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2011年11月 4日 (金)

日本人は死んだ/M.トケイヤー

4817400269  日本語の言葉の表現でおもしろいと思うのは「仕方がない」という表現である。宇宙の変化、さまざまな事件が起こり、そして事件が過ぎ去って行く。人間は、その世界の波のうつろいに漂って流れて行くだけである。つまり、「仕方がない」という表現のなかには、個人としてもつべき意思の働きが表現されていないことになる。どうせそれが起こったならば自然の働きとして起こったものであるから「仕方がない」のである。一つのことがらは、また次のことがらを引き起こすのであろうし、その人間の働きが全くおよばない時元でものごとが起こっているのであるとすれば、全くもって「仕方がない」ことになってしまうのである。
 そこには何の方法も手だてもないのだから、そのままに放置しておくほかない、という思惟と諦観がそこには存在している。「仕方がない」には、また自然に対する敗北の考え方が含まれているようにも思える。時間に沿って、または状況の変化に応じて、人間はつねにそれに服従していかなければならないという感じである。そのほか、〝失うことは獲得することである〟とか、〝女性は従順であるからこそ力をもつ〟というような非常に日本的な逆説的な発想も「仕方がない」の背後に拡散した形で包含されていることになる。
 それは、外国人にとって非常に不思議な表現であり、非常に難解な哲学がそのなかに盛り込まれている言葉なのである。

トケイヤー氏によれば、「仕方がない」という言葉に、日本人の特徴がよくあらわれているという。

よく日本人は農耕民族であり、西洋人は遊牧民族であると言われる。

単純にこのように分類するのは少し問題があるかも知れないが、確かにそのような面もあることは事実のようだ。

もし、ある民族が放牧の時期を経験したならば、彼らは、自然と闘わなければならないということを学びとったにちがいない。

もし日本人が羊飼いの民族であったならば、自然と闘わなければならないということを身に沁みて学びとったはずである。

太陽に抵抗し、水不足に抵抗し、嵐に抵抗し、野生の狼に抵抗することを学びとったにちがいない。

しかしながら、日本人はその全ての歴史を通じて、つねに農民であり続けた。

だから、“自然と闘う”という考え方は日本人においては発生しなかったのではなかろうか。

農民であれば、すべての収穫はその年の気候に依存せざるを得ない。

ある意味、自然の慈悲にすがるよりほかない。

もしその年雨が降らず太陽もよく地面を照りつけなかったのであれば、農民はすべてを失ってしまう。

台風や洪水に見舞われれば、どんなに努力しても、もうどうしようもない。

それこそジタバタしても「仕方がない」となってしまう。

日本人が主体的に行動することが不得意なのも、このような長い歴史の中で身に染みついてしまった体質による部分もあるのかもしれない。

こんなに単純な話ではないのかも知れないが・・・。

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