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2010年10月21日 (木)

「超」一流の自己再生術/二宮清純

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私は「敗者」にさして魅力を感じない。翻って「勝者」はいつも魅力的だ。

なぜなら「勝者」とは、いつ、どんな場面においても、「敗者」よりも思索を巡らせ、工夫をこらし、相手よりも一歩でも先んじようと努力を怠らなかった人たちのことをいう。結果としての「勝利」とは、神がそっと与えた褒美であり、次のステージに進むためのパスポートという言い方もできる。

ところが、この国では「敗者の美学」という言葉が肩で風を切るように公道を闊歩し、勝因や敗因を分析する根気のいる作業よりも、責任を放棄したようにすら思える感情の発露の方に、なぜか支持が集まる。

すべて水に流そう・・・。

この国特有の考え方がある。何か不祥事が起きると、決まって誰かが神妙な面持ちで「あの人ひとりの責任ではない」と発言し、最後は「全員で反省しなければならない」という、まったくナンセンスな結論に落ち着く。(P5)

「敗者の美学」とはこの国特有の考え方のようだ。

しかし、問題はこのような考え方の故に、失敗の原因が究明されることなく、放置されてしまうことにある。

考えてみれば「水に流す」という言葉にも、原因を曖昧にしたまま放置する考え方が滲み出ている。

言葉はその国の文化を表すという。

このような言葉があるということは、日本人の中には、そのようなことを良しとする考え方が根本に流れているということであろう。

つまり、日本人の中には、敗戦や失敗の原因をとことん追求し、究明し、次に生かすという体質、気質がないのかもしれない。

むしろ、原因を厳しく追求しようとすると、どこからともなく、「そこまでしなくても」「もう本人は反省しているんだから」「もう終わりにしましょう」という声が上がって来る。

高度成長期のように、何もしなくても儲かる時代であればそれでもよかったかもしれない。

小さなことにはめくじら立てず、すべてを水に流し、横一列で企業は大きくなってきた。

しかし、時代は変わった。

もうそろそろ、このような文化から脱却すべき時ではないだろうか。

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