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2011年9月23日 (金)

凛とした生き方/金美齢

A9rec35  「とにかく、この子たちが幸せになってくれることが私の幸せです」
 母親になったと同時に、子供が人生の中心になってしまう人がいる。彼女たちの声は母性愛に満ちて、素晴らしく聞こえるかもしれない。
 しかし、はっきり言うが、私には、そういう母親たちは自分の人生を子供に託すことを選択した人に思える。積極的に選択したわけではないにしても、自分の役割を「母親としてだけ」に、自分で限定してしまったように思える。
 よい母親であろうとすることが悪いというのではない。母親になったことで、自分の役割を限定し、視野や考え方を狭めるとしたら、それは残念なことだと思う。
 自分の人生を子供に託すような考え方が、子供を主役にして、愛情という名で子供を甘やかすことにつながっているのではないかと思う。
 子供に対する母親の「過保護」「過干渉」もそのことと無関係ではないはずだ。
 「母親として」という役割が加わろうと、加わるまいと、自分の人生をまっとうする気持ちが必要なのではないだろうか。(中略)
 子供の成長だけを楽しみにするのではなく、自分自身も成長することをめざす。「子供のため」と言って、エクスキューズをするのではなく、自分の信念は貫く。母親である前に、ひとりの人間として自分自身を見失わないこと。
 そんな「骨格のしっかりとした大人」であることが、親としても大事なことなのだ。
 そうでなければ、子供に言うべきことも言えない。言ったとしても、信念を持たない親の言葉に説得力はない。(P118~120)

私は男なので、女性のことははっきりいってよくわからない。

ただ、日本の女性は結婚し子どもが生まれた途端、「母として」の役割に自分を限定しすぎているような気がしてならない。

どうして過保護、過干渉が起こるのか?

どうしてモンスターペアレントに変身してしまうのか?

聞くところによると母子心中も日本独特の現象だという。

日本だとそれを不憫に思う人もいるが、アメリカであれば、A級殺人罪である。

そもそも子どもと親とは別人格なのだから。

ところが、日本人の母親のメンタリティーは、そうではない。

母親と子どもとは同一人格なのである。

同化してしまっているといってもよいかもしれない。

だから、子どもの人生の失敗は自分の人生の失敗。

子どもの恥は、自分の恥。

そのようなことで、日本独特の母と子の関係に起因する様々な問題が起こる。

金氏は様々な困難の中で自分の人生を精一杯生きる傍ら、母親としても立派に子育てをやり遂げている。

それだけに、“「母親として」という役割が加わろうと、加わるまいと、自分の人生をまっとうする気持ちが必要”という金氏のことばには説得力がある。

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