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2011年3月11日 (金)

白洲次郎の日本国憲法/鶴見紘

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 彼は〈占領下の日本人〉の変質に激しい怒りを感じていた。「週刊新潮」(1975年8月21日号)に掲載された回想には、その怒りがあからさまに記されている。
「占領下の日本人を語るためには、昭和26年の講和会議の舞台裏で起こったことにも触れておこう。ぼくはこの会議には、全権委員顧問の肩書で列席したのだが、会議が始まる2日前、サンフランシスコのさる邸宅に宿舎を定めた吉田さんから、マーク・ホプキンス・ホテルのぼくのところに電話がかかってきた。ぼくが電話に出ると、吉田さんは「わたしの演説原稿に目を通してくれましたか』という。まだ拝見していなかったぼくは、さっそく随行の役人を呼んで、その原稿を取り寄せた」
 「ところが、ぼくは一読して、むらむらとくるのをどうすることもできなかった。その原稿は、日本の首席全権のものだというのに、なんと英語で書かれているのである。中身も、6年間にわたる占領について『感謝感激』と大げさな賛辞が述べられている一方、国民の悲願であるべき沖縄返還については、一言も触れられていない。
 ぼくは、思わず声高になった。
『これはダメだ。全面的に書き直せ』」(P176~178)

戦後、吉田茂首相の側近としてGHQと渡り合い、従順ならざる唯一の日本人と言わしめた白洲次郎、

上記は、サンフランシスコ講和会議での舞台裏、

吉田首相の演説原稿についてクレームをつけたエピソードを本人が回想した記事の抜粋、

この演説原稿は、外務省の役人とGHQ外交部が相談の上で書いたものだった。

それに対して次郎は、

「いかに敗戦国の代表であるとはいえ、講和会議というものは、

戦勝国の代表と同等の資格で出席出来るはず。

その晴れの日の演説原稿を、

相手国と相談した上に相手側の言葉で書くバカがどこにいるか。

ぼくは、外務省の役人らの体にすっかりしみついてしまった〈植民地根性〉に、

ただただあきれ返るばかりだった」

と述べている。

まさに正論である。

そして、そのような正論を語れる人材が、あまりにも少なかったというのが当時の日本であった。

占領国のアメリカに飼い馴らされた犬のような状態になってしまっていた。

その中で、白洲次郎のような人材がいたということは救いになる。

日本は、島国であることもあるのだろうが、歴史的に見ても外交が弱い、

いや、弱いというよりも、外交音痴である。

日本の外交をみると、あまりにも他国にいいようにやられているの感を免れない。

他国はもっとしたたかである。

これからの日本の進む道を考えるとき、

他国と渡り合う、外交の重要性がますます大きくなってくるように感じるのだが、

それを思うにつけ、

白洲次郎のような人材が出てこないだろうかと、つい思ってしまう。

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