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2011年8月21日 (日)

史伝 吉田松陰/一坂太郎

Bt000012834400100101_tl  名門のひとり息子だけに晋作はわがままで、負けん気が強い。プライドも異常なほど高い。子どものころ、誤って晋作の凧を踏み破った武士に激しく抗議をし、土下座させて謝罪させたという伝説が残るほどだ。友人たちからも「鼻輪の無い暴れ牛」と呼ばれ、恐れられていた。
 それだけに、松陰は晋作の欠点を指摘しなかった。人間、欠点を指摘されるのは面白いものではない。短所を戒め、指摘するのは控えめに、美所、長所を誉めて伸ばすというのは、松陰が影響を受けた中国の王陽明の教えでもあった。
 そこで、松陰はさらにしばらく晋作の観察を続ける。
 すると、晋作は一つ年少の久坂玄瑞に大変なライバル意識を抱いていることが、分かってきた。(中略)
 そこで松陰は、晋作を発奮させるため、一計を案じる。何かにつけて、晋作がいる前で玄瑞を誉めた。傍らでみている晋作は内心面白くない。ひそかに猛勉強を始めた。
 すると晋作の学力はみるみるうちに伸び、議論は卓越したものとなってゆく。塾生たちから一目も二目も置かれる存在へと、急成長を遂げた。(P212~213)

幕末から明治維新にかけて数々の偉人を輩出した松下村塾。

中でも高杉晋作、久坂玄瑞は、「識の高杉、才の久坂」と称され、「松下村塾の双璧」と呼ばれた。

上記は、高杉晋作を吉田松陰がいかにして育てたが記されている。

入門してきたばかりの晋作は学問が未熟だったという。

一方、直感力で、物事の正か否かを見分ける嗅覚が備わっているという優れた点があった。

本気で学問をさせたら天性の才能に磨きがかかり、素晴らしい人物になるに違いないと松陰は考える。

そこで、試みたのは、一歳年下の玄瑞を晋作のいる目の前で誉めるというやり方であった。

普段から玄瑞に対してライバル心を持っているということを松陰は見抜いていた。

プライドが人一倍高い晋作としては面白くない。

ひそかに猛勉強を始めたという。

つまり「人をみて法を説け」ということであろう。

誉めるのと、叱るのと、どちらが効果的かということではない。

その人その人にあった育成の仕方があるということである。

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