« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月の26件の記事

2010年6月30日 (水)

3週間続ければ一生が変わる/ロビン・シャーマ

Img433

人生の困難に直面すると、わたしはプロテスタント神学者であるラインホルト・ニーバーの「平静の祈り」に何度ももどります。

「神よ、変えられないものを受け入れる平静を、変えるべきものを変える勇気を、そして、それらを見分ける英知を与えたまえ」

わたしがリーダーシップに関するコーチング・プログラムで使っている教材をためしてみたある重役は、自分の心配事の56パーセントは起こりそうにないことに関するものだったと気付きました。26パーセントはもう変えられない過去のできごと、8パーセントは人々のどうでもよかった意見、4パーセントはすでに解決ずみの健康問題に関することで、ほんとうに注目に値する問題は、わずか6パーセントにすぎなかったのです。(P47)

私たちの心配事で、本当に注目に値する問題はわずかだということ。

ほとんどは悩んでも仕方のない変えられないこと。

この事実は、意外と自分の中で整理されていないのではなかろうか。

変えられないことを悩んでもしょうがない。

これが人間なんだということもできるが、

しかし、悩んでいる時間は確かに無駄だ。

それよりも、ほんとうに取り組むべき問題に集中すべきであろう。

そのために大事なことは何か。

それは悩んでいることを全部、書き出すことだ。

書き出して、それを何らかの形で仕分けすることだ。

言語化することにより、本当の問題が明確になる。

そして、問題とは悩むべきものではなく、解決すべきものだということも確認することが必要だ。

わたしたちは、悩むということで、何かをしているように感じていないだろうか。

2010年6月29日 (火)

自分を棚にあげて平気でものを言う人/齋藤勇

Img428

自分のことを棚にあげて、相手を罵る深層心理のメカニズムは何か。それは、精神分析でいう「投影」あるいは「投射」(プロジェクション)と呼ばれる心理メカニズムである。

自分自身の心を守るために、自分では認めたくない自分の欠点や悪い部分から目をそらし、他人を攻撃するという自我防衛メカニズムの一つなのである。これは防衛メカニズムの中でも有力な方法だ。しかし、自分の心の中の問題を自分の中だけで解決しないで、他人に被害を及ぼすという点で、すこぶる人迷惑で、厄介な防衛策なのである。(P18)

自分のことを棚にあげて、相手を罵る人が最近増えてきた。

人は誰でも自分の欠点や悪い部分を知っている。

知っているどころか、いつも気になっている。

そんなとき、自分と同じ欠点を持っている人が目の前に表れたら、同病相憐れみ、友達になろうとすると考えがちだが、そうではない。

特にプライドの高い人は、そんな負け犬的な友情を抱こうとはしない。

まったく逆の行動に出る。

つまり相手の欠点を非難する。

相手を悪く叱る。

大声で口汚く、その欠点や行為を罵る。

上司は部下を叱りとばす。

部下は居酒屋で、上司の欠点を罵る。

そして、大声で相手を罵ればそのことによって日頃押さえている鬱憤を発散させることができる。

相手を罵ることが本人にとって何よりの快感となる。

だから、益々その行為がエスカレートしていく。

まるで麻薬のようなものである。

良い悪いは別にして、このような人が社会的に増えているという現実をしっかりと受け止めていく必要がある。

問題はそのような人と出会った時、あるいはそのような事態に直面したとき、自分はどう行動するかということであろう。

2010年6月28日 (月)

ザ・ビジョン/ケン・ブランチャート&ジェシー・ストーナー

Img418

ビジョンがあるから集中できる。ビジョンがあるから進む方向がわかる。ビジョンがあるから全力でがんばれる。ビジョンがあるから「全速前進!」で進めるのだ。「全速前進!(Full steam ahead!)」とは蒸気船が走っていた時代の言葉で、大型船がエンジン全開で航行することを意味する。現代では、その意味は少し違ってきている。すなわち目的がはっきりしていて、そのことに確信があって迷いがなく、しかもそれを実現できる自信にあふれていて、どんな障害があっても断固として進んでいける状態のことだ。(P2)

ビジョンがあるから全速前進で進める。

逆に考えれば、ビジョンがなければ、全速前進で進むことはできないということ。

今の日本の問題、企業の問題、教育の問題、家族の問題、

これらの問題の原因となっているものの一つに「ビジョンがない」ということが挙げられるのではなかろうか。

だから、全力でがんばれない。

自分たちが何を目指して進むべきなのか、これが明確になっていないため、不安だらけである。

この本では、説得力あるビジョンを生みだす3つの基本要素として

・有意義な目的

・明確な価値観

・未来のイメージ

を挙げている。

私のビジョンとは何か?

このことから考えることが大事だ。

2010年6月27日 (日)

会社に左右されない仕事術/三田紀房

Img410

ほとんどの会社には、「電話が鳴ったらなるべく早く受話器をとる」というルールがある。とくに新人に対してはこの指導が徹底されており、会社に入って最初の仕事は電話に出ることだった、という人も多いはずだ。

じゃあ実際のところ、コールが5回以内で素早く電話にでる会社は、いったいどれくらいあるものだろうか?

これは自分で試してもらうのが一番だが、ちゃんと5回以内で電話に出るのは、10社のうち2社くらいしかない。一部上場の大手企業や有名レストランでさえ、このルールが守られていないところは多いのだ。

たかが電話だから、そんなことはどうでもいい?

それが違うのだ。こういう基本が守られていないこと、小さなルールがないがしろにされているということは、若手への指導が徹底できていない証拠であり、社風の表れだ。一事が万事この調子では、いまはよくても会社の体力は少しずつ衰えていく。

業績が悪くなったとき、ダメな経営者は「特別」なことをやろうとする。

実際は、「普通」と思われていることを確実にやっていだけで、普通以上の成果を挙げて大きな成功を手にすることができるものなのである。(P56)

「普通」と思われていることを確実にやる、これができている会社は以外と少ないものだ。

そしてそのようなことができない会社から顧客は確実に離れていく。

にもかかわらず、そしてダメな経営者ほど、特別なことをやろうとする。

成果主義を導入したり、唐突に新規事業に乗り出したりと。

しかし、基礎のできていない会社がそんなことをやっても業績が回復するはずがない。

こんな経営者や会社を多く見てきた。

まず、経営者が「当たり前なことを、当たり前にできる」経営者になることである。

2010年6月26日 (土)

会社に人生を預けるな/勝間和代

Img401

私はよく0.2%の日々の改善が重要だという説明をしています。これは、毎日0.2%ずつ何かの能力が複利で改善されていくと、100.2%が365日、すなわち365乗すると1年でほぼ倍の数字になるということです。(P213)

日々の改善が大事だとはよく言われることだが、このように数値で表すとわかりやすい。

100.2%の365乗は、エクセルで実際に計算してみたら、確かに約2倍の数字になった。

0.2%の日々の改善と言われれば、大した事ではないように感じる。

しかし、その日々の改善を365日続ければ、2倍になるということである。

人を説得するとき、具体的な数字で表現するのが大事だが、

これは使えそうだ。いや、是非使ってみたい。

2010年6月25日 (金)

ピクサー流マネジメント術/エド・キャットマル

Img407

クリエイティブにかかわる仕事においては、いったん製作が進行しはじめたら、経営者は「リスクを管理したい」「リスクを軽減したい」という本能に逆らわなくてはいけません。

しかし、これは、なかなか実現できていないのが実情です。

映画ビジネスやその他のクリエイティブな業界において、リスクを回避したいという本能は、新しいものを生みだそうという意欲を殺いでしまいます。それだけではありません。時には、他者の成功を模倣するといった事態さえ引き起こしてしまいます。

巷に似たような映画ばかりがあふれているのはそのためです。また、良質な映画がこれほど少ないのも、経営者がリスクを選択していないからだと言えます。

独創的なものを生みだしたければ、たとえ困難な状況に直面しているときであっても、”不確実性”を受け入れなくてはいけません。その結果、もしも多大なリスクを冒し、失敗してしまったときは、急いで回復させればいいのです。(P23)

リスクを選択し、不確実性を受け入れる。

これはなかなかできることではない。

特に日本人はそれが苦手だ。

ただ、今後の日本の課題もまさにこの点にある。

今、多くの仕事が海外の安い労働力に奪われてしまっている。

日本の生き残る道は、日本人にしかできない、もっと高度な技術やクリエイティブな仕事のできる人材を育成することだ。

そのためには、リスクを選択する、不確実性を受け入れる。

これがキーワードになってくるであろう。

2010年6月24日 (木)

心のなかの幸福のバケツ/トム・ラス&ドナルド・O・クリフトン

Img394

ポジティブ心理学の専門家は、ささやかでも、喜びや満足といったポジティブな気持ちを感じさせる「頻度」が重要だという。夫婦研究のパイオニア、ジョン、ゴットマンの調査によれば、ポジティブな言動とネガティブな言動には、5対1という「魔法の比率」があるという。夫婦の間で、ネガティブな言動1回に対して、ポジティブな言動が5回あれば、結婚生活は長続きする可能性が高い。この比率が1対1に近づくと、夫婦は離婚に至るという。

ゴットマンは「5対1」の仮説を検証するために、二人の数学者とともに興味深い調査をおこなった。まず1992年に、新婚の夫婦700組を集めた。1組について15分ずつ夫婦の会話を録画し、ポジティブな言動とネガティブな言動がどれだけあったかを集計した。これを、5対1の法則に照らして、夫婦が長続きしそうか離婚しそうかを1組ずつ予想した。

10年後に追跡調査をしたところ、その結果は驚くべきものだった。離婚すると予想した夫婦のうち、なんと94パーセントが実際に離婚していたのだ。予想のもととなったのは、わずか15分間の会話だ。(P54)

ポジティブな言動とネガティブな言動の人間関係に与える影響がいかに大きいかということ。

人との何気ない会話、その会話によって何らかの影響を相手に与え、また受けている。

気持ちが明るくなるか、暗くなるかのどちらかだ。

人は1日に2万の「瞬間」を経験しているという。

そしてそれらが積み重なれば人生を大きく左右する。

言葉は重要だ。

2010年6月23日 (水)

人間の覚悟/五木寛之

Img388

「覚悟」という言葉はもともと仏教用語で、辞書には「迷いを去り、道理をさとること」とあります。他に、「危険や困難を予想して、その心構えをすること」、そして「あきらめること、観念すること」があります。

冒頭でふれたように、あきらめる、という言葉は私の意見では、「明らかに究める」こと。物事をはっきりと究め、現実はこうなのだと覚悟することでしょう。

言いかえれば、世の中のあらゆることは流転する。人間は老いて死んでいく。そのことを、逃げずに真正面から見つめることです。世間は「あきらめない」ことを賞賛しますが、「あきらめる」は決して弱々しい受け身の姿勢ではなく、正しい覚悟を決める上では不可欠なのだと思います。(P22)

あきらめるとは「明らかに究めること」。物事をはっきりと究め、現実はこうなのだと覚悟すること。

このように考えると、あきらめることも大切なことだと感じる。

世の中には自分の力ではどうしようもないことがある。そしてその現実を受け入れることは大事なことだ。

人間は死から逃れることはできない。自分の生まれる時代も国籍も、またどんな親から生まれるかも選ぶことはできない。

そして、私たちの人生は、そのようなどうしようもない現実に多くの部分を支配される。

大事なことは、そのことをしっかりと受け容れることだ。

世の中、そのことができない人が多いのではないだろうか。

現実を受け入れられず、現実を嘆いたり、ある時には現実を恨んだり、場合によっては自暴自棄に陥る人すらいる。

それは「あきらめる」、つまり「明らかに究める」ことができていないのだろう。

あきらめることは決して悪いことではない。

むしろ、あきらめることから、自分の進むべき方向性や、やるべきことが見えてくるのではないだろうか。

2010年6月21日 (月)

リーダーは半歩前を歩け/姜尚中

Img387

一歩ではなく、半歩。ましてや十歩ではない。そこが、金氏のリーダーシップのミソです。

十歩前を行く人というのは、ドン・キホーテのような夢想家か、あるいは先に触れたような革命家や独裁者でしょう。もちろん、ズンズン先へいくことで成功するケースもありますが、多くの場合は急進的すぎて挫折しがちです。

これに対して、金氏は「半歩」と言ったのです。ぜったい国民の手を離さず、国民がついてこなければ、「半歩」下がって彼らの中に入り、わかってもらえるまで説得して、同意が得られたら、また「半歩」先を行く、と。(P35)

金大中元大統領が言った、「半歩」という言葉。

これは現代のリーダーシップを考える上で、重要なキーワードだ。

現代は、価値観が多様化している。

また、IT化により、個々が様々な情報に容易にアクセスできるということから、将来に対して、幻想を持たせて引っ張っていくということが困難になってきている。

と、言うことは、リーダーはフォロワーに対して、ある時は歩みを合わせ、ある時は1歩先を歩いて引っ張る、と距離感を微妙に調整しながら導いていくということが必要になってくる。

逆に昔のようなカリスマ的なリーダーはある意味危険だと言える。

カリスマ的なリーダーがでてきても、一時的には良い方向に導くことができても、現代ではそれを永続的に続けることは困難であろう。

そして「半歩」という言葉で象徴される「相手との距離感」、これはリーダーだけでなく、日常の人間関係であっても同じことが言える。

2010年6月20日 (日)

本能の力/戸塚宏

Img381

快は心地よいので人間はその状態を目指し、到達すればそこに留まろうとします。逆に不快は嫌だからそれを取り去ろうとします。ということはこうも言えます。人間は快の状態では動かないが、不快の状態では動かざるを得ない、と。

人間の進歩は、不快を取り去ろうと行動を起こすことによって初めてもたらされるのです。つまり、人間が進歩するためには「不快」が必要不可欠なのです。本能に基づいている限り、不快感は「悪」ではなく「善」なのです。(P23)

20年以上前、「戸塚ヨットスクール事件」で有罪となった戸塚氏の言葉。

戦後の日本の教育が、過度に子供たちの「不快感」を人為的に取り除こうとした結果、様々な問題を引き起こす要因となったということは、一理あると思う。

日本の教育は、間違った平等意識から、過度にお互いの競争を排除し、また人権という名のもとに体罰を排除してきた。

それによって、今様々な問題が起こっている。

だから、「不快」は「善」なのだと戸塚氏は言う。

そして、海上の訓練によって最も質の良い不快を与えることができる、と言う。

つまり、人間、自分の命の危機に直面した時に、生きたいという本能の部分が目覚めるということ。

戸塚氏の考え方を全面的に支持するわけではないが、考えるべき点も多々あるのは確かだ。

2010年6月19日 (土)

継続する力/児玉光雄

Img370

イチローは自分がこれまで打ったヒットの数にはほとんど興味を示さない。しかし、「自分の打ったヒットで説明できないヒットを打ったことは一度もない」と、彼は言う。

ある時は、ワンバウンドの投球をヒットしたこともある。しかし、それもイチローにしてみれば、簡単に説明できるというのだ。(P27)

アスリートであっても、ビジネスパーソンであっても、ある程度の結果を出している者に共通して言えることは、はっきりとした意図を持って行動しているということである。

その裏付けが、自分の行ったことについて、はっきりと説明できるということである。

はっきりとした意図を持って行動するので、その行動の説明ができるのである。

ある時には、周囲からは失敗と思えるようなことであっても、そこにはっきりとした意図があれば、失敗すらも意味がある。

そして、はっきりとした意図をもった行動から生まれた失敗であれば、その失敗から学び、自分をよく高いレベルに引き上げることができる。

仕事のできる人とできない人の見分け方も、そのような観点で見ていくと、人材の登用や採用も精度が高くなるのではないだろうか。

2010年6月18日 (金)

NHK「トップランナー」の言葉/NHK「トップランナー」制作班

Img368

アイデアを考えるとき、僕は普段の生活をしていて、立ち止まった瞬間を大切にしています。例えば、街を歩いていて、立ち止まったときに、なぜ、僕は止まったのかを考えるんです。僕の目に留まったものは何か。なぜ、僕の足を止めたのかと考える。(P159)

CMプランナー、多田琢の言葉である。

よく顧客目線と言うが、作る側はどうしても作る側の目線でものづくりをしてしまう。

しかし、商品を買うのは消費者である。

消費者が良いと思ったものでなければ、その商品はどんなに機能が優れていても買わない。

CMクリエーターであれば、視聴者が何に興味を持っているのかという視点がどうしても必要だろうが、その視点を持つことは作る側からはなかなか持てないというのが現実だと思う。

そのため、多田氏は、「立ち止まった瞬間」を大切にするという。

そして、そこから「なぜ立ち止まったのか」を考えるという。

これが「一消費者の側に立って、何かを感じた瞬間」をタイミングよくとらえる術なのだろう。

そして、自分の内なる感性を大事にする姿勢がここから感じ取れる。

何れにしても、自分の内側に起こった微妙な変化に気付き、「なぜ」と自分に問うことは見習うべきことだと思う。

2010年6月17日 (木)

モチベーションが上がるワクワク仕事術/小林英二

Img358

仕事を楽しくするには、努力と覚悟が必要になります。何も考えずに仕事をするなら、苦痛な仕事、退屈な仕事が、楽しくないのは当たり前です。苦手な仕事、苦痛を感じる仕事、ハードワークを「楽しい仕事」に転換していく努力。これこそ、「楽しさ想像力」の真骨頂なのです。(P79)

いい仕事をするためには、仕事を楽しくすることが必要だ。

そして、そのためには、覚悟が必要だと著者は言う。

確かに、仕事のできる人は、仕事を楽しく、ゲーム感覚でやっている人が多い。

また、楽しく仕事をしているからこそ、成果があがるのであろう。

中には、本当に自分がやりたいと思った仕事をやっているために、仕事を楽しくできる人もいるであろうが、元来、サラリーマンであれば、自分で仕事を選べないのであるから、やりたくない仕事であってもやらざるを得ない。

しかし、自分で選んだわけではなく、組織の必要からやらざるを得ない仕事を割り当てられた場合であっても、それを楽しむことのできる人がいる。

その人は、仕事を楽しむコツを体得しているのであろう。

そして、「仕事を楽しむ」ことを個人のレベルにとどめることなく、組織の知として、共有している会社がある。

これは、金とポストで人を釣る似非成果主義とは全く逆の考え方である。

そのような会社こそ強い会社だと言えよう。

2010年6月16日 (水)

会社の強さは組織能力で決まる/石黒重光

Img351

セブン・イレブンで指導されたアルバイトの人たちは、個人的によそのお店に買い物に行ったりしたときにも、ゴミが落ちているのを見ると自然に拾うクセがついているそうです。

本屋さんに言って、例えば平積みにしてある本が崩れているようなときには、無意識の内にきれいに整えてしまうのだといいます。

「場」が変わっても、教えられたこと、期待されていることを演じることができる。これを習慣化させる組織が、組織能力の高い組織と言えるのです。(P43)

不況になってもびくともしない強い会社は、どこが違うのか。

いつもそのことを考えるのだが、結局のところ、「当たり前のこと」が当たり前にできる社員のいる会社が強い会社だと言える。

「当たり前のことを当たり前にできる」、これは簡単なようで、意外と難しい。

いや、難しいというより、できている企業が非常に少ない。

立派な経営理念や戦略を持っている企業はたくさんある。

しかし、その理念や戦略が、社員の日々の行動に落とし込まれているかというと、それができている企業は多くない。

トヨタやディズニーランドは、それができている。

当たり前のことを当たり前にできるように、社員が日々取組み、それが習慣化されるまでになっている。

最終的には、「習慣化」がキーワードになると思う。

2010年6月14日 (月)

「わかる」技術/畑村洋太郎

Img320

ある事象を見たとき、その事象の要素と構造が自分の頭の中にテンプレートと一致した瞬間に、人はそのことを「わかった」と感じるようになります。

さらに、完全に一致するテンプレートを持っていない場合でも、頭の中に持っている似たような要素や構造を加工して新しいテンプレートをつくり、それと合致させることで同じようにそのことを「わかった」と感じることができます。(P84)

「わかった」という現象は、掘り下げてみると、頭の中にあるテンプレートと一致させること、或いは、完全に一致するテンプレートを持っていない場合は、頭の中に持っている似たような要素や構造を加工して新しいテンプレートをつくり合致させること、ということ。

「なるほど」と、思わず納得してしまった。

確かに、新しい何かを体験して、「わかった」と思う瞬間は、上記のような現象が自分の頭の中で起こっている。

問題は、その自分がわかったことを相手に伝える場合であろう。

当然のことながら、相手の持っているテンプレートは自分の持っているテンプレートと違うはずである。

と、すると、自分のわかったことを、再び言語化するときに、一工夫が必要ということ。

その前に相手の中にどのようなテンプレートがあるのか、まずそのことを把握することが重要だということだ。

考えてみると、相手に説明して、わからせるという行為そのものが、非常に難易度の高いものだということである。

2010年6月13日 (日)

燃え立つ組織/野田稔

Img615

ソニーのトランジスタラジオ。かつて、欧州市場で営業するというプロジェクトがあったが、これが本当に売れなかったらしい。売れなくて、体を壊して帰国する人まで出た。

そのときにリーダーが何を言ったか。とても興味深い感情のマネジメントなのだが、認知論的アプローチを使ったのである。リーダーは「これはゲームだ。命をかけるようにもんじゃない。だから、楽しもう」。そして「ゲームなんだから、楽しんで勝とう」と、認知を切り換えたのである。命をかけたものが1台も売れなければ、人格はボロボロになってしまう。自信がなくなってしまう。しかし、「ゲームだ、遊ぼうぜ」と言われたら、そこまで思い詰めない。

ソニーのトランジスタラジオの営業は、そこから変わった。というより、落ち込みきらずに努力が続けられた。「ゲームだから、何でもあり」と発想を変えた。ゲームなんだから、サクラを使っちゃえ」と、軽い気持ちで何でもできるようになった。これが成功に繋がったのは、いまさら言うまでもない。(29)

物事の受け止め方によって、人間の行動は変わるものだ。

どうしようもない窮地に陥ったとき「これはゲームだ」と思える人間は強くなれる。

そして、そのような言葉を語れるリーダーこそが優れたリーダーなのだろう。

これが、旧来型の日本の平均的なリーダーであれば何と言っただろう。

「がんばれ!」「死ぬ気でやれ!」「営業は数字が全てだ!」

おそらくこんな言葉がリーダーの口から発せられたに違いない。

そうすると部下は益々追い込まれてしまう。結果もでない。

悪循環に陥ったしまうことだろう。

言葉一つでこんなにも変わるものなのか?

こう考えてしまいがちだが、言葉は人間にとって、思った以上に感情や行動に影響を与える。

その意味でもリーダーは自分の言葉を持つべきである。

2010年6月11日 (金)

問題解決型リーダーシップ/佐久間賢

Img292

プロの集団を動かすためには、リーダーは「命令」というよりはむしろ、パートナー(プロとしての対等関係)として、「相互に協力し合う」という認識が必要となる。その場合、仕事の進め方(問題解決の仕方)は、上下関係の場合のそれとは根本的に異なる。プロは仕事のビジョンが納得できないと動かないからである。(P64)

近年、リーダーのあり方が、ずいぶん変わってきているように感じる。

リーダーという言葉からくる印象は「俺についてこい」と、部下を引っ張っていくというものが昔からのものだが、今後、このようなタイプのリーダーが段々通用しなくなってくるのではないかと感じる。

現代は、変化が非常に早くなってきている。

自分の過去の経験がそのまま通用しなくなってしまっている。

知識や技能の陳腐化の速度が非常に早くなってきているのである。

そのため、圧倒的な知識や技能の差によって、部下を従わせるということが難しくなってきている。

下手すると部下の方が専門的な知識や技能があるということが起こってきている。

そうすると上下関係ではなく、いかにしてパートナーシップを相手と築き上げることができるかがポイントとなってくる。

しかし、会社で40代、50代の中間管理職層で、そのような危機感を持って自分を変えようとしている人は、ごく少数なのではないだろうか。

2010年6月10日 (木)

恥の殿堂/落合信彦

Img303

かつてのアメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトにまつわる逸話がある。

ルーズベルトは39歳の時に小児麻痺を患い、下半身が不自由になった。しかし彼が大統領に就任したのは1933年。テレビがまだなかったため、国民のほとんどは大統領が身体障害者だったと知らなかった。

ある記者会見でのこと。大統領の不自由な下半身を写そうと、ある若いカメラマンが前に乗り出して構えた。すると、あるベテラン記者がカメラを遮るように彼の前に立って邪魔をしたという。

アメリカ大統領は国民にとって英雄である。アメリカ国民はこう考える。

「われわれが選挙で選んだ以上、大統領の恥は国民の恥である」

たとえルーズベルトの政策に賛否両論があるとしても、それとこれとは別だ。ベテラン記者は、身体的な障害をことさら取り上げて、大統領の名誉を汚したくなかったのである。ルーズベルトの在任中、アメリカのマスコミは彼の障害を報じることはなかった。(P40)

かつて、ルーズ・ベネディクトが「菊と刀」という著書の中で、「アメリカは罪の文化、日本は恥の文化」と論じたことがあった。

しかし、現代の日本は、「恥」という感覚がなくなってしまっているのではないだろうか。

マスコミにおいても、なんでも暴けば良いという姿勢が見て取れる。

確かに真実を報道するのがマスコミの使命であろうが、その中にも一定の節度というものが必要なのではないかと感じることがある。

そして、その原動力となるのが「恥」という感覚なのであろう。

2010年6月 9日 (水)

ラーメン屋VS.マクドナルド/竹中正治

Img285

米国では「希望」を語り、それを実現するビジョンを語ることが大衆の支持を得るリーダーの必要条件だ。要するに米国のリーダーは不屈の楽観論者でなければならない。大統領選挙で野党の候補が叫ぶのも、「私なら米国を良い方向へ導ける。変革しよう(change)!」という「希望」のメッセージだ。(P48)

どんなに厳しい状況にあっても、米国の大統領は「希望」を語る。

そして民衆もそのような不屈の楽観論者であるリーダーを求めている。

そして人々は、リーダーの語る未来のイメージによって、心動かされ、やる気を喚起され、行動を起こす。

一方、日本のリーダーは「危機」を語ることはあっても「希望」を語ることはあまりない。

アメリカがすべて良いわけではないが、ことリーダーのビジョンを語る能力についてはアメリカの方が優れている。

日本のリーダーと呼ばれている人たちも、この当たりは、しっかりと自覚し、勉強し、身につけるべきだろう。

2010年6月 8日 (火)

「見える化」仕事術/石川和幸

Img279

人間は目標値だけに向かっていくわけではなく、あるべきイメージにも向かっていきます。目標が達成できたときに、どんな状態になっているのかが、重要な誘因になるのです。

たとえば、「十億円の資産をつくる」という目標と「十億円の資産をつくって、ハワイで海の見える広い家で、悠々自適に暮らす」というのとでは、誘惑度はいかがでしょう?

私なら、明らかに後者に惹かれます。(P180)

人間は、頭で理解しただけでは、行動に移さない。

あるべき姿が自分の頭にくっきりとイメージできたときに、行動に移す。

このことは、人を動かす立場の人は、しっかりと覚えておくべきことだ。

企業においても、国家においても、ビジョンが大事だというのも、このことを言っているのだろう。

ビジョンを語ることにより、あるべきイメージを共有する。

これは、あるべき姿の「見える化」だと言えよう。

2010年6月 6日 (日)

失敗の哲学/畑村洋太郎

Img348

「失敗から学ぶことは、成功から学ぶよりも貴重なものが多いものだ。成功体験だなんて、ジシイの自慢話になることが多いからな(笑)」

浜松地方の方言に「やらまいか」という言葉があるが、これには「刺激を受けるとすぐに行動を起こす」といった意味もあるようだ。浜松生まれの宗一郎の行動には、いささかこの「やらまいか」の精神に基づくものが多い。

人間の常として、ムダな失敗はすまいと考える。しかし、宗一郎にはそういった常識論は当てはまらない。自分がやってみないことには承知できない。と同時に、失敗への恐れがない。また、失敗しても、そのリアクションがとても早いのだ。もちろん、先の述懐のように本人は反省して次の行動をとっているのだろうが、他人にはその反省が見えないくらい早かった。

間違いなく本田宗一郎は失敗に学び、活かしきった経営者である。(P95)

日本人の特長として、失敗を恥とし、失敗を隠すというところがある。

また社会も、失敗に対して不寛容だ。

失敗をした経営者は、マスコミのやり玉にあげられ、世間の批判の矢面に立たされる。

そして、ほとんどの場合、経営者として二度目のチャンスは与えられない。

そのような日本社会にあって、本田宗一郎は異質な存在だったといえる。

おそらく、本田社長は失敗の哲学を持っていたのだろう。

失敗に対する単なる考え方や姿勢でなく哲学にまで昇華させているところがある。

そこからあのスピード感が出たのだろう。

そして、これからの時代に求められるのは、このスピード感なのであろう。

2010年6月 5日 (土)

負けない技術/桜井章一

Img341

ミスをしたときに「まずい」と思わず、ミスをしてしまったおもしろさを感じられるようになったとき、初めてそのミスが生きてくる。ミスを「まずい」とだけ思っているうちは、その後さらに大きなミスをする可能性がある。「おれ、ミスしちゃった。おもしろいなあ。おれ、こういうことやっちゃうんだなあ」というくらいの余裕を持ってやっていると、それは後でよい結果をもたらしてくれたりする。(P126)

人間とはミスをするものである。

問題は、ミスをしたときのその人の受け止め方だ。

ミスを活かすことができれば、その人は同じミスを繰り返さないであろう。

逆にミスをしてしまったという現実のみに捕らわれしまう人は、そのミスを活かすことができず、結果として同じミスを繰り返すことになる。

ミスをしてしまったおもしろさを感じられるようになるとは、ミスをしてしまったということ自体に捕らわれずに、ある程度客観的に自分を見れる心の状態に自分を持っていくということではないかと思う。

ミスを活かせるかどうか、これも一つのスキルと考えてよいのではなかろうか。

2010年6月 4日 (金)

ワークライフ“アンバランス”の仕事力/田島弓子

Img322

「人生には偏ってでも、ひとつのことに、とことんのめりこむ時期があってもいい」・・・アンバランスまでに仕事中心の生活を続けていたことで、自分にとってこの17年間のサラリーマン生活は非常に印象深く、そして満足度の高いものとなりました。(P32)

最近、ワークライフバランスということが盛んに言われるようになってきたが、なんとなく違和感を感じる。

確かに、仕事によって健康を壊し、家族がバラバラになり、挙げ句の果て自分の命を絶つまでに追い込まれてしまうのは問題である。

その意味では、ワークライフバランスも大事だと思う。

しかし、私は、人生のある時期においては、仕事にとことこのめりこむ時期があって良いと思う。

いやむしろ、そのような時期がないと、仕事の面白さ、やりがい、成長実感というものは体験できないのではないかと思う。

特に20代、30代は、仕事にとことんのめりこむことが必要だと思う。

ワークライフバランスは、それらの経験を経た上でのライフスタイルであれば良い。

しかし、そのような経験を経ていないワークライフバランスは、どこかでおかしくなるような気がしてならない。

2010年6月 3日 (木)

謝罪の文章術/宮川俊彦

Img271

謝罪会見の場で記者席から怒号が飛んだりする。そのつど画面のこちら側で見ている私などは「偉そうに」「お前は何様か」とつぶやく。頭を下げて神妙な顔をしている者に対してのこれでもかという執拗な「いじめ」。ここにも倒錯が感じられてくる。

謝らせればいいのか、だ。

だから、事件の渦中にあっても堂々と会見を開き、罪を罪として認め、すみませんという当事者には、手も足もでなくなってしまう。その程度の謝罪要求と儀式だということだ。

そういう時代に対応していく個人は、その一般認識水準と自己の立場を洞察して、より効果的でマイナスをプラスに転化していく戦略的な表現はしやすいということになる。

まじめで率直な人間ほど重荷を背負う。詰め腹のケースもある。表現は狡猾にと私は言わない。しかししたたかに生き延びるために戦略的な自己表現を自己として獲得していくべきなのだと語りたい。

「諸君、言葉は武器だ」(P174)

現代は、言葉が非常に軽くなっているように感じる。

政治や企業のトップの言葉も軽い。

テレビを観れば、無意味な言葉が行き交っている。

そして、この言葉の軽さが、様々な問題を引き起こしている。

しかし、このような時代だからこそ、言葉の重要性を理解し、言葉を戦略的に使える人間は光ってくるのではなかろうか。

言葉を大切にしていきたい。

2010年6月 2日 (水)

キャノンとカネボウ/横田好太郎

Img305

カネボウ社内では、江戸時代の階級制度であった「士農工商」のたとえがありました。「士」は経営幹部と彼らを支える社内官僚たちです。「農」は工場で働く女子工員や現場の人たち。「工」は技術者です。そして最下位が「商」で、営業やセールスマンの人たちです。

キャノンでは入社以来、「士農工商」という表現は一回も聞いたことがありませんが、これを無理に当てはめてみると、「工農士」という順番になるように思います。「商」は「キャノン販売」という別会社になるので序列化できず、いわば序列から横に飛び出した存在です。キャノンの「工」と「農」は、一体化して生産効率を上げるよう努力しています。「士」は早朝から朝会を開いて、如何に会社の業績向上を図るかを検討し、黒子に徹しています。

これらの優先順位の意識を決めているのが、経営者です。カネボウの「士」の過大優遇は、結果的に会社を倒産にまで追い込みました。「工農」優遇はメーカーとしてのキャノンを大きく成長させました。どちらがメーカーの経営者として資質があったのかは明白です。(P186)

戦前、日本最大の民間複合企業として君臨し、その後凋落していったカネボウと、町工場から出発して日本を代表する企業に成長したキャノン。

その違いは様々あるだろうが、その一つが、社内の階級制度というものだと著者は言う。

社内に序列があるのが悪いわけではない。

社員の中には、当然のことながら、貢献度の高い者も低い者もいる。

その貢献度がそのまま社内の序列になっているのであれば、そしてそれが固定化するのでなく、流動的なものであれば、それはそれでよい。

問題は、その序列が固定化し、身分制度のようになってしまうことである。

こうなってしまうと、組織の活力は失われ、社員はやる気を失ってしまう。

そして、いまだに身分制度のような社内序列が残っている企業が多いのが現実なのではないだろうか。

2010年6月 1日 (火)

1分で大切なことを伝える技術/齋藤孝

Img292

ストップウォッチを使えば、仕事は確実に速くなる。目の前で時間の経過がわかると、自然と使い方の密度が濃くなる。問題を解くスピードもあがる。いわゆる「百ます計算」はその典型だ。時間を計るからこそモチベーションが上がり、時間を短縮する快感を核とした学習回路が仕上がるのである。

人に「早くやりなさい」と催促されても、モチベーションはさほど上がるものではない。しかし時間が縮まっていく感覚は、人間にとって心地よいものだ。だから、時間が見えるようになると、より早く仕上げたいという気持ちが働く。こういう時間意識を明確に持つことは、仕事を効率的に行うための最大の武器になるだろう。(P29)

効率よい仕事をしたいと思うのであれば、まず時間を計測することが大事だということはよく言われることだ。

時間を計ることにより、時間を短縮したいという思いが自然に出てくる。

そして時間が短縮されることは、人間にとって快感である。

人間が快感を求めるものであるのならば、その性向をうまく利用することである。

「見える化」とか「仕組み化」と言われるものも、この人間の性向をうまく利用するということなのであろう。

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »