通貨燃ゆ/谷口智彦
1990年6月の東ベルリンは、東西両ドイツ通貨の統合を目前に控えていた。必要な取材が終わり、西側にあるティーゲル国際空港へ移動しようと地下鉄の駅へ向かっていたら、白タクに呼び止められた。
当時の東ドイツを走っていた大衆車「トラバント」の助手席に乗り込んではみたものの、果たして間違いなく届けてくれるか心配だった。ハンドルを握る男は、ものの半年と少し前、「壁」崩壊前なら、西側に足を踏み入れたことさえなかったはずだからである。
英語を上手に話すので素性を尋ねると、東ドイツ中央政府産業省に勤める国家官僚だという。仕事がないから、午後はアルバイトでタクシーをやっているとのこと、空港までの道はとっくにそらんじている様子だった。
そして無事飛行場へ着いた時、思いついて、使い残しの東独マルク紙幣をみな手渡した。東独が国家として立派に存在していた時代ですら、東独マルクを日本へ持ち帰ったところで円と交換することはできなかった。持っていても仕方がなかったからである。するとその時、高級官僚兼アルバイト運転手の彼はこう言った。
「ありがとう。あと二週間でみんな紙切れだけどな」……。
革命の女闘士「ローザ・ルクセンブルグ」の肖像などをあしらった紙幣は、いかにも紙幣らしい装いを保ってはいるけれど、もうじきただの紙切れになる。紙幣の信用とは国家が保証しているもので、国が消えてなくなるなら紙幣も一片の紙片にならざるを得ない。単純だが、滅多にお目にかかれない真理を目撃できた瞬間だった。
通貨とはこのように、しょせんはフィクション(虚構)に過ぎない。(P121~122)
これまで一定の価値を持っていた通貨が一夜のうちに単なる紙切れになる、
こんな経験は、日本人である私は経験したことはない。
しかし、このエピソードに、通貨の本質が示されているように感じる。
つまり、通貨とは信用によって成り立っている、信用がなくなれば単なる紙切れになってしまう、という事実。
つまり著者の言うように、通貨とはしょせんはフィクションだということ。
そして、このフィクションによって、今世界中が振り回されている。
サブプライムローン問題、リーマンショック、ギリシャショック、等々・・・
全てカネがカネを生むというフィクションの世界で、ある日突然信用不安が起こる、
最悪の場合、ある日突然、貨幣やそれに代わる証券が紙切れになってしまう。
そして、それを前提に、国は目に見えない戦争をしている。
つまり、いかに自国の通貨の信用力を高め、他国の通貨の信用を失墜させるかという争いである。
それがある時には、円の乱高下、株安といったことに表れる。
フィクション、これが今の世界だということであろう。
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