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2011年7月15日 (金)

海の都の物語 5/塩野七生

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 イタリア語に、ペッカート・モルターレという言葉がある。非常な大罪とか死に等しき罪とかいう意味で、これを犯すと死後の地獄行きはまぬがれない。それからはじまって絶対にやってはならぬこととか、やろうにも気質的にできないことなどを、一言で言うのにも使われる。
 ヴェネツィア人にとって、資本の非効率的な運用とは、ペッカート・モルターレではなかったかと、私には思えてならない。中世経済史学者イェール大学のロペツ教授をして、国政すらも私企業経営と同じ精神で経営した、と言わせたほどのヴェネツィア人である。
 十三、十四、十五世紀と、ヴェネツィア人の活動の中心が海外にあり、ヴェネツィア経済の主力が交易に依存していたのは、それをすることが、彼らの資本の効率的な運用には最も適していたからである。そして、十六世紀の国内の産業振興による経済多角化も、そうすることが、彼らの資本の効率的な運用に適っていたからだ。よい多い利潤の追求は、商いの理である。十六世紀のヴェネツィァ人を、海洋民族の精神的堕落と決めつけるのは、カッコイイと思いこんでいた男に裏切られたと嘆く、男をわかっていない女の愚痴に似てはいないであろうか。
 もちろん、海に出て行く男はカッコイイ。海賊でさえ、カッコよく映る。しかし、かってのヴェネツィア人とて、海を愛したから海に出て行ったのではない。海に出て行くほうが、わりに合っていたからである。(P115~116)

十六世紀のヴェネツィア人は、先祖たちよりも、海洋民族である度合は少なくなったであろう。

しかし、これが、ヴェネツィア共和国の衰退に直接にはつながらなかった。

彼らは、いまだ、進取の精神は充分に持ち合わせていた。

乳を断たれた乳児に等しい、とされた十六世紀初頭の状態から、見事に立ち直ったのだから。

ヴェネツィア共和国というと海洋国家というイメージがあるが、それはその時代において資本の効率的な運用を考えた場合、海外貿易を中心に活動することが最も適していたから。

十六世紀の国内の産業振興による経済多角化も、そうすることが、彼らの資本の効率的な運用に適っていたから。

つまり、時代の変遷とともにやっていることは変化しても、その軸となる考え方は全く変わっていないということ。

まるで企業を経営をしているような精神で国政を行っている。

ある意味、このような環境へ適応する能力が、ヴェネツィア共和国が一千年を続いた理由ではないだろうか。

しかし、そのためには「変えてよいもの」と「決して変えてはならないもの」を明確に区別する必要がある。

「変えてはならないもの」は決して変えない、しかし、それ以外のものは環境の変化に適応し大胆に変えてゆく。

これが、国家であっても一企業であっても、時代を超えて生き残る秘訣なのではないだろうか。

進化論を唱えたダーウィンも言っている、

「強い者や賢い者が生き残るのではなく、変化に対応できる者が生き残るのだ」と。

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