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2011年5月の31件の記事

2011年5月31日 (火)

信長の棺(下)/加藤廣

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 「権兵衛殿」
 牛一は、ゆっくりと一語、一語噛みしめるように言った。
 「ここまでで、遺骨探しのご案内は十分でござる。権兵衛殿のお気持ち、ようわかった、嬉しい。だがその場所が特定できないのは、むしろ天慮かも知れぬ」
 「天慮?と仰せか」
 権兵衛は、不思議そうな顔で牛一を見た。
 「さよう天慮、天の配剤でござろう。御不在の間に一度は、こうも考えました。たとえ東の線は分からずとも、吉祥草の線上を、真っすぐに、どこまでも掘り下げ、なんとしても信長さまのご遺骨に辿り着きたい。この胸に、信長さまのご遺骨を、しかと抱き締めて差し上げたいと。しかし、不思議ですな。その時、ふいに一陣の風が、拙者の頬をよぎりました。その風の中で、拙者、信長さまの声を、しかと聞いた気がいたしましたのじゃ。『又介、もうよい』と。このままでよいのでございますかと、お訊ねしますと、いつものように『くどい』の一言。(中略)
 牛一は、空を見上げた。
 (これでよろしゅうございますな)
 雲一つない空の信長さまに向かって、牛一は心の中で叫んだ。
 信長さまは領いてくれた。
 (これで、お役御免ですな)
 もう一度叫ぶと、今度は、信長さまが白い歯を見せて笑われた気がした。(P296~298)

信長の遺体の行方を追っていく牛一、

最後には、本能寺から南蛮寺への抜け穴の存在や秀吉は山の民出身であったということ、

抜け穴を秀吉が埋めたことが原因で信長が死んだというなどを知らされる。

結局、信長の遺骨は見つからなかった。

この物語の締めくくりとしては、何となく拍子抜けといった感がある。

しかし、牛一には自分の成し遂げたことに対してのある種の満足感が漂っているような気がする。

自分のライフワークとして取り組んだものが、最後、望んだ結果が得られなかったとき、

人はそれをどのように自分の中で受け入れるのか。

牛一の場合は、信長と空想とも妄想とも取れるような会話をすることによって、自分の中で区切りをつける。

結局、結果云々ではなく、自分の人生のある時期、一つのことに打ち込み夢中になれたことに価値があったことに気づいたのではないだろうか。

2011年5月30日 (月)

信長の棺(上)/加藤廣

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 新しい隠居所に移ったら、今度こそ偸安を貧るまい。ひたすら信長さまの伝記の執筆に打ち込むとしよう。この五つの木箱にまつわる信長さまのご本心も、その中で洗いざらいぶちまけたい。皆、それには驚愕するだろう。歴史の叙述が変わるに違いない。
 そうだ!そこには、本能寺で亡くなった信長さまのご遺骸が、どこに消えたのか、この謎解きも是非加えなければならない。誰もが不思議がるくせに、誰も首を傾げるだけで、それ以上は触れようとしない。これも二重の不思議だった。今、考えても悲しみと怒りがこみ上げてくる。
 牛一の怒りの矛先にいつも浮かぶのが太閤秀吉である。(中略)
 以後、豊臣秀吉が天下を取ってからは、信長さまのご遺骨の行方は一切人々の口の端に上らなくなった。既に終わったこと、今さら言い出すのは、あれほど立派な葬儀をされた太閤様に御無礼ではないか。誰もが太閤の威風を恐れ、その鼻息を窺った。
(だが、俺には関係ない。信長さまのご遺骨の行方を探り出すのは、俺に残された最後の使命だ。それを果たすまでは、絶対に死なぬ!信長さまのためにも・・・・・)
 心に誓うと、思い余って牛一は働突した。その涙は、書庫発掘で汚れた顔一面の泥を洗い流し、止まるところがなかった。(P104~106)

本能寺の変後、信長の遺体はどこへ消えたのか。

日本史最大の謎に挑んだ歴史ミステリーである。

この小説の主人公は太田牛一、「信長公記」を著した実在の人物である。

信長の家臣太田牛一は本能寺の変の直後、生前の命令に従うべく西へ向かうも佐久間に捕らわれてしまう。

その後秀吉に、信長の伝記を執筆することを条件に牛一は助け出される。

助け出された牛一は、信長の伝記を執筆する傍ら、信長の遺体の行方を捜し始める・・・

という流れで物語は進んでいく。

実は、この小説を読んでいて、物語の内容とは別の面で考えさせられた。

それは、一生涯の仕事を持つことの意味である。

牛一は、86歳で亡くなっている。

当時としては、大変な高齢である。

どうしてこんなに長生きできたのか。

その一因は、生涯をかけてやり遂げたい仕事があったからではなかったか。

「信長さまのご遺骨の行方を探り出すのは、俺に残された最後の使命だ。それを果たすまでは、絶対に死なぬ!」

このような思いで生き抜こうと決意した牛一。

太田牛一にとって、信長の伝記を書くことが真にライフワークであったのだろう。

そう言えば、加藤廣氏も、この本を著したのは75歳の頃、

大変な高齢での作家デビューである。

この後、加藤氏はこの本と合わせ、本能寺3部作を出している。

ライフワークを持てる人は幸せだ。

2011年5月29日 (日)

ポン!とわかる日本経済/野田稔

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 日本の教育は、いくつも問題を抱えています。
 総花的に知識を教え込むことに偏りすぎて、子どもたちのやる気を引き出したり、困難を越えて努力しようという気持ちを育てることが見失われています。
 教育では、知識よりも、子どもたちが「何かをなしとげたい」という気持ちを持つよう導くことが大切なのです。これを「達成動機」といいます。
 この達成動機を教育に組み込んでいる国とそうでない国があります。たとえば、「がんばれば夢がかなうんだ」
 という、「努力の大切さ」をたたえる話が教科書に載っている国といない国があって、比べると、経済成長率が明らかに違うのです。
 この点で昔の日本は優等生でした。しかし教育の現場ではそうは思われていなかったようで、日本の教科書からはいつの間にか、そうした話が消えてしまったのです。
 「成績などは問題じゃなくて、自分らしいのがよいことなのだ。個性が大切だ」という話をする先生が多いのですが、それでは国全体として前に向かって進む力は生まれてきません。
ここ20年、日本の経済成長率が落ちてしまったのも、一つにはこうした教育内容の変化が原因なのではないでしょうか。
 自分らしくあるのは大切なことだとわたしも思いますが、「がんばってもがんばらなくても何も変わらない」というのは、大ウソです。(P251~252)

頑張った者負けの組織風土は、間違いなく組織を弱体化させる。

私は人事コンサルの仕事をしているのだが、

もし会社の人事制度が、頑張っても頑張らなくても、報酬は全く同じという形のものであれば、

そこで働く社員は「だったら頑張らない」と考えるようになり、

やる気のある者はしらけ、場合によっては辞めていくであろう。

結果として、やる気のない社員ばかりが会社に残ることになり、その会社は衰退していく。

これは会社という組織の話だが、今、日本全体がちょうどこのような状態になっていると言えよう。

平等、横並び、ナンバーワンよりオンリーワン、自分探し、草食系・・・

このような言葉が蔓延する今の日本、

これで、これからのグローバル化した世界で勝ち残っていけるのだろうか。

もう一度、教育から立て直していかなければ、未来の日本はない。

キーワードは「達成動機」である。

2011年5月28日 (土)

リスク 神々への反逆(下)/ピーター・バーンスタイン

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 リスク管理の本質は、ある程度結果を制御できる領域を最大化する一方で、結果に対して全く制御が及ばず、結果と原因の関係が定かでない領域を最小化することにある。
 そもそも運とは何を意味するのだろうか。ラプラスは、運、あるいは彼が偶然と呼んだようなものは存在しないと確信していた。彼は『確率の哲学的試論』の中で以下のように明言している。
 物事はそれを惹き起こした原因なしに生起することはないという明白な原理に基づいて、現在の事象と過去の事象は結びついている。・・・・およそ偉大なる自然法則に従っているとは思われない些細な事物をも含めて、すべての事象はこの原理の結果であり、それは太陽の公転と同じ程度の必然性を持っている。
 この文章は、すべての事象が無限に繰り返されるならば、その一つ一つはすべて「明確な原因」により起こり、また極めて偶然に見える事象でさえも「ある種の必然性、あるいは、いわば運命」の結果である、というヤコプ・ベルヌーイの考え方を反映したものである。(P45)

偶然とか運という言葉、

私たちはこのような言葉を安易に使ってしまっているようなことはないだろうか。

もし、この言葉が思考停止の結果、出てきた言葉であれば、それは物事の本質を正確に捉えているとは言えない。

「考える」という行為を放棄した結果が偶然とか運という言葉になって表れるとも言える。

偶然と思えるようなことであっても、とことんまでそのことの起こった原因を究明しようと試みれば、そのうちの何割かはおそらく、原因が特定できるであろう。

原因と結果の関連性が明確になれば、もはやそれは偶然とは言えず、必然と言える。

原因が特定できれば、それによってある程度、結果を制御することができるようになる。

「リスク管理の本質は、ある程度結果を制御できる領域を最大化する一方で、結果に対して全く制御が及ばず、結果と原因の関係が定かでない領域を最小化することにある。」

この言葉は、本質をとらえている。

2011年5月27日 (金)

リスク 神々への反逆(上)/ピーター・バーンスタイン

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「リスク(risk)」という言葉は、イタリア語のrisicareという言葉に由来する。この言葉は「勇気を持って試みる」という意味を持っている。この観点からすると、リスクは運命というよりは選択を意味している。われわれが勇気を持ってとる行動は、われわれがどれほど自由に選択を行えるかに依存しており、それはリスクの物語のすべてでもある。この物語こそリスクが人類にとって持つ意味を明らかにしてくれる。(P27~28)

この本は、リスクに対して人間がどのようにして挑戦してきたかを物語で示している。

その歴史を通して、リスクの本質を語り、未来への示唆を与えてくれる。

リスクというと「危険」という意味ととらえがちだが、

この言葉には「勇気を持って試みる」という意味もあるという。

つまり、「これは運命だ」と、ただ受け入れるのではなく、自分で「未来を選び取っていく」ということ。

未来とは、本来何が起こるかわからないもの。

過去の統計から、未来に起こることを確率論的に予想することはできるが、それとても確実にそうなるとは限らない。

あくまで確率の問題である。

これから、科学や文明が発達すれば、未来に起こることを高い確率で予想することができるかも知れないが、

それとても、100%当てることはできない。

あくまで100%に限りなく近づけることができるだけである。

この本では、確率、平均への回帰、分散の投資、ゲーム理論等、様々な手法で、人類がまだ起こっていない未来の出来事に挑んでいった歴史が記されている。

リスクという言葉には「危険」という意味もある。

しかし、あえて「勇気を持って試みる」と受け止めることによって、大きな未来が開けてくることは確かだと言えよう。

2011年5月26日 (木)

東電OL症候群/佐野眞一

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 思ってもみなかったのは、読者からの過敏とも思えるほどのすばやい反応だった。出版後一ヵ月もたたないうちに、百通を優に超す手紙とハガキが寄せられた。大半が女性読者、しかも泰子とほぼ同世代の女性からだった。それも予想外のことだったが、一番驚かされたのは女性たちの書評家以上の読みこみの深さだった。(中略)
 〈『東電OL殺人事件』、かなりのボリュームでしたが、半日で一気に読み上げました。読了後はしばし放心状態におちいりました。彼女には共感とはいかないまでも、ある種うらやましいという感じを受けました。それは彼女のような行動がとれることがうらやましいのではなく、何というか現代社会はあまりにも「こうあるべき」という他人の価値観をおしつけられる社会で、その価値観に合わないと「ダメな人」みたいに思われてしまうような気がします。彼女はそういう意味で自分の気持ちを爆発させてボーダーラインの向こう側にいってしまったのです。本当に私たちも心の中では“せとぎわ”に立たされていることも多いのです。この本が出ることにより、救われる女性も多いことと思います〉(三十代・女性)(P52~54)

1997年、東京電力社員、渡辺泰子さんが東京都渋谷区円山町にあるアパートの空室で殺害された。

当時、私は東京の渋谷にある会社で働いており、円山町と目と鼻の先にオフィスがあったため、強い印象が残っている。

この事件は大企業のOLという昼の顔と、売春を繰り返していた夜の顔とのギャップから、多くのテレビ、雑誌等で取り上げられた。

彼女は東京電力に初の女性総合職として入社。

未婚のエリート社員であったが、後の捜査で、退勤後は、円山町付近の路上で客を勧誘し売春を行っていたことが判明する。

被害者が、昼間は大企業の幹部社員、夜は娼婦と全く別の顔を持っていたことで、

この事件がマスコミによって興味本位に大々的に取り上げられた。

彼女はおびただしい好奇心のまなざしにさらされた。

興味深いのは、この「東電OL殺人事件」を著した佐野氏のもとに、出版後一ヵ月もたたないうちに、百通を優に超す数の手紙やハガキが寄せられたということ。

そして、大半が女性読者、しかも泰子とほぼ同世代の女性からだったということ。

多くの同年代の女性が、被害者である彼女に自分自身を見たということであろうか。

ここから見えてくるものがある。

彼女の存在を通してあぶりだされた今の日本が見えてくる。

「見られる」存在でしかなかった彼女を、「見る」存在に据えたとき、

政治も経済も社会もとめどない破局に向かってつき進む日本の今が、息ぐるしさをもって伝わってくるような気がする。

ジキルとハイドではないが、人間には光と闇の部分がある。

社会もまた、表の社会と裏の社会がある。

いろんな面で考えさせられる事件である。

2011年5月25日 (水)

そうそう、これが欲しかった!/小阪裕司

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かわいらしい陶器製の猫の貯金箱を想像してほしい。しかしその耳は欠けている。実は商品を落とした際に、耳が割れてしまったのだ。これを単なる商品として見た場合、キズものである。その価値は大きく下がってしまうだろう。ところが、実際にこの貯金箱を売っていた店では、「耳が欠けた猫の貯金箱だからこそ、買う価値がある」と価値の転換を行った。
 どのようにしたのか?
 店主は耳が欠けた猫の貯金箱にPOPをつけた。そのPOPには、次の文章が書いてあった。

私は猫です。3月3日のひな祭りの日に交通事故に遭いました。痛い?。
右の耳を少し怪我しましたが、おかげさまで元気になりました。
こんな私ですが、かわいがってくれる飼い主さんを探しています。
おっちょこちょいですが、冗談のわかる猫です。
私のお友だちになってほしいのです。

 このPOPを書いて貼った途端に、この商品は売れたという。
 「おみごと!」としか言いようがない価値の転換である。
 お客さんにとってこの商品は「キズもの」から「おっちょこちょいだがかわいいやつ」に変わったのだ。
 POPを見たお客さんの頭のなかで起こっていることは、まさしく価値の転換である。(P74~75)

世の中がデフレと言われるようになってずいぶん時間が経っている。

企業にとっては厳しい環境だが、その中でも成功を収めている会社も少なくない。

その手段の一つは「安売り」。

常識を越えるような価格設定によって消費者の心をつかむ手法である。

しかし、この手法は、安売りが安売りを生み、結局、ごくわずかの勝ち組と、大量の負け組を生み出す。

一種のチキンレースである。

だから、できることなら安売りはしたくないというのが企業の本音。

ではどうすれば良いのか、そのヒントを上記のエピソードは与えてくれる。

キーワードは「価値の転換」。

売り物の猫の貯金箱の耳が欠けてしまったら、それはキズ物である。

当然、商品としての価値は下がったと見るのが普通。

半値か、それ以下の価格にさげても売れるかどうかわからない。

ところが、店主は耳が欠けた猫の貯金箱にPOPをつけた。

このPOPによって、この耳の欠けた猫の貯金箱は値段を下げることなく売れた。

おそらく、それを買った人には、その猫が「愛おしい猫」に思えたのであろう。

もしかしたら、自分の人生の一部に、この「傷を負った猫」を重ね合わせたのかもしれない。

何れにしても、買った人がこの商品に「新たな価値」を見いだしたのは間違いない。

今はおそらく、このような発想が求められているのであろう。

知恵さえあれば、いくらでもビジネスチャンスは広がるということ。

面白い時代だとも言える。

2011年5月24日 (火)

敵対的買収/清水一行

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「上場企業の経営というのは、常に成長を意図しなければならないものと考えているんです。ときには企業の成長飛躍を促進させるために、大局的総合的な判断にたった合併が必要になってきます。わたしは先人の遺産を生かし切れない経営者がいたら、株主の立場から経営者交代を強く求める。そうすることで活力のある自由主義経済を、発展させていけるわけです。」

ライブドアによるニッポン放送株の買収騒動は日本の企業社会に大きな衝撃を与えた。

この小説が書かれたのは1990年なので、この買収騒動の15年前、

モデルは、ミネベアと三協精機と言われている。

ある日、“買収王”の異名をとるリミテッド・ベアが、中堅メーカー協亜精工の株を秘かに買い占めた事実が発覚する。

乗っ取りか、それとも株の高値買い戻しか。動揺する経営陣・・・と、M&Aの攻防を描いている。

この小説はどちらかといえば、乗っ取られる側の視点で書かれている。

M&Aを仕掛けるリミテッド・ベアは悪で、そこから守ろうとする協亜精工の側に正義があるという描きかたである。

それは1990年当時、まだ日本社会でもM&Aそのものがレアケースであったことからも十分に理解できる。

事実、モデルとなったミネベアと三協精機の買収劇も失敗に終わっている。

上記は、リミテッド・ベアの社長、高野多賀三が、協亜精工の経営陣に言った言葉、

言っていることは、きわめてまともなこと。

今、M&Aを積極的に推進している企業は、このような論理で行っていることだろう。

そして、好むと好まざるとに関わらず、これから先、M&Aは企業が勝ち残っていく為の有力な選択肢の一つになっていくことだろう。

つい先日も、武田薬品工業がスイスの製薬大手ナイコメッドを買収したと発表された。

経営者も社員も意識を変えるべき時期に来ていると言うことは確かなのではないだろうか。

2011年5月23日 (月)

問題を解決する人の5つの口癖/古我知史

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 問題解決の知恵を身につけている人たちは、よく似た決まった言葉や口癖や動作を持っていることを私は発見したのです。私自身、まだ知恵の達人とはいえないものの、何か問題の本質を探ろうとするときに、口癖として必ず「ほんまかいな?」と関西弁でつぶやきます。このつぶやきこそが自分の次の行動の指針や後押しとなっているわけです。
 武道の達人は、「くそっ、もう一回!」とつぶやきながら無心で鍛錬に励むそうです。カリスマ新人経営者は、問題を発見するときに必ず「そもそも」という単語をよく使っているようですし、実践で部下を勇気づけるために「いける!必ずいける!」とわめき続けるようです。そして事業をうまく成長させるベンチャー企業の連中が共通して好きな言葉は、「とりあえずやってみよう!」「やるしかない!」です。(P75~76)

言葉が行動を作り出す。

逆に言えば、行動を変えたいと思うならば、まず言葉を変えるべきだということ。

そういえば、私もよく「疲れた~」という言葉を口にする。

その結果、ますます疲れが体中を包み込むような感覚に襲われる。

疲れるというのは生理的な現象だが、それが「疲れた」という言葉を口に出すことによって、益々増幅されるということだろうか。

「疲れた」という言葉を発することによって、体の中のどこかにある「疲労増幅装置」のスイッチが入るというメカニズムが存在するようだ。

だとするならば、まず、この言葉を変えることから始めるべきだろう。

しかし、習慣化し、口癖になってしまっている言葉を変えるのは難しい。

それだけにやってみる価値は十分にありそうだが。

2011年5月22日 (日)

自分をもっと深く掘れ!/新渡戸稲造

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 しかし私は、ある刺激が下腹にある神経に行き渡ってうなずくのと、頭のてっぺんに響いてうなずくのとは大いに違うと思う。
 腹部に神経系統の大きな塊があることは、素人でも聞いている。ある生理学者はこれを「腹部の脳」と称している。たとえば突然のできごとに遭ったとき、人は腹部を波立たせてヒャッと驚く。これはたいていの人の経験したことであろう。脳が感じずに下腹に感じるのは、この神経の塊があるからである。これがあるからこそギリシャやユダヤの人は、魂の存在するところは腹部であると言った。
 日本で肝という言葉が心を表わすのも、
 「腹を割いて、心を示す」
 などと言うのも、このためであろう。
 冷静にものを考えるというのは、脳の作用にとどまるが、なにごとについても確信に達すれば、脳の作用だけでなく、全身の神経がことごとく一時に引きしまるような気がして、血が沸くばかりでなく、筋肉までが温まるように思われる。冷静なる脳の作用だけではとうていこうはいかない。腹にある神経が非常な刺激を受けたときはじめて起こる生理作用である。
 私が述べたい最高の縦振りというのは、この点にある。相手の言葉を受け合った、承認したと言ってうなずくことは、冷静な脳の作用だけにとどまらない。腹の底から出た縦振りでなければならない。(P145~146)

日本語には「腹」という語が含まれる言葉が多くある。

腹芸、腹を割る、腹づもり、腹のさぐり合い、腹の内・・・

どうも、日本人の中には、腹部に心や魂が宿っているという考え方があるらしい。

ここで新渡戸氏が言っているのは、物事を理解するのにも、頭で理解するのと、腹で理解するのとは、その深さにおいて大きな違いがあるということ。

いわゆる「わかった」ということにもレベルの違いがあるということであろう。

ものごとが「わかる」とは、どういうことであろうか。

人から何かを言われて、その言っている言葉の意味が理解できるということでも「わかった」という言葉を使うし、

その背景や意図が理解できたということでも「わかった」という言葉を使う。

両者には、同じ「わかった」でも明らかに深さの違いがある。

そのような内容の違いを「腹」という一語によって表現したところに、日本人の知恵があるような気がする。

2011年5月21日 (土)

一億円の死角/清水一行

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「しかしああいう金は、最後には拾った者を滅ぼす。貧乏人は貧乏人らしくというでしょう。金持ちになるにはそれだけのプロセスが必要なんです。プロセスを省略して掴んだ金など、身につくはずがありません」

この小説は、1980年銀座昭和通りで一億円を拾ったが、落とし主が現れず結局一億円は拾得主のものになったという実話と、ダイドー自動車販売という大企業をテーマにしている。

30年ぐらい前の作品であるが大企業の内幕と、一億円を拾った人の心の変化が生々しく描かれている。

“販売の神様”といわれる田部井彦太郎は、ダイドー自販を日本一の自動車販売会社に育て、名誉会長となっていたが、彼には大きな心痛があった。

長男の圭司が乱発した15億円の手形回収のため宗島連合に渡す資金一億円が忽然と消えてしまったからだ。

そのころ、トラック運転手の小島正吉は、銀座の歩道で一億円の札束を拾った・・・・。

このような形で物語りは展開する。

一億円を拾った男について、ダイドー自販の顧問弁護士は「ああいう金は、最後には拾った者を滅ぼす」と語る。

一億円というお金は今でも大金である。

しかし、同じ一億円でも、自分で苦労して稼いだ一億円と、拾った一億円では、額面は同じでも内容は違う。

一億円を拾ったのは小島というトラックの運転手だが、ダイドー自販の創業者、田部井彦太郎が死んだ後、その莫大な遺産に群がる4人の息子たちも、棚ぼたのお金をもらうということでは同じである。

創業者田部井彦太郎は、確かに莫大な資産を持っているが、そこにはちゃんとしたプロセスがある。

だから、お金の使い方を知っている。

しかし、一億円を拾ったトラック運転手、そして、彦太郎の遺産にむらがる4人の息子たちは、お金を稼ぐというプロセスが無い。

そのようなお金は、ほぼ確実にその人の人生を狂わす。

お金に限らず、何事もプロセスが大事だということだろう。

2011年5月20日 (金)

林文子 すべては「ありがとう」から始まる/岩崎由美

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 最初、林さんはセールスの方法を学ぶため、書店でトップセールスマンの書いた本を購入し、読んでみた。すると「毎日百軒訪問した」という例が書いてあったので、まねをしょうと思った。自分も百軒歩こう。百人の人と会話をしたら営業所に戻ろうと決心した。
 しかし、百軒というのは並大抵ではない。ドアも開けてくれない家、今忙しいからとけんもほろろに断る家、「女性のセールスなんて珍しいね」と話を聞いてくれる家のほうがまれだ。いろんな家を夜真っ暗になるまで訪問した。そんな中、「また来たの。熱心だね」と言ってくれる人が出始める。中には「お茶でも飲んでいったら」と家に上げてくれる人も出てくる。「本当に感激しました。見ず知らずの私を家に上げてくれるんですから」
 赤ちゃんがいて家をあけられない主婦の代わりに「じゃあ、私も主婦だし、車で来てちょっとマーケットに行くから、もしよかったら買ってきてあげますよ」などと牛乳を買いに走ったり、「何でも屋」に徹し、どんなことでも役に立つことなら手伝った。
 「何度もお話ししていると情のようなものがわいてきますでしょ。風邪をひいて困っていた奥様の代わりに買い物をお手伝いしたり、庭の手入れで悩んでいた方に植木屋さんを紹介したり」。そうした御用聞きのようなことをやっていた。「すごくそういうことが功を奏しましたね」。その結果、「どうせ買うなら、林さんから」と紹介してくださる方が徐々に現れ始めたのである。(P61~62)

ホンダの車の販売店に就職し、セールスをすることになった林氏が最初に行ったのが1日100軒の飛び込み訪問だったということ。

一般に飛び込み訪問は、効率が悪く、相手にいやがられ、時代遅れの手法だという認識がある。

しかし、林氏の非凡なところは、ただ単に1日100軒の訪問をノルマ的にこなすのではなく、そのことを通して自分なりのセールスのコツを発見し開発していったところにある。

実は、私も15年位前、損保のセールスをしたことがある。

その時、まず最初にやるように命じられたのが1日50軒の飛び込み訪問だった。

ただ、その時、こんなことも言われた、

「飛び込み訪問もできないようで、セールスマンとして生き残ることはできないと思え。でも、3年経っても飛び込み訪問しかできないようだったらセールスマンとして成功することはできない」

つまり、最初は絶対量を確保すること。

ただし、いつまでもそのことを続けるのではなく、

続ける中で、自分なりの方法を確立することが大事だということ。

これは、セールスに限らず、他の仕事にも当てはまる原則ではないかと思う。

つまり、最初はまず仕事の絶対量を確保すること。

そして、その中で自分なりのやり方を発見し、それを自分の得意分野にする。

これが、成長につながる。

量から質への転化、これができるかどうかがポイントである。

逆に言えば、最初から質ばかりを求めてもうまくいかないということ。

しかし、今の時代、最初から質ばかりを求める傾向があるのではないだろうか。

仕事でプロになろうとするならば、まず仕事の絶対量を確保すること、これが基本である。

2011年5月19日 (木)

ビッグボーイの生涯 五島昇その人/城山三郎

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 慶太の死後十日目、昇は本社会議室に会社の役職者全員を集め、決意を述べた。(中略)
 「ところで一部マスコミは、当社が集団指導体制に移行するというような予測をしているが、事業を遂行する上においては、最高責任者は一人でなければならない」
と言い切った。口先だけのことではない。長い休戦の間、昇は昇なりに、父慶太を見つめ、学んできた。
 運転手・車掌合わせて三十人といった小さな目蒲電鉄を七十社三万人の企業群に育て上げた父。その父の生涯を貫いたのは、何よりも強力な意思決定ではなかったか。その父の路線を踏襲する、と宣言したのである。見つめ思いつめてきたことを口にしたまでであった。
 それに、昇のひとりよがりな思いだけによるものでもなかった。
 父の葬儀が終わった後、昇は父の大学時代からの旧友、正力松太郎を訪ねた。短く挨拶を交わしただけであったが、そのとき正力は、せきこむようにして昇に言った。
 「昇君、いちばん大事なことは人に相談するなよ」(P73~74)

「いちばん大事なことは人に相談するな」

会長五島慶太の死によって、東急の後継者問題にゆれていた時期、

五島昇に対して、このアドバイスを読売新聞社の経営者、正力松太郎がしたという。

独断は、プラスとマイナスの両面がある。

みんなで話し合って決める、これは民主的な決定方法であるように感じられるが、反面、責任の所在が曖昧になる。

またどうしてもリスクを取るような決定はし難く、無難な方向に流れがちだ。

独断は、その決断した本人の資質がそのまま組織の方向性を決めてしまう。

万が一、決断した本人のリーダーとしての資質に問題があれば、組織全体がおかしなことになってしまう。

どちらが正解とは言えないのだが、今の日本で売上を上げている企業、

たとえば、ファーストリテイリングやソフトバンク等を見ていると、トップの強いリーダーシップによっている部分があることは否定できない。

集団指導体制と一人の最高責任者がすべてを決める体制と、どちらが優れているかは、一概には言えないが、

少なくとも、今のような変化の激しい時代においては、後者のほうが有利であることは確かなようだ。

2011年5月18日 (水)

ジャンボ機長の状況判断術/坂井憂基

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 これからしばらくはBeingFleetの時代です。個人でも組織でも、まずは生き残ることがもっとも重要です。
 成績を上げるよりも失敗をしないこと、大幅な損失を出さないこと、会社でいえば業界ランキングを上げることよりも潰れないことがもっとも重要になる時代です。
 今の時代には、ホームランをねらう必要はありません。ホームランをねらえば三振する確率が増えます。かといってバッターボックスに立たなくていいわけではありません。バッターボックスに立たない選手はすぐにチームを追い出されます。
 個人も会社もホームランをねらうよりも、まずアウトにならずに塁に出ることが大切になります。そのためには何本ファールで粘っても、フォアボールでも、場合によってはデッドボールでも、とにかくアウトにならずに進塁することが求められる時代です。(P18~19)

BeingFleetとは、戦って勝つことよりもやられないこと、生き残ることを主眼においたやり方を言う。

この本の著者、坂井氏はジャンボジェット機の国際線機長。

旅客機の機長として一番大事なことは、いかにして事故を起こさないか、または未然に防ぐかである。

ここでは、「失敗から学ぶ」という発想は通用しない。

失敗したらおしまいという世界である。

一瞬の判断の誤りや、チェックのミスが、数百人の人命を失わせることにすらなるという職業柄、「失敗しない」「負けない」「ミスしない」ということが第一になる。

その坂井氏の経験から、今の時代も「負けない」こと、「生き残ること」が第一の時代だと論じている。

ホームランねらいよりもまずはヒットを打って塁に出ること。

塁に出ることによって、生き残り、次のチャンスを待つこと。

これが大事だと言う。

「それは少し消極的過ぎないか?」という考えが一瞬頭をよぎったが、

しかし、よくよく考えてみると、「それは当たってるかも知れない」とも思うようになった。

今、震災後の日本では、国全体が萎縮し、自粛している。

このような時代、無理に勝とうとすると、かえって危機を招くことも考えられる。

まずは、この未曾有の国難にしっかりと耐え、生き残ること。

そして、次の飛躍に向けて、着々と準備をする。

このような発想も必要かも知れない。

2011年5月17日 (火)

プロ法律家のクレーマー対応術/横山雅文

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 そもそも、悪質クレーマーは、本質的に合理的な説明、常識的な対応では納得しない人々なのです。まず、このことを肝に銘ずる必要があると思います。
 したがって、悪質クレーマーとの交渉は必ず堂々巡りとなり、悪質クレーマーの不当な要求を呑まない限り、交渉を続けても平行線なのです。
 そのうちに従業員は精神的に疲弊し、さらには、いたずら電話、迷惑メール、インターネット上での誹誇中傷など様々な迷惑行為や加害行為にさらされることになります。
 ですから、悪質クレーマーに長期間関わることに全く意味はありません。
 結論から言うと、従業員の精神的健康のため、また善良な顧客に対するサービスの質を落とさないために、顧客と悪質クレーマーとは峻別して対応すべきです。
 悪質クレーマーは顧客として対応すべきではありません。悪質クレーマーを顧客として扱う限り、そこに彼らは必ずつけ込んでくるからです。(P31~32)

一般に多くの苦情・クレームは、企業、学校、行政窓口の商品やサービスが不適切・不十分だったことに起因するものである。

苦情・クレームの多くは基本的に、真摯に傾聴すべきものだと思う。

実際に、ほとんどの企業が、「お客様のクレームに対しては、真摯に耳を傾け、お客様が満足するまで誠意をもって対応します」と標榜している。

従業員に対しても、「クレームはお客様からの重要なご指摘であり、企業の財産である」と指導している。

しかし、苦情・クレームを言う人々の中には、企業やその従業員に対し、明らかに不当な要求、理不尽な要求をしたり、困らせてやろうとするいわゆる悪質クレーマーが現に存在する。

しかも近年、そのような人々はますます増え、さらに悪質になっている。

このような悪質クレーマーに対して、「お客様のクレームに対しては、真筆に耳を傾け、お客様が満足するまで誠意をもって対応する」

「クレームはお客様からの重要なご指摘であり、企業の財産である」という建前で対応すると、対応に当たる担当者は精神的に疲弊してしまう。

そして、かえって問題を長期化させることが多い。

つまり、クレーマーと顧客とは峻別しなければならないと考えるべきだろう。

悪質クレーマーは企業と顧客という関係だけではない。

企業と従業員という関係でも、問題社員という形での悪質クレーマーが存在する。

学校でもモンスターペアレントという悪質クレーマーが存在する。

つまり、社会の至る所で形を変え、影響を与えているのが悪質クレーマーである。

そしていつも考えさせられるのは、どうして、このような悪質なクレーマーが近年増えてしまったのだろうということである。

2011年5月16日 (月)

質問力/斉藤孝

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蓮實: あの広場の雪は現実の雪なのですか。
アンゲロプロス: 本物の雪であることは確かなんですが、撮影当日に降ったものではありません。あの地方には雪がなかったので、雪のある山岳地帯から六十台のトラックを使って運ばせたものです(笑)。
蓮實: 六十台もの!
アンゲロプロス: それを三十人の人間を使って広場に敷きつめたのです。
蓮實: 予算の大半が六十台のトラックに消えてゆく(笑)。
アンゲロプロス: 私の映画はいつでもそんなふうにして撮られているのです。たとえば、きのう、ヤングシネマの方の審査員として来日しているジョージ・ミラーに話したことですが、私は、天候が気に入らなければ、一カ月だってキャメラをまわしません。『シテール島への船出』のときなど、ロケ地で一カ月間曇りの日がなかった。私はどうしても曇天が必要でしたから、その間天候が悪化するのを待つんだといったのですが、あのオーストラリアの監督、本気にしていなかったようです。でも、本物の雪が必要なら、トラック何十台であろうと運ばせなければ気がすまない。ジョージ・ミラーは、自分があなたのプロデューサーでなかった幸福を噛みしめるといっていましたがね(笑)。(P135~136
)

上記は仏文学者で映画批評家の蓮實重彦がギリシアの映画監督テオ・アンゲロプロスにインタビューしたもの。

蓮實氏は「あの広場の雪は現実の雪なのですか」と質問する。

この質問は素朴に見えるが、考えてみると全く素朴ではない。

普通の人は、映画の中であれだけの雪を見ると本物の雪としか思わない。

だが映画に詳しい蓮實氏は、本物を使わないこともあるのだと知っているのだ。

たとえば、黒澤明が『羅生門』で土砂降りの場面を撮影した際、モノクロームの画面では普通の水をたくさん撒いても土砂降りに見えないので、墨汁を水の中に混ぜたという。

そして、蓮實が「現実の雪なんですか」という質問をすることによってアンゲロプロスの話そのものが生き生きとしたものに変わっていく。

映画監督の創作上の重要な秘密やこだわりを自ら進んで語るようになる。

この質問を機に、会話に奥行きや広がりが出てくる。

良い質問とはこのようなものなのだろう。

逆に、このことから、この世の中にくだらない質問があふれているという現実も見えてくる。

2011年5月15日 (日)

系列/清水一行

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 それにしても昔はよかったと茂哉はつぶやいた。昔はなどと言うと年寄り臭かったが、71歳の自分は紛れもなく年寄りなんだなと思う。
 昔は工場をやっていて物を売る喜びと苦しさ、物を売るための製品づくりの喜びと苦しみ、会社の将来に対する期待と不安、この両方を仕事のなかで味わうことで、会社の人間はみんな一つになって働いた。
 ところがある時を境にして東京自動車の系列に組み込まれ、お世話になるようになってからは、一番かんじんな物を売る喜び、物をつくる喜びがどこかへ消え失せてしまった。確かに東京自動車の系列部品メーカーになり、東京自動車の仕事をメインにしてきたからこそ、今日の大成照明器がある。
 だが東京自動車の頼り切ってやってくるうちに、物を売る苦しさ、物をつくる苦しさを誰も味わわなくなってしまった。
 残ったのは一括して製品を買ってくれる、東京自動車への依頼心だけになってしまったのである。これでは独立した企業ではなく、東京自動車の一事業部にしか過ぎない。

この小説は年商三兆円の日本を代表する自動車メーカー東京自動車とその典型的系列メーカー大成照明器との間の、経営権をめぐっての激しい攻防戦が描かれている。

ある日、東京自動車の系列会社、大成照明器のオーナー社長・浜岡茂哉は、一方的に社長交代を宣告される。

次期社長に自分たちの息のかかった人間を送り込むことにより、経営権を奪い、完全な管理下に置こうというのだ。

また、その為にありとあらゆる圧力をかけてくる。

そして水面下で繰り広げられる激しい攻防。

ここで考えさせられたのは、「系列ってなんだろうか」ということ。

そもそも系列というシステムは日本にしかない。

日本独自の産業体制を表す言葉として、「系列」はそのまま海外においても“KEIRETSU”と表現されている。

大企業にとっては景気変動の下支え、つまりクッション。

円高になれば、真っ先にコストダウンの圧力がかかるのが系列会社である。

一方、系列会社にとっては、一括して製品を買ってくれる安定した供給先。

大企業が売上を伸ばせば、系列会社も一緒に売上を伸ばせる。

一企業と一企業との関係は、本来対等であるはずだが、ここには圧倒的な力関係が存在する。

しかし、怖いのは、系列会社であり続けることによって培われる風土ではないだろうか。

自分たちで苦労して製品を作り売ろうしなくても、大量に買ってくれる大企業があるという関係が長く続くと、もはやそのような能力も伸ばされず、人材もいなくなってしまう。

ある種のゆでガエル状態、これが一番怖い。

実は、自分自身が今、関与している会社の一つが、まさにこのような状態になっている。

売上の半分以上が、あるひとつの企業に集中している。

このような企業をなんとか変えようと試みているのだが、正直骨が折れる。

2011年5月14日 (土)

重大事件に学ぶ「危機管理」/佐々淳行

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 後藤田長官の言うとおり、事は急の上にも急を要するのである。水蒸気爆発の恐ろしさは私もよく知っていた。熱く焼けた溶岩が海水で急激に冷やされて一大水蒸気爆発が起これば、島民や観光客など約1万3000人の命は、ひとたまりもなく吹き飛ばされてしまう。
 中曾根総理も執務室に到着された。藤森官房副長官が後藤田長官に報告する。
 「長官、国土庁は夕刻より19関係省庁の担当課長を防災局に集めまして、長い長い会議に入っております。佐々君や私が名を名乗って電話を入れても、『会議中です』の一点張りで、らちがあきません。国土庁には任せておけない。これは“伴走”いたしましょう」
 これを聞いて後藤田長官、ついに怒った。
 「何の会議をやっておるのか?議題は何か?すぐ聞け!」
 制度上は、情報は国土庁長官が総理へ報告することになっており、官房長官や副長官には報告されない。そこで、何の会議をやっているのか裏から探ってみた。
 すると、驚いたことに、第一の議題は「災害対策本部の名称」。大島災害対策本部とするか、三原山噴火対策本部にするか・・・、だそうだ。
 そして第二の議題。何と「元号を使うか、西暦を使うか」、つまり昭和61年とするか、西暦1986年にするか、だという。さすがにあきれて、「何でそんなバカなことを!」と聞くと、「昭和天皇はご高齢だから、万が一、元号が変わるようなことにならないとも限らない。しかし、西暦は前例がない」と議論しているのだとの答え。あまりのバカバカしさに目がくらんだが、念のために第三の議題も記しておくと、「臨時閣議を招集するか、持ち回り閣議にするか」だった。(P94~95)

1986年、三原山が噴火した。

三原山の噴火としては史上最大と言われる1777年のそれに匹敵する209年ぶりの大噴火だった。

一刻の猶予も許されない状況の中で、国土庁は会議ばかりを行っていたとのこと。

会議することが悪いのではないが、日本では無駄な会議があまりにも多い。

何も決まらない会議、最後まで結局一人の人がしゃべって決めてしまう会議、最後は声の大きな人の意見が通ってしまう会議、最初から結論ありきの会議、等々・・・

これらははっきり言って時間の無駄だ。

一方、吉越氏がトリンプ社の社長をしていた頃、行っていた「早朝会議」のように、

一つの議題にかける時間は2分、2分で意思決定し、決めたことには必ずデッドラインを設け、結果と問う、といった手法により、業績向上につなげた例もある。

これを考えると、会議そのものが悪いのではないということがわかる。

ただ、どんな会議が行われているのかが、そのままその組織のレベルを表しているということは言えるのではないだろうか。

それにしても、震災後あまりにも無駄な会議が延々と行われている現状をみると、本当に情けなくなってしまう。

2011年5月13日 (金)

「交渉上手」は生き上手/久保利英明

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 交渉の際に、相手の言葉を逐一メモする方がいる。しかし、私は交渉の中心人物は一切メモをとらないことをお勧めする。(中略)
 こう申し上げるのも、メモより、相手の顔を見ながら交渉するというのが大事だからである。
 交渉の大前提として、「自分の主張することだけを言おう、言おうと思うな」ということがある。相手がどういうことを言ってくるか、相手が話しているときは徹底して聞き役でいる。相手がどういう顔をしたときに、どう言ったかというのを覚えるくらいのつもりで、じっと相手の言うことを聞く。目の動きなども含めて、総合的な判断材料を手にしていくつもりで対峙していただきたい。
 にもかかわらず、一生懸命メモをとっていると、そこを見過ごしてしまう。大事なメッセージというのは、実はほとんど言葉としては出てこないということである。ゼスチュアや目の動きこそが情報の宝庫なのだ。(P127~129)

メモを勧める本は多数存在するが、メモの弊害を指摘する本はあまりない。

会社に入社した新人が教えられることの一つに、上司や先輩の言うことをメモするというものがある。

普通、新人が会議やミーティングでメモ用紙やノートを持ってこなければ注意されるのではないだろうか。

メモすることを習慣にすることはビジネスマンにとって大事なことだ、

しかし、ある程度身に付いたならば、その場に応じたやり方を身に付けるべきだ。

久保利氏が言っているように、確かにメモをしている瞬間は、相手の表情をみることはできない。

もし、大事な情報が相手の表情や動作にあるとしたら、メモをすることによって、その大事な情報を得る機会を失ってしまうことになる。

これは致命的である。

逆に考えれば、メモをするという行為一つをとってみても、その人がその場で何を大事だと思っているのかがわかるということ。

何かをする場合、その目的をよく考えた上、何を優先にすべきかを選択する。

そのような思考をいつも持つことが大事だということであろう。

2011年5月12日 (木)

ビジネスマンのための「個性」育成術/黒木靖夫

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 笑い話だが盛田がパリで風邪を引いて寝込んだことがある。ソニーの社員が「良く効く薬があります」と言って差し出したのだが、盛田は「フランスの薬は強すぎる」と拒んだ。社員が「でも盛田さんは国際人ではないですか」と重ねて言うと盛田はこう答えた。
 「国際人というのはまずオリジナルな国があってこそ国際人だ。それがなければただのボヘミアンだ」
 ゼネラリストはコスモポリタンという言葉に似ているところがある。国際人というのは何もできないゼネラリストのように、どこの国が本国か分からない印象を与える。世界に通用する個性とはまずもって国籍や専門を明確にした上で、かつ相手の国や人の立場を理解する能力を養うことから始まる。(P136)

今、一部の日本企業で社内の公用語を英語にしようとする試みがはじまっているが、英語をしゃべれれば国際人というわけではない。

むしろ、日本人としてのアイデンティティを確立することが何よりも大事だ。

ソニーの盛田氏といえば、ソニーを国際的な企業に成長させた立役者である。

同時に、石原慎太郎との共著『Noと言える日本人』でも象徴されるように、日本人としての強烈なアイデンティティを押し出した人物だ。

盛田氏が世界中から受け入れられたのは、まず日本人というアイデンティティを明確にした上で国際問題を論じたからであり、国連の事務総長的発言をしたからではない。

今後、経済の世界では国境は益々ボーダレス化していくことが予想される。

日本の内需は今後益々縮小し、日本の企業は海外に販路を見出さざるを得ない。

しかし、だからこそ、日本人としてのアイデンティティをしっかりと確立していかなければ、それこそ弥次郎兵衛のようにふらついてしまうことだろう。

今回の大震災を機に、もう一度日本人としてのアイデンティティを深く考え、まず学校教育から建て直していく必要があるのではないだろうか。

2011年5月11日 (水)

戦略の失敗学/森谷正規

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 いま問題になっている失敗の多くは、現場においてミスも不手際も不注意も怠慢もないのに生じる。みなが真面目に一生懸命に働いているのに、失敗が生じるのだ。いったいなぜなのか。
 それは戦略に問題があるからだ。やっていることに戦略がない、あるいは戦略がまずいから失敗するのである。(中略)
 いまも日本の底力は強い。その強さを活かせば、いま直面している経済恐慌を何とか凌ぐことができる。だが、この厳しい時代に、確かな戦略がないと大失敗をし、強いはずの現場の力を十分に発揮できない恐れが大きい。いまの時代に真面目だけでは生きてはいけず、したたかな戦略が必要である。(P13~14)

かつて、高度成長期には戦略はそれほど必要とされなかった。

米国の後を必死になって追っていればよかった。

なすべきことは自ずから決まっていて、現場がひたすら頑張ればよかった。

ところが、米国に追いつき、追い越して成功を謳歌している間に、時代は大きく変化していった。

韓国、台湾、中国が力をつけきて、安値で国際市場に参入してきて、国際競争が一段と激しくなった。

大量に安く作ることにおいては、日本はかなわない。

日本はシェアをどんどん奪われていった。

また国内においても、成長の後の成熟の時代に入って、様々な問題が顕在化していった。

もはや、現場がまじめに一生懸命働けば勝てる時代ではなくなってきている。

それだけに、企業にも国家にも戦略が必要になってくる。

しかし、歴史的に見ても、戦略は日本にとって苦手科目である。

戦略という言葉は頻繁に使われるようになったが、言葉が踊っているだけのように感じる。

今、震災後の復興が遅れているのも、国家に戦略がないからである。

何をしたいのか、全く見えてこない。

これでは現場がどんなに一生懸命働いてもダメである。

今の日本に必要なのは、国家としての戦略でありビジョンである。

2011年5月10日 (火)

日本軍の教訓/日下公人

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 だいいち、日本語の「潔く」という言葉自体が、英語にはない。私は以前、渡部昇一氏に「『潔く』にあたる英語はありますか?」と聞いたことがある。すると渡部氏は、「百年ぐらい前は『マンリー』(現代英語では「男らしく」という意味)があったが、いまはありませんね」と答えた。
 ということは、国際社会において日本流の「潔さ」はなかなか理解されない。
 昭和の日本軍は敗戦に至ったときも「じたばたしたって、お互いに得はない。手間がかかるだけだから、処断は一切をあなたに委ねます」とばかりに、徹底的な武装解除に応じた。敗戦当時の日本軍は、「潔く、誠意をみせれば、相手もけっして悪くはしないだろう」と考えた。「彼らが礼儀正しく、われわれ日本軍を処遇してくれたら、日米友好親善は、将来末長く続くであろう」と考えた。(P181~182)

「潔く」に類する言葉は英語にはないということ。

言葉がないということは、そもそもそのような考えがないということ。

そのような相手に対して、「潔く交渉を断念しよう」とか「潔く戦おう」とかの、日本流は通用しないということ。

今の世界は、「相手に隙あらば徹底的にいたぶってやれ」という風潮が色濃く現れ始めている。

国際交渉では、土壇場に至るまで、次々に条件を出しつづけることが常識である。

にも関わらず、日本の外交交渉をみていると、どこかに「日本の真意」を察してくれるのが当然だという、日本独特の思い込みが存在するように感じる。

とことん交渉するのではなく、中途半端な状態で、「潔く交渉を断念する」という方向に向かいがちである。

つまり、交渉途中で思考停止状態に陥ってしまい、それを「潔く」という言葉に逃げるというパターン。

「潔く」という言葉に日本人の国民性が現れているように感じる。

2011年5月 9日 (月)

通貨燃ゆ/谷口智彦

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 1990年6月の東ベルリンは、東西両ドイツ通貨の統合を目前に控えていた。必要な取材が終わり、西側にあるティーゲル国際空港へ移動しようと地下鉄の駅へ向かっていたら、白タクに呼び止められた。
 当時の東ドイツを走っていた大衆車「トラバント」の助手席に乗り込んではみたものの、果たして間違いなく届けてくれるか心配だった。ハンドルを握る男は、ものの半年と少し前、「壁」崩壊前なら、西側に足を踏み入れたことさえなかったはずだからである。
 英語を上手に話すので素性を尋ねると、東ドイツ中央政府産業省に勤める国家官僚だという。仕事がないから、午後はアルバイトでタクシーをやっているとのこと、空港までの道はとっくにそらんじている様子だった。
 そして無事飛行場へ着いた時、思いついて、使い残しの東独マルク紙幣をみな手渡した。東独が国家として立派に存在していた時代ですら、東独マルクを日本へ持ち帰ったところで円と交換することはできなかった。持っていても仕方がなかったからである。するとその時、高級官僚兼アルバイト運転手の彼はこう言った。
「ありがとう。あと二週間でみんな紙切れだけどな」……。
 革命の女闘士「ローザ・ルクセンブルグ」の肖像などをあしらった紙幣は、いかにも紙幣らしい装いを保ってはいるけれど、もうじきただの紙切れになる。紙幣の信用とは国家が保証しているもので、国が消えてなくなるなら紙幣も一片の紙片にならざるを得ない。単純だが、滅多にお目にかかれない真理を目撃できた瞬間だった。
 通貨とはこのように、しょせんはフィクション(虚構)に過ぎない。(P121~122)

これまで一定の価値を持っていた通貨が一夜のうちに単なる紙切れになる、

こんな経験は、日本人である私は経験したことはない。

しかし、このエピソードに、通貨の本質が示されているように感じる。

つまり、通貨とは信用によって成り立っている、信用がなくなれば単なる紙切れになってしまう、という事実。

つまり著者の言うように、通貨とはしょせんはフィクションだということ。

そして、このフィクションによって、今世界中が振り回されている。

サブプライムローン問題、リーマンショック、ギリシャショック、等々・・・

全てカネがカネを生むというフィクションの世界で、ある日突然信用不安が起こる、

最悪の場合、ある日突然、貨幣やそれに代わる証券が紙切れになってしまう。

そして、それを前提に、国は目に見えない戦争をしている。

つまり、いかに自国の通貨の信用力を高め、他国の通貨の信用を失墜させるかという争いである。

それがある時には、円の乱高下、株安といったことに表れる。

フィクション、これが今の世界だということであろう。

2011年5月 8日 (日)

会社の歯車から抜け出す方法/田淵裕哉

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 歴史上の素晴らしい人物に吉田松陰がいます。彼は長州の田舎で松下村塾を開き、後の明治維新の指導者となる木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋などを育てました。彼の指導は非常にユニークで、彼は生徒に先生になってもらって、それぞれの得意なことを教え合うというやり方をしました。
 後に彼が幕府から危険人物と見なされ投獄されたとき、獄の中で特別にVIP扱いをされます。なぜだと思いますか?実は、獄中でも吉田松陰は、罪人たちの良いところを見い出し、それぞれが先生になって、皆で教え合うという同じやり方をしたそうです。すると獄中の雰囲気が一変して、良い雰囲気になり、罪人たちの態度が良くなって、皆が更生の道を歩み始めたそうです。
 そのような良い結果をもたらした松陰を幕府は獄中でも特別にVIP待遇したという逸話が残っています。すごいことですね。なぜ、そのようになったのでしょうか?それは明らかです。罪人達が変わったのは、吉田松陰が、彼らの価値を見い出し、それを認め、そして実際にそれを周りの人と分かち合ったからです。罪人達は、皆が「先生」と呼ばれるようになりました。今までは人間のクズとして扱われていた罪人達が、「先生」と呼ばれるようになったのです。彼らは自分の存在価値を見い出し、今までの行いを悔い改めて、更生の道を歩み始めたのです。(P98~99)

吉田松陰は生徒に対して非常にユニークな指導をした。

それは、生徒に先生になってもらって、それぞれ教え合うという手法であった。

後に松陰は、幕府によって投獄されたときも、獄中の罪人たちに対しても同じような指導法で多くの罪人たちを更生させた。

このエピソードは、人を成長させるポイントについて明確に語っている。

つまり、人はいつまでも教えられる側に立っていたのでは成長は止まってしまうということ。

ある段階まで来たら、教える側に立たせる、

人に教えるには、自分がまず勉強しなければならない。

1つのことを教えるのに、10の勉強をしなければならない。

これが人を成長させる。

更に、教える側に立つことによって、人は「自己重要感」を持つことができる。

人は誰もが「かけがいのない一人の重要な人間」として「認められたい」と思っている。

これが「自己重要感」であり、

このような人たちを「認められたい症候群」と呼ぶ。

これら2つのことが教える側に立つことによって得られる。

このことを既に幕末の時代、松陰が行っていたというのだから驚きだ。

2011年5月 7日 (土)

ワーキングプア/門倉貴史

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 さらに、日本の企業は、終身雇用制度・年功序列賃金制度が円滑に機能するよう、企業内教育を積極的に行った。欧米の企業は、基本的には、必要なときに必要な人材を採用するというスタンスであるため、企業内で従業員の訓練を行うことはない。すでにスキルを備えた人材を外から調達してくるのだ。これに対して、終身雇用制度を採用する日本の企業は、基本的に高校や大学を卒業したばかりのスキルのない人たちを採用するわけだから、企業のなかでスキルを身につけさせるためのさまざまな教育訓練を実施しなくてはならない。その場合、スキルの習得は、企業内で勤続年数の長い上司によって行われることが多かった。しかし、バブルが崩壊した1990年代以降、日本企業は、終身雇用制度・年功序列賃金制度を維持することが困難になってきている。(P99)

門倉氏の「欧米の企業は、基本的には、必要なときに必要な人材を採用するというスタンスであるため、企業内で従業員の訓練を行うことはない」という指摘は明らかに間違っている。

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統計によると、日本企業の従業員一人あたりの研修費用は欧米企業の2分の1以下である。

それどころか、中国企業にも大きく劣る。

もちろん、お金をかければよいというわけではないが、企業の人材育成への姿勢を測る一つの目安にはなる。

ただ、著者の言うように、日本企業では昔から、上司が部下に教えるOJTは行われてきた。

これが日本企業の強みであったわけだが、

終身雇用・年功序列制度が崩壊した今、日本企業の強みであったOJTすらもおろそかになってきている。

企業間競争の激化により、仕事が忙しくなり、自分の仕事をこなすことが精一杯、とても部下の育成までかまっていられないというのが現状である。

これでは国際競争に負けるのは目に見えている。

日本企業は社員の教育にもっとお金をかけるべきである。

手遅れにならない前に。

2011年5月 6日 (金)

野村ノート/野村克也

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 江夏は南海移籍1年目は5勝しかしていない。ボールを受けていても、もうかつての快速球なんて微塵も感じることがなく、投球術でごまかしているだけだった。
 あるとき、「おまえ、プロに入ってからでもいい、ピッチャーをやり始めてからでもいい、ボールより重いもんもつたことあるのか?」と聞いたら「ない」と返ってきた。
江夏クラスになると荷物から何から全部裏方さんがもってくれ、「左手でもつのはマージャンのパイぐらいだなあ」と冗談を返された。
 だからこういった。
「マージャンのパイなんてボールより軽いじゃないか。おれにだまされたと思って、いうとおりにやってみんか」と。それで腕立て伏せをやらせた。
 当時のメッツのエース、トム・シーバーがひじを壊したとき、医者に行っても治らなかったのが腕立て伏せをやったらよくなったという記事が新聞に出ていた。だからといって、記事で読んだだけのことを無責任に押しつけたわけではない。実は私もその数年前にひじを痛め、その記事を信じて毎日腕立て伏せに取り組んだことがあった。
 そうしたら痛みが消えたという経験があったのだ。
 ひじを痛めるときはだいたいひじの内側だ。外側は鍛える機会はあるのだが、内側となるとなかなか筋肉自体使うことがない。しかも当時は重たいものをもってはいけない、ウエイトトレーニングなんかもってのほかという時代だった。
 私という教材がすでにあったため、それを話してからは江夏は必死に腕立て伏せをし始めた。
阪神担当の記者が来て、「信じられない。どういうふうに江夏を説得したんですか」と驚くから、「説得なんかしてないよ。おれがやって治ったから、おまえもやってみんかといっただけだ」と話したのだが、みんな阪神時代のぐうたらな江夏を知っているから、何かいって江夏をいいくるめたんだろうと決めつけ、誰も私の説明を信じなかった。
 南海に来て2年目の田辺キャンプ初日、キャッチボールをやっていると彼がすごい笑顔になった。「キャッチボールして痛くないのはもう何年かぶりだ」と。(P220~222)

野村監督のもと、多くの選手が復活したことから、「野村再生工場」とよく言われた。

どうしてそれが可能だったのか、

それは自分の体験と理論に裏打ちされた言葉を持っていたから、ということができる。

自分の体験だけでは弱いし、理論だけでも弱い。双方が必要だ。

特に自分の成功体験を人に押しつけるのは、有害ですらある。

なぜならそのことが間違っていたり、迷信であったりする可能性があるからだ。

たとえば、私が高校生の時代、サッカーをやっていたのだが、様々な迷信があったことを覚えている。

「試合中や練習中は水を飲むな」とか、「サッカー選手は水泳をやってはいけない」とか、

今考えると、全て迷信である。

今、スポーツ選手は、水分補給の重要性を認識しているし、水泳もメニューに積極的に取り入れている。

だから、自分の体験だけでは弱いのである。

かといって、理論だけでは説得力がない。

かつての江夏のようなプライドの固まりのような選手に、理論だけを説いても動きはしないだろう。

やはり、自らの体験と理論に裏打ちされた言葉、これが必要だということであり、これはビジネスの世界でも同様のことが言える。

会社で上司が部下を動かそうとするとき、この点に留意すべきだろう。

2011年5月 5日 (木)

組織を活性化する技術/名倉広明

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 アフリカの原野から動物園に連れてこられたトラやライオンは、昼間も寝ていてまったく元気がなく、起きているのは飼育係からエサをもらうほんの数分間だけだ。見ていても面白くない。
 ところが、革新的な取り組みで注目を集めている動物園がある。北海道の旭山動物園だ。旭山動物園では、さまざまな工夫によって動物たちの「野生のモチベーション」を引き出している。野生動物から見ると、人間は彼らのテリトリー内に出没する獲物である。この点をふまえ、旭山動物園では、檻をなくし、サバンナにいるときの緊張を保つような設計がなされている。動物が自分でモチベーションを開発したのではなく、スタッフが動物の野生を引き出したのだ。(P215)

モチベーションクライシスという言葉がある。

従業員の働く意欲(モチベーション)の危機的低下という意味だ。

働く意欲の危機的低下の背景には、企業と働く人の関係の変化がある。

従来、日本の企業は、終身雇用・年功序列型賃金・退職金制度が保証となり、見返りとして個人は、「会社への忠誠心」を提供してきた。

それにより、一つの企業に長く働き続けるモチベーションの維持を可能にしてきた。

しかし、成果主義の導入が進むと共に、このような関係が崩れてきた。

これがモチベーションクライシスの背景だ。

しかし、では、終身雇用・年功序列・退職金という制度は、本当に働く人のためになったのか。

これらはある意味、企業が働く人を「檻に入れられたライオン」の状態にする飼い殺しの施策であり、決して働く人のためにはならない。

あくまで、「働く人を長い間、企業に留めておく」、という企業を主体にした考え方だ。

これが崩れた今、新しい企業と働く人との関係が求められている。

その意味で、モチベーションは、企業にとって大きな課題である。

上記は旭山動物園の「野生のモチベーション」を引き出す取り組みだが、働く人々にも同じことが言えるのではないだろうか。

元々自分の持っているスキルや特性が、職場によって活かされること、

働く人がいきいきと自分を表現でき、働くことを喜びと感じられる職場を設計し整備すること。

これらの取り組みをすれば、人々が本来持っているものが引き出されるのではないだろうか。

モチベーションの語源はラテン語のmovereであり、「何かを求めて動かす」という意味があると言う。

つまり、あくまで主体は本人であり、会社の役割は支援だということ。

自分のボスは自分であるという視点に立ち、会社はその土台を支援していく。

ここにモチベーションの再生に必要なヒントがある。

2011年5月 4日 (水)

そうだったのか! 現代史/池上彰

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 「ベトナム戦争でアメリカは勝てない」
 私が最初にそう思ったのは、高校生のときでした。
 新聞に掲載された一枚の写真を見たのがきっかけです。ベトナム戦争が激化していた頃の、ある日のことでした。稲穂が実った田んぼの真ん中を、アメリカ軍の戦車が走っている場面でした。
 稲穂は無残に倒れて、戦車の通った跡がくっきり残っています。
 このアメリカ人たちには、米に対するアジア人の思いは理解できない。私はそう感じたのです。
 アメリカ人にとって、田んぼに広がる稲穂は、ただの草だったのでしょうか。見渡す限り平らに広がる草原だったら、戦車で草をなぎ倒すのも快感でしょう。
 しかし、それは穂でした。
 私たちアジア人がもっとも大切にしているものです。
 そんな思いを知らないまま軍隊をいくら送り込んでも、現地の人々の支持を得ることはできません。
 「この戦争、結局はアメリカが負けるだろう」
 私はそう思ったのです。

戦争に勝つには戦略、戦術、物量、兵士の士気、等々、そのようなものが必要だと一般には考えられている。

しかし、それであればベトナム戦争でアメリカが敗北することなどあり得ない。

ところが現実には、ベトナム戦争は泥沼化し、結局アメリカはベトナムから軍を引き上げざるを得ない状況に陥り、終結を迎える。

物事をみるとき、「鳥の目」と「虫の目」が必要だと言われる。

「鳥の目」とは、物事を大局的に、俯瞰的にみる目、

「虫の目」とは、虫が見るように、近距離から複眼をつかって様々な角度から注意深く見る目、

このことから考えると、当時のアメリカ、およびアメリカ人は、「虫の目」で見ようとしていなかったのでは、ということが言える。

池上氏が指摘しているように、彼らはベトナム人の大切にしているものを踏みにじるような行為を平気でしている。

これでベトナム人の支持を集められるはずがない。

その結果、事実上、戦争に負けてしまう。

これを教訓とし、学べば良いのだが、どうも同じことを繰り返しているようだ。

その後、イラクでも同じようなことを繰り返した。

そして、今回のオサマ・ビン・ラディンの殺害、

これによってテロを誘発しなければ良いのだが・・・

2011年5月 3日 (火)

ハンバーガーの教訓/原田泳幸

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 アップルコンピュータの日本法人社長に就任したときにしても、どん底といえるほどの低迷期だったため、多くの知人から「そんな就任を引き受けるのはバカだ」と言われたほどだった。
 しかし、アップルコンピュータ日本法人の社長に就任したとき、私が記者クラブで話したのは、「アップルが失敗したのは外的要因ではなく内的要因です」ということだった。
 この頃は、ウィンドウズ95が急速に普及しており、それがアップル不振の大きな要因と見られていたが、問題はウィンドウズという外部の存在にあったわけではない。ウィンドウズとのOS戦争に目を奪われすぎて、アップルが「アップルらしさ」を忘れていたことにあったのだ。本書ではアップルコンピュータ時代の話は詳しく書かないでおくが、社長就任時に私は「必ずアップルらしさを取り戻して業績を回復します」と会見し、実際にそれを果たすことができたのである。
 私はこのときの体験から、何かのチャレンジをして失敗するのは敗北者ではなく、「何もしないままで負けるのが敗北者なのだ」と学ぶことができている。(P49~50)

アップルコンピュータ日本法人の建て直しを実現し、その後日本マクドナルドの社長に就任し、ここでもV字回復を成し遂げた原田氏、

当時、「マックからマックへ」と話題になったことを思い出す。

企業の業績が悪くなったとき、とかく外部に要因を求める傾向がある。

しかし、企業の業績が悪化するのは「外的要因」によるのではなく内的要因」によると原田氏は言う。

確かにきっかけは外部の環境からくることが多い、

今であれば、震災の影響というものが最も大きいであろう。

しかし、同じような外部の影響を受けても、それによって本当にダメになってしまう会社と、

それによって一時は業績が悪化しても、それに持ちこたえ、やがてより強くなって復活する企業がある。

その違いはどこにあるのだろう。

ポイントは「らしさ」だと原田氏は言う。

企業には、そこに脈々と受け継がれているDNAがある。

それはその企業の風土であったり、独自技術であったり、そのような形で表れる。

その「らしさ」を取り戻し、立ち返ることによって、企業は立ち直ることができる。

実際にそのことを実行し、実現させてきた原田氏の言うことだけに説得力がある。

今、このような時代だからこそ、必要なポイントではないだろうか。

2011年5月 2日 (月)

朝10時までに仕事は片づける/高井伸夫

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 仕事の効率を少しでも上げていかなければならない時代に、一人でできる仕事を二人、三人にやらせたら、能力はレベルダウンするに決まっています。やる気もなくなります。ワークシェアリングがダメなことは、それをやったフォルクスワーゲンが、やらなかったベンツに大差で負けたことによっても証明されているのです。
 どうしてもやるなら、アメリカのミュージカルの本場ブロードウェイで実行された方式がよいと思います。
 ニューヨークで貿易センタービルへのテロがあった後、緊急事態ということで賃金を一律25パーセント下げ、社員全員が営業マンになって、客引き、アピールをしたと伝えられています。
 一律に25パーセント下げられるのがアメリカで、日本ではそういう荒療治は法的にできません。それでも最近最高裁から、
「賃金ダウンもあり得る時代になってきた」
という判断がくだされたので、現段階では20パーセントダウンくらいまで大丈夫と思われます。
 賃金ダウンは働く者にとって大きな痛手ですから、下がらないに越したことはありませんが、生き残りたいならこっちを選ぶか、もしくは思い切った人減らしをするしかないでしょう。
 人も減らさない、賃金も大幅に下げない、仕事は少しやればいい、というワークシェアリングの発想は、いまあるもので食いつないで、後は座して死を待つという以外の何ものでもありません。(P100~101)

一時ワークシェアリングが話題になったことがあった。

1人でできる仕事を2人、3人で行う、その分労働時間は短くなり賃金は減るが、それによって雇用を確保するという発想である。

ワークシェアリングは雇用の確保という面では少々効果があるかもしれないが、生産性の向上、能力向上という面から考えれば明らかにマイナスである。

それは社会主義の失敗によって証明されている。

どうして社会主義がうまくいかなかったのか、

たとえば、頑張っても頑張らなくても給料が同じであれば、「だったら頑張らない」となってしまうのが人間である。

人は仕事によってお金以外の様々なものを得る。

やりがい、生きがい、キャリアアップ、社会貢献、人からの感謝、等々・・・

しかし、ワークシェアリングの発想は、その仕事を「作業」のレベルまで下げてしまう。

「作業」であれば、「こなせばよい」となる。

一定の時間、決められた作業をして、決められた賃金を受取り、後は自分の好きなことをやる。

こんな人ばかりが増えたら、企業は確実に潰れる。

これから先、雇用の場が減ると、またワークシェアリングの導入が論じられるようになるかもしれないが、そのマイナス面はしっかりと押えておく必要がある。

2011年5月 1日 (日)

A4脳が成功する!/三木雄信

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 「睡眠の原則」とは、「今日できることは今日中に終えて、それ以外のことは明日やることと分類して今日は忘れる」ことです。明日やることは明日になれば自然と処理することになるはずですから、これ以上心配することはありません。
 この解決策も、私は孫正義からヒントを得ました。夜、孫正義と会議をしていると、12時を過ぎたぐらいには孫正義が「よし、見えてきたぞ」と必ず叫んで帰宅するのです。実は、こう孫正義が叫んでも全く「見えてきていない」ことのほうが多いのです。しかし、必ず叫んで帰ります。ある時、気づきました。「よし、見えてきたぞ」という言葉は、「今日見える限りは、見えてきたぞ」という、仕事を終わらせるための言葉だったのです。このような言葉で仕事を終わらせないと、確かにソフトバンクの社長という仕事を続けることは到底できないと思います。このために編み出された言葉なのです。
 このような考え方は聖書でも述べられています。「マタイ伝6章25節~34節」に「明日のことをおもいわずらうなかれ、明日は明日のことを思いわずらえ、一日の苦労は一日にて足れり」とあります。

考えることと、悩むこととはちがう。

考えると何らかの解答が導き出される。

だが、悩んでも同じところをグルグル回るだけで何も解答が得られないことが多い。

では、悩むことは無駄なことなのか、

そんなことはない。

悩むことによって人間的に成長することは誰もが経験することである。

政治学者の姜尚中氏も「悩む力」という本を著し、

最後まで「悩み」を手放すことなく真の強さを掴み取る生き方を提唱している。

悩むことは無駄ではないのだ。

しかし、ビジネスの場面では、悩んでばかりでは何も前に進まない、

考えて、考えて、考え抜いて、何らかの解答を導き出すことが大事だ。

やはり、ビジネスは結果が全て、

次々に策を打ち出し、実行していかなければ、良い結果を得ることはできない。

孫正義氏が会議が12時を過ぎた頃になると「よし、見えてきたぞ」と必ず叫んで帰宅するという。

ある意味、これは自己暗示だと言えるが、頭を切り換えるには良い方法だと思う。

物事を前に進めるには、自己暗示も有効な手段となるということではないだろうか。

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