ニート/玄田有史、曲沼美恵
どんな理由であれ、自分が本当にやりたいと思うことが見つからず、苦しんでいることだけは、ニートの多くに共通している。でも、そもそも、やりたいことがない、っていうのは、本当にそんなにダメなことなんだろうか。
私は、そうは思わない。やりたいことなんてなくてもいい、むしろないほうがいいとすら思っている。あんまり今の自分のやりたいことに凝り固まってしまうと、自分もまだ知らない、本当の自分のやりたいことを、見逃してしまう。
人生が終わろうとするとき、「ああ、これが自分の本当にやりたかったことだったのか」と気づくことは、今の自分が求めているものとは、きっと違う。自分のやりたいこと、実現したい自己なんて、本当は誰にもわからない。
やりたいこと、特にやりたい仕事があるのは、幸せなことかもしれないけど、やりたいことがないからといって、それは決して不幸なことではないのだ。
ニートの背中を後押しする仕事を続けている工藤啓さんは、世の中には3万種類もの職業があるのに、そこから一つだけ本当にやりたい仕事をみつけるなんて、3万分の1の確立だ、難しいのは当たり前という。だから「一番やりたいこと」よりも「やってもいいこと」「関心のあること」「好きなこと」くらいから、少しずつ広げていけばいい。やりたいこととは反対に「どうしてもやりたくないこと」を3万から減らしていっても、やりたいことに出会う確立は、高くなる。やりたいことがなくても、やりたくないことなら、いくらでもみつけられる。
大人は、やりたいことをみつけなさい、自己実現をめざして頑張りなさいと、言い過ぎだ。でも本当は、ほとんどの人がやっている仕事は、自分のめざすものを実現しようとしてやっているわけじゃない。仕事を通じて夢を実現する大人は、いつの時代も、ごく一握りの人間だ。
それに無理にやりたいことなんてみつけようとしなくても、チャンスはやってくる。ある日、突然やってくる。そしてチャンスの訪れる確率は、仕事をしていない場合よりも、仕事をしている場合のほうが高い。働かないよりは、できれば働いていたほうがいい理由は、ただそれだけだ。
やりたいことを実現するために、仕事をするんじゃない。今の自分も知らない、自分のやるべき「本当」に出会えるかもしれないから働く。そのために一歩だけ、踏み出すことだ。(P259~260)
やりたいことが見つからない、だから働かない、
多くのニートに共通して言えることだという。
しかし、やりたいことが見つからないというのは、ニートだけではない、
今、実際に働いている人の大部分もそうなのではないだろうか。
しかし、「だからダメなんだ」といってしまってはいけない。
むしろ、やりたいことが見つかる、というのはラッキーなことなんだと考えるべきだ。
そもそも、そう簡単にやりたい仕事が見つかるわけではない。
いろんな仕事を経験してみて、死ぬ前に「自分が本当にやりたかったことはこれだったんだ」と思えればそれでいいのかもしれない。
あまりにも仕事に自分の夢や自己実現を求めすぎているような気がする。
大事なことは、まず一歩を踏み出すこと。
そうすれば、ある日、突然、やりたいことに出会えるかもしれない。
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