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2011年3月15日 (火)

失敗学のすすめ/畑村洋太郎

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 2000年3月8日、営団地下鉄日比谷線の中目黒駅付近の急カーブで、八両編成の電車の最後部車両が脱線し、反対線路を走行中の電車と衝突して5人の死者と60人の重軽傷者を出す惨事となりました.事故原因は、急カーブで起こりやすいとされる、いわゆる「せり上がり脱線」現象とされています。
 営団の発表によれば、じつは同様の脱線事故が、92年10月と12月にも起きていたということです。半蔵門線用の車両が車庫内のポイントの急カーブを時速9キロ程度で通過するとき、一度目は4、5両目が、二度目は9、10両目の車輪が同じように脱線しました。
 ふたつの事故の後、社内に検討会を設けて調査したものの、原因を特定するまでにはいたりませんでした。その結果、ほかの車両や営業路線への対策を特に講じず、そればかりか「営業路線内の事故ではなかった」「人身被害もなかった」などの理由から、この事故の報告は鉄道行政を管理する運輸省にも一切されませんでした。
 この経緯を見るかぎり、日比谷線での事故は起こるべくして起こったものです。別の言い方をすれば、人に知られたり表に出たりすることを極端に嫌う、「失敗情報は隠れたがる」という失敗情報の持つ特性がこの事故の背景にあったといえます。(P97~98)

2000年に起こった、地下鉄日比谷線の中目黒駅付近での事故、

実は、これと同様の脱線事故が過去2回も起きていたという、

この時、原因を特定し、きちんとした対策を講じていれば、事故は未然に防げたであろう。

それを考えると、あの事故は、人災であったと言える。

この事故を通してもわかるのは、「失敗情報は隠れたがる」というものである。

どうしてなのか、

日本は“恥の文化”だと言われる。

これに対して欧米は“罪の文化”だと言われる。

“恥の文化”と“罪の文化”、どこがどうちがうのか。

“恥の文化”では、“人からどう見られるか”が中心になる。

それと比較し、“罪の文化”では、絶対者である“神からどう見られるか”が中心になる。

“人からどう見られるか”が中心となると、どうしても“隠す”という行為に走りがちになる。

そうすると、失敗した場合でもすべての情報が出てこないために、その失敗の原因を特定し、次に生かすということができなくなってしまう。

小さな失敗の場合、現場レベルで担当者が握りつぶしてしまい、トップにその情報が伝わらないということも起こる。

情報が伝わらなければ、とうぜん対策も取れない。

それらの積み重ねが、大きな事故につながる。

“隠す”という行為が負の連鎖を生む。

今起こっている原発の事故の情報も、どうもすべてがオープンにされ、出てきているようにはどうしても思えない。

いろんな人の思惑が交差し、その妥協点としての情報が流れてきているような気がする。

そして、隠せば隠すほど、対策は遅れる。

いつまで同じことを繰り返すのだろう。

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