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2011年3月の31件の記事

2011年3月31日 (木)

質問する力/大前研一

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 自分も原子力の恩恵に預かっている人が、原子炉はあっちへ行けと言いながら、電気だけはくれというのは論理的ではありません。
 原子炉に対してはゴミ処理場と同じく、必要なのはわかっているけれども、そばには来てほしくないという感覚があるようです。
 東京電力の場合、消費地からはるかに離れた新潟や福島に原子炉を置いています。
 原発を置かれた地域は、多額の補助金をもらうこととひきかえに立地をみとめたのです。
 電力会社はそういう姑息な真似はやめて、消費地の近くに発電所を作るべきではないかと思います。
 それについて消費地の住民にコンセンサスが得られなかったら、原子力発電そのものをやめてしまえばよいでしょう。(P123)

原発の問題について、推進派と反対派との議論は平行線をたどることが多い。

推進派は、原発はクリーンなエネルギーであり、安全である、

また、日本のエネルギー事情から言って、

原発無しですべてのエネルギー需要をまかなうことはできない。

もし、そうしようとするならば、大変なコスト高になってしまう、

という主張。

対する、反対派は、原子力が絶対安全ということはあり得ない、

少しでもリスクがあるならば、他の方法を選択すべき、

という主張。

これでは平行線である。

原子力の安全性一つを取ってみても、

常識的に考えて、絶対安全ということはあり得ない。

これは原子力に限らず、どんなものであっても、

技術の進化によって、リスクを限りなくゼロに近づけることはできるが、

ゼロにすることはできないものである。

そして、原発の場合、その“まさか”の事故が起こった時、損害や被害が大きい。

この問題の本質は、

“電力は十分欲しい、しかし、原子炉を自分たちの近くに作るのは反対”

という非論理的な考えを許してしまっていることにある。

もし、東京で電力需要が多いのであれば、東京に原子炉を作るべきである。

それがいやなら、作るのをやめてしまえば良い。

しかし、その場合、今より不自由な生活をする必要がある。

それを住民投票でもなんでもやって、自分たちで選択すれば良い。

私はそう思う。

2011年3月30日 (水)

わが上司 後藤田正晴/佐々淳行

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 防衛問題が激論になると、後藤田官房長官は、このとっておきの殺し文句をいいだす。
「ワシが五十年間生き残ったのは、再び日本を軍国主義にしないためじゃ。学徒出陣でいくさに出た学友の三分の一が還らなかった。この死んだ仲間のためにも、ワシは再び軍国主義への引金を引いた官房長官とはいわれたくない。敵が攻めてきたら、ワシもやる。だが、平時は抑制じゃ。君らだけでなく戦争を知らない若い議員たちは威勢はいいが、これだけはハッキリ言うておく」
 これが出ると、私たちは黙らざるを得ず、激論は終る。それは後藤田哲学だからだ。(P286~287)

カミソリと異名をとった後藤田正晴、

元警察官僚であるだけに、治安警察の問題については積極的で「タカ派」だが、

対照的に、防衛問題については「ハト派」であった。

タカ派の面とハト派の面とが混在しているのも独特だが、

それが自らの体験に基づくものであることから迫力と説得力が生まれている。

タカ派の面は、連合赤軍あさま山荘事件や、よど号ハイジャック事件等で

警察庁長官として指揮を執った体験から、

ハト派の面は、自らの戦争体験から出てきている。

よく、人の語る言葉の重みについて考えさせられることがある。

同じ言葉を語っても、誰が語ったかによって、その影響力に違いが出てくる。

もちろん、「誰が語ったかより、何を語ったかの方が重要」というのは正論だが、

現実問題として、「誰が語ったか」が影響力を発揮する場面が多くあるのは事実である。

やはり人間は感情の動物なのだから、

それ故に、体験に裏打ちされた言葉を持つということは、

そして、それを自らの哲学にまで昇華させるということは、

人を動かす立場に立つリーダーにとって不可欠なことなのであろう。

2011年3月29日 (火)

組織改革/高橋俊介

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 自分から積極的にキャリアを仕掛けていくと、必ずしも予定どおりでないことが起こる。それをむしろ出会いとして楽しみながら、チャンスを柔軟につかんでいく。その結果として、キャリアというものが塗り替えられていく。キャリアは予定どおりでないから面白い。彼らのキャリア形成にはそんなイメージが浮かぶ。これは、キャリアについての「計画された偶然理論」の考え方に非常に近いものがある。
 「計画された偶然理論(プランド・ハップンスタンス・セオリー)」とは、ひとことでいえば、変化の激しい時代には、キャリアは基本的に予期しない偶然の出来事によってその八割が形成されるとする理論だ。そのため、個人が自立的にキャリアを切り開いていこうと思ったら、偶然を必然化し、偶然を味方につける。つまり、自分にとって都合のよい偶然の出来事がより起こるように、能動的かつ継続的に自ら仕掛けていくことが必要になってくるという考え方だ。九九年にスタンフォード大学のクランボルツ教授によりカウンセリング学会誌に発表された。(P259)

キャリアは予定どおりでないから面白い、

この考え方には100%、共感できる。

自分自身のことを振り返ってみてもそうだ。

子供の頃、現在の仕事である人事コンサルタントをやるなんてこと、夢にも思っていなかった。

いや、こんな仕事があることすら知らなかった。

ただ、節目節目で、さまざまな出会いがあり、選択があった。

それらを経た結果が、今の仕事であり、今の自分である。

それらを一言で表現すると、“面白い”となる。

そして、これから後の人生もそうだろう。

これからも、様々な偶然と思えるような出会いがあるだろう。

しかし、私はこれを単なる偶然とは受け止めていない、

必然と考えている、

必ず、何らかの意味があると考えている。

そして、そのように受け止めた時、新しい道が開けて来る。

仕事もキャリアも人生も、予定通りでないから面白い。

2011年3月28日 (月)

柳井正 わがドラッカー流経営論

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 「知識労働者は、すべて企業家として行動しなければならない。知識が中心の資源となった今日においては、トップだけで成功をもたらすことはできない」(『創造する経営者』)。ポストモダンの時代の到来にいち早く気付いたドラッカーは、従業員一人ひとりの知識や判断が企業経営を支えていることを強調し、「知識労働者」という言葉を盛んに使った。
 ドラッカーは当時すでに、もはや労使が対立している場合でもなければ、強力なリーダーの統率力に頼る時代でもない。企業という共同体を支えるのは、そこにいる全員である、と説いている。(P88)

“社員は経営者の言う通りに、ただ黙って働いていれば良い”という時代は終わったと言って良い。

今は変化の速い時代であり、それは顧客の動向に現れる。

顧客の最も近くにいるのは、経営者ではなく、社員である。

つまり、顧客の最も近くにいる社員が自ら考え行動する、

そして、経営者は、そのような社員の声に耳を傾け、経営判断をする。

トップダウンでもなく、ボトムアップでもなく、その両方の要素を取り入れた経営が今求められいている。

最近起こったプロ野球のセリーグの開幕時期の問題。

すったもんだの挙げ句、結局、パリーグの開幕時期に合わせることで一件落着となったが、

これも、ファンの声のもっとも近くにいる選手の意見を無視したセリーグの経営者側の傲慢からくるものだ。

つまり、“社員は黙って経営者の言うことを聞いて従っていればいいんだ”という昔ながらの体質が現れた例である。

しかし、これに似たようなことは、多くの企業で起こっている。

むしろ、このような企業が大部分だと言っても良い。

今後、このような企業は、衰退への道を歩むことになるだろう。

経営者も、そこいる社員も、今こそ変わるべきときだ。

2011年3月27日 (日)

リーマン恐慌/岩崎日出俊

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 かのケネディ大統領の父親は、1920年代、アメリカの株式市場が活況を呈していたときに、思い切って資産を株式に投下し、富豪への道を切り開いた。そして、その後に襲いかかってきた大恐慌直前に、すべての保有株式を売り抜けていたことで有名になった。
 決断のきっかけは、ニューヨークの街頭で靴を磨いてもらっているときに訪れた。
 そのとき、靴磨きの少年はしきりに株の話をしていたのだ。靴が磨き終わるまでのわずかの間に、ケネディの父親は手持ちの株の売却を考え始めたといわれている。
 「こんな少年までが仕事の手を緩めて、株に浮かれている。これは危ない」
 そう気づいた彼の直感は当たり、ケネディ家は富豪のまま生き残ることとなる。(P3~4)

ケネディ大統領の父親には、“これは危ない”と感じる感性が備わっていたということだろう。

危機を感知する感性、

今のような変化の速い時代には、これが必要だ、

では、これはどこから来るのだろうか。

特別な能力なのだろうか、

どうもそうではないようだ。

むしろ、普通の感覚を、どんなときにも持ち続けることができること、

世の中が同じ方向に向かって突っ走ろうとしているとき、

一歩退いて、自分を客観視できること。

これが必要なのではないだろうか。

特に日本人は、極端に一方方向に流され易い、

今回の地震とそれに伴う福島原発の事故に対する過剰反応はそれを示している。

支援の輪が広がる一方、水や食料、ガソリンの買い占め騒動が起こっている。

日本人の良い面と悪い面が、両方でてしまっている、

今こそ、普通の感覚を持つことが大事だ、

そうすれば、自分のやるべきことが見えて来る。

2011年3月26日 (土)

もうきみには頼まない 石坂泰三の世界/城山三郎

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 最初は会長にということでの東芝入りであったが、金融筋の強い要請もあり、石坂は社長のポストに落ち着いた。
 そのことが内定すると、石坂はまず労組事務所へ出かけて行った。
 組合側はおどろいた。役員といえば部屋にカギを掛け、宿所も転々として雲隠れしている存在であった。それが新役員、それも新社長が自ら組合事務所へやってきたのである。迎えた東芝連合労組委員長石川忠延の証言を、武石和風『堂々たる人』は次のように紹介している。
 「ある日、見知らぬ人が一人のこのこ汚い労組事務所にきた。“近く社長になる石坂です”と、いきなりいう。私をはじめ居合わせた幹部一同、どぎもを抜かした。まだ、社長含みのただの取締役であった。“この会社の再建が私の仕事です。ざっくばらんに話し合いましょう。いずれよろしく願います”と言って去った」
 労組側はただおどろくばかりで、奇襲や先制攻撃を受けたという感じは持たなかった。
 もちろん、石坂にその気はなかったし、逆に労組に媚びる思いもなかった。新社長として取り組むべき第一の課題が労働問題である以上、その相手にまず会っておくべきである。それは、石坂にとって川の流れに身を任せるのと同様のごく自然な行動であった。思惑などにとらわれず、素直に。素直であるべきときは素直に。石坂の大きな体が動き出した。(P129~130)

“虎穴に入らずんば、虎子を得ず”という諺がある。

虎の子を得ようと思えば、虎の穴に入っていく必要がある。

同様に、何かを得るときは、それなりのリスクはつきものということ。

行動もせず、リスクも負わずに、何かを得ることはできない。

至極、当たり前のことなのだが、

その通りに実行できる人は少ない。

東芝は当時、大労働争議のため労使が激突し倒産の危機にあった。

役員といえば、組合員との接触を避け、

部屋にカギをかけ、宿を転々とし、雲隠れしている状態であった。

そのような状況で石坂に次期社長就任の声がかかった。

あえて火中の栗を拾った形となった石坂は、真正面から組合と交渉し、

6,000人を人員整理し、東芝再建に成功する。

このエピソードから学べることは、

“逃げるな!”ということ。

逃げれば逃げるほど、危機は追いかけて来る、

リスクに真正面から立ち向かってこそ、道は開ける、

あらゆる事柄に共通して言えることではないだろうか。

2011年3月25日 (金)

個性を捨てろ!型にはまれ!/三田紀房

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 自分で考える自分の長所、あるいは自分ならではの個性なんて、ほとんどの場合が「こうありたい自分」の姿でしかない。そんなものを押しつけられるのは、周囲からすれば迷惑千万だ。
 だから、わざわざ個性的であろうとすることはやめよう。
 あえて人と違ったことをすることもないし、カッコつけて中途半端なアウトローを気取ることもない。
 まずは基礎を、つまり他人と同じことをやっていけばいい。
 本当の個性とは、他人と同じことをやっていく中でこそ、明らかになってくるものなのだ。周囲と同じことをやっていく中で、違いを見つけ、そこを伸ばし、自分のものにすること。それが個性なのである。
 そもそも「俺って個性的」をアピールしている連中ほど、見事に没個性であるものだ。
 たとえば、「本当の自分を探すため」とか言って、インドあたりに出かける連中。
 もう、その「インドに行けばなにかがある」と思っている時点で、救いようがない。
 しかも、インドに行った程度で「自分は特別な体験をした」「自分は個性的なヤツだ」なんて思っているようでは、話にならない。(P29~30)

"守破離"という言葉がある。

まず基本となる型を徹底的に学び、身に付ける、

それができるようになったら、次の段階として、それを少し変えてみる、

最終的に、自分独自の型を身に付け、自分のものにする。

物事を習得するのは、ほとんどがこのステップを踏む。

ところが、問題は“守”の部分である。

何をやっても中々伸びない人は、この守の部分がおろそかになっている。

いきなり、自分なりのやり方でやろうとする。

ところが、世の中、そんなに甘いものではない、

そんなもの、通用するはずがない。

“型”を否定する人がいるが、それは間違っている。

“型”はどうしてできたのか、

どうして代々受け継がれてきたのか、

それはそれなりの理由があるから、

普遍性があるから、代々受け継がれてきたのである。

それを無視して、良い結果が得られるはずがない。

共通する成功法則がある、

それは徹底的に型を身に付けるということ、

自分なりのやり方を生み出すのは、それが完璧にできてからだ。

これは王道である。

2011年3月24日 (木)

代議士秘書/飯島勲

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 ちょっと長ったらしい説明になってしまったが、こうした予算に関する流れをきちんと把握し、地元民からの要望をいかに具体的に国家予算に反映することができるかどうかが、政治家の腕の見せどころだ。したがって、この予算がらみの陳情に政治生命がかかっているといっても、あながちいいすぎではない。
 国会議員は、市町村レベルの査定が始まると、まずは自分の選挙区の動向をじっと見ている。この時点では、いくら自分が動いても、要求案がないから予算の取りようがない。さらにできあがった書類の流れを追いかけ、自分の選挙区から県に上がった要求案が知事査定の段階でスパッと切られないように、しっかり影響力を発揮する。
 よく地元の要求は一億円だったが、県の段階で五千万円に削られてしまうということがある。いったんこう決まってしまったら、これを各省庁に上がった段階で復活させることは絶対にできない。すると選挙民に「知事が五千万円削ってしまったんだ」といくらいっても納得せず、
「あのセンセは地元に五千万円しかつけられなかった……」
となってしまうのである。地元の期待にこたえられないというのは、政治家にとって致命傷だ。
 したがって政治家は、日本国のこの予算編成システムをよく理解し、どこをどう押したら影響力を発揮できるかを、よくよく理解していることが必要である。それがいいとか悪いとか、そういうことは問題じゃない。もう、そういう仕組みになっているのである。(P204~205)

「猿は木から落ちても猿だが、 代議士は選挙に落ちればただの人」

よく言われる言葉である。

確かに政治家の先生方にとって、選挙は命の次に大事なものであろう。

そして、その選挙に勝つために、どんなことでもする。

それ故に、地元への利益誘導政治が生まれる。

そして政治家の秘書は、そのために動き回る。

地元からの陳情を聞き、

選挙では相手方候補をいかに蹴落とすかと腐心する。

この本では、この奮闘ぶりが、面白おかしく書かれている。

中でも核心部分が、この地元の予算を削られずにいかに獲得するかということ、

政治家にとって、自分の影響力を最もアピールする場である。

当然、汚いこともするのであろう。

そして何かあると、「それは秘書が・・・・」と、

知らぬ存ぜぬの一点張り、

しかし、もうこんな政治、多くの国民は求めていない。

いい加減、変えるべきだろう。

2011年3月23日 (水)

覚悟の法則/弘兼憲史

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 全力で突っ走るだけが人生ではないはずだ。いろいろなタイプの人がいるから、人生もおもしろいのだ。おもしろいだけではなく、いろいろな人がいたほうが集団も活性化する。
 “オッドマン・セオリー”という理論がある。七、八人のグループがあったとすると、全員が精鋭ばかりだと、集団はかえってあまりうまく機能しなくなる。この中に一人オッドマン、つまりちょっと奇妙な人、かわった奴が入っていると、かえってこの人物が緩衝剤の役割を果たして、集団は活性化するというのだ。たとえは悪いかもしれないが、漫才のボケとツッコミのような関係だ。この掛け合いがうまくいくと、おもしろさは二倍ではなく三倍、四倍にもなる。
 集団にとって不要な人というのはいないのだ。
 集団の中ではいろいろな役割がある。自分がどのタイプなのかはおそらく自分が一番よく知っているだろうから、それぞれの役割を果たしていけばいいはずだ。ダメ人間をヒステリックに排除したがる集団は、余裕のない集団だと思う。いずれ自滅するか前進にブレーキがかかる。(P40)

組織は、多様な人がいるからこそ活性化する。

ところが、日本の組織は、その構成員に同質性を求めるところがある。

ある種の“ムラ社会”であり、その中には“ムラの掟”というものが存在する。

もちろん、明文化されているわけではないが、確かにそれが存在する。

また、明文化されていない“ムラの掟”を感じ取って、自分のやるべきことを律することがその構成員には求められる。

これを一般には“空気を読む”という。

そして、それができない人は、「ダメな奴」、「自分勝手な奴」、「KY」だとレッテルを張られてしまう。

場合によっては、ムラ社会の住民が一番恐れる、“村八分”になってしまう。

長い間、日本はこれでやってきた。

ただ、これはやがては崩れていくであろう、

いや、崩していかざるを得なくなるであろう。

これから日本は益々グローバル化の波にさらされる。

大企業はどんどん海外へ出て行くであろうし、

日本では外国人労働者がどんどん増えていくことが予想される。

そうすると、これまでの“ムラ社会”は変えていかざるを得なくなるであろう。

悲観的に捉えるのではなく、これを良いことだと受け止めたい。

あるべき姿に変わろうとしているのだと、

いずれにしても、これからの変化にしっかりと適応していくことが、一人一人に求められている。

2011年3月22日 (火)

栗林忠道 硫黄島の死闘を指揮した名将/柘植久慶

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「閣下、この島の敵兵は、『バンザイ』を全く叫びませんでした」
と、幕僚はそのように報告し、少し怪冴そうな顔をする。
「それは司令官のクリバヤシが合理主義者だからだ。彼の思考経路はトウジョウやテラウチたちと違い、アメリカ人と同じような合理主義者だ、と考えるべきだろう」
 ホーランド・M・スミス中将は、表情一つ変えずに返答した。サイパンなどの司令官や師団長たちは、兵力を水際で大きく損耗し、もう勝てないとなったら自分たちは自決、部下たちに万歳突撃をさせ自滅していった。ところがここではそうはいかないだろうと、彼は秘かに覚悟を決めた。(P230)

栗林忠道はクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」で渡辺謙が演じたことからも、強く印象に残っている人物である。

栗林の特徴の一つに“合理性”がある。

米国留学経験などからアメリカを熟知した冷静な判断により、

名将たるにふさわしい指揮ぶりを示した。

この結果、硫黄島では日本軍の死傷21,000に対して、アメリカ軍の死傷28,000という出血を強いた。

当時、日本軍は、万歳突撃を繰り返し、自ら死を選んでいた。

しかし、栗林はそれを許さなかった。

敵陣への突入を前にして万歳を唱えたら、敵に予告を与えると同様な馬鹿げた行為だというのが、彼の考えであった。

そして、乏しい飲料水と食料に耐えて戦い続け持久戦に持ち込むことを部下に求めた。

アメリカ人は長引くのを嫌がるというのがその理由で、それも理に適っている。

長引けば、アメリカのスミス中将は更迭されていたであろう。

歴史に“もしも”はないが、

もしも、日本軍が然るべき支援を受けていたら、被った被害は半減したであろうと言われている。

いずれにしても、合理的に物事を考えるということが、リーダーにいかに必要かということをこのエピソードは教えてくれる。

2011年3月21日 (月)

サッカー監督はつらいよ/平野史

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 たとえば代表クラスの選手の中には、各世代の代表に選ばれてきたエリート組がいる。彼らの多くは代表意識が強くプライドも高い。その一方で、代表とはほとんど縁はなかったが、Jリーグで活躍して代表に選ばれた選手も少数だが存在する。
 こういった選手たちが一度は選ばれた代表から落とされたとする。いわば両極に位置する選手たちだが、双方ともダメージは意外と少ないし、立ち直りは早い。
 エリート組は小さい頃から自信を持っている分だけダメージが大きいように思えるが、そうでもないのだ。彼らは「監督との相性とか戦術に合わないからとかでたまたま選ばれなかっただけ。次があるじゃないか」と考える。実際に次はないと分かっていても、そう考えることで立ち直ろうとする。あふれる自信が「落選のショック」すら覆い隠してしまう。そういうタイプが意外と多い。日本ではサッカーに限らずエリート組というとひ弱なイメージを持たれやすいが、小さい頃から競争意識が強く、他の人間に競り勝ってきた選手が多いので実際はそうでもない。それに彼らも見えないところで多くの挫折を繰り返してきたのだ。
 また「雑草」などとも言われる、Jリーグで急速に伸びた選手たちは、これまで代表に選ばれることもなく多くの苦労をしてきた。ただそれでも向上心が衰えなかったからこそ代表に選ばれた。彼らはすでに、少々の逆境をはね除けるだけのタフさは身に付けている。だからこそ「雑草」なのだ。(P86~87)

精神的タフネスさ、これを身に付けることは、今の時代で生きる人に必須の条件ではないかと思う。

これだけ変化が激しいと、たとえどんなに大企業に勤めようと安泰とは言えない。

M&Aで会社そのものが変わってしまうこともあるかもしれないし、また予期しない肩たたきがあるかもしれない。

新卒で入社し、40年間一つの会社で勤め続けるというパターンは少なくなって来るだろう。

その意味で、上記のサッカー選手の例は、大いに参考になる。

エリート組、雑草組、それぞれ日本代表から落選した時のダメージは意外と小さいというのだ。

雑草組がダメージが少ないというのはわかる。

小さいころから、逆境にもめげずに頑張り続けたから、代表に選ばれたのであり、

その選ばれる過程で、さまざまな試練を乗り越えてきたのであろうから、

精神的タフネスさを身に付けたのであろう。

意外だったのは、エリート組も代表落選のダメージは少ないということ。

「監督との相性が悪いから選ばれなかった」というのは、ある意味方便だと言えるが、

それだけ自分に対する自信にあふれているということであろう。

自信というより過信に近いものがある。

しかし、ある面、過信があることによって、幾多の試練を乗り越えることができると言えるのではないだろうか。

人間、自分の能力を正確に把握している人は少ない。

過小評価するか過大評価するか、そのどちらかであろう。

どちらが良いかということは一概には言えないが、

逆境を乗り越えるという場面では、自分を過大評価している人の方が強いと言えそうだ。

2011年3月20日 (日)

偶然のチカラ/植島啓司

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 われわれはつい人生には多くの偶然があって、それによってどういう進路を歩むか決められてしまうと考えがちだ。しかし、本当にそうなのだろうか?これほど多くの人々が繰り返し同じような問題で悩んでいるというのは、どうにも納得できないことである。われわれは永遠に運に翻弄されるがまま生きていかなければならないのだろうか。

 それとも、いっそ自分の身に起こったことを、すべて必然と考えてみることはできないだろうか。

 それがいかに好ましくない結果だとしても、自分の身に起こったことをすべて必然として受け入れるとしたらどうだろう。誤った判断を下したのも必然だったのだし、その結果抱え込むことになった面倒なこともすべて必然だったと考える。「もしも」とか「別の道を選んでいたら」とは考えない。この世はすぺて必然の連鎖によってできあがっている、そう考えると、ずっと楽にならないだろうか。一般に、悪い出来事は連鎖反応のように続いて起こるというが、実はよい出来事も、そうと自覚しないだけで、やはり同じように続いて起こっているのかもしれない。幸福とか不幸というのはもともと主観的なものでしかない。それに一喜一憂するというのは愚かなことではないか。(P22~23)

私たちの人生は好むと好まざるとに関わらず、偶然という目に見えない力に翻弄されることが多い。

自分のこれまで歩んできた道を振り返ってみても、偶然の連鎖によって、今の自分があると言っても良い。

偶然出会った人や本、偶然入った学校、偶然知った仕事、偶然出会った結婚相手、等々

考えてみると、自分で選びとったと思っている事柄であっても、偶然の要素がかなりの部分入っている。

すべてが偶然によって今の自分があるのであれば、努力しても無駄なのか?

そうではない、努力することによって、よりよい偶然を呼び込むことができる。

しかし、努力しても、不幸が襲って来ることも起こる。

それとても、時間軸を短くとると不幸と思えることも、長い時間軸で考えると幸福だと思えることもある。

幸福、不幸も単なる主観に過ぎないのだから。

だったら、すべての偶然を必然と捉えてみたらどうだろう。

すべてを必然だと考える。

“神の見えざる手”という言葉があるが、その感覚である。

人生の細部に至るまで、神の見えざる手が及んでいる。

そして、神は愛である。

決して、自分に悪いものを与えはしない。

悪いことと思えることも、それは神が私に何かを教えようとして、気づかせようとして与えているに過ぎない。

こう考えてみる。

そうすれば、人生はもっと楽しくなるのではないだろうか。

2011年3月19日 (土)

成果主義は怖くない/高橋俊介

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 たとえば、戦略系のコンサルタントが顧客にプレゼンテーションするとき、「社長ご安心ください。この戦略は競合他社もみんなやっています」などと言ったら、二度と出入り禁止になるだろうが、人事に関しては逆に、「この制度は他者も導入しています」と言った方が、むしろ信用された。(P110)

これは、コンサルの現場で経営者の口からよく出る言葉である。

人事制度に唯一絶対の正解はない。

コンサルタントは、企業の規模やビジネスモデル、戦略、雇用形態等々、さまざまなことから、その企業に最適な人事制度を構築しようとする。

そこにはスタンダードな人事制度なるものはない。

今、流行の人事制度もない。

あくまで、その会社にあった人事制度があるだけである。

ところが、顧客である企業の経営者から出てくる言葉は、それとはまったくちがう。

「この制度は他者も導入しているのでしょうか?」

この言葉が必ず出る。

「はい、他者も同じように導入していますよ」と言えば安心するのだろうが、何か違和感を感じる。

というより、おかしい。

他者とちがうことをしなければ、生き残っていけないのが、今の時代である。

企業のビジョンや戦略やビジネスモデルがちがえば、当然人事制度も違ってくる。

人事制度にも独自性が求められて当然である。

これは当たり前のことなのだが、これが人事制度のことになると、スタンダードなものがあると思い込んでいる経営者が多い。

どうしてなのだろう?

日本人の体質気質から来るものなのだろうか?

昔、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というフレーズが流行ったが、

人事制度に対する経営者の考え方に、このことが最も表れているような気がする。

2011年3月18日 (金)

下流志向/内田樹

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 「自分探し」というのは、それまでの生活をリセットして、どこか遠いところに出かけてしまいたいという若い日本人の欲望にジャストフィットしたせいで、ひろく流布した言葉です。あまり知られていないことですが、「子供たちの『自分さがしの旅』を扶ける営み」としての教育という言い方が最初に登場したのは、橋本内閣時代の中教審答申(『二一世紀を展望した我が国の教育の在り方について』第一次答申)においてなのです。
 「自分はほんとうはなにものなのか?」「自分はほんとうはなにをしたいのか?」
 ちょっと申し上げにくいのですが、このような問いを軽々に口にする人間が人格的に成長する可能性はあまり高くありません。少し考えてみればわかります。
 「自分探しの旅」にでかける若者たちはどこへ行くでしょう?ニューヨーク、ロサンゼルスへ。あるいはパリへ、ミラノへ。あるいはバリ島やカルカッタへ。あるいはバグダッドやダルエスサラームへ。どこだっていいんです。自分のことを知っている人間がいないところなら、どこだって。自分のことを知らない人間に囲まれて、言語も宗教も生活習慣も違うところに行って暮らせば、自分がほんとうはなにものであるかわかる。たぶん、そんなふうに考えている。
 でも、これはずいぶん奇妙な発想法ですね。
 もし、自分がなにものであるかほんとうに知りたいと思ったら、自分のことをよく知っている人たち(例えば両親とか)にロング・インタビューしてみる方がずっと有用な情報が手に入るんじゃないでしょうか?外国の、まったく文化的バックグラウンドの違うところで、言葉もうまく通じない相手とコミュニケーションして、その結果自分がなにものであるかがよくわかるということを僕は信じません。
 ですから、この「自分探しの旅」のほんとうの目的は「出会う」ことにはなく、むしろ私についてのこれまでの外部評価をリセットすることにあるのではないかと思います。(P83~84)

一時流行った「自分探しの旅」という言葉、

この言葉の持つ矛盾点について、著者は指摘する。

確かに、本当に自分を知りたいと思うなら、自分をよく知っている人に、率直に聞けばいい。

そうすれば、新たな発見があるだろう。

あるいは、なんでもいいから仕事に就いて、それにとことん打ち込むことである。

それによって、おそらくいろんな意味での気づきが生まれるであろう。

なにも、外国へ行く必要はない。

何か、「自分探しの旅」という言葉に酔ってしまっているような気がする。

単なる、自己逃避ではないかとさえ思ってしまう。

ただ単に、自分のこれまでの外部評価が気にくわず、それをリセットしたいという思いから、その場を離れる、

これでは、自分を発見することはできないだろう。

本当の自分に向き合うこと、これはもっと厳しいことではないだろうか。

そうしようと思うなら、むしろ、その場から離れてはならない、

何がなんでもその場にとどまることだ、

それによってのみ、自分と向き合うことができる。

すなわち、一般に言われている「自分探しの旅」とは、

実は「自己逃避の旅」なのである。

それならそれで、そのまま「自己逃避の旅」言えばいいものを、

ただ、それではあまりにもカッコ悪いので、

「自分探しの旅」という言葉に逃げてしまっている、

それによって、見たくない現実を上手にオブラートに包んでしまっている、

これが実態ではないだろうか。

2011年3月17日 (木)

誰も書けなかった国会議員の話/川田龍平

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 こうした自分の体験やさまざまな前例を反芻して思い当たることは、国民に知られたくないような事件や出来事があるときには、なぜか決まって突然警察が動き出すということでした。その日でなければならないわけでもないのに、なぜか警察が動き出す、警察が動くとマスコミが騒ぎ出し、急激にどんどん膨らんでいく熱気球のようにひとつの事件があっという問に全国ニュースに拡大します。
 まるで警察が、国民に知らせたくないニュースが出てくるのに備えてこうしたネタを隠し持っているかのように思われるのです。
 そうしたタイミングで警察が事件捜査に突然動き出し、マスコミが飛びつき、報道が継続するように少しずつ小出しにネタをリークしながら事件を大きくしていく。こうしてもっとも知られたくないニュースを消し去ってしまうように思えてなりません。
 情報化社会のマスコミ操作とは、いかに国民にとって大事なニュースを知らせないかということではないでしょうか。それを誰にも気づかせないためにはマスコミが飛びつきそうなニュースをつくり出し大きな話題にすることが効果的なのだと思います。
 驚いたことに、政党に所属している議員たちにこの話をしても、「そういうものだよ、川田君」という答えが返ってくることが多いのです。(P175~176)

日本の特徴として、何かセンセーショナルな事件や事故が起こると、

テレビ、新聞といったマスコミは、そのことの報道一色になってしまうということがある。

どのチャンネルを回しても、ほとんど同じニュースを取り上げる。

国民もその影響を受け、マスコミに踊らされ、極端に考えが振れてしまうことが多い。

日本人の国民性といってしまえば、それまでだが、

もし、仮に、公権力がその日本人の国民性を熟知し、利用しているとしたらそれは問題だ。

著者の川田氏の言うには、自分が薬害エイズの活動をしていて、

国民に知ってもらいたいような裁判所の判決がでた時には、

決まって、警察が動きだすというのである。

どうしても偶然の一致とは思えないという。

真偽のほどは明らかではないが、

少なくともマスコミに踊らされないような、

物事の本質を見極める目を、

ひとりひとりが持つ必要があるということは言える。

2011年3月16日 (水)

決定版 失敗学の法則/畑村洋太郎

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 日本人というのはどうも、失敗が起こるとその原因を探って事実関係を明らかにする前に、失敗の当事者を「とんでもないことをした」、「絶対に許せない」と責め立てて溜飲を下げているようなところがあります。そして、当事者の処分が決まると問題が解決したかのように思って、もう失敗のことは考えない。だから、この国では失敗が繰り返されるのです。
 当事者の「責任追及」をすることも必要です。しかし、それだけでは次の失敗は防げず、むしろ再生産をするおそれがあります。大切なのは、失敗がなぜ起きたのかという「原因究明」と、二度と失敗を起こさないようにするためには何をすべきかという具体的な対策を立てることなのです。(P151)

失敗が起こると、多くの場合、まず犯人探しがはじまる。

マスコミが騒ぎ立て、誰かが犯人として浮かび上がる。

そして、その人が謝罪することによって、国民は溜飲を下げる、

すべて一件落着となる。

ところが、大事なことはここからである。

その失敗の原因を究明し、具体的な対策を立てなければ、結局同じことの繰り返しとなる。

つまり、責任追及と原因究明を分けて考えることが必要だということ。

日本の場合、責任追及が終わるとなぜかトーンダウンしてしまう。

今回の福島原発の事故、

どうか、犯人探しで終わることだけはやめてもらいたい、

きちんとした原因究明と今後の具体策が必要だ。

2011年3月15日 (火)

失敗学のすすめ/畑村洋太郎

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 2000年3月8日、営団地下鉄日比谷線の中目黒駅付近の急カーブで、八両編成の電車の最後部車両が脱線し、反対線路を走行中の電車と衝突して5人の死者と60人の重軽傷者を出す惨事となりました.事故原因は、急カーブで起こりやすいとされる、いわゆる「せり上がり脱線」現象とされています。
 営団の発表によれば、じつは同様の脱線事故が、92年10月と12月にも起きていたということです。半蔵門線用の車両が車庫内のポイントの急カーブを時速9キロ程度で通過するとき、一度目は4、5両目が、二度目は9、10両目の車輪が同じように脱線しました。
 ふたつの事故の後、社内に検討会を設けて調査したものの、原因を特定するまでにはいたりませんでした。その結果、ほかの車両や営業路線への対策を特に講じず、そればかりか「営業路線内の事故ではなかった」「人身被害もなかった」などの理由から、この事故の報告は鉄道行政を管理する運輸省にも一切されませんでした。
 この経緯を見るかぎり、日比谷線での事故は起こるべくして起こったものです。別の言い方をすれば、人に知られたり表に出たりすることを極端に嫌う、「失敗情報は隠れたがる」という失敗情報の持つ特性がこの事故の背景にあったといえます。(P97~98)

2000年に起こった、地下鉄日比谷線の中目黒駅付近での事故、

実は、これと同様の脱線事故が過去2回も起きていたという、

この時、原因を特定し、きちんとした対策を講じていれば、事故は未然に防げたであろう。

それを考えると、あの事故は、人災であったと言える。

この事故を通してもわかるのは、「失敗情報は隠れたがる」というものである。

どうしてなのか、

日本は“恥の文化”だと言われる。

これに対して欧米は“罪の文化”だと言われる。

“恥の文化”と“罪の文化”、どこがどうちがうのか。

“恥の文化”では、“人からどう見られるか”が中心になる。

それと比較し、“罪の文化”では、絶対者である“神からどう見られるか”が中心になる。

“人からどう見られるか”が中心となると、どうしても“隠す”という行為に走りがちになる。

そうすると、失敗した場合でもすべての情報が出てこないために、その失敗の原因を特定し、次に生かすということができなくなってしまう。

小さな失敗の場合、現場レベルで担当者が握りつぶしてしまい、トップにその情報が伝わらないということも起こる。

情報が伝わらなければ、とうぜん対策も取れない。

それらの積み重ねが、大きな事故につながる。

“隠す”という行為が負の連鎖を生む。

今起こっている原発の事故の情報も、どうもすべてがオープンにされ、出てきているようにはどうしても思えない。

いろんな人の思惑が交差し、その妥協点としての情報が流れてきているような気がする。

そして、隠せば隠すほど、対策は遅れる。

いつまで同じことを繰り返すのだろう。

2011年3月14日 (月)

外交崩壊/古森義久

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 中国を訪問したブッシュ大統領は2001年2月21日午前、北京市内の清華大学での演説で中国の教科書の内容を批判的に取りあげ、「有害だ」と非難したのだった。
 清華大学はいうまでもなく中国の超エリート校である。当時の朱鎔基首相や次の国家主席となった胡錦涛氏らが卒業した。ブッシュ大統領はこの大学で学生たちを前にして演説し、その演説はテレビ中継で中国全土に流された。(中略)
「アメリカについての誤った像はアメリカ以外の他者によっても描かれている。私の友人である(クラーク・ラント)中国駐在アメリカ大使が告げたところでは、中国の教科書のいくつかはアメリカ人について『弱い者をいじめ、貧しい者を弾圧する』と記しているという。また昨年(2001年)、出版されたばかりの別の中国の教科書はFBI(連邦捜査局)の特別捜査官というのは『労働者たちを弾圧するために使われる』と教えているという。このいずれの記述もまちがいだ。こうした記述は過去の時代の残滓なのかもしれないが、まちがいであり、有害だ」(中略)
 日本の歴代首相の口から出ることなど夢にも望めないような率直な言明だった。(P184~186)

日本と中国の関係を悪化させている根本に、中国の歴史教科書の問題がある。

中国の教科書は、中国全土どこでも内容が同一の“国定教科書”である。

中国の歴史教科書の特長は、

日本に関する記述が膨大であり、中国現代史のうち全体の40%が抗日の闘争の記述、

その中で、日本の“侵略”や“残虐”を最大限に拡大し、その残虐性を強烈に印象付けるために多数の絵や写真を使っている、

しかも、その記述は歪曲と不正確さに満ちている、

そして、日本についての記述は、1945年8月に戦争が終わった瞬間、消えてしまうということ。

戦後の日本についての記述はほとんどない。

そうすると、中国の人たちは子供の頃から、反日の考え方を洗脳されているということが言える。

この問題を放置して日中の関係が改善するわけがない。

米国のブッシュ大統領が、訪中したとき、中国全土にテレビ中継される中で演説し、

中国の歴史教科書の米国に関する記述の部分が歪曲、捏造されており“有害だ”と非難したということだが、

中国の歴史教科書の影響をもっとも受けているのは、米国ではなく日本である。

中国の歴史教科書が“有害だ”というべきは米国ではなく、日本である。

日本の政治家は、もっとはっきり主張すべきだ。

もはや、好むと好まざるに関わらず、中国との関係を無視して、日本の経済発展は考えられないのだから。

2011年3月13日 (日)

戦略「脳」を鍛える/御立尚資

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 1980年に、世界で初めてのチョモランマ登頂に向けて、総隊長となる西堀栄三郎氏が、登山隊員30名を募集したときのことだ。日本各地の日本山岳会の支部を通じて集まってきたのは、一流中の一流のクライマーばかりで、「これなら少数精鋭でやれる」と幹部連は大喜びだったそうだが、西堀氏は強く反対した。『創造力』(講談社)という本の中で、彼自身がその理由について、こう書いておられる。
「千両役者ばかりを集めたところで、いい舞台は打てないからである。一流ばかりだと天狗の鼻が邪魔になって、俺も俺もと、みんなが頂上に登りたがり、収拾がつかなくなってしまう。舞台には女形も要るし、黒子も、子供の役も要るのだ」。
 こうして、さまざまな役割に対して、それぞれ適した性格の人材を集めたチョモランマ隊は無事成功を収めた。このエピソードは、チームで何事かを達成するための要諦を示している話として、実に興味深い。(P177~178)

官僚組織や伝統的日本企業に往々にして見られるのが、

エリートコースという名の“金太郎飴人材育成装置”である。

同じ大学を出た、似たようなタイプの人材を採用し、

その中でも将来の幹部候補生となる人材は特定のコースをめぐって、昇進していく。

このような形で育成された人材は、金太郎飴のような状態になってしまう。

かつての日本は、これがむしろ強みであった。

すなわち、同質、同レベルの人材を多く育成することによって、競争力を保持していた。

高度成長期では、決まったものを大量に早くつくる仕組みがあれば、それによって企業は右肩上がりで成長することができた。

とにかく“作れば売れる”という時代ではそれでよかった。

ところが、今は、“作れば売れる”とは限らない、

今は、「何を」つくるかが問題になってきており、

それを「誰に」売るのか、「どのように」売るのか、

すべての部分において、独自性が求められるようになった。

こうなって来ると、金太郎飴人材ばかりの組織は弱い。

かつての強みが今は弱みになっている。

それが今、日本の多くの企業が陥っている状態だと思う。

今こそ、多様な人材を受け入れ、それによってシナジー効果を生み出していくようなマネジメントが求められている。

そして、そのような試みに成功した企業が生き残っていくのではないだろうか。

2011年3月12日 (土)

「人望力」の条件/童門冬二

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 土井利勝にいわせれば、「よく世間では“間抜け”という。のんびりしている人間や、動作がゆったりしている人間のことをいうのだが、解釈は反対ではないのか。いまの人間はせかせかしすぎて、逆に“間”がなさすぎる。つまり間が存在しない。抜けている。こういうせわしない人間を“間抜け”というのではなかろうか」と冗談を飛ばしていた。(P197)

土井利勝は徳川時代初期の幕府の重役であり、

もっとも人間味あふれるリーダーの一人である。

特に得意なのは“間の活用”だった。

何でもすぐ結論をだすのでなく、

「なぜ、こうなるのか」、

「なぜ、こうしなければならないのか」、

ということを当事者にじっくりと考えさせたというエピソードが数多く残っている。

普通、“間抜け”というと、少し抜けていたり、反応が遅かったりする人を言うが、

利勝は違った意味で解釈している。

つまり「間が存在しない。抜けている。こういうせわしない人間を“間抜け”」と言っている。

確かに、利勝は、部下に対して一方的に教えるのではなく、

必ず、考えさせる時間を与えている。

現代風で言えば“コーチング”である。

リーダーがすべてを教えるのでなく、部下に考えさせる、

それによって部下を育成する。

この手法は、今も昔も変わることのない、

人材育成のポイントだということであろう。

自分で考え、自分で結論を出す思考方法を身につけなければ、

いつまでたってもその人間は成長しない。

2011年3月11日 (金)

白洲次郎の日本国憲法/鶴見紘

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 彼は〈占領下の日本人〉の変質に激しい怒りを感じていた。「週刊新潮」(1975年8月21日号)に掲載された回想には、その怒りがあからさまに記されている。
「占領下の日本人を語るためには、昭和26年の講和会議の舞台裏で起こったことにも触れておこう。ぼくはこの会議には、全権委員顧問の肩書で列席したのだが、会議が始まる2日前、サンフランシスコのさる邸宅に宿舎を定めた吉田さんから、マーク・ホプキンス・ホテルのぼくのところに電話がかかってきた。ぼくが電話に出ると、吉田さんは「わたしの演説原稿に目を通してくれましたか』という。まだ拝見していなかったぼくは、さっそく随行の役人を呼んで、その原稿を取り寄せた」
 「ところが、ぼくは一読して、むらむらとくるのをどうすることもできなかった。その原稿は、日本の首席全権のものだというのに、なんと英語で書かれているのである。中身も、6年間にわたる占領について『感謝感激』と大げさな賛辞が述べられている一方、国民の悲願であるべき沖縄返還については、一言も触れられていない。
 ぼくは、思わず声高になった。
『これはダメだ。全面的に書き直せ』」(P176~178)

戦後、吉田茂首相の側近としてGHQと渡り合い、従順ならざる唯一の日本人と言わしめた白洲次郎、

上記は、サンフランシスコ講和会議での舞台裏、

吉田首相の演説原稿についてクレームをつけたエピソードを本人が回想した記事の抜粋、

この演説原稿は、外務省の役人とGHQ外交部が相談の上で書いたものだった。

それに対して次郎は、

「いかに敗戦国の代表であるとはいえ、講和会議というものは、

戦勝国の代表と同等の資格で出席出来るはず。

その晴れの日の演説原稿を、

相手国と相談した上に相手側の言葉で書くバカがどこにいるか。

ぼくは、外務省の役人らの体にすっかりしみついてしまった〈植民地根性〉に、

ただただあきれ返るばかりだった」

と述べている。

まさに正論である。

そして、そのような正論を語れる人材が、あまりにも少なかったというのが当時の日本であった。

占領国のアメリカに飼い馴らされた犬のような状態になってしまっていた。

その中で、白洲次郎のような人材がいたということは救いになる。

日本は、島国であることもあるのだろうが、歴史的に見ても外交が弱い、

いや、弱いというよりも、外交音痴である。

日本の外交をみると、あまりにも他国にいいようにやられているの感を免れない。

他国はもっとしたたかである。

これからの日本の進む道を考えるとき、

他国と渡り合う、外交の重要性がますます大きくなってくるように感じるのだが、

それを思うにつけ、

白洲次郎のような人材が出てこないだろうかと、つい思ってしまう。

2011年3月10日 (木)

ナース裏物語/中野有紀子

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 勤務していて、ひとつ気付いたことがあります。精神的ショックが大きくなりやすい“症状”というのがあるんです。それは“言語”。手足が不自由になることよりも、言葉が不自由になることの方が、精神的に参ってしまう患者さんが多いんですね。確かに、喋ろうとしても言葉が出てこない、自分の伝えたいことが伝わらないいらだちというのは相当なものでしょう。また、ほとんどの人が普段意識もせずに使っている機能ですから、いざそれが使えなくなったときは余計ショックが大きいようです。(P132)

人は、言葉によって考え、言葉によってお互いにコミュニケーションをとる。

人が、他の動物と決定的に違うのは、言葉を持っているということであろう。

だから、その言葉が使えなくなるということは、いかに精神的にショックなことか。

看護師である著者の経験によると、それは手足が不自由になることよりも、ショックは大きいということ。

これは意外だ。

私の感覚では、言葉を失うより、手足を失うほうがショックが大きいと思っていたから。

そして、これは一個人だけでなく、人の集まりである組織という単位においても同じように考えることができる。

組織がおかしくなる最も大きな原因は、やはり、組織として言葉を失ってしまうこと。

つまり、コミュニケーションがなくなってしまう、または、うまくいかなくなってしまうことによることが一番多い。

そのようなことを考えると、もっと言葉を使えるということに感謝しなければならない。

また、それと同時に、もっと言葉を大事にしなければと思ってしまう。

言葉は大事だ。

2011年3月 9日 (水)

ハーバードで語られる世界戦略/田中宇、大門小百合

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 ハーバードでは、失脚した指導者や、人権侵害などで国際非難されている国の当局者などに、自分たちがしたことを正当化する講演をしてもらい、会場から質問や批判を受ける、というかたちの講演会がときどき行われる。南アフリカでアパルトヘイト時代の最後の大統領だったデクラークが講演したり、中国の大学教授が「なぜ中国政府は人権侵害せざるを得ないのか」を語ったりした。日本や中国には「敗軍の将、兵を語らず」(負けた将軍は兵法を語る資格がない)という格言があるが、アメリカでは敗軍や敵軍の将に兵を語ってもらい、今後の教訓にしているのである。(P63)

日本人は失敗や敗北の原因をとことん追求するというしつこさにかけるところがある。

むしろ、失敗したことを隠すという方向に向かってしまうことが多い。

失敗の原因をとことん追求しようとすると、どこからともなく、「なにもそこまでやらなくても」とか、「そんな議論はやめて、先に進もうじゃないか」といった声が聞こえて来る。

また議論の中に、さまざまなタブーを設けることが多い。

変な発言をすると、KYと言われてしまう。

なぜなのか、

原因はさまざまあるのだろうが、大学や高校の授業の進め方にも問題があるように感じる。

日本は、知識偏重の教育である。

教科書を暗記すれば良い点が取れる。

そして、原則答えは一つ。

しかし、このような学校教育は、世の中で役に立つのだろうか。

今や知識は、インターネットで検索すればある程度集めることができる。

しかも世の中、答えが一つであることなどほとんどない。

ほとんどの場合、正解はない。

あるとしたら、それは仮説である。

ビジネスの世界でも、まずは仮説を打ち出し、それを実行し、結果を検証する。

これを繰り返すことにより、物事を前に進めていく。

上記の例でも、どんなに議論を重ねても、答えは出ないだろう。

しかし、問題は、今持っている情報を活用して、どのように論理を構築し、ある時は議論し、そのプロセスの中で、仮説を導き出せるかということだ。

それが実社会に出たとき、役に立つ。

その意味で、ハーバードで行われている授業が、いかに実践的かということがよく分かる。

2011年3月 8日 (火)

吉本興業 使った分だけ人とお金は大きくなる!/中邨秀雄

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 いろいろな人から、「金の卵」の見分け方の秘訣を教えてほしいと、よく相談されます。伸びる素質のある、なしをどこで判断するのか。はっきり申します。卵の時に見て、これはいける、これは駄目だというのは分からない。人は化けるのです。
 実際、才能を見分けることができるか、実験してみたことがあります。
 NSCを卒業したタレントを二○組集めて、五分くらいの得意の芸をやらせてみました。
それを現役のプロデューサーが見て、五年後に誰が芽を出すのか予測させてみたことがあります。それは見事に外れました。当時、間寛平がその中にいまして、正直面白くなくて、あれも駄目これも駄目で、メチャクチャに悪い評価でした。真っ先に辞めていくだろうというのが、全員の一致した意見。ところが、蓋を開けてみれば、分からないもので、完全に化けてしまったのです。(P132~133)

間寛平はメチャクチャ悪い評価だったということである。

しかし、その後売れっ子になってしまった。

人材の見極め、これほど難しいことはない。

そもそも、人材を見極めることなど、できるのだろうかと考えてしまう。

確かに、性格診断テストやスキルテスト等、さまざまな分析手法がこれまでも生み出されてきた。

それによって、ある程度、仕事に対する、向き、不向き、の傾向はつかむことはできる。

しかし、それとて、絶対とは言えない。

あるいは、人を見る目に絶対的な自信を持っている人もいる。

「この人は伸びる」「こいつは駄目」と断言する人がいる。

だが、これほど危険なことはない。

人は化けるのである、

あることがきっかけで、人は変わることがある。

だからこそ、面白いと言える。

人を育てる立場の人間に一番大切なことは、謙虚さではないだろうか。

自分の目を過信しないということではないだろうか。

自分の目を過信して、人が伸びるチャンスを奪ってはならない。

2011年3月 7日 (月)

山本勘助はいなかった/山本七平

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 岩間大蔵左衛門というひどい臆病武者がいた。合戦となると怯えて癪を起こし、目を回してしまうので一度も戦ったことがない。度胸をつけてやろうと考えた信玄は、馬の背に大蔵左衛門をくくりつけ、おおぜいで馬の尻を叩いて敵陣に追いこませたが、馬にも臆病の気が移って、すぐ引き返してくるという始末だ。
 そこで信玄は、彼に家中の隠し目付を命じ、何事によらず気づいたことは秘かに報告せよ、もし隠し置いて露顕することがあれば死罪に行なうぞとたっぷりおどかした。大蔵左衛門は恐れおののいて、家中の万事に注意し、余さず報告したので、おおいに役立ったという。
 信玄は言っている。
「いやしくも晴信、人のつかいようは、人をばつかわず、わざをつかうぞ。また政道いたすも、わざをいたすぞ。あしきわざのなきごとくに、人をつかえばこそ、心ちはよけれ」
 人を使うのではない、能力を使うのだ。それぞれが持っている能力をフルに生かして使ってこそ、心持ちよいという、おどろくほど合理的な人間活用論である。(P89)

武田信玄の優れた点に一つとして、人使いの巧みさがある。

上記は、そのエピソードの一つ、

「人を使わず、技を使う」これは、非常に大切なポイントだ。

人を育てられない上司の特徴は、部下の行動を見ず、人そのものを見てしまうところにある。

人を見るとどういうことになるか、

「あいつはダメだ」「あいつは優秀だ」「あいつはまあまあかな」と、

人を評価するようになる。

これをレッテルを貼るという。

そして、ダメや奴はダメなまま、もうそれ以上、育成しようとはしない、

なぜなら、ダメな奴は結局ダメで、育てようがないから、

ましてや性格を変えるなど、できる訳がない。

しかし、もし部下の行動を見る上司であれば、どうなるか、

「あいつの、あの行動がダメだ」となる、

だったら、その「ダメな行動」を直せば良い、

あるいは、「ダメな行動」がある一方、「優れた行動」があるかもしれない、

人には必ず、長所、短所があるのだから、

だったら、その長所の部分を使えば良い。

そうすれば、その部下は育つ。

これは人材育成の大事なポイントなのだが、信玄はまさにこのことを実践している。

大いに参考になるエピソードである。

2011年3月 6日 (日)

日本を滅ぼす「自分バカ」/勢古浩爾

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 日本語の一人称には「わたし」「ぼく」「おれ」「自分」「うち」がある。そして二人称には「あなた」「きみ」「おまえ」「さん」「様」「あんた」「貴様」「おたく」「自分」「てめえ」「おめえ」(限定的だが「おのれ」「おまえさん」「おんどれ」など)がある。わたしたちはこれらの人称を、それぞれの関係において臨機応変に使い分けなければならない。
 わたしたち日本人はこの一人称を自分の自由に使うことができない。社会的に許されないのである。平社員が社長相手に「おれ」ということは絶対にありえない。親に向かっては「おれ」といえても、部活の上級生に対しては絶対にいえないのである。だが英語ならすべて「I」である(フランス語では「Je」、ドイツ語では「Ich」)。
 日本では、相手の年齢、社会的地位、性別によって、使うべき一人称が決まってくる。つまり相手の位置によって自分の位置が決まるのだ。すでにして主体的ではない。客体なのである。自分にとっての自分ではない。相手にとっての自分なのだ。わたしたちの自我の位置は多くの場合、他人によって規定されている。そのひとつがこの人称である。そこに日本人の上下関係と依存体質が表れる。(P54~55)

最近、やたら耳にする「自分探し」「自分らしく」といった言葉、

社会的に問題になっているクレーマーやモンスターペアレント、

キーワードは「自分」である。

やたら「自分」を主張する。

確かに個性的であることは大切だ。

しかし、個性的であることと、自分勝手、自己中心であることとは違う。

どうも、この辺り、ボタンのかけ違いがあるようだ。

そもそも、日本人はいつも他者との関係性によって自分を考える。

その一つの例が、上記の一人称、二人称の多様性である。

英語であれば、「I」と「You」ですんでしまうものが、

日本語の場合、相手との関係性において、瞬時に言葉を選択し、使うことが求められる。

目上の人に「オレ」「オマエ」なんて言ったら、すぐに目をつけられてしまう。

そして、いつもまわりの空気を読むことを求められる。

これを小さいころから、無意識の内にやっていて、「個性だ」「個の確立だ」といっても、何か地に足がついていない。

この結果が、「自分バカ」の出現である。

日本には日本の文化があり、風土があり、歴史がある、

このなかにあって、個人はどのようにあるべきなのか、

また、何をすればよいのか、

どう生きていけばよいのか、

こんなことを考えさせられた。

2011年3月 5日 (土)

憎まれ役/野村克也・野中広務

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「大リーグのように、これからのピッチャーは、絶対に分業制になる。おまえは、リリーフの分野で先駆者として、日本の野球に革命を起こしてみんか」
 当時のプロ野球には、“八時半の男”のようにリリーフ(救援投手)はありましたが、終盤の1、2回限定のストッパーは認知されていませんでした。このとき、江夏は「革命」という言葉に感激したそうで、翌シーズン(1977)には19セーブをあげてセーブ王に。のちに、ストッパーとして「優勝請負人」と呼ばれるようになり、1979年には広島で「江夏の二十一球」と語り種になっている球界屈指の名勝負を演じています。(P189)

野村監督のもと、他の球団で使い物にならなかった選手が再生することを称して、

“野村再生工場”という言葉まで生まれた。

ここでは、江夏の例をあげている。

当時、江夏は、肩痛と血行障害に苦しみ、阪神から南海にトレードされた。

一流の投手はみんなプライドが高いという。

江夏も例外でなく、非常にプライドの高い選手、

特に、先発投手ということについては、強いプライドを持っていた。

その江夏に“ストッパー”への転向を野村監督は勧めた。

江夏にとっては、先発投手としてのプライドを粉々に砕く内容。

野村監督の、選手を見る目や、プロ野球の未来を見る先見性も卓越したものがあるが、

特に、注目すべきことは、“人を動かす言葉”を持っているということ。

プライドの高い選手に対しては、そのプライドをくすぐるような言葉を使って説得する。

“おまえは、リリーフの分野で先駆者として、日本の野球に革命を起こしてみんか”

この言葉がプライドの高い江夏を動かした。

“殺し文句”という言葉があるが、

まさに、このときに語られた言葉は、江夏を動かす殺し文句となった。

その後、江夏はストッパーとして新しい役割を与えられ、息を吹き返した。

“一つの言葉が人の人生を変えた”といってもよいエピソードである。

リーダーは言葉を持たねばならない。

さまざまな場面で、人を動かす殺し文句を語れるかどうか、これができるかどうかだろう。

2011年3月 4日 (金)

仕事の思想/田坂広志

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そのとき、マネジャーになった仲間たちのこの会話を聞きながら、
私は、ある言葉を思い出していました。

「ノブリス・オブリージュ」
その言葉です。
ご存知のように、これはヨーロッパなどでよく使われる言葉であり、
「高貴な人の義務」という意味の言葉です。
すなわち、社会のエリートたちは、
その高貴な身分にともなった義務を負っているという考えです。
たしかに、英国などでは、この「ノブリス・オブリージュ」という考え方が
上流階級に浸透しており、ひとたび戦争になると、貴族の子弟は、
戦場で先陣を争って戦い、その結果、戦死率も他の階層出身の人々よりも
高かったと言われています。
すなわち、これらの社会のエリートたちは、いざとなれば命を賭するまでに
自分たちの義務と責任に対して強い自覚を持っていたわけです。
しかし、実は、この「ノブリス・オブリージュ」という精神の伝統の
最も優れているところは、単に義務感や責任感が強かったということではありません。
その最も優れているところは、もうすこし深いところにあります。
それは、彼らが、その義務や責任を「喜び」としていたということです。
そうした義務や責任を負うことを、自分自身の「喜び」としていたということに、
この精神の伝統の最も優れたところがあるのです。(P72~74)

「ノブリス・オブリージュ」

「高貴な人の義務」

この言葉の持つ意味の最も優れているところは、

彼らが、その義務や責任を負うことを、自分自身の「喜び」としていたということ、

つまり、単なる義務感や責任感ではなく、もっと深いところに、その言葉の本質がある。

義務や責任という言葉には、何か重苦しさを感じてしまう、

しかし、それを「喜び」とするというところに、

何かそれを超えた人間としての完成された姿をかいま見ることができる。

今、サラリーマンの、特に管理職のうつが増えている。

確かに、今の管理職は大変である。

自分の通常の業務をこなした上で、管理職としての仕事もしなければならない。

つまり、ほとんどの管理職がプレーイングマネージャーという立場、

しかも、管理職になったからといって、給料はそれほど増えない。

下手をすれば、残業代はカットされる。

そして、責任ばかりが重くなる。

もし、これを責任感や義務感だけでやろうとしたら、潰れてしまうのもよくわかる。

大事なことは、この職務に対して、「喜び」や「誇り」を感じているだろうか、ということではないだろうか。

つまり、ある程度、人間としての完成された精神性といったものがなければ、

単なる個人の頑張りでは、限界があるということ。

最近の日本人の弱さやもろさは、

このような精神性を軽視してきた国や社会のあり方にあると思うのだが、どうだろうか。

“人はパンのみで生くるに非ず”である。

2011年3月 3日 (木)

瀬島隆三 参謀の昭和史/保阪正康

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 まさに参謀本部は虚構の大戦果に酔っていた。捷一号作戦を担当する瀬島の“係長の立ち場”からすれば、この興奮状態に歯止めをかけられるポジションにいたといえる。が、瀬島はそうはしなかった。この“電報にぎりつぶし”について、私と取材スタッフは、大本営参謀だった経験をもつ人たちに瀬島はそうしたことをするタイプなのかどうかを聞いて回った。瀬島は海軍の戦果が虚報ではないかと疑問を述べる勇気をもっていなかったとか、典型的な出世主義者があえて真実の叫びをあげてマイナス点を背負うわけはないという声も聞いた。秦と服部という、瀬島を引きたてている上官に叛けるわけはない、という声もあった。もっともはなはだしいのは、瀬島を「卑怯者」と決めつけたある参謀の次の意見である。
「瀬島という男を一言でいえば、“小才子、大局の明を欠く”ということばにつきる。要するに世わたりのうまい軍人で、国家の一大事と自分の点数を引きかえにする軍人です。その結果が国家を誤らせたばかりでなく、何万何十万兵隊の血を流させた。私は、瀬島こそ点数主義の日本陸軍の誤りを象徴していると思っている」
 この参謀は、往時を思いだしているうちに露骨に不快な表情になった。当時の大本営の参謀といえば、七十代後半から八十代である。いまや社会的な利害関係は薄れている。だから正直に語る者が多いが、その心中では往時がナマのまま渦巻いているのがわかった。(P148~149)

第二次世界大戦では大本営の作戦参謀を勤め、戦後は伊藤忠の企業参謀、さらには中曽根行革で総理の政治参謀として活躍した瀬島龍三。

この輝かしい経歴を経てきた人物だが、その裏には数々の疑惑がある。

上記、その疑惑の一つ、「電報握り潰し事件」についての記述の一部である。

当時、「空母十八隻以上撃沈、ハルゼー艦隊は敗走中」という、虚構の大戦果に酔っていた参謀本部、

自分たちにとって都合の悪い事実を示す情報参謀からの電報が届いた時、

瀬島はそれを握りつぶしたというのである。

もしこれがなければ、レイテ決戦で死んだ兵士幾万余の犠牲は避けられたかもしれない、という推測は充分成りたつ。

まさに戦犯ものである。

その後も瀬島は、シベリア流刑と苦難はあったものの、エリートとしての道を歩んでゆく。

“ヒラメ人材”という言葉がある。

ヒラメの目は上ばかりを見ている、

しかも上から見た色と、下から見た色が違う。

組織の中で、上からどう見られるかということばかりを気にし、

上手に泳ぎ回って出世していく人材を、そのように言うわけだが、

まさに瀬島龍三がそのような人物だったのではないかと思う。

上記の瀬島を「卑怯者」と決めつけた元参謀の言葉からもわかるように、

周りに、瀬島を批判している人物が非常に多いという事実、

本当に能力の面においても、人格の面においても、優れた人物であれば、これほどの批判者は出てこないであろう。

ところが、取材してみると、そのような批判者が続々と出てくる。

私はこの本を読むまでは、正直、瀬島龍三という人物は知らなかった。

しかし、このような人物が昭和をいう時代の中心にいたという事実は確かなようだ。

2011年3月 2日 (水)

人は仕事で磨かれる/丹羽宇一郎

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 私は「エリートなき国は滅びる」と思っています。
 戦後、日本は徹底した平等化教育を行ってきました。エリートを認めない。つまり競争原理を導入せず、傑出した優秀な人間を作らないことに主眼を置いてきました。優秀な人間の能力をより伸ばそうとするのではなく、そうでない人間の能力に合わせて教育を平準化させてきたわけです。(中略)
 エリートには、その地位に見合った責任と義務が生じます。これを「ノーブレス・オブリージュ」といいます。他人のために尽くす。悪いときは矢面に立ち、良いときには後ろに下がる。謙虚さと謙譲と献身の精神を持たなければなりません。これは一般の人から見ると大変に苦痛なことです。それを苦痛と思わず、美徳として自然に行える人間、これがエリートです。(P242~244)

エリートとは、“選ばれた者”との意味である。

選ばれた者には、選ばれた者の責任がある。

高い責任感と倫理観、強い精神力、深い教養、

これが“ノ-ブレス・オブリ-ジュ”という考え方。

例えば1982年のフォークランド紛争の折り、アンドリュー王子がヘリのパイロットとして参戦した。

日本人の感覚からすると、どうして特権階級の王子様が戦場に行くのか、と思いがちだが、

これは伝統ある英国皇室にとってはあたりまえのこと。

英国では皇室に限らず、貴族といわれる階級の人たちは

戦争となると真っ先に戦場に駆けつけ、第一線でバリバリ頑張る。

これが英国伝統の“ノ-ブレス・オブリ-ジュ”。

要するに、階級が高く、普段庶民よりもよい生活をしている人は、

いざ国の一大事となった場合はいの一番に国民を守ってあげなければならないのである。

そのために貴族はまっさきに戦場にかけつけ、危険な場所で生命を賭けて敵と戦わなければならないのである。

そしてこれらはエリートを養成する教育によって養われる。

ところが、日本は、このようなことに対して拒否反応を示す人が多い。

このことを“差別”と受け止めるてしまう。

「出る杭はうたれる」という言葉があるように、

すべてを平等にという意識があまりにも強い。

そして、そのことが国の衰退を招いている。

特にこの国の弱点は、リーダーシップを持った真のリーダーがいないということである。

今、日本では、悪しき平等主義の弊害が、いたるところで表れてきている。

そろそろ、日本もその意識を変えるべき時がきている。

まずは、教育の現場から変えていくべきだろう。

2011年3月 1日 (火)

女たちのジハード/篠田節子

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「何かが見えたって気がする」
 まだ半ば夢を見ているような気分で紗織は言った。
「うん、すごいだろう。地平線なんて、日本じゃ絶対見えないし、砂漠の景色ってものすごいロマン、あるよね」
 乙畑はうなずいた。
「景色が見えたって話してるんじゃないのよ」
「じゃ、なに?」
「だから……」
 他人に話すのが、もったいないような気がした。とにかく自分の人生の夢、探していた将来をようやく見つけた。
 英語で食べていきたい、と確かに思い続けていた。しかし食べていくための英語は、所詮は人生の手段に過ぎない。その英語で何をしたいのか、ずっとわからなかった。わからないということがわからないまま、努力していた。
 幼い頃、目にしたアメリカ文化への憧れ、そして翻訳家という職業への憧れ・・・・・。何もかもが漠然とした憧れだった。憧れに引きずられてここまでやってきて、今、ようやく求めていたものに出会った。
 自分の活躍の場はここしかない。
 自分は今、ヘリコプターに恋をした。一目惚れだ。計算ずくで将来など決まらない。
「私、ヘリのパイロットになる」(P416~417)

この小説では5人の働く女性が登場する。

それぞれが個性的で、自分の道を切り開こうと悪戦苦闘する。

上記はその中の一人、紗織が自分のやりたいことを見つけた瞬間の記述。

紗織は、職場での女性の活躍には限界があると早く見切りをつけ、

得意の英語で将来は翻訳家のプロになろうと考え、米国に語学留学する。

そこでひょんなことからヘリコプターに乗ることになり、この体験から、自分のやりたいことを発見する。

これは、キャリアという観点から非常に興味深い。

紗織は、当初、得意の英語を生かす仕事をしたいということから、翻訳家になろう思っていた。

そして、そのための具体的な行動をする。

それが、勤めていた会社からの退職、そして米国への語学留学である。

しかし、その結果、「ヘリのパイロット」という思ってもみなかった道へ進むことになる。

最近のキャリア論では、“キャリア形成は偶然による”という考え方がある。

自分で将来やりたいことを決め、そこに辿り着くための綿密な計画を立て、

それを確実に実行していくという形でキャリアを形成していくというケースは稀で、

ほとんどの場合、“その道のプロ”と言われる人の話を聞いてみると、

動いている内に、自分でも思ってもみなかった道へと進むことになり、

そこで自分の本当にやりたかったことを発見し、

それが現在につながっているというものだというのである。

今、キャリア教育がさかんに行われている。

しかし、最初から自分のやりたいことを決めて、そのための綿密な計画を立て、

それを計画通り進めていくという形では、

本当に自分のやりたかったことを発見することはできないのではないだろうか。

大事なことは、自分の価値観にしたがって、とりあえず行動してみることである。

行動していく中で、本当に自分のやりたかったことに出会う瞬間が訪れるのではないだろうか。

人生は偶然の連続だ、だから面白い。

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