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2010年8月の28件の記事

2010年8月31日 (火)

「品格」の磨き方/山崎武也

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年功には、不朽不滅の価値があるといえるのではないか。いわば歴史的な事実に裏付けられているので、絶対的な価値がある。その点に関しては、才能などというものの価値に対する論拠は薄弱だ。人間社会の役に立つかどうかは、見方によっても異なるし、時代の流れによっても変わってくる。

才能が役に立って人々の生活がよくなったと思っていても、後々になって害をもたらす結果になることもある。人間、ひいては人類の幸福という視点に立ってみると、才能の価値は相対的なものであり、その功罪については曖昧であるとしか言えない。

最近、企業などの中で、実力主義とか能力尊重とかいって、その時点におけるその場で即座に役立つことを重視している。そうすることによって、年功序列を歯牙にもかけない考え方をしている人たちが多くなっている。年功の中にある知恵を抽出して利用することに、有用性が多々あることを忘れている。(P43~44)

著者は、年功序列にも良い点があり、そこにも光を当てるべきだということを述べている。

能力とか才能というものは、その時点での見方であって、時間的、空間的な広がりという点から見ると、年功には及ばないと。

これはひとつの見方ではある。

確かに若いけれども才能があるという人の中には、ある種の危うさが内在している。

そのまま突き進んでいけば、きっとどこかで大きな落とし穴にはまってしまうだろうなと感じる人がいる。

ただし、年功にも問題点がある。

それは過去の経験というものは、ある面、マイナスに作用することもあるという点だ。

特に過去の成功体験に、人間はとかく支配されやすいものだ。

年功というものをもし重用するとしたら、それは、いかに良い年の取り方をし、いかに良い経験の積み重ねをしたかということを見ることだろう。

特に失敗した経験は、ある意味、なにものにもかえがたい財産になる。

その経験から滲み出るような知恵があるとしたら、年功も捨てたものではない。

2010年8月28日 (土)

朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点/近藤康太郎

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アメリカを断然うらやましく思った。周囲があるひとつの方向に流れていこうとも、自分だけはそこから超然としていられるし、またそのことを許す社会がまだ、わずかなりとも残っている。

これは、日本ではなかなか起こりにくい現象だ。

日本は少なくとも近現代史だけをながめていると、この「集団的熱狂」という病におかされがちな国なんじゃないかと思えてくる。

ついここ1、2年のことをみても、熱にうかされたような北朝鮮報道やイラク人質バッシングがあった。ハードニュースばかりではない。サッカーのW杯やオリンピックのようなスポーツでも、例のタマちゃん騒動みたいな罪のない話でも、なにかひとつの「世間」の流れみたいなものができると、ニュースの論調は一方的に、濁流のように流れる。異論を指し挟むこと、熱狂に水を差す声は、少なくともまずマスメディアの側からは出てこない。(P21)

著者は、アメリカでは、大統領選挙の時、例え候補者の地元の新聞であっても、反対論をぶち上げ、堂々と対立候補の支持をするというエピソードを取り上げ、日本との違いを述べている。

日本は「集団的熱狂」という病におかされているという。

確かに日本の世論をみていると、あまりにも一方的だ。

そして一度この流れで出てくると、この流れに反対することが本当に難しい。

「空気を読む」という言葉も、日本独特の体質気質から生まれた言葉だと思う。

マスメディアだけでなく、日本人は「個」として自立していないような気がする。

「自分の考え」というものを持たない、いや持ちにくい国なのだろう。

特に近年、益々その傾向が強くなっているような気がする。

2010年8月27日 (金)

「ウェイ」のある強い経営/野口吉昭

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社員の定着の悪さに悩む企業が多い。しかし、社員に「居心地感」がある現場は、定着率が高い。では居心地感を高めるためには、何が必要なのだろうか。一言でいうと、「チャンスを与える」。

ここで、キャノン電子の酒巻社長の言葉を紹介したい。酒巻氏は「部下からの問題点の提案は、絶対に止めてはいけない」と指導し、次のようにいっている。

「それはやらなくていい、急ぐことではない、と部下のアイデアを2回以上拒んだら、その部下は、アイデアをいわなくなる。人づくりとは、相手の立場でものを考え、相手を気づかうこと、相手を気づかえる育成をしていれば、企業の進化は速い」(P138)

「居心地感」、重要なキーワードだ。

人は皆、何らかの組織の中に加わった時、自分の居場所を求める。

自分の居場所のない組織は、本人にとっても居心地が悪いし、結局は去っていくことになる。

またそれを我慢して居続けると、精神に異常をきたすこともある。

昨今の社内うつの増加も、居心地感がないことにひとつの原因があるような気がする。

また、最近は、新卒の新入社員の約3割が3年以内に辞める。

これも、「最近の若者は・・・」と、新入社員のせいにする傾向があるが、会社側にも問題がある。

この場合のキーワードもやはり、「居心地感」だと思う。

いかにして社員に「居心地感」を与えるか、真剣に考える必要がある。

ヒントは「チャンスを与える」こと、

そして、そのためには「部下からの問題点の提案は、絶対に止めない」ことである。

これを実践するだけでも、組織は大きく変わることだろう。

2010年8月26日 (木)

競争力の原点/遠藤功

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「きめ細かさ」を軸とした「スモールマネジメント」を徹底させることこそが、いま日本企業がとるべき選択である。中途半端なパワーゲームに陥るのではなく、「きめ細かさ」を究めることが、日本企業が世界の中で存在感を示す道だ。

それは、言い方を変えると、「体格」ではなく、「体質」で勝負するということである。(P38)

スモールマネジメントという言葉から、思い出されるのが、昨年行われたWBCでの日本野球「スモールベースボール」である。

アメリカやキューバといった「長打力」と「剛速球」で相手をねじ伏せてしまう野球は「ビッグベースボール」

それに対して犠打やエンドラン、盗塁や進塁打など、足と小技を絡めた野球が「スモールベースボール」

結果は日本の優勝で終わった。

日本企業の生き残る道もここにある。

いたずらに規模を追うのでなく、日本人独特の「きめ細かさ」で勝負する。

米国でのトヨタのリコール問題も、従来トヨタの強みであった「きめ細かさ」を忘れ、いたずらに規模を追いかけてしまった結果だったような気がする。

戦略の基本は「選択と集中」だが、まさにその「きめ細かさ」を究めることこそ、生き残る道だ。

必要なこと、それは「捨てる勇気」ではないだろうか。

2010年8月25日 (水)

辞めない採用、即戦力の育成で儲かる会社になる!/小山昇

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ライバルに勝つには、むしろ人にお金をかけるべきです。

「人件費や教育研修費を削って、浮いたお金で商品の差別化を行えばいい」と言う人もいるでしょう。

しかし残念ながら、商品で差別化しても効果はありません。市場に受ける商品を開発しても、すぐにライバルに真似されます。自社だってライバルの商品が売れていたら、すぐに取り入れて同じものを売るのだから、特許があるか、特別な技術でもない限り、商品で他社と差をつけるのは難しい。

どんな業種でも、お客様が見ているのは人です。商品や価格より、人が最高の差別化の手段です。

人の差別化が重要なのに、どうして人にお金をかけない社長が多いのか。それは、すぐに結果が出ないからです。(P18~19)

「企業は人なり」という言葉があるように、日本の企業は人を大切にするとよく言われる。

しかし、本当にそうなんだろうか。

統計によると、先進20カ国の中で、日本企業の教育費に投資する金額は最低である。

お金をかければよいというものでもないが、やはりひとつの目安にはなる。

今、商品で差別化することが本当に難しい時代になってきている。

よい商品はすぐライバル社にまねされる。

差別化の最大の手段は、人による差別化である。

なぜなら、人を育てるのには時間がかかるから。

時間がかかるということは、逆に言えば、すぐに真似されることはないということ。

今の経営者は、あまりにもすぐに結果を求めすぎるような気がする。

まだまだ経済が回復したとは言い切れない今の時代、

ここで次の飛躍のために、しっかりと人を育てようとする企業が次の時代で勝ち残るのではないだろうか。

逆に人をモノのように扱っている企業に未来はない。

2010年8月24日 (火)

完全なる経営/A.H.マズロー

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自己実現を促す仕事がアイデンティティや自己の内面を照らすほど自分になじんでくれば、そんな仕事をすること自体が自己をいやす治療的効果をもつものになりうる。なぜならその人物は、内面的な自己のみではなしえなかったような方法で仕事や課題に取組み、奮闘努力して改善や修正を加えることができるからだ。言い換えると、心の中の問題が周囲の世界に投影されて外に姿を現した結果、内省だけで直接処理するよりもはるかに容易に、しかも不安や抑制をそれほど感じることなく、問題に取り組めるようになるのである。(P26)

欲求5段階説で有名なマズローの著作。

仕事を私たちはどう捉えればよいのかという点では非常に考えさせられる。

仕事の中に自己実現を求めるような要素が人間の中にあるという。

仕事は食べるための手段ではなく、自己実現のためのものだという考え方である。

この考え方そのものはなんとなくわかる。

芸術家や一部のプロフェッショナルと呼ばれる人たちは、仕事イコール自分といった面がある。

その人の創り出した作品そのものが、その人の人格や考え方を反映している。

そこにはもはや仕事とプライベートを分ける考え方すらもない。

仕事の時間、イコール、自分の時間なのである。

いや、だからこそ、クリエイティブな仕事をすることができるのであろう。

しかし、反面、仕事によって精神を病んでいる人が大勢いるのが現代だ。

そのような人にとって、仕事やそれに伴う人間関係は、相当重荷になっている。

「理想論」と「現実論」、相反する考え方の中で、現実をどう捉えるのか。

私たちにとって仕事とは何か。

いや、むしろ、そんな他人事ではなく、私にとって仕事と何か。

自分なりの考えを持つことが必要だ。

2010年8月23日 (月)

コツコツ働いても年収300万、好きなことだけして年収1000万/キャメル・ヤマモト

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日本のサラリーマンはまじめですから、集中すべきときに気が散ったりするとあせります。

しかし、シリコンバレーのプロフェッショナルは「気が散るとというのは、気が散る行き先があって、そこに集中しているのだ。集中できないのではなくて、集中の対象が変わっただけだ。元来私たちが自然に集中できるのは新しくて面白ものだから、気が散るというのは学習対象より、気が散った先の方が新しくて面白いものだからだ」と事態を捉えます。(P122)

集中力というと、意思の力のように考えがちだ。

しかし、もっと大切なことは、その対象物は集中できるようなものなのかという点である。

人間の元来持っている性質を無視して、

ただ意思の力によって集中しようとしても、そこには必ず無理がある。

無理があると、継続しない。

結果、失敗する。

失敗すると、「自分には集中力がない」と自己卑下に陥る。

まさに悪循環である。

大事なことは、人間の元来持っている性質とは何だろうかということ。

人間は面白いもの、興味深いもの、楽しいもの、新しいものがあると、そちらに意識が向かう。

それが人間が元来もっているものである。

そして、その状態は、その対象物に対して、集中している状態である。

意思の力が弱い人であっても、そのような経験はあるはずだ。

つまり、いかにして、これから集中しようとしている対象物を、興味深いもの、面白いもの、楽しいものに仕立てるか、

これが重要だということ。

これさえできれば、自ずとその対象物に対して集中できるようになる。

集中力を違った観点で捉えると、本当にやるべきことが見えてくる。

2010年8月22日 (日)

検索は、するな/安田佳生

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仕事ができるようになるためには、仕事ができるようになるための訓練をしなくてはならない。

ただし、そこはひとつ大きな問題がある。

ビジネスというフィールドには、「こうすれば必ずうまくいく」という、受験やスポーツのような普遍的な練習メニューが存在しないのである。

では、どうすればいいのだろう。

ビジネスの世界でメニューを手に入れる唯一の方法、それは自分自身の手で、メニューを作り上げることだ。

答えを手に入れるのではなく、答えの出し方を手に入れる。

遠回りに感じるかもしれないが、実はこれが最短距離なのである。そしてこれ以外に、メニューを手に入れる方法はない。(P2)

「検索は、するな」というタイトルの本、

要は、「安易に検索という手段で答えを見つけようとするのでなく、自分の頭でとことん考えよ」ということ。

今は便利な世の中になった。

特にグーグルに代表されるインターネットの検索エンジンにより、わからないことは直ぐに調べることができる。

しかし、その反面、傾向として、自分の頭で考えるということをしなくなった。

怖いのは、検索することによって、「自分は何か知っている」「自分は何かできる」という錯覚に陥ること。

つまり等身大の自分を見誤ってしまう、これが一番怖い。

重要な点は、「検索は、するな」ということではなく、「肝心要の部分は、自分の頭でとことん考えよ」ということ。

そして、とことん考えた部分しか、本当の意味において力とはならない。

そして、このような時代だからこそ、「自分の頭でとことん考える」ことの希少価値が高まっているとも言える。

つまり、他者と差別化したいと思うならば、自分の頭でとことん考えることだ。

2010年8月21日 (土)

部下が病気にならない、できる上司の技術/松本桂樹

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病気になってもおかしくないような状況で、健康を維持できていた人は、どういう人なのか?」という調査において、アントノフスキーという学者は「首尾一貫感覚」というキーワードを導き出しました。「首尾一貫感覚」とは平たく言えば、私たちが持っている、自分の人生をみる時の一貫した視点のことです。特に物事に「意味がある」と思えることが、つらいなかでも健康維持できる要素なのです。(P32)

今、多くの会社で精神疾患を患う社員が増えている。

先日、私の顧問先の会社でも、ひとりの管理職である社員が精神疾患で休職扱いになった。

これにはさまざまな要因が考えられるが、

全体的に言えるのは、近年、ストレスに対する耐性が弱くなっているということだ。

ここで、著者は「首尾一貫感覚」というキーワードを提示している。

人には誰でもつらい時期がある。

肉体的、精神的な負荷が一度にかかってしまう時期がある。

そのようなとき、精神を病んでしまう人と、それをむしろ成長の糧とする人とがいる。

どこに違いがあるのだろう。

それはつらい中にも、

「これは自分を成長させるための試練なんだ」

「これを乗り越えたときに、もっと大きく成長した自分になっているはずだ」

こう思えるかどうかだ。

そして、こう思える人は、乗り越えることができるのではないだろうか。

「首尾一貫感覚」

このキーワードを覚えておきたい。

2010年8月20日 (金)

ビジョナリー・カンパニー/ジェームズ・C・コリンズ/ジェリー・I・ポラス

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基本理念が固まれば、基本理念以外の点はどんな点でも自由に変えられると考えるべきだ。基本理念が決まったあとは、「それでは企業文化を壊すことになる」とか「これまでずっとこの方法でやってきた」とかの理由で変化に抵抗する意見が出た時、基本原則を思い出させてクギをさすべきだ。「それは基本理念ではない。だから変えられる」。あるいは、原則はもう一歩強くしてもいい。「それは基本理念ではない。だから変えよう」(P376)

基本理念を固めるということは、それ以外の全てを変えるということ。

しかし、普通、そうは考えない企業が多いのではないだろうか。

企業理念をつくることは、企業の伝統や文化を守ることにつながる、と。

逆である

企業理念を固めるということは、理念以外の全てを変えるということ。

そこに例外はない

聖域は存在しない。

このことがほんとうに理解できている経営者はどのくらいいるのだろう。

いまだに「これまでこのやり方でうまくいっていた」と、過去の成功体験にしがみついて、自らを変えようとしない。

社員が変えようとしても、幹部がむしろ抵抗勢力となってしまっている。

そして、そのような企業はどんどん競走から取り残され、やがては淘汰される。

経営者は経営理念の意味をもう一度考えるべきだ。

どんな企業にも経営理念はある。

社長室の壁に立派な額縁に入って飾ってある。

しかし、経営理念に生きようとしていない。

理念を固めるということは、理念以外の全てを変えるということ。

この意味を深く考えるべきだろう。

2010年8月19日 (木)

真実が人を動かす/ケン・アイバーソン

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社員は何よりも自分を認めてもらいたがっていることに私は気づいた。ユニークな個人として、また、大きな可能性を秘めた個人として認められたいと願っている。ところが、管理者たちは部下にでくのぼうのような役割しか与えようとしない。これでは自分の仕事に疎外感をもつ社員が多いのも無理はない。そうなると、勤務時間中の彼らはまるでゾンビのようだ――無感動、無表情、ふたたび生き返る終業時間をただ待つだけ。(P96)

人は皆、例外なく、自分が認められたいと願っている。

飢えていると言っても良いかもしれない。

その人の年齢や地位、職種等に関わらず、みんなである。

ある本にはこのことを「認められたい症候群」と記してあった。

ところが、これに応えようとしない、会社や組織があまりにも多いことか。

社長は、給料さえ増やせば、社員は頑張ると思っている。

給料を増やすことが、「あなたを認めています」というメッセージを含んだものであるならば、確かにそれによってやる気を起こすであろう。

しかし、単に給料を増やせば社員が頑張るかというと、そんなことはない。

それだと札束で横っ面を張り倒しているのと同じだ。

そのような人間の尊厳を無視したやり方で、やる気を起こすわけがない。

この単純な原則を知らないばかりに、いかに多くのリーダーと呼ばれている人たちが損をしていることか。

時間という資源の損失、そして人材の損失を招いてしまっている。

「社員は何よりも自分を認められたがっている」

このメッセージに耳を傾け、心に刻むべきだ。

2010年8月18日 (水)

集中力/セロン・Q・デュモン

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たいていの人は年を重ねるにつれて、機械のようになっていきます。これまでつくってきた習慣が威力を増していくからです。私たちは自分が慣れたやり方で仕事をします。そのため仕事仲間は、あなたが特定のやり方でものごとをすることを当然だと思うようになります。習慣が人生をどれだけ左右するか、そして良い習慣をつくるのは悪い習慣をつくるのと同じくらい簡単なのですから、良い習慣だけをつくるべきだとおわかりになるでしょう。あなたの習慣に責任をもつのは、あなた以外にありません。

習慣をコントロールする5つの原則

1.「自分の神経系を敵にまわさず、味方につける」

2.「古い習慣から抜け出して新しい習慣を身につけるときは、断固たる決意で最初の一歩を踏み出す」

3.「新しい習慣が生活のなかに完全に定着するまで、一度の例外も認めてはならない」

4.「どんな決意も、それを実行に移す最初のチャンスを素早くとらえること。同時に、自分が身につけたいと切望する習慣を実行する気になったら、そのチャンスを逃してはならない」

5.「毎日、差し迫って必要ではないことに少しずつ鍛練を重ね、努力する姿勢を自分の中に保つ」

(P112~115)

良い習慣をつくることは、悪い習慣をつくるのと同じくらい簡単だという。

だったら、良い習慣をつくる方が良いに決まっている。

そして良い習慣はその後の人生を決めると言っても良い。

これは多くの成功者が言っている。

しかし、自分自身を振り返ってみると悪い習慣が随分ある。

そしてその悪い習慣の奴隷になっている部分も随分ある。

これによってどれだけ無駄な時間を過ごしてきたことか。

無駄な時間とは、人生の無駄遣いである。

問題は「断固たる決意で最初の一歩を踏み出す」ことができるかどうかだ。

2010年8月17日 (火)

すぐ動く人は知っている/竹村尚子

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少し前の日本人がもっていた「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な発想は、二つの意味でもう通用しなくなっています。

ひとつは、「赤信号は渡ってはいけない時代」だということ。ルールを破ってはいけないのです。たとえみんながやっていても、ルールを破る発想は通用しない時代になっています。法律違反をした会社が一時的にはもうかっても、やがてはつぶれてしまうことがそのいい例です。

もうひとつは、「みんなでやれば安心だ」という時代はもう終わっているということです。みんなと同じなら大丈夫。そんなことはありません。今まではそれで通用してきたかもしれませんが、これからはそうはいかない。みんなでやる横並びの行動にこそリスクがあります。(P44)

今の時代、以前の常識が非常識になりつつある。

その典型的な例が、著者の言う「みんながやっていても、ルールは破ってはいけない」「みんなでやる横並びの行動こそリスクがある」ということであろう。

上記の行動様式は、日本人の昔からもっていた行動様式だと言っても良い。

そして、この二つは、以前はこれが日本人の、ある意味、強みになっていた。

ところが、今の時代、これらは、弱みとなっている。

日本人は、「個」よりも「集団」を大事にしてきた。

そのため、自分の属する会社が例え悪いことをしていても、「みんながやっているから、まあ、いいか」という感覚で黙って会社に従ってきた。

そして、みんなと同じという横並びの発想でいれば、黙っていても出世できた。

会社は会社で、護送船団方式でよかった。

談合で、仕事を回してもらえた。

少なくとも昭和の時代は、そうであった。

しかし、それらの行動は、今の時代、マイナスである。

今や、そのような行動を変えられない個人や会社は生き残っていけない。

非常に厳しい時代だが、ある意味、健全な方向に向かっていると言っても良いのではなかろうか。

2010年8月16日 (月)

ビジネスマンEQ/ロバート・クーパー、アイマン・サワフ

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スタンフォード大学で心理学を教えているロバート・オーンスタイン教授によると、「人間の眼は最も高度に発達した複雑な感覚器官で、脳に届くのは眼球表面から入ってくる情報のわずか1兆分の1にすぎない」という。つまり、まったく同じものを見ていても、感じることは人によってさまざまなのである。(P212)

「脳に届くのは眼球表面から入ってくる情報のわずか1兆分の1」だという。

と、言うことは、もし、自然の成り行きにまかせてものごとを見ていたのでは、何も得られないということ。

この事実はしっかりと受け止める必要がある。

はっきりとした目的意識を持ってものごとを見ることによってのみ、必要な情報を得ることができるということの証明でもある。

必要なことは、見る前に、何を見たいかを明確にするということ。

それによって初めて、1兆分の1の情報の中に、必要な情報が含まれる可能性が大きくなる。

成り行きにまかせて漠然と日々を過ごしていたのでは、何も得られないのは当たり前のことである。

目的意識、問題意識、使命感・・・等々

どうして、これらが重要なのか、

それは人間の眼のもつ限界性からも証明できる。

2010年8月14日 (土)

日本でいちばん大切にしたい会社2/坂本光司

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近年、社員や下請企業、外注企業を、まるで虫けらのように扱う企業が目立ちます。

しかしその一方で、現場をこまめに歩いてみると、それらとは逆に、感動・驚嘆・感銘するような愛情あふれる人間思い、社員思いの経営を行っている企業も、少なからず存在していることがわかります。

しかも、こうした企業は、例外なく好業績を上げているのです。

最も大切な社員を犠牲にする企業は、業績が悪化・低下すると、決まってその原因を「景気・政策の悪化」「規模の小ささ」「業種の恵まれなさ」「ロケーションの悪さ」、そして「大企業・大型店の進出」といった五つの言い訳を口実に、「問題は外、自社は被害者」と決めつける言動が多いのが実態です。

しかし私が「日本でいちばん大切にしたい会社」取り上げたいと思っている企業は、それらの企業とはまったく異なり、「問題は“外”にある」などとは決して言いません。

逆に問題はすべて“内”にあると考え、五人に対する使命と責任を果たそうと、血の滲むような自己改革を行っています。(P18~19)

ここで言っている五人とは次の人々のことを言う。

1.社員とその家族

2.社外社員(下請・協力会社の社員)とその家族

3.現在顧客と未来顧客

4.地域住民、とりわけ障害者や高齢者

5.株主・出資者・関係機関

そして、特に前の4人に対する使命と責任を果たすことが大事だと言う。

逆にこれらを大事にしない会社が大多数と言える。

このような会社に共通して言えることがある。

それは、原因を外に求めているということ。

そして被害者意識が非常に強い。

自分たちは被害者であって、何もしてくれない国が悪い、国は何をやっているんだ、

と、いつも他者の責任にしてしまう。

私の見たところ、9割以上がそのような会社ではないだろうか。

逆に、「日本でいちばん大切にしたい会社」という本が売れ、

その第2弾まで出版されるというところに、

いかにこの本で取り上げるような会社が少数派であるか、ということのあらわれではないだろうか。

そして、今の時代、ますますこのような会社が減りつつあるような気がする。

経営者は、自分たちの問題として、この点をもっと真剣に考えるべきだろう。

しかし、そう言うと、また経営者からいろんな言い訳が聞こえてきそうな気がする。

2010年8月13日 (金)

「質問力」で稼げ!/濱田昇

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「質問力」とは何でしょうか?どんなパワーがあるのでしょうか?

質問力とは、ひと言で言えば複数の頭脳を使って問題の解決法を発見するスキルであると言えます。

言い換えれば、質問者である自分と、回答者である相手の全脳(左脳、右脳)をフルに使って問題解決のための答えを導き出すことができるものです。

そして、そのためには、どんな問いでも良いというわけではありません。望む結果を手するためには「正しい質問」であることが重要です。

相手の気づきを生む問い、問題の本質を引き出すことができる問い、そして問題を解決(真理に導く)問いこそ、正しい質問、つまり“質問力の本質”だとわかったのです。(P4~5)

「質問力とは、複数の頭脳を使って問題の解決法を発見するスキル」

つまり、問題解決のため共同作業をするためのスキルだと言える。

仕事柄、相手に対してつい教えてしまう傾向が自分にある。

そして、自分の考えを相手に押しつける。

これは正しいコンサルティングではないと、いつも自分を戒める。

答えは相手にある。

そし相手には、その問題を解決する力がある。

いつもこの点に立ち返る必要がある。

「質問力」、これは、是非とも身につけたい必須のスキルだと感じた。

2010年8月12日 (木)

まさか!?/マイケル・J・モーブッサン

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私たちの大半は、一つの成功したやり方をその次の状況に適用することによって、また成功すると思いたい。さらに私たちは、「成功の方程式」なる万能薬のようなものがあればよいと切望する。時に、この考え方がうまくいくこともある。しかし、多くの場合ではそうはいかない。なぜならば、状況を考慮せずに属性や性質だけで意思決定してしまうからだ。属性に基づいた理論は自然に私たちの目に触れ、とても魅力的に映る。しかしながら、多くの場合の正解は「状況による」のだ。(P176)

世に多く「勝利の方程式」というテーマで書かれた本がある。

大抵は、著者の経験から得た、勝利を得るための方法論をパターン化したものである。

あるいは、様々な企業の成功事例が、本や雑誌、テレビで紹介される。

これらも、同様で、その企業の持っている属性、歴史、業種、周りの状況等、様々な背景がその企業とまったく同じであれば適用できる方法論であることが多い。

つまりほとんどの場合、特殊な状況における成功するための方法論である。

これをあたかも、すべての人や企業に適用できる汎用性のある方程式であるかのように考えると、大きな過ちに陥ることになる。

すべては「状況による」のである。

2010年8月11日 (水)

人生のすべては、取り返しがつく!/R・ウェブスター

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毎日、心の声に耳を傾けていれば、間違いを犯すことはないでしょう。内なる声のささやきに耳を傾けるのです。内なる声はすべてを知っていて、君が知りたいと思ったことを教えてくれるのです。ほんとうなんですよ。君の内なる声は、すべてを知っているのです。それにすべてをまかせて努力すればいいのです。(P77)

内なる声に耳を傾け、それに従う。

最終的には、これしかないように感じる。

物事を判断しようとしたとき、やはりそれに必要な情報を集め、分析し、判断しようとする。

しかし、それだけで十分ではない。

最後の決断はどうするかという課題が残っている。

自分のでき得る限りのことをやったら、後は内なる声に耳を傾け、その声に従う。

これが重要だ。

世に成功者と言われる人たちの話を聞いてみると、ほとんどの人が、これと同じようなことを言う。

内なる声耳を傾け、それに従うというと、

ここに成功の鍵があるような気がする。

2010年8月10日 (火)

バランス・スコアカードの経営/森沢徹・宮田久也・黒崎浩

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どの視点から戦略目標の設定を行うのがよいのだろうか。筆者らの経験では、「顧客の視点」から考えるのが、最も適切ということになる。顧客の視点にどのよう目標を掲げるかが、実は戦略マップ全体の構造を決めてしまうほどに、この視点はきわめて重要なのである。(P52)

通常、企業が戦略を考える場合、「財務の視点」、つまり「売上」や「利益」をアップさせるためにはどうすれば良い、という発想で考える場合が多い。

よく「顧客第一主義」とうたっている企業がある。

ところが、内実は「売上第一主義」である場合がほとんどである。

経営会議で、第一の議題は多くの場合、今年、あるいは今月の売上や利益である。

「わが社は顧客のために何をしただろう」という議題から始まる企業は、ほとんどない。

つまり、「顧客第一主義」が単なるスローガンで終わってしまっているということ。

しかし、筆者が言うには、戦略は「顧客の視点」から考えるのが最も適切ということ。

情報化社会である現代、企業にごまかしがあれば、すぐ顧客にバレてしまう。

本当の意味で「顧客の視点」から、すべて発想するこのできる企業が最終的には生き残るのではないだろうか。

2010年8月 9日 (月)

起きていることはすべて正しい/勝間和代

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起きていることはすべて、自分に対するメッセージ、あるいは何らかのチャンスとして受け止めよう。そして、そのメッセージを分析し、そこに対して自分の持っているパーソナル資産を正しく割り当て、使い切り、最大の成果になるように行動を続けよう。(P262)

自分の身に起きていることには、自分にとって必ずしも喜ばしいことばかりではない。

世の中、自分の思い通りにならないことの方が多いものだ。

しかし、その思い通りにならない出来事が自分の身に起こったとき、どのような心の状態でその現実を受け止めるかが重要だ。

多くの人は、そのとき、自分の不幸や不運を嘆き、ある時には、そのようなことを起こした人や会社や国を恨む。

しかし、そのような受け止め方は、ある面、負のスパイラルへの道を加速させる。

そして、どんどん深みにはまっていく。

人の真価は、自分にとって都合の悪いことが起こったとき、どのようにそれを受け止め、対処し、行動するかにかかっている。

自分にとって都合の悪いことが起こったとき、「これは正しいことだ」と受け止めたとき、何が起こるのか。

まず、その出来事の自分にとっての意味を探ろうとするであろう。

「その出来事に何らかの自分に対するメッセージがあるとすると、それは何だろう」と

そして、この状況を打開するためには、何が必要か、何ができるのか、と自分のできることを考えるであろう。

そして、具体的に行動する。

おそらく、これができる人と、単に不幸や不運を嘆く人とでは、5年10年後、とんでもない差となってあらわれることだろう。

「起きていることはすべて正しい」

この受け止め方は重要だ。

2010年8月 8日 (日)

日本型プロフェッショナルの条件/安永雄彦

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プロフェッショナルとは具体的に何を指すのでしょうか。

「Professional」という言葉は「Profess(宣誓)」に由来するようです。これは、プロフェッショナルになるということが、職業に就くに際して神に誓いをたてなければならないほど、厳しいものであることを意味します。言い換えると、プロフェッショナルとしての資格を得たいなら、神に誓い、自らのミッションを果たすための覚悟を持たなくてはならないということです。(P7)

一般にプロフェッショナルというと、単に専門性の高い人という意味合いでとらえることが多いが、それだとスペシャリストと区別がつかなくなってしまう。

プロフェッショナルとは、専門性ももちろん大事だが、さらに求められるのは、精神性、倫理性、使命感だということ。

これらが備わっていて初めてプロフェッショナルと言える。

そう考えると、日本という国において、プロフェッショナルがなかなか育たないような気がする。

日本で会社に入れば、組織の一員として、まず組織へのコミットメントが求められる。

もちろん、心からコミットできれば良いのだが、そうでない会社も多い。

そのなかでプロフェッショナルであろうとするならば、様々な葛藤の中で働くことを強いられる。

その意味では、日本はプロフェッショナルがなかなか育たない土壌だと言える。

しかし、逆に考えるならば、今こそ日本の会社にプロフェッショナルが求められているとも言える。

近年の様々な企業の不祥事は、最終的な責任は社長にあるものの、実際に不正に手を染めるのは現場の社員である。

やはりそこで問われるのはプロフェッショナリズムであろう。

そのような葛藤な中にあっても、こそで踏みとどまりプロフェッショナルであり続けようとする人、

そのような人が、会社においても、社会においても、今、求められているのではないだろうか。

日本は今、成熟した社会、成熟した会社への脱皮が求められている。

その中で、プロフェッショナルの果たす役割は大きい。

2010年8月 7日 (土)

ザ・チェンジ!/門田由貴子

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どのような組織でも必ず、大きな変革が起こるときは影響力を発揮して変化をしかけていく5%のチェンジリーダーと、その他大勢の95%に分かれます。チェンジリーダーが組織全体の5%以上の力を発揮することができれば、変化は確実に始まります。しかし、チェンジリーダーの人数が5%以上いても5%以上の力を発揮することがなければ、抵抗勢力に負けてしまい変化は起きません。(P174)

組織を変えるためには、ここでいうところの5%が非常に重要だというのは本当だ。

しかし、この5%であってもその人たちの意識を変え、行動を変えるのは、そう簡単ではない。

人は誰でも自分が間違っているなどとは思いたくないし思っていない。

しかし、変わるということは、ある意味、自分のこれまでの行動や思考のままではいけないのだということを認めるところから始まるといっても過言ではない。

特にそのことを他人から言われると腹が立つし、反発する。

大事なことは変わる必要を人から言われるのでなく、「気づく」ということである。

つまり人を変えるためには「気づきのプログラム」が必要ということ。

これができるかどうかがポイントだ。

この本に記載されている12週間のプログラムも、ポイントは「いかに気づかせるか」に置いているようだ。

2010年8月 6日 (金)

「いいこと」が次々起こる心の魔法/ウエイン・W・ダイアー

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大切なのは、頭で考えることではなく、こころで感じることだ。人生の奇跡はすべてここから始まる!(P40)

この本の著者、ダイアー氏によると、成人の精神を高める段階として「競技者」「戦士」「奉仕者」「精神性」の4つの段階を挙げている。

競技者の段階では「他人にどう見られているか」を気にかけ、

戦士の段階では「勝つことがすべて」であり、

奉仕者の段階では「人に尽くして穏やかな境地」に至り、

精神性の段階では「自分は肉体に宿った魂」だと認識する、ということ。

自分はどの段階だろう?

省みてみると、場面場面によって、4つの段階を上がったり下がったりしているような気がする。

しかし、人生の経験を積むにつれ、物事は理屈だけでは説明のつかないことがあるのだということは理解できるようになってきた。

その意味では、精神性の部分も少し出てきたのかな?

人生における偶然も、何か意味があると考えることができるようなった。

大切なのは、「頭で考えることではなく、こころで感じること」

素直に、この言葉も、受け止められるようになってきた。

2010年8月 5日 (木)

クレドが「考えて動く」社員を育てる!/吉田誠一郎

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世界的成功企業の多くはその成功を支えた伝説的人間がいます。いわゆるカリスマ経営者です。ビジネスマンでしたら即座に4、5人はこの会社のこの人、あの会社の誰と数え上げるかもしれません。

では、ジョンソン・エンド・ジョンソンの経営者は?

おそらくどなたも、名前を挙げられないでしょう。あえてカリスマというならそれはクレドー、つまり「我が信条」と考えているからです。(P200)

世にカリスマ経営者と呼ばれる人たちがいる。

現在であればユニクロの柳井社長、ソフトバンクの孫社長、日産のゴーン社長

これらの名前がパッと頭に浮かぶ。

確かにこれらの人物は、強烈なカリスマ性から出てくるリーダーシップによって、会社の業績をアップさせ、会社を大きくしてきた。

しかし、人には寿命がある。

それは偉大なカリスマ経営者とてまったく同じこと。

であるならば、経営者に万一のことがあったら、その会社はどうなるのか?

当然、社員は動揺し、会社経営はおかしくなるだろう。

ある意味、カリスマ経営者がいるということは大変リスキーなことかもしれない。

大事なことは、万一経営者が変わっても揺らぐことのない価値基準が会社の中に浸透し、社員に共有されていることではないだろうか。

多分、その価値基準は経営理念にあらわされているのだろう。

ただ、それが浸透している会社は非常に少ない。

多くの場合、経営理念は、社長室の壁に額縁に入って飾ってあるだけである。

クレドは社員の参画によってつくる。

つくる過程において、社員が「わが社にとって大切なものは何か」と考える。

このプロセスが非常に大事だ。

そしてクレドの重要性も、ここにある。

2010年8月 4日 (水)

経営者に贈る5つの質問/P.F.ドラッカー

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上げ潮によって上がるだけであるならば、下げ潮によって下がるだけであることを認識する必要がある。未来を予期し、未来を創造していかなければならない。(P14)

今はどのような時代なのだろう。

少なくともドラッカーの言う、上げ潮の時代ではない。

しかし、このような時代であっても利益を上げ続けている会社がある。

一方、不況がくると、ただひたすら国や金融機関を助けを期待したり、助成金に頼ったり、と言った企業もある。

後者は、おそらく儲かった時代があったとしても、それは上げ潮によって収益が上がったにすぎなかったのだろう。

今の時代は、その意味、本物か偽物かがはっきりとあらわれてくる時代と言える。

ある意味、いい時代なのかもしれない。

そして、「未来を予期し、未来を創造していかなければならない」とドラッカーは言う。

先の見えない今の時代だからこそ、その環境変化にただ対応するだけでなく、こちらから能動的に未来に働きかける。

このような姿勢が企業にも人にも求められるということだ。

2010年8月 3日 (火)

現場指揮官の教訓/日下公人

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「命令を聞け!」とか「突っ込め!」という勇ましい言葉ばかり並び立てている硬直的な軍隊は、やはり負けるのである。

繰り返しになるが、戦場で敵の新たな武器や新戦法を最初に体験するのは第一線の人々で、下士官たちはそれを真っ先に、 、上に報告するパイプをもっていたし、戦場全体の状況もある程度知っていた。ところが彼らの報告を吸い上げ、戦術や戦略に反映させていくべき上層部が動脈硬化に陥っていたことが、致命的な結果をもたらしたのである。(P57~58)

このことは、そのまま現代の会社という組織の持っている病理に置き換えることができる。

下士官といえば、会社では課長か係長という中間管理職クラスであろうか。

彼らは、現場に最も近いところで仕事をしている。

また、場合によっては自ら現場に立つこともある。

そして、現場の生の声が真っ先に届くのも彼らである。

現代は顧客やマーケットは絶えず変化している。

その刻一刻と変化するニーズを敏感に感じ取っているのは、やはり現場の第一線で働いている社員である。

問題は、その社員の声が経営のトップに届いているかどうかである。

このことがうまくいっている会社は変化適応ができている。

そのため、業績も良い。

逆に、このことがうまくいっていない企業は、どこかでうまくいかなくなってしまう。

一時、組織のフラット化ということが盛んに叫ばれていた。

その目的の一つは現場の声が、トップに早く正確に届くことであったはずだ。

それにより、会社が変化適応することであったはずだ。

しかし、実際には、単に階層を減らすだけで、うまくいくはずはない。

特にトップが下から上がってきた貴重な情報をつぶしてしまったり、戦略や戦術に生かそうとしなかったりすれば、意味がない。

会社の問題は、硬直化した組織やトップの考え方そのものにあるのではないだろうか。

2010年8月 2日 (月)

リーダーシップからフォロワーシップへ/中竹竜二

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スタイルを強く持てば持つほど、それは逆境で大いに力を発揮する。結局、人は逆境でこそ真価が問われる。普段、どんなに偉い人も、どんなに馬鹿にされている人も、苦しい場面に追い込まれたときの態度がその人のスタイルであり、器である。(P94)

ここで言うスタイルとは「一貫性」や「こだわり」あるいは「らしさ」という言葉に置き換えられる。

人としての真価が問われるのは、逆境に追い込まれたときだが、そのとき、その人がどんなスタイルを持っているかが最も問われるということ。

「自分らしさ」という言葉は、みんなよく使う。

しかし、それが本当にその人のスタイルになっているかというと、少し疑問符が付く人がいる。

「自分らしさ」というもののとらえ方があまりにも独りよがりなのである。

そのため、自分のわがままの延長線上の「自分らしさ」であったりする。

そのような「らしさ」はあまり価値かない。

逆境に追い込まれたとき、何の力にもならない。

「らしさ」とはあくまで、社会や組織との関係性の上に成り立つものではないだろうか。

それらを無視した「らしさ」は何の価値もない。

本当の意味での自分のスタイルを確立していきたい。

2010年8月 1日 (日)

すべての「見える化」で会社は変わる/長尾一洋

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私はこれまで数多くの会社を見てきましたが、よい企業風土や文化がなかなか醸成されない会社には1つの共通点があります。それは、頑張って仕事をしている人が馬鹿を見ることが多く、そうしたことが放置されているということです。(P126)

いわゆる「頑張ったもの負け」の状態を放置してはならないということ。

ある意味、頑張ったものも、頑張らなかったものも、処遇においてまったく差をつけないということは悪平等と言えよう。

そうすると、社員は間違いなく頑張らなくなる。

それが会社の隅々にまで浸透すると、それがその会社の風土になる。

これでは会社が良くなるはずはない。

やはり頑張った社員は、その点をしっかりと見てあげて評価し、処遇にも反映させることが、必要ではないだろうか。

日本人は、差をつけるということにあまりにも神経質になりすぎているような気がする。

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