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2010年5月の29件の記事

2010年5月31日 (月)

就活のバカヤロー/石渡嶺司、大沢仁

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取材中、ある学生からこんな質問を受けた。

「面接では、本当の自分を出すのと、マニュアル本などを参考にした自分を出すのと、企業に合わせた自分を出すのでは、どれが一番いいのでしょう?」

複雑な心境になる質問である。

「そんなもの、自分で決めろ!」と言いたくなるが、

「本当の自分を出してはどうですか、ウソをついても仕方がないでしょ?」

と考え、そう伝えた。

しかし、別の就職浪人をする予定の学生からはつぎのような質問を受けた。

「まわりの連中は、薄っぺらで中身がなくても、コミュニケーション能力の高い奴や、マニュアル本を参考にして演技した奴が大手企業に決まっている。この事実を大沢さんはどうとらえますか?」

ここに、現在おこなわれている就活の根本的な問題が現れているように思う。

自分を偽り、マニュアル通りのやり方をしてしまうイタい学生と、結局、その学生を、表面的な「コミュニケーション能力」や「学歴」などで「優秀な学生」と判断してしまうイタい企業。そして、このような学生と企業が存在することが、さらにまわりのイタい学生を増殖させていく・・・」

これは、なかなか根が深い問題だ。(P263)

毎年繰り返される、就活という茶番。

これは売り手市場と言われる好況時も、買い手市場と言われる不況時も同じである。

マニュアル人間はいらないと企業側が言っても、結局のところ、マニュアルによってしっかりと武装した学生が採用を勝ち取る。

そもそも、企業の採用担当者そのものがマニュアル人間ではないのだろうか。

自分で考え、判断し、答えを出せる人間を企業が求めているとよく言うが、多くの場合、そのような人間は、会社の中で潰されてしまう。

組織にとってあまり害のない人間が真っ先に出世してゆくというのが現実である。

そして、そのような人が採用担当者になったとしたら、本当に使える人材かどうかなど、見抜けるはずがない。

もうそろそろ、このような茶番はやめてほしいものである。

2010年5月30日 (日)

「心理戦」で絶対に負けない本/伊東明、内藤誼人

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ロスとサミュエルスという心理学者の二人組は、どうすれば人々の競争心をかき立てることができるのか、という問題に真っ正面から取り組んだ。といっても、彼らは意外と簡単な方法で、人々を競争的にできることがわかってしまったのだ。それは、

競争心をあおり立てるには、「言葉を変える」だけでいい

ということだったのである。

つまり、二人で勝負するゲームをやらせるときに、同じゲームであるにもかかわらず、一方の人たちには「これは、ウォール・ストリート・ゲームといいます」と紹介し、もう一方の人たちには「このゲームは、コミュニティ・ゲームという名前です」と告げてみたのである。すると驚いたことに、ウォール・ストリート(世界経済の中心地)という名前を聞いた人たちの3分の2ほどが、いきなり競争的になり、大胆な勝負に出るようになったのである。一方、コミュニティという名前を聞いた人たちのほとんどは、協力的に、安全な戦略しかとらなくなったのだ。(P44)

言葉の人間の心理に与える影響というものを軽くみてはいけないということであろう。

ひとつの言葉には、その言葉の持つ直接的な意味以外に、感情、世界観、価値観等、様々な要素が含まれている。

そして、意識しようとしまいと、その言葉を聞いた人に影響を与える。

その意味では、特に人に影響を与える立場にある人は、もっと言葉を慎重に選び使うべきだろう。

2010年5月29日 (土)

ニセモノはなぜ、人を騙すのか?/中島誠之助

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私にとって真贋の判断基準は、この40年の間に自分の身体にしみついてしまっている「感覚」だから、その感覚を理論的な言葉におきかえて、だれにでもわかりやすい言葉で説明をするとなると、話は別で、なかなか厄介である。

あえてその質問に答えようとするならば、シナモノの持っている基本的な「ライン」の違いと言えようか。絵画であろうと焼き物であろうと、あるいは彫刻であろうと、ラインがある。器物の場合には、これを「スガタ(姿)」ともいう。

そのラインが自然なものでか否か。

ホンモノには、善意のラインがある。(P21)

ラインの違いといっても素人である私にはよく分からない。

しかし、達人には、素人には見えないラインが見えるのであろう。

だが、この感覚的なものが大事だということは理解できる。

そして、この「本人にしかわからない微妙な感覚」というものが、仕事をあるレベル以上に引き上げようとする場合、一番大事であることは確かである。

仕事のできる人は、共通して、このような感覚を持っている。

これはアナログの世界と言えようが、全てがデジタルで解決できないところに、ある意味面白さがある。

デジタル的なものがどんどん社会の隅々にまで浸透していっている今の時代だからこそ、アナログ的なものの価値が生まれてくるのではないだろうか。

2010年5月28日 (金)

デキる人の脳/ノア・セント・ジョン

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人生には過去と現在と未来しかないのですから、それらをどう評価するかがそのままあなたの人生を決めていきます。

「過去」はこの社会にすでに存在しません。それがあるのは、あなたの頭の中だけです。他のどこにもありません。あなたの過去を持っているのはあなただけなのです。

では「現在」はどうでしょうか。

それもやはりあなたの頭の中です。他の誰もそれを経験しているわけではあません。

「未来」も同じです。

「夢を追いたいならば、過去と現在と未来に対する評価を変えなければならない」ということを覚えておいてください。それができたときに、あなたに飛躍の瞬間がやってきます。(P210)

過去も現在も未来も自分の頭の中にあるという。

つまり現実に起こったこと、あるいは起こっていること、さらに起こるであろうことを自分がどう評価するのか、それによって自分の人生が決まる、ということ。

シンプルな考え方だが、これは意外に当たっているように感じる。

つまに幸福だとか不幸だといっても、所詮はその人の主観の問題である。

おなじ状況におかれても、不幸と思う人もいるだろうし、幸福だと思う人もいるだろう。

だったら、幸福だと思ったほうが、いやむしろ思い込んだ方が、より良い人生を送ることができるのではないだろうか。

2010年5月27日 (木)

行動力力/大橋禅太郎

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アメリカでパイロットの免許を取っていたときの話。

着陸前、僕の飛行機を誘導する管制官が「2マイル先の左前方にいる飛行機を見つけろ。そしてその後に続け」と言った。

教官が横に乗っている。だが、目標を見つけるのは生徒である僕の役目だ。

相手は小型飛行機ということもあり、管制官に言われた方向に目を凝らすが、なかなか見つけることができない。

「オフセットビューイング、習ったか?」と教官が言う。

「ん、オフセットビューイング?直視しない見方?なにそれ?」

教官は肩をすくめて見せた。

「空の中の小さな1点は、まっすぐに見るとなかなかみつけられない」

僕はあいまいにうなずきながら「じゃあ、どうすればいい?」。

「横目で見るんだ」

ある方向を見ても見つからない。そんなときに、視点をわざと別のところにずらすと見つかりやすくなる、という考え方だ。(P138)

オフセットビューイング、面白い考え方だ。

しかし、ある意味、発想が行き詰まったとき、効果的な方法だと思う。

一つのことを考え続けることは大事なことだが、そればかりやっていると、新しい発想が中々でてこないという状態に陥ってしまうということはよくある。

そんなとき、少し視点を変えてみる。

あるいは、違ったことをやってみる。

そうすると、新しい発想が生まれてくることはよく体験することだ。

新しい発想を生み出すために、一日の中で、オフセットする状態を意識的に組み入れてみるのも大事なことだと思う。

2010年5月26日 (水)

転職は1億円損をする/石渡嶺司

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私も多くの転職希望者に取材してきたが、転職して何がやりたいかはっきりしている人は、紆余曲折があったとしても、転職に成功している。

これに対して、「正直、何がやりたいのか分からない」という人は転職を希望していてもどこかで失敗している。

「自分の売り?なんですかねえ?」

と言われても採用担当者は困ってしまう。それよりは自分の売りをきちんと把握しいる人を採用するに決まっているのだ。(P170)

「自分の売り」つまり、「自分の強み」をしっかりと把握している人が転職に成功するということである。

しかし、若い人で、自分の強みをしっかりと把握している人がどれだけいるのだろうか。

「強み」とか「売り」と言っても、あくまで他者との比較の上で生まれる相対的なものである。

それは、ある程度、一つの仕事をやり続けることによって、初めてわかってくるものであって、仕事のなんたるかを分かる前に、どんどん転職していたのでは、自分の強みはいつまでたっても把握できないのではないだろうか。

その意味で、転職して失敗する人が圧倒的に多いというのは分かるような気がする。

2010年5月25日 (火)

目標を達成する技術/マイケル・ボルダック

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私たちの人生の質は、私たちが自分自身にしている質問なのです。

私の母は、父に撃たれて死にました。そのとき私は、

「なんで僕だけにこんなことが起こるんだ?」

という質問をしていました。

しかし、あるとき私の人生は一瞬で変わりました。

「この事件の良かった点はなんだろう?」

という質問に変えてから、人生が変わったのです。そして、私は自分の経験を通して、多くの人に役立ちたいと思えるようになりました。(P109)

過去に起こった出来事は、変えることは出来ない。

しかし、過去に起こった出来事が自分にとってどんな意味があるのかは、変えることが出来る。

そして、その意味づけによって、次の行動が変わってくる。

通常、自分の体験したことに私たちは無意識のうちに意味づけをしている。

しかし、行動を変えようと思うなら、まず自分の体験したことに「この出来事の良い点はなんだろう」という質問をすることにより意識的に意味づけすることだ。

結局、意識づけもスキルの一つだと言えよう。

2010年5月24日 (月)

人を動かす情報術/春木良且

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我々は、自らが想像する以上に、いい加減な感覚と脳を持っている。そこには存在しないモノを作り上げてしまったり、見ているモノをそのまま受け取らずに、別な現象として受け取ってしまったりする。そのため、いくら多くの情報を得たとしても、最終的な意思決定が適正になされるということを保証するというわけではないのである。(P138)

人間の感覚と脳とは、非常にいい加減なものであると筆者は言う。

いい加減どころか、本来存在しない情報からも、脳の機能として新たな情報を解釈して取り出してしまうことがあると言う。

そして、そのような感覚と脳で情報を受け取り、解釈し、判断し行動する。

過去、マスコミの報道によって、急にある人物や企業が大衆からバッシングにあったりした例は、枚挙にいとまがない。

その中には、そのような目にあっても致し方ないケースもあるが、中には「ちょっと行き過ぎ」と思えるようなケースも多く見受けられる。

「自分の感覚と脳は、非常にいい加減なもの」であるということ事実を、もっと謙虚に受け止めるべきではないだろうか。

2010年5月23日 (日)

女はなぜ突然怒り出すのか?/姫野友美

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男と女は違う生き物である。脳の構造も違えば、体の構造も違う。

特に脳の構造が違うということは、男と女がまったく別のフィルターを通して世界を見ているということだ。何に気を取られ、何を心地よく感じ、何を求め、何を守るか、といったものの考え方全てが違ってくる。思考形態がまったく「別もの」なのである。

しかし、それにもかかわらず、多くの男女は自分たちが同じものを見て、同じように考えていると思い込み、自分の思考スタイルが相手にも通用するものと錯覚してしまっている。まったく違うのにもかかわらず「同じだ」という幻想にとらわれてしまっているのだ。

それがそもそもの誤解の始まりである。(P14)

相手との差を認めることから全てが始まる。

これは男女の関係だけではない。

男同士、女同士であっても、そもそもまったく同じ人間などはいない。

ところが、日本の社会は全ての人に同じであることを求めるところがある。

その反動が村八分とかシカトという言葉に表れてくる。

しかし、ダイバーシティーということばがあるように、そろそろ、他との違いを積極的に認め、その違いをむしろ力とするような社会に変わっていくべきではないだろうか。

日本の生き残る道は、それしかないような気がする。

2010年5月22日 (土)

企業を高めるブランド戦略/田中洋

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スターバックスを愛好する20代の女性に、なぜスターバックスが好きなのかについて調査すると、「店内で自分が見たくない人たちを見ないですむから」という回答があった。つまり、彼女たちはスターバックスに行く人たちの理想像(外資系企業のビジネスエリートなど)を思い描いており、それに該当しない人たち(たとえば競馬新聞を読み、タバコを吸う中年男性)は店に来ないので、スターバックスを好んでいたのである。(P56)

企業にとって顧客ターゲットを明確にすることは大事だ。

顧客ターゲットを明確にするということは、ターゲットとして決めた顧客以外は捨てるということだ。

全ての人を顧客にすることが出来ない以上、捨てることは大事だ。

しかしこの捨てるということが出来ない企業や個人が意外と多い。

なぜなのか?

それは自分の中に判断基準を持っていないからだと言える。

その判断基準はどこから来るのだろう。

「自分は何者なのか?」という己への問いかけから来るのではないだろうか。

そしてこれが出来ていない企業や個人が多いのではないだろうか。

2010年5月21日 (金)

動機づける力/DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー

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人を説得するためのもう一つの、そして最終的にはるかに強力な方法は、ある考えを一つの感情に結びつけることです。その最良の方法は、人の心に訴える物語を語ることです。物語は大量の情報を伝えるばかりでなく、同時に聞き手の感情と活力をかき立てるものです。(P230)

「物語力」この言葉は最近よく聞くキーワードである。

その根本に流れる考え方は、「人は理屈だけでは動かない。ある考えが感情を結びついたとき行動する」というものだ。

その意味では、今後のリーダーの必須のスキルは「物語力」ということになる。

しかし、今の日本のリーダーはどうなのだろう。

政治家にしろ、企業のリーダーにしろ、「物語力」という観点からみると、お寒いばかりである。

まずなによりも、自分の言葉で語っていないリーダーがあまりにも多い。

聴衆の前で原稿を読んで、人の心を動かすことができるのだろうか。

リーダーは自分の言葉で語るべきだ。

その上に、物語力がつけば更に良い。

2010年5月19日 (水)

若き友人たちへ/筑紫哲也

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ピューリッツァー賞の選考は今言ったコロンビア大学のスクール・オブ・ジャーナリズムがおこなっています。そのくらい権威あるところですが、そこのある教授が、新入生の最初の授業でこう質問するんです。

「きみは、戦争を報道するために従軍記者として戦場に出かけたとする。取材をしているすぐそばで、一緒に行った兵士が撃たれて倒れた。その時きみはどするか?」と 。

(中略)

この教授が言わんとしているのは、こういうことだと思います。

「きみはどちらを選んだとしても、一生その十字架を背負い続けることになる。兵士を助けなかったことで取材はできたかもしれないが、では取材を続けた人間に悔いがないかといえば、自分が一緒に行動していた兵士を見捨てたことで、この兵士は死ぬかもしれない。彼を見捨てたことで、人間としての痛みを背負うことになる。逆に、兵士を助けるというヒューマンな行為は、自分本来の事実を世間に伝えるという仕事、もしかしたら戦争を早くやめさせられたかもしれない使命を放棄したという悔いが残る。どっちを選んだとしても十字架を背負わなきゃならない。そうい職業がジャーナリストなんだ」と。(P120~125)

ジャーナリストのジレンマということをこの箇所は語っているが、このようなジレンマはジャーナリストではなくても、多くの職業人が経験しているのではないだろうか。

自分の職務に忠実であろうとすればするほど、必ずそれによって不利益を被る人が出てくる。

全ての人がハッピーということにはなかなかならないのが現実だ。

ただ、その現実を「仕方がない」と割り切って仕事をするか、その矛盾した部分を「自分の背負わなければならない十字架」としてしっかりと受け止め、負っていくのとでは、やはりその仕事の奥行きや厚みとなって差がててくるのではないだろうか。

自分の仕事に真摯に向き合う、決して逃げない、これを続けていくことだ。

2010年5月18日 (火)

人事のプロ/長尾基晴

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 「裁量労働制にすると、残業代で支払うのではなく、成果に応じて支払うことになるのですよね?そしたら残業代が減るじゃないですか?これに対して会社(人事)は社員にどんな見返りをくれるんですか?」

これは筆者の人事担当時代の裁量労働制導入に関する説明会での一場面。全技術者を集めておこなった説明会だ。

「会社の犬」の人事には、人事=会社という意識はあっても、社員=顧客という意識がない。またこの説明会の社員にも、人事=会社という意識はあっても、会社=社員(自分)という意識がない。こんな状態の会社が多いのではないか?(P10)

経営者は搾取する側、社員は搾取される側。

この対立の構図は、昔、一般的だった考え方だ。

しかし、今もこの感覚は根強い。

逆に、今、どんどん業績を伸ばしている会社は、「会社=社員(自分)」と社員が自然に受け止めている。

また、人事は社員を顧客として受け止めている。

私も、人事コンサルタントとして、自分のかかわった会社がこのような会社になるよう、心から願っている。

しかし、そのためには、まず経営者がその意識を変えることだろう。

2010年5月17日 (月)

社員は育てなくていい!/宋文洲

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リコー会長を務めていた浜田広さんは、こんなことをおっしゃっています。

「人は育つのである。育つきっかけなり、環境なりを、どうやってつくりこんで、与えてやるかが問題であり、誰かが誰かを育てる、そんなことはなかなかむずかしい」

そう、人は勝手に育つのです。マネジメントする側は、人が育つような環境をつくることが大切なのです。(P18)

人は育てるものではなく、育つものだ。

この考え方は、私も同感するところだ。

「人を育てる」という言葉の中に、育てようとする側の、ある面おごりのようなものを感じる。

現実はどうだろうか。本当に人が人を育てることなどできるのだろうか。

「人を育てるのが上手い人」に共通しているのは、実は、自分で育てようとしていないところがある。

「俺がお前を育ててやる」などと大上段に構えたりはしない。

むしろ、育つような環境を与えることに心を注いでいるようなところがある。

育つ場を与え、育つ仕事を与え、その上でうまくサポートする。

人は育てるものではない、育つものである。

2010年5月16日 (日)

奥田イズムがトヨタを変えた/日本経済新聞社

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奥田は、「『不滅』という言葉が大嫌い」という。変わるリスクよりも変わらないリスクの方がはるかに大きいと考える。ただ、変わるきっかけは危機感からしか生まれない。危機をバネにビジネスを柔軟に変え、必要ならば危機的状況を自ら演出する。それが奥田流経営の本質なのかもしれない。 (P86)

トヨタの歴史を振り返ってみると、危機をバネに成長してきたようなことを感じる。

人間は本質的に、変わることへの抵抗感をもっている。

その抵抗感を乗り越えるさせるには、危機感を与えるのが一番。

その意味では、今回のトヨタのリコール問題。

トヨタの幹部は、もしかしたらチャンスと思っているかも知れない。

2010年5月15日 (土)

「脳」整理法/茂木健一郎

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成功するかどうかわからない、不確実な状況に直面するときに、不安な気持ちを乗り越えてチャレンジし、それが成功するといった体験が一度でもあると、「不確実な状況下でチャレンジする」という脳のルートが強化され、そのような行動が苦労しなくても無意識のうちにとれるようになります。(P204)

昔、「不確実性の時代」という本があったが、現代こそまさに「不確実性の時代」である。

ひとことでいえば、「先が見えない時代」だということ。

先が見えないという不確実な状況に直面したとき、そのことに不安を感じる人と、そのことを面白いと感じる人とがいる。

前者は「先が見えないから不安だ」という人。

後者は「先が見えないからこそ面白い」という人。

どちちが成功する可能性が高いかということを考えると、明らかに後者だ。

しかし、,問題はそのような発想が自然にできるようになるためには、過去の体験にかなりの部分を依存しているということ。

つまり、不確実な状況に直面して、不安な気持ちを乗り越えて、その結果成功したという経験があると、そのような発想ができるようになるし、行動もそのようになる。

人を育てることのうまい人は、部下にこのような成功体験をうまくつけさせている。

しかし、このレベルの部下育成のできるマネージャーは実際の話、少数派であろう。

2010年5月14日 (金)

「はげまし」の経営学/金井壽宏

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ベイリンは、任せ方に問題のある多くのケースは、戦略的自律性を求めている人に戦術的自律性を与えているミスマッチ、逆に戦術的自律性を望む人に戦略的自律性を授けてしまっているミスマッチで説明できるのではないかと主張する。(P70)

前者は、テーマは自分のやりたいことを選びたいのだが、そのテーマにどのようなアプローチをするのかは、きちんと指示してほしい、教えてほしいと思う人に「やり方はお前に任せたが、とにかくこのテーマでやってみて」といって任せてしまうミスマッチ。

後者は、どんなテーマでも器用にこなす自信があるから、テーマは上から決められてもいいと思っているが、そのテーマへのアプローチの仕方は自分に任せてほしいと願う人に、「テーマの選択は任せた、ただし方法はこれを使って」と言って任せてしまうミスマッチである。

両者ともよくある話だが、問題は、部下のタイプに関係なく、なんでもワンパターンで仕事を部下に任せてしまう管理者があまりにも多いことではないだろうか。

2010年5月13日 (木)

戦略シナリオのノウハウ・ドゥハウ/野口吉昭

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「答えはyesかno! maybeはありえない」

GEのジャック・ウェルチ会長の言葉だ。「10回も会議をしてちゃダメだ」、だから「ベスト」を考えるよりも「ベター」を実行する。スピード重視だ。今やビジネスの経験則は「あと半年、じっくり考えていたら」より「あと半年、早かったら」の方が圧倒的に重要だ。(P176)

一昔前は、何かを決めるときは、熟慮に熟慮を重ねて、石橋をたたいて渡るような慎重さが価値あるものとされていた。

今もまったくこのことが不要というわけではないが、 今や最も重要とされているのは、スピードだ。

「ベスト」より「ベター」を考え、行動する。

そして間違っていたら、修正して、また「ベター」を考えて行動する。

この仮説、検証のサイクルをいかに早く回すかが重要な時代になってきた。

同時に、先のことが本当に見えなくなってきた。

昔は「10年後の世界は、日本はどうなっているのだろう」と想像することがよくあった。

それは何となく、10年後は今より豊かな明るい未来が待っているのだろうという漠然とした期待感があったから。

しかし、今や10年後どころか3年後を想像することすら本当にむずかしい。

本当の話、3年後の日本はどうなっているのだろう?

2010年5月12日 (水)

一流の思考法/森本貴義

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私は、強いチームほど個人主義だと思っています。とはいえ、選手個々人が自分勝手に行動していくわけではありません。

「一人ひとりが自分の役割を認識し、完璧に全うしている」ことを指します。(P142)

個人主義と利己主義とは違う。

良い意味で個をしっかりもった個々人が集まった組織は、強い組織だ。

それは、それぞれが組織の中での自分の役割をしっかり認識し、それを全うしようとするからである。

ところが、多くの人が、組織のために個を殺し、組織の中に個を埋没させ、組織のために尽くすことをチームワークだと捕らえている節がある。

しかし、このような組織は一見まとまりがあるようで、決して強い組織にはならない。

むしろ、何かがあるとすぐに崩壊してしまう、見せかけだけのチームワークなのである。

ダイバーシティーの問題も、いかにして異質のものを混ぜ合わせて、強い組織にしていくかが課題となっている。

スポーツの世界においても、企業活動においても、本当の意味で個人主義に基づいた強い組織をつくることが、今求められているのではないだろうか。

2010年5月10日 (月)

世論という悪夢/小林よしのり

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世論(せろん)という大衆の感情表現を、最大限重視するマスメディアが、果てし無く民主主義を堕落させていく。責任ある公的意見としての輿論(よろん)と、感情的な世間の空気に過ぎぬ世論(せろん)を明確に区別しなければ、民主主義は短期的な感情にだけ流されて、長期的な展開が閉じられた迷路に嵌まって、身動きとれなくなることだろう。(P9)

自分の勉強不足だとは思うが、責任ある公的意見としての輿論(よろん)と、感情的な世間の空気に過ぎぬ世論(せろん)とは明確に区別されるということを初めて知った。

と、すると、現在の世の中で形成されているものは、ほとんど世論(せろん)であると言っていいだろう。

普天間の問題にしても、世論をマスコミが作り出し、それに国民も乗せられ、政治家もその中で踊らされている。

毎日、そのようなドタバタ劇を見続けていると、いい加減、うんざりしてしまう。

人のことは言えないのだが、日本はもっと責任ある公的意見としての輿論が語られる成熟した大人の国家になることが求められているのではないだろうか。

2010年5月 9日 (日)

ゼロからわかる民法/川田昇

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民法は、わたしたちの身の回りに起こる紛争を解決するための基準として働く法律です。そのような法律である民法において答えが一つでないことは、実は、宿命的なことと考えてよいのです。(P17)

「民法において答えが一つでないことは宿命的なこと」

この意味は大きい。

つまり私人の間の紛争解決のために、最終的に民法に判断基準を求めるわけだが、

その民法においては、答えは一つでないということである。

唯一絶対の解はない。

解釈によって、真逆の判断が下ってしまうということ。

だから最も重要なことは、なぜそのような判定が導かれるかの理由付けなのだろう。

その理由づけが負けた人を納得させるだけの説得力を持つことが重要なのだ。

自分の主張の正当性を最後まで信じている敗者を、いわば社会の少数意見の立場に置いてしまうことが、紛争の根本的解決には不可欠ということだろう。

ある面、民法の世界では屁理屈をこね続けた方が勝ちといえなくもない。

善し悪しは別にして、この現実をしっかりと受け止めることが必要なのだろう。

2010年5月 8日 (土)

人生の軌道修正/和田秀樹

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私たちがついついこういう決めつけをしてしまうのは、なぜでしょうか。私が師と仰ぐ精神分析家ノストロロウは、「人間は経験によって物事を勝手に脚色してしまう生き物だ」と言っています。(P36)

私たちは、ある事象が自分に起こったとき、それを勝手に脚色してしまう。

その場合、ネガティブな形で脚色する人もいれば、ポジティブな形で脚色する人もいる。

それは、過去の経験によって傾向が決まってくるということだが、どうせならポジティブな形で脚色したいものだ。

そのためには、ポジティブな形に脚色するように意識することだと思う。

過去の経験についてもそうだ。

過去は変えられない。

しかし、過去の意味は変えることができる。

過去にあったさまざまな出来事を、自分にとってポジティブなものとして意味づけをしていく。

つまり過去の経験の再構築である。

やってみる価値がありそうだ。

2010年5月 7日 (金)

3年で辞めた若者はどこへ行ったのか/城繁幸

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だが李さんが何よりも驚いたのは、日本人労働者の忠誠心の高さだ。個人の権利を主張することもなく、黙々と会社のために深夜まで働く。「プロジェクトが成功したら来期の年俸は2倍」だの、「上場すればストックオプションで資産10億円」だのといった見返りは何も無いにもかかわらずだ。基本的に日本人以外の国に、滅私奉公という感覚は存在しない。(P152)

この李さんという日本文化を専攻する中国出身の研究者の感じたことから、2つの見方ができる。

ひとつは「こんな奴隷のような働き方を強いられている日本人労働者は不幸だ」という見方。

もうひとつは「見返りがなくとも一生懸命働くのは、日本人労働者の職業観からくるものであって、彼らは必ずしも自分たちのことを不幸とは思っていない」という見方。

どちらの見方が正しいかということはすぐには結論の出せない問題だが、このような日本人の職業観からくる働き方が、日本企業を長い間支えてきたというのは確かなことだろう。

ただし、このような日本人の滅私奉公的な職業観も少しずつ変化してきている。

そして、好むと好まざるとに関わらず、グローバル化の波は確実に押し寄せてくる。

これからの企業と社員との関係性はどのような形になっていくのだろう。

2010年5月 6日 (木)

人の心はどこまでわかるか/河合隼雄

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現代の労働、働くこととは何を意味するかということですが、これをひとことで言うのがむずかしいのは、日本人は、宗教性とか倫理性に関して、いろいろな要素が重なった生き方をしているからです。その意味では、日本人は世界的にも不思議な民族と言えます。

キリスト教やイスラム教の文化圏では、一神教の世界ですから、倫理性も含む行動パターンが非常にはっきりしています。そこでは、働くこと、聖なること、あるいは遊びなどが明確に区別されます。だから、彼らは仕事が終わればすぐに帰ってしまうし、夏に1カ月くらい平気で仕事を休んでしまいます。

ところが、日本人はそういうのをすべて込みでやっている。仕事が好きな人は、それが遊びにもなっています。こういう人が1カ月も夏休みをとっていたら、それこそ逆にノイローゼになってしまいます。職場の仲間と一緒に食事をしたり、お酒を飲んだりしているほうが、家庭で奥さんや子供と話しているよりよほど楽しいという人も少なくありません。(P142)

日本人は仕事と遊びを明確に区別できない。

仕事が好きな人は、仕事そのものが遊びにもなっている。

このような日本人独特の職業観を抜きにして、日本人の働き方を論じることはできない。

近年、ワークライフバランスということばがずいぶん広まっているが、言葉が浸透してきた割りには実際に実行できている企業がごく少数にとどまっているのも、その根底に日本人に職業観があるような気がする。

長時間労働や残業が中々なくならないのも、その根底に日本人の職業観があるような気がする。

日本人は確かに仕事の中に働きがいを見出し、それがひいては生きがいにつながっていくようなところがある。

またこのような日本人独特の職業観が、日本企業が海外に進出していったとき、ひとつの壁になっているようだ。

2010年5月 5日 (水)

「失敗をゼロにする」のウソ/飯野謙次

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バブル崩壊前の日本では、他国では類を見ない独特の社会システムとして終身雇用制が君臨していた。この終身雇用制とそれに伴う人々の強い忠誠心により、「○○のことは××に聞け」とか、「△△に任せれば大丈夫」と言った、人中心の知の集積が成り立っていた。つまり、知は人と共になり、組織はその人を囲うことで知を保有していた。

ところが、不況が長期化し、それでも利益を上げなければならない組織のために、早期退職、出向、分社化、派遣会社の活用、下請け、孫請けへの作業分散など、さまざまな形で労働力の流動化が進んできた。その影響で人の組織に対する忠誠心は薄くなり、転職もずいぶん気軽にされるようになった。すなわち、人がどんどん動くようになってきたのだが、そのため、知を持つ人を囲い込むことで組織知を守ってきた日本の組織が、その知をどんどん失っているのが現状であろう。

一方、契約社会のアメリカでは、人はいつ動くかわからないという前提で組織が機能しているので、人の知は組織のものとして吸い上げて蓄積する仕組みをずいぶん前から運用している。(P193)

人間は失敗を起こすものである。

人間が行動する限り、この世の中から失敗がなくなるということは絶対にあり得ない。

「失敗をゼロにする」は幻想である。

創造、進歩には失敗はつきものであり、失敗は次の成功の元だ。

問題は、その失敗を次につなげてゆけるかどうかということ。

失敗の原因を突き止め、それを阻止するための仕組みを作り上げること。

そしてそれを組織の知としていくこと。これが大事だ。

近年、日本の企業が急速に競争力を失っている原因のひとつに、個々の社員が持っている暗黙知を個人にとどめ、組織の知として形式知にし共有してこなかったことにあるような気がする。

人の知識を組織の財産として吸い上げる仕組みづくり、これに取り組む必要がある。

2010年5月 4日 (火)

高度成長/武田晴人

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世界がドルと石油の大きな嵐に翻弄されているなかで、日本はいつのまにか先進工業国の先頭グループにいると見られるようになった。先頭グループというだけではなく、ナンバーワンだと言われた。このような評価が生まれたのは、70年代にスタグフレーションに沈み込んだ先進工業国の中で、日本が最も早くに経済成長の軌道へ戻ることに成功し、物価の安定を果たし、その産業の強い国際競争力によって、世界市場での存在感を増したからであった。それが貿易摩擦を生んだが、そのような力強さが、国際的に注目され、日本経済の強さの秘密が問題とされた。無駄を省き、柔軟な多品種大量生産を実現したトヨタ生産方式などの優れた生産方式が称賛されただけでなく、それまでは遅れた労働慣行とみられていた企業別組合、終身雇用、年功賃金などの制度も重要な要素と評価されるようになった。「カイゼン」や「ケイレツ」は「カラオケ」などとともに国際的に通用する日本語となった。

日本人にとって面はゆいこの評価に、いつのまにか、日本人の感覚も変わっていった。マスコミも、経済評論家たちも、示し合わせたかのように「先進国のなかでの優等生日本」を称賛する論調で話し始めた。

そして、強い日本企業の経営を任されている人たちのなかに、おごりが生じた。(P238)

高度成長期のことを振り返ってみると、それは成功と失敗の繰り返しであり、人間とは何と愚かな存在なのだろうと思わずにはいられない。

そして人間は過去の成功体験からなかなか抜けられないものだ。

一度成功体験を味わってしまうと、「夢よもう一度」とそれを追い求めてしまいがちだ。

しかし、大事なことは自分の立ち位置を正しく認識することだ。

「おごり」、これが一番危険だ。

2010年5月 3日 (月)

明日を支配するもの/P・F・ドラッカー

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組織には価値観がある。そこに働く者にも価値観がある。組織において成果を上げるためには、働く者の価値観が組織の価値観になじむものでなければならない。同じである必要はない。だが、共存しえなければならない。さもなければ、心楽しまず、成果も上がらない。(P110)

組織において成果を上げるためには、そこで働くもののやる気や能力を問題にする考え方が一般的だが、ドラッカーはまず「価値観」だと言う。

働く者の価値観が組織の価値観になじむものでなければ成果は上がらないという。

どうしてなんだろう。

私はこう考える。

能力は取り組み方次第では向上させることができる。

しかし、価値観は努力によって変えられるものではない。

なぜなら、価値観はその人の内側から出てくるものだから。

つまり、能力は変動軸であるのに対して、価値観は固定軸だと言える。

だったら、働く者を選ぶ場合、まず組織の価値観に働く者の価値観がなじむものであるかどうかを見るべきだというのは、実に理に適っている。

しかし、多くの企業は、組織の価値観を明確にしているのだろうか。

もし、不明確であるとしたら、まず組織の価値観を明確にすることから始めるべきだろう。

2010年5月 2日 (日)

1からのマーケティング/廣田章光、石井淳蔵

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スターバックスは最高のコーヒー豆を提供する小売店であった。それが豆も売るエスプレッソバーになった。「スターバックスがやってきたことは」とシュルツは言う。「製品が本物であること、社員が情熱を抱くことに価値を見出す企業」になることだった。そのために、消費者にブランド名(この場合は、スターバックス)を知ってもらうことではなく、社員にブランドを浸透させることから始めた。(P144)

独自の戦略を取り、ブランドを確立しているスターバックス。

特徴的なのは、ブランド浸透のための優先順位。

スターバックスの創始者シュルツ氏によると、まず社員にブランドを浸透させることから始めたという。

つまり社員が本当にスターバックスを好きになってもらうことを最優先事項として位置づけているということ。

確かにスタバに行くと、マニュアル化されたものではない自然体の接客がある。

そして、その姿から「この人、本当にスタバが好きなんだろうな」と思ってしまう。

商品力だけでなく、この雰囲気そのものがスタバの提供している価値なのだろう。

ブランドはここから生まれる。

2010年5月 1日 (土)

「法令遵守」が日本を滅ぼす/郷原信郎

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日本の場合、法令と社会的要請との間でしばしば乖離・ズレが生じます。ズレが生じているのに、企業が法令規則の方ばかり見て、その背後にどんな社会的要請があるかということを考えないで対応すると、法令は遵守しているけれども社会的要請には反しているということが生じるわけです。

その典型的な例が、JR福知山線の脱線事故の際に、被害者の家族が医療機関に肉親の安否を問い合わせたのに対して、医療機関側が個人情報保護法を楯にとって回答を拒絶したという問題です。

あの時、多くの医療機関の担当者の目の前には、「個人情報保護法マニュアル」があったのでしょう。そこには、個人情報に当たる医療情報は他人に回答してはいけないと書いてあったので、その通りに対応し回答を拒絶したのです。担当者には「法令遵守」ということばかりが頭にあって、法の背後にある社会的要請など見えていなかったのです。(P101)

法令の背後にある社会的要請に目を向けるべきであり、法令遵守ばかりを近視眼的にみたのでは、企業は社会的要請に応えられないと著者は言う。

東京地検特捜部等、法令を守らせる側に長年立っていた著者の言葉だけに、本質をついている。

個人情報保護法も、本来は「個人情報を大切に扱うべきである」という社会的要請から制定された法令であるにもかかわらず、この法令だけが一人歩きしているような気がする。

この法令によって企業や個人の自由な活動が必要以上に阻害されている状況がいたるところに見られる。

法令はもちろん守るべきだろうが、大切なことは、細かい条文がどうなっているかということを考える前に、人間としての常識に基づいて行動するということではないだろうか。

そうすれば、社会的要請にも応えることができるであろう。

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