2018年6月21日 (木)

キヤノン特許部隊/丸島儀一

Photo 今の世の中で特許上、絶対的に強い会社はありません。常に相対的に強いだけです。だから相対的に強い部分で有利に交渉をして、弱さを補っていくことが重要なのです。
 

著者は、キヤノンで一貫して特許事務にかかわってきた伝説の人物。

著者は特許事務に配属された時、特許担当としてまず、600件あまりの特許群すべてを原文で熟読した。

これによって、何をすればゼロックスの特許にひっかかるかということは熟知することができたという。

著者が唱えてきたのは、特許担当者は源流に入れ、ということ。

特許担当者が机に座って仕事をしていてはいけない。

とにかく担当する技術の開発部分に入り込みなさい、ということ。

特許担当者と開発の人間が一体になり、事業の展開を考えながら特許を取っていくというのが、最も良い特許を取る方法だというのである。

つまり、開発の人間と思いを一にすることにが強い交渉力につながるということであろう。

特にアメリカの企業との交渉は高度な交渉術が必要となる。

交渉では100対ゼロはあり得ない。

20を譲って80を取る、これが交渉である。

そのための一つの手法としてクロスライセンスがある。

これは2つまたは複数の企業等が、自らの持つ特許権等の知的財産権の行使を互いに許諾すること。

またはそのための契約。

つまりざっくり言えば知財の物々交換である。

クロスライセンスは、自分の有利な立場を利用して、さらにそれを継続的に維持するための一番いい方法だという。

ライセンスはする。

その代わり攻められないような立場を築く。

さらに差額として実施料を1パーセントもらえば、プラスマイナスで2パーセントの事業差が出る。

これでコスト競争上優位に立てる。

また相手の特許を自由に使っていいということになれば、設計の自由度が増し、事業的にも非常に有利になるというのである。

特許を取るということは今や企業の明日を決めるといっても過言ではない。

著者にもその危機感があるのだろう。

2018年6月20日 (水)

家康に訊け!/童門冬二

Photo 彼はいわゆる、
「日本人特有の温情主義」
 によってこれを実現したわけではなかった。むしろ彼の組織や人事の管理方法は、
「非情」につきる。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康はそれぞれ「天下人」と言われる。

中でも一番人気のないのは家康であろう。

信長や秀吉は日本人離れのところがあったが、家康はいかにも日本人といったところがある。

現在の企業経営になぞらえてみると、彼ら三人には事業の連続性と継続性がある。

つまり、織田信長はそれまでの中世以来の古い日本人の価値観を叩き壊した。

したがって、破壊に必要な戦略とリーダーシップを取った。

豊臣秀吉は、新しい価値社会の創造建設を担当した。

だから、それなりの戦略とリーダーシップを発揮した。

そこへいくと、徳川家康はふたりの先輩がやりかけたことを完成させ、それを長期維持管理したと言える。

徳川家康が終生貫いたのは「信頼」であった。

信頼を、いま風に言えば徳川企業のCIにした。

これは、若いときからずっと年月をかけて積み重ねたものだ。

状況の変化に応じて、一朝一夕で実現した付け焼き刃ではない。

そして、ひと言で言えば、家康の戦略は「分断政策」だった。

まず、トップマネジメントグループにおいて、頭と胴体・手足を切り離した。

具体的に言えば、征夷大将軍になった家康はすぐ隠居した。

そして、その職を息子の秀忠に与えた。

しかし、秀忠に全権を与えたわけではない。

家康は、会長職として駿府城に退き、ここで多彩なブレーンを登用した。

腹心、学者、僧、外国人、商人、特別技能者などである。

この連中に、新しい社会体制を長持ちさせるためのいろいろな知恵を出させた。

そして出た知恵を今度は「政策」として、江戸城にいる新将軍秀忠のところに届ける。

秀忠は、駿府城で生まれた知恵を実行する。

いわば、政策の実施機関である。

家康の分断経営は、大名に対する統制と管理でも遺憾なく発揮された。

彼は大名たちに対して、絶対に〝花と実〟を同一人に与えなかった。

「花」というのは「権力」だ。

「実」というのは「収入」である。

権力を持たせた大名の給与は、ごく低く抑えた。

反対に、給与をたくさん与える者には、幕府の枢要なポストは絶対に与えなかった。

これについては家康自身が「権力を持つ者の給与は少なく、給与の多い者には権力は持たせない」と言っている。

これらは今にも通ずるマネジメントではないだろうか。

2018年6月19日 (火)

官僚がバカになったから日本は「没落」したのか/原山擁平

Photo 「キャリア官僚は、この安定期に力を発揮する人材タイプが多いんです。ところが今の日本は変革・衰退期に入っていると考えられる。そうすると多分、これまでに省庁が採用してきたタイプとは異なる人材が求められているはずなんです」

官僚は〈官吏。役人。特に、国政に影響力をもつ上層の公務員群についていう〉と広辞苑に記されている。

つまり官僚=キャリア官僚ということになる。

東大法学部を頂点とする〝一流大学〟を卒業しただけでなく、戦前なら「高等文官試験」を、戦後なら「国家公務員Ⅰ種試験」や2012年度からは「国家公務員総合職試験」となった〝超難関採用試験〟を突破した筋金入りに〝優秀〟な人々だ。  

そして日本は優秀な官僚が支えていると言われてきた。

昔は「経済一流、政治三流」と言われたものだが、三流であるはずの政治は経済の足を引っぱらなかった。

それはキャリア官僚が政治家をサポートしているためだ。

こういう見解は、日本人の共通認識としてあった。

ところが最近、その官僚がおかしい。

「官僚の中の官僚」と言われた財務省の文書改ざん問題やセクハラ問題等々、以前では考えられないことが起こっている。

日本の官僚は劣化してしまったのだろうか。

恐らくそうではなく、官僚の持つ能力そのものが時代に合わなくなってきたのではないだろうか。

官僚は〝超難関採用試験〟を突破した筋金入りに〝優秀〟な人々だ。

だから、情報や事務の処理能力が極めて高い。

その面では優秀だ。

まさしく限られた時間で多くの受験科目をこなし、最も高い点数を取るためには何に力を注げばいいか幼い時から訓練を受けているからだ。

そして入試にはそういう能力を持った人間を選抜する傾向がある。

つまり、予め決まった答えをより早く正確に出す能力には優れているのである。

その能力が発揮できるのは日本が安定期であった時代。

しかし、今の日本は、変革・衰退期に入っている。

例えば、成長期の会社なのに、間違って安定期タイプの人材が入社してしまうと不思議に浮いてしまい、無能の烙印を押されてしまう。

安定期の会社に成長、変革・衰退期のキャラクターが入っても同じ結果になる可能性が高い。

無能か有能かという問題は、当然、単純にその人間の偏差値や努力で決まるものでもない。

その意味で今の官僚の持つ能力が時代に合わなくなってしまい陳腐化してしまったと言えるのではないだろうか。

2018年6月18日 (月)

文春砲/週刊文春編集部

Photo 「読者は人間の立派な部分だけを知りたいわけではないと思います。俗っぽいけれど、その人の人間らしい部分こそ読者の興味をそそる。その読者たちの期待に応えるのが私たちの仕事だと思っています」
 これが世にスキャンダルを送り出す、我々のスタンスです。

「文春砲がさく裂!」

最近、よく聞くフレーズである。

この文春砲、政治家や芸能人にとって、恐怖であろう。

過去、スキャンダル処女といわれていたベッキーさんの不倫報道、安倍内閣の中核である甘利明 大臣の金銭授受問題、舛添要一都知事の公用車私的利用問題等、多くのスキャンダルを暴いてきている。

そしてテレビのワイドショーや、はたまた国会まで、この週刊誌ネタを取り上げている。

でも、取材する記者は大変である。

甘利問題を追いかけていた記者は、一年近くにわたりネタ元ととことん付き合ったという。

一緒に食事をしたり、フィリピンパブに付き合ったり、とにかく何時間でも話を聞き続ける。

大きな事件を告発する人物はほとんど例外なく、途中で不安に襲われる。

「私も逮捕されるかもしれない」

「残された家族が心配で……」

甘利問題の担当記者は揺れる告発者に寄り添い続けた。

そして最後には安倍政権の中枢を直撃する大スクープを放つことができた。

ただ甘利関連報道が一段落した後、その記者はしばらく体調を崩してしまったという。

確かに、この取材記者という仕事は大変だ。

肉体的に、そして精神的に、大変なストレスにさらされる。

特に、仮に有名人のスキャンダルを暴いたとしても、その取材対象者を不幸にするだけである。

言葉を換えて言えば「人を不幸にする仕事」と言ってよい。

これでモチベーションが保てるのだろうか?

こんなことを考えさせられた。

2018年6月17日 (日)

10年後躍進する会社 潰れる会社/鈴木貴博

Photo 「この危機は、自動車が売れなくなったトヨタをイメージしてほしい」

上記は、富士フイルムの当時の社長、古森重隆氏の言葉。

日本の写真業界に最初に激震が起きたのは1981年。

ソニーがデジタルカメラのさきがけとなるマビカというコンセプト商品を発表したとき。

マビカから14年後、1995年にデジカメ分野での最初のヒット商品がカシオから発売される。

ところが、当時のフィルムメーカーの幹部の大多数の意見は、 「デジカメは発展するだろうが、市場としては高性能のフィルム方式のカメラと、低性能のデジカメが 棲み分けることになる」 という考え方が定説だった。

そこから 10 年後の2004年に写真産業はどうなったのか?

棲み分けるなどという話は幻想で、カメラはすべてデジタルカメラに置き換わってしまった。

これが破壊的イノベーションの出現サイクルである。

そして世界最大のフィルムメーカーだったイーストマン・コダックが連邦破産法を申請するのは、それからさらに8年後の2012年。

フィルムの場合はマビカというコンセプトモデルの発表から、イーストマン・コダックの消滅まで 31 年間かかっている。

ところが、フィルム産業が破壊されていく中で富士フイルムは化学企業として舵を切りなおして、成長を実現している。

その原動力となったのが2000年に富士フイルムの社長に就任した古森重隆氏のリーダーシップ。

フィルム分野で過剰な販売チャネル、研究所、研究員、管理職への大規模なリストラを断行する。

同時に、新たな成長分野への巨額の投資を行うことで、消滅するフィルムという壊滅的な事業構造の変化を乗り切った。

自動車、金融、外食、放送等、今、あらゆる分野が破壊的イノベーションの脅威にさらされている。

「この危機は、自動車が売れなくなったトヨタをイメージしてほしい」

この言葉の持つ意味と重さを理解している経営者はどのくらいいるのだろう。

2018年6月16日 (土)

大西瀧治郎 神風特攻を命じた男/西村誠

Photo 神風特別攻撃隊を生み出したのは、〝日本軍の風土〟だったのではないだろうか。つまり、明治以来積み重ねてきた日本軍の精神性が、ついには特攻という作戦を採用するに至らせたと考えられなくもない。

初めての特攻出撃を命じたのは大西瀧治郎だったという説がある。

確かに大西は初めて航空機による特攻出撃を命じた。

ただ、先に特攻出撃を命じられたのは『回天』部隊であった。

『回天』の出撃が、大西が命じた神風特別攻撃隊よりも遅くなってしまったに過ぎず、命令自体は『回天』の方が早かった。

そもそも、それまでにも、航空機による敵艦体当たりはなかったわけではない。

真珠湾攻撃時にも、制空隊の零戦搭乗員だった飯田房太大尉が、空中戦で被弾して帰投を諦め、アメリカ軍飛行場の格納庫に突撃して散華した。

ミッドウェー海戦では攻撃隊指揮官の友永丈市大尉が空母『ヨークタウン』に突入した。

南太平洋海戦では雷撃の神様と謳われた村田重治中佐の九七艦攻が被弾して、空母『ホーネット』に体当たり戦死した。

この海戦では、坂本明大尉の九九艦爆も『ホーネット』に体当たりしている。

これらの例は上官からの命令によるものではなかった。

友永大尉の例を除いては、自機が被弾し帰投できなくなったから、どうせ死ぬのだからと体当たりを選んだに過ぎない。

日本の敗戦が濃厚になった時、日本人の中に「どうせ死ぬのなら」「どうせ負けるのなら」という空気が生まれたのは想像に難くない。

現に、この時期、大西は「もう、体当たりでなければならない」と、周囲に漏らすようになっていたという。

迷いながらもいずれその日が来ることを実感していたのではないか。

つまり、誰であっても大西の立場に立っていたなら、特攻を命じたのではないかという推論は成り立つ。

では誰が大西に命じたのか?

軍隊である以上、大西が勝手にやったとは考えられない。

少なくとも上位者はそれを黙認したはずである。

そう考えると神風特攻隊は誰かが主導して行ったのではなく、当時の空気がそうさせたと考えられなくもない。

『空気』という存在、いかにも日本らしい。

2018年6月15日 (金)

知られざる「吉田松陰伝」/よしだみどり

Photo 江戸末期、松陰の夢は、日本が外国からの 辱めを受けない立派な国になることだった。世界からみて恥ずかしくない日本人であること、それが彼の理想であった。

上記はスティーヴンスン著『ヨシダ・トラジロウ』の一節。

当時、日本国内には吉田松陰の伝説は存在しなかった。

にもかかわらず、イギリス人のスティーヴンスンが「松陰伝」を書いているのである。

世界初の「松陰伝」ということになる。

スティーヴンスンと言えば『宝島』『ジギルとハイド』の著者として有名である。

その彼がどうして吉田松陰のことを知っているのか。

その謎を解くために著者は謎解きの旅を続ける。

そこで分かったことは松陰から教育を受けた正木退蔵とスティーヴンスンとはあることがきっかけで交流があったということ。

そして退蔵から吉田松陰の話を聞かされたスティーヴンスンは感動し『ヨシダ・トラジロウ』を著したというのである。

正木退蔵が、松陰に初めて会ったのは安政五年(1858年)のことで、退蔵が13歳の時のことであった。

それは松陰が、松下村塾での最後の教育をしている時期であり、まもなく彼の再入獄によって、松陰による松下村塾は終わりを告げる。

もっとも感じやすい年ごろに、ほんの数カ月というわずかな期間、彼が松陰から受けた教育は机上の学習だけではなく、実際にすぐに社会の役に立つ人間となるために自己を教育するという実学の思想であった。

正木退蔵は、その教えを深く胸に刻みつけてその後の人生で実践した。

そして退蔵を通してスティーヴンスンは松陰という人物を知る。

文豪スティーヴンスンと松陰が、偶然とはいえ、このようにして結び付いたということは、まさに運命的な出会いであった。

松陰の生き方はスティーヴンスンの生き方にも影響を与える。

松陰の魂・スピリットは、彼が生前のぞんでいたように、日本という小さな国を越えて、地球の反対側に飛んでいってしまったのである。

不思議な出会いを感じる。

2018年6月14日 (木)

生きづらさの正体はアダルトチルドレン。/梅岡幸子

Photo 最終的に、「そのままの自分でいい。私は自分が好きだ」ということが腑に落ちれば、アダルトチルドレンを克服できたといってよいでしょう。

アダルトチルドレンとは、「機能不全家庭で育った影響で、成人してからも心の傷やトラウマを抱えている人たち」を指す。

何をやっても上手くいかず、自分を好きになれない。

どこへ行っても人間関係でつまずき、居場所がない。

愛されたい、認められたい、嫌われたくない。

そんな思いが渦巻く。

これらは、アダルトチルドレンの症状である。

「可愛い」「大好き」などの肯定的な言葉をたくさんかけられた子どもは、存在を承認され、自己肯定感を高く持つことができる。

良好な親子関係の中で他者との関わりを心地よいと感じるようになり、親密な人間関係を築くことができる。

一方、親から虐待を受け、「あんたなんか生むんじゃなかった」「お前はダメな子だ」と、存在や人格を否定するような言葉を繰り返し言われた子どもは、「自分は人から愛されない」「人との関わりがつらい」という初期設定になる。

すると、人間関係でのつまずきは必然となる。

家庭の外での人間関係は、幼少期の親子関係が大きく影響しているということである。

アダルトチルドレンの回復は4つのステップが必要となる。

第1に、子どものころから溜め込んでいる親への怒り、恐怖などを吐き出す。

第2に、自分の素直な感情をそのまま認める。

第3に、毎日記録をつけ、自分が頑張ったこと、やり遂げたこと、その日に起きた良い出来事に意識をフォーカスさせる。そして、しっかりと自分を認めて褒めることに慣れていく。

第4に、自分に合った心理療法をお守りとして持っておく。

特に第2、3が重要だ。

心の中に溜め込んだままの、親への怒りや恐怖心、その他の黒い感情を「思ったまま、感じたまま」に吐き出し、それを自分で認めるという作業である。

感情は、認めると消える。

最終的に、「そのままの自分でいい。私は自分が好きだ」ということが腑に落ちれば、アダルトチルドレンを克服できたといってよいということである。

でも、「ありのままの自分の感情を認める」ことは、すべての人に必要なことではないだろうか。

2018年6月13日 (水)

宇宙兄弟「完璧なリーダー」は、もういらない。/長尾彰

Photo 率先垂範・不動不惑のリーダーは通用しなくなりつつあり、「総リーダー時代」に突入しているのです。
 それなのに、「リーダーたるもの、優秀でなければならない」という呪縛が、未だにどれほど多くの人たちを苦しめていることか!

リーダーたるもの、行き先や行き方を迷うことなく先頭で示し続け、人々はその背中に憧れ、尊敬しながらついていく。

このようなカリスマ的なリーダーが企業や組織を牽引することで、日本の経済産業はめまぐるしい発展を遂げてきた。

確かに、これまでの社会はそれで安泰だった。

でも、時代は大きく変化した。

その変化のスピードはどんどん速くなっている。

予測の不確実性が高く、誰も「正解」がわからない。

こんな時代、自信満々で有無を言わさずに「こっちへ行くぞ!」と、みんなを牽引するようなカリスマ的リーダーは生まれにくい。

新しいリーダー像が求められている。

そんな中、著者は「宇宙兄弟」の主人公、南波六太に新しいリーダー像を求めている。

六太は一見するとリーダーとは無縁なタイプ。

「何をやっても、デキのいい弟に先を越されてしまう兄」というコンプレックスに苦しみ、なかなか自分に自信を持ない。

でも、彼がいるとなぜか結果的に物事がうまくいっているというパターンが実に多い。

六太がピンチのときは、彼に共感し協力する人間が自然と集まり、目的を達成する。

逆に彼の言動がきっかけとなり、周囲の人たちが自らの夢を成し遂げている場合もある。

これこそがまさに、「リーダーシップ」だ。

こうしたアクションを本人はほとんど無自覚で行っているのが、六太のすごいところ。

本人も自分のことをリーダーとは思っていないだろう。

「リーダーは先頭を走り、みんなを引っ張れる優秀な人間でなければならない」

あえて口に出すことはなくても、「リーダー」という概念に、漠然とそういったイメージを抱いている人は多いのではないだろうか。

まずはこの「リーダー=優秀で選ばれた人物」というイメージを、頭の中から取っ払ってしまう必要があるのではないだろうか。

リーダーとは、「選ばれた優秀な人間」ではなく、 リーダーシップを発揮している人のこと。

リーダーの仕事は、メンバーを仕切ったり、命令したりすることではない。

「リード」すること。

優秀である必要はないのである。

2018年6月12日 (火)

内閣官房長官秘録/大下英治

Photo 新聞記者が、
「官房長官が、肝腎の部分を握っていて、政局の切り札に使おうとしているんじゃないですか」
 と訊くと、後藤田は、にやりと笑った。
「君も、なかなか空想力に富んでいるな。新聞記者をやってないで、小説家になってはどうかね……」

官房長官の仕事は、総理を支える女房役であること。

省庁間にまたがる施策を調整する役割がある。

国会では、きちんと法案を通さなければいけない。

また、スポークスマンとして内閣の考えを内外に発する。

これらすべてを抱えると相当な重圧になる仕事である。

歴代の官房長官の中で評価の高い官房長官の一人に後藤田氏が挙げられる。

中曽根首相の官房長官であった後藤田氏。

後藤田氏には、「カミソリ後藤田」「ケンカ後藤田」「ホンネ後藤田」「ウソツキ後藤田」という異名のほかに、「オトボケ後藤田」というあだ名もある。

当時の中曽根首相には、行政改革を断行するという使命があった。

各省庁の予算を抑え、減税していかなければならない。

当然、各省庁の役人から、猛然と反対の声があがってくるのは必至だった。

にもかかわらず、中曽根首相は、確信に近いものを持っていた。

その反対の声を抑えこむことのできるのは、後藤田しかいない、と。

後藤田氏は、喧嘩は、めっぽううまい。

しかも、判断が早い。かけ引きも上手だ。

嘘も、平気でつく、それもわからないように……。

といって、肚の中をズバリと見せたりする。

官僚の操縦法を知り尽くしている……。

中曽根首相には〝不沈空母〟発言、対米武器技術供与、田中角栄議員辞職勧告決議案、国鉄法案と、いくらでも攻撃材料があった。

ところが当時の筆頭野党の社会党からほとんど攻撃されなかった。

当時、社会党の沈黙は、「後藤田官房長官の握っているレフチェンコ・リスト公開の恫喝に屈したせい」とまでささやかれた。

真偽の程は明らかではないが、何れにしても政界の表も裏も知り尽くして政権運営に利用する。

清濁併せ呑む。

その位のしたたかさがなければ、官房長官の職は務まらないのかもしれない。

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