器量と人望 西郷隆盛という磁力/立元幸治
「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。」
天と人と道について基本的なことが語られている。人は天に則してその道を行うものだから、まず天を敬すべしと述べ、そして自分を愛する心を持って人を愛することが重要だという。ここでは西郷の思想のキーワードともいうべき「敬天愛人」ということが語られている。(P217)
幕末維新の立役者と讃えられ、多くの信望を集めた西郷隆盛。
しかし、最期は私学校生徒の暴動から起こった西南戦争の指導者となるが、敗れて城山で自決する。
この西郷は日本人には人気がある。
歴史的に見れば大久保利通の方が西郷隆盛よりも近代日本の基礎作りに重要な役割を果たしたと言えるのだが、
なぜか大久保は不人気であり、西郷は人気がある。
どうしてなのか?
私にはよくわからないのだが、上野の西郷像にあるような、その外見から醸しだされる雰囲気。
そのような漠然としたものからきているのかもしれない。
では、その雰囲気はどこから出てくるのか。
それは、西郷の人生観からくるのではないだろうか。
その意味でも、上記の言葉は西郷の人生観をよく要約している。
西郷が「天」をどのようなものとして把握していたか、確認するすべはない。
しかし西郷が「天」は「全能」であり、「不変」であり、きわめて慈悲深い存在であり、
「天」の法は、だれもが守るべき、堅固にしてきわめて恵みゆたかなものとして理解していたことは、その言動により十分知ることができる。
このような「天」の理解に立つと、それは「人を相手にせず、天を相手にせよ」ということにつながる。
短い言葉だが、西郷の深い世界観が語られている。
俗事に惑わされるのでなく、広大で豊かな、そして限りなく深い天を相手にして、その恵みを受けつつ、自制、謙虚の姿勢を堅持せよというような趣旨であろう。
そのような世界観や人生観が西郷から醸しだされる風格となって表れているのではないだろうか。
いずれにしても、西郷が日本的な指導者像の一類型であることは確かだ。
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