若き友人たちへ/筑紫哲也
ピューリッツァー賞の選考は今言ったコロンビア大学のスクール・オブ・ジャーナリズムがおこなっています。そのくらい権威あるところですが、そこのある教授が、新入生の最初の授業でこう質問するんです。
「きみは、戦争を報道するために従軍記者として戦場に出かけたとする。取材をしているすぐそばで、一緒に行った兵士が撃たれて倒れた。その時きみはどするか?」と 。
(中略)
この教授が言わんとしているのは、こういうことだと思います。
「きみはどちらを選んだとしても、一生その十字架を背負い続けることになる。兵士を助けなかったことで取材はできたかもしれないが、では取材を続けた人間に悔いがないかといえば、自分が一緒に行動していた兵士を見捨てたことで、この兵士は死ぬかもしれない。彼を見捨てたことで、人間としての痛みを背負うことになる。逆に、兵士を助けるというヒューマンな行為は、自分本来の事実を世間に伝えるという仕事、もしかしたら戦争を早くやめさせられたかもしれない使命を放棄したという悔いが残る。どっちを選んだとしても十字架を背負わなきゃならない。そうい職業がジャーナリストなんだ」と。(P120~125)
ジャーナリストのジレンマということをこの箇所は語っているが、このようなジレンマはジャーナリストではなくても、多くの職業人が経験しているのではないだろうか。
自分の職務に忠実であろうとすればするほど、必ずそれによって不利益を被る人が出てくる。
全ての人がハッピーということにはなかなかならないのが現実だ。
ただ、その現実を「仕方がない」と割り切って仕事をするか、その矛盾した部分を「自分の背負わなければならない十字架」としてしっかりと受け止め、負っていくのとでは、やはりその仕事の奥行きや厚みとなって差がててくるのではないだろうか。
自分の仕事に真摯に向き合う、決して逃げない、これを続けていくことだ。
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