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2011年9月30日 (金)

なぜ日本人はとりあえず謝るのか/佐藤直樹

Bt000013065600100101_tl  私がいつも不思議に思うことだが、「世間」には、このように自分に危害がくわえられたわけでもなく、直接なんの関係もないのに、メディアの報道やホームページをみて、あたかも「我がこと」のように考え、卑怯にも匿名で、いやがらせの手紙を出したり、無言電話をかけたり、メールを送ったり、ブログを炎上させたりする人たちが、かなり沢山いるらしいことである。
 おそらく「世間」が「我がこと」のように考えるのは、「共通の時間意識」があり、個人が存在せず、自他の区別がつきにくいため、同情と共感を生みやすいからである。そしていったん〈世間-内-存在〉として「我がこと」のように考えると、当事者と自分との区別がつかなくなり、「迷惑をかけられた」と本気で思うようになる。そうなると、「迷惑をかけた」と考える対象に対して、直接なんの関係もないのに〈世間-外-存在〉として「はずし」をおこなうことになる。

日本人独特の考え方に「世間」というものがある。

日本というムラの住民は「世間」から「はずれる」ことを最も恐れ、

はずれた場合には、必死に謝罪して「ゆるし」を請う。

「世間」は英語に訳することができないという。

つまり、英語圏には「世間」は存在しない。

そして、この「世間」という考え方は「ウチ」と「ソト」を明確に区別する。

日本人は「個人」と「ウチ」との境界は曖昧である。

しかし、「ウチ」と「ソト」との境界ははっきりとしている。

日本人が一番怖いと思っていることは「ウチ」から「はずされる」こと。

いわゆる「村八分」。

これを一番恐れる。

だから「ウチ」に戻してもらおうと「ゆるし」を請う。

これが「謝罪」という行為。

日本では、世間に対して悪いことをした人が「謝罪」したかどうかが一番問題になる。

マスコミもそれをあおる。

なぜなら、マスコミは世間の「同情」と「共感」を得られなければ成り立たないと思っており、

世間をもっとも敏感に感じているから。

ネットの世界もそう。

ネットの世界というと「開かれた世界」という印象があるが、どんでもない。

日本人はネットの中にも「世間」を形成する。

しかも「匿名性」かあるため、その住民は益々攻撃的になる。

ムラの掟を破った住民に対しては、みんなが牙を剥く。

ブログの炎上などはその最たる例。

まさに「ウチ」と「ソト」が極端に表れる世界、これがネットの世界。

そう考えると、日本人はあらゆる場所で「世間」を形成し、自分たちの行動を制限している不思議な民族だといえないだろうか。

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