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2011年11月17日 (木)

昭和史の教訓/保阪正康

Bt000010860200100101_tl  今まで幾つかの書で書いたことのあるエピソードなのだが、戦時下で東條首相は議会での戦時立法についての質問を受けたときに、「終戦」とはどういうことかと必ず尋ねられている。戦時下の時限立法は「終戦」になればその役割を終えるのだから、まずは当り前の質問である。それに対しての東條答弁は、「戦争が終わるとは平和になったとき」といった意味の驚くほど単純な答えを返していた。法的には説明できないでいる。
 こういう首相でも務まるというのが、戦時下の日本の首相だったのである。その首相が、やはり議会で「戦争とは精神力の戦いである。負けたと思ったときが負けである」といい、だからそのような考えは臆病な考えであるといった内容の答えを返した。それでも議会では通用してしまうのだから、戦時下とはなんとも便利だったといえるわけである。

東條首相の「戦争は負けたと思ったときが負けである」という考え方。

この考え方によると、どんなに状況が悪くなっても、本人が「負けた」と思わない限りは負けないことになる。

勝ち負けの判断に客観的な状況など関係ない、あくまで「負けた」と思うか思わないかという主観の問題。

極論すれば、客観的にその存在すら消えたとしても、「負けた」と思わない限りは負けない。

これはある意味、怖い考え方。

国民総玉砕の道へとつながる。

更に、怖いのは、これが一国の首相の考えだったということ。

こんな精神論が議会の場で首相の口から語られ、誰もそれをおかしいと指摘しない。

あのような悲惨な結果を招いてしまった原因の一つは、このような日本人の精神構造にあったのは間違いない。

そして、今もこの精神構造は変わっていない。

「戦争は起こらない」と思っている限り、戦争は起こらない。

だから、「もし、戦争が起こったら」、「もし、中国や北朝鮮が攻めてきたら」などということは思っても考えもいけない。

だから、シミュレーションは必要ない。

憲法9条を改正するなど論外。

「原発は安全」、「もし、原発事故が起こったら」などということは考えてはいけない。

だから起こったときの対策は準備する必要はない。

あの当時とどこがどう違うというのだろう。

主張していることは違っているが、根っこの部分は全然変わっていない。

怖いことだ。

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