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2011年12月 9日 (金)

近代化と世間/阿部謹也

4022731184 ドイツで自動車の運転免許を取ったときのことである。ドイツでは非優先の道路から優先道路に出るときには絶対に一時停止しなければならない。優先道路を走っている場合には左右に気を配る必要はあるが、スピードを落とさずに走ることが出来る。日本ではそのような場合事故が起こればどちらにも責任があるとされる。したがって優先道路を走っているメリットはほとんどないことになる。このようにドイツでは責任と義務の関係が明白である。
 私はこの12年の間人工透析をしているが、ドイツでも何度もしたことがある。透析に対する態度には日本とドイツとでは決定的な違いがある。日本の病院では水が増えていると患者は何か悪いことをしたような気にさせられる。医者も看護師もどうしてこんなに増えたのかと詰問調でたずねる。私がドイツで初めて透析をしたのは10年ほど前のことだが、NHKのカメラマンなど全部で七人ほどの旅だったし、ドイツを知っているのは私だけだったから、着いた日にはレストランに案内して皆で食事をした。当然ビールを飲む。私も付き合った。
 そのため日本では絶対に増えなかったのに、かなり水が増えてしまった。私は医師に「ドイツでは空気が乾いているので」とつい弁解らしきことをいった。すると医師は「飲むのはあなたの権利ですからそんなお気遣いはなく」といった。私は驚いてしまった。日本では絶対にどんな医師でもいわない言葉である。彼は「水が増えればその分透析時間を増やせばよいのですから」という。
 ある患者はベッドでバナナを二本食べていた。私が驚いていると医師は「あれも彼女の権利ですから」という。その結果どのような合併症が起ころうと責任は彼女にあるというわけである。当然透析前に十分に教育してあるからそれを承知で飲んだり、食べたりする。人はその結果を自分で負うことになるというわけである。医師の態度としては冷たいと思われるかもしれないが、ここにもドイツと日本との決定的な違いがある。個人の意思が何よりも尊重されている点である。

日本人は個人の責任と義務の関係があいまいである。

いや、あいまいというより、借り物になっているというか、はっきり言って身についていないのである。

以前起こった「自己責任論」の議論も元はといえばそこからきている。

「自分のやったことに責任を持つ」これは大人であれば当たり前のことである。

当たり前のことを、当たり前と思っていないので、あのような大議論になる。

ある意味、日本人はその精神性において、まだ大人になりきれていないのではないだろうか。

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