恥の殿堂/落合信彦
かつてのアメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトにまつわる逸話がある。
ルーズベルトは39歳の時に小児麻痺を患い、下半身が不自由になった。しかし彼が大統領に就任したのは1933年。テレビがまだなかったため、国民のほとんどは大統領が身体障害者だったと知らなかった。
ある記者会見でのこと。大統領の不自由な下半身を写そうと、ある若いカメラマンが前に乗り出して構えた。すると、あるベテラン記者がカメラを遮るように彼の前に立って邪魔をしたという。
アメリカ大統領は国民にとって英雄である。アメリカ国民はこう考える。
「われわれが選挙で選んだ以上、大統領の恥は国民の恥である」
たとえルーズベルトの政策に賛否両論があるとしても、それとこれとは別だ。ベテラン記者は、身体的な障害をことさら取り上げて、大統領の名誉を汚したくなかったのである。ルーズベルトの在任中、アメリカのマスコミは彼の障害を報じることはなかった。(P40)
かつて、ルーズ・ベネディクトが「菊と刀」という著書の中で、「アメリカは罪の文化、日本は恥の文化」と論じたことがあった。
しかし、現代の日本は、「恥」という感覚がなくなってしまっているのではないだろうか。
マスコミにおいても、なんでも暴けば良いという姿勢が見て取れる。
確かに真実を報道するのがマスコミの使命であろうが、その中にも一定の節度というものが必要なのではないかと感じることがある。
そして、その原動力となるのが「恥」という感覚なのであろう。
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