サッカー監督はつらいよ/平野史
たとえば代表クラスの選手の中には、各世代の代表に選ばれてきたエリート組がいる。彼らの多くは代表意識が強くプライドも高い。その一方で、代表とはほとんど縁はなかったが、Jリーグで活躍して代表に選ばれた選手も少数だが存在する。
こういった選手たちが一度は選ばれた代表から落とされたとする。いわば両極に位置する選手たちだが、双方ともダメージは意外と少ないし、立ち直りは早い。
エリート組は小さい頃から自信を持っている分だけダメージが大きいように思えるが、そうでもないのだ。彼らは「監督との相性とか戦術に合わないからとかでたまたま選ばれなかっただけ。次があるじゃないか」と考える。実際に次はないと分かっていても、そう考えることで立ち直ろうとする。あふれる自信が「落選のショック」すら覆い隠してしまう。そういうタイプが意外と多い。日本ではサッカーに限らずエリート組というとひ弱なイメージを持たれやすいが、小さい頃から競争意識が強く、他の人間に競り勝ってきた選手が多いので実際はそうでもない。それに彼らも見えないところで多くの挫折を繰り返してきたのだ。
また「雑草」などとも言われる、Jリーグで急速に伸びた選手たちは、これまで代表に選ばれることもなく多くの苦労をしてきた。ただそれでも向上心が衰えなかったからこそ代表に選ばれた。彼らはすでに、少々の逆境をはね除けるだけのタフさは身に付けている。だからこそ「雑草」なのだ。(P86~87)
精神的タフネスさ、これを身に付けることは、今の時代で生きる人に必須の条件ではないかと思う。
これだけ変化が激しいと、たとえどんなに大企業に勤めようと安泰とは言えない。
M&Aで会社そのものが変わってしまうこともあるかもしれないし、また予期しない肩たたきがあるかもしれない。
新卒で入社し、40年間一つの会社で勤め続けるというパターンは少なくなって来るだろう。
その意味で、上記のサッカー選手の例は、大いに参考になる。
エリート組、雑草組、それぞれ日本代表から落選した時のダメージは意外と小さいというのだ。
雑草組がダメージが少ないというのはわかる。
小さいころから、逆境にもめげずに頑張り続けたから、代表に選ばれたのであり、
その選ばれる過程で、さまざまな試練を乗り越えてきたのであろうから、
精神的タフネスさを身に付けたのであろう。
意外だったのは、エリート組も代表落選のダメージは少ないということ。
「監督との相性が悪いから選ばれなかった」というのは、ある意味方便だと言えるが、
それだけ自分に対する自信にあふれているということであろう。
自信というより過信に近いものがある。
しかし、ある面、過信があることによって、幾多の試練を乗り越えることができると言えるのではないだろうか。
人間、自分の能力を正確に把握している人は少ない。
過小評価するか過大評価するか、そのどちらかであろう。
どちらが良いかということは一概には言えないが、
逆境を乗り越えるという場面では、自分を過大評価している人の方が強いと言えそうだ。
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