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2011年10月28日 (金)

100万人の映画教室(下)/淀川長治

Bt000012792200200201_tl  チャップリンも死にヒッチコックも死んでしまった。人間にはじゅみょうがあるのだから、それを惜しんでくやんではなるまい。チャップリンは88歳の高齢で死に、ヒッチコックも80歳といえば高齢に近い。
 この二人をくやんではいけないが、もうこのような映画作家は現れないのではないかということがこわい。
 チャップリン映画も、ヒッチコック映画も、誰が見てもよくわかるように作られている。だから面白い。
 しかし、日をへて、再び見ると、さらに面白い。三度目はげんかくに、幻覚ではなく、厳格に、面白くなる。
 これはどういうことかというと、見せ方にみがきがかかっている、そのみがきが徹底しているのである。あらゆる芸術の中に〈映画〉を加えると、映画という芸術は、芸術という見栄を親切という文字で表す心がけを持っている。それは〈映画〉は活動写真と呼ばれたルーツを持っているからである。誰もがわかって楽しむもの。しかもこれに本物のみがきをかけると本物の映画芸術となる。
 チャップリンとヒッチコックの作品こそはその代表である。

映画は芸術か娯楽かという議論がある。

そもそも、そのような議論があるのは、娯楽映画というと、ただ楽しいだけの作品、

逆に芸術映画というのは、格調高く、深く考えさせられるテーマを扱っているものの、見ていて退屈でしょうがない作品。

では映画はどちらを目指すべきか、というものだが、どちらかに結論づけること自体がナンセンス。

そもそも映画とは娯楽と芸術を融合させたもの。

そしてそのルーツは活動写真にある。

そのような映画のルーツを大事にし、さらにそれを芸術の域まで高めた映画作家がチャップリンでありヒッチコックであったと淀川氏は言っている。

確かに、この二人の監督した作品は今見ても全く色あせることなく面白い。

ヒッチコックの作品など、結論はわかっているはずなのに未だににドキドキさせられる。

チャップリンの映画も、見るたびに新しい発見がある。

「もうこのような映画作家は現れないのではないか」と淀川氏は言っているが同感である。

この二人の作品と、現在の映画を比較してみると、あまりにも現在の作品が薄っぺらに見えてしまう。

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