2020年3月30日 (月)

世界一わかりやすいロジカルシンキングの授業/津田久資

Photo_20200325075101 「テーマをロジカルに追いつめて、 追いつめ抜いたその先に、 ロジックを超えて生まれてくるのが本物のアイディア」

ロジカルシンキングはどんな時に必要になるのだろう。

これまでやったことのある仕事をする場合にはロジカルシンキングはそんなには必要ない。

経験に基づいて、阿吽の呼吸でやればいい。

しかし、これまでやったことのない、はじめての仕事をするとき、論理思考が必要になる。

お客さま、上司、商品など、ビジネス環境が「変わる」とき、あるいは、それらを「変える」ときに、論理思考が必要になる。

論理的に考えるときに必要なのは、言葉を絞り込もうという意識だ。

言葉を絞り込んでいくには、どれだけ正確に言葉の意味を知っているか、つまり「語彙力」 がモノをいう。

言葉を知らなければ、絞り込みたくても絞り込めない。

境界線もつくれない。

言葉を絞り込めないというのは、言葉の組み立てもぼんやりとしてしまうということを意味する。

語彙力が不十分なままだと、論理思考力は向上していかない。

さらに、直感やひらめきを生み出すには、言葉の境界線を意識したうえで、横方向の組み立てだけでなく、縦方向の組み立ても考えることが重要になる。

横方向の組み立てである「筋道」。

縦方向の組み立てである「複層」。

つまり、論理には縦方向と横方向の2つの組み立てがあり、両者によって構造化される。

論理は、縦と横の「構造」と、組み立ての部品となる「言葉」に分けて考えればわかりやすい。

この両方が足し上げられて、はじめて「論理的だ」ということができる。

そしてその先にクリエイティブな思考が生まれる。

突き詰めると「ロジカルなくしてクリエイティブなし」と言っても過言ではないといえよう。

2020年3月29日 (日)

LIFE SHIFT/リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット

Photo_20200324064101  人生が短かった頃は、余暇をもっぱらリラックスのために用いるのが理にかなっていたが、人生が長くなれば、余暇は、新しいステージに向けて自分を再創造するための投資の時間にもなる。100年ライフの恩恵の一つは、余暇時間の使い方を見直し、消費とレクリエーション(娯楽)の比重を減らして、投資とリ・クリエーション(再創造)の比重を増やせることなのかもしれない。

人間の寿命がどんどん延びている。

長生きするということにはリスクも伴う。

いわゆる長生きのリスクである。

そのリスクをヘッジするために大切なことは投資である。

中でもカギを握るのは余暇時間の使い方である。

平均寿命が延び、無形の資産への投資が多く求められるようになれば、余暇時間の使い方も変わる。

時間を消費するのではなく、無形の資産に時間を投資するケースが増えるだろう。

レクリエーション(娯楽)ではなく、自己のリ・クリエーション(再創造)に時間を使うようになる。

高スキルの職に就き続けたければ、スキルとテクノロジーへの投資を継続しなくてはならない。

多くの職種が急速に時代遅れになる時代に対処するためだ。

細切れの時間に知識を補充するだけでは十分でない。スキルの再習得に取り組めるように、本格的な移行期間を設ける必要がある。

新しい知識に投資するためには、週に1日ではなく、もっと集中的に取り組む期間が不可欠になる。

重要なのは、あとで変化を突きつけられるのではなく、いま変化を予期して行動することだ。

積極的に計画を立てて行動しなければ、長寿化は厄災の種になりかねない。

だからこそ、人々が自分の状況をもっと直感的に感じ取り、選択肢をよく把握できるように、検討する必要がある。

長寿化を恩恵にするためには、古い働き方と生き方に疑問を投げかけ、実験することをいとわず、生涯を通じて「変身」を続ける覚悟をもたなくてはならないということであろう。

2020年3月27日 (金)

教育という病/内田良

Photo_20200322084101  ここで私たちが気づかなければならないのは、「つきもの論」は、思考停止状態に 陥っているということである。

「つきもの論」というものがある。

「どんな行事や授業にも、それを不満に思う子供はいる」

「子どもの嫌な思いに耳を貸していたら、学校の行事も授業も何もできなくなる」

「教育に不満はつきもの」という意味で、典型的な「つきもの論」である。

著者が問題の一つとしてあげているものに組体操がある。

運動会になると、何段の組体操に成功したかが話題になる。

しかし、組体操には多くのリスクがともなう。

にもかかわらず、「組体操には危険はつきものだ」という「つきもの論」に集約されてしまう。

組体操は、小学校では9段を成功させた事例があるという。

9段の場合、最大負荷は3.1人分、6年生男子で119キログラム、女子で121キログラムである。

論理的に考えれば無理に決まっている。

が、組体操の最大の問題点というのは、そうした多大なリスクがあるにもかかわらず、それが無視されてしまうところにある。

教育が善きものであるばかりに、そこで子どもや教員のリスクが見落とされてしまう。

教育という言葉に惑わされず、そこに潜むリスクにはしっかりと向き合うことが必要ということであろう。

2020年3月26日 (木)

ストラテジック・イノベーション/ビジャイ・ゴビンダラジャン、クリス・トリンブル

Photo_20200321061301  戦略的実験事業を率いる際には、緻密な予想は禁物だ。直近のことだけに集中し、遠い将来の売上げ予測はメド程度にとどめるべきだ。事業計画が不確かな仮定に則っているものと認め、それに従って行動しなければならない。


イノベーションには、主に次の四つの種類がある。

第1に、継続的プロセス改善

仕事のやり方に少しずつ細やかな改良を積み重ねていくこと。

第2に、プロセス革新

プロセス革新も既存の事業プロセスを改革するものだが、画期的な技術の導入によって飛躍的な生産性向上を伴う点が違う。

第3に、製品やサービスのイノベーション

ビジネスモデルはこれまでどおりだが、創造的な新しいアイデアであるもの。

第4に、戦略的イノベーション

事業プロセスや製品のイノベーションを伴う場合も、そうでない場合もあるが、新しいビジネスモデルは必ず伴う。

戦略に革新性があれば、たとえ商品やサービスが従来と大きく違わなくても成功することはできる。

本書でもっぱら戦略的イノベーションを扱っている。

いまや、企業の長期的な存続がかつてないほどこの点にかかっている。

いち早く戦略的イノベーションを習得した企業は、持続的な成長や、競争の条件を書き換えて競合他社を圧倒するため、投資家に好感される。

しかし、大半の企業は、成長の壁にぶつかり、収益が明らかに悪化するまで、既存のビジネスモデルに安住する。

本書の意義は、イノベーションの実行に的を絞ったところにある。

どんなにいいアイデアがあっても、それを実行できなければ絵に描いた餅だ。

ただでさえ成功が困難なイノベーション。

本書のやり方に従ってもうまく進むとは限らない。

しかし、それでもやらなければ、変わらなければ未来はないということではないだろうか。

2020年3月25日 (水)

課長力養成講座/斎藤広達

Photo_20200320064801  味わうための読書と、考え方を吸収するための読書はまったく別ものである。最短の時間で考え方のエッセンスを引き出し、頭の中にストックすることが、「考える技を得る読み方」の目的である。そのためには、自分にとって必要な内容だけを選び、関係のない部分は読み飛ばすぐらいの勢いが必要だ。

課長に昇格すると、これまでの仕事の進め方を破壊し、新たなスタイルを身につけることが必要になる。

自分の思考習慣をぶち壊し、「脳みそを最大限活用できる」考えるテクニックを身につける。

そして、仕事で結果を出すための体の動かし方を習得する。

頭をしっかり使って考えるのは、かなり疲れる作業だ。

まずは「何について考えないといけないか」を考える。

そして次に、「どのように考えるか」について考える。

それができてはじめて、実際に「脳みそをフル回転させて考える」ことが有効になる。

具体的には、ものごとの「なぜ(why)」と「だからどうした(so what)」を考えること。

しかも、身のまわりの、ほとんどすべてのことについて、とにかく何でもかんでも、「なぜ?」と「だからどうした」を考えること。

これらを習慣化することだ。

そのために読書は重要なカギを握る。

本書では味わうための読書と、考え方を吸収するための読書は別といっているが、これは私自身も実行していることだ。

味わうための読書、例えば小説などはそうだ。

小説はじっくり味わって読む。

文章の表現を味わったり、行間を読む。

しかし、ビジネス書などは考え方を吸収するために読む。

スピードを上げ、どんどん飛ばして読む。

飛ばして読むことによって、ポイントを押さえる能力が鍛えられる。

これを習慣化する。

課長に限らず、ビジネスに携わるすべての人に必要なことではないだろうか。

2020年3月24日 (火)

世界一わかりやすい「ゲーム理論」の教科書/小関尚紀

Photo_20200319063301 「相手を打ち負かせば勝利が手に入るなんて、ビジネスはそう単純ではない。相手も勝たせて自分も勝つ。せり合いながらも協調を図ることが重要な『プラスサムゲーム』のほうが事業にとって有効な場合もある。特に市場のパイが停滞していて、2番手に勢いがある現在のスナック事業部は今、プラスサムゲームを選択すべきだ」

本書はゲーム理論をお菓子メーカーの女子を主人公にしたストーリーで学べるといったもの。

ゲーム理論で有名な「囚人のジレンマ」や「合理的なブタ」がストーリー仕立てで理解できるようになっている。

例えば、合理的なブタは、簡単に言えば大ブタと小ブタの2頭がエサを争うゲーム理論上の競争だ。

大きいブタは、小さいブタに比べて食べるのも走るのも速い。

まともに戦ったら勝敗は見えている。

そこで小ブタは勝ち方の定義を変えて勝つというもの。

つまり、相手より先にエサを取るとか、相手よりたくさんエサを取ることを〝勝ち〟と定義するのではなく、最も少ない労力でエサの獲得量を最大化することを〝勝ち〟と定義する。

これなら、必ずしも大ブタより先を急ぐ必要はないし、多くエサを取る必要もない。

自分のポジションを理解すれば、ふさわしい振る舞い方が見えてくる。

これなどは体力の劣る中小企業にとって重要なことなのではないだろうか。

2020年3月23日 (月)

スピーチの天才100人/サイモン・マイヤー、他

100  みなさんに与えられた時間には、限りがあります。ほかの人の人生を生きて、時間を無駄にしないでください……他人の意見という雑音に、あなたの内なる声をかき消されないようにしてください。そして、いちばん大切なこと。どうか勇気をもって、自分の心と直感に従ってください。

上記はスタンフォード大学卒業式でのスティーブ・ジョブズのスピーチ。

優れたスピーチは、聞き手の心を温かくし、聞き手を前向きな気持ちにさせ、聞き手の背筋を興奮でぞくぞくさせ、聞き手に希望と勇気を与える。

素晴らしいスピーチは、聞き手を鼓舞し、新しい考えに目を開かせる。

世界の歴史を振り返れば、スピーチが国民を慰め、あるいは対立の背中を押した例は数知れない。

スピーチは、人々を勇気づけ、闘いに立ち上がらせる。

人々に大きな犠牲を払わせ、偏見や貧困を克服させる。

抑圧や人種差別、偏見と闘う人々を助ける。

きわめて優れたスピーチは、聞き手に強い影響を及ぼし、一人ひとりの記憶と社会全体の記憶に永遠に刻み込まれる。

聞く人の感情に働きかけ、涙を流させたり、謙虚な気持ちにさせたり、怒りを湧き上がらせたり、胸がすく思いをさせたりする。

そうしたスピーチは、永遠に忘れられない。

本書は100人のそのようなスピーチを集めたもの。

良い点はどんどん盗んで自分のものにしていけばよいのではないだろうか。

2020年3月22日 (日)

性犯罪被害にあうということ/小林美佳

Photo_20200317080401  頂いたメールではっと考え込んだ事がありました。
「痛みを感じる気持ち、危機への対応」です。
 もしかすると、警察、検察、市民は「痛み」ではなく「傷み」と誤解しているのではなかろうかと思うのです。
 その差はどこにあるかと言うと文字通り「痛み」は当事者にしか解らないもので「傷み」は社会的に回復可能な損傷という風に、明確に違いがあると思います。

24歳の夏、著者は見知らぬ男二人にレイプされた。

道を聞かれ、教えようと近づいたところを車内に引きずり込まれた。

犯人はいまも、誰だかわからない。

本書はその後の心の葛藤、闘いについて綴ったものだ。

性犯罪被害にあうということ、これは当人にしかわからない。

周りの人が、妙に分かったようなことを言うのはかえってマイナスになる。

そのことを「痛み」と「傷み」の違いで表している。

「痛み」と「傷み」。

例えば、「針を刺したら痛い」。

その痛みの感じ方は、個人によってそれぞれである。

注射が大の苦手の人もいれば、平気でできる人もいるように。

ただ、多かれ少なかれ、針を刺したら「痛い」はずなのだ。

痛みを我慢できる人・できない人。

我慢できる人が痛くないわけではないだろう。

我慢できない人が大げさなわけでもない。

もしも本当に痛くないとすれば、身体のどこかに故障があって、感覚が麻痺している。

もしくは麻痺してしまうほど身体がダメージを受けている可能性だってある。

つまり、「痛み」には個人の背景や体質等、様々な要素がないまぜになって発生する。

一方「傷み」と表現した場合、それは表面的な外傷という意味合いになる。

「傷」は時間が経てば治る。

しかし、「痛み」は時間が経てば癒されるとは限らない。

最後に著者は、絶対的な「事実」を追求するのではなく、それぞれの中にある「事実」を伝え合うことが、支援であり、私たちが一番求めている「理解」なのではないだろうか、と述べている。

絶対的な「事実」ではなく、それぞれの中にある「事実」

「傷み」と「痛み」の違い。

著者の伝えたかったのはこのことなのではないだろうか。

2020年3月21日 (土)

教養としての世界史の学び方/山下範久

Photo_20200316063301  こうした時代において、技術的な専門知はそれだけでは価値を生みにくくなります。ただ良いモノを作るだけではなく、「良い」とはどういうことかを定義することが求められるからです。いわばプロダクト以前に、そのプロダクトが求められる社会をデザインすることが求められているのです。歴史学に限らず、今日、実業の世界でしばしばリベラルアーツの意義が説かれるのは、ここに理由があります。

世界史を学ぶ意味はどこにあるのだろう。

それは先の見えない時代だからだ。

新しい社会をデザインすること、

言い換えれば社会における潜在的なニーズを可視化してそれに応える仕組みを考えること、

それはきわめて創造的な作業だ。

ただ、これは必ずしもまったくの無から有を生み出す作業ではない。

新しいものは、むしろ既にあったもののこれまでにない掛け合わせから生まれてくるもの。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある通り、今こそ歴史に学ぶべきだろう。

伸びるビジネスマンのための新!ISO活用術/青木恒享

Photo_20200323065901 「ISOは、認証取得のために取り組むのではない。今一度、これははっきり認識しておいてもらいたい。当社、当店舗の発展のため、それはまずは、社員である皆の仕事における充実度を上げることを強く意識して、その上でお客様満足を追求するために取り組むものなんだ」

ISOの認証所得そのものを目的にISOに取り組む企業は多い。

ISOの要求事項に会社の仕組みを合わせようとする。

結果として、会社の経営の足を引っ張ってしまうことがある。

これでは本末転倒だ。

元来、ISOとは会社の経営を良くするためのもの。

そのために要求事項がある。

今自分たちが行っている仕事のやり方を変えることなく、そして規格に仕事を合わせるのではなく、仕事に規格要求事項を合わせる。

そのための仕組みを作る。

そして、来てくださったお客様に対して、期待を超えるサービスを提供し、満足していただく。

その上で口コミにつなげる、という流れに落とし込んでいく。

そうすれば経営基盤はより強固なものになる。

それをISOの仕組みを活用して作っていくというのがあるべきアプローチであろう。

そしてISOの場合は、認証を取得してからが始まりとも言える。

組織経営において、ISOの認証取得は決して組織の目的になるものではない。

その先にある組織の目的に対してISOをどのように活用していくかという視点を忘れてはならないということではないだろうか。

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