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2011年7月の31件の記事

2011年7月31日 (日)

異形の大国 中国/櫻井よしこ

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 人類の歴史で、経済成長は多くの場合、民主主義の成長を助けてきた。しかし、中国は明らかにそうしたこれまでの世界の事例とは異なる。
 中国で、現段階で民主化が行われたと仮定してみよう。結果として、中国に生まれた豊かな階層の繁栄が脅かされるだろう。中国の富裕層は、中国共産党との繋がりの中で生まれ、力をつけてきた。10億人ともいわれる農民を極貧状態に置き去りにしたその土台のうえに、彼らの繁栄や自由が成り立っている。民主化、つまり、一人ひとりの国民を公正に扱い、国内でも国際社会でもルールを遵守する法治国家に変身すれば、多くの違法行為によって莫大な富を成した現在の勝者は、間違いなく、足を掬われる。経済成長によって潤い、社会の主流勢力となった彼らが、さらなる民主化を阻止する勢力となるゆえんである。したがって、中国では、世界の他の国々と違って、経済成長は民主化社会の構築を意味しないのだ。(P436~437)

政治は共産主義、経済は資本主義という矛盾した体制を維持し続けている中国。

本来であれば、経済成長は民主主義の成長を助けるはずだが、中国の場合はそれが当てはまらないと櫻井氏は言う。

中国の富裕層は、中国共産党とのつながりの中で生まれ力をつけてきた。

いわば大きな闇社会が形成されていると言える。

もし、民主化が行われれば、彼らの違法行為が明らかになる。

そんなことは決して容認できることではない。

だからあらゆる手を使って民主化を阻止しようとする。

今回の温州での高速鉄道事故も鉄道省の利権の構造が根本にあることは明らかだ。

そして、突き詰めていけば中国共産党との癒着に行き着くことであろう。

しかし、そんなことは決して明るみに出ることはない。

結局、どこかで幕引きとなり、本当の原因は闇に葬られることになるのであろう。

櫻井氏は、隣に中国という国が存在することは、天が日本に与え給うた永遠の艱難であると述べている。

1949年以来中国共産党が一党独裁を続ける現代中国は、異形の国家である。

もはや無視することのできないほど経済的に発展し、影響力を持つことになった中国。

この異形の大国とつき合いながら、その脅威をどう抑制していくかは、日本が如何に賢く、強くなっていくかという課題と同義語だ。

日本の対処のし方がこれからの日本の運命を決定づけるのであり、同様の問題は、日本だけでなく、世界全体が直面している問題でもある。

2011年7月30日 (土)

第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい/マルコム・グラッドウェル

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 初対面の人に会うとき、求職者を面接するとき、新しい考えに対処するとき、せっぱつまった状況でとっさに判断しなければならないとき。そういうときに、私たちは適応性無意識に頼る。たとえば学生の頃、担当教官が有能かどうかを判断するのに、私たちはどれくらいの時間を費やしただろう。最初の授業で?それとも二回目の授業のあと?一学期目の終わり?
 心理学者のナリニ・アンバディによれば、学生たちに教師の授業風景を撮影した音声なしのビデオを10秒間見せただけで、彼らは教師の力量をあっさり見抜いたという。見せるビデオを5秒に縮めても、評価は同じだった。わずか2秒のビデオでも、学生たちの判断は驚くほど一貫していた。さらに、こうした瞬時の判断を一学期終了後の評価と比べてみたところ、本質的な相違はなかったという。初顔の教師の無声ビデオを2秒見ただけで下した判断は、その教師の授業を何度も受けた学生の判断と大差なかった。これが適応性無意識の力である。(P18)

長時間考えた挙句に出した結論より、最初の印象でパッと出した結論や何となく出した結論の方が正しいのは、無意識の内に脳が働いて瞬時に的確な判断を下しているからだという。

自分の持てる情報をすべて活用したわけではなく、一発でわかる情報だけを使って瞬時に結論に達する脳の働きを「適応性無意識」と呼ぶ。

心理学で最も重要な新しい研究分野のひとつであるという。

適応性無意識は、フロイトの精神分析で言う無意識とは別物だ。

フロイトの無意識は暗くぼんやりしていて、意識すると心を乱すような欲望や記憶や空想をしまっておく場所だ。

対して適応性無意識は強力なコンピュータのようなもので、人が生きていくうえで必要な大量のデータを瞬時に処理してくれる。

歩いて通りに出た瞬間、トラックがこちらをめがけて突っ込んでくるのが見えたとする。

あらゆる行動の選択肢を考えている暇があるだろうか。もちろん、ない。

人類が厳しい生存競争を勝ち抜いてこれたのは、情報がわずかでも素早く適切な判断を下す能力を発達させてきたからにほかならない。

心理学者ティモシー・D・ウィルソンは著書『自分を知り、自分を変える「適応的無意識」の心理学』で、

「高度な思考の多くを無意識に譲り渡してこそ、心は最高に効率よく働ける。最新式のジェット旅客機が〈意識〉的なパイロットからの指示をほとんど必要とせず、自動操縦装置で飛ぶのと同じだ。適応性無意識は状況判断や危険告知、目標設定、行動の喚起などを、実に高度で効率的なやり方で行っている」と語っている。

この本を読むと、まだまだ自分の中には、未開発の無意識の部分が随分あるということに気づかされる。

2011年7月29日 (金)

サムソンの決定はなぜ世界一速いのか/吉川良三

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 何度でも確認しておかなければならないことですが、品質とは、メーカー側が判断するものではなく、お客さんが決めるものです。
 講演などでそのことを話すと、目からうろこが落ちたようになる人が多いのですが、そういう反応を示している時点で、スタートで出遅れてしまうのも当然だというのがわかります。サムスンではそれが当たり前のことだと受け止められているように、世界で勝負ができている企業のほとんどはそれをはっきりと認識しているからです。
 消費者にとってはほとんど意味をなさない部分の品質にこだわりすぎていることでは、開発のスピードを著しく落としてしまうことになりますが、このままでいてはトーナメント戦で勝てるはずがありません。インドではどういう洗濯機が人気になるかを考え、それがわかればすぐに商品化していく。そうした「地政学的製品企画」と「スピード」が、トーナメント戦で勝つための両輪になっていくのです。(P150)

トーナメント戦に臨むうえで最も重要になるのが、決定を速くすること。

相手の出方を窺っていたり、相手に対して優勢か劣勢かといったことを気にしているようでは戦いを勝ち抜いてはいけない。

とにかく大事なのは先頭を走ることに尽きる。

二番手ではダメなのだ。

日本では「石橋を叩いて渡る」慎重さが尊ばれる風潮があるが、韓国では逆だと言う。

韓国では頑丈な石橋であれば、渡ろうとはしない。

それを渡ったとしても、あとから二番手、三番手が追随してくるからだ。

石橋ではなく、木材が腐っているような橋なら渡る。

それを最初に渡り、振り返ったときにもまだ橋が崩れ落ちていなかったなら、叩き壊して、誰かが追随してくることもできないようにする。

これが韓国流の考え方だという。

この点、日本も学ぶ必要があるのではないだろうか。

そうでなければ、グローバルな戦いで勝者になることはできないとも言えよう。

2011年7月28日 (木)

ドトールコーヒー 「勝つか死ぬか」の創業記/鳥羽博道

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 店長になるにあたって私がいちばん最初に考えたこと、それは「喫茶業が世に存在する意義とは何か」ということだった。この疑問が解決しないかぎり何をするにしても先に進まないと思ったからだ。そこで私が出した答えは「一杯のコーヒーを通じて安らぎと活力を提供することこそが喫茶業の使命だ」ということだった。(P61)

上京して2年後、18歳でコーヒー豆の焙煎・卸業の会社に入った鳥羽氏。

19歳のとき、その働きぶりが社長の目に留まり、会社が有楽町に喫茶店を出店する際の店長に任命される。

このとき、鳥羽氏がいちばん最初に考えたのが喫茶店の存在意義であったということは興味深い。

普通、新しい任務を命じられたとき、はじめに考えるのは「何をどうするか」という方法論ではないだろうか。

ところが、方法論に最初から入った場合、何かうまくいかないことが起こった場合、折れてしまうことが多い。

ちょっとした壁であっても、乗り越えることができない。

これは雇われる側の人間であれば、ある程度許されることだが、経営者がこれでは致命的となる。

何かの事業を興し、成功させるためには、幾多の壁を乗り越える必要があるのだから。

ドトールコーヒーであっても、順風満帆で今に至ったわけではない。

様々な困難を乗り越えて今があるといって過言ではない。

成功の秘訣は「成功するまで続けること」とよく言うが、これは生易しいことではない。

やはり、これを支える「強い想い」が必要だ。

それが「事業の存在意義」「事業ミッション」と言われるものである。

つまり「How」ではなく「Why」から入る必要があるということ。

鳥羽氏が弱冠19歳で店長を任命されたとき、まず最初に喫茶店の存在意義を考えたというところに、すでに成功する経営者の資質を備えていたということが言えるのではないだろうか。

2011年7月27日 (水)

大局観/羽生善治

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 その加藤先生は指し方にもこだわりがあって、同じ作戦を何度でも納得されるまで繰り返して指す。
 相手も当然、それに合わせて研究をしてくるので、狙い撃ちをされやすい。野球にたとえるなら、どんなに速い球が投げられたとしても、球種がわかっていれば打ちやすいのと同じだ。
加藤先生もそれは承知のはずだが、信念として同じ作戦を貫いておられるようだ。(中略)
 勝率的な観点からいえば損をしているのではないかと、私は思っていたのだが、最近は少し見解が変わって来た。
 加藤先生は、何百局も同じ作戦を繰り返し指すことによって、その戦法の真髄を理解し、他の棋士には真似のできない技術を得ているのではないか。
 だからこそ、七十代になっても元気でモチベーションも高く対局に打ち込むことができるのではないだろうか。(P94~95)

羽生氏は「繰り返し」の重要性を、加藤一二三九段の例を上げて説いている。

加藤九段は史上初の中学生プロ棋士であり、弱冠十八歳にして、将棋界のトップが名を連ねるA級に昇級、この記録は現在まで破られていないという。

「神武以来の天才」と謳われたほどだから、早熟型の天才タイプと思われがちだが、実は七十代になった今も元気に現役で活躍しているとのこと。

その加藤九段、将棋の指し方以外の日常においても、徹底した繰り返しを貫いているとのこと。

例えば対局中、食事の時は昼も夜も同じ物を出前で注文する。

それも一局に限らず、半年とか一年の長期にわたって、ずっと同じ注文をするのだという。

寿司なら寿司の時期が半年間、天ぷら定食なら天ぷら定食の時期が一年間、という具合に継続する。

慣れている塾生だと、食事の注文を聞きに行く前から、加藤先生のオーダーだけは注文表に書いておき、おつりまで用意していたりするとのこと。

だから、加藤九段がいつものと違った注文をすると将棋会館のなかに大きな衝撃が走るという。

そういえば、一流と言われる人たちの中で、ルーチンを大事にしている人は意外と多い。

例えば、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏。

毎朝必ず8時2分に家を出て勤務先の京都産業大学へ通う。

駅で立つホームの位置から乗車する車両、その中での位置まで全く同じ。

帰宅してからの風呂は夜9時36分と決まっているという。

メジャーリーガーのイチロー選手も、打席に入るまで、毎回同じ動作を分刻みで寸分違わず繰り返している。

そういえば、哲学者カントは毎日 同じコースを同じ時刻に散歩をして、沿道の人々はそれを時計代わりに使っていた、という話を何かの本で読んだことがある。

このような例をいくつか見つけると、このような行動は、高いレベルの仕事をする人に共通する、普遍的一般的な行動パターンなのかもかもしれない。

通常軽視しがちなルーチンワークだが、意外とこの部分に能力を高め、よい仕事をするための秘訣があるのかもしれない。

2011年7月26日 (火)

そうだったのか!日本現代史/池上彰

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 バブルがはじけて初めて、人々は、これがバブルだったことに気づきました。バブルに踊った人々の責任を無視することはできませんが、それ以上に、日本経済の舵取りを誤った政治家、経済官僚の責任は重大です。
 バブル後に日本経済は低迷し、「失われた10年」と呼ばれることがあります。「問題を解決することができたチャンスをみすみす失った10年」だったのです。(中略)
 そこには、無責任な事なかれ主義、過去の経験だけを重視した経験主義、失敗から学ばない傲慢さばかりがあるのです。
 「おかしいと思ってもモノを言えない営業現場の銀行員。当局の意向に従うだけで、責任を取らない経営陣。視野の広い戦略を欠き、肝心の決断は先送りした当局。それは太平洋戦争における前線の兵士と将校、将校と参謀本部の関係と全く変わっていない」(日本経済新聞社編「検証バブル犯意なき過ち」)(P386~387)

バブル崩壊後の「失われた10年」とは「問題を解決することができたチャンスを失った10年」であると池上氏は言う。

「おかしいと思ってもモノを言えない営業現場の銀行員。当局の意向に従うだけで、責任を取らない経営陣。視野の広い戦略を欠き、肝心の決断は先送りした当局。」

これは太平洋戦争における前線の兵士と将校、将校と参謀本部の関係と全く変わっていないという。

そしてこれは、そのまま今の原発の問題に置き換えることができる。

つまり、戦中の組織と個人の関係が、今に至るまで形を変えて、繰り返し行われているということ。

結局のところ、日本人は、組織の中における個人はどのように考え、判断し、行動すべきかということをずっと問われてきているということではないだろうか。

日本人は集団の中に個を埋没させることが多い民族である。

このような特性は、日本の強みとして力を発揮することもある。

組織が正しい方向に進もうとしている時には、パワーが加速される。

しかし、マイナスに働くことも多い。

特に組織が間違った方向に進んでいこうとしている時に、ブレーキをかけることが困難になる。

だれもが組織の中に個を埋没させ、物言うことをせず、責任を取ろうともしない。

その結果、歯止めがかからなくなってしまう。

そして、ある時、大きな問題として表面化する。

これが日本の至るところで行われているのが実態ではないだろうか。

2011年7月25日 (月)

9割の病気は自分で治せる/岡本裕

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 忙しい診療業務を続けているうちに、ふと気付いたことがあります。
 私がいなくても治る人は治っていた。
 私がいても治らない人は治らなかった。
 という事例がいかに多いかということです。これは医者の私にとって非常に重い事実です。病気の状態(病態、疾患)をおおまかに分類してみると、次の3つのカテゴリーに分けることができます。
カテゴリー1:医者がかかわってもかかわらなくても治癒する病気
カテゴリー2:医者がかかわることによってはじめて治癒にいたる病気、言い換えると、医者がいないと治癒に至らない病気
カテゴリー3:医者がかかわってもかかわらなくても治癒に至らない病気
 開業医や市中病院の医者が日常診療で遭遇する疾病のほとんどは、カテゴリー1にあたります。その比率は、少なくとも、70%以上、多ければ90%以上だと思います。ちなみに私の場合、実際に数えてみますと、実に95%がカテゴリー1に属していました。(P28~29)

岡本氏によると、開業医、あるいは市中病院の勤務医が1日に外来で診る患者の数は平均で50~60人だという。

逆にいえば、1日50~60人くらい診ないと経営が成り立たないのも、医療現場の厳しい一面。

そうすると、実働時間を午前と午後でそれぞれ3~4時間くらいだとすると、必然的に1時間に10人くらい診る必要がある。

1時間に10人診るためには、1人5~6分しか時間が取れない。

どうしても、患者さんを機械的に「さばく」ことになる。

型通りの検査を指示し、決まったクスリの処方箋を出したりするだけのルーチンを回す。

要求されるのはスピードと正確さで、人間味や人間的なさじ加減は必要とされない。

いかに間違わずに検査をオーダーし、間違わずにクスリを処方するかが求められる。

そして課題は、上記カテゴリー1の患者をいかに確保するかということ。

カテゴリー1の患者に、クスリを投与し続け、できるだけ長く通院してもらう。

それによって、安定収入を確保する。

カテゴリー1の患者とは、病院からみれば「おいしい患者」である。

多くの病院の実態はこのようなものだという。

生きていく中でどうしてもつきあっていかなければならないのが病院。

それだけに、このような実態を知った上で、上手に利用していきたいものである。

2011年7月24日 (日)

吉越式会議/吉越浩一郎

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 マニュアルという言葉から受ける印象が、どうも日本人にはあまりよろしいものではないようです。マニュアル的な対応、などと言うと、ネガティブなイメージでしよう。
 しかし、そもそもマニュアルは、最低限これだけはやらなければならない、というもの。ところが現実はどうでしょうか。最低限やらなければならないことが、はたしていろいろな会社でできているでしょうか。できていないのにマニュアルがない。そういう会社がほとんどなのではないでしょうか。
 そして、何かが起こる度に、行き当たりばったりの対応をする。マニュアルがないから、ものすごく非効率なことがまかり通ってしまう。実は人間は、それほど優れた生き物ではないと私は思うのです。いろいろなことを、すぐに忘れてしまう。マニュアルがなければ、最低限やらなければいけないことすらできない存在だと思うべきなのです。実際、そうでしょう。ならば、マニュアルをもっと作ればいいのです。(P182~183)

トリンプ・インターナショナル・ジャパンの社長時代、「早朝会議」「完全ノー残業デー」「がんばるタイム」など、ユニークな仕組みを次々と打ち出し、19期連続の増収増益を達成した吉越氏。

意外なことに、吉越氏はマニュアル化を奨励している。

マニュアルという言葉からは「マニュアル人間」という言葉が連想される。

マニュアルに書いてあることしかやらず、臨機応変に行動することができない人を指す。

しかし、それはマニュアルの意味を間違って捉えている。

そもそもマニュアルとは最低限やらなければいけないことを書くものだが、多くの会社はそれすらもできていない。

そして、それができていないので、行き当たりばったりの対応をしてしまい、非効率なことがまかり通ることになるという。

これは確かにその通りである。

私の関与している中小企業の場合も、最低限のことすらもできていないところがほとんどである。

大企業では自律的社員の育成が課題となっているが、中小企業の場合、この段階に行くための基礎の部分ができていないのである。

やはり、最低限これだけはやらなければならないという部分は、ちゃんと標準化する必要がある。

つまりマニュアル化が必要だということであろう。

2011年7月23日 (土)

なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか/牧野知弘

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 平成初期のバブル時代、世の中は好景気に沸き、不動産価格が高騰し、一般庶民にはもうマイホームも手に入らない、ということが新聞や雑誌でも盛んに喧伝されました。
 当時は、本書でいうギャンブラーが宴を繰り広げていた時代でした。買って売るだけで巨万の富を稼げる時代にあって、度胸と根性だけで世の中を渡る、無節操なギャンブラーたちが幸福を掴んだかにも見えました。
 そんな光景を見て、新聞雑誌は、値上がりを続ける土地を目の敵にしました。政府の地価高騰に対する無策を非難し、土地の存在こそが、世の中を悪くするかのような、ヒステリックな論調を展開させました。
 ここで登場したのが、「地価は下げなければならない」という、信じがたいほどに観念的な意見でした。そして、どうやったら地価を下げられるか、という議論が連日、真面目に繰り返されました。(P234)

バブル崩壊は明らかに政策の失敗である。

資本主義の世の中では、需要と供給の不一致が長期にわたって続くことはきわめて稀なこと。

多くの人が住宅を買えない、高すぎて借りられないという事態に陥れば、やがて住宅は高値では売れなくなり、高値では貸せなくなるのが資本主義の原則。

ところが、バブル崩壊前夜、世の中のマスコミや一部の学者たちのエキセントリックな声に押されたのか、当時の政府や日銀はあわてて、徹底的な地価対策を講じた。

具体的には、国土計画法による一定規模以上の土地取引における価格の届出制度の制定、

金利の大幅な引き上げ、

地価税の新設、

一定規模以上の土地を保有するだけで固定資産税とは別の新たな税金をかけることまで行ない、土地を持つことに対して徹底した規制をかける。

さらにこれらの施策にとどめを刺すかたちで、金融機関に対して不動産関連融資の実施をほぼ全面的に規制する指導を行なうに至る。

このような人為的でかつ意図的な施策は、結局ギャンブラーが、マーケットからの退場を迫られるだけでは終わらなかった。

やがて土地を基盤として成り立っていた経済の信用構造を根底から崩し、一般企業の多くを信用危機、倒産に追い込む。

また、これらの企業に資金を貸し付けていた金融機関には不良債権が山積みされ、経営の屋台骨をも揺るがす事態へと発展する。

これがバブル崩壊である。

当時、「土地神話の打破」だとか「地価は絶対下げられる」といった論調の背景にあったものは、土地の持つ本質を理解したものではなかった。

「土地は害悪の象徴」といった、土地を軽く見て、侮蔑しようとする人たちの思い込みが中心だった。

そんな一部の声の大きな人たちの主張に引きずられて、土地の本質を無視した犯人探しと徹底的な規制の網かけを実行してしまった当時の政府の施策の数々は、世の中に大きな歪みと混乱をもたらす。

その結果、ギャンブラーのみならず、一般の市民をも巻き込む深刻な経済混乱を招くこととなる。

つまり、バブル崩壊とは土地の本質を見誤った政策の失敗である。

しかし、この一方に偏重しすぎた世論。

それを煽動するマスコミ。

更に、そのような世論を政争の具にしようと企てる政治家。

今の脱原発の議論の構図と酷似している。

同じ失敗を繰り返さねばいいのだが・・・

2011年7月22日 (金)

後藤田正晴と十二人の総理たち/佐々淳行

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「海部にはワシが話しておく。ワシントンに行って、戦さになるかどうかの判断の基準になるナマの情報をとってこい。君ならできる、いや、君しかできん。うまくいったらワシと海部と、そうだ橋本(大蔵大臣)に直接報告せい、官邸や外務省には報告無用」
 まさに“二元外交”だ。これでは隠密同心、草の者、お庭番だ。「死シテ屍拾ウモノナシ」だ。
 私は血が逆流するような使命感がわき起こるのを覚えた。私を評価して頼りにしてくれているのだ。(P84)

1990年、湾岸危機が発生したとき、後藤田氏はアメリカが攻撃を開始するかどうか、情報収集のため、佐々氏にワシントンに行くことを命じる。

二元外交を命じるわけだが、後藤田氏と佐々氏との長い間の信頼関係があったからこそ可能な命令であったのだろう。

特に後藤田氏の言った「君ならできる、いや、君しかできん」という言葉は、人を動かす言葉として、お手本のような言葉である。

佐々氏はこの言葉を聞いて、「私は血が逆流するような使命感がわき起こるのを覚えた。私を評価して頼りにしてくれているのだ。」と回想している。

「リーダーとは人を動かす言葉を持たねばならない」ということのお手本のようなエピソードである。

2011年7月21日 (木)

いい会社はどこにある?いい人材はどこにいる?/伊藤秀一

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 つい先日、私は電車の中で若い女性同士のこんな会話を聞きました。
A:「○○クン(たぶんAのカレ氏)、今はシゴ卜してないんだよねえ。バイトもたまにだけ。なんかもっとデッカいことがやりたいっていつも言ってる」
B:「へえ-、△△(たぶんBのカレ氏)も今年卒業なんだけど就活してないみたい。なんか『マジで好きなことを見つけるまで就職しない』って」
 耳を疑った私の感覚が今の時代に合っていないということなのでしょうか。自分のカレ氏が「定職についていないこと」を、特別な悩みでもなく日常会話として話しています。いや、むしろデッカい夢を抱いているその彼のことが自慢気にさえ聞こえてくるのはなぜでしょう。大風呂敷を拡げている割に定職を持たないオトコなど、ひと昔前だったらサイテーだったはずです。(P38~39)

多くの若者は「オレ流」や「個性」をはき違えて「働く」ことへの意義を見失っているように見える。

一擢千金を狙うだけでコツコツと働くことを嫌っていても、成長はない。

世の中の全員がプロ野球選手やアーティストではいられない。

ましてや、勤労意欲を失って家で引きこもってゲームばかりしていても一銭にもならない。

なぜこんな意識が根付いてしまったのだろうか。

高校や大学を卒業しても就職できない若者が増えている。

しかし、それは大企業に限った話し。

中小企業では恒常的に人材不足である。

中小企業に目を向ければ、いつでも就職できるだろう。

なぜ、それをしないのか。

デッカい夢を抱くことは必要だ。

しかし、夢と妄想とは違う。

今のニッポン、多くの若者が言っているデッカい夢とは、単なる妄想にすぎないのではないかと思えてならない。

2011年7月20日 (水)

「いい会社」とは何か/小野泉+古野庸一

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 リーダーシップの研究を行っているジェームズ・クーゼスとバリー・ポスナーは、過去10年以上にわたって、「自分が自ら喜んでついていくリーダーには、どんな条件があるのか」と3000名を上回るマネジャーに問い続けた。そのコアは、「信頼」であった。
 確信してきたことは、何よりも人々は信頼のできるリーダーを欲していることである。われわれはリーダーを信用したいのである。彼らの言葉は信頼でき、指導する知識と技術を持ち、われわれのむかっている方向について個人としても喜びを感じ、熱心さも感じることができる。だから信じたい。信頼感はリーダーシップの基礎なのである。(『信頼のリーダーシップ』クーゼス/ポスナー)
 まさに「信なくんば立たず」である。
 『論語』の中の名句である。子貢が孔子に政治の要諦を問うたとき、孔子は、「食糧」を十分にし、「軍備」を配置し、「信頼」を得ることが大事だと説いた。この中で、やむをえず捨ててもいいものを重ねて問うたところ、最後に残ったのが、「信頼」であった。
 経営にとって、「信頼」はそれほど大事なものである。しかし、1980年代から現在に至るまで、下がり続けている。不気味である。(P10~11)

日本生産性本部の調査によると、「会社の最高経営層に信頼感を持っている」という項目の支持率は、1982年の55%から2006年には37%へ下降している。

個人と組織の間にある「信頼」は、重要な経営資源だ。

経営に対する信頼がなければ、経営側が決定したことに対するコミットや組織に対する貢献は低いものになってしまう。

職場内での信頼がなくなっていけば、協力して何かを成し遂げようとしても、うまくことが運ばない状況がでてきてしまうことだろう。

そういう意味で、個人と組織の間にある「信頼」関係は、企業にとっては競争優位性の源泉であり、個人にとっては仕事生活をするうえでの満足感、充実感につながる。

いかに「信頼」が重要な経営資源であるかとういことであろう。

今回のなでしこジャパン、確かに監督と選手の信頼感、選手同士の信頼関係、これが優勝の原動力になったのは間違いない。

それに比べ、現政権与党の党首に対する信頼感のなさ、議員同士の信頼関係の希薄さ、うまくいかないのは当たり前だ。

2011年7月19日 (火)

あざやかな退任/高杉良

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「人間、出処進退はきれいにせんとな。問題は後継者が育てられるかどうかだ。自分がトップの椅子にしがみついていたい一心で、有能な者をスポイルしたり、しりぞけてしまうやからが、そこらに掃いて捨てるほどいるじゃないか。二期や三期無配がつづいても平気な顔で居坐る。七十、八十の爺さんが現役でがんばってるというのは老害以外のなにものでもないな。頭が硬くなっているから、フレキシブルな判断ができず、会社をあやうくするようなことになるんだ。私はそんな老醜をさらすのはまつぴらだ」(P43)

上記は、東京電子工業のワンマン社長、石原修が病床で語った言葉。

石原は日本触媒の創業社長、八谷泰造がモデルと言う。

石原はいったんは退院したものの、その後まもなく急死する。

忠実な番頭役として石原に仕えてきた副社長の宮本正男は、悲しむ間もなく、後継社長を決めなければならなくなる。

筆頭候補は唯ひとり代表権を持つ自分だった。

もちろん、宮本にも野心がある。

社長になりたくないわけではない。

しかし、自分がなってしまった場合、自分の後には、東京電子工業を支配下におこうとねらっている東亜電産から派遣されてきた専務の野村周造が社長になることになる。

更に、東亜電産社長の佐竹武夫は、会長は宮本、社長は野村、の線で一気に支配下におこうと圧力をかけてくる。

どうしたらいいのか?思い悩む宮本を主人公としてドラマは進行する。

そんな中、石原が生きていたら、まちがいなく後継者にしただろうと宮本が思う男が、常務の吉田敏明だった。

技術屋の吉田は一本気で、オーナー社長の石原にも臆せず言いたいことを言ってきた。

真正面から石原に反対意見をぶつけるのは吉田くらいだったが、石原もさすがで、そうした吉田を逆にかわいがってきた。

最終的に、宮本は、常務の吉田を一気に社長に昇格させ、自分は専務の野村を抱いて相談役に退き、東亜電算色を一掃することを決断する。

まさに「あざやかな退任」である。

宮本を決断に導いたのは、おそらく病床の石原が語った言葉ではなかったかと思う。

指導者が自分の権力に恋々とし、地位に執着してしまうことの害悪、出処進退の重要さを宮本は石原から教えられた。

しかし、周りを見渡すと、引き際を間違って晩節を汚してしまう経営者は後を絶たない。

いかに自分の権力や地位を捨て去ることが難しいか、ということであろう。

2011年7月18日 (月)

職業とは何か/梅澤正

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 「やりたい」は自らの欲求に発しており、本人の主観的目標の達成が目的となります。その「やりたい」を、他人や社会との関わりを考え、さらに現在ではなく将来の視点を入れて客観化すると、そこに「価値」という概念が浮上します。たとえば、極端な例かもしれませんが、いまの自分としては彼のことが殺したいくらいに憎いけれど、(双方の)親や兄弟は悲しむだろうな、犯罪者になったら自分の一生は台なしだと見通すと、殺すべきではないという判断になります。
 いまの世の中、こうすべき、そうすべきではないという価値規範は影響力を失っていますが、その風潮を煽る言論は好ましくないというのが私の考え方です。それでなくとも、いま若者たちは、「やりたいこと探し」に翻弄されています。(P34)

ここで梅澤氏は、いまの若者の職業選択の基準が「やりたい」に偏りすぎているのではないかと言っている。

「自分探し」「夢はかなう」という言葉ばかりが強調され、現実感がなくなってきているのではないかと危惧される。

もちろん、自分の「やりたい」ことや「夢」を持つことは大事だ。

しかし、誰もが自分の「やりたい」職業につけるわけではないし、「夢がかなう」わけでもない。

誰もが「やりたい」ことが適い、「夢」が実現するならば、野球選手、サッカー選手、芸能人ばかりになってしまうだろう。

そもそも、そんなことはあり得ないし、あまりにも非現実的だ。

職業選択のもう一つの基準として、「やるべき」というものもあるのではないだろうか。

何かをきっかけに「私はこの職業をやるべきだ」という想いを持ち、職業を選んだ人も多くいるはずだ。

つまり「やりたい」と「やるべき」の両方が必要だということ。

これは権利と義務の関係ともよく似ている。

権利ばかり主張する人ばかりだと社会はおかしくなる。

やはり権利があると同時に人には義務が与えられている。

その両方を果たすことにより健全な社会は形成される。

同様に、職業選択も「やりたい」と「やるべき」の両面から考えるべきだろう。

それだけに「やりたい」ことばかりをあおる今の風潮は少し問題があると言える。

2011年7月17日 (日)

バランスシートで考えれば、世界のしくみが分かる/高橋洋一

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 2010年8月の参議院選挙直前の党首討論で、菅直人首相が「労働保険特別会計については、埋蔵金と言われるが、自分が政権をとって分かったことだが、実はあれは法律を変えなければ使えない」と発言していました。
 自分も少しは勉強して法律を覚えたと言いたいのかもしれませんが、「法律を変えなければ使えない」という言い方は完全に役人の論理です。
 私が情けないというのは、役人は法律を変えることはできませんが、政治家は法律を変えることができるからです。できるどころか、法律を変えることこそが政治家の仕事です。
“ロウメーカー”なのですから。国会で法律を通す与党のトップが、「法律を変えなきゃできない」などと役人の口まねをするのは、不見識きわまりない妄言です。(P61~63)

特別会計の問題は、かつて塩川財務大臣が「母屋でおかゆを食べているのに、離れですき焼きを食べている」といった言葉に象徴される。

特に労働保険特別会計については、自分も社会保険労務士である関係で関心のある問題である。

たとえば雇用保険料については、労働者に支給している給与に一定の率を掛けた額を企業が国に納めている。

その総額はおよそ16兆円。

そのうち、失業者に支払うお金等で必要な額は10兆円程度。

では、残りの6兆円は何に使っているのか。

主に官僚の天下り先に使っている。

これは多くの人が知っていること。

これを変えるには法律を変える必要がある。

そして、その法律を変えるのは国会議員の仕事。

三権分立の中で国会議員には立法権が与えられているではないか。

だから管首相の「法律を変えなければ使えない」という言葉を聞くと情けなくなる。

「法律を変えるのは、あなた方の仕事でしょう」と言いたくなる。

役人がそれを言ったというのであれば分かる。

役人には行政権しか与えられておらず、法律を変えることはできないのだから。

しかし、国会議員の仕事は法律を作ったり変えたりすることではないのか。

この国の政治は何かおかしい。

2011年7月16日 (土)

海の都の物語 6/塩野七生

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 海に生きていた時代のヴェネツィアの社会では、貧富の差が固定していなかった。つまり、格差はあっても流動性があったのだ。(中略)
 主要な商船は国有にして、個人で船を所有できるだけの資力のない者にも均等な機会を与えたヴェネツィアでは、「敗者復活戦」が、最も理想に近い形で機能していた。
 ところが、工業に、次いで農業に重点が移るようになってくると、資本のない者には活躍しにくい状態に変ってくる。手工業も農園経営も、資本のない者には単なる傭い人の機会しか与えられない。「敗者復活戦」がなくなれば、豊かな者はますます豊かになり、貧しい者には、それから脱け出す機会が、ますます少なくなることを意味する。海洋国家時代のヴェネツィアが、なによりも嫌った独占が、ヴェネツィアの社会を侵しはじていたのであった。
 独占の弊害は、それが経済的な必要以上になされることによって、社会の上下の流動が鈍り、貧富の差が固定化し、結局は、その社会自体の持つヴァイタリティの減少につながるからである。(P85~87)

ヴェネツィア共和国が衰退した原因の一つに、貧富の差の固定化による社会自体の持つヴァイタリティの減少がある。

これにより、国全体の活力が失われていき、国の衰退につながっていく。

問題は、格差があることでなく、格差が固定化すること。

努力したものが報われる社会、これは健全な社会である。

努力してもしなくても、最初から社会の勝者と敗者が決まってしまっている、

つまり、格差が固定化してしまっている、

これが問題だということ。

「敗者復活戦」がちゃんと機能している社会である必要がある。

海洋国家であった頃のベネツィア共和国にはこれがあった。

そのため、国民にヴァイタリティがあり、国全体の活力につながっていた。

ところが、後期のヴェネツィア共和国は、農業や工業が中心になった。

そうすると、資本のあるものは勝ち続け、ないものはいつまでもその状況から抜け出せなくなる。

それまでの「敗者復活戦」の機能が失われていく。

そして、国全体の活力が失われていく。

結果として、ヴェネツィア共和国は衰退していく。

今、日本も格差社会が問題になっている。

特に問題なのは、格差が固定化していること。

滅びる前のヴェネツィア共和国とよく似てきている。

日本はもっと歴史に学ぶ必要がある。

2011年7月15日 (金)

海の都の物語 5/塩野七生

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 イタリア語に、ペッカート・モルターレという言葉がある。非常な大罪とか死に等しき罪とかいう意味で、これを犯すと死後の地獄行きはまぬがれない。それからはじまって絶対にやってはならぬこととか、やろうにも気質的にできないことなどを、一言で言うのにも使われる。
 ヴェネツィア人にとって、資本の非効率的な運用とは、ペッカート・モルターレではなかったかと、私には思えてならない。中世経済史学者イェール大学のロペツ教授をして、国政すらも私企業経営と同じ精神で経営した、と言わせたほどのヴェネツィア人である。
 十三、十四、十五世紀と、ヴェネツィア人の活動の中心が海外にあり、ヴェネツィア経済の主力が交易に依存していたのは、それをすることが、彼らの資本の効率的な運用には最も適していたからである。そして、十六世紀の国内の産業振興による経済多角化も、そうすることが、彼らの資本の効率的な運用に適っていたからだ。よい多い利潤の追求は、商いの理である。十六世紀のヴェネツィァ人を、海洋民族の精神的堕落と決めつけるのは、カッコイイと思いこんでいた男に裏切られたと嘆く、男をわかっていない女の愚痴に似てはいないであろうか。
 もちろん、海に出て行く男はカッコイイ。海賊でさえ、カッコよく映る。しかし、かってのヴェネツィア人とて、海を愛したから海に出て行ったのではない。海に出て行くほうが、わりに合っていたからである。(P115~116)

十六世紀のヴェネツィア人は、先祖たちよりも、海洋民族である度合は少なくなったであろう。

しかし、これが、ヴェネツィア共和国の衰退に直接にはつながらなかった。

彼らは、いまだ、進取の精神は充分に持ち合わせていた。

乳を断たれた乳児に等しい、とされた十六世紀初頭の状態から、見事に立ち直ったのだから。

ヴェネツィア共和国というと海洋国家というイメージがあるが、それはその時代において資本の効率的な運用を考えた場合、海外貿易を中心に活動することが最も適していたから。

十六世紀の国内の産業振興による経済多角化も、そうすることが、彼らの資本の効率的な運用に適っていたから。

つまり、時代の変遷とともにやっていることは変化しても、その軸となる考え方は全く変わっていないということ。

まるで企業を経営をしているような精神で国政を行っている。

ある意味、このような環境へ適応する能力が、ヴェネツィア共和国が一千年を続いた理由ではないだろうか。

しかし、そのためには「変えてよいもの」と「決して変えてはならないもの」を明確に区別する必要がある。

「変えてはならないもの」は決して変えない、しかし、それ以外のものは環境の変化に適応し大胆に変えてゆく。

これが、国家であっても一企業であっても、時代を超えて生き残る秘訣なのではないだろうか。

進化論を唱えたダーウィンも言っている、

「強い者や賢い者が生き残るのではなく、変化に対応できる者が生き残るのだ」と。

2011年7月14日 (木)

海の都の物語 4/塩野七生

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 しかし、マキアヴェッリも書いているように、現実主義者が誤りを犯すのは、自分たちが合理主義者でリアリストなものだから、非合理的に行動する相手を理解できないからなのだ。まさかそんなバカなまねはすまい、と思ってしまうのである。
 「今こそ、イスラムの時代だ」
 とか、アレクサンダー大王を理想像にして、
 「大王は東に進軍したが、わたしは西へ向う」
 などと叫ぶことになる若者が、トルコの宮廷で、ギリシア人やローマ人の伝記を熱心に読みながら成長しつつあるとは、ヴェネツィア政府の情報網の及ぶことではなかった。(P41~42)

トルコ民族は、本質的に遊牧の民である。

商業には、彼らは一度たりとも得意であったことがなかった。

だから、不得手な商売をヴェネツィア人をはじめとする西欧人が受け持っても、彼らは、少なくともその当時のトルコ人は、不都合な状況とは思っていなかった。

ヴェネツィア人も、このような状態ならば、共存共栄も可能であると信じていたらしい。

実際、テッサロニキを奪った以後のトルコは、バルカンには遠征しても、ヴェネツィア領には軍隊を送らなかった。

この時期、徹底したリアリストであるヴェネツィアにとって、トルコが攻めてくるなど、考えられないことであったに違いない。

トルコがどうして攻めてくる必要があるのか、ヴェネツィアには合理的理由が見出せなかった。

しかし、そこに落とし穴があった。

その後、1453年、トルコ帝国はコンスタンティノープルを攻め落とし、ビザンチン帝国が滅亡。

東方での貿易を最大の糧とするヴェネツィアは、強大な軍事力を誇り、さらに西へと勢力を広げようとするトルコ帝国と攻防を繰り広げることになる。

1479年に平和条約が締結され終結することとなるこの戦争で、ヴェネツィアは東地中海における地位を大きく後退させざるを得なくなる。

そして、領土の損失よりも深刻だったのはトルコがヴェネツィアを上回る海軍を作り上げたこと。

東地中海を支配しているのはヴェネツィアではなくトルコとなってしまう。

ヴェネツィアは陸上のみならず海上でもトルコに脅かされるようになる。

海軍国と陸軍国というちがいをふくめて、あらゆる点でちがう民族を敵としなければならなくなったヴェネッィアの苦悩は、並大抵のものではなかったであろう。

交易立国であるヴェネツィアは、絶対に他者を必要とした。

それなのに、この他者を必要とする国は、十五世紀後半に至って、他者を必要としない、つまり自分たちとはまったく別の価値観を持つ国家を、敵に持ってしまったのである。

このような相手に対して「自分たちだったらこう考える」という思考は通用しない。

ヴェネツィアの衰退は、この時に決定したと言ってよいだろう。

2011年7月13日 (水)

海の都の物語 3/塩野七生

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 ヴェネツィアの勝利は、だから不戦勝である。しかし、不戦勝であろうと、勝利には変りはない。それどころか、勝利としてはより価値の高いものである場合が多い。ヴェネツィアは立ち直れたのに、ジェノヴァは、ついに立ち直ることができなかったのだから。
 すべての国家は、必ず一度は盛期を迎える。しかし、盛期を何度も持つ国家は珍しい。なぜなら、一度の盛期は自動的に起るが、それを何度もくり返すのは、意識的な努力の結果だからである。
 ヴェネツィア史の権威ジョンズ・ホプキンズ大学のレイン教授は、次のように結論を述べる。
「長期にわたったヴェネツィアとジェノヴァの対立の末のヴェネツィアの勝利は、海軍の力とか海戦の技術とかによるのではない。ヴェネツィアは、1270年以後、この面での優位をもはや持ち合わせていなかった。
 勝利を決した因は、別の方面での両国家の能力の差にある。つまり、社会を組織する能力である。この能力では、ヴェネツィア人とジェノヴァ人の間には、非常な差が存在した」(P134)

同じ海洋国家でありながら、正反対の国民性を持っていたヴェネツィアとジェノヴァ。

この2つの国が戦い、最後に勝利したのはヴェネツィアだったことは興味深い。

ヴェネツィアもジェノヴァも、海外貿易によって大を成した国。

しかし、共同体意識が非常に強かったヴェネツィアに比べ、ジェノヴァはまさに個人主義のるつぼと言ってよかった。

ジェノヴァの男たちは、自分たちを海洋国家の民と比べ、とくにライバルのヴェネツィア人に比べて、天才だと信じていた。

戦争ではジェノヴァが優勢に進める場面が多く、それは優れた人物を多く輩出したジェノヴァは当然のように将軍や船乗りも優秀だったから。

しかし休戦になった途端に、個人主義を重んじるジェノヴァは政体が安定せず、内輪争いが始まる。

一方、ヴェネツィアの団結は素晴らしく、不利な状況に追い込まれても政治や外交で挽回する。

時には挽回というよりも、じっと耐えるかのような場面さえある。

最後はジェノヴァの自滅という形でヴェネツィアに勝利が舞い込む。

つまり、戦争一つをとっても、個々の戦闘能力や技術だけでは計れないということ。

あくまで、それをバックアップする社会を組織する能力の有無がカギとなる。

その点、ヴェネツィア共和国の強みは日本ともよく似ていると言える。

日本の強みもやはり組織能力の高さである。

日本も、もう一度、自らの強みを生かす国づくりを考える必要があるのではないだろうか。

2011年7月12日 (火)

海の都の物語 2/塩野七生

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 法もまた、彼らにも平等に施行されたことはもちろんである。それどころか、貴族の権利を守る委員会はなかったが、市民の権利を貴族の横暴から守るための委員会はあった。市民は誰でも、この委員会に告訴できたのである。「貴族には正義を、国民にはパンを」のモットーのとおりに。
 税制も、貴族に特別待遇を与えはしなかった。これも第四話で述べた、一種の直接税ともいうべき長期国債の強制的な割当て制度も、資産の額に応じて割り当てられるのであるから、資産家と認定された貴族は、貴族であっても、それから免除されはしなかった。このように、ヴェネツィアの貴族は、他の国々の同僚とはちがって、国政に参与できるというたったひとつの特権を得、貴族階級に属するという栄誉を与えられる代りとして、率先して法を守り、率先して税金を納め、率先して戦いの第一線に立たねばならないという義務を課されていたのである。(P135~136)

一千年も続いたヴェネツィア共和国。

それを支えた考え方が「貴族には正義を、国民にはパンを」というモットーに表れている。

ヴェネツィアの貴族は、貴族階級に属するという栄誉を与えられる代わりとして、率先して法を守り、率先して税金を納め、率先して戦いの第一線に立たなければならなかった。

彼らは、国政に携わることで、給料をもらっていたわけでもない。

貴族階級に属するということは、それなりの義務を負うということを意味していた。

これはノブレス・オブリージュの考え方に通じるものがある。

ノブレス・オブリージュは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」の意味。

一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。

貴族制度や階級社会が残るイギリスでは、上流階層にはノブレス・オブリージュの考えが浸透している。

第一次世界大戦で貴族の子弟に戦死者が多かったのはこのためであり、フォークランド戦争にもアンドルー王子などが従軍している。

「貴族には正義を、国民にはパンを」というモットーがヴェネツィア共和国では実践されていた。

国の体制が違うので、このままというわけにはいかないだろうが、日本の国会議員や地方の議員さんたちにも、適用できる考え方ではないだろうか。

やはり議員として立たされているということは、それなりの義務が生じるいうこと。

自分たちの金と権力の保持に汲々としている今の議員には「正義」は感じられない。

少なくとも累積赤字で苦しんでいる市町村の議員は名誉職にし、無給にしてもよいような気がする。

2011年7月11日 (月)

海の都の物語 1/塩野七生

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 「はじめに、言語ありき」
 ではない。ヴェネツィア共和国では、
 「はじめに、商売ありき」
 であったのだ。彼らは、中世の“エコノミック・アニマル”であった。だが、これら“エコノミック・アニマル”たちは、少しも、そうあることに劣等感をいだいてはいなかったようである。それは、おそらく、商売を効率良く進めていくには、政治、外交、軍事のいずれの面でも大変にきめの細かい技を駆使しなければならず、そのようなアルテ(技能)は、作品を残すアルテ(芸術)に比べて、少しも劣るものでないことを知っていたからであろう。ヴェネッィア共和国は、「はじめに、商売ありき」で、一千年間を生きていくのである。(P125)

ローマ帝国滅亡後、他国の侵略も絶えないイタリア半島にあって、一千年もの長きにわたり、自由と独立を守り続けたヴェネツィア共和国。

外交と貿易、そして軍事力を巧みに駆使し、徹底して共同体の利益を追求した稀有なるリアリスト集団。

塩と魚しかなく、土台固めの木材さえ輸入しなければならなかったヴェネツィア人には、自給自足の概念は、はじめからなかったにちがいない。

しかし、この自給自足の概念の完全な欠如こそ、ヴェネツィアが海洋国家として大を為すことになる最大の要因であった。

この点では、置かれた環境は日本とよく似ている。

日本もやはり国づくりを考える場合、「資源がない」ということを出発点としなければならない。

ヴェネツィア場合、そこから導き出された答えは「はじめに商売ありき」であった。

この考え方のもと、国の形が作られたのがヴェネツィア共和国であった。

ヴェネツィア共和国では、国家がくだす決定が非常に大きな力を持ち、その“行政指導”は他国に例を見ないほど強かった。

だが、これは、ほとんどのヴェネツィア人が、自分の利害と国の利害が一致していることを知っており、

ヴェネツィアの統治階級である大商人たちが心がけた、そして実行した、法の平等な実施と利益の公正な分配に、ヴェネツィア人が不満を感じなかったからであろう。

単なる力による上からの押えつけであったならば、一千年余りの間に二回しか反政府運動が起きなかったという、同時代の他の国々とは比べようもないほどの国内の安定を享受するなど、まずもって不可能であったにちがいない。

一千年あまり続いた国家、ヴェネツィア共和国。

この国の衰亡を振り返ることは、今の日本を見る上でも大いに参考になる。

日本もかつては“エコノミック・アニマル”と呼ばれたのだから。

2011年7月10日 (日)

NHKトップランナー 仕事がもっと面白くなるプロ論30

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 「毎日起きている間中、いろいろなことを考えています。大きく分けて、仕事のことと、子どものこと、自分自身のことの3つですね。掃除をしていても、買い物をしていても、『ああこんなことがあった』『今度こんなことをしてみたい』といったことをずっと考えている。
 過去の出来事も、そうやって白分が子どものころから常々思っていたことなので思い出せるんです。同じことを何回も思い出して考えていて、それを繰り返していくうちに確かなものになっていく。そのときに作品にできるようになっていくんですね。
 だから、メモは取りません。正確に描くよりも印象で描くことのほうが面白いことがあるんですよ。ネタを思いついただけでは作品にはできなくて、時間が経っていくうちに描けるときがくるんです」(P163)

『ちびまる子ちゃん』の原作者であり、エッセイ、作詞など多方面で活躍している漫画家・さくらももこ。

作品を生み出すために、メモはとらないという。

クリエイティブな仕事をする人たちの中で、思いついたことは全てメモるという人は多い。

ところが、さくらももこ氏の場合はこれとは全く逆。

メモはとらず記憶の中にとどめ、何度も反芻し、それが自分の中で書ける状態にまで熟成するのを待つといった感じだろうか。

確かにメモをとることによって、印象が固定化してしまうということはあるかもしれない。

メモをとらなければ、頭の中に曖昧な印象としてとどまり、それが時と共に変化していく。

そして、正確に描くよりも印象で描くことのほうが面白いことがあるという。

これも長い間の試行錯誤の結果として、自分自身のものにした創作のスタイルなのだろう。

2011年7月 9日 (土)

ユニクロ・柳井正の進化し続ける言葉/川嶋幸太郎

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「リスクを取るということは、無謀とは違う。リスクを取るということはリスクを量らなければならない。そこを勘違いしてはいけない。ぼくを冒険主義の経営だと思う人もいるようですが、それだったら会社はつぶれていますよ。この程度なら失敗しても大丈夫だと、リスクを量っているのです」(P117)

成功するためには、失敗を恐れずどんどん新しいことにチャレンジすることだ。

柳井氏も、多くのチャレンジをし、いくつもの失敗を重ねている。

スポクロ、ファミクロという新業態の失敗、ニューヨークデザイン事務所の失敗、野菜販売の失敗など、着手して1~2年でさっさと撤退している。

成功すると思って始めた事業がうまくいかないと、普通の経営者は成功するまで続ける方針を採る。

そして成功の見通しもないままずるずると赤字を垂れ流す。

それに対して柳井氏の決断は早い。

素早く進出し、見通しが立たなければ速やかに撤退する。

どこでどのように見切っているのだろうか。

おそらく、どこまで踏み込めば大丈夫か、どこを超えると危ないか、というリスクを判断する基準があるのだろう。

「リスクをとる」という言葉は、積極経営を標榜する経営者がよく使う言葉である。

しかし、その結果、会社をつぶしてしまったら元も子もない。

経営は「ばくち」ではないのである。

傍からみると無謀とも思えるようなチャレンジを繰り返しているように見える柳井氏。

しかし、そこには綿密なリスクの計算があるということ。

「リスクをとる」と「無謀」とは全くちがうのである。

2011年7月 8日 (金)

仕事耳を鍛える/内田和俊

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 モーティマー・アドラーは、聴くことに関して、このように言っています。
 「『聴くこと』は主に頭脳の仕事だ。耳ではない。もし頭脳が聴くという活動に積極的に参加していなかったら、それは『聴く』ではなく、『聞こえる』と表現するぺきだ」(P11)

この本で内田氏は「聴く」と「聞く」とを明確に区別している。

「聴く」とは、相手の真の要求を的確に捉えることのできている状態。

具体的には、「言外に含まれる隠れた感情まで読み取れている」

「言葉には表れない相手の真意を理解している」状態。

それに対して「聞く」とは、鼓膜は鼓動しているものの「聴く」には至っていない状態。

そして、多くの人は「聞く」状態にとどまっているという。

「聴く」ために必要なことは、言語以外の情報をいかに正確にキャッチするかがポイントになる。

私たちが情報の受け手になったとき、つまり「聴き手」になったとき、情報量の多さという観点に立った場合、

全体を100としたとき、私たちはどんな比率で相手からのメッセージを受け取っているのか?

メラビアンの法則によると、言葉は7%、ボディランゲージは55%、ボイストーンは38%という比率になるという。

すると、相手の発する言葉からの情報は、全体の7%にしかすぎないということになる。

だから、「聴く」のは難しいということになる。

言葉以外の情報を五感全てをフル稼働させることによってはじめて「聴いている」ことになるのだから。

そして、現在、職場で起こっている多くの問題は、正しく「聴く」ことによって解決するという。

逆に考えれば、メールだけでの情報伝達には限界があるということ。

メールだけでは相手に伝えたいと思っている情報の7%しか伝わらないのだから。

だから、メールだけで済まし、それで伝わったと思い込んでいると、

それが原因となり、様々な問題が起こる。

やはりコミュニケーションの基本は「対面」にある。

そして、そこで求められるのが「聴く能力」。

「聴く能力」は全ての人に共通して求められる能力。

最も優先度が高く、社内外のあらゆる活動の根幹となる能力だと言えよう。

2011年7月 7日 (木)

壊れる日本人/柳田邦男

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 臨床心理学者の河合隼雄氏は、エッセイ集『より道わき道散歩道』(創元社)の中の掌編「ITとit」の中で、メールの効用と限界について、とても大事なことを述べている。メールを使うと、言いにくいことを互いにどんどん言い合えるからいいというのは、ある程度正しいけれど、カウンセリングという場で考えると、限界がある。
 パソコンやテレビ電話のような電子機器をとおしてのカウンセリングでは、特有の疎外感、「手が届かない」という感じがあり、決定的なのは、沈黙を共有することが極めて難しいことだ、という。そして、こう論じる。(括弧内は柳田の注)
 〈つかみどころのない「それ」(=フロイトの言う「無意識」、ドイツ語でes、英語でit)に耳を傾けようとして、二人の人間が共に沈黙を共有する。これは、心理療法の中核にあると言っていいし、あらゆる深い人間関係の基礎にあることではなかろうか。これを無視してしまって、便利になったとばかり喜んでいたのでは、世の中だんだん人間味を失ってゆくのではなかろうか。〉(P48~49)

カウンセラーはクライアントが怒りや葛藤を整理することも言語化することもできないで、苦渋に満ちた表情で座っている時、じっと待つという。

クライアントが自分で言葉を見つけるのを見守る。

いたずらに誘導的な言葉を発したり助言的なことを言ったりすると、クライアントが自ら内面を整理するのを壊してしまうおそれがある。

この場合、沈黙とは、逃げることではなく、真剣に向き合うことなのだ。

つまり、コミュニケーションとは「沈黙」も含めてのコミュニケーションだということ。

同じ空間を共有し、沈黙という時間を共有することにより、人は真剣に自らの内面に向き合う。

ケータイやパソコンのメールで、こんな深い沈黙の時間を共有できるわけがない。

ここに、メールの問題がある。

確かにメールは便利だ。

私も仕事でメールを使うことにより、かなり効率化したのも事実だ。

しかし、大事なことは、相手と向き合ってコミュニケーションを図るようにしている。

つまり、メールは確かに便利だが、それ一辺倒では様々な問題が起こるということ。

今、コミュニケーションの手段がメールに代表されるネット依存に傾きつつある。

ネットがすべて悪いわけではないが、よい面・悪い面を十分理解した上で、上手につきあうことだろう。

2011年7月 6日 (水)

一流たちの修行時代/野地秩嘉

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 柳井は人と会食はしない。財界人や政治家とも付き合わない。午後5時になると社を出て、自宅に戻り、本を読みながら仕事について考える。ストイックに見えるけれど、彼にとってはそのほうが楽だし、そうやって四六時中、仕事のことを考えているのが体質になっているのだろう。そして、彼はまだまだ修業を続け、まだまだ成長を望んでいる。(P26~27)

今や日本を代表する企業に成長したファーストリテイリングの会長兼社長、柳井正氏。

しかし、そのスタートは決して順調ではない。

縁故でジャスコに入社したもの、すぐ辞めてしまい、その後はフリーター生活。

父親から「戻ってこい」と言われ、小郡商事に入社。

2店舗の責任者とされたものの、7人いた従業員は1人を残してみんな辞めてしまう。

その後も悪戦苦闘を続け、現在のユニクロを築き上げる。

その柳井氏の日常は、多くの大企業の経営者とは異なる。

大企業の経営者ともなれば、政治家や財界人との付き合いは欠かせないものだ。

それによって情報を得、人脈を広げ、仕事を広げていく。

しかし、それに比べると、柳井氏の日常は地味でストイックである。

つまり、人それぞれ、自分に合った仕事のスタイルがあるということ。

とかく人は、大企業の経営者なのでこうしなければならないと、パターン化してしまう傾向がある。

また、おそらく周りもそのようにアドバイスするであろう。

しかし、もし、柳井氏が、そのようなアドバイスに従い、他の経営者と同じことをしていたら、どうなっていただろう。

おそらく、現在のユニクロはないだろう。

人はそれぞれ、自分に合ったスタイルがある。

そして時には愚直なほど、自分のスタイルを貫くことも必要だということであろう。

2011年7月 5日 (火)

運命は「口ぐせ」で決まる/佐藤富雄

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 人間は脳の中にコンピュータをもっています。
 このコンピュータとは、古い脳(自律神経系)のことですが、コンピュータが正確に機能していくためには、いくつかのポイントがあります。それをわかりやすくするために、飛行機とパイロットの関係を考えてみましょう。
 現在の飛行機は、そのほとんどがオートパイロット(自動操縦)で運航しています。オートパイロットというのはコンピュータで制御されているので、人間が直接手を下さなくても目的を達成するようにできています。目的地や高度などの情報をはじめにインプットすると、あとはすべてコンピュータが働き、目的地まで何もしなくても連れていってくれるのです。(中略)
 これを人間に置き換えてみましょう。
 人生における計画を立てたとします。しかし、三年先のことは現実には見えていません。見えていないところへ行くには、オートパイロットという自律神経系がもっている特性を使います。すると、脳のオートパイロットは、必ずそこへ連れていってくれます。(P70~71)

人間の脳は飛行機のオートパイロットに似た機能を持っている。

つまり、目的地をセッティングしたら、自動的にそこに連れていってくれる。

しかし、このとき、パイロットが臆病であって、ひょっとしたら違うところを飛んでいるのではないかと思って確かめようとしたらどうなるだろうか。

まず、オートパイロットをマニュアル、すなわち手動に変えるだろう。

手動に変えるということは、有視界飛行にするということ。

すると、目で見て確認できるところまで高度を下げなければならない。

そうなると、さまざまな問題が起きてくる。

これと同じことを私たちは行っているのではないだろうか。

目標を立てたということは、脳の中にあるオートパイロット機能のスイッチをオンにしたということ。

後は、自動的に目的地まで連れていってくれるはずだ。

けれども、時間がたつにつれて現実が不安になりはじめると、私たちも飛行機同様、手動に切り換えてしまう。

手動に切り換えると、目で見える範囲から抜け出せない有視界飛行の状態になり、日常生活の枠を抜け出せなくなってしまう。

これだと、せっかく目標を決めても無駄になってしまう。

もっと脳の持っている機能を信頼することが大事ではないだろうかと考えさせられた。

2011年7月 4日 (月)

プロデュース能力/佐々木直彦

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 私たちはみな、自分が考える以上に、自分のなかにすごい可能性を持っている。
 そして、誰にでも、自分のやりたいことを実現し、周りの人々を幸せにする潜在的な力がある。
 だが、人間は「自分のやりたいことを閉じ込めてしまう檻」をつくってしまう。
 飛びたいところを飛びたい蝶をつかまえて、檻のなかに入れてしまうように。(P3)

人は皆、無限の可能性をもっている。

よく言われることだ。

しかし、無限の可能性を引き出すような生き方をしている人はほとんどいない。

どうしてなのか?

何が欠けているのか?

何が邪魔をしているのか?

一つは、一般化した常識ではないだろうか。

そうしないと、自分の役割が果たせないとか、

誰かに怒られるとか、大人じゃないと考える癖が、

私たちにはいつの間にかついてしまうようだ。

だからこそ、組織は秩序が保たれるのだし、

国も社会も成立するんじゃないかという考え方には、一理も二理もある。

しかし、これはあくまで程度問題だ。

「新しい何か」を生みだすことのできない組織や社会は、いつか澱んだ水のように腐っていく。

企業は競争に負けてしまう。

地方は活性化されない。

国は沈滞する。

世の中の不正がただされることもなくなる。

人はもっとビジョンを持つべきだ。

「こんなことをやりたい」を、キャンパスに絵を描くように目に見える形にする。

これがビジョン。

それがここで言うところの、自分の蝶を解き放つことではないだろうか。

2011年7月 3日 (日)

負け犬の遠吠え/酒井順子

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 結婚していない三十女と話していて、
「で、あなたも私も負け犬なわけじゃない?」
 と何気なく言ってみると、多くの負け犬は必死にかぶりをふったり、喰いついてきたりするのです。
「ええっ、結婚してないと負け犬なワケ?どうして?結婚で勝ち負けは決まらないと思うわ!」
 とムキになる人は、ムキになる時点で既に負けている。
「私、結婚してはいないけどボーイフレンドはちゃんといるし、先週も○○さんに誘われたしその前は××さんに旅行に行こうって言われたし・・・・・」
 と「男には不自由してません」ということを必死にアピールする人は、「結婚相手として男性から選ばれたことはない」ということに負い目を感じているからこそ、言い訳をせずにいられないのだろうと推測される。
 負け、という言葉を出すとこうもビビッドな反応があるところを見ると、負け犬は心のどこかで自らの負けを自覚しつつ、それを認めることができないでいるのでしょう。負け犬的パーソナリティーを持つ人はたいてい負けず嫌いで、負けることに慣れていないものですし。(P270~271)

2004年、ベストセラーとなった酒井順子のエッセイ。

著者は30過ぎて結婚していなくて子供もいないような女性のことを「負け犬」と皮肉っている。

人は誰でも負けるのが嫌いだ。

しかし、自分は負け犬だと開き直ることによって、生きることが楽になるところがあるのではないだろうか。

昔ほどではないにしろ、30過ぎで独身の女性に対する周囲の目は、特別なものがある。

言葉に出さなくても、いや、むしろ言葉に出さないことによって、当人はかえってその空気を感じる。

だったらそれを逆手にとって、むしろ自分の方から「私、負け犬です」と言っちゃった方が楽に生きられるんじゃない、と言っているように思う。

ある意味、これも一つの処世術だと言えよう。

2011年7月 2日 (土)

連合赤軍「あさま山荘」事件/佐々淳行

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 多重六号に一戻って二機の現状を報告し、無傷の九機との交代を進言しようと急ぎ足で歩いていると、NHKの石岡壮十記者に呼びとめられた。「佐々さん、あさま山荘に入りましたね、船久保キャップからのたってのお願いなんですがNHKの全国生中継に出て内部の状況話してくれませんか。全国の視聴者がイライラしてるんで・・・・・」冗談じゃない、私は解説者じゃない。隊員たちが命がけで戦っているのにNHKの解説なんか出来るわけがない。そういえば東大安田攻めの時も同じ船久保キャップから生放送出演の依頼があったが私は断った。今度も折角のお申し入れだが丁重にかつ、断固お断りする。
 後で知った事だがNHKは朝九時から夜七時まで連続生放映の記録をつくり、視聴率も前述したように最高八十九・七%を記録したそうで、船久保キャップは「公共放送なんだから協力してくれてもいいのに」とぼやいていたという。(P275)

あさま山荘事件が起こったのは1972年のこと。

この模様は全国に生中継され、テレビの画面に釘付けになったことを今でも生々しい記憶として脳裏に残っている。

最高90%近くの視聴率ということだから、国民の9割近くが見ていたということだ。

いわゆる劇場型事件のはしりのようなものだろう。

その後の湾岸戦争やオウム事件等も劇場型といえるものだ。

場合によっては、現在の大震災もそのような形になってしまう可能性がある。

現場では、必死の攻防をしているのに、一方で、第三者のような感覚で見ている視聴者がいる。

あたかもドラマの主人公に感情移入してハラハラドキドキしているような感覚である。

そしてその橋渡しをするのが、メディアの存在。

それだけに、メディアには高度な判断力や見識に基づく節度が求められる。

ところが、特にテレビ局は視聴率が全てという感覚がある。

視聴率を取れるかどうかが判断基準となってしまうところがある。

それが上記のような、現場指揮の責任者をテレビの解説者に立たせようとする暴挙に走らせる。

メディアの驕りといえるものではなかろうか。

2011年7月 1日 (金)

えこひいきされる技術/島地勝彦

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ある日、英国の大劇作家のバーナード・ショーがときの首相ウィンストン・チャーチルに手紙を書いた。

拝啓
 貴台にいまわたしが上演してる芝居の特別席を二枚贈ります。もし一緒にいけるお友達があなたにおりましたら、使ってください。
                         敬具
                 バーナード・ショー

拝復
 貴台の温情に深く感謝致します。ところで日にちを三日後に変えていただけませんか。
もしあなたのお芝居がまだ上演しているのでしたら。
                         敬具
          ウィンストン・チャーチル(P164)

新聞に叩かれて人気がなくなってきたチャーチル。

そのチャーチルに対し、皮肉をこめて同行する友達がいないことを想定して書いたバーナード・ショーの手紙は洒落ている。

一方、その手紙を受けたチャーチルの返事も皮肉いっぱいでユーモアに富んでいる。

この手紙をやり取りを見るにつけ、イギリスの文化の成熟度を実感させられる。

日本にももちろん笑いの文化はあるが、イギリス人のユーモアの精神は、これとは内容を異にする。

ある面、心のゆとりがこのやり取りに感じられる。

ユーモアには心のゆとりが大事だ。

一度自分から離れて、自分を客観視したとき、余裕が生まれ、自分を皮肉ることさえできるようになる。

今の日本人に最も欠けているもの、それは心のゆとりではないだろうか。

ユーモアは心のゆとりから生まれる。

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