« 平時の指揮官 有事の指揮官/佐々淳行 | トップページ | 挑戦つきることなし/高杉良 »

2011年2月26日 (土)

日本人の美徳/櫻井よしこ

31ojygxt7l__ss500_

 言葉には意味と重みがあります。その言葉をどのくらいの頻度で使うかによって、そこに込めた気持ちや思いの強ざがわかります。その意味で、日本国憲法の第三章を見ると、権利と自由ばかりが強調されています。
 憲法は天皇に関することから始まり、憲法改正条項までありますが、第三章の「国民の権利及び義務」が一番大きい章になっています。その章に、憲法を作った人が最も強い思いを込めたことがわかります。
 第三章には、「あなたにはこういう権利があります。だからそれを行使しなさい。あなたにはこういう自由があります。だからそれを行使しなさい、要求しなさい。あなたは個人です。権利と自由を持った個人なのです」というようなことが集中的に書かれているのです。
 権利の裏には責任があり、自由の裏には義務がある。それを果たしなさいということはすっぽり抜けているんですね。
 また、あなたは個人だけれども、親から生まれてきて、育ててもらったのです。だから家族を大事にしなければなりません。自分の主張を通すとともに、周りのことも考えなさいという価値観も抜けてしまっています。
 どのような価値観を重視しているかということの判断基準の一つは、その価値観を持った言葉を、どれくらい頻繁に使っているかです。憲法第三章に出てくる言葉を数えてみたら、権利が16回、自由が9回、義務が3回、責任が3回でした。
 ということは、一番強調されているのは権利と自由で、義務と責任はほとんど無視、軽視されているのです。戦後の日本人は、個人、個人、個人。家族の一員でも社会の一員でもなく、すべて個人重視なのです。その偏った在り方を正していく必要があると私は思っています。(P162~164)

憲法問題というと九条の平和憲法の問題が取り上げられることが多いのだが、ここで櫻井氏は三章に出てくる言葉の問題について語っている。

三章は「国民の権利及び義務」について書かれているのだか、

その中で、権利と自由がやたらに強調され、義務と責任がないがしろにされていると主張する。

確かに、権利と義務、自由と責任は対で考えるべきであり、一方が強調されすぎると、おかしくなってしまう。

戦前の日本は、やたらに義務と責任ばかりが強調される国家であった。

ところが、戦後民主主義が入って来ると、今度は権利と自由がやたらに強調されるようになり、義務と責任の部分がどこかへ行ってしまった感がある。

どうも日本人の特性として、一方にやたら傾いてしまうというところがあるようだ。

一方、戦後、義務と責任がないがしろにされているとは言っても、あることがきっかけに、義務と責任の方に大きく振れていくこともある。

記憶に新しいのが、数年前に起こった「自己責任論」だ。

当時、イラクで人質になった日本人に対して、「警告しているにも関わらず、危険地域に足を踏み入れた者が悪い」ということから、その議論は起こった。

どうも日本人にとって、権利と義務、自由と責任というものが、今だに自分たちのものとなっていないようだ。

その意味では、今だ日本は民主主義が根付いていない、大人になりきれていない国家だといってもよいかもしれない。

« 平時の指揮官 有事の指揮官/佐々淳行 | トップページ | 挑戦つきることなし/高杉良 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本人の美徳/櫻井よしこ:

« 平時の指揮官 有事の指揮官/佐々淳行 | トップページ | 挑戦つきることなし/高杉良 »