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2011年11月29日 (火)

問題は、解いてはいけない。/高木幹夫

Ek0014199  考えることは、収束と拡散というふたつの行為のくり返しから成り立っていると思います。
 ある問題について、その要因や背景に幅広く興味を持ち考えるのは拡散思考。それを土台にして結論へ絞り込んでいくのが収束思考。広く情報を収集するのは拡散作業、そのなかから必要な情報を選択するのが収束作業。
 奈良の大仏について、いつ、だれによって建立されたかを知っていることは収束的知識ですが、あんなに大きな大仏が建てられたのはなぜか。どんな時代的背景から建てられ、社会にどんな影響を与えたかなどなど、広がりのある「知」としてとらえられるのが拡散思考といえます。
 この収束と拡散のふたつがあって、人間の思考は成立し、豊かにもなるのですが、「解く」に偏って、考える力をおろそかにすることは、そのうちの収束思考だけをきたえていることになります。

収束思考と拡散思考、

別の言葉で言えば、収束思考とは問題を絞り込み、最終的に解答を導き出す思考法

拡散思考とは、答えのない問題を、自らの創造力を活用して、どんどん広がりを持たせる思考法

この場合、必ずしも正解があるとは限らない。

おそらく、実生活を送るには、両方の思考法が必要になってくるのだろうが、

学校の勉強は、収束思考に偏りすぎているように感じる。

学校の勉強では、必ず答えがある。

必ず一つの答えがあるということを前提に答えを求めていく。

テストであれば、答案用紙に「正解」を書かない限り「○」はもらえない。

もし、学校のテストで「正解」以外の解答を書いても、せいぜい「△」であり、大方は「×」となる。

この時点で、拡散思考は排除される。

学校の勉強では「1+1=2」である。

それ以外は、「×」

しかし、実世界では「1+1=2」にならないことの方が多いのではないだろうか。

世の中に出てみると、正解のある問題はほとんどない。

そして、正解がない中で、仮説を立て、前に進んでいく。

ここで、正解がでるまで前に進めない人は、実世界では何も成し遂げることはできない。

学校秀才が、社会に出てみると、凡人になってしまうのも、ある意味当然と言えるかもしれない。

いわゆる指示待ち世代も、この収束思考の産物といえるかもしれない。

指示待ちとはつまり、よそから問題を与えられるのを待っていること。

彼らは問題さえ出してくれたら、必ず解いてみせる、だれよりも速く正解を出してみせるという収束能力には長けているが、みずから課題を発見し、問題として構造化させ、それに解答を与えていく拡散思考は不得手。

企業でも、上司に「何をすべきか教えてください。教えてくれればやりますが、教えてくれないと、何をしていいのかわかりません」と問う、指示待ちの社員が多くなってきているように感じる。

「解く」ことに忙しく、「考える」ことをおざなりにしてきた弊害は小さくなさそうだ。

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