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2010年12月 5日 (日)

キリスト教文化の常識/石黒マリーローズ

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 欧米、中東の政治家たちは、自分たちの心のふるさとである宗教のことを口にするのをためらいません。日本の人の感覚だと、公の席で神だの仏だのといいだすと、ちょっとおかしいと思われるかもしれません。実際、日本の政治家で仏教の教典を引用したり、仏さまの名を口にしたりする人は、私が聞いた限りではあまりいないようです。
 でも、多くの人の命と生活を預かる偽政者たちが、その責任の重さに畏れを感じて神の名を口にする、もしそのことが政治家としての謙虚さと職務への使命感につながるのならば、それは素晴らしいことではないでしょうか。そういう気持ちのまったくない人がいたら、私はそういう人に政治を委ねたくないと思います。もちろん、政治家が神を畏れ、行動の規範として信仰を持つことと、それを他人に強制することはまったく別のことです。でも、個人として神を信じ敬う気持ちをもっていることを欧米の政治家は隠しませんし、またそういう人柄の方が人々の信頼を勝ち得ることが多いようです。(P111)

一国のリーダーである政治家が、自ら信じる神の名を口にする、

多くの欧米の政治家は、そのことを何のためらいもなく行う。

それは政治家としての謙虚さと職務への使命感の表れであると言う。

私もその点は共感できる。

やはり、それだけ国の政治を司るということは、重いものである。

ある意味、神への畏れがなければ、できるものではない。

その意味では、日本の政治家は、まず根本問題として、神への畏れがない。

自らの野心や名声のために政治家になっているのではないかと思える人が多くいる。

本当にこの人に、この国の将来を託せるのかと思えるような人があまりにも多い。

確かに、日本の政治家で、自らの信じる神の名を公の場で口にすることはない。

しかし、ある人が「日本の常識は、世界の非常識」と言ったように、この点がむしろ日本の弱い部分ではないだろうか。

あらゆる分野でグローバル化が叫ばれている昨今、

そのためには、その人は何を核にして考え行動しているのか、という根本問題が重要になって来るように思える。

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