瀬島隆三 参謀の昭和史/保阪正康
まさに参謀本部は虚構の大戦果に酔っていた。捷一号作戦を担当する瀬島の“係長の立ち場”からすれば、この興奮状態に歯止めをかけられるポジションにいたといえる。が、瀬島はそうはしなかった。この“電報にぎりつぶし”について、私と取材スタッフは、大本営参謀だった経験をもつ人たちに瀬島はそうしたことをするタイプなのかどうかを聞いて回った。瀬島は海軍の戦果が虚報ではないかと疑問を述べる勇気をもっていなかったとか、典型的な出世主義者があえて真実の叫びをあげてマイナス点を背負うわけはないという声も聞いた。秦と服部という、瀬島を引きたてている上官に叛けるわけはない、という声もあった。もっともはなはだしいのは、瀬島を「卑怯者」と決めつけたある参謀の次の意見である。
「瀬島という男を一言でいえば、“小才子、大局の明を欠く”ということばにつきる。要するに世わたりのうまい軍人で、国家の一大事と自分の点数を引きかえにする軍人です。その結果が国家を誤らせたばかりでなく、何万何十万兵隊の血を流させた。私は、瀬島こそ点数主義の日本陸軍の誤りを象徴していると思っている」
この参謀は、往時を思いだしているうちに露骨に不快な表情になった。当時の大本営の参謀といえば、七十代後半から八十代である。いまや社会的な利害関係は薄れている。だから正直に語る者が多いが、その心中では往時がナマのまま渦巻いているのがわかった。(P148~149)
第二次世界大戦では大本営の作戦参謀を勤め、戦後は伊藤忠の企業参謀、さらには中曽根行革で総理の政治参謀として活躍した瀬島龍三。
この輝かしい経歴を経てきた人物だが、その裏には数々の疑惑がある。
上記、その疑惑の一つ、「電報握り潰し事件」についての記述の一部である。
当時、「空母十八隻以上撃沈、ハルゼー艦隊は敗走中」という、虚構の大戦果に酔っていた参謀本部、
自分たちにとって都合の悪い事実を示す情報参謀からの電報が届いた時、
瀬島はそれを握りつぶしたというのである。
もしこれがなければ、レイテ決戦で死んだ兵士幾万余の犠牲は避けられたかもしれない、という推測は充分成りたつ。
まさに戦犯ものである。
その後も瀬島は、シベリア流刑と苦難はあったものの、エリートとしての道を歩んでゆく。
“ヒラメ人材”という言葉がある。
ヒラメの目は上ばかりを見ている、
しかも上から見た色と、下から見た色が違う。
組織の中で、上からどう見られるかということばかりを気にし、
上手に泳ぎ回って出世していく人材を、そのように言うわけだが、
まさに瀬島龍三がそのような人物だったのではないかと思う。
上記の瀬島を「卑怯者」と決めつけた元参謀の言葉からもわかるように、
周りに、瀬島を批判している人物が非常に多いという事実、
本当に能力の面においても、人格の面においても、優れた人物であれば、これほどの批判者は出てこないであろう。
ところが、取材してみると、そのような批判者が続々と出てくる。
私はこの本を読むまでは、正直、瀬島龍三という人物は知らなかった。
しかし、このような人物が昭和をいう時代の中心にいたという事実は確かなようだ。
« 人は仕事で磨かれる/丹羽宇一郎 | トップページ | 仕事の思想/田坂広志 »
コメント