« 坂の上の雲(三)/司馬遼太郎 | トップページ | 坂の上の雲(五)/司馬遼太郎 »

2011年2月 9日 (水)

坂の上の雲(四)/司馬遼太郎

A9red96

 じっをいえば、この遼陽に展開しつつあるロシア軍に対し、日本軍は機敏な攻勢に出るべきであった。が、出ることができなかった。
砲弾が足りなかったのである。
 海軍は、あまるぐらいの砲弾を準備してこの戦争に入った。
が、陸軍はそうではなかった。
 「そんなには要るまい」
と、戦いの準備期間中からたかをくくっていた。かれらは近代戦における物量の消耗ということについての想像力がまったく欠けていた。
 この想像力の欠如は、この時代だけでなくかれらが太平洋戦争の終了によって消滅するまでのあいだ、日本陸軍の体質的欠陥というべきものであった。
 日本陸軍の伝統的迷信は、戦いは作戦と将士の勇敢さによって勝つということであった。このため参謀将校たちは開戦前から作戦計画に熱中した。詰め将棋を考えるようにして熱中し、遼陽作戦などは明治三十五年のころから参謀本部での「詰め将棋」になっていた。かれらは戦争と将棋とは似たようなものだと考える弊風があり、これは日本陸軍のつづくかぎりの遺伝になった。
 かれらはその「詰め将棋」に血をかよわせて生きた戦争にするのは、実戦部隊の決死の勇戦あるのみという単純な図式をもっていた。「詰め将棋」が予定どおりにうまく詰まないときは、第一線の実施部隊が臆病であり死をおそれるからだとして叱咤した。とめどもなく流血を強いた。
 それが、東京なり後方なりにいる陸軍の作戦首脳の共通してのあたまであった。「詰め将棋」を肉づけしてそれを現実の戦争に仕立てあげるものは血よりも物量であるということがわかりにくかった。たとえば日本陸軍は遼陽作戦をはじめるにあたって準備したのは砲弾ではなく、一万個の骨箱(ロシア側資料)であった。
 砲弾については、戦争準備中、
「どれほどの砲弾の量を予定すべきか」
ということを、参謀本部で考えた。もし日清戦争の十倍が必要なら、それだけの量を外国に注文したり、大阪砲兵工廠の生産設備を拡充してそれだけの用意をせねばならない。
 が、日本陸軍は、
「砲一門につき五十発(一ヵ月単位)でいいだろう」
という、驚嘆すべき計画をたてた。一日で消費すべき弾量だった。
 このおよそ近代戦についての想像力に欠けた計画をたてたのは、陸軍省の砲兵課長であった。
日本人の通弊である専門家畏敬主義もしくは官僚制度のたてまえから、この案に対し、上司は信頼した。次官もそれに盲判を押し、大臣も同様、判を押し、それが正式の陸軍省案になり、それを大本営が鵜のみにした。その結果、ぼう大な血の量がながれたが、官僚制度のふしぎさで、戦後たれひとりそれによる責任をとった者はない。(P101~102)

陸軍作戦首脳の、想像力の欠如、論理思考の欠落、そして最後は実戦部隊の決死の勇戦あるのみという単純な図式。

これによって、日本人の多くの血が流された。

本来であれば、これこそ責任を取るべき行為である。

だが、このような思考は、決して当時の陸軍作戦首脳特有のものではない。

現代においても、このような思考回路を持っている企業トップは多い。

たとえば、やたら社員の「やる気」を強調する経営者、

仕事において、確かにやる気は大事である。

ただ、前提条件がある。

それは、売れる仕組み、売れる商品であり、競合他社に勝てる戦略である。

それらができた上で、社員のやる気を求めるのであれば良い。

しかし、多くの場合、そうではない。

そう言った意味では、旧日本陸軍と何ら変わっていないと言える。

社員に「やる気を出せ」「ガンバレ」「死ぬ気でやれ」という前に、

企業トップは自分たちのやるべきことをしっかりとやるべきである。

« 坂の上の雲(三)/司馬遼太郎 | トップページ | 坂の上の雲(五)/司馬遼太郎 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 坂の上の雲(四)/司馬遼太郎:

« 坂の上の雲(三)/司馬遼太郎 | トップページ | 坂の上の雲(五)/司馬遼太郎 »