しがみつかない生き方/香山リカ
“パンのため”であれば仕事にも身が入らないか、というと、それも違った。この仕事を失ったら今月から暮らせないと思うと、かえってそれなり真剣になる。また、仕事そのものが「本当に好きなこと」とは違っていたとしても、その中である程度長くやっていると、だんだん技術がついていく、まわりの人からも認められたり頼りにされたりする、という別の喜びが味わえる。しかも、たとえちょっとした失敗をしても、「これはしょせん本当に好きな仕事じゃないんだから」という逃げ道があるので、激しく落ち込まずにすむこともある。仕事と適度な距離を保つことができるので、燃え尽きずに長く続けることもできる。これは強がりでも何でもなく、私はある時点から「やりたいことを仕事にしなくてよかった。自己実現のためでなく、“パンのため”の仕事だからこそ、私はこうして続けられている」と思うようになった。(P128~129)
聖書に「人はパンのために生くるに非ず」という言葉がある。
確かに人は食べるためにのみ働いているのではない。
働くことによって、自己実現をしたり、生きがいを感じたり、達成感を感じたり、様々なものを得ることができる。
しかし、問題は、その順序である。
例えば、「好きなことを仕事にしなければ意味がない」と思い込んでしまうと、選択肢はどんと狭まっていく。
また仕事に就くたびに「自分の本当したかったことはこの仕事ではない」と転職を繰り返すことになる。
今、若い人たちが一つの仕事に定着しなくなったという原因の一つはここにあるような気がする。
つまり、仕事に「夢」だとか「自己実現」だとか、あまりにも多くのものを求め過ぎているのである。
しかし、自分の過去の経験を振り返ってみても、はじめは食べるために仕事をするものである。
食べるために必死になって仕事をしているうちに、仕事を通しての様々な発見をするようになる。
達成感を感じたり、充実感を感じたり、喜びを感じたり・・・
そのことによって、仕事は単に食べるためだけにやるものではない、と悟るようになる。
つまり順序が逆なのである。
「人はパンのために生くるに非ず」
確かにその通りである。
しかし、そのアプローチの仕方は、よくよく考えるべきである。
まずは目の前の与えられた仕事に全力で取り組むこと。
そうすれば、仕事を通しての何か新しい発見があるはずだ。
それが自己実現であったり、働く喜びであったり、人からの感謝であったり、するものだ。
そう考えると、今のキャリア教育、少し間違っているような気もする。
自分の適性をテストしたり、仕事とは自己実現のためにやるものだと教えたり、
何かミスリードをしているような気がする。
少し乱暴な考えのようだが、「目の前の仕事に全力で取り組むこと」
これが仕事を通して自己実現するための一番の近道のような気がする。
« 客観力/木村政雄 | トップページ | トヨタ流プロの仕事術/石井住枝 »
コメント