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2011年2月10日 (木)

坂の上の雲(五)/司馬遼太郎

A9r9788

 二○三高地の攻防のすさまじさにつき、ロシア側のコステンコという少将の文章を借りると、
「日本軍の攻城用の巨砲の猛威とその執勘な射撃は、憎悪という以外ない」
というほどであった。さらにコステンコは、日本軍の歩兵突撃のやりかたをつぎのような例でえがいている。
 「日本の歩兵部隊は、縦隊でやってくる。それも整然たる駈け足でやってくる」
 一つの縦隊は三百人程度であった。三つの縦隊が、キビスを接してやっとのぼってきたことがある。最初にやってきた第一縦隊は地雷原にひっかかり、火の柱が轟然と天へあがった。やがてその黒煙が去ったときは、地上には死骸だけがころがっていた。日本軍戦法の特徴は、一つの型をくりかえすことであった。つづいてやってきた第二縦隊もまた地雷で粉砕され、さらにやってきた第三縦隊も吹っ飛ばされている。その間、時間でいえば一時間足らずであった。
 信じられないほどに愚劣なことだが、本来、第一縦隊が地雷で消滅したとき、現場の司令部は第二縦隊以下をいったん退却させ、砲兵陣地に連絡して地雷のありそうな場所一帯を、方眼紙のマス目を一つ一つ塗りつぶすようにして射撃させるべきであった。そういう射撃法や技術は、すでにこの当時の日本陸軍の砲兵科は十分にもっていた。それをやらず、おなじ失敗を三度くりかえし、千人の兵(ロシア側の概算では、三、四千人)をむなしく消滅させてしまうというのはどういうことであろう。これは乃木の軍司令部や大迫の師団司令部だけの責任ではなく、日本陸軍の痼疾とでもいうべきものであった。戦略や戦術の型ができると、それをあたかも宗教者が教条をまもるように絶対の原理もしくは方法とし、反覆して少しも不思議としない。痼疾は日本陸軍の消滅までつづいたが、あるいはこれは陸軍の痼疾というものではなく、民族性のふかい場所にひそんでいる何かがそうさせるのかもしれなかった。(P47~48)

この旅順の攻防による損害は、ロシア軍は戦闘員4万5千のうち、死傷は1万8千人余り、死者は2、3千人、

これに対して日本軍は、戦闘員10万のうち、死傷は6万212人、つまり6割の損害、

死者は1万5千4百人余り、つまり1割5分の死亡率という凄惨さ。

結果として、旅順の攻防では、日本が勝ったとされているが、問題は、その為に流された血の量である。

勝った側の日本軍が6割の損害を被っている、

これで本当に勝ったといえるのであろうか。

特に問題なのは、現場指揮官の無能さである。

明らかに同じ失敗を無為に繰り返している。

著者である司馬遼太郎は、これを日本陸軍の痼疾とでもいうべきものであったと述べている。

日本陸軍の痼疾とは、戦略や戦術の型ができると、それをあたかも宗教者が教条をまもるようみに絶対の原理もしくは方法とし、反覆して少しも不思議としないといったもの。

そして、それは、陸軍の痼疾というものではなく、民族性のふかい場所にひそんでいる何かがそうさせるのかもしれないとも述べている。

つまり、これは、日本人の国民病だということ。

なるほどな、と、考えさせられた。

「ぶれない」ということと、「一つの戦略や戦術に固執する」ということとは違う。

状況や環境が変われば、一つの戦略や戦術に固執することなく、臨機応変に変えるべきであろう。

トップに立つものは、「ぶれない」という面と「臨機応変」という面との両面を持っていなければならない。

そして、これらは決して矛盾するものではなく、両立するものである。

何れにしても、この話は、決して昔話ではなく、今、現実に日本で、形を変えて起こっている、現実である。

今現在、民主党がマニフェストに固執するあまり、二進も三進もいかなくなってしまっていることなどは、この典型例であろう。

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