« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月の30件の記事

2010年10月31日 (日)

“超現場主義”のすすめ/上野和夫

Img057

 顧客不満足に結びつく出来事の多くは、日々現場で起こっています。一方、そうした「現場の人災」の多くは、経営者の姿勢、組織の風土、人員構造、コミュニケーションや業務運営のシステムなど、企業文化や経営の仕組みそのものに起因しています。すなわち、これらの問題はひとえに経営の問題だということです。
 ところが、こうした経営のインフラが、根本的に、顧客最優先という会社のミッションを支えるものになっていないことが多いのです。だから、いくら本部も現場の管理者も「なぜそんな簡単なことができないのか」と現場のスタッフを叱責しても、その場限りの“もぐら叩き”をしているようなもので、すぐまた元に戻ってしまうのです。
 強い現場をつくるためには、お客さまとの接点で毎日起こっているどんな小さな出来事にも目をづぶってけいけません。経営陣が、お客さまとの接点で日々起こっている事件を「そんなことは現場の問題だ」と捉えるか、「経営にとって最も屈辱的で危険なこと!」という視点で直視するかで結果はまったく異なることになるでしょう。(P20)

顧客の接点である現場で起こっていることはすべて経営の問題だ。

この感覚をどれだけの経営者がもっているのだろう。

経営の問題とは、財務諸表の数値をよくすることではない。

P/LやB/Sの数値は、現場の社員がどれだけ頑張ったかの結果数値であって、問題はすべて現場で起こっている。

近年、顧客の要求は多様化してきており、多くの企業で従来のやり方は通用しなくなってきている。

すべての人に対して一律のサービスを提供するという従来のやり方は、段々通用しなくなってきている。

現場の人間が本当意味でプロになり、オーダーメイドのサービスを提供できるようにならなければ、もはや競争に打ち勝っていくことはできなくなってきている。

そのためには、まず経営者が変わるべきだろう。

2010年10月30日 (土)

渋沢栄一『論語と算盤』が教える人生繁栄の道/渡部昇一

Img046

 いかなる仕事をするときも趣味を持たなくてはいけない、と渋沢はいいます。この趣味とは、仕事の他に何か楽しみを持つという意味ではありません。心の底から自分の仕事を好きになり、「この仕事はこうしてみたい」「こうすればこうなるだろう」というように、理想や欲望を加えていくことをいっています。
 これはまさに「論語」雍也篇にある
 「之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず」
 という孔子の言葉と同じです。
 仕事でも勉強でもよく知っているのはいいことだが、それが好きだというのには及ばない。好きであるのはいいのだが、それを楽しむのには及ばないつまり、仕事でも勉強でも楽しむ境地にまで達すれば本物で、これが趣味の極致なのです。仕事であれば、それを楽しむ境地に至れば一流の経営者となり得るでしょう。(P152)

 

いかなる仕事をするときも趣味を持たなくてはいけない。

この言葉を、そのまま受け止めるならば、「仕事以外に趣味を持ちなさい」という意味になる。

ところが、そうではなく、本当の意味は、仕事を好きだけでなく仕事を楽しむようになれば本物だということ。

仕事を楽しむ、この感覚が持てるようになることが一流になる秘訣だということ。

一代で500もの会社を創ってきた、渋沢栄一だからこそ言える言葉だろう。

そして、おそらく渋沢氏は、本当に仕事を楽しんでいたのだろう。

楽しむということは、楽をするということではない。

スポーツの世界でも、楽しさというものは、とことんまで勝ちにこだわり、ギリギリの勝負をしているときに、味わうものである。

楽しむとはこういうことだ。

同様に、仕事を楽しむということは、仕事をいい加減にやるとか、仕事でどんな成果を出すのかということは無視して良いということではない。

そうではなく、とことん成果にこだわり、仕事に打ち込みのめり込む。

このような状態が「楽しむ」ということではないだろうか。

そう考えると、仕事を楽しんでいる人は、どのくらいいるのだろう、と考えさせられる。

2010年10月29日 (金)

「一人がこわい」の心理学/町沢静夫

Img040

 昨今、私どもの外来には多くの若い女性たちがやってきます。そんな中、ふと気づいたのは、結婚もしていないのに男性といっしょに来る女性が増えているということです。付き添いの男性は、診察室にも平然といっしょに入ってきて、私に何のあいさつもなく、自己紹介もせず、ただ彼女の後ろに影のように座って、彼女が言うことを聞いているのです。
 しかも、彼女の訴えというのは、こうです。
 「いつも彼が自分のそぱにいてくれないとさびしいし、つらい。彼がちやんと自分のマンションに帰ってきてくれるのだろうかと思うと、いつも不安で耐えられないのです」
 もう二三、二四歳になるこの年齢で、「彼が帰ってくるかどうか不安で不安で」というのは、さすがに私も頭を抱える問題で、苦笑いをせざるをえません。
 また、彼や彼女と連れだっていない場合は、親が必ず付いてくる。親は、患者本人が四〇歳になっても付いてきます。
 このような風景を、私はアメリカでは一度も見たことがありません。自分の問題は親にも友達にも頼らず自分で解決しようとする意気込みが、日本人にはいささか欠けていると言わざるをえません。(P13~14)

企業が求める人材像としてよく出されるのが、「自立(律)した社員」というのがある。

自分で考え行動し結果を出せる社員という意味だが、

では、そのような人材を送り出す家庭や学校では、どんな人が育ってきているのか、

この点を、よくよく考えるべきだ。

町沢氏によると、一人では何もできない人が増えているという。

これは、自立どころの話ではなく、もっと低次元の話である。

そして日本社会全体の問題である。

こう考えてくると、一個人、一企業の取組みではどうにもならない、問題の根の深さに気づかされる。

2010年10月28日 (木)

感動をつくれますか?/久石譲

Img029

 作曲家として最もプライオリティを置いていることは何ですか?」と問われたら、僕は迷わず、「とにかく曲を書きつづけること」と答える。
 ものをつくることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ。生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる。小説だって書けるし、映画だって撮れる。必要最低限のスキルを身につけて本気で取り組めば、どんな人でも立派な作品を生み出すことができる。だが、仕事は“点”ではなく“線”だ。集中して物事を考え、創作する作業を、次へまた次へとコンスタントに続けられるかどうか。それができるから、作曲家です、小説家です、映画監督ですと名乗って生きていける。
 優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のことである。
 さらにいえば、プロとして一流か二流かの差も、力量を維持継続していけるか否かにかかっている。
 一流とは、ハイレベルの力を毎回発揮できることだ。(P20~21)

一流とは何か?

この問いに対して、久石氏は「ハイレベルの力を毎回発揮できること」と言っている。

これはそのまま、ビジネスパーソンに置き換えることができる。

成果主義が批判の的になる理由の一つも実は、「成果だけで人の価値が計れるのか」といったものから来る。

たとえば、営業マンが高い売上をあげたとする。

これにはいろんな要素が入り交じっている。

周りのサポートがあった、

環境が追い風だった、

前任者が既にもう少しで契約というところまでやっていて、それを引き継いだ、

たまたま運が良かっただけ、

等々、様々だ。

こんなあやふやなもので人を評価してもいいものだろうか?

そのような疑問が残る。

しかし、同時に、結局、仕事は結果で評価されるというのも一方の事実である。

これらをどう考えるかだ。

それ故に、高い業績を継続して上げ続ける人であれば、それは評価に値する。

好業績を上げ続けるには、やはり運だけでなく、実力が不可欠だからだ。

つまり「仕事は“点”ではなく“線”だ」という言葉に集約されるように感じる。

2010年10月26日 (火)

ニッポン・サバイバル/姜尚中

Img024

 もちろん人によっては何か夢や理想を持って、「将来は看護師になりたい」とか、「弁護士になるんだ」とハッキリとした意志を持てる人たちもいますが、自分と仕事との必然的な結びつきというのは、そうは簡単に得られるものではありません。
 では、実際「どうしたら自分に合う仕事がみつかるのか?」ですが、私が思うに、これは多くの場合“偶然”です。
 私自身もそうでした。仕事について、真面目に考えたことなんてほとんどなかった。大学を出たけれど、就職ロがなかったから仕方なく大学院に行ったのです。大学院に行っている間に博士課程まで行ってしまったから、後戻りできない。戻れないから前に進むしかない。そんなとき、たまさか幸運な出会いがあったり、偶然が働いたりして、今の仕事ヘとたどり着いたわけです。私にとっては、まさに僥倖でした。
 大切なことは、偶然でもいいから、ある仕事と出会い、その仕事がほかならぬ“自分の仕事である”と思えるような動機づけをどうしたら獲得できるのか、ということです。最初は偶然であっても、それを自分の仕事にしていくことによって、「この仕事と自分とは何か目に見えない糸で結ばれているかもしれない」とだんだん納得していく。仕事とはそういうものだと思います。
 動機づけを身につける方法は、人それぞれです。人との出会いが自信をもたらしてくれるかもしれないし、ひとつの成功がきっかけになるかもしれない。
 ただいずれにしても、「自分の仕事である」と思えるようになるまでには、ある程度、時間がかかります。たとえば大学で職を得ようとしても、人にもよりますが、ヘタをすると五年十年と時間がかかる。(P60~61)

今、どうしてこの仕事をしているのか?

このように問われたとき、多くの人は“偶然”と答えるのではないだろうか。

自分自身、今は人事コンサルタントの仕事をしている。

しかし、若い頃から、この仕事をやろうとして、目的合理的に計画的にキャリアを積み重ね、その結果として人事コンサルタントになったのかと問われると、決してそうではないと答えざるを得ない。

あえていうならば、それは“偶然”である。

それ意外の何物でもない。

大切なことは、偶然でもいいから、ある仕事と出会い、その仕事がほかならぬ“自分の仕事である”と思えるような動機づけをどうしたら獲得できるのか、ということである。

それを考えると、どうしても不可欠な要素がある。

それはその仕事が好きであろうか、嫌いであろうが、とにかく早急に「自分に向いていない」と判断しないで、“続けること”である。

“続けること”これによって、仕事における多くの問題が解決するような気がする。

問題の解決法、

これは意外なほどシンプルである。

2010年10月25日 (月)

知らないと恥をかく世界の大問題/池上彰

Img018

私なりの「その国が発展するかどうかの見方」を、お教えしましょう。
それは街に大きな書店があり、そこに若者が大勢いるかどうかなのです。
もう9年前になりますが、ベトナム、ラオス、タイなどの東南アジアを取材で回ったことがあります。ベトナムのホーチミン市には大きな書店があって、若者たちが大勢、本を探していました。夏の真昼のみやげもの店にはあまりお客さんは来ませんから、みやげもの店で働く若者は店番をしながら一生懸命に本を読んでいました。
ほかの東南アジアの国々の人はたいてい昼寝をしているのに、ベトナム人は違う。「この国は発展するだろうな」と予感したものです。(P17~18)

資源には「物的資源」と「人的資源」がある。

即効性という意味では、物的資源が豊富であるほうが、とうぜん国は豊かになる。

しかし、将来への投資という意味では、人的資源に注力することは重要だ。

著者である池上氏は、国の発展という視点で述べているが、企業の発展という面からみても同様のことが言える。

特に不況のとき、何に投資するかで、その企業の将来の発展が決まるように思える。

不況になると企業は無駄を省こうとする。

それは当たり前のことだが、その優先順位に、その企業の考え方が如実に表れる。

教育研修費を真っ先に削ってしまう企業、逆に不況になっても、社員の教育研修だけは続ける企業。

これによって、いざ不況が終わったときの回復力、発展力に差が生じる。

その意味では、不況である現在は企業を見極めるよい機会だと考えることができる。

2010年10月24日 (日)

なぜ日本人は劣化したか/香山りカ

Img011

実は、「自分だけ勝てれば」という新白由主義的な考え方に基づく排除型社会では、結果的に損失のほうが大きくなるのではないか、という仮説が最近、提唱されている。

そのひとつ、目産自動車で長らく人事に携わる舘岡康雄氏の「利他性の経済学」の帯には、こうある。「人も、企業も、国家も、もはや自己の利益を追求するだけで最大の利益をあげることはできない」。自己の利益のみの追求をヒューマニズムの観点から批判するのではなく、それじたいが最大利益には桔びっかないものであることを明らかにできれば、新自由主義の考え方にも矛盾することなく「他社への支援が必要」というアウトプットを導き出すことができる。(P166)

自己の利益のみを追求するのみでは、最大の利益を得ることはできない。

これはあらゆる場面で当てはまる。

自己の利益のみを追求する姿勢は、最終的にはその本人の首を締める。

わかりきったことなのだが、実際には自己の利益のみを求める人は後を断たない。

どうしてなのか?

一つの原因は、想像力の欠如ではないだろうか。

自己の利益を追求し続けることによって、周囲でどんなことがおこるのか?

そして、それが回りに回って、どのように自分に返って来るのか?

このような想像力を持つことができるならば、自己の利益を追求し続けることが、結局は自分の首を締めることになることに気づくはずだ。

「利他の精神」は、ヒューマニズムとしてではなく、損得計算という面から捉えても、極めて合理的考え方だとわかる。

そして、そのようなアプローチの方が納得感があるような気がする。

2010年10月23日 (土)

実践する経営者/P.F.ドラッカー

Img979

これらすべての例において、望んでいた成果は、新奇なことを行うことによってではなく、行うべきこととして前々から知られており、業務マニュアルにも載っており、広く説かれてはいたが、実際には、ほとんど行われていなかったことを行うことによって得られた。(P195)

いわゆる「当たり前のことを当たり前のこととしてやる」ことがいかに重要か、ということである。

これはビジネスの世界だけではない。

スポーツの世界でも、強いチームとは、当たり前のことを当たり前のこととしてやっている。

優れた選手は、当たり前のことを当たり前のこととしてやっている。

それが強いチームであり、優れた選手である。

企業においてもまったく同じである。

強い会社とは、当たり前のことを当たり前のこととしてやる経営者がおり、

当たり前のことを当たり前のこととしてやる社員がいる会社だ。

決して、他社と差別化したすごい戦略をもって勝ち続けている会社ではない。

確かに戦略によって差別化している会社も存在する。

しかし、今の時代、優れた戦略はすぐに競合他社に真似されてしまう。

しかし、すぐに真似できないものがある。

それは、当たり前のことを当たり前のこととしてやるという組織能力である。

なぜなら、そのような組織にするには長い時間がかかるから。

そして徹底して行動を変えることが求められるから。

企業はもっとこの点に目を留めるべきだろう。

2010年10月22日 (金)

ドン・キホーテ 闘魂経営/安田隆夫

Img962

結局、開店1年ほどして、私は教えるのをあきらめた。あれほど教えてもダメなのだから、そもそも教えるという行為自体が無意味なのだ。そう結論づけざるを得なかった。

でも教えなければ従業員は動かない。もちろん当時のドン・キホーテには、いちいち指示しなくてもオーナーの意を汲んで動く“できる”社員など一人としていない。ではどうすればいいのか・・・・。「もうダメだ、やめよう」と思ったことも一度や二度ではない。しかし悩みに悩んだ末、私は開き直った。「教える」のではなく、それと反対のことをした。「自分でやらせた」のである。

それも全部任せた。従業員ごとに担当売場を決め、仕入れから陳列、値付け、販売まですべて「好きにやれ」と、思い切りよく彼らに丸投げした。正直なところ、「どうにでもなれ」と半ばヤケクソだった。

「任せた」と言われ、当初は面食らっていた店のスタッフたちだが、本当に自分で好きにやってもいいと分かるや次第に目を輝かせ、それまでと打って変わって生き生きと仕事をするようになった。

これがドンキ流経営の要中の要、「権限委譲」の始まりだ。と言えばカッコいいが、もうお分かりのように、これもまた苦肉の策による「後づけ」である。(P60~61)

人は任せられることによって、自ら考え、動き、成長するようになる。

これはよく言われることだが、実行するとなると難しい。

やはり、社長から見た社員、上司から見た部下は、

いつまでたっても半人前であり、

ことあるごとに口出しをしたくなる存在だからである。

任せるためには、この大きな壁が立ちふさがる。

では、この壁を乗り越えるには何が必要か?

ドン・キホーテの創業者である著者は、「どうにでもなれ」とヤケクソだったと述べている。

つまりそうせざるを得ないところまで追い込まれたということであろう。

しかし、人が何か大きな決断をする場合、ある意味、ヤケクソになるということもあるのではないだろうか。

人にはそれぞれ過去の経験がある。

そして、すべて目の前の出来事を、そのモノサシを基に判断する。

しかし、そのモノサシを捨てない限り、新しい第一歩を踏み出せないことが起こる場面がある。

そのとき、そのモノサシを捨てることができるかどうか、

そのためのキーワードがヤケクソだったとしても、それも有りだと思う。

2010年10月21日 (木)

「超」一流の自己再生術/二宮清純

Img928

私は「敗者」にさして魅力を感じない。翻って「勝者」はいつも魅力的だ。

なぜなら「勝者」とは、いつ、どんな場面においても、「敗者」よりも思索を巡らせ、工夫をこらし、相手よりも一歩でも先んじようと努力を怠らなかった人たちのことをいう。結果としての「勝利」とは、神がそっと与えた褒美であり、次のステージに進むためのパスポートという言い方もできる。

ところが、この国では「敗者の美学」という言葉が肩で風を切るように公道を闊歩し、勝因や敗因を分析する根気のいる作業よりも、責任を放棄したようにすら思える感情の発露の方に、なぜか支持が集まる。

すべて水に流そう・・・。

この国特有の考え方がある。何か不祥事が起きると、決まって誰かが神妙な面持ちで「あの人ひとりの責任ではない」と発言し、最後は「全員で反省しなければならない」という、まったくナンセンスな結論に落ち着く。(P5)

「敗者の美学」とはこの国特有の考え方のようだ。

しかし、問題はこのような考え方の故に、失敗の原因が究明されることなく、放置されてしまうことにある。

考えてみれば「水に流す」という言葉にも、原因を曖昧にしたまま放置する考え方が滲み出ている。

言葉はその国の文化を表すという。

このような言葉があるということは、日本人の中には、そのようなことを良しとする考え方が根本に流れているということであろう。

つまり、日本人の中には、敗戦や失敗の原因をとことん追求し、究明し、次に生かすという体質、気質がないのかもしれない。

むしろ、原因を厳しく追求しようとすると、どこからともなく、「そこまでしなくても」「もう本人は反省しているんだから」「もう終わりにしましょう」という声が上がって来る。

高度成長期のように、何もしなくても儲かる時代であればそれでもよかったかもしれない。

小さなことにはめくじら立てず、すべてを水に流し、横一列で企業は大きくなってきた。

しかし、時代は変わった。

もうそろそろ、このような文化から脱却すべき時ではないだろうか。

2010年10月20日 (水)

成功はゴミ箱の中に/レイ・クロック

Img937

やり遂げろ――この世界で継続ほど価値のあるものはない。才能は違う――才能があっても失敗している人はたくさんいる。天才も違う――恵まれなかった天才は諺になるほどこの世にいる。教育も違う――世界には教育を受けた落伍者があふれている。信念と継続だけが全能である。(P321)

マクドナルドを世界的な企業に成長させたレイ・クロック。

そのクロック氏が一番大事だと考えていることが「信念と継続」だという。

一つの信念をもってやり続け、やり遂げること。

これほど価値のあるものはない。

成功した経営者であるクロック氏のこの言葉は非常に重いものがある。

そしてシンプルである。

この世には、様々な経営者がいるが、経営者である以上、それなりの話をする。

問題は、その話している内容を自らがやり遂げるまで継続して実行し続けているかである。

結局、成功するかどうかはこの点にかかってくるのだろう。

2010年10月19日 (火)

あなたの部下に「大きな魚」の釣り方を教える方法/ローリー・ベス・ジョーンズ

Img917

真のリーダー、チームビルダーになるための究極の試練は、〈開花させる〉ことに尽きる。

学校へ子供を送り出す親たち、入学試験に向かう生徒のために最後にドアを開けてあげる教師、自分の軍隊を戦場に送り出す少佐や大佐など、みんな解放の心の痛みや苦しみを経験している。

「できるだけのことをしてあげただろうか」

「彼らに十分教えられただろうか」

「どんな不測の事態にも備えてきただろうか」

別れの気持ちが深まるにつれ、跳ね返って来る思いなのである。

しかし実際、解放しないのは究極の裏切り行為である。

チームビルダーの仕事は、いつでも最終的に昇華させてあげること。

やる気も出た、基礎固めは済んだ、変身も遂げた、解放するときが目の前に来たのだと信頼して送り出すことが大事なのである。「なぜなら、私はあなたからいただいた言葉を彼らに与え、そして彼らはそれを受け入れた」[ヨハネによる福音書]

イエスは自分の弟子たちをさまざまなやり方で解放した。彼らの才能を解放したので、彼らは妨げられることなく自由に動くことができたのだ。(P166~167)

リーダーの究極の試練は「開花させる」ことに尽きる。

わかっていても、このことができるリーダーは多くはいない。

たとえば、企業経営者というリーダーについて考えてみると、

過去、多くのカリスマ経営者と呼ばれた人物が、晩節を汚してしまっている。

原因の一つは、次のリーダーへのバトンタッチに失敗したことによる。

あるいは、バトンタッチをしたかに見えて、実は影で権力を握り続け、経営に絶えず口を挟む経営者もいる。

つまり、任せられないのである。

いったん次の人をリーダーとして立てたならば、自由にやらせるべきである。

決して口を挟まないこと。

口を挟んだら「開花させる」ことはできない。

真に、これこそがリーダーとしての究極の試練である。

2010年10月18日 (月)

戦略思考トレーニング/西村克己

Img903

北条時宗の偉業は蒙古襲来から日本を守ったことにあると言われています。北条時宗は二度目の蒙古襲来に対して、対策を着実にすすめていました。それは上陸を妨げるための巨大な石垣です。海岸側から高さ3メートルの石垣を作ります。上陸しやすい砂浜を石垣で完全に包囲しました。日本側は石垣の上から攻撃することで、蒙古軍が日本に上陸することを妨げたのです。

二度目の蒙古襲来では、石垣により約70日間蒙古軍を海に立ち往生させました。そしてついに台風が来たのです。翌朝には蒙古軍は退散したと言われています。つまり神風は偶然タイミングよく起きたわけではありません。長期間滞在させ、海上に足止めすることができたために成し得た偉業なのです。

台風が神風になるためには、水面下で相当の努力があったわけです。偶然では神風は吹きません。運も自分で引き寄せなければこちらを向いてくれません。(P128~129)

神風が吹くのをただ待っているのと、神風を自分で引き寄せるのとでは雲泥の差がある。

世に成功者と呼ばれている人たちの話を聞いていると、よく「自分は運が良かっただけだ」という話をする。

しかし、その話を表面的に受け止めるべきではない。

おそらく、それらの人々は、運を引き寄せるための相当な努力をしているに違いない。

それを、ただ言葉を表面的に受け止め、運が向くのを待っていても、決して成功することはできない。

むしろ、「運が良かった」という言葉の裏に隠されているものは、物事に対する謙虚さではないだろうか。

つまり、何かで成功するためには、努力だけではどうにもならないことがある。

精一杯に努力し、その上に運が重なった時、成功する。

ところが、多くの成功者は、その「努力」の部分をあまり話したがらない。

しかし、私たち凡人がまねすべきところは、その隠された努力の部分だ。

黙って神風が吹くのを待っているのか、水面下で努力を積み重ね、神風を引き寄せるのか、どちらの道を選ぶかである。

2010年10月17日 (日)

人材論/樋口廣太郎

Img888

先見性のあるリーダーとは、別の言葉でいえば、「夢」を語れるリーダーということです。どんな逆境にいても、夢さえ持っていれば人は前向きに生きていくことができます。

戦後の日本人が、ひどん貧しさにもかかわらず旺盛なバイタリティを持って働き、世界史の中でも類を見ないほどの急速な経済成長を達成できたのも、いつか必ず欧米に追いついて豊かな暮らしをしたい、いや、必ずできるはずだ、という夢を胸に抱いていたからにはほかなりません。

私がアサヒビールで最初にやらなければいけなかったのも、まさに「夢」を語ることでした。私がアサヒの社長に就任したのは、1986年のこと。

当時は、ビール業界そのものがマイナス5パーセントという戦後最大の落ち込みを記録していた時期で、その中でもアサヒビールは年々シェアを落とし続け、85年には一ケタ台(9.6パーセント)まで落ち込んでいました。世の中がバブルを迎えようとしているとき、すでにアサヒビールはどん底とも言える逆境に直面していたわけです。

でも、そんな状態だからこそ、語る夢は大きければ大きいほどいい。だから私は、「15年でキリンビールに追いつき追い越そう」と言ったのです。(P70~72)

リーダーは「夢」を語るべきである。

そして、今のリーダーはあまりにも夢を語らなくなってしまっている。

確かに今、多くの企業が危機に局面している。

円高、株価下落、デフレ、少子化、等々・・・

悪い材料はいくらでもある。

しかし、現実はどんなに厳しくても、リーダーの語る夢によって、人は勇気づけられ、希望を持って目の前の仕事に取り組めるようになる。

樋口氏がアサヒビールの社長に就任した当時、状況としては最悪だった。

もはや存続を危ぶまれていたアサヒビール、

そんな中で「15年でキリンビールに追いつき追い越す」というのは夢物語であったろう。

しかし、その夢を語れるかどうかが、優れたリーダーになれるかどうかの分岐点だと思う。

当時のアサヒビールの置かれていた状況から、これと同じような逆境に置かれている企業のリーダーがやるべきことが見えて来る。

リーダーはある意味、リアリストである必要がある。

やはり現実はしっかりと見据える必要がある。

しかし、現実を見据えた上で、リーダーは「夢」を語るべきである。

政治家であっても企業のトップであっても、今、「夢」を語っているリーダーはどの位いるのだろう。

2010年10月16日 (土)

「買いたい!」のスイッチを押す方法/小坂裕司

Img868

つまり彼は自分の未来を、いや単に「未来」でなく、「予期せぬ新しい」、そしてもちろん自分にとってお気に入りの「未来の自分」を買ったのだ。

現代の消費者が求めてやまないもの、それは「未来の私」なのである。(P78)

日本は今、デフレである。

物の値段がどんどん下がっていく。

この状態がどんどん進んでゆき、デフレスパイラル に陥ってしまうこと、

これは決して喜ばしいことではない。

ここで問題になるのは、消費者の心理である。

消費者は安くないと買わないのか?

不況になると物は売れなくなるのか?

この本の著者である小坂氏は、消費者は、欲しいものがあれば、人は高くても、不況でも買うのだ、と言う。

問題はどうやって、消費者の購買動機を刺激するかという点だと。

ここで小坂氏は、消費者は「物」を買うのではなく、その物を買うことによって得られる「未来の自分」を買っているのだと言う。

確かに、私たちが何かを買うとき、それは単なる「商品」を買うのではなく、その商品を得ることによって得られる「未来」をそして、「未来の自分」を買っている。

つまり、「モノ」ではなく「私」を買っているのである。

ここまで想像力を働かせて、どんなモノをどんな方法で売るのかを考える必要があるということであろう。

終わりのない値引き競争に巻き込まれたくないのであれば、この視点は重要である。

2010年10月15日 (金)

どんな仕事も楽しくなる3つの物語/福島正伸

Img853

仕事の内容に振り回されるのではなく、そこに意味を見出すことで、生きがいをつくり出すことができます。

仕事から感動を得られるかどうかは、仕事そのものの内容以上に、仕事にどれだけ自分なりの意味を見出すことができるかどうかで決まります。

つまり、自分なりの意味を見出すだけで、日々の人生が輝きだすのです。自分の仕事に意味を見出した瞬間から、仕事が楽しくなっていきます。それは、今、この瞬間からできることなのです。(P62)

仕事の内容に振り回されるのではなく、そこに意味を見出す。

これができるかどうかで、仕事のやりがいや、生きがいが決まる。

とかく私たちは仕事の内容に目が向いてしまう。

面白い仕事なのか、面白くない仕事なのか、

あくまで仕事の内容に注目しがちだ。

しかし、世の中、面白い仕事など、それほど多くはないのが現実だ。

にも関わらず、私たちの周りには、生き生きと仕事をしている人たちがいる。

おそらくそれらの人々は、仕事に自分なりの意味を見出しているのだろう。

「自分なり」でよい、場合によっては「思い込み」であってもよいと思う。

そこに「意味を見出す」ことだ。

2010年10月14日 (木)

コトラーのマーケティング理論が面白いほどわかる本/宮崎哲也

Img846

コトラーは、世界的なホテルチェーンであるマリオット・ホテル会長の発言をあげて、インターナル・マーケティングの重要性を訴えています。会長は、同社の目標は顧客、従業員、株主の三者を満足させることであり、その中でもまずは従業員を満足させるべきである、と述べています。(P122)

以前、「会社は誰のものか」という議論が盛んに行われた時期があった。

商法でいえば、株主のもの。

オーナー経営者である中小企業の社長は、おそらく「俺のものだ」と言うだろう。

しかし、コトラーは「インターナル・マーケティング」の重要性を訴えている。

インターナル・マーケティング、つまり顧客により良いサービスを提供したいと望む社員を採用して、情報を共有化し、高いモチベーションを与えるマーケティングである。

顧客に対するマーケティングの前に、社員に対するマーケティングをせよ、ということ。

ES(従業員満足)もその中に含まれるであろう。

社員に満足感を与えることにより、顧客にも満足を与えることができる。

当たり前の話だが、このことを実践している企業は本当に少ない。

ESをスローガンのように掲げている社長はいるが、実態が伴っていない場合、これはかえって社員をしらけさせ、マイナスとなる。

社員は社長が本気でそのことを言っているのかどうか、すぐに見抜くからである。

結局、インターナル・マーケティングを成功させる第一の要素は、経営者の覚悟ではないだろうか。

2010年10月13日 (水)

電通「鬼十則」/植田正也

Img837

物と物がぶつかれば、必ずそこには熱エネルギーが発生する。これは、自然科学の大法則である。

人が何か新しいことをやろうとすれば、必ず反対する人がいる。不思議なことだが、何か革新的なことを実行しようとすると必ずと言っていいほど、20%の熱烈な支持賛成者と20%の強硬な反対者が出る。

それでけではない。利害関係が必ず生ずるから、利益にならないと思う人は、反対するばかりか妨害する。これを恐れてはいけない。だから摩擦を当然と思うことだ。イノベーターたらんとすれば、摩擦を楽しむくらいの心構えが不可欠である。(P189)

私の仕事は人事コンサルである。

企業の人事制度改革をしようとしたり、あるいは新しい研修制度を導入しようとすると、必ず抵抗勢力と呼ばれる人たちの反対にあう。

もうこれは「必ず」と言ってもよい。

その時、いつも思うのは、反対者が出るということは、それだけ組織にインパクトのあることをやろうとしているからであって、むしろ喜ぶべきことだということだ。

むしろ、一人も反対するものが出ないということは、組織にとってあまりインパクトのないことをやろうとしているのだ、と考えるべきだ。

大事なことは、本質は何かということを常に考えること。

その意味で、摩擦を楽しむという心構えは大事だ。

2010年10月12日 (火)

戦略の本質/野中郁次郎・他

Img823

サダトのきわめて明確かつ非凡な戦争目的の確立について、時の米国国務長官ヘンリー・キッシンジャーは、自著『火を噴く中東』で次のように述懐している。

「要するにサダトの目標は、軍事的というより、はるかに心理的、外交的なものだった。サダトは、自分の国家安全保障顧問、ハフィズ・イスマイルと私の1973年初めの2回にわたる秘密会談から、アメリカが、アラブ・イスラエル紛争の外交解決に加わる用意があることを知っていた。しかし、彼は2つの結論を下したに違いない。第一は、イスラエルの占領地からの全面撤退というアラブ全体の要求は達成不可能であり、第二は、ただちに実現できる程度のことでは弱さの結果だとみなされてしまうので、エジプトとしても支持できないということだった。

そこでサダトは、占領地の奪還のためではなく、エジプトの自尊心を回復し、外交の柔軟性を増やすために戦争をしたのであった。開戦時において、戦争の政治目的をかくも明確に認識していた政治家はまれであった。ましても、戦いの後で、穏健路線を造り出すための戦争となれば、なおさらまれなことであった」(254)

第四次中東戦争の後、アラブとイスラエルは和平を結んだ。

その和平は、エジプトの自尊心を回復し、外交の柔軟性を増すものでなければならなかった。

当時大統領だったサダトは、そのような和平を結ぶがために戦争を決断した。

振り返ってみれば、非常に政治的な戦争であったということ。

戦争の目的といえば、「勝つこと」と思ってしまいがちだが、サダトはそのことを目的として戦争をはじめたのではなかった。

戦争や軍事のことについては、私はまったくの素人だが、このことを企業経営に置き換えて考えてみると、学ぶべき点が多い。

戦争を企業活動に置き換えてみたらどうだろう。

企業活動の目的はなんだろうか。

ただ単に儲けることだろうか。

それは戦争の目的は勝つことだと言ってしまうのと同じだ。

企業活動の真の目的は何か?

この本質的な問いに明確に答えることのできる経営者が、よい経営者なのではないだろうか。

2010年10月11日 (月)

[マネ]するマーケティング/岡本吏郎

Img804

そもそも「戦略」という言葉が悪いと思います。

こういうカッコのよい言葉は気をつけなくてはいけません。

カッコのよい言葉は、結局何も言っていないことが多いからです。

では、戦略というカッコのよい言葉をやめてみるとどうなるでしょうか?

いろいろな言い方があると思いますが、私は「戦略」を「ライバルにやられたら“イヤだな~”と思うこと」と定義しています。

表現は月並み、かつ幼稚。まったくカッコよくありませんが、こう表現すると行動できるようになると思います。

「これだけはやられたくない」というものは誰にでもあるものです。

それをライバルにやられたら?

それは大変なことです。大変な損害を受けることは間違いありません。

では、それを自分がやることにしたら?

それはライバルにとって大変です。ライバルが大変な損害を受けることは間違いありません。

それが「戦略」です。(206)

戦略とは、「ライバルにやられたら“イヤだな~”と思うこと」

なるほど、これは非常にわかり易い。

確かに、現代のビジネスの世界は、カッコよい言葉に溢れている。

しかし、それを使っている本人がどれほどその言葉の本質を捉えているかと問うてみると怪しいものだ。

本当にその言葉の本質の意味を捉えているならば、そのカッコいい言葉を、他のわかり易い言葉に置き換えることができるはずだ。

それができず、やたらカッコいい言葉を連発する人がいたら、

「この人は何もわかっていないな」と考えた方がよいかもしれない。

言葉は大切だ。

その人がどのような言葉を使うかによって、その人の本質が表れると言っても過言ではない。

2010年10月10日 (日)

非効率な会社がうまくいく理由/ 中島セイジ

Img781

人は誰もが“感動する”というような人間独自の資質を備えています。

しかし、その資質は、普段の生活の中では「OFF」の状態のまま使われずに眠っています。

それが「『掃除』を繰り返しつづける」というストレスのかかる作業で細胞レベルが刺激され「OFF」の状態が「ON」に変わるのです。

そうすることで・・・・。

「今まで見えなかったものが見えて来る」

「今まで気づかなかったことが気づくようになる」

「今まで感じられなかったことが感じられるようになる」

といった変化が自分では意識しないうちに起こります。

この行為を徹底継続することで、ある種のパワーが、人を謙虚にさせたり、感動できる人になる原動力になるのだと私は考えます。(P116)

この本のテーマは「非効率」だが、よくよく読んでみると、単なる非効率を勧めているわけではない。

100キロ歩いたり、無添加洗剤をつくったり、掃除をしたり、

これらは直接、会社の利益につながりはしない。

いや、「直接」というより、「短期的」にと言い換えた方が正確かもしれない。

一見、無駄、非効率、遠回りと思えるようなことを愚直に繰り返す。

このことによって何が生まれるのか。

計算や理論や技術といったスキルを司る細胞ではなく、

直感したり、洞察したり、決断したり、感動したりといった、

人間が太古の昔から受け継いできた、そして現代人が失ってしまった、

人間らしい能力に関係する細胞が活性化する。

それが長期的には会社の利益にもつながってくる。

こう考えると、必ずしも非効率とはいえない。

一見、非効率と思えることを、長期的視野をもって、愚直に繰り返すことのできる会社。

これが本当の意味で、強い会社だと思う。

2010年10月 9日 (土)

徹底のリーダーシップ/ラム・チャラン

Img772

いい会社とそうでない会社は何がちがうのか。

それは「経営をやっているかどうか」だと僕は思います。

では、経営とは何か。それは「実行すること」です。これ以外にない。経営者の中には、経営を理論を学ぶことだと勘違いしている人たちが大勢います。そういう人たちは実際、経営をやっていない。

いい会社と悪い会社でやっていることは、表面上はほとんど一緒です。やるべきことも一緒です。何が違うかといえば、どの程度までやるのか、どの水準を目指すのか、それだけです。

悪い会社はいい加減にやっていたり、やっているふりだけで終わっている。低い水準での水準で満足している。いい会社は徹底的にやり、それでも満足せずに、全員でさらに上を目指している。そういう違いがあります。

ファーストリテイリング会長兼社長 柳井 正    (P3)

柳井氏によると、いい会社も悪い会社もやっていることはほとんど一緒だということ。

違うのは、それをやったふりで終わらせるか、徹底的にやっているか、その違いだという。

これは私も同感だ。

たとえば、PDCAサイクル、

計画をたて、それを実行し、結果をチェックし、改善する。

これなどは経営者であれば誰でも知っている。

しかし、このサイクルを本当にまわしている会社は意外と少ない。

これで会社が良くなるはずがない。

理論を知っているということと、実行しているということとは違う。

実行しているということと、徹底して実行しているということも違う。

重要なことは知っている理論を徹底的に結果がでるまで実行すること。

これができるかどうかが「経営をやっているかどうか」だと思う。

2010年10月 8日 (金)

ディズニーランドの超人材活用術/小松浩一

Img748

ディズニーランドでは、基本的なことを含めて「7割」までのことは教えるが、残りの「3割」については、各自が現場の中で、日々の業務やゲストとの関係の中で「学びつづけていく」ことが求められる。

最初から完璧な人材を育てるのではなく、むしろ「常に学び進化していく状態にある人材」を育てる、という発想である。(P87)

この「7対3」の考え方は理に適っている。

最近、「自分で考えて行動する」、自律型の人材が求められている。

実際、会社を訪問しても、経営者がよくそのような人材がほしいという話をされる。

しかし、いきなり自律的な人材になれるわけではない。

そこに至るまでのステップがあるはずだ。

勘違いしている最も多い例は、部下から質問を受けたとき、「自分で考えろ」と何も教えない。

それを、「自分で考える部下を育成するためにそうしている」という人がいる。

しかし、これは育児放棄だ。

考えるヒント与えるなり、7割位は答えを与え残りの3割を自分で考えさせるようにするなり、やはり、教え方にも工夫が必要である。

事実、「7対3」の考え方を実行しているディズニーランドでは人が育っている。

人材育成のヒントがここにありそうだ。

2010年10月 7日 (木)

IBMを甦らせた男 ガースナー/ロバート・スレーター

Img730

事態をさらに悪化させたのはIBMの超保守的な文化だった。変化を押しとどめ、起業意欲に溢れた取組みをことごとく排斥したのだ。それはあたかもトーマス・ワトソン一世がIBMの従業員ひとりひとりに毎朝こんな言葉をかけていたようなものだ。「我々は長いことこの方法でやってきた。そしてうまくいったじゃないか。わざわざ波風を立てるようなまねはやめなさい」。経営者たちはさまざまなアイデアを考えるよりも会議で気の利いたプレゼンテーションをする方が評価されたのだ。(P49)

改革前、約五十億ドルという巨額な赤字を抱えていた当時の様子をこのように表現している。

企業の経営が傾く大きな原因の一つに、過去の成功体験がある。

その体験が大きければ大きいほど、それは改革への足かせになる。

しかも人間の心の奥底には、「できれば変わりたくない」「今のままでいい」という思いがある。

特に経営幹部にそのような人が多いと、改革に対する抵抗勢力となる。

私自身もそのような会社を見てきた。

しかし今、多くの企業は変わることを求められている。

にもかかわらず、改革への一歩を踏み出す企業は驚くほど少ない。

そしていたずらに、不況の波が通りすぎることを待っている。

その原因の一つが、過去の成功体験だ。

変化の激しい時代、今こそ、そのような成功体験は捨てるべき時だろう。

2010年10月 6日 (水)

仕事で大事なことは『坂の上の雲』が教えてくれた/古川裕倫

Img716

「功労者は、勲章をやればいいのです。実務につけると、百害を生じます」山本権兵衛

京セラの創業者・稲森和夫さんの講演で「創業時の功績者にはお金で報いるべきであり、地位ではない」とのお考えをうかがった。創業時の功労者であることと、大企業の役員をまっとうできる人物であることは別の話だとの論である。

現実には、往々にして、一代で成功した会社にはそういう幹部が多い。社員が能力のない幹部に対してモノを言わないのは、社長の心情を知っているからだけであり、会社のためになっていないことも知っている。(P48)

中小企業のコンサルをしていると、問題は役員・部長クラスにあるということが多い。

特に同族企業の場合には、ほとんどの場合、幹部は同族で占められている。

確かに創業時に苦楽を共にし、功労者であることに間違いはないだろう。

しかし、過去の功労者であるということと、経営の能力があるということとは次元の違う問題である。

そして、その被害を被るのはその下で働く社員である。

しかも、社員はそのことについては、おおっぴらには何も言わない。

黙って従っているだけ。

日本の企業が成果主義を導入するようになって久しいが、もし、成果主義を入れるのであれば、まずはトップからだろう。

でなければ、社員の納得感は得られない。

しかし、その決断ができる経営者はおそらく少数派であろう。

2010年10月 5日 (火)

トヨタの思考習慣/日比野省三

Img701

相対性理論のアインシュタインが、「イメージ力は、知識(情報)より重要である」と述べています。その意味するところは、「まず情報を集める前に、あるべき姿を想像せよ」ということなのです。これは「アインシュタインの恋人探し」と表現されていますが、アインシュタインは、決して、情報収集や現状分析や従来の理論から相対性理論を導き出したのではないのです。彼は、あるべき恋人を想像し、その仮説に基づいて考え、検証していきました。彼にこのイメージ力(想像力)が欠乏していたら、新しい理論はこの世に生まれてこなかったのです。情報も知識も、過去も現在も否定してはいけませんが、それらを持っているだけでは、力にはならないのです。(P99)

イメージ力、つまりあるべき姿を想像する力の重要性をアインシュタインは語っている。

有名な相対性理論でさえも、最初は仮説から始まったということである。

仮説を立てる能力、これが重要なのは、いつの時代であっても同じだが、

特に現代のように変化の激しい時代においては、その重要性は増している。

時間をかけ、十分な情報収集や現状分析をした上で、ある結論を導き出すというやり方は、王道かもしれない。

しかし、反面、大胆な仮説に基づいて行動し、結果を検証し、それに基づいてまた新たな仮説を立て行動する。

このサイクルを速くまわした方が、変化の激しい時代には適しているように感じる。

「どのようにするのか」を考えるのをHow構築能力とすると、

「何をするのか」と仮説を立てるのはWhat構築能力ということができる。

現代は特にWhat構築能力が求められているのではないだろうか。

2010年10月 4日 (月)

じゃんけんはパーを出せ!/若菜力人

Img692

問題を先生がつくって生徒にあたえ、生徒は「正解」を考えるというのが日本の教育現場では当たり前の考え方です。

それに対して、アメリカの教育現場では、あるテーマに関する問題は何か、その問題を自分はどう考えるか、なぜそう考えるかといったことをつきつめて考えます。

しかも、それを自分の言葉で他人に説明することに重点をおいているようなのです。

必ずしも正解のない、先生だって一つの正解を持たないような課題について議論していくことが求められる世界では、一つの正解を丸暗記して対処したり、マニュアル本で簡単に結論を出すといったアプローチは通用しません。

戦略的に生きるということは、問題の本質は何か、どこに問題があるかを自分で考えて、それに対して適切と思われる対応策を、意識してとっていく生き方です。(P166)

仕事柄、いろんな会社で研修をしたり会議の司会をつとめることが多いが、その時いつも感じるのは、「教えて君」が多いということ。

「教えて君」とは、自分の頭で考えようとせず、「結局答えは何ですか」とすぐ正解を求めようとする人のこと。

ビジネスの世界で正解はあるのだろうか。

無いと言い切ることはできないが、それにしても唯一絶対の解があることはまれである。

ほとんどは、正解らしきものがあり、その中から、一つの選んでやってみる。

やってみてダメだったら、その原因を究明し、新たな策を考え、また実行する。

その繰り返しをすることによって、物事を進めていく。

ビジネスとはそんなものだと思う。

とすると、正解が一つしかない問題を解くことを教える日本の学校で教えられた生徒は、仕事ではあまり役に立たない教育を受けていることになる。

学校でよい成績を納めた生徒が、必ずしも仕事で成功するとは限らないのも、この点にあるような気がする。

2010年10月 3日 (日)

上司の品格/今泉正顕

Img677

吉田松陰が「松下村塾」を開いたのは28歳のとき

江戸に送られ獄舎で死んだのは30歳のときである

わずか2年間で、縁あって出会って教えた門弟たちから

幕末維新の立役者になった幾多の人材を輩出した

あなたと“出会った”部下にも、いい人材は必ずいる(P176)

高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、伊藤博文、品川弥二郎、山県有朋、

吉田松陰が2年間の松下村塾で出会った門弟たちである。

彼らは松陰との出会いによって、人生を一変させた。

2年間であっても、人の人生に決定的な影響を与えることができるということ。

人生は出会いで決まるという言葉がある。

しかし、出会いには「いい出会い」と「悪い出会い」がある。

まず自分自身が「いい出会い」を人にもたらす人でありたい。

2010年10月 2日 (土)

逆境経営 7つの法則/水尾順一

Img658

1981年から2001年にかけてアメリカのゼネラル・エレクトリック社の最高責任者を務めたジャック・ウェルチ氏は、どん底の経営危機にあった同社を建て直し、その経営手腕から「伝説の経営者」と呼ばれました。

彼が最初に手をつけた改革も、それまでのGEの企業文化を破壊することでした。日米を問わず、ここでも壊すことから改革は始まったのです。

その「壊す」ことをウェルチ氏は「ガラガラヘビとニシキヘビという二匹のヘビ退治」と表現しています。

猛毒を持つガラガラヘビはガラガラと大きな音を立てるので、その存在に誰もが気付きます。企業にも、すでに誰もが気づいている問題があるものです。気づいていながら、誰も直そうとしない。ガラガラヘビを放っているわけです。

もう一匹のニシキヘビ、こちらは大変厄介です。なにしろニシキヘビは音を立てずに木に巻きつき、色も木に同化させています。このため見つけにくく、知らない間に家畜をさらわれてしまいます。

同じように企業にも、目立たない、もしくは同化してしまっているために見つけにくいが、損害に結びつきやすい企業体質があります。たとえば前例主義や風通しの悪さといったものは、目には見えない悪習と言うしかありません。(P43~45)

ガラガラヘビとニシキヘビ、よく言ったものだ。

確かに企業には多くのガラガラヘビとニシキヘビがいる。

誰もが気づいている問題であるにも関わらず、誰も手をつけようとしない問題。

これは非常に多い。

これがガラガラヘビだ。

多いにも関わらずどうしてみんな手をつけようとしないのか。

それは「やったもの負け」の風土があるからだ。

これがニシキヘビだ。

問題に気づいてそれを変えようとすると、周りから白い目でみられ、結果として損をしてしまう。

ガラガラヘビとニシキヘビは相互に交わりながら、企業をどんどん悪い方向へと導く。

このガラガラヘビとニシキヘビを退治するのに必要なのは、ウェルチ氏のような強いリーダーシップだ。

企業が変われないのは、リーダーシップを取る人がどこにもいないからだ。

今、日本の企業はどん底の状態だ。

そして、今こそ、リーダーシップが求められている。

2010年10月 1日 (金)

ゴキブリだんごの秘密/松岡浩

Img645

以前、ある大手商社を訪ねたとき、40代ぐらいの人たちに「いまどんな本を読んでいますか。どんな勉強をしていますか」と質問してみました。返ってきたのは「飲みニュケーションで勉強しています」です。

彼らは入社するまではエリートで、すばらしい頭脳を持っていたのでしょう。しかし入社後は勉強していないのです。

大企業の人間と中小企業の人間を比べたとき、入社した直後は大企業の人間のほうがすぐれているかもしれません。しかしその後、大企業 の人間は落ちる一方ですから、中小企業の人間が追い抜く機会はいくらでもあります。

毎日勉強を重ねていくなら、30歳で逆転します。その後は差が開くばかりで、そう考えると大企業は、羨ましくもないし、ちっとも怖くないのです。(P85~86)

最近の大学生の就職活動を見ていると、相変わらず大企業志向から抜けきれていない。

就職難と言われているが、それは大企業に限ったことで、中小企業に目を向ければいくらでも就職口はあるはずだ。

大学生の大企業志向の中から見えて来るのは「大企業に就職しさえすれば一生安泰」という考えだ。

しかし、今や大企業であっても、新卒で就職して40年間、定年退職するまで存続しているという保障はどこにもない。

むしろ、どの会社に就職するかは、大きな問題ではなく、そこで与えられた仕事でどんな経験をし、勉強し、自分の価値を高めていったかが問題だ。

働いている企業の大小を問わず、自分に投資するという意識をもっと持つべきだろう。

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »