2018年12月11日 (火)

「やりたいこと」を先送りしてしまう自分が変わる本/望月俊孝

Photo 実は、「すぐやる」人は野球選手のように人生に「守備範囲」を持っています。その範囲にひっかかったものだけを「すぐに」やっているのです。

「すぐやる」ことは重要だ。

でもそれができない人がほとんど。

ではどうして「すぐやる」ことができないのか。

それはすべてのことをすぐやろうとしているから。

それを著者は野球選手に守備範囲に例えて説明している。

どんな優秀な野球選手であっても球場全部を守ることはできない。

ライトはライトの、サードはサードの守備範囲がある。

優れた野球選手はその守備範囲を完璧に近く守る。

それと同様にすべてのことを「すぐやる」ことはできない。

まずは「すぐやる」守備範囲を決めることが大事だ。

ではその守備範囲をどうやってきめるのか。

まず考えるべきなのは、すぐやらないことによって多大な影響を及ぼす分野。

それを明確にし、それだけは「すぐやる」ようにする。

さらに価値観に合っているかどうかも重要だ。

価値観に合ったことははじめの1歩を踏み出しやすい。

はじめの1歩を踏み出せば、次の1歩は踏み出しやすくなる。

つまり、「やるべき」ことと「やりたい」ことを明確にし、それだけは「すぐやる」。

逆に言えば、それ以外は「すぐやらない」。

先延ばし傾向の強い人はそこからはじめるべきだろう。

2018年12月10日 (月)

エンジニアの成長戦略/匠習作

Photo 知りたい、調べたい、どうしてなんだろうという、激しい知的好奇心がなければエンジニアの仕事は苦痛でしかない。

本書では人材を3つのタイプに分けている。

「自燃型」「可燃型」「不燃型」である。

「自燃型」とは、自分で目標を立て、自分で計画し自ら学びそれを業務で活かそうとするタイプ。

ある意味理想的に見えるが、組織や上司にそれに見合うだけのものがないと、いずれ会社・組織を離れていく。

そのため、必ずしも会社や組織にとって使いやすいタイプとは限らない。

「可燃型」とは、何かのきっかけでモチベーションがアップし仕事に燃えるタイプ。

実はほとんどのビジネスパーソンは、このタイプ。

特に、新入社員や、入社間もない若手社員は圧倒的に「可燃型」が多い。

通常の会社や組織であればそこにいる社員は、基本的に「可燃型」である。

そのため、上司や仕事上の先輩にあたる人は、燃え始めるための火種を用意しなければならない。

「不燃型」とは、基本的に、いわれたことだけをこなすタイプ。

余計なことはしない。

そうかといって、仕事を確実にやり遂げるというタイプでもない。

怒られない、注意されない程度にやり遂げる。

基本的に、不燃型を仕事で燃やすことはできない。

大きな組織で安定的なら害はない。

そしてエンジニアとして成長し続けるのは「自燃型」である。

エンジニアで大事なのは「動機」だということであろう。

2018年12月 9日 (日)

ポスト新産業革命/加谷珪一

Photo AI化という流れは、その業務の本質が何なのかということをはっきりさせているに過ぎない。

仕事には本質的な業務とそれに付帯する業務がある。

AIに代替されるのは多くは付帯業務である。

本質的な業務は依然として人間がやることになる。

AI時代以前は、デザインの業務を行うにも、医療業務を行うにも、情報システムを構築するにも、多くの人員を必要とした。

本業以外の付帯業務の割合が高かったからである。

だがAI時代には、医師は医師としての本質的な業務に特化すればよく、デザイナーもデザインという本質に特化すればよい。

図案を描く作業は機械に任せ、デザインの核心部分を発案できればよい。

医療についても、AIがあれば問診業務や検査業務の多くを代行できるので、医師は治療というもっとも大事な部分に特化できる。

SEも同様である。

設計やプログラミングの作業そのものはかなりの部分が機械で代行できるので、SEはシステムの提案や顧客ニーズの実装という付加価値の高い部分に集中することになる。

結果として、単純作業が得意なデザイナー、医師、SEは必要なくなり、 多くの労働者が人間にしかできない高付加価値な仕事へのシフトを迫られる。

これがAI社会の本質ということになる。

そう考えると、私たちがどの方向でキャリアを形成してゆけば良いのかが明確になってくる。

AI社会は決して脅威ではないということである。

2018年12月 8日 (土)

日本のイノベーションのジレンマ/玉田俊平太

Photo 二十一世紀を生き抜くために、企業はこの創発力を一層鍛える必要がある。そして、他人のわずかな振る舞いから、その人が求めていることを感じ取る、すなわち「空気を読む」ことが得意な日本人こそ、実は創発力に富んだ民族なのかもしれない。

アメリカの哲学者パースによれば、人間の思考は「演繹」「帰納」「創発(仮説設定)」の三種類に分類できるという。

これらのうち、演繹と帰納は、おそらくコンピュータでも代用可能だ。

演繹はコンピュータが得意とする論理演算そのものだし、帰納も多くのデータから近似式を求めればできそうだ。

しかし、最後の仮説設定、すなわち起きていることの因果関係を類推して仮説を考え出すことは、今のところ人間にしかできないようだ。

そしてこの創発力はイノベーションと密接な関係がある。

今の日本企業に必要なのはイノベーションである。

この考えに異を唱える人はいないだろう。

クリステンセン教授によると、イノベーションには持続的イノベーションと破壊的イノベーションがあるという。

今ある製品・サービスをより良くするという競争において、既存の大企業は圧倒的な強さを示す。

クリステンセン教授は、このような「今ある製品・サービスをより良くする=従来よりも優れた性能を実現して、既存顧客のさらなる満足向上を狙う」タイプのイノベーションを持続的イノベーションと定義した。

これに対し、破壊的イノベーションとは、「既存の主要顧客には性能が低すぎて魅力的に映らないが、新しい顧客やそれほど要求が厳しくない顧客にアピールするもの」だ。

メーカーは一生懸命性能を向上させ続けているのに、ユーザーにとってはちっともありがたくない性能があれば、既存企業をローエンドから破壊するチャンスとなる。

QBハウスや回転寿し、ティファールの湯沸かしポットやワンコイン健診のケアプロなどはいずれも、他社にはない技術やノウハウを結集してローエンド型破壊を起こしている。

日本人は新しいものを発想する力が劣っていると考えがちだが、見渡してみれば破壊的イノベーションで成功したビジネスモデルであふれている。

日本人はもっと自信を持って良いのかもしれない。

2018年12月 7日 (金)

熱海の奇跡/市来広一郎

Photo 古い街をただ壊すのではなく、古い街にそのまましがみつくのでもなく、街の良さを新しい価値観で発見して活かしていく。  それがリノベーションまちづくりです。

熱海が今、かつての活気を取り戻しつつある。

熱海のイメージは、企業等の団体客が宴会場として利用している温泉観光地というもの。

私も会社勤めをしていた時代、行ったことがある。

しかし、時代とともに観光客の求めるものが、かつてのような団体客による宴会歓待型から、今では個人や家族による体験・交流型に変化した。

これとともに、熱海は衰退していった。

本書はかつての繁栄を取り戻すための試みを具体的に記している。

そのキーワードは「リノベーションまちづくり」

リノベーションまちづくりとは、街の独自文化を活かし、古いものに新しい価値を与える。

そんな新しい発想を持った人による経済活動のこと。

リノベーションを行うことで、街の文化が魅力を増していく。

そのために大事なのは、新しい価値を生み出す人の存在。

魅力のある商品やサービスを生み出す企業をたくさん育て、街そのものの魅力を高めることによって経済的な実力を備えることがなければ、街は持続的に繁栄することなどできない。

そのために様々な試みをする。

例えば「あたみマルシェ」

「あたみマルシェ」への参加の条件は、主に、「手づくり」、「ローカル」、「商売としてのチャレンジ」の三つ。

ただ、このマルシェは、単に商店街に賑わいをつくることが狙いだったわけではなく、本当の目的は次の二つ。

まず一つは、熱海の街なかでこれからお店や工房を持ちたい方を発掘し、応援する場となること。

もう一つは、道路という普段活用されていない公共空間を、人の過ごす場所として活用することだった。

「熱海で商売をしたいとか、工房を持ちたいなどという意欲のある人が、自分たちの事業をテストする場」

これが真の狙いだった。

この「あたみマルシェ」は2013年の開始以来、2017年まで毎年6回ずつ開催していて、毎回40から50店舗の出店があるという状況になっている。

これによって、エリアに魅力が生まれ、人が集うようになり、空き店舗も埋まり始める。

その結果このエリアの地価も上がり始める。

リノベーションまちづくりの目的であるエリア価値の向上は、不動産価値の上昇という形で現れる。

熱海はこれらの試みによってかつての活気を取り戻しつつある。

そして熱海と同様、日本の地方都市にはそれぞれ、独自の歴史があり、自然があり、文化がある。

その個性を新しい目で見直すことで、街を再生するカギを発見することは不可能ではないはず。

街という地方社会を活性化するために、リノベーションにより街の良さを活かしたビジネスを起こすというまちづくりは、日本中のあらゆる地方都市でもできるのではないだろうか。

2018年12月 6日 (木)

明日クビになっても大丈夫!/ヨッピー

Photo 結局のところ言いたいのは「貴方も本業以外に何かやれ」 という事だ。僕にとっての「オモコロで書く事」を皆さんにも見つけて欲しい。それはたったひとつの趣味で構わない。その「趣味」が「仕事」に変わった時、「趣味が仕事」というのはそれだけで大きなアドバンテージになるからだ。

サラリーマンで「明日クビになっても大丈夫」という人はどのくらいいるのだろう。

よほど能力があるか、財産があるかでなければそんな人はいないだろう。

ほとんどの人は「明日クビになったら路頭に迷う」人たちである。

そうなってくると、嫌な上司の言うことも聞かなければならないし、理不尽な命令にも従わなければならない。

会社にしがみつく以外、生きていく術がなくなってしまう。

だったら、そんな会社は辞めて独立すればよいと考えがちだが、それでまともに食っていける人はごく少数であろう。

そこで著者が勧めているのが「副業」である。

仕事をしながら「副業」をする。

そして「副業」で食っていける目途がついたら、それで独立すればいい。

そのように勧めている。

確かにこれが一番安全なやり方だろう。

一つの選択肢として考えてもよいのではないだろうか。

2018年12月 5日 (水)

たった一人の熱狂/見城徹

Photo この世には2種類の人間しかいない。圧倒的努力を続ける人と、途中で努力を放棄する人だ。

「圧倒的努力」とは何か。

著者が石原慎太郎氏から原稿を書いてもらおうとアプローチした時、「太陽の季節」を本人の目の前で暗唱して見せたという。

著名な作家から原稿をもらうためには、過去の著書を全部読んでから会うという。

圧倒的努力とは何か。

人が寝ている時に寝ないで働く。

人が休んでいる時に休まずに動く。

どこから手をつけたらいいのか解らない膨大なものに、手をつけてやり切る。

「無理だ」「不可能だ」と人があきらめる仕事を敢えて選び、その仕事をねじ伏せる。

人があきらめたとしても、自分だけはあきらめない。

これが著者のいう「圧倒的努力」。

圧倒的努力ができるかどうかは、要は心の問題。

どんなに苦しくても仕事を途中で放り出さず、誰よりも自分に厳しく途方もない努力を重ねる。

できるかできないかではなく、やるかやらないかの差が勝負を決する。

こんな著者の生き方は「熱狂」というにふさわしい。

2018年12月 4日 (火)

誰も教えてくれない 質問するスキル/芝本秀徳

Photo 質問するという行為には、相手の思考を方向づける力があります。質問されると考えざるを得ない。だから、よい質問をすることによって、相手の思考をいい方向に導くことができます。相手を深く考えさせたり、ポジティブに考えさせたり、本質的に考えさせたりできるのです。

人は普段考えているようで考えていない。

考えているのではなく思っているといったほうがよいのかもしれない。

考えるとはどういうことか。

結論を出すことである。

結論まで至らなくとも、何らかの考えた結果をだすことである。

では相手に考えさせるためにはどうすればよいのか。

的確な質問をすることである。

例えば何気なく仕事をしている相手に「この仕事の目的な何ですか」と質問したとする。

相手は初めて「この仕事の目的な何だろう」と考え出す。

「この仕事はどんな結果を求められているのですか」と質問すると、はじめて「この仕事はどんな結果を求められているのだろう」と考え出す。

また、質問は相手に投げかける前に、自分に向ける必要もある。

自分に問いかけ続ける。

相手に的確な質問をするためには、まず自分に的確な質問ができるようにする。

その時、自分にどんな考えがうまれるのか。

それを体感することが的確な質問ができるようになる第一歩ではないだろうか。

2018年12月 3日 (月)

問いかけ続ける/ジェイムズ・カー、恒川正志

Photo 基本的な問いを繰りかえす文化では、思いこみを〝断ち切る〟ことにより、明快な結果に到達することができる。謙虚になれば、どうしたらもっとうまくできるかという簡潔な問いが生まれる。

インスパイア型のリーダー、組織、チームはもっとも深い目標、つまり〝なぜ〟を見いだす。

そして、共有される価値、理念、信念を通して人々を惹きつける。

オールブラックスには問いかけ続ける文化があるという。

「…… だとしたら、どうなるか?」

「この状況で…… するには何をするか?」

「…… にはどうしたらいいか?」

「…… はどうか?」

と、問いかけ続ける。

オールブラックスのメンバーに加わるとき、選手は一冊の本を渡される。

革張りの小さな黒い本で、見た目にも美しい。

最初のページにはジャージが印刷されている。

この長いファカパパの初代のチームである1905年のオリジナルズのものだ。

次のページもジャージの写真で、これは1924年のインヴィンシブルズのものだ。

その後も、現在のものまで年代順にジャージが並ぶ。

これはわかりやすく目に見える形でファカパパを表したものであり、獲得すべき遺産である。

次の数ページは行動規範、英雄、価値、基準、社交儀礼、エートス、チームの品性を意識させるものとなっている。

残りのページは空白になっている。書きこまれるのを待っている。

次はあなたの番だと言っているようだ。

「この後のページにどんな物語を作るのか?」と、問いかけているようだ。

このような文化が強いチームの基盤となっているのだろう。

2018年12月 2日 (日)

社会人話し方のマナーとコツ188/なるほど倶楽部

Photo 訪問先で「コーヒーと紅茶、日本茶、何がいい?」と聞かれ、「紅茶でいいわ」は、想像以上に失礼な返事であるのを自覚したいものです。

「紅茶でいいわ」がどうして失礼な返事になるのか?

それは「不本意だけどいやいや妥協した」というイメージがあるからだ。

同じケースで「紅茶がいいわ」と言えば、自分の明確な意思のもと、紅茶を選んだというイメージになる。

つまり、たった一字だが、「が」には、自分が本当にいいと思ったというイメージが、「で」には、気にいらないけど我慢するというイメージがあり、聞いたほうはどこかスッキリしないのである。

同様に、レストランなどで、「私、Aコースがいいわ」と誰かがいうと、「私も、Aコースでいいわ」と同調する人をよく見かける。

同じ、Aコースを食べるのでも、前者は自分から積極的にAコースを食べたい気持ちが伝わってきて、頼まれたほうも気持ちがいいもの。

反対に「Aコースでいい」というと、「本当は私はもっと別のものを頼みたかったのだけど、あなたに合せるわ」という、いやいや妥協したというようなニュアンスが感じられる。

「が」と「で」の違い、たった一字だが、相手に伝わるイメージは大きく異なる。

言葉は大切にしたいものだ。

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