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2011年9月10日 (土)

憂鬱でなければ、仕事じゃない/見城徹、藤田晋

Bt000012933900100101_tl  努力するのは自分であり、それを結果として評価するのは他人である。
 言葉にすると至って当たり前だが、このことをわかっていない人がとても多い。
 ここで「努力」という言葉を、僕なりに定義し直すと、それは圧倒的なものになって、初めて「努力」と言える。
 一般的に言う「努力」など、その名に値しない。人が足元にもおよばないほど行った凄まじい努力が、僕の言う「努力」である。
 二十代の頃、僕はずっと憧れていた石原慎太郎さんと、仕事をしたかった。すでに石原さんは、大作家だったし、勢いのある政治家だった。生半可なことでは、仕事をしてくれないだろうと思い、僕は、学生時代、繰り返し読んだ『太陽の季節』と『処刑の部屋』の全文を暗記し、初対面の時、石原さんの前で暗唱した。石原さんは、「わかった、もういい。お前とは仕事をするよ」と言って苦笑した。

見城氏がここで言っている、「努力」とは、多くの人がなにげなく普段使っている「努力」という言葉とは内容が全く異なる。

多くの人が使う「努力」とは、言い訳としての言葉であることが多い。

例えば、上司から「なんで契約が取れないんだ」と言われた時、部下は「精一杯努力したんですが・・・」という言葉を返す。

あるいは、成績の悪い社員の評価をしようとするとき、「結果は出ていないが、毎日遅くまで残業して精一杯努力しているから・・・」と、つい甘い評価をしてしまう。

つまり、「努力」という言葉を使うことにより、結果が出ていないという現実をオブラートに包んでしまう。

しかし、結果のでない努力は、本当の意味で努力と言えるのだろうか。

ここで見城氏が言っている「努力」とは「圧倒的な努力」である。

そして「圧倒的な努力」をした時、初めて結果が出る。

いや、出ない方がおかしい。

私たちは、いつのまにか「努力」という言葉を軽くしてしまっているのかもしれない。

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