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2011年8月19日 (金)

いま、働くということ/大庭健

A9rc9ed  なるほど、仕事も趣味も、一見したところ、ともに私人として個人的な達成を追い求める私的な活動であり、その点で同じだ、と見えるかもしれない。しかし、そうではない。仕事の成果は、協業のネットワーク全体をつうじてさまざまに伝送され、最終的には、人々が各自の生命と生活を再生産するために用いられる。どんな仕事であれ、仕事であるかぎり、それが停止してしまったなら、協業のネットワークに変調をきたし、最終的には人々の生命・生活の再生産に支障をきたす。(P54)

著者によると、仕事とは社会の形成のため、それぞれが役割を分担し合い遂行される協業の網の目となる個々の活動だという。

例えば「やっと一人前になれた、なれそうだ」という仕事に特有の安堵。

それは自分の活動が、人々の生活の再生産に寄与するものを作り出すのに役に立っている、ということが確認できたという安堵。

つまりやっと自分は社会を形成する役割の一端を担っているという自覚を持てるようになったという感覚。

これが仕事の満足感ややりがいにつながる。

「仕事とは自己実現のため」という考え方がある。

そのため、いつまでも「自分探し」をし続け、定職につかない若者が増えている。

しかし、そこには社会を形成する役割の一端を担うという視点が欠落している。

極端に言えば、それは趣味の世界である。

個人的な趣味の場合、どれだけその活動に打ち込み、その充実感が、仕事をするときのそれを遥かにしのいでいるとしても、その活動が停止したことによって、人々の生命・生活の再生産に支障をきたす、ということはない。

少し哲学的なアプローチにはなるが、「何のための仕事をするのか」ということも考える必要があるのではないだろうか。

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