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2010年11月の29件の記事

2010年11月30日 (火)

日本人へ リーダー編/塩野七生

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 今の私の日々は『ローマ人の物語』の12巻目の執筆に費やされている。歴史上では「3世紀の危機」と言っただけで通用する、3世紀のローマ帝国を襲った未曽有の危機を書いている。
 同時代に留まらず後代まで深大な影響を与えた大帝国ローマが遭遇した危機だけに、原因も一つや二つではすまない。それらをいちいち解明していくので頭が痛いのだが、ここではそのうちの一つだけを取り上げてみたい。なぜなら、その一つとは、書いている私が「これはダメだ!」と思わず叫んでしまったことだからである。
 ローマ帝国も3世紀に入ると、政策の継続性が失われたのである。具体的に言えば、皇帝がやたらと変わるようになった。その1世紀前は五賢帝の時代でローマが最も安定し繁栄を謳歌していた世紀だが、賢帝たちの在位期間は平均して20年、それが3世紀に入ると、平均しても4年になる。蛮族が来襲してこないというような幸運に恵まれたりすると、才能のない皇帝でも安泰でいられたから、3世紀ローマの皇帝たちの実質在位期間は、一人につき2年と考えてよいと思っている。
 危機の打開に妙薬はない。ということは、人を代えたとしても目ざましい効果は期待できないということである。やらねばならないことはわかっているのだから、当事者が誰になろうと、それをやり続けるしかないのだ。「やる」ことよりも「やりつづける」ことのほうが重要である。
 なぜなら、政策は継続して行われないと、それは他の面での力の無駄遣いにつながり、おかげで危機はなお一層深刻化する、ということになってしまう。失われた十年というが、あれは、持てる力を無駄遣いした十年、であったのだ。(P36~37)

危機の打開に妙薬はない、

「やる」よりも「やりつづける」ことの方が重要、

ローマ帝国の「3世紀の危機」を振り返って、著者はこのように言う。

これはそのまま今の日本に当てはまる。

「やりつづける」ことの重要性、これがわかっていない人があまりにも多いのではないだろうか。

これは政治の世界だけではない。

企業においても、個人においても同じことが言える。

やり始めたら、やりつづけることである。

「結果がでるまでやりつづける」、

この愚直さが、他社または他者との差別化を生む。

2010年11月29日 (月)

出世する人、稼ぐ人、他人に気配りできる人/高田律子

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 好きでやっていることでなくても、一生懸命やっていれば、おのずと自分のやりたいことが見つかるものです。「とりあえず海外旅行に行きたいから、ホステスをやっている」という女の子もいます。そういう女の子でも、精一杯がんばっているような子は、やがて自分の進むべき道を見つけて、幸せになっています。好きな男性のもとに嫁いでいくというケースがあります。
 ひとつの道に邁進するということは、幸せなことではないでしょうか。
 ある社長もこう言っておられました。
「プロというのは、“その道以外に自分の生きる道はないと悟る”ということだよ」
現状に対して不平不満ばかり口にしている人は、どこかプロになり切れていないのではないでしょうか。(P47)

プロになるということは、「その道以外に自分の生きる道はないと悟ること」。

結局はこのことに尽きるのではないだろうか。

NHKでプロフェッショナルという番組がある。

その番組では、様々な分野でプロフェッショナルと呼ばれている人たちを取り上げ、紹介している。

それを見て感じることは、その中で出てくる多くの人たちは、ほとんどの場合、

ある何らかの理由で、その道に入り、その道に邁進することにより、

プロフェッショナルと呼ばれるにふさわしい考え方、ものの見方、スキルを身につけている。

そして、多くの場合、最初から才能にあふれた人たちではなく、

むしろ不器用さの故に、ひとつのことに打ち込むことになり、

時には、様々な挫折を味わい、それを乗り越え、

その結果プロになったというケースが大半である。

こう考えると、「プロというのは、“その道以外に自分の生きる道はないと悟る”ということ」

この言葉がいかに重いものであるかということを知らされる。

2010年11月28日 (日)

強欲資本主義ウォール街の自爆/神谷秀樹

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 ゴールドマンの不動産部には、当初3人のパートナーが居た。その一人にクロード・バラードが居た。彼はこの道のベテランだったが、極めて保守的な人物でもあった。1988年のことだ。彼が引退することになり、いろいろとお世話になったお礼の挨拶をしようと会った際に、こんなことを言っていた。
 「君は、いまこの会社のバランス・シートが何に使われているか知っているか。ありとあらゆるものに相場を張っている。コーヒー豆だ、金だ、金利スワップだ、先物だと、あらゆるものでギャンブルしている。私のような年寄りには、いったい何をやっているのかサッパリわからない。それなのに、そこにパートナーとして私の財産を全て突っ込んでいるのだから、おっかなくて仕方ない。大火傷をしないうちに、私は引退させてもらおうと思ったんだ」
 クロードはもう少しゴールドマンに残っていれば、会社の株式公開でもっと大きな財産を手に入れることができだだろう。しかし、既にその当時でさえ会社は、無限責任を負うゼネラル・パートナーの立場では、「怖くて仕方ない」というほどに大きなリスクを取っていたということである。(P38~39)

1988年当時、ゴールドマンサックのパートナーであった一人は、

「おっかなくて仕方ない」と語っていたという。

それから20年後、リーマンショックが起こった。

世界経済は、いまだにその後遺症に悩まされている。

考えてみると、「起こるべくして起こった」と言えなくもない。

誰もか「やがてはこんなことが起こるのではないか」と感じていたのではないかと思う。

ところが、誰もストップをかけなかった。

どうしてなのだろう?

ひとつ考えられることは、

「何のための『成長』なのか」、

「何をもって『成長』と考えるのか」といった

基本的な議論が十分になされないままに、

数値目標を追いかけたからではないだろうかということである。

その結果、より強欲な者に富を集中させ、

お金以外の価値あるものがないがしろにされ、

社会全体としては格差が拡大し、

決して幸福とは言えない状況を生み出している。

「成長」とはいったい何を目標とするものなのだろうか?

この基本的なことをもっと考えてみるべきだろう。

2010年11月27日 (土)

思考・発想にパソコンを使うな/増田剛己

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 『考具』という本がある。著者の加藤昌治氏は広告代理店の博報堂社員だ。仕事の現場で常にアイデアを生み出すための方法とコツをこの一冊にまとめている。この本の表紙には「考えるための道具、もってますか?」とある。なるほど、考えるための道具だから「考具」。そして、そのひとつが「メモ」なのである。
 私がこの本で大変共感したのが「ちょいメモ」の考え方だ。彼は本の中で「メモすることの効用は、頭の中にあるものを外に出す作業をすることにある」と結論づけている。実に的確な表現である。
 一回、頭の中から外に出すという作業が重要なのは、私のような文筆業に限ったことではない。もやっとした頭の中を整理するためにも、まずは外に出してやることが大切なのだ。文字にしてみるということは、他者と情報を共有できるということでもある。ここでいう“他者”とは、自分も含まれると私は考える。
 手を動かすことで、脳に刺激が与えられる。文字になったものは、次に視覚で認識される。アウトプット・インプットが重ねられて行われることで、さらなる刺激となり、記憶に強く結びつく。(P183~184)

メモすることの効用について、「頭の中にあるものを外に出す作業をすることにある」ということ。

これは確かに実感するところである。

たとえば読書。

これはインプットの行為である。

ただし、これだけでは頭に残らないことが多い。

では頭の中に刻み込むためにはどうすれば良いのか。

そこで始めたのが、アウトプットである。

つまり、印象の残った文章を抜き書きし、それみ自らのコメントを書いてみる。

これを続けることにより、頭の中に残るようになった。

このブログもそのためにやっているようなものなのだが、

著者のいうように、できればそれを“手書き”でやればもっと効果的だということである。

2010年11月25日 (木)

わかったつもり/西林克彦

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 ものごとには、いろいろなものがあります。そして、それは当たり前のことです。しかし、その多様性に圧倒された結果「いろいろある」と思ったとすれば、人はそれ以上の追求を止めてしまいます。またはこれ以上探求するのが面倒で、「いろいろある」と思うことによって、けりをつけたつもりになるということもあるでしょう。これらが「いろいろある」という文脈の魔力かもたらす結果です。
 この「いろいろある」という文脈の魔力は、実は文章の理解に限ったことではありません。ここで、多種多様なものごとに、何らかの分類や整理ができそうなとき、私たちは決して「いろいろある」といって探求を断念したりしないだろうということを思い起こして下さい。
 たとえぱ海藻には、多様な種類があります。赤い光を光合成に使っている緑藻類は、吸収されない緑色の光のために、地上の植物と同じ縁色に見えます。また、海の深いところでは、上から届く光が青っぽいものになり、このあたりに棲息する紅藻類は、この青い光を光合成に利用するしかなく、吸収されない紅色の光のために、その色は紅くなります。緑藻類と紅藻類の中間が昆布などの褐藻類です。
 このように多種多様な海藻も色によって分類され、整理がつきます。このようなとき、人は「いろいろある」と河って探求を止めたりはしません。うまく分類や整理ができそうにないとき、「いろいろある」という言い方が言い訳として使われるのではないのでしょうか。(P149~150)

「いろいろある」という言葉を使うことによって、人はわかったつもりになってしまうと著者は言う。

確かに、多種多様に分類される事象に対して、それを具体的に表現しようとせず、「いろいろある」と一言で表現することにより、なんとなくわかったつもりになることはある。

そして、「わかったつもり」になった瞬間、それ以上考えようとしない。

つまり、「いろいろある」という言葉は、思考停止を招く言葉だとも言える。

こう考えてみると、言葉は本当に大事だと思う。

どのような言葉を使うかによって、その後の思考や行動が変わって来るということだ。

逆に考えれば、思考や行動を変えようとする場合、普段何気なく使っている言葉に焦点を当ててみるというアプローチも有効だと考えられる。

2010年11月24日 (水)

限界なき企業革新/J・チャンピー

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 市場の混沌と顧客主導による競争激化の中で、企業全体を動員するにはどうしたらよいかを考えていきたいと思う。リーダーシップもむろん必要であるが、それは新しいタイプのリーダーシップでなければならない。つまりこの会社が、この社員が、なぜ今このような行動を求められているかという理由づけ(説得力のある説明)を明確にできる能力が必要とされるのである。あとでも述べるように、理由づけにはいくつかの段階がある。だがそれらの理由はすべて、今日、あらゆる企業の、あらゆる従業員が抱いている疑問に答えるものでなければならなぃ。それらの疑問とは、ビジネスの“目的”にまつわるものである。つまり、「なんのためにこのビジネスをやっているのか」「このビジネスは自分にとって、業界にとって、顧客にとってなんなのか」「いったい自分たちはここで何をやっているのだろう」ということである。
 人間はカネのために働く。むろんそうだ。だが、それか毎日仕事に出かけていく唯一の理由だとしたら、想像力も、発想の斬新さも、コツコツやり抜く根気も、市場に対する感受性も出てくるわけがない。今日のようなヒジネス環境において勝利するためには、こうした資質が組織全体にいきわたっていなければならなぃのである。(P59)

何のために働くのか?

働く時、誰もがこのような疑問を持つものだ。

この疑問に対する答えは、かつては単純だった。

つまり、カネとポストである。

高度成長期の日本であれば、ほとんどの働く人は、

出来るだけお金を稼ぎ、豊かな生活をしたい。

そして、会社では課長、部長へと昇進したいと思っていた。

しかし、現代の日本において、この単純な答えで、やる気を出す人は少数派であろう。

「何のために」「なぜ」という疑問や問いかけにきちんと答えることが、現代のリーダーには求められている。

つまり、「黙って俺について来い」式のリーダーシップは通用しなくなっている環境変化があらゆる場面で起こっているということであろう。

2010年11月23日 (火)

日本電産 永守イズムの挑戦

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「これまで三年間赤字が出ていたのに、今から二年半先に最高利益が出るのかと。大ボラ吹いてるんじゃないかと思われるかもしれません。私は再建のプロ、経営のプロですから見ればわかります。今は確かに瀕死の重傷を負っています。ちょっと手遅れになったら潰れる、と思いますけど、今からきっちりやれば、それぐらいの潜在能力を持っています」
「『おまえなんか信用でけへん。今日はじめてやってきて、何をえらそうなこと言っているんや。高い壇上から大きな声を張り上げて言うんじゃない』と言われるなら、それはそれで結構です。はじめてお会いして、『あんたを信用します』というのはかえっておかしい。だから、もし私が信用できないというのだったら、一年間でいいです。今期は処理の期間ですから、願わくば一年半ほしいですけど、そんな待てるかというなら一年で結構です。一年間だけだまされたつもりで私の言うことを聞いて、行動してほしい。それで一年後に、この会社に変化がなかったら、つばをかけようが足で蹴ろうが、好きなことをやっていただいて結構です」(P94)

過去最高益を更新し続けている日本電産。

この会社の永守社長が買収した三協精機製作所を訪れ、全社員の前で語った、その第一声。

このことばの中に、社長の並々ならぬ決意と自信がみなぎっている。

「一年間、だまされたつもりで私の言うことを聞いて、行動してほしい。それで一年後に、この会社に変化がなかったら、つばをかけようが足で蹴ろうが、好きなことをやっていただいて結構です」

この自信はどこからくるのであろうか。

恐らく過去の成功体験ではないかと思う。

過去、何度も赤字会社を買収し、再建してきたその経験と、そこから生まれたノウハウ、

それらが積み重なって、この自信と確信が生まれているのであろう。

しかし、これだけのことは言われた社員は、「一年間だけ、だまされたつもりで行動してみるか」という気持ちになるに違いない。

リーダーは人を動かす言葉を持つべきである。

2010年11月22日 (月)

部下をプロ人材に鍛える三つのステップ/福田季三志

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 ビートルズのメンバーであるジョン・レノンのミュージアムが、さいたま市さいたま新都心の中核施設・さいたまスーパーアリーナの4、5階部分にあります。
 生前のジョンの考え方やさまざまな出来事、使用した楽器などか展示されており、ファンにとって印象深い空間をつくり出しています。それぞれがすばらしいコーナーですが、私にとって最も印象深かったのは、ジョンの修業時代の言葉でした。
 では、どのような修業時代を送ったのか、上司も指導者もいないビートルズに、大きく飛躍していく修業時代の環境をつくったのは、彼らのファンでした。
 1960年8月、イギリスのリバプールを中心にバンド活動していたビートルズのメンバーはドイツのハンブルクに到着。その日から連日5、6時間、ときには夜通しで休みなく、3力月半にわたってステージをこなし、ライブ演奏の実力を身につけていったのです。この時代が、彼らにとっての問答無用の修業時代です。
 その時代を紹介するコーナーには、ジョンかビートルズの初期に使っていたハンブルクの楽器店で購入した、リッケンバッカーというタイプのギターか飾られており、となりにその時代を振り返ったジョンの言葉が紹介してありました。
 その言葉は、
 「僕はリバプールで育ち、ハンブルクで大人になった。
 12時間ぶっ続けに、ドイツ人たちを踊らせるためには、
 こっちも全力を尽くさなきゃならなかった。
 ハンブルクに行かなかったら、僕らは決して成長しなかっただろう。」
 というものです。
 ジョンの言う通り、この経験かなければその後のビートルズはなかったのかもしれません。この経験は、すぱらしい音楽の才能を持つ若者を本物のプロに成長させた徹底的な量の時代だったのです。この量の蓄積を若い時期に経験することによってこそ、ビートルズのその後の大活躍があったのではないかと思います。
 超一流人材においても、このような量の時代が必要であり、その修業を通して真のプロか生まれてくるのです。(P113~114)

人が成長するためには、徹底的に量をこなすという時期がある。

しかもそれは若い時がベストである。

ジョン・レノンのような天才であっても、徹底的に量をこなすという時代があった。

そして、その時代があったからこそ、今があるということをジョン・レノン自身が言っている。

それを考えると、「ワークライフバランス」をあまりにも強調しすぎることは考えものである。

最初に徹底的に量をこなす時期を経て、結果として「ワークライフバランス」を実現させるのは良い。

ところが、それを経ずして、最初から仕事とプライベートのバランスばかりを追求しすぎると、自らの成長の機会を失ってしまうような気がする。

まずは徹底的に量をこなす。

その後、タイミングを見て、質への転化を試みる。

成長のためには、このような流れを作るべきだろう。

2010年11月21日 (日)

実践 孫子の兵法/村山孚

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 孫子日く、およそ衆を治むること寡を治むるが如くなるは分数これなり。
 衆を闘わすこと寡を闘わす如くなるは形名これなり。

[訳]
孫子はいう。多くの人間を管理する場合、さながら小人数を管理するように徹底させるには、これをいくつかの集団に区分することである(組織化)。
 多くの兵士を戦わせる場合、小人数と同じようにうまくまとめるには合図の信号を使うことである(命令伝達方法)。

[解説]
 ニ千五百年も前に、管理の基本が組織と伝達にあるという原則を説き明かしたのはおどろくべきものである。職場におけるビューロクラシーとコミュニケーションの目的が簡単なことばでえぐりだされている。
 この一節は、本来軍形編の中に入るべきものと思われるが、勢いをつける基礎としての意昧を強調し、次の句にたたみこんでゆくため、兵勢篇の冒頭に記しているのである。
 三方ケ原の合戦でみせた武田信玄軍の戦いぶりが、きわめて見事で、徳川軍を三嘆させたのは、編成と伝達の妙であった。
 だいたい、信玄のほうでは徳川軍など問題にしていなかったのだが、徳川軍が武田軍の行軍隊形へ攻めかけていくと、信玄の采配一閃、たちまち戦闘隊形になり、諸隊整々として一糸みだれず、迅速でしかも各隊との連携は行きとどいており、目のさめるような有様だった。攻めかけた徳川軍も、しばし我を忘れて見とれてしまったという。(P132~133)

短いことばの中に、マネジメントの基本が記されている。

つまり、マネジメントのためには組織化と伝達が必須であるということ。

特に、少人数に細分化するということが組織の基本である、ということは大事だ。

一時、組織のフラット化ということがさけばれ、多くの企業で取り入れられた時期があった。

その結果、縦横のコミュニケーションや人材育成機能が働かなくなり、結局もとに戻した企業が多くある。

これなどは、孫子の「およそ衆を治むること寡を治むるが如くなるは分数これなり」ということばをよく理解していれば、そんな過ちは犯さなかったのではと思う。

この孫子の兵法が書かれたのは、今から2千5百年前だという。

時代が変わり、現代ではITというツールもあるが、組織の基本は意外と変わっていないということだろう。

2010年11月20日 (土)

リーダーシップの心理学/国分康孝

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 リーダーとして息の長い人はリーダー以前の自己研鑽がものをいっている。
 来るべき日のための自己研讃の骨子は何か。今の自分よりワンランク上になったつもりで勉強することである。たとえば万年係長は「いつ課長にしてくれるかなあ」と思ってはならない。「すでに自分は課長である」と想定し、そのつもりで勉強するのである。原理はメンタル・リハーサルである。たとえば、鉄棒の練習をする前に、目を閉じて、自分が今大車輪でぐるぐるまわっている情景をイメージするのである。そのあとでの練習は効果的である。あるいは私が講演の前に講堂を見ておき、講師控室で茶を喫しなから、壇上で雄弁をふるっている自分をイメージする。それから講演すると、だいたいうまくいく。これもメンタル・リハーサルである。
「大車輪ができるかなあ」「講演が上手にできるかなあ」ではだめである。「大車輪がすでにできている」「講演は上手にできている」という具合に、願望ではなく事実になりきるのがポイントである。
 したがって、万年課長は部長のつもりで、万年部長は専務のつもりで、専務は社長のつもリで、助手は講師のつもりで、講師は助教授のつもりで研鑽するのである。「自分は万年係長である」と思い続けるのと、「自分はすでに課長である」と思い続けるのとでは、風格からしてちがってくる。人間の立居振舞はその人間の自己概念(自己イメージ)で決まってくるからである。(P26~27)

良い自己イメージをもつことが大事だということはよく言われる。

原理はメンタルリハーサル。

「○○になりたい」というのでなく、「○○になっている」と、事実、なりきることがポイント。

確かに周りを見ていても、何をやってもうまくいかないという人がいる。

その人たちに共通して言えることは、低い自己イメージしか持っていないということ。

そして、ただ真面目にコツコツと取り組む。

しかし、なかなか結果がでない。

そういう人たちは、まず積極的、肯定的な自己イメージをもつことから始めるべきだろう。

2010年11月19日 (金)

名将たちの決定的戦術/松村劭

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 ナポレオンは、『金言集』に、こう言い残している。
「偉大な指揮官の業績を、『好機』と『幸運』のたまものにするな。それは、つねに『冷静な計算』と『勘』による」
 この「勘」が、体験的知識にほかならない。それが、頭脳の慟きにおいて感性に埋め込まれた特別なフィルターである。また、そのフィルターを使って行う「直惑的認識=戦局眼」と「反射的実行力=果断」でもある。
 1917〜18年にトルコに対するアラプ反乱の指揮者として勇名を馳せたエドワードーローレンス英大佐(通称アラビアのローレンス)は、著書『知恵の七柱』で、こういっている。
 「戦術学のうち、10中の9までは理論的に明快であり、書物を通して教えられる。しかし、最後の10分の1は非論理的で、教えられない。
 それは、あたかもかわせみが突然、高い空中から川の中に飛びこんで魚を襲うようなものである。この能力の有無が、将軍たるの資格の有無を計る最良の試験となる。
この才能は本能に基づくもので、深い思素と厳しい肉体的訓練によってとぎすまされ、危機にのぞめば期せずして発するものである」
 名戦闘史を観るとき、名将たちのこの才能の働きを想像することは楽しいものである。
 そして、軍事史から学ぶ究極的なものは、「なにを、いつ、どのように戦うかは、自分で考えよ」(1938年度米砲兵教範第1条)である。
 法令・規則やマニュアルを根拠にしても、勝利は手に入らないのである。(P316~317)

 
「戦術学のうち、10中の9までは理論的に明快であり、書物を通して教えられる。しかし、最後の10分の1は非論理的で、教えられない。」とローレンス氏は言っている。

このことばは二つのとらえ方ができる。

一つは、最後の10分の1の部分を自分のものにしなければ意味がないというとらえ方、

もう一つは、まず10中の9の部分をしっかりと習得すべきだというとらえ方。

どちらが正解かということではなく、その企業や個人の置かれている状況によって、重点的に取り組む課題が違って来ると捉えるべきだろう。

そして、多くの場合、まず10中の9の部分が決定的に欠けているというのが現実ではないだろうか。

それと、ローレンスやナポレオンは軍事的天才である。

天才のことばを私たちのような凡人に当てはめようとするのはあまりにも無謀だと思う。

天才のことばを凡人に当てはめようとする場合、そのことばをある程度翻訳する必要がある。

私たちのような凡人に適用する場合、

まずは、10中の9の部分をしっかりと習得する。

その上で、またはそれをしながら、残された10中の1の部分を現場の経験を重ねながら習得していく。

これが現実的な方法論ということになろう。

2010年11月18日 (木)

「カチン」ときたときのとっさの対処術/植西聡

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 繰り返しになりますが、“カチン”ときたときに怒りを上手に消化するには、「まず自分ありき」なのです。自分を信頼していれば、考え方や行動も自然と「自分中心」に変わっていくでしょう。
 “カチン”の原因は、自分を否定されたという意識が無意識のうちに働くからです。つまり、逆にいうと、誰に何を言われても、自分を否定されたと感じない心を持つことができれば、“カチン”とくることはなくなります。
 “自分は自分だ”と意識できる人は、同時に“他人が他人”であることを認められる人ともいえます。そうすれば、誰かが自分の望みどおりの言動をとらなかったことに腹が立つこともなくなるのです。そうなれば、自然と人間関係の摩擦も減ってきます。
 自分中心というと、自分勝手でわがままな子供っぽい性質を想像するかもしれません。しかし、ここでいう自分中心とは、「自分は自分、他人は他人」と考えられる一種の自立であり、自分のエゴを他人に押しつけるわがままとは、まったく異なりますから注意してください。(P32)

人の言葉や行動に“カチン”とくることは誰にでもある。

こうならないためには、「自分は自分」、「他人は他人」であることを認めることだという。

「自分は自分」、「他人は他人」というと、何かいかにも冷たい人間のように感じるが、

そうではなく、これは一種の自立である。

そもそも自分でコントロールできるのは自分だけである。

他人をコントロールすることはできない。

これが意外とわかっていないことが多い。

他人をコントロールできると思い込んでいることから、他人に対する怒りが生まれる。

「どうしてわかってくれないのか」とか、「あれほどいったのに」とか、

それらは全て、自分の望みどおりに相手がしてくれなかったことに対する怒りである。

しかし、そもそも相手を変えることができるのか?

それは思い込みに過ぎないのでは?

自分で変えることのできるのは自分だけ、

そして自分が変われば、もしかしたら相手も変わるかもしれない、

ある種の開き直りともいえるが、

この程度の相手に対する距離感をもつことが大事なのだろう。

2010年11月17日 (水)

あなたの会社の評判を守る法/久新大四郎

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 現代は、顔の見えないとらえどころのない多数が、製品にたいする評価(ブランド価値)や企業の評判を形成していく時代です。
 非特定性、非線形性、非連続性、非可視性、非規則性などの「インタンジブルな社会」への対応力が、企業の存続に大きなウエイトを占めてくるでしょう。
 寄せられている苦情・クレーム(顕在クレーム)に大きな間題はないと安穏とせずに、市場への感度をいちだんと高めて行動していかなければ、原因もわからないまま競争のなかで地盤沈下していくことにもなりかねません。
 とらえどころのない社会、これへの時代認識と、新しい対応方法が必要になっているように思います。
 その方法とは、定期的・継続的な利害関係者との対話(ステークホルダー・ダイアローグ)です。
 会社が外(社会)からどう見えているかは、会社の中からでは見えにくいものです。自分の居ずまいは自分では見えません、鏡に映してはじめて伏し目がちであるとか、右肩が下がっているなどに気がつくものです。内面的なものの場合には、親しい友人や知人からの直言やアドバイスによってはじめて目を開かされることもあります。
 「ステークホルダー・ダイアローグ」は、そのような組織の弱点をはやい段階で気づき、改革に反映させるための優れた手法です。(P172~173)

現代は、一つの不祥事が会社にとって致命傷になってしまうような時代である。

これまで、不祥事に対する対応が間違ってしまった故に、倒産にまで追い込まれてしまった企業がいくつかある。

逆に、不祥事に対して、きちんとした対応をすることによって、むしろ評価を上げた企業もある。

違いはどこからきているのだろう。

著者は、定期的・継続的な利害関係者との対話(ステークホルダー・ダイアローグ)が必要だと語っている。

不祥事に対する対応を間違ってしまう会社の社長の会見をみていると、「この社長、まったく周りが見えていないな」ということを感じる。

ハッキリ言って、内側しか見ていない。

ステークホルダーが誰であるか、この点をしっかりと押える。

そして、ステークホルダーとの継続的・定期的な対話を繰り返すこと。

この点をしっかりと行うべきだ。

2010年11月16日 (火)

人の10倍の「仕事量」をこなす技術/五十棲剛史

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 仕事のスビートと効率を上げるために最も大切な能力は何かと問われれば、私はこの「察知力」を挙げるだろう。いや、ビシネスパーソンとして最も大切な能力こそ「察知力」だとすら思っている。
 相手が望んでいることを聞かずに察知するお客さまか求めている商品やサービスを聞かずに察知する。それが察知力だ。
 なぜ察知力が大切なのかというと、今の時代、どんな商品やサービスを求めているのか、実はお客さま自身がわかっていないことが多いからだ。(P141)

「察知力」の最も優れている経営者として、著者があげているのが、アップルのCEOスティーブ・ジョブズ氏だ。

アップルのマッキントッシュやiPadは、マーケティングの結果、生まれた商品ではない。

ジョブズ氏はマーケティングをはなから信じていないという。

信じているのは「今の時代の消費者は、きっと潜在的にこういう商品を求めているはずだ」という自分の察知力だ。

確かにどんなにマーケティングをしても、他と差別化したサプライズのある商品は生まれたこないだろう。

そして「察知力」が求められているのは、何も経営者だけに限ったことでなく、普通のビジネスパーソンについても同様である。

私たちはどうしても、過去からの延長線上で未来を見ようとする。

しかし、これだけでは、思考が制限され、自由な発想が生まれてこない。

「察知力」、これが未来を切り開くキーワードと言えるだろう。

2010年11月15日 (月)

小が大に勝つための会計学/笠原清明

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 私が税理士の仕事をはじめてから、かれこれ二五年になります。お客さんのほとんどは中小企業ですので、中小企業とのおつき合いも二五年ということになります。
 その二五年の経験で、私はちょっとした特技を身につけることができました。それは、会杜を見ただけでその会社か儲かっているか、儲かっていないのかわかってしまうという特技です。
 もちろん決算書などを見ていない段階での話です。たまにはずれることもありますが、かなりの確率であたると自負しています。
 会杜の雰囲気や社長の人柄、商売の内容などその会社のさまざまな要素からピンとくるのですか、杜長室がある会社、ない会社というのが重要な判断要素の一つです。実は社長室がある会社は儲かっていないケースが多く、杜長室のない会社は儲かっているケースが多いのです。(P194)

上記のケースは中小企業の中でも、特に10人未満の、むしろ零細企業の場合に当てはまることだと思う。

著者の言っていることは、何も社長室を持ってはいけないということではなく、

そのことによって、どんなことが起こるか、その影響を考える必要があるということである。

つまり、社長室を持つことによって、社長に現場のタイムリーな情報が入りにくくなる、

すると社長はこれではいけないということで、社員に日報を書かせたり、会議をやたら多くしたりして、現場の情報を自分でつかもうとする。

しかし、中小企業の社員はそもそも日報を書くことに慣れていないため、書くことにやたら時間がかかってしまう。

会議も結局は社長がしゃべってばかり、何も発言しない社員がいたりして、社長に情報は入ってこず、時間ばかりを浪費してしまう。

そして、日報を書いたり、会議をしたりする時間を計算し、それに社員の時間当たりの単価を乗ずると、膨大なお金になってしまう。

その結果、社長室を持つ会社は儲からないということが起こる。

ということだ。

つまり、社長室を持ったり、社員に日報を書かせたり、会議を持ったりするのが悪いこではなく、そのことが身の丈にあっているかが問題だと言っているのだと思う。

多くの中小企業の社長と話していると、他の会社がやっているから、とやたら真似したがる傾向がある。

しかし、問題は、そのやろうとしていることが身の丈にあっているかどうか、ということであろう。

いつもこのことを考える必要がある。

2010年11月14日 (日)

やる気やるチャンスやる力/高原慶一郎

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 やり直しができない過去と不確かな未来。この不安感からケインズの経済理論はスタートしたといわれる。不確実な未来・・・・いまの日本ほどこの言葉が当てはまる国はないだろう。これまでのやり方はもう通用しないことはわかった。だがこれからどうしたらいいのかがわからない。
 過去は否定されたが、といって未来への見通しは立っていない、暗中模索の時期か続いている。ビジネスの世界でも不況、雇用不安、産業構造の変化、消費価値の多様化……など危機が目白押しである。しかし危機こそチャンス、変化の時期こそ新しい市場と価値創造の機会と逆転発想しなくてはダメだ。
 “合格リンゴ”の話をご存じだろうか。台風でリンゴ園が大被害を受けた。落ちたリンゴはまったく売り物にならない。みんな落胆しているなかで、ある人が叫んだ。「だが、落ちないリンゴはこれまでの倍以上の価値で売れる」・・・・それが受験生向けのリンゴだったというのだ。
 危機とは危険プラス機会のことだ。新事業や新市場の切り口はどんな時代にも見出せる。むしろ危機にこそ新しいビジネスチャンスが転がっているのだ。不況期には既存の大企業や大組織は迷っている。そんなときこそベンチャービジネスの出番だ。規模は小さくても、新鮮な発想力と独自の技術力、成長への強い意欲、夢やロマンをもった起業家たちが沈滞する経済に新しい活力を与えるのである。(P16~17)

合格リンゴの話は、覚えている。今から二十年くらい前の話だ。

台風にも負けずに落ちなかった傷だらけのリンゴ、これを受験生用の「落ちないリンゴ」として売り出し、大好評だった。

今必要なのもこのような逆転の発想なのだろう。

今の日本と世界は、かつてないほどものすごい勢いで変化してきている。

しかし、危機とは危険プラス機会のことと高原氏は言う。

これまでのものが崩壊してきているということは、新しいチャンスも生まれて来ているということ。

この変化にただ単に適応するのではなく、変化の半歩先を先取りするような発想が、今、求められている。

2010年11月13日 (土)

コーチングの神様が教える「できる人」の法則/マーシャル・ゴールドスミス

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 イギリス人の友人が話してくれたのだが、ロンドンのレストランである年老いたエグゼクティブがいつも世界屈指の美女をともなって食事をしているのを見かけるという、彼は、ハンサムなわけでも異性を惹きつける魅力があるわけでもない。背が低く二重あごで、太りすぎているし、はげていて、年齢は優に70歳を超えている。友人は一人の女性に、どうしてこの男に魅力を感じるのかと尋ねた。彼女はこう答えた.「彼はぜったいに私から目をそらさないの。女王様が入ってきても、彼は目をそらさないで、100%私に注意を向けていると思う、それって抵抗しがたいわ」
 前にも書いたが、ビル・クリントンもこの点において、ものすごく優れている。彼に挨拶をしようと行列に並んで初めて彼に会うときでも、個人的に一対一で接していても、クリントンは相手についてポジティプなことを言うようにしている。それも大げさに言うのではなくて、あなたにわかるように言うのだ。つまり、彼はあなたのことをあなたに自慢するのだ。それは非常に大切な態度だ(あなたがいかにすばらしいかを自分で話すようにさせられるのではなく、誰かかあなたのすばらしさを、あなたのまわりにいる人も聞こえるようにしながらあなたに話してくれたとしたら、どう感じるか想像してみてほしい、すごく、いいよね。心からその人のために何かしたくなるんじゃないか?)。そしてあなたの言葉に満身の注意を払う。クリントンがアーカンソーのつましい生活からどうして這いあがってこられたかが理解できるだろう。(P230)

人は誰でも自分のことを価値ある存在だと認めてくれる人に対して好印象を持つものだ。

そして相手に「自己重要感」を感じさせる、一番大切なことは「聴く」ということだ。

人の話を聴く、この簡単で単純なことのようだが、できている人は意外と少ない。

いや、私自身もできているとは言い難い。

ビル・クリントンには、目の前の相手に対して、「自分は特別だ」とを感じさせる特殊な能力があったということだ。

確かに、あれほどのスキャンダルを公にされながら、それでもなおかつ、致命的なことにならなかったのは、その能力に負うところもあったのではないだろうか。

しかし、どうして人の話を聴くことができないのだろうか。

それは相手に自分自身の話をまず聞いてもらいたいと、人はいつも考えているから。

ほとんどの人がそうであるならば、その中に、人の話を心から「聴く」ことのできる人がいるとすれば、その人が重宝がられるのは当たり前の話である。

「聴く」ことを身につける、これは思いのほか重要なテーマだ。

2010年11月12日 (金)

真実の瞬間/ヤン・カールソン

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 1986年、1000万人の旅客が、それぞれほぼ5人のスカンジナビア航空の従業員に接した。1回の応接時間が、平均15秒だった。したがって、1回15秒で、1年間に5000万回、顧客の脳裏にスカンジナビア航空の印象が刻みつけられたことになる。その5000万回の、“真実の瞬間”が、結局スカンジナビア航空の成功を左右する。その瞬間こそ私たちが、スカンジナビア航空が最良の選択だったと顧客に納得させなければならないときなのだ。
 真に自分たちの会社を、顧客の個々のニーズに応える企業にするつもりなら、現場からかけ離れた部署で作られた規則書や指示書に頼ってはならない。15秒の真実の瞬間にスカンジナビア航空を代表している航空券係、客室乗務員、荷物係といった最前線の従業員に、アイデア、決定、対策を実施する責任を委ねることが必要だ。もし、問題が起こるたびに最前線の従業員が上層部の意向を確かめていたら、貴重な15秒間がむだになり、顧客を増やすせっかくの機会を失ってしまう。(P5~6)

企業が価値を創造するのは、顧客との接点においてである。

そして、その時間は思いのほか短い。

スカンジナビア航空では平均するとわずか15秒という。

しかし、この瞬間にどのような行動をするかで、企業の未来が決まる。

ビジネスプロセスも、この真実の瞬間に、いかに高付加価値のサービスを提供できるかを中心に考えるべきである。

そして、最終的に、その瞬間、どのように考え、どのように行動するかは、社員一人一人の判断にかかっている。

十人十色、一人一人が違うように、サービスもオーダーメイドであるべきだ。

しかし、そのようなサービスを提供するためには、社員自身が自分が考え行動できるように育てておく必要がある。

画一化したサービスから、オーダーメイド化したサービスへと時代とどんどん変わってきている。

いかにこれに適応していくか、企業が問われている。

2010年11月11日 (木)

コンサルタントの習慣術/野口吉昭

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 『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)の著者として知られる分子生物学者の福岡伸一氏は、『日本経済新聞』(2008年8月21日夕刊)のコラム「あすへの話題」に、「10000時間」というタイトルの文章を寄せている。
 福岡氏によれば、以前、スポーツ、芸術、技能などの分野で、「そんじょそこらのアマチュアなど全くよせつけないブロフェッショナル」たちが、いかにして形成されたのかについての調査が行われたことがあったという。その結果、「プロフェッショナルたちの多くは皆、ある特殊な時間を共有している」ことがわかった。
 その時間とは、10000=1万時間。彼らは例外なく少なくとも1万時間、「そのことだけに集中し専心したゆまぬ努力」をしていた時期かあったというのだ。1万時間とは、学生時代なら放課後3時間を使ったとして、毎日練習や修業を続けて、10年間かかる数字である。そのうえでようやくプロといわれる存在になれるのだ。イチローも松井秀喜も石川遼も浅田真央も同じ時間を過ごしているに違いない。
 福岡氏は「DNAの中には、ピアニストの遺伝子も将棋の遺伝子も存在してはいない」と書いている。アルゼンチンの類い稀なる天才ビアニストであるマルタ・アルゲリッチも、平成の最強棋士である羽生善治も、ビアニストの遺伝子や将棋の遺伝子の働きが彼らを生んだのではなく、彼ら自身の努力、1万時間以上をかけた努力の継続かあったからこそ、世に出ることができたのだ。
 世の中に、近道をして成功した人間なんて、一人もいない。
 世の中に、近道をして目標を達成する方法なんて、存在しない。
 プロになったり、成功したり、目標を達成する唯一の方法は、努力を継続することだ。すなわち「努力の習慣化」である。(P17~18)

10000時間、これが一流と呼ばれる人たちが共有している時間。

「やはりそうだろうな」、というのが実感である。

最近、「これであなたも年収2000万円になれる」とか、

「これだけ押さえておけば、かならず投資に成功する」といった、

要領よく近道をすれば、すぐに成功することが可能であるかのように書かれた本が、書店にあふれている。

しかし私は、そんなことは絶対に無理だと思っている。

近道はないのである。

大事なことは、いかに10000時間という時間、同じことを続けられるか、

どのようにすれば、その時間をつくりだすことができるか、ということであろう。

2010年11月10日 (水)

人事異動/徳岡晃一郎

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 成果主義には、管理する側vs.管理される側という区分もつきまとう。目標を与える側と、成果を測られる側である。これも、主体的な目標設定が可能かどうか、最後までつきまとう問題だ。
 これに対して、予定調和的な前提を置いた管理志向の成果主義から一歩進んで、個人が自らのチャレンジを目標の中心に据えることにより、自分の土俵あるいはフイールドで大きなことを仕掛けていくことができる。これを「ほらを吹く」と言う。こうした積極的な姿勢は、自分の想いを鮮明にすることにも役立つ。
 哲学者でありコンサルタントでもあるトム・モリスは、「戦略の策定や業務における目標設定には、理屈と同じくらい想像力も必要だ」と述べ、自分の仕事の意味を見出すためには目標設定に自らの想いの丈を組み込んで、「大ぼらを吹く」ことを勧めている。(P135)

目標管理を導入している企業は多い。

しかし、うまく機能している企業はごくわずかというのが実態だ。

ここで、トム・モリスという人は「目標設定には想像力も必要」だと述べている。

目標設定に自らの想いの丈を組み込んで「大ぼらを吹く」、

これができると、目標設定も、もう少し楽しいものになってくるのではないだろうか。

どうしても会社で行う目標管理には、「ノルマ管理」的な要素がつきまとう。

でも、上から押しつけられた目標で、やる気が起こるのだろうか。

やはり、目標そのものにワクワク感があるような、目標設定の仕方が必要かもしれない。

しかし、その前に、まず「大ぼらを吹く」ことを許す社風を作り上げることが大事だろう。

2010年11月 9日 (火)

顧客対応力経営/桐山秀樹

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 ロムテックは、小さな半導体メモリに、コンピュータを働かせるためのプログラムを入力(書き込み)することが主力作業である。もちろん、作業品質か高いことは言うまでもないか、もう一つ、納期においても「感動」がある。
 単に発注者側の求める納期を満足させるだけではない。ときには、顧客である発注者側が驚き、感動するほどの「サプライズな納期」で、これを実現する。
 たとえば、取引先企業から夕方近くになって急遽ソフトウェア修正が必要となった半導体が送られてくる。ロムテックではその緊急性を関係者で即座に判断・共有し、定明的な作業を一時中断してでも書き込みを行う。そして、迅速に徹底的に全品検査を行い、宅配便などを利用してその口のうちに発注先に送り返す。発注者側の担当者が翌朝出社してみると、もう書き込み済みの半導休メモリが、「検査済」のシールを貼られて机の上に屈けられているのだ、昨夕頼んだものがすでに手元にあることに、「感勤」しないわけがない。(P64~65)

埼玉県新座市にある、わずか従業員70名の企業、ロムテック。

100年に一度の危機と言われる未曽有の大不況の中にあっても、業績を維持し続けている。

この企業、顧客が感動するほどの「短納期」を実現させているという。

夕方近くになって送られてきた半導体が、翌朝には担当者に届いている。

これで感動しないわけがない。

逆に言えば、単なる顧客満足ではなく、顧客を感動させるようなサービスや商品を持つ企業は、規模の大小を問わず、どんな不況下にあっても、生き残っていけるということである。

そう考えると、現在は「100年に一度の危機」ではなく、「100年に一度のチャンス」と言えなくもない。

2010年11月 8日 (月)

浜矩子の「新しい経済学」 /浜矩子

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 グローバルースタンダードは従うべきものではない。踏み越えていくべきものなのだと思う。
 ここまで来て頭に浮かぶのか、アメリカのメジャー・リーグで野球をやっている目本人選手たちのイメージだ。近頃は、実に多くの、それこそ多様な選手たちか様々な球団に所嘱してプレーしていろ。彼らの活躍を見るのはとても楽しい。楽しみながら彼らの姿を見ているうちに、解ってきたことが一つある。彼らは、大別すれば三つのタイブに分類することが出来るのだ。一に「グローバル・スタンダード追随型」、二に「ローカル・スタンダード引きずり型」、そして三に「マイ・スタンダード堅持型」である。
 それぞれを典型的に代表するのは誰か。野球がお好きな方であれば、すぐお解りのことだと思う。「
グローバルースタンダード迫随型」は、とても真面目だ。懸命に大リーグのやり方に馴染もうとする。チームのためにひたすら頑張る。ひた向きで感動的だ。だか、ちょっと涙ぐまし過ぎるものがある。思う存分に個性を発拝できていないからか、もう一息成績か上がらない。優等生なのだが、ジャングル的迫力はいま一息だ。その人の名は松井秀喜。
 「ローカル・スタンダード引きずり型」は、向こう気は強いか、適応力に乏しい。「ここはどこ?」を見定める感受性に乏しい観かある。いつまでたっても、新しいジャングルに馴染みきれず、昔のやり方を引きずっている。そのせいか、故障か多くていけない。結果的に、満足にジャングル生活を送れていない。その人の名は松坂大輔。
 そこへいくと、「マイ・スタンダード堅持型」は堂々としたものである。どのようなジャングルに居場所をおこうと、自分流を崩さない。どんな環境の中にいようと、独自の原則に従ってしっかり行動する。人がつくった尺度に振り回されることは決してない。人がつくった尺度は、その尺度で測った最高記録を次々と破っていくためになる。この人にとって、グローバル・スタンダードはまさしく踏み越えていくためにある。この人と、画一化という言葉は無縁だ。その人の名は、言わずと知れたイチローさんである。
 グローバルースタンダードという名の統一基準が至上だと思い込んでいる限り、我々はグローバル・ジャングルの中でうまく共存していくことは出来ないと思う。(P72~74)

グローバルスタンダードという言葉が氾濫している。

グローバルスタンダードが唯一の正解であるかのごとく言う人もいる。

海外に出て行く大企業は、グローバルスタンダードに合わせていかなければ、生き残っていくことはできないという人もいる。

しかし、問題は、それに合わせようとするのではなく、その中で自分の強みを生かせる独自のポジションを見出し、そこに力を集中し、他と差別化することではないだろうか。

著者は、メジャーリーガーの松井、松坂、イチロー選手の例をあげて、このことを語っている。

問題はグローバルスタンダードは踏み越えて行くべきものであって、それを基準としてすべてのことを考え、判断することではないということである。

私は経済のことは、あまり詳しくないのだが、このことを個人や企業の問題に置き換えて考えるとよくわかる。

個人であれ、企業であれ、周りの基準に何でも合わせればよいというものではない。

むしろ、それをやってしまうと、没個性ということになり、周りに自分を埋没させてしまうことになる。

むしろ、大事なことは、そのような環境は十分に理解した上で、自分の強みを生かせるポジションを見出し、そこに力を集中させるこではないだろうか。

今こそ、本当の意味で選択と集中が求められる時代だと言える。

2010年11月 7日 (日)

売る仕組みのつくり方/青木仁志

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 以前、私のところにコピー機を売っているセールスパーソンが相談に来たことがあった。以下はそのときの私と彼との会話である。この話も、何度か話しているが、大事なポイントなので紹介しておきたい。
 「青木先生、仝然売れないんです。それどころかアポも満足に取れません。当然思うように成績が伸びずに悩んでいます。どうしたらいいでしょうか?」
 「あなたは何を売っているんですか?」
 「コビー機を売っています」
 「もう一度お聞きします。あなたが本当に売っているのは何ですか?」
 「先生、私はコピー機を売っています。OA機器を売っていると言い換えてもいいですけれど…」
 彼はいくぶん憤然とした□調になった。
 「あなたは白分が売っているものを知らない」
 「…………?」
 今度は豆鉄砲を食らったような顔つきである。彼は毎日OA機器を売りに行っていると思っているのに、自分の売っているものを知らないと私に言われたものだからびっくりしたわけである。
 「あなたか本当に売っているのは、オフィスの生産性を高めるための仕組みであり、道具です。だから『御社のオフィスの生産性を20%高めるアイデアをもってきました』とそのニーズを先に伝えて、手段として商品を売ればいいのです」
 そう説明しているうちに、彼は重苫しい悩みから解放されたさわやかな顔になって帰っていった。(P91~92)

顧客満足のためには相手の立場に立つことが必要だということはよく言われる。

しかし、具体的にそれを実践するためには、想像力を働かせなければならない。

たとえば、ここで事例として出されているコピー機のセールスパーソン。

「コピー機を売っている」、これはあくまで売る側の立場にたった受け止め方。

顧客に立場に立つと、どうなるのか?

「オフィスの生産性を高めるアイディア」である。

おそらく売れるセールスパーソンと、売れないセールスパーソンとの違いはここにあるのだろう。

「顧客第一主義」とか「CS」は、最近はどの会社の経営者も大事だと言う。

問題は、それを単なる言葉で終わらせることなく、そこから更に想像力を働かせて、具体的な言葉に置き換えることができるかどうかということではないだろうか。

2010年11月 6日 (土)

限りないダントツ経営への挑戦/坂根正弘

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「ダントツ商品」とは、
①思い切って犠牲にするところを先に決めて、
②競合他社が数年かけても追随できないような大きく差別化できる2、3の特長を持ち、
③しかも、製造原価は従来機と比べて10%以上低減できる
という考え方のもとに開発する新商品である。
 つまり、性能・品質はもとより、シェアも世界一をとる商品の開発ということである。
 この大枠の開発目標は、実は私が示したものだった。平時ならとても無理と言われそうな高い目標だが、危急存亡の秋にあってはやむをえない。(P39~40)

坂根氏が社長に就任した当時、コマツは業績低迷に喘いでいた。

この時期に出された開発目標がこの、「ダントツ商品」というものである。

捨てるべきところをハッキリと決めて、強みを最大限生かす、

つまり選択と集中を商品開発において実行するということである。

この開発目標が、危急存亡の秋にあって出されたということに注目したい。

このような思い切った選択と集中は、平時であればとても出せないと坂根氏は言う。

この中に、リーダーとして何が必要なのかということがハッキリと示されている。

リーダーとして必要なことは、ビジョンを示し、目標を示すことである。

そして、時を見定め、危機感を共有し、皆を一つの方向に向かわせる。

そのためにはインパクトのある目標がどうしても必要だということであろう。

しかも、目標を出すタイミングも重要である。

「リーダーシップとは何か」という問いに対する、答えの一つがここにある。

2010年11月 5日 (金)

『坂の上の雲』に学ぶ中小企業経営力/臼杵昌美

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 企業の活動においては、「専門家」がいたるところに存在する。
 技術者、職人から始まり、マーケティングの専門家、人事の専門家、財務・経理の専門家、そして外部支援役として、弁護士・会計士・税理士・司法書士・社会保険労務士・建築士・弁理士等々、数えあげればきりのないくらい専門家と言われる人たちか何らかの形でかかわっている。
 旅順要塞め攻防においては、その専門家の扱いがうまくいかず、大量の損害を出している。
 同様の戦法が繰り返しおこなれ、被害かつのるだけで旅願要塞がなかなか陥ちない。
満州軍指令部はもとより、大本営も不満を募らせていた。最終的には、その陥落までには191日、6万人の死傷のうち、6200人の死者を出した。
 その状況を見かねた、満州軍司令部の参謀長の児玉源太郎は、司令長官の大山巌の了解を得て、同じ長州の出身である旅順司令長官の乃木希典の指揮権を一時借用する。
 要塞を破壊するには、203高地に集中して、大口径の砲弾を近くから大量にぶち込むという単純な、攻撃形態が乃木司今部では取られていなかった。
 児玉はこのシンプルな理屈に基づき、24時間以内に重砲を火石嶺付近から、高崎山に陣地を変換(半分以下の射程に接近する)し、連続砲撃を指示する.専門家達は、移動はそのような短時間ではできない、連続攻撃で味方を撃ってしまう可能性がある、といって児玉の非常識な指示に反発するものの、児玉は押しきり実行させる。
 その結栗、信じられない話であるが、半年以上もかかっていた攻撃か、203高地の西南角を1時間20分で占領し、さらにその東北角をわずか30分で占領することができたのであった。
 児玉は、(乃木は、専門家に呑まれちょったんじや……)と、解釈している。(136~137)

専門馬鹿という言葉がある。

自らの専門性や過去の経験・知識にこだわり過ぎるあまり、周りが見えなくなり、判断を誤ってしまうことがよくある。

変化の速い現代においては、過去の成功体験がどんどん陳腐化してしまうという現象がおこっている。

むしろ、このような時代において、勝ち残っている企業は、これまでの常識という殻をどんどん打ち破ってきている企業である。

専門知識や技能を持つことが悪いのではない。

専門知識を持った上で、それに捕らわれない自由な発想のできる人が、今、求められているのであろう。

2010年11月 4日 (木)

企画力/田坂広志

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 企画とは、実行されて初めて、企画と呼ふ。
 つまり、それは「一枚のカード」なのです。いま、プロフェッショナルの手元に、「企画力」というカードがある。では、それを裏返すと、そこには何と書いてあるか。
「実行力」
 そう書いてあるのです。
 だから、我が国でしばしば使われるあの言葉は、正しい言葉遺いではないのです。
「彼は、企画力は優れているか、実行力がない」
 こうした表現は、まるで、あのジョークと似ています。
「手術は成功したか、患者は助からなかった」
 それは、医者の世界で語られるこのジョークと同じなのです。すなわち、「企画力」と「実行力」を分けて語ろうとする、こうした評価のありかたそのものが、大いなる錯誤なのです。(P23~24)

企画力と実行力は一枚のカードの表と裏、

この点を多くの人は見落としがちだ。

企画が実行されて初めて、企画力となる。

実行されない企画、会社であれば、それはゴミ箱へポイ、それで終わりである。

しかし実際には、「彼は企画力はあるのだが・・・」という言葉はよく使われる。

この言葉自体、企画力というものを正しく捉えていない。

何のために企画をするのか?

それは「何か」を実行し、「何か」を実現するためである。

その「何か」を相手に明確にイメージさせ、行動に向かわせる、これが企画力である。

こう考えると、世に出回っている企画書の多くが、そのレベルに達していないと感じる。

単なるデータや資料の羅列に終わってしまっていたり、

レイアウトや見た目ばかりにこだわり、結局、何かいいたいのかサッパリわからないものであったり。

そして、これらを作る技術的な面ばかりを捉えて、企画力と言っている面が多いのではないだろうか。

言葉は大切だ。そして正しく使うべきだ。

2010年11月 3日 (水)

リーダーになる/ウォレン・ベニス

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 GEの元CEOジャック・ウェルチは、こういった。「一昔前の上司は、部下より少しものを知っているという理由でボスになった。しかし、こうした上司はマネジャーにすぎない。未来の上司は、ビジョン、価値観、目標を部下と共有し、それを通してチームをみちびく」
 リーダーをリーダーたらしめているものは、ビジョンを生みだし、それを実現する能力だ。
「夢の中で責任は始まる」とイェーツはいった。ビジョンとは、目覚めたままで見る夢だ。(P289)

リーダーとマネージャーとの違いは何か?

いろんな形で言われているが、大きな違いはリーダーとはビジョンを語る存在であるということである。

ビジョン生み出し、共感を生み出し、組織を動かす力がリーダーに求められる。

しかし、今、リーダーとして立たされているリーダーに最も欠けているのが、ビジョンを生み出し、ビジョンを語り、共感を得るという能力である。

政治、経済、教育、企業、等々、様々な世界のリーダーに最も欠けているのが、これである。

「ビジョンを語る」、これができない人はリーダーとして立つべきではない。

2010年11月 2日 (火)

リーダーシップ/ルドルフ・ジュリアーニ

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 ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、“神は細部に宿る”と述べた。そのとおりだと思う。リーダーが大きな組織の細部を。“隅から隅まで”知っていたりすると、それは部下に裁量権を与えない統制管理だと非難されがちだ。しかし、組織がどう機能するかを理解しておくのは、リーダーの責任であると同時に、うまく部下に仕事を任せることにもつながる。
 “小さなことをおろそかにしない”という方針は、わたしが犯罪に立ち向かうために採用した。“壊れた窓”理論の核心をなす。この理論は、人が住まなくなった建物の壊れた窓のように、一見些細な事象が、地域の荒廃というもっと重大な結果に直結すると考える。無傷の建物なら石を投げない人間でも、すでに窓がひとつ壊れている建物なら、もうひとつ窓を壊すことに抵抗を感じないだろう。さらに、次々と窓を割って大胆になった人間は、周りに違法行為を止める人間がいないと見るや、もっと悪質な犯罪を行なうかもしれない。
 同じ方針が、犯罪だけでなく、管理者が直面する課題すべてにあてはまる。(72~73)

小さなことをおろそかにしない。

このことが徹底できている企業は以外と少ないのではないだろうか。

様々な会社を訪問したとき、まず最初に見るのは、

社員が挨拶をきちんとできているかどうか、

整理整頓ができているかどうか、

社屋が古いか新しいかにかかわらず、きちんと掃除がされているかどうか、

机の上に資料が山積みにされていないかどうか、

このような点である。

一見、どうでもいいようなことなのだが、実はそこに会社や社員の意識、社長が社員に何を教えているのか、が表れているからである。

これは意外と当たる。

やはりいい会社は、小さなことをおろそかにしない。

逆に、悪い会社は、小さなことはどうでもいいと言わんばかりに、売上や利益ばかりを気にする。

大きなことを変えるためには、まず小さなことにこだわり、変えることだ。

2010年11月 1日 (月)

健全な組織は価値観の経営を目指す/田村均

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「勝ち負け」は「価値」負けというのは、ただの語呂合わせではありません。競合との勝ち負けというのがあります。これは、お客様から見れば、競合する会社が提供する価値の負けか勝ちかです。価値に対して共感が得られたら勝ちます。価値に対して期侍を裏切ったら負け。だからこの価値というのは商品そのものということもあるけど、どちらかというとその会杜がその商品をつくるための活動で何を大事にしているかが関係してきます。(P95~96)

価値観の多様化が進む現代、

企業のマーケティングの手法が変化してきている。

以前は、均一化した商品やサービスを、大量に生産し、普及させることが重要だった。

しかし、現代では、企業がまず価値を明確に打ち出し、その価値に共感、共鳴する人がその企業の商品やサービスを買う、こういう形に変化してきた。

旗を立てて、それに対して好きな人に集まって頂く。

この数が多ければ多いほど繁栄する。

そしてその集まった人の声を聞いて、それに合った商品やサービスへと日々改善していく。

このようなサイクルをまわせるかどうかがポイントになってくる。

問題は、「わが社はこのような価値を大事にしています」という表明が明確になされているかどうかである。

もはや特徴のない商品やサービスでは生き残っていけない。

これからは価値観の時代だと言える。

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