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2010年12月11日 (土)

ユニクロ型デフレと国家破産/浜矩子

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 戦後復興期の日本や今の中国のように、無から発展していこうとする段階の経済ならば、目標ははっきりしているし、方法も一つしかない、だが、成熟経済の段階に入り、21世紀を生きる我々は、「その時代は終わった」と強く自覚しなければ、先に進めないだろう。
 では、日本がどういう方向へ向かえばいいかと考えると、答えは案外、簡単に出てくる。集権的管理が役割を終えたのだから、思い切ってその反対へ行く。つまり、“集権的管理モデル”から、“競争的分権モデル”へ移行するのだ。
 グローバル化時代を経験してみるまでは、グローバル化とは、世界が大きくなることを意味し、みなが同じスタンダード(グローバル・スタンダード)につき従うことだと考えられてきた。しかしこれは間違いで、グローバル化とは、“巨大化”ではなく、むしろ“微小化”に通じ、グローバル時代とは、ローカルスタンダード、さらに言えば、マイ・スタンダードの時代なのだ。(P210~211)

今、日本は、いや世界はグローバル化時代へと突き進んでいるというのは確かなことだ。

しかし、そのグローバル化という言葉の持つ意味は、もっと深く考える必要がある。

一般にグローバル化というと、“巨大化”と捉えがちだ。

世界標準のモデルがあり、すべての国や企業がそれに合わせようと同じ方向に向かっていく、これがグローバル化だと。

しかし、この方向に向かっていくと、おそらく規模の経済が働く、

つまり大きくて強いものが勝つという世界だ。

企業であれば、規模を大きくすることにより、商品の単価を限界まで下げていく。

そのチキンレースに勝った一握りの企業が勝者、あとは敗者という構図になっていく。

でも、誰がそんな世界を望んでいるのだろうか。

誰も望んでいないにもかかわらず、世界はその方向に向かっていっているような気がする。

しかし、グローバル化を“微小化”“多様化”“個性化”と捉えればどうだろう。

小が大に勝つことも可能だ。

この細くて狭い道に、少しでも多くの企業や個人が参加し、道を切り開いていく。

これこそがもう一つのグローバル化への道だと思う。

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