まわりにあわせすぎる人たち/名越康文、ロブ@大月
この国は、一つの問題が起こると、真剣に考えることは決してせず、ただ脇を固めることだけはすごい同調圧力をかけてやってきた。みんながバラバラになってしまう、ということだけを恐れてやってきたので、そのぶん、集団のルールを乱させないことだけは、非常で冷酷なほど緻密にやってきた。つまりいろんな考え方、多様な生き方を許さない無言の圧力に満ちた社会を維持してきたわけです。そのことにはすごく真剣に深刻に、規制を張ってやってきているものだから、各々の人生もどんどん息苦しくなってきてみんなヘトヘトなんだけど、なんの解決にも結びついていかない。「なぜか?」という問いは個人の中にちゃんと出現することはなくて、ただ人に合わせる圧力の強さ、摩擦の強さから生じた熱だけが残ってきた。
この本の主題である「過剰適応」という現象は、現代日本における巨大な精神的閉塞感の、一つの原点になっていると考えられるもの。
日本ほど同質性を個人に求める国はないだろう。
異なる意見、考え方、生き方に対して、無言の同調圧力を集団がかけることにより、つぶしてしまう。
あるいは、意見が出づらい空気を醸成する。
こうなってくると「なぜ?」と考えることすらもいけないことになってしまう。
特に子どもの世界で「いじめ」が起こる構図はこのようなもの。
みんなの意見に同調せず「なぜ?」と発言した子どもは、間違いなくいじめの対象になる。
みんながいじめをしていて、それに加担しなければ、今度は自分がいじめの対象になってしまう。
子どもの世界では、これほどの恐怖はない。
そして大人になって就職し働くようになって、益々集団による同調圧力は強まる。
「空気の読めないヤツ」は「ダメなヤツ」と同義語。
表面的には「個性的であれ」「出る杭になれ」と言っていても、実態は旧態依然とした組織であることが多い。
ここから「過剰適応」が起こる。
一種の自己防衛本能と言ってもよいだろう。
今、「過剰適応」が日本全体を覆っている。
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