2020年10月23日 (金)

人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本/稲田俊輔

Photo_20201018082601

 サイゼリヤにはさまざまな魅力があり、その根幹を私は「おいしすぎないおいしさ」であると考えています。「ちょっと待って、おいしすぎないってことはつまりおいしくないってことなんじゃ!?」と思うかもしれませんが、ちょっと違います。

チェーン店の厳しさというのは常に「チェーン店なんて所詮……」という今だに根強い偏見と戦い続けなければいけないという点にある。

チェーン店で食事するとき、私たちは100点満点のおいしさを期待していない。

そこそこおいしければいい、と思っている。

100点満点のおいしさを求めるのであれば、専門店に行く。

チェーン店は70点でよいのである。

しかし、そこで特長を出し差別化しなければ生き残れない。

今やファミレスのチェーン店でナンバーワンのサイゼリヤ。

そのキャッチは次のようなもの。

具やソースが主張しすぎないシンプルな味付け。

ちょうどいいボリューム感。他の料理と組み合わせたり、

みんなで取り分けたり。気分でお選びいただけます。

1行目の文章がまさにキモ。

ひと口食べてハッとなり「おいしい!」となるにはやはりそこには具やソースなどの味付けでそれなりのインパクトがなければいけない。

しかし、この文章ではサイゼリヤとしてはそもそもそこを目指しているわけではないということがはっきりと宣言されている。

「具やソースが主張しすぎないシンプルな味付け」

この短い文章のなかに、サイゼリヤの戦略が凝縮されているのではないだろうか。

2020年10月22日 (木)

ファナックとインテルの戦略/柴田友厚

Photo_20201017081101

 ファナックはその創業初期にインテルと出会い、1975年にいち早くインテルのMPUを自社のCNC装置へ導入したが、それにより日本の工作機械の競争力を飛躍的に高めて顧客層を大きく拡張した。IBMがパソコンにインテルのMPUを初めて導入したのは1981年だったことを考えると、それがいかに早い先進的取り組みだったのかは容易に想像できるだろう。パソコン産業より、なんと6年も早くMPUを導入したのである。

なぜ、ファナックとインテルなのか。

この二つの企業の組み合わせを奇妙に感じるかもしれない。

かたや、産業用ロボットや工作機械等、ファクトリー・オートメーション業界のリーダー企業であり、かたや、パソコン用のマイクロプロセッサを開発する半導体産業のリーダー企業だ。

確かに、ファナックとインテルは、一見、無縁に思える。だが、これもほとんど知られていない事実なのだが、パソコン産業より6年も早くマイクロプロセッサを導入したのは、実は日本の工作機械産業であり、それを主導したのがファナックだった。

現在の多くの工作機械には、パソコンに組み込まれているのとほぼ同様のマイクロプロセッサが組み込まれており、それによって自動制御されている。

その意味で工作機械産業は、パソコンと比肩しうるハイテク産業であるといっても間違いではない。

この二つの企業が歴史上交差することで、日本の工作機械産業は大きな革新を遂げて競争力を飛躍的に高めた。

当時インテルはDRAM事業からMPU事業への転換を模索しており、様々な試行錯誤を重ねている悩み多い時期だった。

ちょうどその頃、ファナックがMPUを量産機種に大量採用したことが、インテルのMPUへの路線転換を強力に後押しすることになった。

その後インテルは、ファナックとの共同開発で学習した品質管理能力をIBMのパソコン事業に生かし、それ以降、急速にパソコンのコア部品を供給する企業へと変貌することになる。

ファナックもまたMPUを使ったCNC装置の開発に、インテルの強力な技術支援のもとで成功し、その後の成長基盤を確実なものにした。 

本書で見えてきたものは、完成品に付加されることでその価値を高める補完財に着目する意義である。

完成品と補完財は、お互いに足りないものを補いあう関係になっており、両者がそろって初めて価値が高まる。

それは一方が売れると他方も売れる関係であり、いわば目的を共有した運命共同体のようなものだ。

完成品にこだわれば、市場の成長につれて日本にキャッチアップしてくるアジア諸国との直接対決を避けることはできない。

それに対して補完財に着目することで、最終製品を作るアジア諸国が台頭すればするほど、補完財の需要が増加するという、いわば共存共栄の構造を作り出すことができる。

中国地場企業の工作機械の生産高が増えれば増えるほど、補完財としてのCNC装置の需要が増えるのがまさにそれに相当する。

さらに技術進化の観点から考えると、補完財は完成品との間で相互促進的に価値を高めあう共進化サイクルが形成可能である。

それが形成されると完成品メーカーの持つノウハウや潜在ニーズ、あるいは直面する先端的課題などが補完財メーカーに流れ込み、その結果、補完財メーカーの技術優位は持続することになる。

本書で描かれている革新史から見えてくることは、最終完成品でもなく部品でもない第三の道としての補完財へ着目することの意義と可能性である。

人間と同様、産業においても、光が当たり注目を浴びる産業とそうでない地味な産業がある。

本書で描かれている工作機械産業は縁の下の力持ちのような産業で、どちらかといえば後者に属するだろう。

そして、見えないところで、日本のものづくり全体を下から支えてきたのである。

この四半世紀、一貫して世界最大の生産高を誇ってきた産業がある。

それが工作機械産業だ。

日本の工作機械産業は1982年に米国とドイツを抜いて世界一の生産高に躍り出て以来、2008年のリーマンショックまで、なんと27年間にわたって世界一の生産高を守り続けた。

生産される機械や部品の精度は、それを作り出す工作機械の精度によって決まる。

つまり、作られる機械や部品は、それを作り出す工作機械の精度を超えることができない。

これは、工作機械の「母性原理」と呼ばれる。

日本のものづくりの可能性を工作機械に見ることができるのではないだろうか。

2020年10月21日 (水)

日本人は論理的でなくていい/山本尚

Photo_20201016081001

 私はフィーリングの良い人、センスの良い人は科学技術の世界で必ず成功する人だと思っている。幸いなことに、このタイプに相当する日本人は非常に多い。

日本人の民族性は内向型で、感覚型で受け止め、フィーリング型で対処すると言われている。

面白いことに、このタイプを持つ民族は世界で唯一日本人だけだ。

この日本人の民族性は他の国の人たちと全く違う様々な利点を生み出した。

フィーリングはとても大切で、車のエンジンのようなものである。

これがあるから、走ることも歩くこともできる。

しかし闇雲に走っても、危うい。

やはり先を見通したきちんとした地図は必要となる。

科学技術の旅には論理の拠り所になる地図は必須なのである。

エンジンと地図、その二つがあることによって、世界中どこへでも行ける。

例えば、山中伸弥氏は

「自分は日本人だからこの研究(iPS細胞)ができた。アメリカ人ならできなかった。彼らは合理的に考えて絶対に成功するはずがないことには、手を出さない。私はともかく何かあるのではないかと、とことん追求し続け、思わぬ発見に至った」

と言っている。

論理的な理屈はどうであれ、「ここは、こうすべきだ」と感覚とフィーリングで感じる日本人でなければ、できない研究は非常に多い。

科学技術において飛翔した発明発見をするには、論理から離れた思い切った仮説が必要となる。

こうなると論理的なアプローチの得意な民族は、その論理性がかえって障害となるが、幸いなことにこの論理性が日本人にはほとんどない。

このような日本人の特長、もっと生かすべきではないだろうか。

2020年10月20日 (火)

裸の資本論/村西とおる

Photo_20201015080701

 お気に入りの言葉があります。人はまた私のことを「全裸監督」と呼ぶのですが、私はその意味を、服を脱いでAVの監督をする男、との意味だけに受け取っていません。素っ裸の体一つの他に何も必要としない男、裸一つの無一文になっても決して失望せず、不屈の闘志をその心の奥に宿している男、と解釈しています。

村西とおるといえば、AV監督として一世を風靡した人。

貧乏な幼少時代を経験し、「あんな貧乏な暮らしはもう二度としたくない」の思いで必死で働く。

やがてダイヤモンド映像を創業し、時代の寵児に。

しかし、その会社は倒産し、借金50億円を背負うことに。

借り入れ直談判の場で右目から血が噴き出したエピソード。

債権者の一人から「ダムから跳び降りてくれ」と脅された体験。

裁判所から幾度も自己破産を進められるが、決して諦めず、見事に返済を果たす。

「おカネは使えばなくなりますが、めげない心はそうした経験を積み重ねる度にいくらでも大きく、豊かになるのです」という著者の言葉。

壮絶な人生を送った著者だからこそ言える言葉ではないだろうか。

2020年10月19日 (月)

リーダーのためのフィードバックスキル/服部周作

Photo_20201014080801

 突き詰めるところ、フィードバックで大切なのは、信頼、インフルエンス(影響力)、コンテンツ(フィードバックの内容、ひらめき、洞察)、とデリバリー(コミュニケーションの方法やプロセス、フィードバックループ、チームラーニングも含む)だと私は思います。しかしすべてが独立した変数ではなくて、適切に関連している複合的な関数(方程式)になります。

フィードバックとは、いったい何なのか?

一言で言うと、「特定のプロセスや行動による結果に対して、向上を目的とした情報の伝達」

フィードバックスキルは、ビジネスにおける、総決算のスキルの一つとも言える。

できる人ほどフィードバックを欲しがって、もらってはどんどん成長していく。

フィードバックの正解とは、言葉をよくよく選び、そして濁さず薄めず明確に、解釈の余地を与えない具体的なメッセージでなくてはならない。

相手に伝えて、確実に相手の行動に変化が現れることがフィードバックの目的だから。

フィードバックというのは継続的に行うこと。

辻褄が合うように徹底させること。

断片的に捉えたと思われないこと。

そして非常に慎重に行う必要がある。

そのためには、4つのステップを頭に置いて行うとよい。

1.観察をし、ファクトを集める(頻度、スパン、量、どこかに記録しておく)

2.相手の言い分を親身になって聴く(アクティブリスニング)

3.その行動について自分の感情や気持ちを伝える(インパクトを与える)

4.自分だったらこうすると案を出し、正しい行為を伝える(正しい解が難しい場合は質問形式で「一緒に」作っていく)

日本人は、誰かからフィードバックをしてもらうのを嫌がる。

良く思われていたいという思考が強いのと、迷惑をかけているという自責の念と、失敗はダメという教育、トリプルに阻害的要素が浸透しているからだ。

そこがかなり欧米と異なる。

欧米では失敗から学び、さらにそれを良くし、以前の自分より良ければグッドだという哲学がある。

モノづくりに対して日本は類似した哲学があっても、人についてそういう哲学はなぜかない。

フィードバックは怒られているという感覚に近いのかもしれない。

日本人の場合、フィードバックのスキルを身に付けることも大事だが、その前提としてフィードバックを受け売れるマインドをつくりあげることが必要なのかもしれない。

2020年10月18日 (日)

インテリジェンス/小谷賢

Photo_20201013064901

 戦略研究家マイケル・ハワードによると、一九六四年までに生じたほとんどの戦争の勃発は誤った情勢判断によるものとされる。もし為政者が正しい情報を得て情勢判断を下していれば、戦争以外の手段を選んだのかもしれない。

インテリジェンスという観点から歴史を振り返れば、この手の「情報の失敗」は有史以来繰り返されてきたことであり、それは為政者や軍人が情報を扱うことの本質的な難しさを示している。

外交や安全保障分野における「インテリジェンス」とは一体何か。

一般にインテリジェンスは生物の「知識、知能」の意味合いで使われるように、もともとは生物が「認識し、理解するための能力」である。

もし生物にインテリジェンスが備わっていなければ、食物を得ることも天敵から身を守ることもできず、すぐに死んでしまうだろう。

すなわち生命にとってインテリジェンスとは、自らの身の周りの様々な情報を取捨選択するための能力であると理解できる。

国家レベルのインテリジェンスについて言えば、それは「国家の知性」を意味し、情報を選別する能力ということになる。

英語圏ではインテリジェンスに「情報」という意味合いが与えられている。

ウェブスター大辞典には「知性」に続く二番目の定義として、「インテリジェンスとは敵国に関する評価された情報」とある。

今や国際政治や安全保障分野でインテリジェンスと言えば情報を指すが、同じ情報でもインフォメーションは「身の周りに存在するデータや生情報の類」、インテリジェンスは「使うために何らかの判断や評価が加えられた情報」といった意味合いになろう。

ちなみにCIAによる定義は以下の通りである。

最も単純化すれば、インテリジェンスとは我々の世界に関する知識のことであり、アメリカの政策決定者にとって決定や行動の前提となるものである。

イギリスにおいてインテリジェンスは、「間接的に、もしくは秘密裏に得られた特定の情報」の意味を持ち、アメリカのものに比べると情報源に重きを置いている。

本書においては国家が使用するインテリジェンスを「国益のために収集、分析、評価された、外交・安全保障政策における判断のための情報」という意味合いで使用されている。

ここで重要なのは、インテリジェンスが各省庁のためでも、政治家の知識欲を満たすものでもなく、「国益のため」という明確な目的の下で運用されているということなのである。

インテリジェンスの究極の目的は、「相手が隠したがっていることを知り、相手が知りたがっていることを隠す」、すなわち彼我の差を生み出すことなのである。

アメリカ国家情報長官室によると、国家インテリジェンスは以下のような機能を担っているという。

① 敵国に漏洩させることなく、政策決定者に対して有効な判断材料を提供する。

② 潜在的な脅威について警告する。

③ 重要事件の動向に対する情勢判断。

④ 状況の認知、確認。

⑤ 現在の状況に対する長期的な戦略的評価。

⑥ 国家の重要会議の準備、またその保全。

⑦ 海外出張の際の秘密保全。

⑧ 現在進行形の情勢に対する短期的な観測。

⑨ 重要参考人(特にテロ関連)に関する情報の管理。

恐らく世界で最も早くスパイや情報の重要性を見抜いたのは、古代中国の孫子であろう。

中国ではこの時代のスパイは「間」と呼ばれていたが、これは二つ折りにされた封書の間を覗こうとする行為に由来している。

日本でもここからスパイを間諜と呼ぶようになった。

孫子が「用間篇」としてスパイによる情報収集の重要性を説いたことはあまりにも有名だが、孫子がこの分野で卓越していたのは、それまでの占いによる情勢判断ではなく、人智、つまり人による情報収集手段を類型化しながら、その重要性を説いたことである。

孫子は、「聡明な君主やすぐれた将軍が行動を起こして敵に勝ち、人なみはずれた成功を収める理由は、あらかじめ敵情を知ることによってである。あらかじめ知ることは、鬼神のおかげで──祈ったり占ったりする神秘的な方法──できるのではなく、過去のでき事によって類推できるのでもなく、自然界の規律によってためしはかれるのでもない。必ず人──特別な間諜──に頼ってこそ敵の情況が知れるのである」

として、政治家や軍人がそれまでの超自然的な手段に頼ることを退けた。

このような孫子の思想は飛鳥時代には日本にももたらされ、その後日本のインテリジェンスの下敷きとなった。

アメリカで独立戦争が勃発すると、インテリジェンスの類まれなる能力を発揮したのは、後にアメリカ初代大統領となるジョージ・ワシントンであった。

ワシントンは暗号や秘密インクにも関心を示し、それらを活用した。

そしてそのような傾向は彼が初代大統領となってからも変わらず、1792年には連邦予算の12パーセントにあたる100万ドルもの費用が、秘密情報組織用の予算として計上されていた。

これは当時としては法外な金額であった。

太平洋戦線ではアメリカ軍が日本海軍の作戦暗号の解読に成功し、ミッドウェイ作戦での勝利や山本五十六連合艦隊司令長官機撃墜といった戦果を残している。

諜報活動で最も有名な事例が、1942年5月のミッドウェイ海戦であろう。

この時、ハワイで日本海軍の作戦暗号、JN‐25を傍受、解読していたジョセフ・ロシュフォート中佐率いる米海軍暗号解読班は、日本によるミッドウェイ攻略作戦について事前に把握することが出来た。

ミッドウェイ作戦における日本海軍の敗因は多々挙げられるが、米海軍が日本軍のミッドウェイへの攻撃意図を見抜いた時点で、日本側の勝利の見込みは薄くなっていた。

米海軍はこの情報を基に、持てる戦力を全力投入して日本海軍を迎え撃ったのである。

後知恵的ではあるが、アメリカの暗号解読に始まるミッドウェイでの日本海軍の敗北は、その後の戦争の帰趨を決定付けることになった。

暗号研究家デーヴィッド・カーンは、暗号解読が歴史の趨勢を変えた事例として、このミッドウェイとツィンメルマン事件を挙げている。

現代の国際社会ではアメリカですら一国では必要とする情報を収集できていない。

対テロやサイバー、組織犯罪の分野では各国のインテリジェンスは協力し合っており、アメリカを中心とした国際的な情報網が体系化されつつある。

他方、日本は各国の情報機関と形式上連携してはいるが、世界的なインテリジェンス協力の枠組みに参加できていない。

日本にとってこの問題は切実であると考えるべきではないだろうか。

2020年10月17日 (土)

インテリジェンスと保守自由主義/江崎道朗

Photo_20201012064301

 なぜ日本政府の対応が遅れたのでしょうか。
 結論から言えば、中国政府やWHOの発表を信用したからだと思います。
 中国政府はなぜ1月23日、武漢市などを全面封鎖したのか。
 アメリカ政府はなぜ1月31日、中国全土からの外国人入国禁止といった厳しい措置を取ったのか。
 台湾がなぜ中国人渡航を止めたのか。
 その決断の背景に何があったのかについて、日本は、アメリカや台湾からの情報を十分に検討するべきでした。

ソ連に占領されたバルト三国、ポーランドの悲劇とは。

ソ連の戦争責任を問う決議を採択した欧州議会の真意は。

新型コロナ対策が後手後手になったのはなぜか。

トランプ政権はなぜ減税と規制緩和、そして軍拡をするのか。

これらの疑問を解くキーワードがインテリジェンスだ。

日本は対外インテリジェンス機関を持っていない。

このため中国の武漢で何が起こっているのか、独自に情報を収集・分析する力がない日本政府としては、WHOや中国政府の「情報」を鵜呑みにするしかなかった。

そしてそのWHOや中国政府が当初は「大したことはない」と言い張っていた。

これでは「適切な判断」が下せないのも無理はない。

スパイ天国と呼ばれている日本。

今、世界はめまぐるしく動いている。

その中で独自のインテリジェンス機関を持たない日本は、情報弱者になってしまうのではないか。

非常に懸念される。

2020年10月16日 (金)

小さな悟り/枡野俊明

Photo_20201011062701

 あきらめ、つまり「諦念」というのは、じつは「道理を悟る」ことを意味します。その意味では、「人生は思いどおりにはいかない」のも一つの道理なら、「何かをあきらめなければ、何かを得ることはできない」のもまた一つの道理です。この〝小さな悟り〟があれば、気持ちも新たに前に進むことができます。

本書でいう「小さな悟り」とは、絶えず変化する出来事にいちいちとらわれて、あれこれ考え込むことなく、自然な流れのままに行動すること。 

物事はなるようになるという小さな悟りがあれば、考えるまでもなく行動できる。

いまに集中して、やるべきことをやれる。

人生にしても、自分にできることは何かを考え、行動することに意味がある。

そうシンプルに捉えるといい。

「こうしたほうが得かな」「これは損だな」と考えはじめると、損得のために無理をすることになる。

結果、なんのために生きているのかわからなくなり、人生がややこしくなってしまう。

失敗しないように慎重に行動することは大切だが、それが保身になると、自分の成長が止まる。

成功するまで挑戦し、失敗しても「最終的には、この失敗をなかったことにすればよい」と考えるとよい。

減点を上回る加点が得られればよいのである。

あるのは、「一瞬、一瞬を大事する」 というシンプルにして「小さな答え」だけ。

仕事だけではなく、遊ぶときも、食べるときも、人と話すときも、寝るときも、何も考えずにぼーっとしているときも、いつだって、いまやるべき一つのことを大事にすればよい。

そして「周りのみんなのおかげでいい仕事ができる」と感謝すること。

それによって、協力者がいっそう増え、自然と自分の成績も上がっていく。

仕事とは、そういうもの。

一人でできる仕事には限界がありますが、力を貸してくれる人が増えれば増えるほど、仕事をスケールアップさせることができる。

〝おかげさま精神〟でみんなに感謝しながら、チームワークよく仕事をしたほうが、結果的に可能性が無限に広がっていく。

つまり、「小さな悟り」とは、当たり前のことを当たり前にやること。

そこに人生の答えがあると理解すること。

けっして難しいものではない。

しかし、当たり前のことを当たり前にやっている人は意外と少ないのではないだろうか。

2020年10月15日 (木)

リスクを取らないリスク/堀古英司

Photo_20201010075101

「日本の人は、頑張った人にご褒美が与えられるべきであることはよく理解している。実際、世界の標準的なルールもその通りだ。しかし日本の人があまり理解していない、又は理解を避けているもうひとつの世界標準のルールがある。それは、リスクを取った人にもご褒美を与えるという事実だ」。

リスクとは「損失を被る、又は不利な状況に陥る可能性」というのが適切な表現。

例えば、株式に投資すると損失を被る可能性がある。

また、会社に勤めている方が転職するときは、転職前に比べて不利な状況に陥る可能性もある。

こういった場合は「リスクがある」ことになる。

このように不利な状況に陥る可能性を覚悟したうえで、株式に投資したり転職したりするという行動を「リスクを取る」と表現する。

リスクに関する三つのルールがある。

第一に、人間はリスク回避本能を持っている。

第二に、ハイリスク・ハイリターン、ノーリスク・ノーリターン。

第三に、リスクとリターンのバランスは、需要と供給によってかわる。

確かに、人間はリスク回避的だ。

これは日本に限ったことではなく世界中の人がそうだ。

しかし、世界中の人が全くリスクを取らなくなったら、世界経済や人間の生活は大変なことになってしまう。

なぜなら世の中はリスクだらけであり、何らかの主体がある程度のリスクを負うことによって、他の主体が安心して暮らせるような仕組みになっているからだ。

何かを実行に移そうと思えば、必ず想定されるリスクが付きまとう。

重要なことは、リスクを想定することもそうだが、それを実行に移さなかったときに何が起こるかというリスクも想定すること。

実行したときのリスク、実行しなかったときのリスクの両方を分析し、最終的にどちらの選択肢を選ぶべきか判断を下さなければならない。

例えば、2008年のリーマンショック時、日本銀行は何をすべきだったのか?

当時日本銀行が国債をほとんど買わなかった。

つまり「リスクを取らなかったことがリスクだった」という結論は地理的・時間的に比較することによって導くことができる。

第一にアメリカとの比較。

アメリカは中央銀行が債券を購入する量的金融緩和を2008年11月から開始した。

2014年にかけて断続的に実施してきた結果、一時10%に達していたアメリカの失業率は2014年6月には6・1%にまで低下した。

リーマン・ショック後4四半期連続でマイナスだった経済成長率も持ち直し、2013年後半には3%台に回復するに至った。

これに対して日本では2008年、アメリカ同様4四半期連続でマイナスとなった後、2010年終わりから再び3四半期連続でマイナス成長となったり、2012年半ばに2四半期連続でマイナス成長となったり、とプラスとマイナスをさまよう状況が続いた。

早くから積極的な量的金融緩和を実施したアメリカと、量的緩和を躊躇していた日本で大きな差が付いてしまい、「リスクを取らないリスク」が顕在化した。

第二に、2013年3月まで日本銀行の総裁を務め、量的緩和を躊躇していた白川氏と、その後総裁に就任し積極的な量的緩和を実施した黒田氏で、その経済に与える影響は大きな差が付いた。

2012年12月の衆議院選挙で自民党が勝利し、量的緩和に積極的な次期日本銀行総裁に指名されるとの期待から、日経平均株価は2012年11月から2013年末にかけて90%近くも上昇した。

また同時期、外国為替市場でドル・円は80円から105円にまで上昇した。

あれだけ問題だった円高が止まり、そして景気の先行指標である株価が上昇し、結果的に「リスクを取らないことがリスクだった」というのが時間の比較でも明らかとなった。

日本人は極端にリスク回避的だ。

それは労働市場にもあらわれており、アメリカと比較すると明らかだ。

アメリカは就職も退職も自由な国。

逆に雇用するのもクビにするのも、基本的には雇用主の自由。

こうして労働市場に自由が確保されているからこそ、個人は、より自分の実力を発揮できる場所を求められるようになる

会社は、より適材適所を念頭に人材を雇用できるようになる。

ひいてはアメリカ中の人的資源が効率的に配分されることによって経済成長に貢献するという仕組みが成り立っている。

一方日本では憲法において職業選択の自由が保証されているとはいえ、アメリカほど労働市場で自由が確保されているわけではない。

その結果、労働者側からすれば特技を身に付けたり能力を上げたりしたのにそれを生かしきれない。

転職しようにもハードルが高い。

一度会社を辞めるとなかなか仕事が見付からない。

雇用主からしても、ビジネス環境に応じて必要な人材を採用する、柔軟に人材配置を変えていく、ということが効率的に行われていない。

ビジネス環境が日々変わっていく一方で、このように労働市場が非流動的という日本のシステムは、明らかに日本経済にとってマイナスだ。

今は「何もしないことが正解」という時代ではない。

「リスクを取らないリスク」

この言葉、自分に対する戒めとして心に刻んでおきたい。

2020年10月14日 (水)

「仕組み」仕事術/泉正人

Photo_20201009075001

 私の思考の根っこにあるのは、「自由を得ること」です。その自由とは、「時間的な自由」と「金銭的な自由」、そして「選択の自由」です。このうち、この本で取り上げている「仕組み」仕事術は、この3つすべてを獲得するためのメソッドなのです。

「仕組み」とは、一言でいうと「誰がいつ、何度やっても同じ成果が出るシステム」のこと。

人の才能に頼った時点で成果にムラが出る。

「仕組み」づくりをするときは、このことをまず念頭に置くこと。

そしてそのムラを出させないことが大切。

また、「がんばる」「がんばらない」というやる気を問題としている限り、仕事にムラが出てくる。

がんばらなくても、また、だれがやっても一定の成果がでるのが「仕組み」である。

大きく分けて、「仕組み」によって次の5つのメリットが得られる。

①時間が得られる

②ミスがなくなる

③人に仕事をまかせられる

④最少の労力で最大の成果が出せる

⑤自分とチームが成長し続けられる

と、非常に多くのメリットが得られる。

また、この「仕組み思考」の中心となる考え方は何かというと、

①才能に頼らない

②意志に頼らない

③記憶力に頼らない

著者これを、「『仕組み化』3つの黄金ルール」と呼んでいる。

働き方改革が叫ばれている今、「仕組み化」も一つの選択肢になるのではないだろうか。

«バッシング論/先崎彰容