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2011年2月の28件の記事

2011年2月28日 (月)

イチローにみる「勝者の発想」/児玉光雄

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 イチローはこんなことを語っている。
「カウント1-3のとき、フォアボールでいいかって思う選手、結構いるんだけど、普通に打つ気もなく見逃してフォアボールを選ぶことと、打つ気で行って、それがボールになって結局フォアボールになるのとでは、僕にとって全く意味が違うんですよね。積極的か消極的か。同じフォアボールという結果でも、そこは僕にとって、全く違う」
 イチローの心の中には、バットを振らなければ進化できないというこだわりがある。つまり四球で塁に出るのと、ヒットを打つのとではまったくプロセスが違うのだ。1-3になったとき、並のバッターは、「ボールになってくれ!!」と心の中でつぶやく。一方、イチローはピッチャーに向かって「最高のボールをストライクゾーンに投げてこい!!」と心の中で叫んでいる。
 彼の意識は、いつも結果よりもプロセスを重視することに絞り込まれている。だから結果がどうであろうと自分の決めた型を絶対くずさない。(P51~52)

イチロー選手の特徴の一つに“プロセス重視”というものがある。

逆に言えば、よいプロセスを踏んでいれば結果は必ず後からついてくるという確信があるということであろう。

たとえば、「四球もヒットも塁に出るということではまったく同じ、しかしプロセスはまったく違う」という考え方。

このような考え方を持ってバッターボックスに入り、その考えを一つ一つ実行する。

この積み重ねが、自らを成長させ、そしてよい結果に繋がる。

元楽天イーグルスの野村監督も同じようなことを書いていたことを思い出す。

プロフェッショナルの「プロ」とは「プロセス」の「プロ」だと。

また、成長する企業の経営者もやはり、プロセス重視の考え方をする人が多い。

こう考えてみると、プロセスにこだわり続けるというのも一流の条件だといえるのではないだろうか。

人間誰しも結果がほしい、

しかし、だからこそ、プロセスに徹底的にこだわるべきである。

2011年2月27日 (日)

挑戦つきることなし/高杉良

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「挫折ということを知らなかった。向かうところ可ならざるはなし、といい気になっていた。四年の闘病生活は、人生観を変えた。友人にすすめられて読んだ聖書も、心の支えになった。運命は神から与えられたもので、それにさからうことはできない。人間一人の存在などいかに無力なものかと思ったこともある」(P167)

この小説のモデルは「クロネコヤマトの宅急便」の創業者、小倉昌男。

小倉社長と言えば、当時大口顧客であった岡田三越との決別宣言、

このときは、マスコミが「ネコがライオンに噛みついた」と書き立てた。

また特筆すべきは、旧運輸省との無謀とも言えるケンカ、

そして遂にその厚く大きな壁に、風穴を開けた。

1986年夏、時の運輸大臣、橋本龍太郎を相手取って提訴に踏み切ったことなどは、痛快極まるエピソードである。この時、

「運輸省なんて腐った官庁は要らない。運輸省のお陰で“宅急便”はずいぶん損してる。ということは良質なサービスを受けられないでいる“宅急便”の利用者が損しているっていうことだ」

と“闘争宣言”している。

それにしても、こうしたケンカをして、クロネコが生き残ったのは奇跡に近い。

特に経営者には、強靱な意思と精神力が要求されることであろう。

そして、その原点となったのが、結核で4年間、死の淵をさまよった体験ではなかっただろうか。

この体験である種の“悟り”を開いたことが、その後の行動につながったのでは、と思えてならない。

人生観を一変させるような“原体験”があることにより、人は強烈なパワーを得る。

2011年2月26日 (土)

日本人の美徳/櫻井よしこ

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 言葉には意味と重みがあります。その言葉をどのくらいの頻度で使うかによって、そこに込めた気持ちや思いの強ざがわかります。その意味で、日本国憲法の第三章を見ると、権利と自由ばかりが強調されています。
 憲法は天皇に関することから始まり、憲法改正条項までありますが、第三章の「国民の権利及び義務」が一番大きい章になっています。その章に、憲法を作った人が最も強い思いを込めたことがわかります。
 第三章には、「あなたにはこういう権利があります。だからそれを行使しなさい。あなたにはこういう自由があります。だからそれを行使しなさい、要求しなさい。あなたは個人です。権利と自由を持った個人なのです」というようなことが集中的に書かれているのです。
 権利の裏には責任があり、自由の裏には義務がある。それを果たしなさいということはすっぽり抜けているんですね。
 また、あなたは個人だけれども、親から生まれてきて、育ててもらったのです。だから家族を大事にしなければなりません。自分の主張を通すとともに、周りのことも考えなさいという価値観も抜けてしまっています。
 どのような価値観を重視しているかということの判断基準の一つは、その価値観を持った言葉を、どれくらい頻繁に使っているかです。憲法第三章に出てくる言葉を数えてみたら、権利が16回、自由が9回、義務が3回、責任が3回でした。
 ということは、一番強調されているのは権利と自由で、義務と責任はほとんど無視、軽視されているのです。戦後の日本人は、個人、個人、個人。家族の一員でも社会の一員でもなく、すべて個人重視なのです。その偏った在り方を正していく必要があると私は思っています。(P162~164)

憲法問題というと九条の平和憲法の問題が取り上げられることが多いのだが、ここで櫻井氏は三章に出てくる言葉の問題について語っている。

三章は「国民の権利及び義務」について書かれているのだか、

その中で、権利と自由がやたらに強調され、義務と責任がないがしろにされていると主張する。

確かに、権利と義務、自由と責任は対で考えるべきであり、一方が強調されすぎると、おかしくなってしまう。

戦前の日本は、やたらに義務と責任ばかりが強調される国家であった。

ところが、戦後民主主義が入って来ると、今度は権利と自由がやたらに強調されるようになり、義務と責任の部分がどこかへ行ってしまった感がある。

どうも日本人の特性として、一方にやたら傾いてしまうというところがあるようだ。

一方、戦後、義務と責任がないがしろにされているとは言っても、あることがきっかけに、義務と責任の方に大きく振れていくこともある。

記憶に新しいのが、数年前に起こった「自己責任論」だ。

当時、イラクで人質になった日本人に対して、「警告しているにも関わらず、危険地域に足を踏み入れた者が悪い」ということから、その議論は起こった。

どうも日本人にとって、権利と義務、自由と責任というものが、今だに自分たちのものとなっていないようだ。

その意味では、今だ日本は民主主義が根付いていない、大人になりきれていない国家だといってもよいかもしれない。

2011年2月25日 (金)

平時の指揮官 有事の指揮官/佐々淳行

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 アルベラの戦いで宿敵ペルシアのダリウス大帝に大勝し、敗走するダリウスを追って、真夏の太陽の下、二日間に440マイルを踏破する強行軍の追撃戦を展開したときのこと。
 全軍焼けつくような喉の渇きに、もだえ苦しみながら行軍していた。そんなとき、一人のマケドニア兵がどこで見つけたのか、兜一ぱいの水をアレキサンダー大王に捧げた。
 思わず口をつけようとしたアレキサンダー大王がふと気がつくと、まわりの騎兵たちが首をのばし、羨ましそうにその兜の水をジッと見つめている。アレキサンダー大王は、突如その兜の水を大地に流し、「いざ、進もう、われらは疲れもせず、渇きもせぬぞ」と叫んだ。
 それを聞いた全将兵はどっと感激の声を挙げ、「かかる大王に率いられたわれらは不死身だ。天下に敵はないぞ」と叫んだという。(P146)

古今東西、歴史にその名をとどめる名将たちは、例外なく「感情移入」ができる精神的素質を備えている。

分かりやすく言えば、部下の立場に立って物事を考える「思いやり」を持つということだ。

部下に一体感、上下の強い連帯感を与えるためには、いろいろな方法があろうが、

いちばん基本的で簡単なことは「同じものを飲食すること」ではないだろうか。

上記のアレキサンダー大王のエピソードもそのことを物語っている。

合理的に考えれば、リーダーが何を食べ、何を食べようが、部下とは関係ないことである。

むしろ、リーダーがしっかりと飲食をして健康な状態でいて、正しい判断をしてもらった方が、全体にとってプラスであるとも言える。

ところが、人間は元来、合理的に物事を受け止め判断する動物ではない。

感情というフィルターを通して、物事を見、判断する。

そこで大事なことは、“感情移入”という問題だ。

リーダーは部下と同じものを食べて飲んでいることにより、部下に感情移入する。

それにより、部下もリーダーに対して感情移入できるようになる。

それが一体感を醸成し、強い組織が形成される。

リーダーはその意味では、人間の感情の機微に対して敏感でなければならないということであろう。

2011年2月24日 (木)

鈴木敏文 考える原則/緒方知行

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 仮説・検証をちゃんとやっていけば、仕事はおもしろくなります。仕事はゲームなのです。そして、その結果として、業績に変化が表れるのです。
 一番大きいのが発注の仕事ですが、それ以外のすべての仕事にもこの考え方は活かされていなければなりません。
 仮説を持って仕事に取り組み、そこで仕事に変化が与えられたら、否が応でも結果がどうなったかの検証のためのデータを見たくなるものです。
 たとえば、オリンピックで一生懸命に走っている選手は、タイムが気になります。自分がプレイしていなくても、自分のひいきの野球チームでも同じです。勝敗はもちろん、だれが投げて何点で抑えて勝ったか、だれが何本ヒットを打ったかという結果が気になります。
 データを見ているかいないかは、すべて関心の度合いの問題なのです。仕事に対して興味が持てるかどうかはすべて関心度の問題なのです。(P128)

せっかく就職した会社を辞める原因の一つとして、「仕事が面白くない」といったものがある。

しかし、仕事が面白いかどうかは、本人の取り組みの姿勢による部分が大きい。

ここで鈴木氏は、「仮説・検証をちゃんとやっていけば、仕事はおもしろくなります」と述べている。

仮説を持って仕事に取り組み、その結果、その通りになったかどうかを検証する、

ある面、ゲーム的な要素を取り込むことにより、仕事を面白くする。

さらに、仮説、検証のサイクルが回るようになれば、仕事の質も上がり、

仕事の質が上がれば、業績にも変化が表れるようになる。

結果として、ますます仕事が面白くなる。

結局のところ、受け身では、どんな仕事についても、本当の面白さはわからないということであろう。

2011年2月23日 (水)

コア・コンピタンス経営/ゲイリー・ハメル&C・K・プラハラード

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 アップルの技術者たちは考えた。
「もしコンピューターがそれほど利口ならば、人間がコンピューターの使い方を学習するのではなく、コンピューターに人間がわかるやり方を学習させればよいではないか」。この型破りな考え方からリサが生まれ、ついでマッキントッシュが生まれた。(P117)

アップル社が設立されたのは、1970年代のこと、

その当時、コンピューターと言えば、オフィスビルの奥深く、特別につくられた大きな部屋に置かれていて、子供がコンピューターを持つなど、夢物語としか思えなかった時代である。

そのような時代に、上記のような未来を描くことができたことが、アップル社の今日につながっている。

企業には三種類ある。

一つめは顧客のニーズを無視する企業、

二つめは顧客の声に耳を傾け、明示されたニーズに応える企業、

三つめは顧客自身が何なのかはっきりとわからないうちに、顧客の望むところへ引っ張っていく企業。

未来をつくり出す企業は、顧客を満足させるだけでなく、いつも驚かしたり、嬉しがらせたりする。

アップル社やグーグル、そしてかつてのソニーはそのような会社だった。

私は仕事柄、中小企業と関わることが多いのだが、一つ目の「顧客のニーズを無視する企業」は意外と多い。

せいぜい二つ目の「顧客の声に耳を傾け、明示されたニーズに応える企業」であり、このレベルで、中小企業では「いい会社」と言われる。

しかし、このレベルでは結局、価格競争に巻き込まれてしまい、これからのグローバルな時代で、勝ち残っていくのは難しいだろう。

中小企業であっても、未来を創り出すような会社になることが、今、本当に求められているのではないだろうか。

その為には、未来に向けての明確なイメージを持つことである。

「中小企業も」ではなく、「中小企業だからこそ」未来に向けての明確なイメージを持つ必要がある。

2011年2月22日 (火)

一瞬で脳力がアップする! 考える技術/渡部昇一

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 私が学生のころ、ふとしたきっかけで「音楽界は今、大きな曲がり角にさしかかっている」と言うラジオ放送を耳にしたことがある。そのときはなんとはなしに聞き流したのだが、それから三十年あまり後、今度もラジオで「音楽界は大きな曲がり角にさしかかっている」と言うのを聞いた。そうすると、二、三十年もの間、音楽界は常に曲がり角にあったということである。
 屁理屈だと思うかもしれないが、これは、ある意味で、時代というものの核心を突いていると思う。「大きな曲がり角」といっても、おそらく、直線の時代があった末に曲がり角にさしかかっているということではない。常に曲がっているものなのだ。(P134)

時代は常に曲がっている、

確かにそうかも知れない。

今は変化の激しい時代であると言われている。

特にITの進化によって、この変化のスピードがますます強まったという実感がある。

しかし、一方、では変化の全くない時代があったのだろうか、という視点で時代を見ることも大事だ。

人類の歴史が始まって以来、全く変化の無い時代など無かったはずである。

そして、いつの時代でも、変化に適応していくことができなかった者が淘汰されていったということも歴史が証明する。

つまり、変化の激しい時代だと言っても、それを特別なことと考えない方がよいということ。

環境は変化するのが当たり前であって、変化に適応していかなければ生き残っていけないのも当たり前のことなのである。

そのように考えれば、少しは肩から力が抜けるのではないだろうか。

2011年2月21日 (月)

上杉鷹山「奇跡」の経営/鈴村進

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一、倹約は、しやすいところへ力を注ぐべきである。難しく、やりにくいところへ労力を費やすべきではない。「智者は事なき所を行く」という言葉もある。
 すべて物事は、こうすればこうなっていくという自然の筋道があるものである。その自然の道に従って物事を行なうこと、それが「事なき所を行く」ということである。竹は縦に割るべし、横に割るべからず。水は低いほうへ流すべし。高いほうへは流せるものではない。竹を横に割ろうとしたり、水を高いほうへ流そうとすれば、苦労ばかり多くて効果はない。

一、倹約は上に対して事を省き、簡略化すべきである。下に対して利益を争ったり、方法を煩わしくしたりしてはならない。普通上は動かしにくく、下は動かしやすいものである。そのために、節約というと、上に対するやり方はもとのままにしておいて、下に対してだけ費用を出さないようにしがちになる。こういうやり方は、無理なことだから、いつかは守られなくなってしまう。そうではなく、上に対して事を省略していけば、力も入れず苦労もしないで費用はおのずから省くことができ、それを下に対しても守らせやすくなる。これが倹約の重点である。(P203)

かつてジョン・F・ケネディは、日本人記者から「あなたが、日本で最も尊敬する政治家は誰ですか」と質問を受けたとき、

「それは上杉鷹山です」と答えたという。

また、フランスの首相を務めたクレマンソーが「健康さえ許せば、日本に行ってこの思想家と話してみたい」と述懐したというエピソードが残されている。

上杉鷹山の語った言葉で、私が知っているのは「入るをはかって出ずるを制す」という言葉だ。

その鷹山が倹約について、上記のような言葉を残している。

「竹は縦に割るべし、横に割るべからず」

「上に対して事を省略していけば、力も入れず苦労もしないで費用はおのずから省くことができ、それを下に対しても守らせやすくなる。」

これらは、今すぐにでも実行可能なことであり、また絶えず反芻してみる価値が十分ある。

ここで「上」「下」と言われていることは、立場上の上司と部下との関係を指すばかりではなく、

原因と結果、あるいは動機と成り行きという意味も含まれている。

つまり“物事の道理”に反することを行えば、余計な労力や費用がかかるだけでなく、長続きはしないということであろう。

ある意味、当たり前のことを当たり前に行うことを勧めていると言える。

物事がうまくいかなくなったら、どこかに無理があるのではないか、道理に反することを行っているのではないか、

こう考えることが必要なのではないだろうか。

2011年2月20日 (日)

グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた/辻野晃一郎

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 私は、ネット時代に日本が出遅れる状況になっているのは、一つには、日本人の完壁主義によるものがあるのではないかと感じている。製造業において世界に冠たる大企業を多く生み出した日本は、ISO9000に則った品質マネージメントシステムなどを作り上げ、鉄壁な品質管理において圧倒的に世界に先んじた。オフラインの時代、工場で量産される製品が一旦市場に出荷されてから暇庇が見つかるようなことがあれば、最悪リコールにも繋がって企業の経営そのものを脅かすことにもなるので、工場出荷前に製品の品質を出来る限り高める発想と仕組みは極めて合理的なものであった。
 しかしながら、「暇庇がない、壊れない、壊れにくい」ことを前提にしたモノ作りの体質は、スピードが求められるネット時代のネット関連製品においては、必ずしも合理的とは言えなくなった。製品出荷後に問題が起きても、それをネット経由で修復できる場合は、むしろ割り切って出来るだけ早い段階で出荷し、インターネットの「群衆の英知」「マスの力」を使って問題発見と問題修復をやった方が合理的とさえ言えるのだ。
 この走りながらユーザーの力を利用して製品の完成度を継続的に上げていく、というスタイルは、オフラインの時代に作り上げた鉄壁であるがゆえに融通の利かない日本的なモノ作りの文化やシステムの立場から見ると、「非常識で、あり得ないスタイル」なのである。(P242~243)

組織が衰退する原因の一つに、過去の成功体験にこだわりすぎるというものがある。

日本の製造業は、品質の良さで、他の国を圧倒的し、勝ちパターンを作ってきた。

ところが、今はITの進化により、変化がものすごく早くなっている。

にも関わらず、相変わらず品質さえ良ければ、必ず売れるという、過去の成功体験を忘れられずにいる。

日本の携帯電話が、世界的には全く競争力がなく、“ガラパゴス”と揶揄されたのも、根本原因はここにある。

今後も高品質は日本の強みになるのであろうが、それにプラスアルファが無ければ、勝ち残っていくことはできないだろう。

とにかく、日本の政治も企業もスピード感がない、これは今の時代、致命的である。

2011年2月19日 (土)

否認/堀田力

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 組織内部の犯罪を告発することは、その組織に属していない一般市民からは拍手唱米を浴びますが、組織の仲間うちでは、裏切り者だと見られます。これは、わたしどものような会社だけでなく、議員さん仲間でも、お役人仲間でも記者仲間でも、組合仲間でも似たような空気があるように感じます。組織で仲間を裏切った人間は、次の組織に移ろうとしても、白い眼で見られ、警戒されるのです。人は、自分が関係ない時は、汚職を徹底的に摘発しろとか、勇気をもって真実を語れなどと言い、しゃべれない奴は卑劣だと言って非難しますが、自分のまわりにそういう人が来ると、警戒して仲間に入れないものです。(P344~345)

東京地検特捜部検事としてロッキード事件を捜査し、田中角栄元首相に論告求刑をした堀田氏の書いた小説である。

上記は、贈収賄に手を染め被告となった、ある建設会社の営業部長が、法廷の場で語る場面。

被告は、最初は検察側の書いた起訴状を、社長を守る為に否認したが、ここでは一転、認めている。

そして、どうして最初は否認したのかを述べている。

堀田氏は、「汚職事件の捜査は、否認との戦いと言って良い」と、あとがきで述べているが、確かにその通りなのだろう。

多くの場合、人は何かの組織に属している。

そして、多くの人が一番恐れるのは、その自分の属している組織の人から裏切り者の烙印をおされること。

特に日本には“村八分”という言葉があるように、組織の内と外をはっきりと分けるところがある。

自分を守ってくれるのは、自分の属している組織であり、外の人間は何もしてくれない、という考え方がある。

だから、その組織に様々な矛盾や汚職や悪があっても、それを告発するというアクションは起こしづらい。

組織の汚職を告発すると、組織内の人間から白い目で見られてしまう。

そして、それは本人だけでなく、ある時には家族や親族までも巻き込むことになる。

そうなってしまったら、もう生きていけないというのが、日本人の持っているメンタリティーである。

“個が確立していない”と言ってしまえばその通りなのだが、これは、日本人の心の中に深く根ざした考え方なのである。

今、グローバル化が進み、日本の企業はどんどん海外に出て行こうとしている。

そうすると、どこかで、日本独特の組織の論理が通用しなくなってしまうことが起こるのではないだろうか。

しかし、そうでもしない限り、日本人は変われないとも言える。

これを積極的な意味で受け止めることも必要だろう。

2011年2月18日 (金)

マッカーサーの二千日/袖井林二郎

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 「私は五十二年に及ぶ軍歴を閉じようとしている。私が陸軍に入ったのはまだ今世紀にはいらないうちだったが、それはわたしにとってあらゆる少年らしい希望と夢を満たしてくれる出来事であった。私がウエストポイントの広場で宣誓して以来、世界には数多くの変動が起こり、私の希望と夢もとっくに消えてしまった。
 しかし、私は当時非常にはやったある兵営の歌の繰返し文句を、まだ覚えている。その文句は非常に誇らしく次のようにうたっていた。
“老兵は死なず、ただ消えゆくのみ”
 あの歌の老兵のように、私は今軍歴を閉じて、ただ消えてゆく。神の示すところに従った自分の任務を果たそうとつとめてきた一人の老兵として。
 さようなら。」

第二次世界大戦後、GHQの総司令官として日本の占領政策に当たったマッカーサー、

好き嫌いに関わらず、戦後の日本に多大な影響を与えたこの人物、

印象に残っている言葉が二つある、

一つは、フィリッピンのコレヒドール島からの脱出を余儀なくされた時に言い残した「アイ・シャル・リターン」

二つ目は、トルーマン大統領により更迭された後、ワシントンD.C.の上下院の合同会議で、退任に際しての演説で語った「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」

マッカーサーの功罪については、様々な見方があるが、自己を演出することについては非常に長けた人物であったようだ。

特に、言葉の力を最大限利用しているように感じる。

かつて、小泉元首相がそうだった。

いろいろ批判があるものの、高支持率を維持できたのも“ワンフレーズポリテックス”といわれる、短い言葉で表現する手法によるところが大きかったように思える。

人々の心を一つにし、動かすことがリーダーの役目であるとすると、

リーダーは人を動かす言葉を持たねばならない。

この点では、明らかに日本のリーダーは欧米のリーダーに劣っているといえる。

“言葉の力”は侮れない。

2011年2月17日 (木)

「知の衰退」からいかに脱出するか?/大前研一

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 リアル世界、たとえば会社では「部長が言った」「社長が言った」が重要な判断の決め手となる。どんなつまらない意見でも、それを社長が言えば反論はほとんど起こらない。しかし、ネットでは社長も部長も、男も女も、年上も年下もない。
 本来、議論とはそういうものであり、私も講義では「何を言ったかが大事だ」といつも教えているが、日本人は発言者の属性にこだわる傾向が強い。「社長がこう言ったから」で物事が決まるなら、初めからものを考える必要はない。経済学も経営学も学ぶ必要などない。(P227)

ネット社会について、これを肯定的にとらえる人もいれば、否定的、批判的な人もいる。

ただ、好むと好まざるとに関わらず、今後もこの流れは止められないという現実があるのは事実だ。

そう考えると、優れた点を有効利用する方向で考えていった方が、物事はうまくいくのではないだろうか。

ここで大前氏は、リアルな社会では「誰が言ったか」が問題になりやすいが、ネット社会では「何を言ったか」が問題になるということを肯定的な面として例示している。

確かに、リアルな社会では、「誰が言ったか」が問題になり、どうしてもバイアスがかかってしまう。

その点、ネット社会では、「何を言ったか」が焦点になり、これを最大限生かす形で考えていけば、いろんな可能性が開けてくるのではないだろうか。

長い歴史の中で、人類がネット社会に足を踏み入れてまだ数十年しか経っていない。

その意味では、まだ未開の部分があまりにも多いというのがネット社会である。

これから先、もっといろんな利用方法が生まれてくるのではないだろうか。

2011年2月16日 (水)

ジョブズはなぜ天才集団を作れたか/ジェフリー・L・クルークシャンク

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 1999年初頭には、ジョブズ体制下でアップル社が復活しつつあることは誰の目にも明らかとなっていた。しかも、五・四半期連続で利益を出すという具体的な成果まで出していた。だが、過去との最も劇的な訣別、そして最も劇的な成功は、この後に来る。
 iポッドの発売が、それだ。
 iポッドは、アップル社初の消費者向け電子製品だという点で、それまでのアップル社製品とは一線を面していた。消費者向け電子製品は、本書序文でも見た通り、アップル社の歴代CEOの誰もが進出を夢見ては、けつきよく断念してきた分野だった。それも当然だったかもしれない。経営戦略の専門会社に勤めている私の友人のコンサルタントは、ある日、
「ぼくの会社のどのコンサルタントも、ジョブズからiポッドの企画を聞かされたら、『やめたほうがよい』と答えていただろう」
と打ち明けてくれた。彼は続けて、
「それどころか、世界中のどの経営戦略コンサルタント会社でも、『やめたほうがよい』と答えていただろうね」
と言った。つまり、誰の目にも失敗確実な企画が、iポッドだったのである。(P310~311)

ipodのヒットで、見事復活したアップル社。

しかし、このipodは、通常、企業が行っているマーケットリサーチでは決して生まれないような商品のように思える。

マーケットリサーチでは、消費者がどんなものを欲しがっているのかを、データとして集計し、それを元に商品を企画するのだが、ipodのようなイメージがまず、消費者の頭の中に無いだろうから、それでは無理である。

おそらく、「こんなものを世に送り出したい」という強い想いによって生まれたのがipodなのだろう。

まったく、逆の発想である。

また、企業戦略の専門家も、これが売れるかどうかという点で、疑問符を投げかけたと言った商品でもあった。

ところが、いざ発売してみると、大ヒット。

この大ヒットがきっかけとなり、iphone、ipad、と、ヒットを連発し完全復活をとげる。

多くの企業は何とかして、トレンドをつかみ、それに沿った商品を世に送り出そうとする。

しかし、アップル社、いやジョブズ氏は、トレンドを創り出そうとしている。

未来を創ると言っても良いかもしれない。

ここにジョブズ氏の天才と言われる所以がある。

今後、どんな商品を世に送り出していくのか、興味深く見守っていきたい。

2011年2月15日 (火)

仕事は楽しいかね?2/デイル・ドーテン

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並みの上司:部下の成長について、関知しない。
優れた上司:進歩という個人的な梯子をのぼる部下を、次の段に押し上げてやる。

マックスがまず言ったのはブライアン・カイリーというコメディアンの十八番だった。
「この間、本屋に行って、レジの女の子に『自立のための本はどこにありますか?』と尋ねた。すると女の子が答えた。『それを教えたら、自立にならないじゃない』」
「僕はこの話が大好きだ」マックスは話を続けた。「“ほんもの”と言える上司の際立った資質の一つは、部下を向上させる“才能”なんだ。部下たちは、そのときの能力ではなく、内に秘めた才能を見込んで採用されていることも多い。そこで優れた上司はチェスの名人のように、先を見すえて駒を進める。新しいことに自分の部下がいつ成功するか、しばしば部下本人も気づかない間に見抜くことがある」(P79)

会社が理想とする人材像ということでよく言われることの一つとして「自立した社員」というものがある。

「自分で考え行動し結果を出せる人」という意味だが、

確かに、このような社員がいたら、どの企業であっても欲しがるだろう。

では、上司が自分の部下をそのように育てるにはどうすれば良いのか。

少なくとも、一方的に教えたのでは、自立した社員には育たないであろう。

むしろ、上司は部下の成長を支援するという形で部下と関わる必要がある。

言葉で言うのは簡単だが、実行するとなると、これは非常に難しい。

そして、ほとんどの上司と呼ばれている人は、それができていない。

こんな上司、本当にいるのかな?とさえ思ってしまう。

実際、多くの上司にとって、これは非常に高いハードルだと思う。

「言うは易し、行うは難し」である。

2011年2月14日 (月)

仕事は楽しいかね?/デイル・ドーテン

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「1960年代のことだ」
彼は先を続けた。「ディック・フォスベリーという男がいてね、のちに“背面跳び”として知られるようになる跳び方を編み出した。彼は走り高跳びの選手で、初めて後ろ向きにバーを跳び越えたんだ。
 一度フォスベリーに会う機会があって、メキシコ・オリンピックで獲った金メダルも見せてもらったんだけど、そのとき、どうして後ろ向きにバーを跳ぼうと思ったのか、聞いてみた。
 彼によると、中学生のときははさみ跳びをしていたそうだ。これだと、ほぼ立っているときの姿勢のままバーを跳び越えることになる。でも大学に入ると、コーチに“回転”をかけるように指導された・・・この跳び方では体は下向きでひざと肩がまずバーを越えることになる。ところがコーチは、フォスベリーが垂直跳びがあまり得意でないことを知ると、じきに彼への興味をなくしてしまった。そのとき、フォスベリーは、昔やっていたはさみ跳びに戻って、ああでもないこうでもないといろいろ跳んでみるようになった。
 フォスベリーは、はさみ跳びで失敗するのは、お尻がバーにあたってしまうからだということに気がついた。そこで彼は跳ぶときにお尻を持ちあげるようにしてみたんだが、そのために体を後ろへ傾けることになった。やがて、あまりに後ろへ体を倒すためにはさみ跳びをしなくなってしまったが、彼はすでに独向のスタイルをつくり出していたんだ」
 マックスは両の眉をびくっとはねあげて私を見た。結論を言ってごらん、ということらしい。
「これは何とかやれそうです」と私は答えた。
「フォスベリーは跳躍に長けているわけではなかった。そのために、新しいスタイルを試みなければならなかった。その結果次の問題にぶつかります・・・お尻をバーから離すという問題ですね。そしてまたさまざまなことを試していったんです」
「またまた、そのとおり。ただこのことも見落とさないでくれ。人並みでしかない跳躍力は、フォスベリーの敵だった。その一方で友だちでもあった、ということをね。
 次の話へ進む前に、ぜひとも触れておかなければならないことが一つある。フォスベリーは僕にこう言った。新しいスタイルを編み出そうなんて、考えもしていなかったんですよ。ぼくはただ問題と・・・体のどの部分がバーにあたるのかという問題と向き合い、その問題を取り払うことに集中していただけなんです、とね。
「大事なのはそこだ。論理だてて考えたりすれば、問題は必ず解決できるなんて、そんな印象をきみに持ってほしくないからね」(P143~145)

この本は、壁に当たり迷いの中にある一人のビジネスマンと、功成り名を成し遂げ、今は悠々自適の生活を楽しんでいる一人の老人との会話が物語形式で語られている。

この一節は、問題とのつきあい方について考えさせられるエピソード。

私たちが問題に直面したとき、逃げるか、立ち向かって解決するか、二つに一つと考えがちである。

しかし、もう一つ、問題と友達になるという選択肢もあるのではないかということを語りかける。

確かに、問題に直面した場合、逃げるより、立ち向かい解決するほうが良いに決まっている。

書店に行けば、問題解決やロジカルシンキングに関する本が多く置かれている。

ただ、反面、問題解決ということばかりにこだわることにより、それが思考の硬直化を招き、もっと違った道があるということを見落としがちになるのではないだろうか。

すべての問題を解決できるわけではない。

だったら、その解決できない問題と、どう付き合っていくのか、

問題と友達になる、問題を楽しむ、こんな選択肢もあるのではないだろうか。

それによって、違った道が開けるとすれば、これも違った意味での問題解決だといえよう。

2011年2月13日 (日)

坂の上の雲(八)/司馬遼太郎

A9r5130

 要するに東郷は敵前でUターンをした。Uというよりもα運動というほうが正確にちかいかもしれない。ロシア側の戦史では、
「このとき東郷は彼がしばしば用いるアルファ運動をおこなった」
という表現をつかっている。
 繰りかえすと、東郷は午後二時二分南下を開始し、さらに145度ぐらい左(東北東)へまがったのである。後続する各艦は、三笠が左折した同一地点にくると、よく訓練されたダンサーたちのような正確さで左へまがってゆく。
 それに対しロジェストウェンスキーの艦隊は、二本もしくは二本以上の矢の束になって北上している。その矢の束に対し、東郷は横一文字に遮断し、敵の頭をおさえようとしたのである。日本の海軍用語でいうところの、
「T字戦法」
を東郷はとった。
 T字戦法の考案は、秋山真之にかかっている。真之がかって入院中、友人の小笠原長生の家蔵本である水軍書を借りて読み、そのうちの能島流水軍書からヒントを得たものだということは以前にふれた。ただこの戦法は実際の用兵においてはきわめて困難で、場合によっては味方の破滅をまねくおそれもあった。
 げんに、敵とあまりにも接近しすぎているこの状況下にあっては、真之もこれを用いることに躊躇した。
 三笠以下の各艦がつぎつぎに回頭しているあいだ、味方にとっては射撃が不可能にちかく、敵にとっては極端にいえば静止目標を射つほどにたやすい。たとえ全艦が十五ノットの速力で運動していても、全艦隊がこの運動を完了するのは十五分はかかるのである。この十五分間で敵は無数の砲弾を東郷の艦隊へ送りこむことができるはずであった。
 戦艦アリョールの艦上からこの東郷艦隊の奇妙な運動をみていたノビコフ・プリボイ
も、「ロジェストウェンスキー提督にとって、一度だけ運命が微笑したのである」

と、書いている。
 戦艦朝日に乗っていた英国の観戦武官W・ペケナム大佐は東郷を尊敬することのあつかった人物だが、この人物でさえ、このときばかりは東郷の敗滅を予感し、
「よくない。じつによくない」
と、舌を鳴らしたほどであった。
 稀代の名参謀といわれた真之でも、もしかれが司令長官であったならばこれをやったかどうかは疑わしい。かれはおそらくこの大冒険を避けて、かれが用意している「ウラジオまでの七段備え」という方法で時間をかけて敵の勢力を漸減させてゆく方法をとったかもしれない。
 が、東郷はそれをやった。
 かれは風むきが敵の射撃に不利であること、敵は元来遠距離射撃に長じていないこと、波が高いためたださえ遠距離射撃に長じていない敵にとって高い命中率を得ることは困難であること、
などをとっさに判断したに相違なかった。
 「海戦に勝つ方法は」
と、のちに東郷は語っている。
「適切な時機をつかんで猛撃を加えることである。その時機を判断する能力は経験によって得られるもので、書物からは学ぶことができない」
 用兵者としての東郷はたしかにこのとき時機を感じた。そのかんは、かれの豊富な経験から弾き出された。(P111~114)

上記は有名な「T字戦法」の記述、

日本海戦は二日間続く。

しかし、秋山真之は終生、

「最初の三十分間だった。それで大局が決まった」

と語ったという。

それほど、この戦法はリスキーなものだった。

確かに、素人考えでも、敵の射程距離内で、Uターンするなどと言うことは、危険きわまりないということがわかる。

そして、この危険きわまりない戦法を、とっさの判断のもと決断したところに、東郷平八郎が名提督と言われる所以がある。

また、この場面で印象的なのは、参謀と指揮官の役割分担が明快になっているということである。

作戦を考えるのは、参謀である真之の役割、

決断するのは指揮官である東郷の役割、

T字戦法を考案したのは、参謀である真之、

しかし、彼には、その局面でT字戦法を選択する決断力はなかったし、決断する必要もなかった。

決断するのは指揮官である東郷の役割だった。

そして、東郷にはその決断力があり、実際に決断した。

非常に明快である。

参謀は参謀の役割を果たし、指揮官は指揮官の役割を果たした、これが勝因の一つであろう。

また、これはすべての組織に共通して言えることである。

組織の構成員がそれぞれ自分の役割を果たす。

これは当たり前のことのように感じるのだが、多くの組織はそうはなっていない。

特にすべての責任を負って決断するリーダーは非常に少ない。

リーダーの役割とは、決断することと言っても良いのだが、

それを実行しているリーダーは本当に少ないものだ。

そのくせ、参謀の役割にやたら口出しするリーダーは多い。

日露戦争の日本海海戦は、リーダーと参謀がそれぞれの役割を果たし、勝利に結びつけた希な例といえるのではないだろうか。

2011年2月12日 (土)

坂の上の雲(七)/司馬遼太郎

A9radcc

 グリッペンベルグが大いに日本軍左翼の秋山陣地に攻勢をかけた。
グリッペンベルグは逐次増強されてくる日本軍とよく戦ったが、しかしながらグリッペンベルグの作戦構想をクロパトキンは消極的に裏切った。というのは、グリッペンベルグにすれば、かれが日本軍左翼に強烈な圧力をかけているあいだに、かねてうちあわせしたとおりクロパトキンが第一軍をもって、手薄になっている日本軍の中央を突破するはずであったが、クロパトキンはついに手をつかれてそれをしなかったのである。それをクロパトキンがしなかったのは、
「それをもし為して大勝をおさめれば功はグリッペンベルグにゆき、ロシア陸軍における自分の地歩は一時に失落する」
という理由であり、このことはふつうの国家にあっては信じがたい理由であったが、しかしながら専制国家の官僚というのは、国家へもたらす利益よりも自分の官僚的立場についての配慮のみで自分の行動を決定する。(P9~10)

強い組織か否かということを判断する基準の一つは、その組織が内向きか外向きかということにある。

当時のロシアの組織は明らかに内向きな組織であった。

内向きな組織の構成員は、組織の目的を達成することより、自分の保身を第一に考える。

日露戦争当時のロシア満州軍総司令官クロパトキンが典型例であろう。

著者、司馬遼太郎は、他のページで「ロシア軍の敗因は、ただ一人の人間に起因している。クロパトキンの個性と能力である」と断言している。

通常、戦争の敗因は、一人や二人の高級責任者の能力や失策に帰納されてしまうような単純なものではなく、無数の原因の足し算なり掛け算からその結果がうまれるものだが、

あえてここで著者が断言しているところに、大きな意味がある。

内向きな組織を称して、よく官僚的組織という表現が使われる。

確かに、日本の官僚組織を見ていると、明らかに内向きである。

よい企業とは顧客を第一に考えるものだ。

公務員にとっての顧客は、国民であるはずだが、どう考えても国民を第一に考えているようには見えない。

今日本を覆っている大きな閉塞感、

官僚組織にもその一因があるのではないだろうか。

今、日本は武力による戦争はしていない。

しかし、国家間の経済戦争は今後ますます激しさを増してくるであろう。

善きにつけ悪しきにつけ、官僚の役割が重要になってくることが予想される。

それだけに、内なる論理だけで動くことはやめてもらいたいものだ。

2011年2月11日 (金)

坂の上の雲(六)/司馬遼太郎

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 要するに、この当時の日本人は、ロシアの実情などはなにも知らずに、この民族的戦争を戦っていたのである。
 ついでながら、この不幸は戦後にもつづく。
 戦後も、日本の新聞は、
ロシアはなぜ負けたか。
という冷静な分析を一行たりとものせなかった。のせることを思いつきもしなかった。かえらぬことだが、もし日本の新聞が、日露戦争の戦後、その総決算をする意味で、「ロシア帝国の敗因」といったぐあいの続きものを連載するとすれば、その結論は、「ロシア帝国は負けるべくして負けた」ということになるか、「ロシア帝国は日本に負けたというよりみずからの悪体制にみずからが負けた」ということになるであろう。
 もしそういう冷静な分析がおこなわれて国民にそれを知らしめるとすれば、日露戦争後に日本におこった神秘主義的国家観からきた日本軍隊の絶対的優越性といった迷信が発生せずに済んだか、たとえ発生してもそういう神秘主義に対して国民は多少なりとも免疫性をもちえたかもしれない。(P206)

人は、失敗したとき、反省する。

その原因究明のレベルには差があるものの、「なぜ、失敗したのか」と考えるものだ。

ところが、成功したとき、勝利したとき、その勝因を考える人はまれだ。

もし、日露戦争の勝因をしっかりと検証していたら、その後の日本はどうなっていたのだろう。

少なくとも、その後の軍部の暴走は起こらなかったのではないだろうか。

「歴史に『もしも』はない」とよく言われるが、何となく想像してみたくなる。

何れにしても、物事の真因を究明するという、ある意味でのしつこさが日本人には欠落しているようだ。

何かがあって、一時的に盛り上がることがあっても、その後、しつこいくらいに勝因や敗因を検証し、次に生かすという行為があまり見られない。

日本には「水に流す」という言葉がある。

過去にあったことを、全てなかったことにする、過ぎ去ったことを咎めない、

という意味だが、これは日本独特のことばである。

日本にこのような言葉があるということは、そのような体質気質が日本人にあるということ。

どうも、これは日本人のDNAにすり込まれてしまっているものなのだろう。

決してこれでよいとは思わないのだが。

2011年2月10日 (木)

坂の上の雲(五)/司馬遼太郎

A9r9788

 二○三高地の攻防のすさまじさにつき、ロシア側のコステンコという少将の文章を借りると、
「日本軍の攻城用の巨砲の猛威とその執勘な射撃は、憎悪という以外ない」
というほどであった。さらにコステンコは、日本軍の歩兵突撃のやりかたをつぎのような例でえがいている。
 「日本の歩兵部隊は、縦隊でやってくる。それも整然たる駈け足でやってくる」
 一つの縦隊は三百人程度であった。三つの縦隊が、キビスを接してやっとのぼってきたことがある。最初にやってきた第一縦隊は地雷原にひっかかり、火の柱が轟然と天へあがった。やがてその黒煙が去ったときは、地上には死骸だけがころがっていた。日本軍戦法の特徴は、一つの型をくりかえすことであった。つづいてやってきた第二縦隊もまた地雷で粉砕され、さらにやってきた第三縦隊も吹っ飛ばされている。その間、時間でいえば一時間足らずであった。
 信じられないほどに愚劣なことだが、本来、第一縦隊が地雷で消滅したとき、現場の司令部は第二縦隊以下をいったん退却させ、砲兵陣地に連絡して地雷のありそうな場所一帯を、方眼紙のマス目を一つ一つ塗りつぶすようにして射撃させるべきであった。そういう射撃法や技術は、すでにこの当時の日本陸軍の砲兵科は十分にもっていた。それをやらず、おなじ失敗を三度くりかえし、千人の兵(ロシア側の概算では、三、四千人)をむなしく消滅させてしまうというのはどういうことであろう。これは乃木の軍司令部や大迫の師団司令部だけの責任ではなく、日本陸軍の痼疾とでもいうべきものであった。戦略や戦術の型ができると、それをあたかも宗教者が教条をまもるように絶対の原理もしくは方法とし、反覆して少しも不思議としない。痼疾は日本陸軍の消滅までつづいたが、あるいはこれは陸軍の痼疾というものではなく、民族性のふかい場所にひそんでいる何かがそうさせるのかもしれなかった。(P47~48)

この旅順の攻防による損害は、ロシア軍は戦闘員4万5千のうち、死傷は1万8千人余り、死者は2、3千人、

これに対して日本軍は、戦闘員10万のうち、死傷は6万212人、つまり6割の損害、

死者は1万5千4百人余り、つまり1割5分の死亡率という凄惨さ。

結果として、旅順の攻防では、日本が勝ったとされているが、問題は、その為に流された血の量である。

勝った側の日本軍が6割の損害を被っている、

これで本当に勝ったといえるのであろうか。

特に問題なのは、現場指揮官の無能さである。

明らかに同じ失敗を無為に繰り返している。

著者である司馬遼太郎は、これを日本陸軍の痼疾とでもいうべきものであったと述べている。

日本陸軍の痼疾とは、戦略や戦術の型ができると、それをあたかも宗教者が教条をまもるようみに絶対の原理もしくは方法とし、反覆して少しも不思議としないといったもの。

そして、それは、陸軍の痼疾というものではなく、民族性のふかい場所にひそんでいる何かがそうさせるのかもしれないとも述べている。

つまり、これは、日本人の国民病だということ。

なるほどな、と、考えさせられた。

「ぶれない」ということと、「一つの戦略や戦術に固執する」ということとは違う。

状況や環境が変われば、一つの戦略や戦術に固執することなく、臨機応変に変えるべきであろう。

トップに立つものは、「ぶれない」という面と「臨機応変」という面との両面を持っていなければならない。

そして、これらは決して矛盾するものではなく、両立するものである。

何れにしても、この話は、決して昔話ではなく、今、現実に日本で、形を変えて起こっている、現実である。

今現在、民主党がマニフェストに固執するあまり、二進も三進もいかなくなってしまっていることなどは、この典型例であろう。

2011年2月 9日 (水)

坂の上の雲(四)/司馬遼太郎

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 じっをいえば、この遼陽に展開しつつあるロシア軍に対し、日本軍は機敏な攻勢に出るべきであった。が、出ることができなかった。
砲弾が足りなかったのである。
 海軍は、あまるぐらいの砲弾を準備してこの戦争に入った。
が、陸軍はそうではなかった。
 「そんなには要るまい」
と、戦いの準備期間中からたかをくくっていた。かれらは近代戦における物量の消耗ということについての想像力がまったく欠けていた。
 この想像力の欠如は、この時代だけでなくかれらが太平洋戦争の終了によって消滅するまでのあいだ、日本陸軍の体質的欠陥というべきものであった。
 日本陸軍の伝統的迷信は、戦いは作戦と将士の勇敢さによって勝つということであった。このため参謀将校たちは開戦前から作戦計画に熱中した。詰め将棋を考えるようにして熱中し、遼陽作戦などは明治三十五年のころから参謀本部での「詰め将棋」になっていた。かれらは戦争と将棋とは似たようなものだと考える弊風があり、これは日本陸軍のつづくかぎりの遺伝になった。
 かれらはその「詰め将棋」に血をかよわせて生きた戦争にするのは、実戦部隊の決死の勇戦あるのみという単純な図式をもっていた。「詰め将棋」が予定どおりにうまく詰まないときは、第一線の実施部隊が臆病であり死をおそれるからだとして叱咤した。とめどもなく流血を強いた。
 それが、東京なり後方なりにいる陸軍の作戦首脳の共通してのあたまであった。「詰め将棋」を肉づけしてそれを現実の戦争に仕立てあげるものは血よりも物量であるということがわかりにくかった。たとえば日本陸軍は遼陽作戦をはじめるにあたって準備したのは砲弾ではなく、一万個の骨箱(ロシア側資料)であった。
 砲弾については、戦争準備中、
「どれほどの砲弾の量を予定すべきか」
ということを、参謀本部で考えた。もし日清戦争の十倍が必要なら、それだけの量を外国に注文したり、大阪砲兵工廠の生産設備を拡充してそれだけの用意をせねばならない。
 が、日本陸軍は、
「砲一門につき五十発(一ヵ月単位)でいいだろう」
という、驚嘆すべき計画をたてた。一日で消費すべき弾量だった。
 このおよそ近代戦についての想像力に欠けた計画をたてたのは、陸軍省の砲兵課長であった。
日本人の通弊である専門家畏敬主義もしくは官僚制度のたてまえから、この案に対し、上司は信頼した。次官もそれに盲判を押し、大臣も同様、判を押し、それが正式の陸軍省案になり、それを大本営が鵜のみにした。その結果、ぼう大な血の量がながれたが、官僚制度のふしぎさで、戦後たれひとりそれによる責任をとった者はない。(P101~102)

陸軍作戦首脳の、想像力の欠如、論理思考の欠落、そして最後は実戦部隊の決死の勇戦あるのみという単純な図式。

これによって、日本人の多くの血が流された。

本来であれば、これこそ責任を取るべき行為である。

だが、このような思考は、決して当時の陸軍作戦首脳特有のものではない。

現代においても、このような思考回路を持っている企業トップは多い。

たとえば、やたら社員の「やる気」を強調する経営者、

仕事において、確かにやる気は大事である。

ただ、前提条件がある。

それは、売れる仕組み、売れる商品であり、競合他社に勝てる戦略である。

それらができた上で、社員のやる気を求めるのであれば良い。

しかし、多くの場合、そうではない。

そう言った意味では、旧日本陸軍と何ら変わっていないと言える。

社員に「やる気を出せ」「ガンバレ」「死ぬ気でやれ」という前に、

企業トップは自分たちのやるべきことをしっかりとやるべきである。

2011年2月 8日 (火)

坂の上の雲(三)/司馬遼太郎

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 好古の目の前で、士卒がばたばたたおれた。戦闘がいかに不利であるかは、好古にも十分わかっている。
 さらに、戦術的には退却が妥当であることは、よくわかっていた。退却して後方の院路までひきさがり、そこで防御陣地をつくって敵をささえればよい。
 が、好古の理性がかれに要求しているのは、それではなかった。この場合、この局面のこの段階で退却すればすぺてをうしなうことになるだろうということである。
 かれは、かれ自身が馬ののりかたから教えてきた日本騎兵のチームをつれてきている。いわば自分の手作りの兵種だけにその弱点はよくわかっており、さらに敵の長所も、十分に知っていた。しかしここで退却すればどうなるであろう。
(これが、日露騎兵の第一戦なのだ。つねに最初の戦いが大事であり、ここで負ければ日本の騎兵の士気に影響し、わるくゆけば負け癖がついてしまうかもしれない。ここで退却すればロシア騎兵に自信をつけさせ、今後の戦闘でかれらはいよいよ強くなるだろう)
と、おもっていた。
 ついに最前線の隊長のひとりがたまりかね、馬を飛ばして駈けてきて、好古の前でとびおりた。退却をすすめるためであった。
「閣下」
と、隊長はさけんだ。
「いまわずかながら、わがほうは勢いを盛りかえしております。この機会に後方の院路までさがってはいかがでしょう」
 好古は変わった男で、これに対し、うむと声を出したきりで返事はせず、従卒に目くばせしてブランデー入りの水筒とグラスを出させ、杯に注ぎ入れると、そばのシナ民家のひくい土塀の上に横になり、そのまま隊長から背をむけてしまった。
(寝ているしか、仕方がない)
 そのブランデー杯の上を、銃弾がするどい音をのこして、何度もとびこえた。
ーー旅団長閣下が、最前線の機関銃陣地で不貞寝をしている。
ということが、この惨烈な戦況のなかで兵隊たちのあいだでささやきかわされるほど、好古のかっこうはユーモラスだった。
 シナの民家の塀の上だから、散兵線からみれば高所である。横になって、ブランデーのグラスをなめている。敵にツァイスの優秀な双眼鏡があれば、この日本軍の少将の姿をとらえることができたであろう。
 ぐわあ-ん
と、好古のそばに砲弾が落ち、そこに横たわっていた屍馬の体をふたたび空中に舞いあげたが、好古はブランデーをなめることをやめない。
(いまさら、どうなるものでもない)
と、好古はおもっていた。指揮などは、やりようもない。こんな状況では戦術もなにもあったものではなく、敵のスコールのような銃砲弾の襲来が、なにかの拍子でやむまで当方としては残りすぐなの小銃弾をうちつづけさせるしかないのである。
(もう戦闘は一時間半もつづいている。敵がやがてくたびれるはずだ)
と、好古はおもっている。とにかく自分や将士の体がちぎれようと吹き飛ぼうと、この現場からしりぞかないというのが、好古の唯一無二の戦法だった。
(それしかない)
と、きめこんでいる。戦場での司令官はあまり鋭敏であってもいけない。反応が鋭敏すぎると、かえって事をあやまる。こういう極所には、わざと鈍感になるしかなかった。
 好古は、何度も水筒からブランデーをついではなめた。日清戦争のときは地酒でとうとう酔っぱらってしまったが、この日露戦争の時期にはブランデーをのむほどの経済力になっていた。あのころ少佐だったが、いまは少将であり、給料もあがっている。東京を発つとき、給料の全額をはたいてブランデーを買いこんできたのである。
ーー敵もくたびれている.
と、好古がたかをくくりつづけてきたように午後三時半ごろ、敵がしだいに北方へ退却しはじめた。敵はたしかに優勢だったが、敵の指揮官は好古のように鈍感ではなかったのであろう。
この激戦に神経がたえられなくなり、
ーーあす、再攻する。
といったふうのしかるべき戦術上の理由をつけて夜営のために退却しはじめたのである。ひとつには日本軍の夜襲を警戒し、陣地を遠くへ離しておこうという配慮であるかもしれなかった。
いずれにせよ、この戦闘は両軍指揮官の神経のたたかいだった。ロシア軍指揮官は、好古の神経のふとさに負けた。
 好古とその旅団は、危機を脱した。
 この夜は、この竜王廟付近で宿営した。
 その夜、好古はシナ民家のなかで、
「きょう、退却を意見具申されたときほどこまったことはなかった。なるほど、戦術的にはそうさ。しかし戦略的には退くわけにいかんので、きこえぬふりして寝てやった」
と、副官の中屋にいった。(P299~303)

少し引用が長くなってしまったが、このエピソードは、現場の最前線でリーダーは如何にあるべきかということを端的に示している。

一つは、リーダーは、戦術眼と戦略眼、両方を持たねばならないということ。

好古は、自分の部下が目の前でバタバタと倒れている局面で、そして戦術的には撤退が正しいと思われるなかで、戦略的な判断から、撤退しなかった。

結局は、この判断と決断が勝利を呼び込んだ。

二つ目は、一度決断したら、ぶれてはならないということ。

好古は、自分の判断と決断を、最後まで貫き通している。

三つ目は、それを態度でも示し、体現しなければならないということ。

それを好古は、「最前線の機関銃陣地で酒を飲みながら不貞寝をする」という態度で示している。

この、一見ユーモラスな態度は、ある意味、部下に安心感を与えるものであったろう。

何れにしても、このエピソードは、「リーダー斯くあるべし」ということを鮮やかに示すものである。

2011年2月 7日 (月)

坂の上の雲(二)/司馬遼太郎

A9r16d7

 好古は同時代のあらゆるひとびとから、
「最後の古武士」
とか、戦国の豪傑の再来などといわれた。しかし本来はどうなのであろう。
 考える材料が二つある。ひとつは、かれは他の軍人のばあいのようにその晩年、自分のこどもたちを軍人にしようというきもちはさらになかった。福沢諭吉の思想と人物を尊敬し、その教育に同感し、自分のこどもたちを幼稚舎から慶応に入れ、結局ふつうの市民にした。
 いまひとつは、かれが松山でおくった少年のころや大阪と名古屋でくらした教員時代、ひとびとはかれからおよそ豪傑を想像しなかった。おだやかで親切な少年であり、青年であったにすぎない。それが、官費で学問ができるというので軍人になった。軍人になると、国家はかれにヨーロッパふうの騎兵の育成者として期待し、かれもそのような自分であるぺく努力した。
 かれは自己教育の結果、「豪傑」になったのであろう。いくさに勝つについてのあらゆる努力をおしまなかったが、しかしかれ自身の個人動作としてその右手で血刀をふるい、敵の肉を刺し、骨を断つようなことはひそかに避けようとしていたのではないか。むろんそのために竹光を腰に吊るということは、よほどの勇気が要る。勇気はあるいは固有のものではなく、かれの自己教育の所産であったようにおもわれる。(P90~91)

著者の司馬遼太郎は、秋山好古が「豪傑」と呼ばれたことについて、

それは自己教育の結果「豪傑」になったのだと語っている。

「豪傑を演じる」ことはできるかもしれない。しかし、好古は「豪傑になった」のである。

これは考えてみればスゴイことである。

騎兵には突撃ということがある。馬をつらねて敵中にとびこみ、刀か槍で刺突してたたかわねばならない。

好古は、最後まで、指揮刀でいくさの場に立ったという。

指揮刀はおもちゃのような刀身で、刃がなく、当然ながら切れない。

指揮刀では、突いても敵の衣服を突きとおすことはできず、ふりかぶっても敵を切ることはできない。

第一、護身のための武器がおもちゃでは不安でいくさの場に立っていられないではないか。

周囲の者がそのことを言っても「いや、ええんじや」と、好古は言い、変えようとしなかったという。

自分の立たされたリーダーとしての役割を100%果たすために、とことん自分を変えていった。

リーダーとして立つ者にとって無くてならない資質だと言える。

2011年2月 6日 (日)

坂の上の雲(一)/司馬遼太郎

A9rc164

 陸軍省から好古のもとにとどいた訓令は、
「留学中ハ左ノ諸項ヲ研究致スベシ」
という文章である。
諸項というのは、
 軽騎兵ノ戦術
 同    内務
 同    経理上ノ取調
 同    将校以下教育上ノ要領
というもので、そのため、
「ナルベク仏国軽騎兵隊ニ付属スベシ」
とある。要するに日本陸軍はこの満三十になったかならずの若い大尉に、騎兵建設についての調べのすべてを依頼したようなものであった。それだけでなく、帰国したのちは好古自身がその建設をしなければならない。建設するだけでなく、将来戦いがあればその手作りの騎兵集団をひきいてゆくのはかれであり、一人ですべての役をひきうけていた。この分野だけでなく他の分野でもすべてそういう調子であり、明治初年から中期にかけての小世帯の日本のおもしろさはこのあたりにあるであろう。(P253~254)

最近、無性に「坂の上の雲」を読んでみたくなった。

そういうことで、もう20年前に一度読んだ本だが、再読してみることにした。

「坂の上の雲」の登場人物の中心は、

日本騎兵の父と呼ばれた、秋山好古、

東郷平八郎率いる連合艦隊の参謀を務めた、秋山真之、

そして、俳人の正岡子規の3人である。

上記は、フランス留学中の秋山好古の元に届いた陸軍省からの訓令だが、

この一文を読んで感じるのは、当時の日本、そして日本人の持っていた可能性と内なるエネルギーだ。

まだ、国家という形を取るようになって日も浅い日本にとっては、人も物も金も、すべてが不足している状態である。

そのなかでは、若い人材に、大きな任務を与え任せるという形を取らざるを得なかったのであろう。

当時30歳前後の好古は、日本の騎兵隊すべての責任を負わされている。

人は大きな仕事を任されることによって成長する。

その仕事が大きければ大きいほど、当然ハードルは高くなってくるが、それによって一皮むけるという経験をすることによって、人は大きく成長するものだ。

今の日本人に、特に若者に元気がないように感じるのは、もうすべてができあがってしまっており、もはや入り込む余地がないような状態になってしまっていることもあるのではないだろうか。

また、日本人全体が失敗を恐れすぎ、守りの姿勢になってしまっているのも原因だろう。

人を成長させる為に、チャレンジの場を無理矢理にでも設ける必要があるのではないだろうか。

よく言われることだが、人は育てることはできない、育つのだ。

その為には「場」が必要である。

2011年2月 5日 (土)

経営参謀の発想法/後正武

A9r69ad

 人間の機能は、本来多能工的であり、幅広い分野を同時に考えることができるものである。優れた発明家、創業者、オルガナイザーには、そのような多面的な能力を発揮している人が多い。
 それが、会社という組織の中で、特定の分野を与えられ、長年その業務に専念しているうちに、目前の作業の部分最適化が目的となり、全体の最適を追求する活動が、組織人本来の業務であることを忘れてしまいがちになるという問題に突き当たる。大企業病の問題の根源の一つである。(P131)

大企業のように組織が大きくなってくると、業務を分担して行うことになる。

その結果、自分の担当業務以外には何もできない、何もわからないという人が増えてくる。

一種の大企業病だ。

それがひいては、全体最適より部分最適を求めるセクト主義を生み出し、会社全体がおかしくなる。

そして、そうならないようにという一つの施策が多能工化である。

特に製造業では、この取り組みをしている企業が多い。

しかし、考えてみれば、人間は本来、多能工なのである。

そのような本来持っている能力を、組織が殺してしまっていただけである。

逆に言えば、個人の持っている能力を存分に発揮できる組織にする取り組みをすれば、多くの企業の業績は回復するのではないだろうか。

2011年2月 4日 (金)

一流の人は空気を読まない/堀紘一

A9r5953

 日本経済がなぜこのような事態を迎えたのかを考えてみれば、やはり「空気」の問題が大きい。
 何かのお手本があり、個々人が何をやればいいかが明確になっていて、「額に汗することが重要であるならば、“協調”を尊重するベルトコンベア作業が威力を発揮する。
 しかし、世界水準に追いついたことで「見本」がなくなったあとには、自分の頭で考えて、人とは違ったことをやらなければならなくなってきた。
 そこからは「独創性やアイデアが問われる時代」に移行していていくわけである。
 半導体やエレクトロニクスの分野を考えてもらえばわかりやすいが、現在は、日本がつくった見本をもとに台湾や韓国がそれを作り、人件費の安い台湾製、韓国製のほうが「安い」という理由で売れる仕組みができている。 以前から私は「近い将来にはそうなるだろう」と予見していたので、それをはっきりと口にしたり文章に書いたりしてきていた。
 追いつくまではいまの日本のやり方で良くても、いざトップにたってしまえばそうはいかない。トップに立った後には「差別化」をはからなければならなくなるので、他の人とは違う考え方をする人間が出てくるようにならなければいけない・・・ということを常々主張していたのである。
 聞こえは悪くなるが、日本人の国民性は、流れ作業の末端に立つ作業員になることや中堅幹部になることには向いていても、トップに立つには不向きな部分が大きい。それが90年代以降に露骨に出てしまい、バブルが崩壊してから現在に至るまで、本当の意味では立ち直りきれないまま来ているのが現実である。
 現在はもう、人とは「違う価値観」をもたなければナンバーワンにはなれない時代になっているのだ。(P25~26)

堀氏は日本の企業の致命的な欠陥は「空気」の問題だという。

今の日本の企業は、空気を上手に読む人間が出世し、場合によってはトップに立つことが多い。

何かのお手本があり、日本の企業が、二番手以下であった時代はそれでもよかった。

上手に周りの空気を読み、追随していく、

それによって成長できた時代が長い間続いた。

しかし、日本が世界水準にたったときから、その勝利の方程式は破綻したと言ってもよいだろう。

トヨタもGMを抜き、トップに立った時からおかしくなった。

今や、トップに求められるのは、「独自性」であり、「差別化」である。

つまり、それまでとは全く違った発想法が求められていると言うこと。

しかし、長い間、「空気を読む」ことだけに心血を注いできた人間に急に独自性を求めても、それは無理というもの、

人間は、どうしても身についてしまった思考・行動パターンがあり、知らず知らずのうちに、そのパターンに従って考え行動してしまうものだから。

だとすると、最初からあえて「空気を読まない」人材を重要な仕事の責任者に登用したり、大きなプロジェクトを任せたりといった試みを人事政策としてやっていく必要が出てくるだろう。

これまで「空気を読む」ことの「強み」が「弱み」になってしまう時代がすでに来ている。

2011年2月 3日 (木)

天才! 成功する人の法則/マルコム・グラッドウェル

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 複雑な仕事をうまくこなすためには最低限の練習量が必要だという考えは、専門家の調査に繰り返し現れる。それどころか専門家たちは、世界に通用する人間に共通する“魔法の数字(マジックナンバー)”があるという意見で一致している。つまり一万時間である。
 「調査から浮かび上がるのは、世界レベルの技術に達するにはどんな分野でも、一万時間の練習が必要だということだ」
 そう述べるのは、神経学者のダニエル・レヴィティンである。
 「作曲家、バスケットボール選手、小説家、アイススケート選手、コンサートピアニスト、チェスの名人、大犯罪者など、どの調査を見てもいつもこの数字が現れる。もちろん、だからと言って、一部の者が他の者よりも、練習から大きな成果が得られる理由がわかるわけではない。だが、一万時間より短い時間で、真に世界的なレベルに達した例を見つけた調査はない。まるで脳がそれだけの時間を必要としているかのようだ。専門的な技能を極めるために必要なすべてのことを脳が取り込むためには、それだけの時間が必要だというように思える」(P47)

世界レベルに達する為に必要なマジックナンバーは一万時間。

一万時間より短い時間で、世界レベルに達した例を見つけた調査はないという。

よく私たちが「天才」と呼んでいる人たちも例外ではない。

「天才とは、努力という階段を周りに見せない人」と言った人がいる。

確かに、持って生まれた才能があるには違いない。

しかし、その上で一万時間の練習をしなければ世界レベルに達することはないというのである。

逆に考えれば、一万時間の練習をして世界レベルに達した人を見て、その人を天才だと言ってよいものだろうかと思ってしまう。

常人よりも、長い時間練習に打ち込んで、高い技術や技能を身につけたのであれば、いわば「努力の人」であって「天才」ではない。

一万時間という時間を具体的に考えてみると、途方もなく長い時間だということがわかる。
一日3時間の練習をしたとする。

計算してみると、一年で約一千時間、

十年で一万時間に達する。

一日3時間の練習を十年間毎日続ける。

これだけのことをやれば誰でも一つのことを究めることができるのではないだろうか。

持って生まれた才能が無くとも、少なくとも素人には及びもつかないようなすごい技を身につけることができるはずだ。

今、若者が入社3年以内で会社を辞めてしまうことが問題になっている。

確かに3年間では何もわからないし何も身につかない。

しかし、そのような彼らも自分のキャリアには関心が高い。

“マジックナンバーは一万時間”、このことを知っておくべきだろう。

2011年2月 2日 (水)

考える力/イノベーションクラブ

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 自分自身で「なにがわかっていること」で「なにがわかっていないこと」というのが、整理されているっていうのは、スゴイことなんです!
 多くの人々は、「なにがわかっていること」で「なにがわかっていないこと」なのかも、自分自身でわからないので、「思考」が進まないのですね。
 そして、紙に書けば「書いた文字を自分でみられます」から「筋道」が立っているかどうかを自分で確認することも可能になるんです。
 極端な表現を使うと、いわゆる「幽体離脱」して「考える」ことができるのです。(P125)

この本はいわゆるノウハウ本だが、「考える」ということについて、いろんなシートを紹介している。

しかし、結局のところ、言っていることは、「紙に書け」ということだ。

人間は、自分の中にあることを紙に書かない限り、考えているつもりになっているだけで、実際には考えていない、

また、紙に書かなければ、自分の考えの矛盾に気づかない。

考えるということは、紙に書くことだと結論づけている。

実は、私がブログをはじめたきっかけもこのことが大きい。

以前から、一日に一冊本を読むようにしていたのだが、

ある時、読んでいる割には、自分の頭にあまり残っていないことに気づいた。

いわゆる読みっぱなしになっているのである。

それに対する打開策が、「読んだ本の中で、印象に残った箇所を一カ所抜き出し、簡単なコメントを入れる」という作業をするということであった。

そしてせっかくだから、それをブログにも載せることにした。

そんな単純なきっかけで始めたブログだが、

時々、自分の書いたコメントを読み返してみると、自分の考えの浅さや矛盾点がもろに出ている。

これだけでも効果アリといえるのだろう。

2011年2月 1日 (火)

実践経営問答/稲森和夫

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 直感力、つまり判断力を研ぎ澄ますにはどうすれば良いのでしょう。中村天風先生は、人間の行動は『有意注意』と『無意注意』の二通りがあるが、心して自分の意識を注入する、『有意注意の人生』が大事だと説いておられます。
 仕事における判断とは、簡単な判断をする時は軽くあしらい部下に任せて、重要だと思ったときだけ十分に検討する、というのが一般的なのでしょう。しかし、判断はどんなものでも重要なのであって、日頃いい加減な判断をしていては、いざ鎌倉と力んでみても良い判断はくだせないものなのです。有意注意の習慣を持って仕事をしているからこそ、いざとうとき直感が働くのです。そのためには、最初の頃はとにかく、「意識を注いで判断するのだ」と、思い続けるしかないと思います。おもい続けて頭の中にデポジットされればしめたものです。(P55)

人間は、その行動の95%は、条件反射で動いているという実験結果がある。

条件反射とは、ここでいうところの『無意注意』ということ。

つまり、これまで培われた習慣によって、何も考えずに行動しているということ。

そして、自分で考えて行動している部分、つまりここでいうところの『有意注意』の部分はわずか5%ということ。

それほど、私たちは、何も考えないで行動してるのである。

だからこそ、もし判断力をつけようと思うなら、日々の生活の中で、どんな小さなことであっても判断するという習慣を身につける必要がある。

小さな事は無視して、自分で重要だと思うことだけ判断するということであっては、判断力は身につかない、

結果として、大きなことについても正しく判断することはできなくなる。

やはり、日頃の小さな取り組みの積み重ねに勝るもの無しということであろう。

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