊で、多くの時代は複数の国が共存を図っていた。

宋の時代もそうだが、唐の時代も、それ以前の三国六朝の時代も同様。

たしかに中華思想の理念はずっと存在していたと思うが、それが実現したか、現実の体制となったかどうかは、まったく別の問題。

「中華」と「外夷」を明確に区別して後者を疎外排除し、それまで習俗を異とする「外夷」のモンゴルに汚されていた「中華」を回復するという意味。

明朝は、そこに自身のレゾンデートルを見出そうとしていた。

国家の権力や法律に縛られずに生きるという姿勢は、今日の中国人にも顕著にみられる。

その原型は、まさにこの時代に生まれた。

18世紀半ばまで1億人弱だった人口は、19世紀初頭までに3億人を超え、19世紀半ばには4億人、20世紀初頭には4億5千万人に達する。

清代を通じて、人口は爆発的に増えていった。

中国にとって20世紀は、革命の時代だった。

まず1911年には、辛亥革命が起きている。

このうち最初に離脱したのは、湖北省の武昌(今日の武漢の一部)で、1911年10月10日のことだった。

以後、ドミノ式に反乱が飛び火していく。

反乱を起こした各省の主体は、もともと清朝の配下にいた軍隊組織。

かれらが寝返って、それぞれ地方政府を樹立した。

その代表者は南京に集まり、1912年1月1日に南京臨時政府を樹立する。

これが中華民国。

当時はまだ北京に清朝があり、清朝を支持する省もあった。

そこで臨時大統領に就任した孫文は、国内の安定を図るため、その地位を清朝の内閣総理大臣だった袁世凱に、清朝皇帝の退位を条件として譲る。

これが同年2月13日のことで、約3百年続いた清朝は滅亡した。

中華民国の英語名はRepublic of Chinaであり、間違いなく「国民国家」を志向した。

ところが問題は、実態としてすでに各省がバラバラだったこと。

それだけ独立志向が強かったわけで、その構造は清朝の中央政府が中華民国になっても変わらない。

以後、地域間の軍閥抗争が繰り返されることになる。

結局、中央と下層は乖離したまま。

明代以降の中国が抱える構造的な課題は、むしろ増幅されて今日に至っているようにもみえる。

共産党は融合させようと腐心しているが、あまり自由を与えて民主化運動などを起こされても困る。

いかにして下層をコントロールするか、まだ最も適した解答を見出せていないのが現状。

今日の中国の社会構造を端的に表現するなら、多元化と上下の「乖離」というキーワードは欠かせない。

今後中国はどんな道を歩んでいくのか。

「乖離」がキーワードになるということは確かなことではないだろうか。

2021年4月 7日 (水)

サッカーとビジネスのプロが明かす育成の本質/菊原志郎、仲山進也

Photo_20210331082301  「フロー」というのは、夢中になっているとか没頭している状態のこと。いかにフローのゾーンに自分をもっていけるかが、プロフェッショナルになるための大事な「資質」ということになります。

プロサッカー選手になるためにまず必要なのは、「夢中になること」。

「夢中」ということを考えるにあたっては、「フロー理論」が参考になる。

能力を大きく超えた挑戦をすると、人は「不安」になる。

逆に、能力が高いのに挑戦しないと「退屈」になる。

モヤモヤの正体は、「不安」と「退屈」の2種類。

これに対して、挑戦と能力のバランスが取れているとき、人は「夢中」になる。

同じシュートを1000回やる努力と、その次を想定して相手ゴールキーパーと駆け引きしたり、こうやったら面白いかなと楽しみながらしたりする努力は違う。

だから、飽きずにずっと続けられる。

努力するのに飽きないっていうのも大事なこと。

試行錯誤の仕方にもいろいろあって、たとえば出したパスがちょっと強すぎたら、次はちょっと弱くやってみる。

それが弱すぎればもう少し強くしてみる。

そんな微調整を繰り返していると、だんだんちょうどいい強さになってくる。

伸びない子は、この試行錯誤ができなくて、同じようなミスを繰り返してしまう。

ずっと強いパスや弱いパスを出し続けて、逆のトライができない。

うまい子は、それが試合中のその瞬間に自然にできる。

サッカーにしても仕事にしても、「幸せ」を考えるにあたっては、「人生のなかで夢中ゾーンに入っている時間の割合をいかに増やせるか」がカギになる。

そのためには、夢中ゾーンへの道を阻むものについて知り、意識的に対応できるようにしておくことが大事。

必死は、「期限までに結果を出さなければいけないプレッシャーに駆られている状態」。

目的は「結果を出すこと(結果目的)」なので、失敗は許されない。

プレイヤーは「結果を出せなかったらどうしよう」という恐れと不安をもちながらプレーしている。

これに対して夢中は、「時間を忘れて〝今ここ〟のプロセスに没頭している状態」。

目的は「目の前の作業を楽しむこと(プロセス目的)」であって、結果を出すためだけにやっているわけではないので、「失敗したらどうしよう」という恐れや不安もない。

大事なのは「有益な失敗」をすること。

失敗を恐れたり、目先の効率を求めすぎたりすることで「有益な失敗」をショートカットしたがる人は、長い目で見て成長しない。

このように考えてくると、育成の本質というのは、「ムダな成功」を減らし、「有益な失敗」を増やしてあげることで、より短い時間で変われるように支援することになる。

よい指導者や保護者の役割は、そこにある。

夢中になれる環境をいかにつくるか。

これが育成の要諦ということではないだろうか。

2021年4月 6日 (火)

人生で一番役に立つ「言い方」/小林弘幸

Photo_20210330081401  人は、自律神経のバランスが乱れている時、空気が読めない言い方や相手を傷つける言い方など、いわゆるダメな言い方をしてしまいます。脳や体が100%機能するためには酸素と栄養が欠かせませんが、自律神経が乱れると血流が悪化するため、全身の細胞に酸素と栄養が行きわたらなくなります。すると、集中力や判断力が低下し、正しい言い方ができなくなります。

「言い方」は、一瞬一瞬が勝負だが、即座に正しい言い方をするのは非常に難しいもの。

なぜなら、イライラしている時は、とがった言い方になったり、疲れがたまっている時は、的外れな言い方になったり、「言い方」は、その時の気分や状況によって変わるから。

「気分や状況によって変わる」というのは、当たり前のようだが、よく考えてみると不思議なこと。

気分や状況とは、いったい何なのか?

実は、「言い方」にムラが生じる根本的な原因は、医学的観点から説明が可能。

「言い方」を左右している正体は、「自律神経」にある。

「言い方」には気をつけているのに、つい失敗してしまうという人は、実は自律神経のバランスが乱れている可能性が高い。

コミュニケーションの核となる「見る・言う・聞く」の中で唯一コントロールできるのが、実はしゃべること。

攻撃的な言い方をすると自分自身の自律神経も乱れてしまう。

一般的に、怒りによる自律神経の乱れはだいたい3時間から4時間は持続する。

自律神経の働きにはこんなものがある。

・眠っている間の呼吸をコントロールする

・暑い時に発汗し、体温を下げる・寒い時に鳥肌を立てて、体温が奪われるのを防ぐ

・まぶしい時に目を閉じる

・熱いものに触れた時、瞬時に手を離す

ふだんの生活ではあまり意識しない、縁の下の力持ちのような働きを数多く担っている。

しかし、最も重要な役割は、全身にはりめぐらされた血管すべてをコントロールしているということ。

私たちの体は、約37兆個の細胞からできており、その一つひとつの細胞に栄養と酸素を送り届けることが健康の要。

そして、その機能を担っているのは血流であり、血流をコントロールしているのが、自律神経。

血管の長さは、すべてつなぐと10万キロメートル(地球を2周半する長さ)にも及ぶといわれている。

自律神経は、その膨大な長さの血管すべてに沿って走っていて、全身の血管の動きをコントロールしている。

自律神経が整っている→血流がよくなる→一瞬で空気を変える、人生を変える「言い方」ができる

たとえば、「クソッ!」と、怒りに満ちた言い方をしたとする。

すると、怒りの感情を言葉にしたことで、イライラが増幅し、交感神経がとたんに優位になって自律神経のバランスが乱れる。

交感神経が優位で、副交感神経が下がったままでいると、血管が収縮し、血流が悪くなるため、疲れやすくなったり、判断力が鈍ったりする。

多くの人は、自分が乱れていることに気づかないまま話を始めて失敗する。

しかし、自覚があれば、対策がとれる。

乱れたまま話をする人と、乱れたバランスを修復しながら話ができる人とでは、「言い方」に大きな差が出るのは明らか。

ゆっくり話し、呼吸が深くなることによって、良質な血液を体のすみずみまで行きわたらせることができる。

その結果、脳や筋肉の細胞一つひとつまで酸素と栄養が供給されるので、頭と体がいきいきとよみがえり、パフォーマンスが上がる。

笑顔で話すと、副交感神経の働きが盛んになり、自律神経のバランスが整う。

ゆっくりした言い方は、誰でも、今すぐ簡単に真似できる、物事をスムーズに運ぶコツ。

自律神経が「言い方」に関係があるということを本書を通して初めて知った。

そして自律神経を整えるということがいかに重要であるかということであろう。

2021年4月 5日 (月)

韓国行き過ぎた資本主義/金敬哲

Photo_20210329085201  韓国式「圧縮成長」の本質は、効率にあった。限られた資金と資源を、効率最優先で配分した。具体的には、政府と共に歩む財閥への配分を極度に手厚くし、財閥が市場を独占する「韓国型システム」を作り上げた。その結果、経済成長の「骨格」はできたが、日本の中小企業や地方企業のような「細胞」は育たなかった。それゆえ、経済の「血液循環」がうまくいかず、富が一部に集中する問題を抱えてしまった。
 同時に、「成長第一主義」という考え方は、「成功するのが一番、そのためには手段や方法は選ばない」という風潮を広め、韓国人を歪んだ競争主義に追い込んだ。

韓国を代表する「進歩派」の経済学者である柳鍾一韓国開発研究院(KDI)国際政策大学院院長は、進歩系(左派系)メディアである「プレシアン」に次のような文章を寄稿している。

〈約20年前に韓国を襲ったIMF危機以降、韓国社会における最大のイシューは、二極化による「格差社会」である。二極化の傾向は、実はそれ以前から始まっていたが、経済危機以降、中産層の崩壊と貧富の差の拡大が急ピッチで進み、一気に深刻化した。現在の韓国社会は、単に不平等なことが問題なのではなく、富と貧困が世代を超えて継承される点が際立った特徴となっている。すなわち、世代間の階層の移動性が低下し、機会の不平等が深まり、いくら努力しても階層の上昇が難しい社会、すなわち「障壁社会」へと移行したのである〉

1948年に建国した大韓民国は、「漢江の奇跡」と呼ばれるほど、急速な成長を遂げた。

この65年で約470倍もの成長を遂げた韓国経済は、西欧が数百年かかった経済発展の過程を、わずか数十年に圧縮して経験した。

だがこの異常な「圧縮成長」は、大きな副作用ももたらした。

1997年、韓国はIMF危機に陥る。

金大中政権の「劇薬療法」によって、3年8ヵ月後の2001年8月23日、韓国はIMFから借り入れた資金を早期に返済し、経済主権を取り戻した。

しかし皮肉なことに、この過程で韓国社会の両極化と所得の不平等は、さらに深刻化した。

特に、「苦痛の分担」という名のもとに施行された整理解雇制と労働者派遣制などの労働市場の柔軟化政策は、中産層の崩壊を招いた。

現在、韓国の就業者の20%以上、大手企業の労働者の約4割が非正規職であり、深刻な労働問題となっている。

金大中政権の急激な新自由主義的経済改革により、韓国はIMF危機という「急病」は治療できたが、「重い後遺症と慢性疾患」を抱えることになった。

それが、社会の二極化と、社会階層の定着化である。

現在、韓国の経済状況は「IMF危機以降最悪」とも評価されている。

韓国男性の人生を指して、「起‐承‐転‐チキン」という流行語がある。

学歴が高卒であれ名門大学出身であれ、会社が中小企業でもサムスン電子でも、結局はチキン店が人生の終着駅という意味。

硬直した労働市場、社会保障の不備、大企業の少ない脆弱な経済構造、これらによって第二の人生として自営業を選ばざるをえなかった中年世代を、文在寅政権の現実を無視した理想主義的な労働政策が、崖っぷちにまで追い込んでいる。

これから韓国はどんな道を歩んでいくのか?興味が尽きない。

2021年4月 4日 (日)

会社の問題発見、課題設定、問題解決/永井恒男、齋藤健太

Photo_20210328084201  理想の将来像(ビジョン)は挑戦的に高いレベルが提示してあり、できるだけ詳細に具体的に描かれていて、かつ、関わる多くの人々にとって魅力的であることが重要だと考えています。こうした、野心的で人々をワクワクさせる理想の将来像(ビジョン)が、企業に質と量の成長をもたらすのです。

経営において、問題の発見から解決に至るスタイルには大きく分けると2つある。

「ビジョンアプローチ」と「ギャップアプローチ」だ。

ビジョンアプローチは、理想とする将来像を描き、それの実現に向けて組織構成員が主体的、前向きに推進していく。

理想とする将来像には多くのステークホルダーの理想的な状態が描かれている。

一般的には5~10年先の姿を絵本にするように具体的に詳細に描く。

単年度の目標は、その将来像を実現するように逆算して設定する。

ギャップアプローチは、定量的な目標(主に財務目標)を設定し、組織構成員をプレッシャーによって駆り立てていく。

定量的な目標は、主に社員が目指すべきものであったり、株主に対するコミットメントとして示される。

また過去の延長線上に達成できそうな難易度で目標は設定されることが普通。

財務的なKPIで「売上・利益○○億円」や「業界ナンバーワン」を目指すのではなく、お客様や社会にどのような変化や価値を提供するのかを示すのがビジョンアプローチ。

挑戦的で人々の共感を生む理想の将来像(ビジョン)の策定はこの手順で行う。

①強み・価値を発見する

②どうありたいか、最大限の可能性を描く

③実現したい状態を共有する

④新しい挑戦をする

まずは、「Purpose」(パーパス)の定義を明確にしていく。

Purposeという英単語は、「目的」と翻訳されることが一般的。

それも間違いではないのだが、今回の文脈では「存在意義」という訳の方がしっくりくる。

Purposeとは、自分たちの組織がなぜ存在しているのかを表現すること。

「この組織は何のために存在しているのか?」という問いへのシンプルな答えをPurposeで表す。

Purposeがあることによって一貫性のある戦略を描くことができ、組織に一体感が生まれる。

また、Purposeに共感した社員が高いモチベーションでその能力と創造性を発揮することで、大きな価値を生むことができる。

さらに、Purposeから生まれた商品・サービスが顧客の共感や支持を生み、それが売上・利益となり、企業の持続的な繁栄をもたらす。

Purposeには、「その組織の価値観」と「社会的な意義」が含まれている必要がある。

人からのお仕着せではなく、自分達が心から信じられることが重要なので、組織の価値観に沿っていなくてはならない。

また、自分達の利益や成功の追求だけでなく、社会にとっての利益を追求するので社会的な意義も含まれているべき。

・自分たちが活動することで、世の中にどんな良い影響を与えたいのか?

・自分たちは世界のどんな課題を解決するのか?

このような要素が入っていることが、Purposeにとって必要不可欠。

Purposeは、

・社会的意義(社会に何を働きかけていきたいのか)が含まれている

・誰かから与えられるものではなく、自分ごととして捉えられている(自身の価値観や夢、志から構成される)

ことが重要。

ビジョンアプローチでも、日々様々な問題が発生し、それに対して論理的に解決策を作っていくことには変わりない。

①問題を特定する、②原因を分析する、③解決方法を検討する、④問題解決のアクションを考えていく、のは当然。

ただし、ビジョンアプローチでは、問題や原因を短絡的に分析、特定せずに、全体的長期的観点で捉えるように心がける。

先が見えない今だからこそ、ビジョンアプローチが必要なのではないだろうか。

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