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2011年8月31日 (水)

ジャーナリズム崩壊/上杉隆

A9r80c7  ピュリッツァー記者でもあったその人物は、米国ならば誰もが知っているような人気ジャーナリストだった。タイムズではコラムを持ち、望みさえすれば、ほとんどいつでも、比較的大きなスペースで署名記事を掲載することが可能だった。米国のジャーナリズムの世界では、彼の名前は常に輝かしい栄光とともに語られていたのである。
 ところが、歳には勝てないのだろうか、年々、彼の記事は本来持っている鋭さを失っているのではないかという評判が広がり始めていた。
 そんな中、編集主幹にハウエル・レインズ氏が就任すると、ニューヨーク・タイムズは、功労者ともいうべき彼に対して、突如、警告を発したのである。

昨今の貴殿の記事の内容には不満がある。一定の期間内に改善が認められないようであるならば、契約を解除する。

 ニューヨーク・タイムズ内でそのニュースは衝撃をもって伝わった。はるか極東の一支局で働く特派員たちの間でも大きな話題になったほどであった。それから数カ月して、この警告は現実のものとなった。記事に改善が見られないとして、ニューヨーク・タイムズはこの記者との契約を打ち切ったのだ。(P64~65)

上記のようなエピソードは日本ではあり得ない話。

こうした厳しさを日本の新聞社で見かけることはない。

ほとんど記事も書いていないのに、ただ長くいたというだけで、実に多くの「名物記者」たちが我が物顔で社内を闊歩し続けている。

社内で高いポストに居すわっている彼らのほとんどが「過去の人」。

お粗末な誤報を連発してもクビになるどころか、部署異動によって社員として、定年まで生活を続けることができる。

日本の新聞記者はまったく優雅な職業である。

彼らにとっては、良質な記事を書けるかどうかはさして問題ではない。

問題は、社内でいかにいいポジションをキープし続けることができるかがすべてなのである。

それでは第一線の記者はどうなのか。

記者クラブという談合集団の中で、何の苦労もなく、一定の情報を得ることができる。

そして書かれる記事は、ほとんど無署名記事。

書いた者の責任を問われることはない。

また決して自分たちは間違っていないと思い込んでいる。

仮に間違った記事を載せたことがわかったとしても、何とか隠そうとする。

問題が大きくなり、どうしても謝らざるを得ない状況に追い込まれた場合は、目立たないように新聞の片隅に謝罪記事を載せただけで済まそうとする。

これではクオリティーの高いジャーナリズムが育つはずがない。

ジャーナリズムという点では、日本は明らかに後進国である。

中国を笑うことはできない。

そして、最大の被害者は、その記事を読む国民である。

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コメント

おっしゃるとおり、この何年か、社説ですら読むに堪えないことがあって、新聞を変えたこともあります。
まずは記名記事(毎日新聞は記名がありますが)にすることから始めてほしいですね。

Lisaさん、コメントありがとうございます。
同感です。
ちなみに、日本の新聞社で署名制度を採用しているのは毎日新聞だけのようですね。

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