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2010年8月28日 (土)

朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点/近藤康太郎

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アメリカを断然うらやましく思った。周囲があるひとつの方向に流れていこうとも、自分だけはそこから超然としていられるし、またそのことを許す社会がまだ、わずかなりとも残っている。

これは、日本ではなかなか起こりにくい現象だ。

日本は少なくとも近現代史だけをながめていると、この「集団的熱狂」という病におかされがちな国なんじゃないかと思えてくる。

ついここ1、2年のことをみても、熱にうかされたような北朝鮮報道やイラク人質バッシングがあった。ハードニュースばかりではない。サッカーのW杯やオリンピックのようなスポーツでも、例のタマちゃん騒動みたいな罪のない話でも、なにかひとつの「世間」の流れみたいなものができると、ニュースの論調は一方的に、濁流のように流れる。異論を指し挟むこと、熱狂に水を差す声は、少なくともまずマスメディアの側からは出てこない。(P21)

著者は、アメリカでは、大統領選挙の時、例え候補者の地元の新聞であっても、反対論をぶち上げ、堂々と対立候補の支持をするというエピソードを取り上げ、日本との違いを述べている。

日本は「集団的熱狂」という病におかされているという。

確かに日本の世論をみていると、あまりにも一方的だ。

そして一度この流れで出てくると、この流れに反対することが本当に難しい。

「空気を読む」という言葉も、日本独特の体質気質から生まれた言葉だと思う。

マスメディアだけでなく、日本人は「個」として自立していないような気がする。

「自分の考え」というものを持たない、いや持ちにくい国なのだろう。

特に近年、益々その傾向が強くなっているような気がする。

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