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2011年7月 7日 (木)

壊れる日本人/柳田邦男

A9r1021

 臨床心理学者の河合隼雄氏は、エッセイ集『より道わき道散歩道』(創元社)の中の掌編「ITとit」の中で、メールの効用と限界について、とても大事なことを述べている。メールを使うと、言いにくいことを互いにどんどん言い合えるからいいというのは、ある程度正しいけれど、カウンセリングという場で考えると、限界がある。
 パソコンやテレビ電話のような電子機器をとおしてのカウンセリングでは、特有の疎外感、「手が届かない」という感じがあり、決定的なのは、沈黙を共有することが極めて難しいことだ、という。そして、こう論じる。(括弧内は柳田の注)
 〈つかみどころのない「それ」(=フロイトの言う「無意識」、ドイツ語でes、英語でit)に耳を傾けようとして、二人の人間が共に沈黙を共有する。これは、心理療法の中核にあると言っていいし、あらゆる深い人間関係の基礎にあることではなかろうか。これを無視してしまって、便利になったとばかり喜んでいたのでは、世の中だんだん人間味を失ってゆくのではなかろうか。〉(P48~49)

カウンセラーはクライアントが怒りや葛藤を整理することも言語化することもできないで、苦渋に満ちた表情で座っている時、じっと待つという。

クライアントが自分で言葉を見つけるのを見守る。

いたずらに誘導的な言葉を発したり助言的なことを言ったりすると、クライアントが自ら内面を整理するのを壊してしまうおそれがある。

この場合、沈黙とは、逃げることではなく、真剣に向き合うことなのだ。

つまり、コミュニケーションとは「沈黙」も含めてのコミュニケーションだということ。

同じ空間を共有し、沈黙という時間を共有することにより、人は真剣に自らの内面に向き合う。

ケータイやパソコンのメールで、こんな深い沈黙の時間を共有できるわけがない。

ここに、メールの問題がある。

確かにメールは便利だ。

私も仕事でメールを使うことにより、かなり効率化したのも事実だ。

しかし、大事なことは、相手と向き合ってコミュニケーションを図るようにしている。

つまり、メールは確かに便利だが、それ一辺倒では様々な問題が起こるということ。

今、コミュニケーションの手段がメールに代表されるネット依存に傾きつつある。

ネットがすべて悪いわけではないが、よい面・悪い面を十分理解した上で、上手につきあうことだろう。

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