ラッキーマン/マイケル・J・フォックス
僕はインタビューを受けた際に、この病気を贈り物だと考えていると話した。そう言ったために同じ病気に苦しむ方からお叱りを受けたこともあった。もちろんぼくは自分自身の経験から話しただけなのだが、いま部分的に訂正してもう一度こう言いたい。もしそれが贈り物なのなら、これからも受け取りつづけなければならない贈り物だ、と。(中略)
もしだれかがいまこの部屋に駆け込んできて、自分はいま(神でもアラーでも仏陀でもキリストでもクリシュナでもビル・ゲイツでもだれでもいい)そういう人物と取引をしてきた、きみが診断を下されてからの十年間を魔法で消してしまい、昔のままのきみで過ごせる十年と取り替えてくれるという取引をしてきた、と宣言したとしたら、ぼくは一瞬の躊躇もなくこう言うだろう。「出ていってくれ」と。(P7~9)
バック・トゥ・ザ・フューチャーで一躍人気者になり、その後パーキンソン病という不治の病を患ってしまったマイケル・J・フォックス。
しかし、「パーキンソン病は天からの贈り物だ」とマイケルは言う。
「こんな贈り物などいらないと人は言うだろうが、この病気にならなかったら、自分がこの十年近く歩んできた心豊かな深みのある人生は送れなかった。ハリウッドのスターとして有頂天になっていた病気以前の自分には決して戻りたいとは思わない。この病気のおかげで、ぼくはいまのような自分になれたのだ。だから自分のことをラッキーマンだと思うのだ」、と。
しかし、こう言い切れるのは、彼が若くしてハリウッドの頂点に登りつめ、
みんなからちやほやされていたときに、いち早くそうした事態の異常さに気づき、
冷静にまっとうな生活をすることを選んだ賢明さがあったからこそだろう。
彼は書いている、「幻想をほんとうと信じこむ世界に生きて、そこで生きる資格として特権を受け入れるか、それとも魔力を拒否し、現実の世界で地に足をつけていられるように最善をつくすか。恥を忍んで言うと、これは容易な選択ではなかった。だが最終的にはぼくは二番目の道を行くことにした。そっちの道を選んでよかった。なぜなら、パーキンソン病だと診断を下されたときに、もしぼくがまだびっくりハウスのルールに従って生きていたら、ぼくはきっとつぶされていただろうから」、と。
何が幸せかは人それぞれであり、将来自分がどんな病気にかかるかは誰にもわからない。
人は「もっと経済的に豊かになり、健康であれば幸せになれるのに」とつい思ってしまう。
だが、このような経験者の歩んだ道を知るにつけ、幸せにはいろんな形があるのだと教えられる。
マイケルが自分のことを「ラッキーマン」と言った。
その言葉は強がりでもなく、心の底から出た、ウソ偽りのない言葉だと感じた。
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