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2011年2月 7日 (月)

坂の上の雲(二)/司馬遼太郎

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 好古は同時代のあらゆるひとびとから、
「最後の古武士」
とか、戦国の豪傑の再来などといわれた。しかし本来はどうなのであろう。
 考える材料が二つある。ひとつは、かれは他の軍人のばあいのようにその晩年、自分のこどもたちを軍人にしようというきもちはさらになかった。福沢諭吉の思想と人物を尊敬し、その教育に同感し、自分のこどもたちを幼稚舎から慶応に入れ、結局ふつうの市民にした。
 いまひとつは、かれが松山でおくった少年のころや大阪と名古屋でくらした教員時代、ひとびとはかれからおよそ豪傑を想像しなかった。おだやかで親切な少年であり、青年であったにすぎない。それが、官費で学問ができるというので軍人になった。軍人になると、国家はかれにヨーロッパふうの騎兵の育成者として期待し、かれもそのような自分であるぺく努力した。
 かれは自己教育の結果、「豪傑」になったのであろう。いくさに勝つについてのあらゆる努力をおしまなかったが、しかしかれ自身の個人動作としてその右手で血刀をふるい、敵の肉を刺し、骨を断つようなことはひそかに避けようとしていたのではないか。むろんそのために竹光を腰に吊るということは、よほどの勇気が要る。勇気はあるいは固有のものではなく、かれの自己教育の所産であったようにおもわれる。(P90~91)

著者の司馬遼太郎は、秋山好古が「豪傑」と呼ばれたことについて、

それは自己教育の結果「豪傑」になったのだと語っている。

「豪傑を演じる」ことはできるかもしれない。しかし、好古は「豪傑になった」のである。

これは考えてみればスゴイことである。

騎兵には突撃ということがある。馬をつらねて敵中にとびこみ、刀か槍で刺突してたたかわねばならない。

好古は、最後まで、指揮刀でいくさの場に立ったという。

指揮刀はおもちゃのような刀身で、刃がなく、当然ながら切れない。

指揮刀では、突いても敵の衣服を突きとおすことはできず、ふりかぶっても敵を切ることはできない。

第一、護身のための武器がおもちゃでは不安でいくさの場に立っていられないではないか。

周囲の者がそのことを言っても「いや、ええんじや」と、好古は言い、変えようとしなかったという。

自分の立たされたリーダーとしての役割を100%果たすために、とことん自分を変えていった。

リーダーとして立つ者にとって無くてならない資質だと言える。

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