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2011年12月の31件の記事

2011年12月31日 (土)

回復力/畑村洋太郎

Znp16  よほど奇特な人を除けば、自分が失敗することを望んでいる人はいません。仮に失敗をしたら、それをすぐにカバーすることで周りからの信頼を取り戻したくなります。ところが、失敗直後はダメージを受けてエネルギーが失われているので、なかなかうまくいきません。それどころか、焦っているうえに頭が働いてくれないので、むしろ間違った行動をすることで、ダメージをさらに大きくしてしまうことのほうが多いのです。
  これは典型的な悪循環による自滅のパターンです。このようにして自分からどんどん泥沼の状態にはまり込んでいる人はたくさんいます。
  このような自滅パターンにはまり込んだ人には、ある共通点があります。それは冒頭で述べた「人は弱い」という認識が欠けていることです。私はそれを失敗した当人たちと話をしているうちに気がつきました。
  程度に差はありますが、失敗したときには誰だってショックを受けるし傷つきます。
本人は気づかないかもしれませんが、直後はエネルギーが漏れてガス欠状態になっています。こういうときに失敗とちゃんと向き合い、きちんとした対応をしようとしても、よい結果は得られません。大切なのは「人(自分)は弱い」ということを認めることです。自分が、いまはまだ失敗に立ち向かえない状態にあることを潔く受け入れて、そのうえでエネルギーが自然に回復するのを待つしかないのです。
  不思議なもので、人はエネルギーが戻ってくると、困難なことにも自然と立ち向かっていけるようになります。これは人間がもともと持っている「回復力」の為せる業です。回復に必要な時間は人によっても失敗の種類・大きさによってもまちまちですが、エネルギーが回復すると必ず自発的に行動したくなります。そうなるのをひたすら待つのが、遠回りのようですが、じっは最善の策なのです。

失敗は誰もがしたくはないもの。

しかし、失敗したことのない人はいないというのもまた事実。

そして人は失敗から多くのことを学ぶ。

だとしたら、失敗と上手に付き合って行くことだ。

そのためのカギになるのは「回復力」。

著者によると「回復力」は誰もが持っているという。

確かに回復までに時間がかかる人と、比較的短期間で回復する人とがいるのだろうが、「回復力」自体は誰もが持っているもの。

そして一番まずいのは失敗のダメージから回復しない状態で焦ってそれをカバーしようとして動いてしまうこと。

これは自滅のパターンで、ますます泥沼に陥ってしまう可能性があるという。

このパターンに陥ってしまう人の特徴は「自分は弱い」という認識が欠けているという。

そう言われてみると、確かにそうだ。

エリートと呼ばれる人が意外と失敗の対処法で間違ってしまうのもそれが一つの原因かもしれない。

エリート官僚などはそもそも失敗を認めようとしない。

これがいざという時のモロさとなってあらわれる。

それが失敗であるとすぐに認めることができないので、失敗の上にさらに失敗を重ねる。

そして、ようやくその人が失敗を失敗と認めることができたときには、すでに手遅れになっていて、傷口が大きく広がって深刻なダメージを受けていたりということになる。

本当の意味での打たれ強い人とは、自分の弱さを認めることのできる人ではないだろうか。

2011年12月30日 (金)

V字回復の経営/三枝匡

4532193427  「企業が何をするにせよ、社員のエネルギーが結集しない限りは何もできない。経営者は誰しも、朝から晩まで、そのことに最大のエネルギーを使っている」不振企業の場合、社員のマインド・行動を変えさせるために、いくら「経営意識を持て」「危機感が足りない」と叫んでもその効果は長続きしない(組織を構造的に強くできない)。
経営風土を変えるために「風土改革をしよう」とか、意識を変えるために「意識改革をしよう」などとそれ自体を目的化したところで、業績向上に辿り着くことは難しい。
社員の多くはそうしたお題目に反応していない。彼らの心は燃えないのである。
組織はその構成メンバーの大多数が、実際の自分の仕事のうえで、「目的」と「意味」を鮮明に意識し共有しない限り、組織エネルギーを発揮しないのだ。
「社員のマインド・行動を束にするには、①明確な「戦略』が示されること、②社員が迷いなく走れるようにシンプルなビジネスプロセスが組まれていること、この二つがカギだ」
「しかし、戦略とビジネスプロセスを明確化したら、それだけで会社がよくなる?それも違うね」
われわれは何のために、「戦略」を立てるのだろうか。頭のよさそうな人たちが集まって素晴らしい経営戦略を立てたら、それで会社は強くなれるのだろうか。新しい「ビジネスプロセス」をデザインして新組織を発令したら、会社は自動的に俊敏になれるのだろうか。
「経営戦略なんてただの道具・・・・・・それを書き上げただけで何かが解決するわけではない。その証拠に・・・・・・膨大な時間をかけたのに実行されない計画がたくさんあるじゃないか」それは日本だけではなく、米国企業にも頻繁に見られる現象だった。
黒岩が言いたいことは、社員の心に響く戦略を作り上げようということだった。
「われわれが「戦略』や『商売の基本サイクル』をいじくり回す目的はただ一つ・・・・・・幹部や社員のマインドを一つにすること」
「皆が目的と意味を共有すること・・・・・・そうすれば私たちの行動が束になり、すごいエネルギーが出るようになる。

本書は、実際に行われた組織変革を題材に、企業再生のカギを説いている。

業績不振の企業の組織改革をし組織風土を変えるにはクールなアプローチとホットなアプローチが必要になる。

クールなアプローチは本書でも書かれているように、明確な「戦略』を示し、社員が迷いなく走れるようにシンプルなビジネスプロセスを組むこと。

ところがこれだけでは組織は変わらない。

組織を変えるにはこれにプラスして、ホットなアプローチが必要になる。

つまり組織の構成員が一体感を持って改革にまい進できるように働きかけること。

実はこれが難しい。

組織改革が失敗に終わるのも、ほとんどはこれがうまくいかなかったことによる。

この点でうまかったのは、当時破綻寸前だった日産自動車をV字回復に導いたカルロス・ゴーン氏。

ゴーン氏はトップダウンの強いリーダーという印象があるが、実際には日産自動車で最初にやったのはクロスファンクショナルなチームをいくつも立ち上げることであった。

「ニッサンリバイバルプラン」もここからうまれた。

つまり社員のマインドがどうすれば一つになるのかということに苦心している。

組織改革をする場合、いかに社員に参画させるか、これがカギになる。

これは多くの失敗例、成功例が物語っている。

ウェルチ的徹底経営/川井健男

Znp1a  2001年9月にジャック・ウェルチはGEを退社し、ほぼ同時期に自伝を出した。(『ジャック・ウェルチわが経営』宮本喜一訳 日本経済新聞社)、版元はワーナーブックスだった。この出版については、以前から大きな話題を集めていた。前渡契約金が、確か、700万ドルという大金だったからだ。私もそのことに関して、日本のある週刊誌に記事を書いた。
  ジャック・ウェルチという人間は、大きな賞賛も受けるけれど、ひどい非難も浴びるという、とにかく「話題性」は抜群の人間である。したがって、ベストセラーになったこの本についても、賞賛と同時に、ひどい批判も受けた。
     その批判の中で典型的なものは、「目新しいことはなにもない」というものだった。ウェルチの経営手法というのは、その題目を並べてみると、奇抜でもないし、独創的なものでもない。アメリカの大学のMBA(経営管理修士)コースならば、基礎項目として教えているようなものばかりだ、という指摘が多かった。
  ある意味ではそれは当然の話である。
  彼は理論家ではない。実践者だ。しかも、彼が「経営の神様」と呼ぶピーター・ドラッカーの著作から、多くのアイデアを受け取っていることも公言している。ウェルチにしてみれば、そんなこと、批判されても困るはずである。
  ウェルチは、理論を重視するタイプの実践者である。
  理論を重視して、それを徹底的にやりぬく。
  徹底的に、徹底的に、徹底的にやりぬくことによって、量が質に転化するように、経営の高度化にも成功している。徹底的にやりぬくことによって、理論的な矛盾も見えてくるし、その矛盾を取り除く方法も発見できる。その発見された方法をふたたび徹底的にやりぬくわけである。

今や伝説的な経営者となっているジャック・ウェルチ。

しかし、そのやってきたことを細かく検証して見ると、新しいことは何もない。

すべて大学のMBAで語られていることばかりだったという。

確かにあの有名な、「ナンバー1、ナンバー2以外の事業はすべて撤退または売却」という戦略なども、MBAで「選択と集中」という形で当たり前のことのように教えられている。

しかし、だからこそ、ウェルチは、経営者として卓越していていたということができる。

経営者の役割は、優れた経営手法や戦略を編み出すことではない。

その役割は学者が担っている。

経営者の役割とは、学者が編み出した優れた経営手法があったとしたら、それを実践し成果をだすことである。

そして、成果を出すためには不退転の決意、強いリーダーシップ、徹底性が必要になる。

その意味で、ウェルチのやったことは、彼の徹底性がもたらしたものは、企業活動に関し、多くの実践的で現実的なアイデアを提供してくれる。

ウェルチが多くの経営者の教科書的存在とされている所以であろう。

2011年12月28日 (水)

ダメになる会社/高橋伸夫

_  もしみんなが、夢に投資した株主たちのことを馬鹿にして笑い飛ばしてしまったとき、資本主義には一体何が残るというのか?夢に投資する株主がいればこそ、夢は叶い、明るい未来が開けるのではなかったのか?夢に投資することを否定してしまったとき、資本主義には、一体どんな強みがあるというのだ?

  監督のフランシス・コッポラはこう語る。
  アメリカが夢と希望に満ちていた第二次世界大戦後の1940年代・・・・・つまり、技術革新をもって豊かな社会に生きていこうと、すべての人々が考えていた頃を、この映画『タッカー』は描き出している。タッカーは、彼の会社が存続する正当な権利を勝ち取るために、有能な人々と仲間を組んで闘った。80年代において明白になったことの一つは、国家が持つ最も重要な経済の基盤は〈創造性〉であるということだ。(中略)

  さて、映画から会社の話に戻そう。
  「夢に投資する」あるいは「志に投資する」という表現が、たとえ大げさだとしても、投資家が起業家・企業家に何か(夢や志を含めて)を託すというこうしたスタイルは、会社の原型そのものなのである。歴史的に見ても、会社の果たしてきた機能とは、まさにそういうことなのである。

著者は、「会社とは何か」という問いに対する、一つの解として、映画『タッカー』の例をあげ、投資家の「夢」や「志」を託され、それを実現させる存在が会社であると述べている。

フランシス・F・コッポラ監督作の映画『タッカー』

この映画の主人公、プレストン・タツカーは、米国デトロイト郊外の小さな町で、装甲車や銃座作りに追われながらも、自分の理想とする自動車を自分の手で創り出すという夢を持ち続けていた。

やがて戦争が終わり、かってB29爆撃機のエンジンを作っていたシカゴの工場を条件付で払い下げてもらったタッカーはその工場で、その夢の車の試作車の新車発表会を華々しく行う。

その車は、外観が流線型でカッコいいというだけではなく、当時としては画期的かつ斬新なアイデアに満ちていた。

そして、その新車発表会で、タッカーは「この夢の車を買いたければ、まずは自分の会社の株を買ってくれ」と集まった人々に呼びかける。

車を実際に生産するには工場、生産設備等を購入するための資本がいる。

しかし、自分にはアイデアはあるが金はない。

だからこの会社の株主になってくれと呼びかけたのである。

この新車発表会は、「新車」を売るための発表会ではなく、「新車を作る会社の株」を売るための発表会だった。

つまり、自分の「夢」や「志」に投資してくれ、とタッカーは投資家に呼びかけたわけである。

著者は、このシーンを題材に、ここに本来の会社の原型があると述べている。

私も全く同感である。

今、資本主義という名のもと、あまりにも「カネ」が中心になりすぎている。

投資家も、会社の株を買って儲けることばかりを考えている。

しかし、本来、投資家とはそのようなものなのだろうか。

経営者の持つ「夢」や「志」に共感し、その実現に寄与したいという思いから投資する。

これが本来の投資家の姿ではないのか。

そして経営者はその「夢」や「志」実現のために会社を経営する。

いつのまにか資本主義が間違った方向に行ってしまっているような気がしてならない。

2011年12月27日 (火)

人を動かす力/渡部昇一

Znp19  乃木のもとでは、兵隊が実に勇敢であった。当時の日本の兵隊は、すべての戦線において勇敢であったと言いうるのだが、乃木のところの兵士たちはとくに勇敢であった。これにはさまざまな理由があるのだが、兵士を心情的に鼓舞したと思われるのは、やはり乃木自身が二人の息子を、二人とも戦死の恐れのある危険な場所に配置したことだろう。このことは当時の兵隊のモラール(士気)に大いに影響があったと考えられる。しかも、乃木は出征する時に、「遺骨が一つ届いたからといってあわてて葬式を出すな、三つ届いてから行え」と夫人に言いおいて出てきている。乃木家の三人ともが死ぬ覚悟でやってきているわけである。
  その頃「ひとり息子と泣いてはすまぬ、ふたり亡くした方もある」という歌があった。田舎でよく歌われた歌のようであるが、「ふたり亡くした方」とはもちろん、乃木のことである。当時のひとり息子とは、家のただ一人の跡継ぎである。「家」の感覚が強い明治時代に相続人を亡くすことは大問題だった。なにしろ家が途絶えてしまう。そのうえ乃木の場合、二人の息子を一つの戦場で亡くしてしまったのだ。これは乃木の無私の精神と深く関わりのあることであろうが、そうした自分を捨ててしまったようなところも、兵たちのモラールを高めたに相違ない。そうした点からも乃木というのは実に私心を感じさせない人物であったと思われる。

今週の日曜日で、NHKの大河ドラマ「坂の上の雲」は最終回を迎えた。

そのなかでも乃木将軍が登場したが、ドラマでも描かれていた通り、戦術家としての乃木は優れているとは言えない。

日露戦争では、なかなか旅順要塞を落とせず、最後は児玉源太郎が指揮をとって代わり二百三高地を攻略したことが描かれている。

ところが、そのような乃木将軍の元、多くの日本兵が命を賭して戦い命を落としている。

そうなさしめたのは、乃木の持っていた不思議な魅力、言い換えれば人徳とも言うべきものだろう。

この人徳の源泉は、現在のリーダーが時に忘れているもの。

私心なく誠心誠意行うということ。

戦場ではウソやハッタリはきかない。

私心が見えたり、勇気がないように見えたりする司令官は、部下がたちまちこれを見抜くものだ。

これは想像の域を脱しないが、兵たちは自分たちよりも乃木大将のほうが苦しんでいることを感じていたのではないだろうか。

人徳というと、何か古めかしい考え方という印象があるが、

人を動かすのは、結局のところ、このような人間の生き方の本質の部分なのではないだろうか。

2011年12月26日 (月)

テレビ報道の正しい見方/草野厚

Znp17   「映像がなければニュースにならない」、テレビと新聞の違いを考える上で、決定的な違いは映像の重要度にある。映像がなければどんなに重要な問題であっても、番組制作者の関心を引くことはない。そうした言い方がいささか大げさだとすれば、どうしても報道しなければならないニュースで、「これ」と思うような映像がない場合には、制作者は大変に苦労するのである。それほど映像と音はテレビにとって重要であり、そこが決定的に活字メディアとは異なる。

毎日、知らず知らずのうちに目にするテレビのニュース。

今や、テレビのニュースが世論を形成しているといっても過言ではない。

それだけに、テレビのニュースはどこまで真実なのか?

非常に気になるところである。

「映像がなければニュースにならない」

これはテレビと新聞等の活字メディアとの違いを端的に表した言葉である。

テレビでは、記者によって集められた情報は、番組時間内にきちんと収まるように編集される。

この際、ポイントとなるのは、ニュース番組の場合、数ある候補のうち、どれを放送し、冒頭に何を流すかということ。

基準として重視されるのは、ニュースとしての重要度。

社会に対して大きな影響を与えるニュースだと判断されれば、冒頭で多くの時間を割いて放送することになる。

一方、重要度が低いと判断されれば、放送されない。

しかし、テレビのニュース番組にはこの重要度以外にも基準が存在する。

映像としてのインパクトである。

テレビニュースはインパクトのある映像があれば、極端な例だが、それだけで成り立ってしまう場合もある。

逆に社会的に重要なニュースであっても、映像がなければテレビのニュースとしては弱い。

視聴率も取れない。

これは映像を主体としたテレビ報道の宿命のようなものだろうが、テレビのニュースを観る者はこの点をしっかりと押さえておく必要があるのだろう。

2011年12月25日 (日)

史上最強バルセロナ 世界最高の育成メソッド/ジョアン・サルバンス

_  戦術やコンセプトは、個人の創造性と相反するものではない。
  選手たちにコンセプトを伝えてあげれば、彼らのポテンシャル(潜在能力)が引き上げられるきっかけになる。戦術を正しく理解すれば、創造性はさらに豊かになる。プレーが成功する確率が高くなるのだ。
  個々の持っている創造性は異なっている。それを発揮しやすいように手助けをするのがコンセプトである。

先日のクラブW杯でも、南米チャンピオン、サントスに対して4対0という大差で圧勝したバルセロナ。

中でも印象的だったのが、70%を超えていたというポゼッション。

そして、そこで活躍した大部分の選手は、バルセロナの下部組織、カンテラから育て上げられてきた選手たちである。

本書は、イニエスタ、メッシといった才能を輩出し続けるバルセロナの下部組織、カンテラに指導者として招聘され、若い人材を育て上げてきた著者による、カンテラ式教育メソッド。

ここで著者は、コンセプトの重要性を語っている。

バルセロナのサッカーといえば、圧倒的なポゼッションと、美しいサッカー。

それはおそらく選手全員が一つのコンセプトを理解し共有し、それぞれが与えられた役割に沿って創造的なプレーをした結果であろう。

サッカーの監督は、試合になれば選手交代やハーフタイムでのアドバイス以外やることはない。

大部分は戦っている選手に任せる以外ないスポーツである。

それだけに個々の選手が自ら考えプレーすることが求められる。

そこで重要なのがコンセプトである。

いくら自由にプレーするといっても、チームである以上、同じ方向に向かっていなければならない。

その扇の要の役目を果たすのが、コンセプトである。

個々の選手が監督の語るコンセプトによって与えられた同じイメージを共有し、創造性を働かせてプレーする。

それがバルセロナのサッカー。

しかし、これはサッカーだけでなく、多くの組織にも共通する課題である。

組織がうまくいかなくなるのはコンセプトがはっきりとしないから。

またはコンセプトが何もないから。

そして、そのコンセプトを明示するのはリーダーの役目。

この点において、多くのリーダーはもっと勉強する必要がある。

2011年12月24日 (土)

品性資本の経営

_   品性資本定量化の第一の目的は、従来は定性的かつ抽象的にしか論じられなかった品性資本を、定量化することによって、量的にかつ具体的に把握することにある。しかし、それにとどまらず、定量結果を実際の経営に活かして、その会社がより大きな品性資本を持つに至り、永続的な発展を可能にすることが第二の目的である。また、品性資本の概念や重要性が経済界に広く知られるようになり、結果として社会の健全な発展にいくぶんかでも寄与することを期待したい。

本書では会社は「品性」を第一の資本とし、お金は第二の資本だと主張する。

「カネ」がどうでもよいというのではない。

結局、企業は「カネ」がなければ永続することはできない。

永続させることが企業の社会的な責任だという考え方もあるので、「カネ」は重要だ。

ただ、経営がおかしくなってしまうのも、多くの場合、「カネ」を優先させてしまう時だ。

その意味では「品性」を第一の資本とすべきという主張は当たっている。

では品性資本とは何か。

まず第一に「つくる力」

企業は、何ごとにも誠意を込めて新たな価値を生み出すように努め、良質でニーズに合った製品やサービスを社会に提供することが求められている。

第二に「つながる力」

企業は、社会からの信用を得て、はじめて、取り引きの輪を拡大できる。

また、社内においても、経営者と社員、社員同士がつながることによってはじめて、社員は奮い立ち、やる気を起こし、組織が団結し、内部から活性化していく。

第三に「もちこたえる力」

企業は、市場での競争に勝ち残り、いくたびもの危機を乗り越えることにより、会社を永続的に発展させることになる。

しかし、経営の品性は、言葉ではナルホドと思うものの、何となく漠然としてしまう。

そのためには、定量化すべきだと本書では言っている。

何を数値に落とし込むかは難しい点があるが、数値によって明確にしてはじめて、その部分ができているかどうかがはっきりする。

仕事上、中小企業の経営者と話すことが多いのだが、

話していて「どうしてそう思われるのですか?」と訊ねると、「何となくそう思う」とか「これまでの経験によると」というアバウト言葉が頻繁に出てくる。

それをすべて否定するつもりはないが、できるだけ定量化するという取り組みはすべきではないだろうか。

2011年12月23日 (金)

暴走する資本主義/ロバート・B・ライシュ

Znpcd   超資本主義の勝利は間接的に、そして無意識のうちに、民主主義の衰退を招いた。しかし民主主義の衰退はけっして必然的なものではない。私たちは活気ある民主主義と力強い資本主義を同時に享受することができるのだ。これを成し遂げるためには、両者の境界を明確にしていかなければならない。
  資本主義の目的は消費者と投資家に良い取引条件を与えることである。民主主義の目的は私たちが一個人では達成できないような成果を得ることである。企業が意識的に社会的責任に取り組み始めたり、企業が競争力を維持したり優位にするために政治を活用しようとしたときに、この境界は破られてしまう。

資本主義がこんなにおかしくなってしまったのは、民主主義が弱くなってしまったからだというのが本書の基本的なメッセージ。

民主主義と資本主義はセットで動くものなので、あまりにも資本主義が行き過ぎてしまうと、資本家の力が強くなりすぎ、庶民の民主主義の力が弱くなってしまう。

しかも、政府が企業家によるロビー活動などによってコントロールされてしまい、庶民の声はますます届かなくなってしまうという現象が起こっているという。

ただ、これはあくまで米国での話であり、日本の場合、これとは違った問題を抱えている。

そもそも日本の場合、資本家が強くなったというより、民主主義そのものが未成熟であることに最も大きな問題があるような気がする。

資本主義と民主主義とのバランスが崩れた結果、資本主義がおかしくなったというより、民主主義そのものがうまく機能していないのである。

庶民の声がまったく反映されない民主主義、何も決められない民主主義、これは最悪である。

もっとも、民主主義と資本主義がセットで動くものだとしたら、お隣の国、中国はどうなのだろう。

一党独裁と資本主義がセットになってしまっている。

どう考えても資本主義が暴走してしまいそうである。

考えてみると、ちょっと怖い。

2011年12月22日 (木)

勝者の代償/ロバート・B・ライシュ

_b   技術革新の中核には、才能と世の中を見通す力という、異なる方向性を持った二つの明確な個性がある。第一は、アーティストや発明者、デザイナー、エンジニア、金融のエキスパート、変人、科学者、作家またはミュージシャンたちの個性であり、要するに彼らは、ある特定の媒体において新しい可能性を見つける能力を持ち、そしてその可能性を深め、発展させることを喜びとするような人たちである。媒体は、コンピュータ・ソフトウェアや金融の場合といった、非常に技術的なものかもしれないし、また芸術のように、よりうつろいやすいものかもしれない。この第一の個性を持った人というのは、媒体を引き伸ばせるだけ拡大し、その限界を検証して、その中の新しい問題を発見してそれを解くことに喜びを見出すような人だ。私はこういう人を「変人」と呼ぶ。(中略)
  商業的な技術革新の源泉として変人は必要であるが、彼らだけでは十分ではない。第二の個性もまた不可欠である。それは、営業担当者、タレントエージェント、需要開拓者、流行観察者、プロデューサー、コンサルタント、敏腕家など、つまり他の人々が何を欲しいか、何を見たいか、何を経験したいかについての市場の可能性を知ることができ、そういった機会をどのように生み出すかを理解している人の個性である。
  この第二の個性を持つタイプの人は芸術家、発明者といった変人に劣らず創造的であるが、その創造性の種類が異なる。特定の媒体において目新しさを追求して、従来の枠をはみ出すことに喜びを見出すというよりは、人々の潜在的な欲求と隠れた願望、すなわち当の本人でさえ十分に気づいていない欲求や、まだ存在しない製品に対する願望などを見つけ出すというところに独創性を持つのである。(中略)
  多くの点で、この第二の個性を持つタイプの人は、カウンセラーや精神分析医にさえ似ているけれども、けっして彼らと同じような技能や動機を持っているようなそぶりは見せない。しかし人々が何を欲しがり、何を求めているのかを引き出し、直感するというカウンセラーや精神分析医の能力のある部分を確かに共有しているといえるのである。他に適切な言葉が思い当たらないし、またこの仕事の対人的な性質と、それが従来の販売や営業の役割とは違うということを強調することが大切なので、この二番目の人を「精神分析家」と呼ぼうと思う。

著者のライシュ氏は、クリントン政権時に労働長官を務めていた人で、今世の中にどんなことが起きているのかを俯瞰し、さらに将来どんなことが起こるのかという未来予想を本書でしている。

ここでライシュ氏は、技術革新について述べているが、その中核には二つの異なる方向性を持った個性が必要だという。

一つは「変人」であり、もう一つは「精神分析家」。

「変人」と「精神分析家」、いずれもいわゆる常識人ではない。

しかし、言われてみれば、たとえば先日他界したスティーブ・ジョブズ氏にしても、ある意味、「変人」的な面を持っている。

常識人には、あのような世の中を変えてしまうような革新的なものは生み出せなかっただろう。

そしてその「変人」が活躍できるような場を提供できる風土がアメリカにはあったということも見逃せないポイントである。

「変人」であれ「精神分析家」であれ、大事なことは、そのような常識外の人材が活躍できる場を提供できるかどうかということ。

では今の日本はどうだろうか。

日本はどちらかというと、他と合わせ同化することが求められる社会である。

そして同化しないものは排除される。

しかし、これからの時代、ますます技術革新が求められていく中で、「変人」や「精神分析家」が活躍できる場を提供できるような、より懐の深い受容度の高い社会を構築していく必要があるのではないかと考えさせられた。

2011年12月21日 (水)

クチコミはこうしてつくられる/エマニュエル・ローゼン

Znp18  バズは強力だ。なぜならば私たちの遺伝子に刻み込まれているからだ。窓の外を見て、私たちよりも単純な生物、ここでは鳥のコミュニケーションに注目しよう。烏がコミュニケーションする理由を知るために、バーモント大学のベルン・ハインリッヒ博士と話したことがある。彼は鳥の中でも、カラスについて研究している。カラスは彼ら自身のバズを持っている。博士と研究仲間は、メイン州の寒い冬、カラスがどうやって餌を見つけるかを明らかにするために、いくつかの実験を行った。彼らはある農家から牛の死骸を入手し、森の中に入り、雪の中に置いた。彼らは、その側の小屋や、雪や松、樅で覆われた隠れ場の中で待っていた。数日後、一羽のカラスが上空に現れ、その死骸を見つけた。
  牛の死骸は、一羽のカラスを一冬、十分に養えるものだった。しかし、彼らが驚いたことには、このカラスは、一口も食べずに飛び去っていった。数日後、そのカラスは、数十羽の仲間をつれて戻って来た。博士らは同じ実験を二五回、繰り返したがすべて同じ結果となった。つまり一、二羽のカラスが餌を見つけると、数日後に家族や友人を連れてきたのだ。(中略)
  これらの例から、話すということは、他にどうしようもないときに行う副次的な活動ではないことがわかる。話すことの根源は、より基本的な欲求に基づいている。私たち人間も同じだ。

バズとは「ある時点における、特定の企業や製品に対するコメントの合計」

いわゆる「クチコミ」

本書によると、バズは、私たちの遺伝子に刻み込まれているという。

カラスが餌を見つけたとき、自分で独り占めをせず、仲間をつれてくるように、人間のバズも、より基本的な欲求に基づいているとのこと。

確かにクチコミは自然発生的に起こる。

それは人間の基本的な欲求に基づいているものだから。

しかし、このクチコミをビジネスに結びつけようとするなら、それを意図的に発生させコントロールする必要がある。

そのためにはハブ(放射状に広がっていくものの中心点)に情報を伝え、ハブから情報が広く伝わるようにする必要がある。

そして、そのような仕掛けや仕組みをつくることのできる人が現代のビジネスで成功者となる。

この考え方、特に広告や販促を行っている人には必要な知識であろう。

2011年12月20日 (火)

会議なんてやめちまえ!/スコット・スネア

Znp1b   会議のために、世界は破滅へ向かっている。
  統計はきわめて明快である。今日の管理職は、仕事日の四分の一から四分の三を会議室ですごしている。会議に費やされる時間の少なくとも半分は、有害ではないとしても非生産的である。
  おおかたの推測によれば、問題はさらに悪化しつつある。
  こうして略奪される管理職の時間は(さらに、あらゆる人が会議に出席する時間も)、少なくともこの20年にわたって増加してきた。全員参加型の管理モデルが日常業務に浸透したためである。今日、多くの会社が、ワーク・チームという概念、共同品質管理、グループによる問題解決テクニックなどをとりいれている。いまや、あらゆる人が同時に言いたいことを言っているように見える。そして、会社には会議があふれている。

本書では、いかに会議が無駄なのかということが、繰り返し繰り返し、くどいほどに述べられている。

そして会議に時間を費やすくらいなら、個々の部下に接する時間をもっと増やすべしと言っている。

確かに管理職になると、会議に費やす時間が多くなる。

そして、その会議の多くが非効率な形で進められているのは事実である。

特に日本では、結局結論が出ず、継続審議で終わってしまう会議が非常に多い。

または、最初から結論ありきの会議。

そのことを考えると、確かに「会議なんてやめてしまえ」と言いたくもなる。

しかし、かといって、すべての会議をなくしてしまうことは不可能。

やはり、最小限、会議は必要である。

問題は、必要最小限の会議は行うことにし、そして、その会議を効率化するということではないだろうか。

2011年12月19日 (月)

自分らしいキャリアのつくりかた/高橋俊介

456970901x   こんな事例がある。豪華客船のクルーになることをめざして就職活動をしていた女性がいた。希望にかなう複数の会社から内定をもらうことができて喜んだのも束の間、家庭の事情で郷里に帰らなければならなくなり、結局、親類の紹介で地方公共団体の外郭団体に就職することになった。そこは地元ではだれもがあこがれる職場で、労働条件は決して悪くはなかったのだが、豪華客船のクルー以外は眼中になかった彼女は、その仕事になんの魅力もやりがいも感じられない。そうなると当然、成果も上がらないから評価も低くなる。それでますますやる気がなくなる悪循環にはまりこんで、結局、辞めざるをえなくなってしまったのである。
 キャリアというのは、最初からこれしかないと間口を狭めてしまうと、往々にしてこの彼女のような結果になってしまいがちだ。やりたいことを絞るのではなく、やりたくないことを減らし、いろいろと経験しながらやりたいことはこれだったのだと気づくのが、理想的なキャリアの築き方なのである。
 先日、私の行きつけの寿司屋に友人を連れていったときのことだ。板前さんに何か嫌いなネタはないかと尋ねられ、彼女はウニと答えた。子どものころアメリカで育った彼女は、多くのアメリカ人同様にウニが苦手だったのだ。
 ところが、板前さんが最初に彼女の前に置いたネタは、見紛うことなきウニ。板前さんに「これは食べられるはずだから」と勧められ、彼女は恐る恐るウニの軍艦巻きを口に運んだ。すると次の瞬間、彼女の顔が輝き、なんと「おいしい」という言葉が口から飛び出したのだ。
「どんなネタでも、いいものを食べればおいしいんです」

キャリア形成への関心が高まっている。

多くの人が、一つの会社で定年まで勤めあげるより、一定のキャリアを築き上げて転職しステップアップしようと考えるようになってきた。

これ自体決して悪いことではないのだが、ここで問題になるのは、「自分にあった職業」「自分に向いている職業」を自らの浅い経験の上で考えるため、自ら成長への道を閉ざしているというケースである。

人は、自分の経験した範囲内でしか判断することはできない。

ところが、まだ社会人になって間もない人にとっては、職業経験はゼロに等しい。

ところが、そのゼロに等しい経験で、「自分にあっている仕事はこれだ」と決めてかかる人があまりにも多い。

世の中には何千何万という仕事があるのに、自らの狭い考えのために未来を閉ざしてしまっている。

これは機会の損失である。

では、そうならないためにはどうすればよいのか。

高橋氏が言っているように、「やりたいことを絞るのではなく、やりたくないことを減らし、いろいろと経験しながらやりたいことはこれだったのだと気づく」というアプローチである。

つまり、目の前の仕事をまず全力でやってみるということ。

この当たり前のことをすることによって、自分の中にある新しい可能性を発見できるかもしれない。

食わず嫌いをしていては未来は開けない。

2011年12月18日 (日)

アイデアを形にして伝える技術/原尻淳一

Znp1c_2
    「型」といきなり言われると、「型にはまる」という慣用句があるように、何だか独創性を削がれるような気がしていい気分ではありません。
  しかし、わたしは型を「効率的に物事を進める基本フォーマット」と捉えています。また、自分の自由な発想は活かしつつも、それがしっかりと基礎をおさえているか、必要項目を捉えているかをチェックするフィルターとしても、機能すると考えています。
  型というのは、先人たちが磨き上げてきた〈知の結晶〉です。したがって、覚えていると高度なアウトプットが短時間で作成できるという利点があります。

「型というのは、先人たちが磨き上げてきた〈知の結晶〉」と書かれているのを読んでナルホドと思ってしまった。

そう、型を使うとは、先人たちが磨き上げてきた〈知の結晶〉を使うということなのだ。

ということは、型を使わないということは、先人たちが磨き上げてきた〈知の結晶〉をないがしろにするということ。

とんでもない思いあがりである。

確かに、創造的な仕事をしている人で、型の必要性を強調する人は多い。

それは、先人たちが磨き上げてきた〈知の結晶〉に謙虚になれる人が創造的な仕事をすることができるということではないだろうか。

そう考えると、型を使うことに前向きになれるし、むしろ、積極的に使おうという気持ちになる。

ものは考えようである。

2011年12月17日 (土)

ザ・コンサルティングファーム/ジェームズ・オーシア&チャールズ・マディガン

_   ダウンサイジングにしろ、事業育成にしろ、何にしろ、コンサルタントはアイディアを売り込まなければならない。問題は、コンサルティング会社が売り物にする構想は、必ずしも新しかったり生きがよかったりしない点だ。コンサルティング業は一風変わっていて、クライアントを犠牲にして知識基盤を築いている。もっと批判的に見れば、コンサルティング会社はクライアントから集めた実例に手を加え(うまく偽装できていない場合もある)、それを他のクライアントに売って大金を稼ぐ。そう言っても決して誇張にはならない。

私自身もコンサルタントの仕事をしているのだが、本書で記されているのはそれとは全く違った世界。

大企業をクライアントにし高額なフィーを得て成長する大手コンサルティングファーム。

主に米国での話しだが、日本でもボストンコンサルティングやマッキンゼーなどは活動している。

しかし、高額なフィーを支払う企業にしても、全くメリットがなければコンサルティングを依頼することもないだろうから、何らかの貢献は認めているのであろう。

確かに上記のような、ある企業で使った一つの手法を他の企業でも使い回すような行為も散見されるのであろうが、もしコンサルタントが詐欺まがいの行為で大金をせしめ、企業に全く貢献していないのであればとっくに淘汰されているはず。

クライアントを犠牲にして知識基盤を築いていると著者は言っているが、それも、ある意味、よくある話し。

ある企業に入ってコンサルティングを展開する中で様々な事に気づかされ、それによって構築されたノウハウも当然あるだろうし、それも、見方を変えてみれば、クライアントを犠牲にして知識基盤を築いていると言えなくもない。

私自身、顧客と接する中で様々な気づきを与えられ、それをヒントにノウハウを構築することはよくある。

問題は、なぜ企業はコンサルティングファームに大金を支払うのか?ということ。

単に売り込み方がうまいだけではないだろう。

やはり大金を支払うだけの理由があるのではないだろうか。

そのことをむしろ知りたい。

2011年12月16日 (金)

最強の経営参謀/山田有人

Znp18   日本に乗り込んできたゴーンは、1990年10月に「日産リバイバルプラン(NRP)」を発表する。その骨子は、次の三つのコミットメント(公約)が中心であり、それが3年以内に達成できなければ、彼自身とエグゼクティブ・コミッティのメンバーの全員が退陣することを宣言した。
  ①営業利益2903億円を達成
  ②営業利益率4.75%を達成
  ③負債額を9530億円に削減
  (中略)
  ゴーンが3年以内に達成できなければ辞職するとまで言った三つのコミット(公約)を見てもらいたい。これはどれも会計数値である。しかも、どれも極めて具体的な数字である。
  このように数値目標を達成できなければ辞めるというやり方は、よほどその数値の達成に自信がなければやるべきではない。もし、その目標が少しでも守れなければ、発言者が辞めれば済むだけではなく、その後の再生のためのモチベーションは相当に落ち込む。裏を返せば、ゴーンは、これらの会計数値の達成には確固たる自信があった。なぜなら、彼の陰には信頼できる会計・財務の専門家がいたのである。その人物の名前は、ティエリー・ムロンゲであり、ゴーンの来日時に、一緒にフランスからやってきていた。
  ムロンゲは、1976年にフランスの国立行政学院を卒業して、大蔵省に入省する。その後、91年にルノー社に入社し、IR担当、投資管理担当を歴任し、日産自動車の取締上席常務として来日し、2000年には副社長兼CFOとなった。
  2002年3月号のCFOマガジンは、ターンアラウンド・マネージメント分野のベストCFOとして彼を選んでいる。ちなみに日本企業からベストCFOが選出されるのは始めてのことである。同誌の選出理由は以下の文章で始まっている。
「華麗なCEOゴーンが日産の劇的な復活の立役者としてマスコミの脚光を浴びている。しかし実際にこの再生劇の一部始終を仕組んだのは、同社の財務部門なのだ。そしてその財務部門を率いるのが長身痩躯で眼光鋭いフラン人のムロンゲである。」

何でもやたらに数字が口から出てくる人、

何となくイヤなヤツというイメージを持ちがちだ。

ただ、優れた経営者はほとんど例外なく数字で経営を語ることができる。

本書はそのような経営者をサポートする会計専門の参謀の必要性とその役割について述べている。

一般的に会計の専門家というと、地味でコツコツと数字を正確に導き出す仕事というイメージがある。

ところが米国においては、企業の経営に関与することを夢見て簿記や会計を学ぼうとする若者は多いという。

それは、会計的な数字を正確に導き出す存在の先に、CFO、すなわち「経営参謀」という職業を認識しているためである。

企業を経営するには、その前提として、正確な情報を入手することは不可避である。

しかし、米国の若者が憧れるCFOが単なる経理屋と違うのは、その情報をどのように使うかを知っているためである。

正確な情報を瞬時に入手し、その情報に基づき、実際の経営に参画する。

そのような存在、CFOを目指して簿記や会計を学ぶという。

なるほど、そのような将来像が明確に持てるのであれば面白くない簿記や会計の勉強にも身が入ろうというもの

確かに最近の大企業の不祥事を見るにつけ、正確な会計的な数字の裏付けをもって経営を語れるプロフェッショナルが必要な時代になってきたのだなとつくづく思う。

2011年12月15日 (木)

君は第二次大戦を知っているか/中野五郎

Znp4d 私は、自由、公正な戦史家として、太平洋戦争を第二次世界大戦の視野から調査、研究しているが、このような文部官僚と日教組の対立、抗争のために、太平洋戦争の真実を、それぞれの政治的立場を守るために、勝手に歪曲したり、変造したりして、日本の次代をになうべき若い青少年大衆にたいし、誤った戦争認識をあたえたり、あるいは敗戦無視を教えたりすることには大いに反対する。
なぜなら、そのような姑息な、近視眼的な太平洋戦争観こそ、かえってこの戦争の貴重な教訓を忘れて、平和な民主日本をふたたびつぎの戦争へ、知らず知らずのうちに巻きこみ、引きずりこむ危険がきわめて大きいからである。英国の世界的軍事評論家リデル・ハートがつねに強調しているように、「平和を欲するならば、戦争を理解することである」という警句は、けっして欧米諸国にかぎらず、日本の場合にも、ピタリと当てはまるだろう。
すなわち、私たち日本人が、われわれの子孫代々のために、あらゆる努力を惜しまず、平和を守りぬく覚悟であるならば、まず、なによりも、太平洋戦争の、もろもろの苦い教訓を正確に知り、戦争の起因と責任までも、厳正に理解することが必要である。

ドイツ初代宰相のビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と語ったという。

人間は過去、何千年にも渡って戦争という愚かな行為を繰り返してきた。

人類の歴史が始まって以来、世界中の何処かで戦争が行われてきている。

「正義の戦争」という考え方もあるにはあるが、基本的に戦争は悪だと私は考える。

しかし、では、平和を叫べば平和になるのか。

歴史を学んでゆくと平和主義者が戦争の原因を作り、引き金をひいてしまったことすらある。

日本人は歴史に学ぶことが下手である。

いや、失敗にすら学ぶことができない。

日本軍は、ある作戦が失敗すると、その原因などを分析するのではなく、失敗を覆い隠すことをしていた。

作戦を立てた指揮官は、いつのまにか後方部隊などに配置転換されていた。

このような行動は非常にもったいない話である。

平和を欲するが故に、戦争に向き合う必要がある。

リデル・ハートが「平和を欲するならば、戦争を理解することである」と言ったように。

2011年12月14日 (水)

百年続く企業の条件

Bt000011118700100101_tl  続いていく老舗企業とは「クラシック」ではなく、「エバーグリーン(常緑樹)」のような存在である。長く育ててきた幹や根はかたくなに守りつつも、常に光合成を行い、新しい葉を伸ばして、年輪を重ねてきた。それは、これから年月を重ねていこうとする新しい企業を導く範となるものだ。「100年に一度」ぐらい。たとえ水が枯れることがあっても、立ち枯れしないだけの力は蓄えている。
  真面目に作り上げたものを、それを必要とする人たちに提供する。必要とする人たちの変化から目をそらさず、さらに求められるものを作り続ける。一言でいえば、それが老舗企業の永続の秘訣かもしれない。
  伝統は守るものではなく、日々新たに創り出すものだ。

百年といえば、その間、戦争もあれば震災、石油ショック、バブル崩壊、等々、様々な出来事があったはず。

それらを乗り越えてはじめて百年続く企業の看板を掲げることができる。

では、どうして百年以上も企業を存続させることができたのか。

それは一言でいえば、変化し続けたから。

老舗というと、かたくなに伝統を守るというイメージがあるが、実際はその逆。

変わり続けたから百年続く企業になれたのである。

老舗企業にはかたくなに守り続けているものも確かにある。

しかし、守るべきものは守り、それ以外のものは大胆に変えていく。

これがあったからこそ、百年続く企業になれたのだろう。

「変化対応」、どんな企業にも、そしてどんな時代にも共通する生き残るための鉄則である。

2011年12月13日 (火)

「運」をつかむ法則!/高見亮

Znp2a  経営の神様、商売の神様と呼ばれた松下幸之助さんは、人を採用するときに必ず訊いていたことがあります。
  「あなたは、自分のことを運がいいと思いますか?」
  松下さんは、相手に必ずこの質問をして、「自分は運がいいと思う」「自分はツイている」という人を採用したのだそうです。
  「運」というものをいかに重要視していたかがわかりますね。
  また、次のようなことも言っています。
  「人間万事、世の中のすべては天の摂理で決まる。90%、あとの10%だけが人間のなしうる限界だと思う。これは、世間でよくいう運命論とは違うのです。つまり、私のいいたいことは、絶対に無理はしないということなんです。宇宙大自然に逆らわず、むしろ宇宙や大自然にとけ込んで、これに一体になり切ってしまう。これが人間の本当の姿であり、その結果あらわれてくるものが、世の中でいう成功とか、あるいは億万長者といったことにあるのではないだろうか」
  「人間のなしうる」こと、つまり個人の能力やスキルや努力は10%に過ぎず、「天の摂理」、つまり「運」が90%だというのです。そして、この90%に「逆らわず」「一体に」なった結果として現れてくるものが「成功」だというのです。運の重要さを熟知していた成功者の重みのある言葉です。
  ところが、多くの人は、まったく逆の配分で考えてしまっています。
  わずか、10%に過ぎない能力や努力に90%の力を注ぎ、90%を占める「運」に10%かそれ以下の注意しか払わない。これではなかなか成功できなくてもムリありません。

私はどちらかというと後者のタイプ、つまり、10%に過ぎない能力や努力に90%の力を注ぎ、90%を占める「運」に10%かそれ以下の注意しか払わないタイプだと思う。

でも、私はそれでよいと思っている。

確かに「何で成功したのか」と聞かれたとき、「運がよかったから」と答える成功者は多い。

しかし、その人たちの歩んできた道を聞いてみると、多くが血の滲みでるような努力をしているものだ。

しかし、人間、努力しただけでは成功できない。

それこそ、120%の努力をして、さらに運が後押ししてくれたとき、初めて成功者となれるものだ。

松下幸之助さんもそのことを言っていたのではないかと思う。

本書では、様々な運をつかむ法則について解説されている。

私はこれを全く否定はしない。

ただ、自分自身としては、やはりその時その時で精一杯の努力をするべきだと思うし、その生き方を変えるつもりもない。

2011年12月12日 (月)

時間をかけない!情報整理術/佐々木直彦

Isbn9784569777948  こうしたデフレ圧力が強い、閉塞した状況をどう打破するのか。
  答えは昭和三十年代と同じです。現代もまた、感じ、考え、工夫して自分なりのやり方で未来がひらける時代なのです。
  「相手にも自分にも価値(利益)の生まれる提案をする。その提案をできるのは自分だけ。その提案には、相手の問題解決を自分がサポートする要素がある」
  こういう状態をつくれるなら、価格競争に陥る心配はありません。(中略)
  そのために、まずやるべきことが「感情フィルター」を使うこと。
  もともと人の感じ方は千差万別のはずです。人と同じように感じることもあれば、人とまったく違う感情を抱くこともあります。その「共感」や「感動」、「違和感」を大事にしながら感情フィルターを使いに使い込んでいけば、自分独特の感性ーーセンスが育っていきます。
  とくに大切にしたいのが「違和感」です。人と違うということに臆病な人が多いのですが、人と違うことこそ「自分にしかできない」の源泉です。ちょっとした「違和感」こそが、わらしく長者の「わらしく」になるかもしれない、と強く意識しておいてください。
  もちろん、感情フィルターは情報整理のためだけに使うものではありません。おいしいと感じる、楽しいと感じる、時にはとてつもない悲しみを感じる、そんな「感じやすい」感情フィルターをもっていることは人生を豊かにしてくれます。
  感情豊かな幸福な生活をおくるためにも、感情フィルターをどんどん使うべきなのです。
  感情フィルターと思考フィルターを通した「ホンモノの情報」を豊富に整理、ストックできれば、「自分にしかできない」仕事ができるようになる。これが私の考えです。

今、求められているものは、会社であれば、その会社にしかできない商品やサービスを提供すること。

個人であれば、その人にしかない技能や能力、情報を持っているかどうか、ということ。

つまり、会社も個人も独自性が求められているのである。

そのためにはどうすればよいのか。

一つの答えが、「感情フィルター」を使うこと。

そして、使い続けることによって、さらにそれを研ぎ澄ますこと。

ここに一つの解がある。

私たちの傾向として「感情」よりも「思考」を優位に置いてしまうところがある。

「あの人は感情的だ」と言われるより、「あの人は知的だ」と言われる方がうれしいものだ。

しかし、一つの事柄について、ロジカルに思考すると、結局、誰もが同じ答えに行き着く。

それでは独自性は生まれない。

これを打破するためには、感情フィルターをうまく使うことである。

先の見えない今のような時代だからこそ、感情というものをもっと見直すべきだろう。

2011年12月11日 (日)

米国製エリートは本当にすごいのか?/佐々木紀彦

40007_l   詰まるところ、日米の学生の差を生んでいるのは、インプット量、読書量の差なのです。米国のエリート学生は、大量の読書を強いられるため、平均値が高いのです。
  ここでスタンフォードの学部生の読書量を推測してみましょう。スタンフォードは、秋、冬、春の三学期制で、各期の長さは10週間です。各期にだいたい4つの授業を選択しますので、一年間の授業数は、三学期(30週間)×4=120。学部生はそれを4年繰り返しますので、合計の授業数は480です。授業1回当たりの読書量を本1冊(200ページ)とすると、最低でも480冊(9万6000ページ)の本を読むことになります。しかも課題図書の大半は堅い本ですので、流し読みでは歯が立ちません。私自身、留学前は「速読には自信がある。少々の読書量ではへこたれない」と粋がっていたのですが、その読みは甘すぎました。読書量と課題図書の難解さは予想以上で、2年間の留学生活でヘトヘトになりました。
  日本では、一部の本好きを除くと、「集中的に読む」という期間を経ずに、社会人になってしまいます。社会人になると、日々の仕事に追われてしまうため読書グセをつけるのは至難の業です。一方、米国の場合、大学時代に嫌でも読書させられるため、読書への抵抗感がなくなります。しかも読まされるのは、骨太の本のため、容易に衰えない知的筋肉がつくのです。

日本にはどうして知性のある優れたリーダーが生まれてこないんだろう。

いつも思うことである。

特にそのことを痛感させられたのは、東日本大震災。

失意のどん底でも取り乱さない被災者たち。

寝食を忘れて災害救助にはげむ自衛隊員。

彼らの姿は世界中に称賛された。

一方、危機に右往左往する総理大臣。

肝心なところで病床に伏せる東電社長。

言うことがコロコロ変わる役人のトップ。

彼らの姿は世界中で嘲笑された。

現場の優秀さとトップの無能さ。

これは今の日本の問題そのものである。

米国は、内外に様々な問題を抱えているものの、今だ世界のリーダーシップをとり続けている。

それはリーダーが優秀だからだ。

日米の違いはリーダーの養成システムにある。

本書は米国留学の経験のある著者が、教育システムの違いについて記している。

そして、「日米の学生の差を生んでいるのは、インプット量、読書量の差」だと断言している。

確かに、日本の大学生は本を読まない。

つまり圧倒的にインプットの量が少ないのである。

これでは、どうしようもない。

2011年12月10日 (土)

ストーリーとしての競争戦略/楠木建

Bt000013865400100101_tl  以下の文章は『日本経済新聞』の記事からの引用です。ちょっと読んでみてください。
  《いよいよ日本経済は先の見えない時代に突入したという感がある。今こそ激動期だという認識が大切だ。これまでのやり方はもはや通用しない。過去の成功体験をいったん白紙に戻すという思い切った姿勢が経営者に求められる。》
  その通り、とうなずく人も多いと思います。ただ、この記事は昭和も昭和、私が生まれた1964(昭和39)年9月の『日本経済新聞』からの引用なのです。昔の新聞をめくってみれば明らかなのですが、この数十年間、新聞紙上で「激動期」でなかったときはついぞありません。今も新聞紙上では「今こそ激動期!」「これまでのやり方は通用しない」という全く同じような主張が躍っているのですが、新聞はいつの時代も「今こそ激動期!」です。「これまでのやり方は通用しない」と何十年も毎日毎日言い続けているわけです。

今も昔も新聞は「今こそ激動期!」「これまでのやり方は通用しない」といい続けいてるという。

これは面白い指摘である。

論理的に言って激動期が何十年も続くことなどあり得ない。

逆に、全く変化しない時代もあり得ない。

去年と今年は明らかに変化している。

いや、昨日と今日とを比較しても、変化している部分は必ずある。

要するに、時代とは変化するものなのである。

しかし「変わっているけど変わっていない」ものが必ずある。

「変化の激しい時代」といわれる今だからこそ、その中で軸となる「変わらないもの」に目を向ける必要がある。

2011年12月 9日 (金)

近代化と世間/阿部謹也

4022731184 ドイツで自動車の運転免許を取ったときのことである。ドイツでは非優先の道路から優先道路に出るときには絶対に一時停止しなければならない。優先道路を走っている場合には左右に気を配る必要はあるが、スピードを落とさずに走ることが出来る。日本ではそのような場合事故が起こればどちらにも責任があるとされる。したがって優先道路を走っているメリットはほとんどないことになる。このようにドイツでは責任と義務の関係が明白である。
 私はこの12年の間人工透析をしているが、ドイツでも何度もしたことがある。透析に対する態度には日本とドイツとでは決定的な違いがある。日本の病院では水が増えていると患者は何か悪いことをしたような気にさせられる。医者も看護師もどうしてこんなに増えたのかと詰問調でたずねる。私がドイツで初めて透析をしたのは10年ほど前のことだが、NHKのカメラマンなど全部で七人ほどの旅だったし、ドイツを知っているのは私だけだったから、着いた日にはレストランに案内して皆で食事をした。当然ビールを飲む。私も付き合った。
 そのため日本では絶対に増えなかったのに、かなり水が増えてしまった。私は医師に「ドイツでは空気が乾いているので」とつい弁解らしきことをいった。すると医師は「飲むのはあなたの権利ですからそんなお気遣いはなく」といった。私は驚いてしまった。日本では絶対にどんな医師でもいわない言葉である。彼は「水が増えればその分透析時間を増やせばよいのですから」という。
 ある患者はベッドでバナナを二本食べていた。私が驚いていると医師は「あれも彼女の権利ですから」という。その結果どのような合併症が起ころうと責任は彼女にあるというわけである。当然透析前に十分に教育してあるからそれを承知で飲んだり、食べたりする。人はその結果を自分で負うことになるというわけである。医師の態度としては冷たいと思われるかもしれないが、ここにもドイツと日本との決定的な違いがある。個人の意思が何よりも尊重されている点である。

日本人は個人の責任と義務の関係があいまいである。

いや、あいまいというより、借り物になっているというか、はっきり言って身についていないのである。

以前起こった「自己責任論」の議論も元はといえばそこからきている。

「自分のやったことに責任を持つ」これは大人であれば当たり前のことである。

当たり前のことを、当たり前と思っていないので、あのような大議論になる。

ある意味、日本人はその精神性において、まだ大人になりきれていないのではないだろうか。

2011年12月 8日 (木)

イノベーションの作法/野中郁次郎、勝見明

51bhv8mtv9l__sl500_aa300_   数々のイノベーションが生まれるプロセスには、主観的観点と客観的観点をスパイラルに回していくイノベーターたちのバランス感覚がある。
  大リーガーのイチロー選手が好成績を上げることができるのも、主観と客観の二重の観点を常に回しているからである。イチロー選手はまず、自分は打者としてこう打ちたいという理想のフォームや身体の動きを常にイメージする。これは主観的観点から見た打ち方で、暗黙知の世界である。その一方で、「もう一人の自分」が自分自身を客観視し、理想のフォームと実際の動きとの違いを分析し、言語化(形式知化)してフィードバックしていく。例えば、イチロー選手はときにスランプに陥る理由について、あるインタビューにこう答えている。
「ボールは見て打つのではなく、体で感じて打つものです。ところが、不調になると余計なボールにも体が動いてしまう。余計なボールは打ちたくないので、今度はボールを見ようとしてしまう。見ようとするとその分、体が遅れ、いっそう打てなくなってしまうのです」こうして不調の原因を分析し、もう一度、暗黙知として体化されている理想の動きを取り戻していく。暗黙知と形式知、その両方のバランスが絶妙にとれているところに、イチロー選手の強みがある。
  ところが、今の日本企業には、分析マヒ症候群が蔓延し、このバランス感覚が失われつつある。それは90年代以降、日本経済が低迷する中で、アメリカ型の分析的経営が日本にどんどん入り込んできたことと無縁ではない。論理的思考(ロジカルシンキング)が万能視されるここ数年の傾向もその表れだろう。

本書は、イノベーションが生まれるさまざまな事例を紹介しながら、イノベーションの本質に迫ろうとしている。

今、多くの企業が、自社に必要なのはイノベーションであると言っている。

では、イノベーションはどのようなリーダーのもと、どのようなプロセスで生まれるのか?

その根本には「主観的観点と客観的観点をスパイラルに回していくイノベーターたちのバランス感覚」があると著者は言う。

その一例として、ここではイチローの例をあげて説明している。

つまり、主観でみる部分と冷徹に自分を客観視する部分がバランスよく混在し回っている。

一方は暗黙知の世界であり、もう一方は形式知の世界。

この二つを行ったり来たりする、そこからイノベーションが生まれるという。

そして、今の日本企業は分析マヒ症候群が蔓延し、バランス感覚が失われつつあるという。

たしかに、書店にいけば、ビジネス書コーナーにはロジカルシンキング、マーケティング、戦略論の本が所狭しと並べられている。

これらは、経営を客観的、合理的にとらえようとしている本である。

しかし、一方、経営とはリーダーの「こんなことをやりたい」「こうあるべきだ」という熱い思いによって成り立っている部分がある。

大事なことは、この二つをバランスよく取り入れることであろう。

2011年12月 7日 (水)

深夜特急6―南ヨーロッパ・ロンドン― /沢木耕太郎

Bt000012946700600601_tl   これが旅の本当の終わりだ。電報を打ったら、あとは日本に帰るだけだ。しかし、不思議なことに日本に帰るということにまったく実感が沸かない。(中略)
  日本に帰ることはできる。だが、帰ることに現実感がない。喜びも沸いてこなければ寂しさがあるわけでもない。妙に無感動なのだ。ロンドンの中央郵便局へ電報を打ちに行くというのは、この長い旅の一応のクライマックスではあるのだ。別に頭の中でファンファーレが鳴り響く必要もないが、それらしい感慨があってもよさそうなものではないか。

著者は無事ロンドンへ到着し、いよいよ1年以上にもわたる旅の終わりを迎えようとしている。

あとは帰りの航空券を買い、日本に帰るだけ。

旅の途上で、何度この場面を想像したことだろうか。

そもそも、自分で選んだこの旅。

それが困難であればあるほど、それをやり遂げた時、どれほど満足感と充実感に満たされるだろうと想像したかもしれない。

しかし、いざ、その場面を迎えた時は「無感動」だったという。

でも、案外そうなのかもしれない。

なぜなら、ある一つのことをやり遂げたということは、それで「ジ・エンド」ではないのだから。

次の瞬間から、また新たな生活が始まるのだから。

また新たな目標に向けてのスタートを切らなければならないのだから。

結局、人生とは、この繰り返しなのかもしれない。

2011年12月 6日 (火)

深夜特急5―トルコ・ギリシャ・地中海―/沢木耕太郎

Bt000012946700500501_tl   西への途上で出会う誰もが危うさを秘めていました。とりわけそれがひとり旅である場合はその危うさが際立っていました。一年を超える旅を続けていればなおのことでした。しかし、と一方では思うのです。このような危うさをはらむことのない旅とはいったい何なのか、と。
  次から次へと生み出される現代日本のシルクロード旅行記なるものも、その大半が甘美で安らかなシルクロード讃歌であるように思われます。肉体上の苦痛、物理的な困難については語られても、ついに「一歩踏み外せば」すべてが崩れてしまうという、存在そのものの危機をはらんだ経験について語られることは決してないのです。(中略)
  しかし、何かが違う、と今の僕には思えてなりません。
  僕が西へ向かう途中に出会った若者たちにとって、シルクロードはただ西から東へ、あるいは東から西へ行くための単なる道にすぎませんでした。時には、彼らが、いつ崩れるか分からない危うさの中に身を置きながら、求道のための巡礼を続けている修行僧のように見えることもありました。彼らは、もしかしたら僕をも含めた彼らは、頽廃の中にストイシズムを秘めた、シルクロードの不思議な往来者だったのかも知れません。しかし、彼らこそ、シルクロードを文字通りの「道」として、最も生き生きと歩んでいる者ではないかと思うのです。
  滅びるものは滅びるにまかせておけばいい。現代にシルクロードを甦らせ、息づかせるのは、学者や作家などの成熟した大人ではなく、ただ道を道として歩く、歴史にも風土にも知識のない彼らなのかもしれません。彼らがその道の途中で見たいものがあるとすれば、仏塔でもモスクでもなく、恐らくそれは自分自身であるはずです。

「シルクロード」、日本人はこの言葉から何をイメージするのだろう。

異国の香り、エキゾチズム、ロマンチシズム・・・、

そんな言葉が浮かんでくる。

しかし、そこに欠落しているものがある。

それは「生活者」の視点。

生きるか死ぬかの危うさ。

かつてシルクロードはどのような形で生まれ、何のために利用されてきたのか。

それは生活のため、生きるためである。

人々はこの世で生き抜くために、東から西へ、西から東へと旅する必要があった。

そのためにできた道がシルクロード。

そこにあるのは、生活のための厳しさであり、肉体的な苦痛、物理的な困難さである。

喉の渇き、空腹、暑さ、寒さ、恐怖・・・・、

このようなきわめて具体的なものである。

「シルクロードについて」語る日本人は多くいるだろう。

しかし、「シルクロード」を語ることのできる日本人はほとんどいない。

2011年12月 5日 (月)

深夜特急4―シルクロード―/沢木耕太郎

Bt000012946700400401_tl   パキスタンのバスは、およそ世界の乗り物の中でこれほど恐ろしいものはない、と思えるほど凄まじいものだった。
  確かにインドのバスもかなりのものだった。
  さほど広くもない道の真ん中を猛スピードでぶっ飛ばす。もちろん、一台で走っているならそれでもいいが、二時間も三時間も対向車がこないはずがない。当然、向こうからも車がやってくる。そのときインドのバスの運転手はどうするか。何ということか、どうもしないのだ。そのまま道の真ん中を堂々と飛ばし続ける。相手が乗用車や小型のバンくらいならいい。向こうが道の横によけてくれる。だが、もしそれが大型のトラックだとしたら、これは絶望的なことになる。こちらもぶっ飛ばす、相手もよけようとしない。二台とも道の真ん中を走り続け、トラックはみるみる接近してくる。
  「ああ!」
  と悲鳴をあげそうになる一歩手前でトラックがよける。いや、バスがよけることもある。まるで、アメリカのヘルス・エンジェルスの連中がよくやったというチキン・レースそのままなのだ。逆方向から車を走らせ、どちらが先によけるかで、肝っ玉を試す。先によけた方が臆病者、つまりチキンというわけだ。(中略)
  しかし、パキスタンのバスは、この壮絶なインドのバスのさらに上をいくものだった。
  猛スピードで突っ走ることは変わらない。向こうからやって来る車と肝試しのチキン・レースをやることも同じだ。違うのはそのレースの仕方の凄まじさである。(中略)
  インドのように何メートルか手前でどちらかがよけるというようなこともない。三台が三台とも猛スピードのまま突進する。ぶつかる、と何度思ったかしれない。それが不思議とぶつからない。ああ、と眼をつぶり、再び眼を開けると、どうにかなっている。神技としかいいようがない。三台が三台とも何事もなかったように走っている。

沢木氏は、移動の手段をバスにこだわって旅をした。

そのなかで、パキスタンのバスほど恐ろしいものはなかったと回想している。

それにしても、パキスタンのバスの運転手はどうしてそんな無茶な運転をするのだろう。

バスは公共の交通機関である。

その運転手がチキンレースをして、もし事故をでも起こしたら、日本であれば大問題になる。

しかし、お国柄なのだろうか。

パキスタンではそれが日常的に行われているらしい。

でも、何となくわかるような気もする。

人は命の危機を感じた時ほど、生を実感するもの。

このバスの運転手も、毎日チキンレースをすることによって自分が生きているということを実感していたのかもしれない。

単なる想像だが。

2011年12月 4日 (日)

深夜特急3―インド・ネパール―/沢木耕太郎

Bt000012946700300301_tl  ある時、七、八歳の少女についてこられたことがある。ついつ弱気になり、小銭をあたえようかな、と立ち止まった。すると、少女が小さな声でひとこと言う。
  「十ルビー」
  物乞いに金額を指定されたのは初めてだった。しかも十ルビーといえば大金だ。首を振って歩きだすと、慌てて私の目の前に廻り込んで、言い直した。
  「六ルビー!」
  私がまた首を振ると、やがてそれは五ルビーになり、四ルビーに、三ルビーになった。その時になって、やっと意味がわかった。少女はその金額で自分の体を買ってくれないかといっていたのだ。
  まだ七、八歳にしかならない少女が、僅か三ルビーの金で体を売ろうとしている。しかし、彼女がそのような申し出をするからには、どこかに必ず買う男がいるのだろう。(中略)
  私は少女に三ルビーを手渡し、グッドバイと言ってそこを離れた。だが、少女は私のあとについてこようとする。いいのだ、これをあげたのだから、といくら手真似で説明をしても理解できないらしい。仕方なく、走るようにしてそこから遠ざかった。
  香港には、光があり、影がある、と思っていた。光の世界がまばゆく輝けば輝くほど、その傍らにできる影も色濃く落ちる、と思っていた。しかし、香港で影を見えていたものも、カルカッタで数日過ごしたあとでは眩しいくらいに光り輝いて見えた。

以前、貿易関係の会社の社長と話した時、「東南アジアで本当に貧しい人たちを自分の目で見てしまうと、不況だ、不況だ、と騒いでいる日本人の感覚の方がおかしいのではと思えてくる」と話していた言葉を思い出す。

確かに「格差社会」「貧困」「ワーキングプア」と言ったことが日本では問題になってきているが、沢木氏がインドのカルカッタで体験したことと比較すると、そもそも今の日本人は本当の意味での「貧困」を知らないのでは、と、思えてしまう。

日本では、どんなに貧しくても、七、八歳の少女が体を売るほどではない。

ほとんどの人の場合、贅沢を言わなければ、とりあえず最低限食べていくための仕事はある。

かつて日本人は一億総中流などと言われた。

その時代と比較すると、確かに格差は広がりつつある。

しかし、今の格差は、まだ許容範囲だと言える。

私たちは「貧困」という言葉を使いすぎることにより、その言葉を軽くしてしまっているようなところがないだろうか。

私たち日本人は、この国に長く住むことにより、正常な感覚を失ってしまっているようなところがあるのかもしれない。

2011年12月 3日 (土)

深夜特急2―マレー半島・シンガポール―/沢木耕太郎

Bt000012946700200201_tl_3  意外ななつかしさに、その思いの中に浸り切っていると、不意に、自分はなんだってこのような旅にでてきてしまったのだろうという、当然わかっているつもりのことが曖昧になってきた。あるいは、曖昧になったのではなく、日本を出るとにかく出る、ということに夢中になっていて、今まで一度もきちんと考えたことなどなかったのかもしれない、という気もしてきた。
  本当に、どうしてだったのだろう。いったい、自分は、なんだってこんなところにいるのだろう・・・・・・。(中略)
  私は、春のある日、仕事の依頼をすべて断り、途中の仕事もすべて放棄し、まだ手をつけていなかった初めての本の印税をそっくりドルに替え、旅に出た。
  せっかく軌道に乗りかけているのに、今がいちばん大事な時ではないか、と忠告してくれる人もいた。だが、ジャーナリズムに忘れ去れてることなど少しも怖くはなかった。それより、私には未来を失うという「刑」の執行を猶予してもらうことの方がはるかに重要だった。執行猶予。恐らく、私がこの旅で望んだものは、それだった。

若ければ若いほど、「自分の人生はこれでいく」と決めることにためらうものだ。

「自分の人生はこんなもんじゃない」

「もっとやれることがあるはずだ」・・・と、

沢木氏は「執行猶予」という言葉をつかっているが、感覚的にはこれに近いものがある。

自分は何者なのか?

何をやりたいのか?

正解のない問いかけを自分にするのに、旅はうってつけだ。

長い人生の中で、そんなモラトリアムな時期があってもいいと思う。

自分も旅をしたくなった。

2011年12月 2日 (金)

深夜特急1―香港・マカオ―

Bt000012946700100101_tl  私は待つのに飽き、賭けはじめた。
 十パタカずつ程度ならいいだろうと始めたが、ひとたび場に加わってしまうと、それはいつしか二十パタカになり、三十パタカになり、五十パタカになっていった。負けがこむにつれて賭ける額が大きくなり、金のなくなるスピードを早めた。
 千五百パタカを綺麗に使い果たしてしまい、さらに三百ドルを両替した時、底のない沼へ足を踏み入れてしまったような気持ちがした。しかし、その生ぬるい水と腐った泥土に足を取られるような感覚は、必ずしも不快なものではなかった。
 このまま博打をやっていけば、本当のいくところまで行ってしまうかもしれない。ロンドンは無論のこと、デリーに辿り着けず、いや、東京に帰ることすらできなくなるかもしれない。異国で無一文になり、立往生してしまう。だが、自分がそのような小さな破局に向かってまっしぐらに進んでいるらしいということには、むしろ意外なほどの快感があった。

本書はノンフィクションライター、沢木耕太郎氏の若き日の旅の記録。

インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗合いバスで行こう。

ある日そう思い立った沢田氏は、仕事をすべて投げ出して旅に出る。

途中立ち寄った香港では、街の熱気に酔い痴れて、思わぬ長居をしてしまう。

マカオでは、カジノに魅せられ、「あわや」というところまで行ってしまう。

特に、この賭け事にのめり込む著者の心理模写は非常にリアルだ。

周りを見渡してみると、賭け事にのめり込み、人生を棒に振ってしまう人が多くいる。

つい最近も大企業の創業者の御曹司がカジノに100億円もの大金をつぎ込んで話題になった。

これは極端な例なのだろうが、第三者からみれば、「たかが賭け事で、身を滅ぼしてしまう人の気が知れない」と思ってしまう。

しかし、賭け事は理性を狂わしてしまう、麻薬のようなものなのだろう。

2011年12月 1日 (木)

最強の投資家バフェット/牧野洋

4532192897  結局、バブルがはじけると、「問題の本質を見抜いていたのはバフェットだけ」との評価が広がり、「オマハの賢人」は完全復活した。投資家からの信頼を勝ち取りたい経営者は、わらにもすがる思いで彼からのアドバイスを求め、オマハへ向かうようになったわけだ。(中略)
 ITバブルについて、経営の大家で二十世紀を代表する思想家であるピーター・ドラッカーはどう考えるだろうか。1909年生まれで若い時にファンドマネジャーの経験もしたドラッカーは、大恐慌の発端になった1929年のニューヨーク株大暴落「暗黒の木曜日」も含めて、一世紀近くにわたって何度もバブルの発生と崩壊を目撃してきた人間だ。
 ITバブルの崩壊がはっきりした2001年初めに質問を受けると、ドラッカーは「短期的な成果を求める機関投資家が多く、大問題です。経営者も短期的な利益を重視し、最も重要な長期資源である知識労働者を犠牲にしがちです。それでも、GEのように長期的な視野に立ち強力な事業を育てている企業は少なくありません。投資家側でもウォーレン・バフェットは同様の視点を持って投資しています」と回答した。バフェット流の株主主義であれば、ドラッカー流の従業員主義と矛盾しないというわけだ。

先日、81歳にして初めて日本の地を踏んだ米著名投資家のウォーレン・バフェット氏。

「日本に無関心」なことで有名だったバフェット氏がなぜ今、日本を訪れたのだろうか。

そんなこともあり本書を読んでみた。

バフェット氏は米国で最も有名な投資家として知られている。

米コカ・コーラなど誰もが知っている会社に20年あまり長期投資し、成功を収めてきた。

彼はデイトレーダーのような短期投資はしない。

投資するときには、その会社を買うつもりで投資する。

ITバブルにも踊らなかったことからもわかるように、彼の世界と企業を見る目は確かだ。

そのため彼は「オマハの賢人」というニックネームを持つ。

彼が投資するということは、その企業の長期的な成長と価値を認めたと見ることができ、それだけに世界中が注目するわけである。

彼はこれまで日本に対して目立った投資はしていない。

日本企業を利益率の低さなどから投資対象とは見なしていなかったからだ。

そのバフェット氏が今回初来日した。

今後、バフェット氏がどのように動くのか。

世界が震災後の日本をどう見ているのかのひとつのモノサシなるのではないだろうか。

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