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2010年9月の29件の記事

2010年9月30日 (木)

働き方革命/駒崎弘樹

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人は何に基づいて行動を起こすか。それは潜在意識の中にある自己イメージです。いちいち入ってくる情報を意識していては非効率ですし、日々何百万と入ってくる情報は処理できません。パターン化してある程度は自動的に処理できるようにしなくてはいけません。ゆえる潜在意識が、その自動処理の基盤になるのです。

例えば、自分はその行為ができると思えば、言い換えるとその行為が『できる人間』だと思えば、その行為をします。逆にできないと思えば、言い換えると『できな人間』である思えば、その行為はしません。つまり自己イメージは、私たちの行動を規定するのです。(P52)

潜在意識は、情報の自動処理装置のようなものだということ。

ということは、もし、自分を変えたいと思うならば、この自動処理装置のプログラムを変える必要があるということだ。

そのためにはどうするか、自分に対する自己イメージを変えることだ。

自己イメージはどうすれば変えることができるのか。

ポジティブな自己対話を繰り返すことによって、ポジティブな自己イメージを潜在意識に形成することができるということ。

たとえ、自分が今、どん底の状態にあっても、「これは一時的な状態で、やがては自分は成功する」という自己対話を繰り返すことによって、ポジティブな自己イメージが形成される。

そうすると今度はその自己イメージが潜在意識となり、日常の情報をポジティブな方向に自動処理するようになる。

結果として、自分のまわりがよい方向に変化するようになる。

いかにポジティブな自己イメージが大事かということである。

2010年9月29日 (水)

関係する女 所有する男/斎藤環

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「所有原理」と「関係原理」は、認識に対しても大きく影響を及ぼす。

たとえば空間把握力について考えてみよう。この能力は、ひろく概念操作能力として理解できる。さらに言えば、これは視覚イメージを頭の中で操作する能力だ。対象を視覚化すること、またそのイメージを操作すること、いずれも「所有」に慣れた男性にとってはお手のものである。いっぽう関係性を切り離しての概念操作は、女性にとってはかなり不得手な領域だ。

この空間把握については、興味深い実験がある。目的地に辿り着くのに、地図の描き方によっては、女性の方が男性よりも良い成績を収めたというのだ。

簡単に言えば、距離と方角が示された地図を読むのは男のほうが得意だが、「眠れる少年像のところで左に曲がれ」といったように、目印を手がかりとした地図を読むのは女のほうが得意なのだ。この本では、あくまで「脳」の視点からこの違いを説明していたが、所有は関係という視点から捉えるほうが説明が簡単だ。

さきほども述べたとおり、距離は方角といった空間把握は、概念操作のひとつだから、男性の「所有」原理になじみがいい。一方女性は、そのつど出くわした目標物と自分の位置との「関係」をリアルタイムで把握しながら進むほうが得意なのだ。(P233~234)

男性と女性の違い、これは日常の中で日々実感させられている。

特に男の私からみると、女性の行動はいまだに理解できないことが多い。

しかし、この女性は目的物と自分の位置との「関係」をリアルタイムで把握しながら進む、という記述は、「なるほど」と思わされた。

確かに男性は対象物と自分との関係性ということより、できる限り客観的に全体像を見ながら、一度自分の中で概念化し、自分の進むべき方向を決めようとする傾向がある。

しかし、女性は対象物と自分との位置の関係を絶えず把握しながら、物事を判断し行動する。

この違いは、理解しようとしない方がよいのかも知れない。

むしろ、「違いを認める」ことを出発点にしないと、いけないのだろう。

2010年9月28日 (火)

組織再生/江上剛

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この小説のモデルは「新生銀行」だ。平成10年10月23日、日本長期信用銀行が破綻し、平成16年2月19日に新生銀行として再上場するまでを描いた。

当時、みずほ銀行の築地支店長をしていた私は、ある会社の再建を巡って新生銀行と対立し、同行の融資約50億円の肩代わりを実行せざるを得なかった。

私には新生銀行を憎む動機こそあれ、恩義は一切ない。だがその対立的な交渉の中で、新生銀行の担当者が「私たちには時間軸があるのです」と言った。その言葉が新鮮に響いた。それは勤務していた邦銀にはなかった考えだった。私たち邦銀は、時間は無限にあると考え、問題を先送りばかりしていた。(P475~476)

この小説の著者、江上氏が、あとがきで記した一文。

「私たちには時間軸がある」という言葉が当時、江上氏は新鮮に響いたという。

それだけ、時間軸という感覚が邦銀にはなかったということ。

これは驚きだ。

時間軸を持たないで、企業経営が成り立つのだろうか。

一個人であっても、会社という組織であっても、時間軸を持つということは非常に大切だ。

時間は無限にあるという感覚からは何も生まれない。

期限を設け、それに向けて頑張るからこそ、新しい何かが生まれる。

日々の緊張感も時間軸があるからこそ、生まれる。

一個人が時間軸を持たなくても、それは個人の問題で済ませられる。

しかし、企業が時間軸を持たないこと、これは犯罪に近い。

なぜなら、企業は、そこで働く社員に対する責任があり、取引先に対する責任があり、また顧客に対する責任があるからである。

でも、このことがわかっていない企業経営者は意外と多いのではないだろうか。

2010年9月27日 (月)

なぜ、ノウハウ本を実行できないのか/ケン・ブランチャート+ポール・J・メイヤー+ディック・ルー

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「お話では、知っていることを行動に移すことができない三つの理由を克服するカギは、反復だということでした。詳しく教えていただけますか?」作家は言った。

「一にも二にも、三にも反復です!」

企業家は強い口調で言った。「つまり、『間隔を置いた反復』ということです」

「間隔を置いた反復?」

「そうです。これは一つの学習法で、一度で身につけるというやり方ではない。断続的に何度も情報に接して、身につけるのです」

「もっと詳しく教えてください」

「この『間隔を置いた反復』というやり方を、『行動の条件づけ』とか『内面の強化』と呼ぶ人もいます。友人のジヨン・ハガイは、『あらゆるスキルの母』『永続的変化の母』と呼ぶ。一度主張しただけではほとんど何も変わらないからです。永続的な影響がいくらかあったとしてもね。何度も繰り返さなければならない。つづけてでなく、考えるための一定の時間を置いて。

広告にはこの手法が使われていて、『印象づけ』と呼ばれています。人々が何度も何度も広告を目にして初めてその商品を覚え、行動を起こすということを知っているわけです」(P21)

「わかる」ことと、「できる」こととは違う。

「わかる」を「できる」に変える方法は「間隔を置いた反復」だと著者は言う。

結局のところ、この「間隔を置いた反復」ができるかどうかだろう。

研修を受けてもなにも変わらない、

セミナーを聞いてもなにも変わらない、

本を読んでも何も変わらない、

これら全ての原因は、聞いたり学んだことを「わかる」という段階で終わらせてしまっているからだ。

本当に変わるためには「わかる」を「できる」にしなければならない。

そのためには「間隔を置いた反復」、これ以外にない。

イチローの偉大な記録も、日頃の「間隔を置いた反復」の結果だ。

人より優れた業績を上げている人に共通して言えることは、この「間隔を置いた反復」を日常生活の中に取り入れているかどうかだ。

「継続は力なり!」、まさにその通り。これを避けて通ることはできない。

2010年9月25日 (土)

明日、会社がなくなっても、自分の名前で勝負できますか?/川上徹也

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タレントの明石家さんまさんが、高校を出て師匠の笑福亭松之助さんに弟子入りした頃の話だ。

さんまさんは、ずっと師匠の家の掃除をやらされていたという。

そんなある日、師匠はさんまさんが掃除をしているのを見て、「それおもろいか?」と問いかけた。さんまさんは正直に「いえ、おもしろくないです」と答えた。すると師匠は、そらそやろ。そんな仕事おもろいわけあらへん」と言って少し間をあけてから「そやけどな、ええこと教えたろか。そんなおもろない仕事をどうやったらおもろなるかを考えるのはおもろいで」と言ったという。

19歳のさんまさんは衝撃を受けて、なるほどと思い、それから掃除などの作業が苦ではなくなったという。(P51~52)

仕事はおもしろくやった方が当然、効率があがる。

しかし、世の中、おもしろい仕事ばかりではない。

単純なルーチンワークばかりやっている人もいる。

では、ルーチンワークはおもしろくないのだろうか。

同じルーチンワークをやっていても、おもしろくやっている人も確かにいる。

その人は当然、生産性も高い。

どこが違うのか。

やっている仕事は同じであっても、そこにはおもしろくする工夫をしている。

自分に対する、その仕事の意味を明確にしたり、やり方を工夫したり、またはゲームの要素を入れたり、

様々なおもしろくする工夫をしている。

そして、それは決して無駄になることはない。

その、おもしろくない仕事をおもしろくしようとした経験は、

必ず様々な面で生きて来るはずである。

2010年9月24日 (金)

サーバント・リーダーシップ/ロバート・K・グリーンリーフ

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ジョアン・C・ジョーンズは大学の教授から良心に従って生き、学ぶことを教わった体験について語っている。

看護学校の2年生の時、教授が私たちに小テストをしました。私は難なく問題をこなしていったのですが、最後の問いを読んで愕然としました。「学校の掃除をしてくれる女性のファースト・ネームは?」これはジョークに決まっている、と思いました。清掃係のその女性を見かけたことは何度かありましたが、名前なんてわかるはずがありません。私は答案を提出しましたが、最後の問いは空欄のままでした。授業が終わる前、ひとりの生徒が、最後の問題も採点の対象になるんですかと聞きました。「もちろんだよ」と教授は答えました。「これから先、仕事の上で君たちはたくさんの人に出会うだろう。その誰もが重要なんだ。その人たちに注意を払い、気を配ってほしい。にっこり笑いかけたり、やあ、と声をかけたりするだけでもいいんだ」。私はその教訓を忘れたことがありません。それから、その清掃係の女性の名がドロシーだということも覚えました。(P28)

人は誰もが自分を認めてもらいたい、関心を持ってもらいたいと思っている。

そして、自分に関わりのある全ての人に対して、関心を払い、重要感を与えることがリーダーシップの基本である。

リーダーシップというと、とかく「俺についてこい」式の鬼軍曹型のリーダーを想像しがちだが、今日、そのようなリーダーシップが機能する組織がどのくらいあるのだろう。

むしろ、部下一人一人に関心を持ち、自己重要感を与え、その人の内なる動機に働きかけるリーダーが求められているのではないだろうか。

しかし、周りを見渡してみると、そのようなリーダーは本当に少ない。

ほとんどのリーダーは、自分のポジションパワーによって、部下を動かそうとしている。

ポジションパワーに頼っている限り、真のリーダーシップは身につかない。

リーダーはまず良心に従って生き、学ぶこと。

そして、自分に関わる一人一人に関心を持つこと。

これが基本である。

2010年9月23日 (木)

リーダーは自然体/増田弥生、金井壽宏

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上司は3年かかっても部下を見抜けないが、部下は3日で上司を見抜くとよく言われます。上司が自分の足りない部分をいくら隠しても、隠せていると思っているのは本人だけで、周囲の人たちには簡単に気づかれてしまうものです。リーダーシップがうまく成立している時、フォロワーはリーダーを完璧な人間だと思ってついていっているのではなく、このリーダーの足りない部分を支えたいだとか、このリーダーのいいところをもっと伸ばしてあげたいと思って、支援をしながらついていっています。だからこそ、リーダーは自分の足りない部分を受け入れ、周囲にも見せて、助けを求めたり、感謝しつつ協力を仰いだりすべきなのであって、結局のところ、自己受容ができるかどうかの度合いは、その人のリーダーとしての器の大きさを表しているのだと思います。(P223)

組織の中で、リーダーとして立たされた途端、自分の弱さを部下に見抜かれまいと、やたら肩肘張ってしまう人がいる。

急に態度が横柄になったり、上から目線になったり、命令口調になったり、

必死に自分の中でイメージしているリーダー像に自分を近づけようとする。

部下はそのようなリーダーをとっくに見抜いており、そのよう振る舞うことはむしろ滑稽ですらある。

そのことをわかっていないのはリーダーとして立っている本人だけである。

しかし、リーダーはもっと自然体であるべきだと増田氏は言う。

無理せず、飾らず、ありのままの自分を部下の前に見せればいいのだと。

2010年9月22日 (水)

息を吸って吐くように目標達成できる本/和田裕美

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あの時の私は、「どんなことでもやってやる」という必死さだけで乗り越えたのだと思います。

最初は大変だけど「やる」と言ってしまったらやるしかないから、とにかくやるんです。もちろん、100%無理なことにはNOと言いますが、少しでも「できそう」と思ったら、引き受けました。

そうしたら、いつのまにかね、「できた」のです。

いや、できてなかったのかもしれないけど、一応はやった。

とりあえず経験できただけでも満足なのに、実績にもなった。

だからもしも、目の前になんかやって来たらとりあえず、「好き」とか「嫌い」とか「自信がない」とか言ってないで、「やってみます」と言ってみるのが成長の一番の近道だと思います。

やってみたらできるようになることは、驚くほどたくさんあります。それから付け加えて言うと、目の前にきた事を何でもやってみると、あとでそれが大きな意味を持つ事があります。(P24~25)

自分のこれまでの経験や知識でできるかどうかわからない仕事の依頼が来た場合、それを受けるかどうかで、その後の成長に大きな差が出てくる。

自分の周りで、仕事の上で成功している人の共通項は、とりあえず「できます」と言って、あとで勉強し必死で取り組むという点である。

不思議とこの点は共通している。

逆に、なかなかうまくいっていない人の共通項は、仕事の依頼がきたとき、一歩を踏み出せないところである。

しかもこのような人に共通して言える事は、皆一様に勉強熱心で頭も良いということ。

依頼を断る、断らない、これは一瞬の出来事だが、それが積み重なると、とんでもない大きな差になって表れる。

人間、やはり、できることだけやっていたのでは成長はストップしてしまう。

できないことにも一生チャレンジし続ける自分でありたいと思う。

2010年9月21日 (火)

サービスの天才たち/野地秩嘉

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本人が言うように、下川原さんは客とは距離を置いている。たとえ常連が乗ってきても、べらべらしゃべるわけではない。黙って運転席にいるだけだ。しかも、彼は印象が薄く存在感もないから、客はまるで自家用車に乗っているような錯覚に陥ってしまう。そしてそれは、下川原さんが自分の存在する気配を消してしまうせいだと私は思う。客が彼の車で安心して眠ってしまうのは、無人の車に乗っているような気分がするからだ。

世の中の経営者はセールスマンやサービスの人間に「個性を出せ」とか「存在感を示せ」と言う。しかし、果たして、それでいいのか、それが最上の策なのだろうか。たとえば私たちがタクシーに乗って不快になるのは無視されることではない。やたらとしゃべりかけられたり、詮索されたりすることだ。饒舌で、しかも土足で踏み込んで来る運転手、セールスマン、サービスの人間がいかに多いことか。私たちは、運転手と友達になるためにタクシーに乗るわけではない。個性豊かで話のうまい人を望んでいるのではないのだ。

その点、下川原さんは達人の域にいる。運転中は存在を消して車を走らせている。何か聞きたい時、あるいはトイレに行きたい気分になった時だけ、ふっと運転席に現れ、対応してくれる。(P187~188)

サービスの達人というと、人並みはずれたすごい技術やノウハウを持っている人を想像する。

しかし、北海道で「有名人を乗せて安心なのはこの人しかいない」と言われるタクシー運転手はむしろ、没個性である。

運転中は自分の存在を消してしまう、そして客が必要とした時だけ現れる。

しかし、サービスとはこのようなものなのだろう。

一般に行われているサービスは、どちらかというと押しつけがましいところがある。

かゆいところに手が届くというより、むしろお節介に近い。

妙に馴れ馴れしいサービスの人間もあまりいい気持ちはしない。

私たちがやってもらいたいとは思わないことまでやってしまうのはやりすぎだ。

そしてそれを最高のサービスだと言う。

しかし、ちょっと違うのではないだろうか。

本当のサービスとは、サービスをしている人が「自分の存在を消す」ことではないだろうか。

そのために重要なのはお客様との距離感である。

近すぎても不快になるし、遠すぎたら何もできない。

絶妙な距離感、これが重要だ。

2010年9月20日 (月)

戦略キャンプ/森田元、田中宏明、佐藤俊行

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いかに論理的に正しい最適解を出しても、実行なくして変革は成し遂げられない。そして実行には、感情的な納得感、つまり腹に落ちることが必要になる。それは、「われわれはこの結論を出すために、ホンネで議論を尽くした」「これ以上の結論や達成感は得られないはずだ」という充足感や達成感、「自分も言うべきことを言った」「実りある議論だった」という満足感によってもたらされる。

人間は感情の動物であり、理屈で論破されても感情で納得できない時には抵抗する。相手の感情を慮ることなく、論理の力だけで人を動かすことはできないのだ。(P12)

人間は感情の動物である。

理屈でわかっても、それで行動するわけではない。

組織をある方向に動かそうとしたり、人を説得し動かそうとする場合、この点をいつも考えておく必要がある。

人を動かす場合、論理的に正しいことは必要である。

しかし、それだけでは人は動かない。

「頭ではわかるんだけど」という言葉が必ず出てくる。

つまり、頭でわかるということと、そのことを行動に移すということには、大きな隔たりがあるということ。

そして、優れたリーダーはこの点がよくわかっている。

頭ではなく、感情に訴えかけるスキルを身につけている。

日本の会社で昔から行われているノミニケーションも、この点を踏まえてのひとつの方法論だったのだろうという見方もできる。

ところが、最近、若い社員は、ノミニケーションに抵抗感を持つ人が多くなっている。

最近会社がおかしくなっているのは、この点に問題があるような気がする。

しかし、それはノミニケーションを復活させなければならないということではない。

それに変わる何かを、会社の中で仕組みとして取り入れる必要があるということである。

2010年9月19日 (日)

なぜ若者は「半径1m以内」で生活したがるのか?/岸本裕紀子

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「半径1m以内」は、現代の若者を象徴する言葉だが、決して否定的に用いているわけではない。こぢんまり生きる、人とは比べない、身の丈に合った暮らしを求める。日本のよさを見直す。自分にとっての幸せの軸を打ち立てる・・・・・・。それこそが、競争社会という大変な状況の中で彼ら自身が身につけたサバイバル術かな、と感じている。

願わくば、彼らの控えめなメッセージがやがて、アメリカ流の競争社会を、日本の実情に即した ものに変えていってくれたら、と思う。(P189)

とかく「今の若い者ときたら」と、否定的に大人は捉えがちだが、

違った角度から見る必要もあるのでは、と著者は言う。

今や、この今どきの若者のつくりだした、若者の暮らしになくてはならないものが、ぐんぐん世界レベルにまで届こうとしている。

コンビニの充実度は、本国アメリカを遥かに超えてしまった。

アキバ文化は海外では大人気、

ラーメンやどんぶりなど庶民の食文化は海外に進出している。

世界は今や、日本の製造業やハイテク技術だけでなく、日本人の暮らし方、生活に密着した知恵やアイデアに注目している。

アメリカ型の、常に欲望の肥大化をはかり、もっと強く、もっと大きく、と頑張る人生。

それはどこまでいっても満足感は薄く、疲れるだけだ。

それをずっと見てきた日本の若者は、もっと静かで、疲れない、安定した生き方があるのではないか、と感じているのではないだろうか。

競争社会というと、どうしても「競争に勝つか負けるか」との二者択一で考えてしまいがちだ、

しかし、若者たちは「勝ち負けの土俵に乗らず、競争をやり過ごす」という第三の道を模索しているようにも感じる。

そして、そんな若者たちの生き方が、もしかしたら、アメリカ流の競争社会を日本に合うように軌道修正していくかもしいない。

今はその過渡期だと考えても良いのかもしれない。

2010年9月18日 (土)

ビジネスで失敗する人の10の法則/ドナルド・R・キーオ

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コカコーラ社の古参の一人から、こんな話を聞いたことがある。ニューイングランドの第三世代のボトラーに、貴族の家系の人がいる。たぶん、工場に足を踏み入れたことはないし、コークを飲んだことも何年もないはずだ。それでも自信満々で、日曜日の夕方近くにラジオでコマーシャルを流すのはおかしいのではないかと言い出した。「日曜日の午後には誰もラジオなんか聞いていない」というのだ。なぜか。「その時間には皆、ポロをやっている」。まったく超然としている。こうしていれば、いつも自分は最高だと考えていられるし、顧客や従業員、株主とはまったく接触しないですむ。そして何よりもいいのは、その点に気付きもしないことだ。(P74)

現場に足を踏み入れない経営者は危ない。

それは過去どんなに優れた業績を上げた経営者であってもだ。

会社が大きくなるにつれ、経営者が現場に足を踏み入れなくなることがある。

そして、過去の成功体験をもとに経営判断をしようとする。

そして、現場からの意見に耳を傾けようとしなくなる。

自分の周りにイエスマンばかりを集めるようになる。

こうなってくると、その会社は危ない。

仕事で、時々このような社長や役員がいる会社を訪問することがある。

態度が横柄であり、人の話に耳を傾けようとしないところに特徴がある。

やはり「事件は会議室で起こっているのではない、現場で起こっている」のである。

2010年9月17日 (金)

一流になる力/小宮一慶

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私はアメリカの大学院の定期試験で、正解とは結論が180度違う答えを書いてしまったことがあります。

「これは単位を落としたな」

と私は思いました。

蓋を開けてみたら、驚いたことに点数は100点満点中の90点ぐらいありました。

つまりテストの採点では答えが合っているかどうかではなく、その答えに至るプロセス、論理を見ているのです。そして同時に、きちっと努力してきたかどうかも見ています。

アメリカという国は、大人になったらパフォーマンス、つまり結果しか見ないところがあります。おそらくそれは「正しいプロセスで努力を続けていたら、パフォーマンスは上がるはず」という考え方から来ているのでしょう。「結果が出ていないのは、やり方が間違っているからだ」と考えるのです。

しかし教育現場では、プロセスやルールの大切さを繰り返して教えています。

日本は逆に、子供のときには答えしか見ていません。親も「何点とった」しか問題にしません。

ところが大人になると急に言い訳が多くなって、だめな会社ほど「努力賞」ばかり多い、という状態になります。(P92~93)

日本では成果主義を入れたものの、うまくいかなくなっている企業が多い。

多くの問題は、そのことの故に、結果主義に陥ってしまったからである。

そのため、「結果だけをみて判断するのは間違っている」「プロセスも見なければ」ということになる。

しかし、よくよく考えてみると、「結果だけを見て判断する」ということの根底に流れる考え方が問題なのだということがわかる。

「正しいプロセスで努力を続けていたら、パフォーマンスは上がるはず」

「結果がでていないのは、やり方が間違っているからだ」

この考え方が根底にあって、結果だけを見るのであれば、それも有りである。

ところが、日本の成果主義を入れている多くの会社の場合はそうではない。

「結果がでなければ、どんなにプロセスが正しくても意味がない」

「営業は結果が全てだ」

このような考え方が根本にあって成果主義を入れている。

考えてみたら、うまくいかなくなるのは当たり前である。

どんな考え方の基に「結果だけを見て判断する」と言うのか、

「プロセスなんか意味がない、結果が全て」だからなのか?

「結果がでていないのは、やり方が間違っているから」と考えるからなのか?

このことが問題だ。

2010年9月16日 (木)

勝てる男の集中力/辻麻理子

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人は通常、ある2つの状態のどちらかの状態にいます。あなたがサッカーをしているところを、思い浮かべてください。

あなたが思い浮かべた映像に、あなた自身は登場していましたか?あなたは登場しておらず、あなたの目から見た映像が見えていましたか?前者であれば、分離体験の状態で思い浮かべており、これを「デソシエイト状態」といいます。客観視している状態ともいえるでしょう。後者であれば、それは実体験の状態で、これを「アソシエイト状態」といいます。楽しんでいたり、泣いていたりと感情とともにある状態とも言えるでしょう。どちらが良い悪いではありません。まずこの2つの状態があることを知り、その時々で、自分がどちらの状態にいるかを認識することから始めてみましょう。

スポーツをしているときは、集中したアソシエイト状態が多いでしょう。不安からの緊張状態や、夢中になりすぎて周りが見えていない状態、何かに悩んでいるときもアソシエイトの状態。そういうときは、まず自分がアソシエイト状態であることに気付き、自分を客観視するなどデソシエイトの状態を意識して作ることで、落ち着いて冷静な判断ができるようになります。うまくいっていないときほど、この方法は役立ちます。

デソシエイトは訓練することで、意識的に作り出すことが容易になります。「部屋の角から今いる自分自身を見る、声が聞こえてくるイメージをする」「過去の体験を、自分自身が登場する映画として見る」「自分自身の行動や考えを、彼、彼女として客観的に話す」などです。自分がどちらの状態かを把握し、そして意識的にどちらの状態も作り出せることが、判断力を必要とする集中は必要のようです。(P155~156)

自分を客観視している状態がデソシエイト状態、

そして自分が何かにのめり込み、実体験の状態がアソシエイト状態。

これらはどちらが良い悪いではなく、まずこの2つの状態があるのだということを理解すること。

そして、自分が今どちらの状態になっているのかを把握すること。

そして、デソシエイトは訓練することで、意識的に作り出すことができるということ。

これらの点を教えられた。

確かに何かの困難に直面し、苦しくてしょうがないとき、ふと、そのようになっている自分を上からみているような感覚を持つことがある。

そうすると、ある面、そのようになっている自分が滑稽にすら思えることがある。

「何をそんな苦しんでいるのよ」

「失敗したってまた次があるじゃないか」

「もっと楽しんだら」

そんな声が聞こえて来ることがある。

これがデソシエイト状態なのだろう。

デソシエイト状態は訓練によって容易に身につけることができるという。

これを身につけると大きな武器になる。

これも一つの、目に見えない、心のスキルと言えよう。

そのためには、自分が今、アソシエイト状態なのかデソシエイト状態なのか、把握することから始めることだ。

2010年9月15日 (水)

心の筋肉のほぐし方/阿奈靖雄

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少々つらいことがあっても「弱音を吐かない人」。ちょっとつらいことがあるとすぐに「弱音を吐く人」。どちらのほうが、傷つきやすいのでしょうか?意外と思われるかもしれませんが、実を言うと「弱音を吐かない人」のほうが傷つきやすいのです。弱音を吐かない人は、つらいことがあってもこらえてこらえて平静を装っています。表面的には平気な顔をしています。ところが、内心は傷だらけなのです。

いっぽう、ちょっと、つらいことがあると、すぐに弱音を吐く人。このタイプは、弱音や泣きごとを口にしていますが、口で言うほどのことではないのです。弱音や泣きごとを言うことで、上手に気分転換しているのです。

吐き出したらしたらかえってストレスが増幅してしまうのではないかと思われがちです。でも、そうではないのです。心理学で言う「放出効果」が働いて、気分がサッパリするのです。そして、心の筋肉がほぐれるのです。(P76~77)

この文章を読んで、正直、ドキッとさせられた。

私自身、後者の「弱音を吐かない人」にあたるからである。

少々のことは、自分の中で押しとどめ、極めて平静を保つようにする。

それによって結構心が傷ついていたりする。

なぜか、それが自分の思考・行動パターンになってしまっている。

そして、それはよくないことだとわかっていても、そうしてしまう自分がいる。

ある面、心の筋肉が硬直し、筋肉疲労をおこしてしまっているのかもしれない。

ただ、長年続けてきた思考・行動パターンはすぐには改まるものではない。

まず身近な人にグチッてみることにするか。

2010年9月14日 (火)

天職の見つけ方/キャリアナビ編集部

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彼らは特別ではありません。となりに座っている人たちとあまり変わらないようにも見えます。

ただ、彼らは、普通なら見過ごしてしまう“ちょっとしたこと”を大切にしています。誰にでも起こりうる、ほんの些細なことがきっかけで今の仕事を選んだ人もいます。「働くことに誇りを持てるかどうか?」は、実は、自分の心に偶然ひっかかったことを大切にする、そんな小さなことなのではないかと感じています。(P188)

この本には、19人の人々が登場する。

この19人は特別な仕事に就いているわけではない。

ごく身近な、大工、看護師、漁船員、教師、海女、等々、ごく身近な人々、

一般に、とても“キャリア”とは呼べないような職業についている人々について書かれている。

しかし彼らは確かに、その仕事に生きがいや喜びを感じている。

誇りも持っている。

もちろん、それなりに様々な苦労もしている。

中には、食べていくのがやっとという仕事に就いている人もいる。

ただ、そのことと、仕事の喜びや生きがいとはありま関係ないように見受けられる。

生きがいや喜びとは、仕事をしていく中で起こる些細な出来事に対して、気づけるかどうかということだ、ということがよく分かる。

確かに本書の言っているように、「働くことに誇りを持てるかどうか?」は、実は、

「自分の心に偶然ひっかかったことを大切にする」

そんな小さなことなのではないだろうか。

2010年9月13日 (月)

若者はなぜ「決められない」か/長山靖生

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世間の側には、フリーターは労働意欲に乏しいという固定観念が、依然として根強く存在する。だが、実態は違う。少なくとも、フリーター自身の意識のなかでは、「仕事」はきわめて重要で特別な意味を帯びている。むしろその真面目さの故に、彼らは正社員にならずフリーターをしている、とさえいえる。

彼らによれば、彼らが今、正社員として働くにいたっていないのは、自分のやりたい仕事が見つからないか、夢はあってもその仕事に就くのが困難だからである。そのため、今は仕方なくフリーターをしながら、チャンスを窺っているのだという。夢に向かって(あるいはその「夢」を探し続けるために)、フリーターという自由の利く労働形態を選びとっているという。

そして、「本当の自分に相応しい仕事」が見つかったら、その仕事に就いて必死で働く。それこそ、自分のすべてを捧げて。

こうしてみるとフリーターの理想は、かつてのモーレツ社員と同じではないか、と思われてくる。「仕事」を人生の中心に据えているという点では、フリーターの「天職」観は古典的である。(P34~35)

今、フリーターやニートのことが社会的な問題になっている。

一般的な見方は、「彼らは働く意欲に乏しい、だから定職につかない」というものである。

しかし、ここで著者はフリーターの職業観とかつてのモーレツ社員の職業観とは同じだという。

つまり両方とも、仕事を人生の中心に据えている。

ただ、一方は、その故に、一生懸命仕事に打ち込む。

片や、もう一方は、一生懸命、「天職」を探し続ける。

しかし、時代背景が違うので、同じ職業観を持っていても、一方はモーレツ社員になり、もう一方はフリーターになっている、という。

こう考えていくと、確かにそのような見方もできる。

今は、自由に職業を選べる時代である。

自由であるが故に、仕事を人生の中心に据えている人は、「天職」を求めて探し続ける。

せっかく就いた仕事も「これは自分の天職ではない」と直ぐ辞めてしまう。

しかし、どうなんだろう。

この世で、最初から、本当に自分のやりたかった仕事に就いている人が何パーセントいるのか。

ほとんどの人は、自分の意思ではなく、他から与えられた仕事に一生懸命打ち込むうちに、その仕事の中に、喜びを見出したり、感謝されたりすることによって、新しい発見をし、

結果として、今、自分のやっている仕事が「天職」だと思えるようになるのではないだろうか。

つまり、「天職」とは探すものではなく、発見するものではないだろうか。

2010年9月12日 (日)

考えるより動け!/風間善樹

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最近では、中小企業も自覚して、自分たちが何をすれば、世の中に貢献できるのかを考えるようになってきました。以前なら考えられないことです。大企業や行政が考えてくれたことを、黙ってやっていればよかったからです。でも、いまは自分で考える時代なのです。

言い換えると、自分は何をすべきなのかを考えられない中小企業の社長は、もう会社を畳まなければいけないということです。

自分で考えて、自分で3年先、5年先を予測して、自分の進むべき方向を決める。自分の得意分野で商品を開発して、社員を教育して、自分で世の中へ売っていく。そういうふうに、自分で生きる道を構築していく時代になったのです。今後、加速度的にこういった流れが進んでいくでしょう。(P178)

「自分で考えて、自分で3年先、5年先を予測して、自分の進むべき方向を決める」

これは経営者であれば当たり前のことである。

ところが、以前は中小企業の経営者にとってこれは当たり前のことではなかった。

中小企業は、大企業や行政のご機嫌をとり、おとなしく言うことをきいていれば、自分たちはそのおこぼれをもらい、決して食いっぱぐれることはなかった。

そんな時代が長い間続いた。

こんな時代がいい時代だったのかどうか。

私は、この考え方は当たり前ではないと思う。

異常だと思う。

今は、中小企業といえども、自分で戦略を立て、自分で社員を教育し、得意分野をつくって、どんどん新しいことをやっていかなければ、生き残っていけない時代である。

企業の規模を問わず、自分で自分のやることを決めるというのは当たり前のことである。

ある意味、やっと普通の感覚が通用する時代になったということである。

そう考えると、「不況もまた良し」といえるのではないだろうか。

2010年9月11日 (土)

トヨタ流プロの仕事術/石井住枝

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トヨタの場合、誰もが「えっ!」と思う極端なテーマを与えられることが多い。

たとえば、経費を50%削減せよ、作業時間を2分の1に短縮する、あるいはその工程をなしにできないか。半減、もしくはゼロになる方法を考えるという指示が珍しくない。今までも努力し、カイゼンしてきた結果が現状であれば、そのハードルは相当厳しい。

簡単なことではないが、この発想が大切である。10%・20%減ぐらいでは、小手先の修正に終わってしまいがち。今までのやり方の補正程度でなんとかできる。

しかし、とんでもない目標の実現には、まったく違った方法や考え方を見つけない限り達成はできない。生産性を高め、発想の転換は欠かせないのである。

頭をひねって懸命にもがき苦しむプロセスこそが、良い知恵を生み出す。(P146)

通常、目標のレベルは、自分が全力を出し切って達成できるかどうか、5分5分位の目標、つまりストレッチ目標が良いとされている。

しかし、その考え方が常識だとすると、トヨタのとんでもない目標の与え方は非常識である。

ところが、その一見非常識で無謀な目標が、発想の転換を生み出すという。

それもまた正しい考え方であろう。

とんでもない目標を与えられた場合、これまでの考え方の延長線上では達成はできない。

発想を根本から変えていかなければ達成はできないだろう。

つまりゼロベースからの発想が求められる。

おそらく狙いはここにあるのだろう。

しかし、このとんでもない目標を与えるのには前提条件がある。

それは、とんでもない目標であっても、絶対達成しようとするマインドである。

このマインドがあるから、このような目標設定が生きて来る。

つまり普段からカイゼンを続け、それが企業の文化にまでなっているトヨタだからこそ通用する目標設定だと考えられる。

そのような文化や習慣のない企業で、このような目標を社員が与えられたら、最初からできないとあきらめたり、あるいはつぶれてしまうことだろう。

ここに難しさがある。

2010年9月10日 (金)

しがみつかない生き方/香山リカ

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“パンのため”であれば仕事にも身が入らないか、というと、それも違った。この仕事を失ったら今月から暮らせないと思うと、かえってそれなり真剣になる。また、仕事そのものが「本当に好きなこと」とは違っていたとしても、その中である程度長くやっていると、だんだん技術がついていく、まわりの人からも認められたり頼りにされたりする、という別の喜びが味わえる。しかも、たとえちょっとした失敗をしても、「これはしょせん本当に好きな仕事じゃないんだから」という逃げ道があるので、激しく落ち込まずにすむこともある。仕事と適度な距離を保つことができるので、燃え尽きずに長く続けることもできる。これは強がりでも何でもなく、私はある時点から「やりたいことを仕事にしなくてよかった。自己実現のためでなく、“パンのため”の仕事だからこそ、私はこうして続けられている」と思うようになった。(P128~129)

聖書に「人はパンのために生くるに非ず」という言葉がある。

確かに人は食べるためにのみ働いているのではない。

働くことによって、自己実現をしたり、生きがいを感じたり、達成感を感じたり、様々なものを得ることができる。

しかし、問題は、その順序である。

例えば、「好きなことを仕事にしなければ意味がない」と思い込んでしまうと、選択肢はどんと狭まっていく。

また仕事に就くたびに「自分の本当したかったことはこの仕事ではない」と転職を繰り返すことになる。

今、若い人たちが一つの仕事に定着しなくなったという原因の一つはここにあるような気がする。

つまり、仕事に「夢」だとか「自己実現」だとか、あまりにも多くのものを求め過ぎているのである。

しかし、自分の過去の経験を振り返ってみても、はじめは食べるために仕事をするものである。

食べるために必死になって仕事をしているうちに、仕事を通しての様々な発見をするようになる。

達成感を感じたり、充実感を感じたり、喜びを感じたり・・・

そのことによって、仕事は単に食べるためだけにやるものではない、と悟るようになる。

つまり順序が逆なのである。

「人はパンのために生くるに非ず」

確かにその通りである。

しかし、そのアプローチの仕方は、よくよく考えるべきである。

まずは目の前の与えられた仕事に全力で取り組むこと。

そうすれば、仕事を通しての何か新しい発見があるはずだ。

それが自己実現であったり、働く喜びであったり、人からの感謝であったり、するものだ。

そう考えると、今のキャリア教育、少し間違っているような気もする。

自分の適性をテストしたり、仕事とは自己実現のためにやるものだと教えたり、

何かミスリードをしているような気がする。

少し乱暴な考えのようだが、「目の前の仕事に全力で取り組むこと」

これが仕事を通して自己実現するための一番の近道のような気がする。

2010年9月 9日 (木)

客観力/木村政雄

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彼自身、大変なセルフ・マネジメント能力を持っています。どうしたら自分の賞味期限が伸ばせるか、いつも考えている。もちろん、人気タレントでそれを考えない人はいませんが、その中でも彼は、とりわけ緻密に戦略を練っているほうだといえるでしょう。

私が感心したのは、あるメモを見せてもらったときのことです。

彼がこっそり見せてくれたその紙は、芸能界の勢力分布を書いたマトリックスでした。彼も自分の本の中で書いていますが、そこには「知性」「ファッション性」「お笑い」といった項目がいくつかあり、どのタレントがどのあたりに位置しているかがズラリと書き込んである。それを見ながら、彼は自分が進むべき「抜け道」を探していたのです。(P74~75)

これは著者が吉本興業にいた頃の島田紳助についての話。

生き残り競走の激しい芸能界で、長年に渡ってトップの座を確保するのは、並大抵なことではない。

そしてそのために紳助は、緻密な戦略を練っていたという。

これはマーケティングにおけるポジショニングの考え方だ。

自分を生かせるポジションを探し、そこに自分を位置づけることにより、自分の競争優位性を保つというもの。

トップの座を保ち続ける人は、やはりそれなりの努力を目に見えないところでやっているものだ。

しかし、これはなにも芸能人に限ったことではない。

普通に会社で働くサラリーマンであっても、自分を生かせるポジションについて、いつも考える必要がある。

サラリーマンであっても、これからはサバイバルの時代である。

自分という商品価値を上げるためには、どうすれば良いのか、いつも考えることだ。

ポジショニングはその中でも非常に重要なポイントになると思われる。

2010年9月 8日 (水)

「まずい!!」学 組織はこうしてウソをつく/樋口晴彦

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社長がどれほど高尚な理念を伝えようとしても、中間管理職が自らの知恵を踏まえてそれを理解し、自らの言葉に置き換えて部下に伝達していく過程で、内容が微妙に変化してしまうのである。

その具体例として、平成19年に電力各社で事故やトラブルの隠蔽事件が相次いで判明した問題について、某社のコンプライアンス担当者から次のような話を聞いている。

平成14年に同様の隠蔽事件が発覚した際、同社では強い危機感を抱き、「一から出直そう」とトップが大号令をかけ、コンプライアンス意識の向上を訴えた。しかし、この理念がヒエラルキーの階段を降りていく間に、事なかれ主義の一部の中間管理職によって、「『過去』はもう忘れて『今後』をしっかりやればよい」と翻訳されて伝わった。その結果、未発覚の不祥事にはそのまま蓋がされ、一気に膿を出しきることができずに終わったため、5年後に再び糾弾を受ける事態を迎えたというのである。(P173)

言葉は人から人へと伝わる過程で、必ず変化すると思っていた方がよい。

人は言葉を自分の都合の良いように解釈し、受け止める。

つまり、言葉が人から人へと伝わるということは、必ずその過程で、人というフィルターを通っていく。

そして、人は必ずといって良いほど、自分に都合よく言葉を受け止める。

人の集まりである組織は、このことをよく考える必要がある。

特に経営のトップが自分の考えをを組織の末端まで浸透させようとする場合、このことを前提に、どうすればよいのかを考える必要がある。

経営者みずから、自分の言葉で全社員に語る場を設ける。

経営者の言葉を何らかの文書にして、何度も何度も社員の伝える。

クレドのようなものをつくり、浸透をはかる、等々。

世に優れていると言われている企業は、必ず何らかの形で、経営者が自らの考えを伝える努力と工夫をしているものだ。

逆に問題のある企業は、「俺はちゃんと言っただろう」と、伝えなかった人を責める。

そして、責任転嫁の連鎖が生まれ、風土は悪化し、結局何も変わらないということになる。

組織の中で言葉を正確に伝えるということは、それなりの覚悟と努力が必要だということを肝に命じておく必要がある。

その努力を惜しむトップに未来はないと思う。

2010年9月 7日 (火)

「管理職」のための七つの道具術/金津健治

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ある会社では、自分だけではどうしようもなくなった場合に、上司に「イエローフラッグ」の表題をつけてメールを送信することになっています。「助けてください。私だけではどうしようもありません」という意味で、上司はこのメールを見たら、すぐに部下のところに駆けつけます。

土台になっているのは、上司と部下の信頼関係と、次のような規範が確立されていることです。

「問題が生じるのは日常茶飯事。大切なのは後処理。大事にならないうちにリカバーすることがもっとも重要である」(P64)

問題は必ず起こるものだ。

重要な点は、この問題に対してどのように対処するのかということ。

その意味で、この会社のように問題が起こったときのルールを仕組み化することは非常に大切なことだ。

なぜなら、これによって、会社の問題に対する考え方、姿勢を示すことになるから。

言ってみれば、仕組み化することによって、会社は社員にある一定のメッセージを伝えているわけである。

この会社は仕組み化することにより、社員に「問題が生じるのは日常茶飯事。大切なのは後処理。大事にならないうちにリカバーすることがもっとも重要である」というメッセージを伝えている。

逆に、よく見られる傾向として、「問題が起こったら直ぐ相談するように」と言っておきながら、いざ、部下が上司に助けを求めると、問題を起こしたことをとがめたり、責めたりする上司がいる。

このようなことを一度でも経験した部下は、二度とこの上司に相談しないだろう。

そして、このようなことの積み重ねが社風をつくる。

こんな風土が定着してしまっている会社が多くある。

私たちはよく「あの会社は社風がいい」とか「悪い」とか言う。

しかし、社風とは明確な意思を持って創るものである。

そのための一つの方法は、会社の社員に対するメッセージが確実に伝わるように、仕組み化することである。

2010年9月 6日 (月)

これが答えだ!/カート・コフマン&ゲイブリエル・ゴンザレス=モリーナ

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才能はわれわれ全員に備わっている。何かの点で、われわれ一人ひとりに力を発揮させる生まれつきの素質だ。才能――繰り返し現れる思考、感情、行動パターン――が適切な役割を与えられたときにこそ、優れた成果が生み出される。重要なのは、それぞれの才能を最大限に活用できる役割を見つけることだ。(P61)

才能は、すべての人に備わっていると著者はいう。

そして、才能は「繰り返し現れる思考、感情、行動パターン」であると。

才能について、多くの人は間違った考え方をしているのではないだろうか。

「才能はごく一部の限られた人に与えられている」ものだと。

才能が自分には無いと思い込んでしまうのは、これまで、それにあった役割を与えられなかったからに過ぎない。

だとしたら、企業はいかに社員の才能を殺してしまっていることか。

そして、それによって、どれほど多くの人が自分の時間や人生を無駄にしてしまっていることか。

人にとって「働く」ということは人生の一部に過ぎない。

しかし、その一部は、実際にはかなり多くの部分を占める。

40年間、人が働くとすると、それは小さなことではない。

もし、働くことによって、自分の才能を生かすことができないとしたら、その人の人生は幸福といえるだろうか。

企業はもっと、すべての人に備わっている才能に着目し、ふさわしい役割を与えることに注力すべきだ。

2010年9月 5日 (日)

「顧客満足」の常識/武田哲男

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「サービス=無料」というのは、企業側の甘えでもあるわけだ。通常の企業努力をしないで顧客にアメさえ提供すれば売れるのだという安直な姿勢。顧客を中核にしているとはとても思えない。にもかかわらず、企業サイドでは未だに「顧客は無料のサービスを求めている」と思い込んでいるのだ。(P148)

サービスに限らず、目に見えないものにはお金を払わないという文化が日本にあるように感じる。

欧米では、ホテル等でサービスをしてくれた従業員に対してチップを支払うという習慣が根付いているが、日本でチップを支払うという習慣はない。

専門家のコンサルティングに対しても同様だ。

例えば、ある専門家からある問題に対して、貴重なアドバイスをいただいたとする。

おそらくそのアドバイスは、この専門家の長年に渡る研鑽や経験の蓄積によるものであろう。

しかし、そのアドバイスに対して、高額の報酬を支払うことに、抵抗感を感じる人がほとんどではないかと思う。

その人は、アドバイスをいただくことによって、自分だけの判断でやれば無駄な失敗をしたり、無駄な時間を費やしたりすることを回避してもらっている。

にもかかわらず、その価値を認められない。

サービスも目に見え、手で触ることのできる商品のように形のあるものではない。

目に見えないものである。

そして、目に見えないものに対しては価値を認められないという感覚が、サービスに対しても同様に働く。

しかし、日本はこれから先、サービスという目に見えない価値を提供することによって、他の国との差別化を図っていくという方向性をとっていかないと、勝ち残っていくことは難しいだろう。

そのためには、目に見えないものにはお金を払わないという文化を変えていくことだ。

2010年9月 4日 (土)

名経営者の至言/日経ベンチャー編

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個人のこだわりや我慢できないことを

仕事でも大事にしなければいけない。

柳井正 ファーストリテイリング会長兼社長(P32)

合理的でクールな経営者と見られがちな柳井氏だが、仕事では個人のこだわりや我慢できないことを大事にしなければならないと言う。

合理性と個人のこだわりとは、双方、相いれない考え方のように感じるのだが、

むしろ、それらの考えを仕事において同居させ、そこから独自の商品やサービスを生み出すことが成功のコツなのではないだろうか。

合理性だけでは、ビジネスは味気ないものになってしまう。

かといって、個人のこだわりだけで仕事をしても、それは単なる「オタク」である。

双方を自分の中でうまく調和させていくこと。

ここにビジネスを成功させるカギがある。

2010年9月 3日 (金)

継続的に売れるセールスパーソンの行動特性88/千田琢哉

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継続的に売れるセールスパーソンの会話のなかで最もよく出てくる単語はなんでしょうか。答えは「なるほど」です。「なるほど」は周囲を味方にする魔法の言葉です。

反対にドンマイ・セールスパーソンがよく使う言葉はなんでしょうか。答えは「でも」です。「でも」は周囲を敵にしてしまう悪魔の言葉です。

人は普段の口癖でその人の人生をすべて決めていきます。口癖が行動を創り、行動が未来を創ります。(P158)

普段なにげなく口にする言葉、

特に繰り返し私たちの口から出てくる口癖、

この口癖によって私たちは自分の人生を決めてしまっているという。

確かに、これは自分の経験と照らし合わせてみても当たっている。

著者は「なるほど」という言葉と「でも」という言葉を上げているが、

この言葉に物事を肯定的、積極的、前向きに捉える人と、

否定的、消極的、後向きに捉える人との瞬間的な反応の違いがあらわれている。

特に口癖は、無意識のうちに自分の口から出てくる言葉であり、自分の内側の姿勢をそのまま反映していることが多い。

その意味では、「人は普段の口癖でその人の人生をすべて決めていく」というのは当たっている。

逆に考えれば、自分の人生を変えようと思うならば、まず口癖から変えていくのが早道だということだ。

言葉は大事だ。

2010年9月 2日 (木)

ビジョナリー・ピープル/ジェリー・ボラス 他

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「もし、目にしたものが気に入らなければ、それを変えようと努力する。変えられなければ、それを見つめる視点を変えてみる。違った角度から見ることで、それを変えられるかもしれない。あるいは、その中に自分が活用できる何か好ましいものが見つかるかもしれない。というのも、その好ましいもの自体が内部からそれ自体を変えるかもしれないからだ。もし、世界は自分の望むように動いてくれないことがわかったとき、もし、どんなに努力を重ねても思い通りにことを進められないとき、そのときは、自分の見方を変えるべきだ。」(P77)

私たちは日々様々な現実の問題に直面する。

そのなかには、放置できないような問題もある。

しかも、自分の力ではどうしようもないことがある。

大事なことは、そのようなとき、どのように問題に対処するのかという点である。

自分の力ではどうしようもない問題に直面したとき、ほとんどの人はあきらめる。

しかし、あきらめたのでは、問題は残ったままだ。

そのとき、問題に対する見方を変えてみるというのもひとつのアプローチの方法ではないだろうか。

つまり、その問題を違った角度で見てみるということである。

どんな問題でも、自分にとって100パーセントマイナスの要素ばかりではない。

物事には必ず2面がある。

表から見えなかった部分が、裏からみることによって見えてくることがある。

問題に対する見方を変えることによって、思わぬ突破口が開けるかもしれない。

あるいは、問題そのものは解決しなくても、その問題のプラスの面を発見できるかもしれない。

そのとき、その問題は、もはや問題ではなくなっている。

大事なことは、問題を放置しあきらめる、という方法をとらないことだ。

2010年9月 1日 (水)

われら戦後世代の「坂の上の雲」/寺島実郎

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私の論点は、結局のところ日本の戦後が生み出したのは決して「柔らかい個人主義」ではなく「虚弱な私生活主義」ではなかったのか、とういことである。表層に漂う「やさしさ」の本質に踏み込んでいくと、「他者を傷つけたくないし、自分も傷つけられたくない」という精神状態に気づく。そして、対人関係に異常なほど敏感で、他者との距離感をとって自分に沈潜し、つねに心は寂しいというコミュニケーション不全症候につきあたる。「みんなしあわせになれたらいいのに」といったやさしげな感性は保有するが、どうすれば皆が幸福になれるかに関し、思考を深め、構想し闘うことはしない。自分の寂しさに酔いしれ、絶えず何か癒しを渇望するが、他者を大きく救う仕組みを模索するわけではなく、その意味で決して満たされることはない。渇望と孤独と不安の私生活の中で漂っているだけである。(P122~123)

個人主義と私生活主義の違いは何だろう。

前者が「いかに全体が価値を押しつけようとも、忽然として自分の思想・信念を貫いて対峙しようとする」のに対し、

後者は「そもそも全体に対する関心も意識もなく、ただ自分の私的時空間が確保されることに敏感な心情」と言えよう。

個の価値にこだわるという意味では似ているようみえるが、その生きる姿勢や考え方は真逆である。

しかし、多くの人は、私生活主義と個人主義を混同しているのではないだろうか。

ひどいのになると、自分さえよければ、他はどうなってもかまわないというのを、個人主義だと勘違いしている人すらいる。

これは単なる「エゴイズム」「わがまま」であって、個人主義ではない。

欧米の個人主義をみてみると、様々な問題はあるにしても、長い歴史に揉まれて築き上げられた、成熟した個の姿がみえる。

それに対して、日本人の個はあまりにも未熟だ。

今の日本人は私生活主義を一歩もでていないような気がする。

本当の意味で個が確立していないものだから、いつも一方の方向に流される。

マスコミの姿勢をみていても、あまりにも一方的だ。

そして、その偏ったマスコミの姿勢によって世論が形成される。

いったん、ひとつの流れができてしまうと、みんなそれに乗ってしまう。

ある種の危うさを感じる。

昔、「一億総白痴化」という言葉が流行ったが、今も同じだ。

「自分たちは個人主義なんかしゃない、私生活主義にすぎない」ということに気づくことが、はじめの一歩を踏み出すことにつながるのではないだろうか。

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