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2011年10月27日 (木)

100万人の映画教室(上)/淀川長治

Bt000012792200100101_tl  私たちは感じる人、感激できる人に、なりたいものである。その人たちは、まちがいもなくあらゆる人に優しいにちがいない。
 ところが机上の教科書だけの世界で、ほかには横も見向かぬまま秀才という名のもとに一路出世の道を進んだ人には、ときに冷たい非人間が染まりかねない。これは人と人との肌でふれあった〈人間勉強〉ができていないからである。
 私は世間から見ると、まったく危険な道を踏んで今日にいたったのだが、とにかく生き続け足踏み外して世のいう失敗者には落ちないでいる。
 私には名医がついている。ときに注射もするし、苦い薬も飲まされる。その名医こそは〈映画〉である。注射とは、映画に依ってハッと気づくこと、それはベルイマン監督の「女はそれを待っている」であったかもしれないし、苦い薬とは「バージニア・ウルフなんかこわくない」あるいは「8 2/1」であったかもわからない。その注射も、その苦い薬も、私の人間勉強を深くした。

その独特の語り口からサヨナラおじさんとして親しまれた淀川長治氏。

特に「日曜洋画劇場」の解説は番組開始から死の直前まで32年間続けられた。

その淀川氏、映画こそ人間勉強であると言っている。

私も映画は好きで、学生時代は、池袋の文芸座などで3本立ての映画を週に1回は必ず見に行ったものだ。

最近は映画館に足を運ぶことは少なくなったが、テレビで映画をかなりの本数観る。

いや、観るように義務づけているといった方がよい。

映画を観ることによって、すぐに仕事に生かせるものは、はっきり言ってほとんどない。

では、なぜ映画を観るのか。

私は、それはハンドルの遊びの部分だと思っている。

ハンドルには、ある程度の遊びの部分がないと危険である。

仕事も専門知識だけでやろうとすると危険だと私は考えている。

専門知識で凝り固まった専門家ほど危険な存在はいないと私は考える。

そのことから、映画を観ることは、一見無駄なようで非常に意味のあることだと思っている。

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