質問する力/大前研一
自分も原子力の恩恵に預かっている人が、原子炉はあっちへ行けと言いながら、電気だけはくれというのは論理的ではありません。
原子炉に対してはゴミ処理場と同じく、必要なのはわかっているけれども、そばには来てほしくないという感覚があるようです。
東京電力の場合、消費地からはるかに離れた新潟や福島に原子炉を置いています。
原発を置かれた地域は、多額の補助金をもらうこととひきかえに立地をみとめたのです。
電力会社はそういう姑息な真似はやめて、消費地の近くに発電所を作るべきではないかと思います。
それについて消費地の住民にコンセンサスが得られなかったら、原子力発電そのものをやめてしまえばよいでしょう。(P123)
原発の問題について、推進派と反対派との議論は平行線をたどることが多い。
推進派は、原発はクリーンなエネルギーであり、安全である、
また、日本のエネルギー事情から言って、
原発無しですべてのエネルギー需要をまかなうことはできない。
もし、そうしようとするならば、大変なコスト高になってしまう、
という主張。
対する、反対派は、原子力が絶対安全ということはあり得ない、
少しでもリスクがあるならば、他の方法を選択すべき、
という主張。
これでは平行線である。
原子力の安全性一つを取ってみても、
常識的に考えて、絶対安全ということはあり得ない。
これは原子力に限らず、どんなものであっても、
技術の進化によって、リスクを限りなくゼロに近づけることはできるが、
ゼロにすることはできないものである。
そして、原発の場合、その“まさか”の事故が起こった時、損害や被害が大きい。
この問題の本質は、
“電力は十分欲しい、しかし、原子炉を自分たちの近くに作るのは反対”
という非論理的な考えを許してしまっていることにある。
もし、東京で電力需要が多いのであれば、東京に原子炉を作るべきである。
それがいやなら、作るのをやめてしまえば良い。
しかし、その場合、今より不自由な生活をする必要がある。
それを住民投票でもなんでもやって、自分たちで選択すれば良い。
私はそう思う。
« わが上司 後藤田正晴/佐々淳行 | トップページ | 社長が欲しい「人財」!/森本千賀子 »
コメント