君は第二次大戦を知っているか/中野五郎
私は、自由、公正な戦史家として、太平洋戦争を第二次世界大戦の視野から調査、研究しているが、このような文部官僚と日教組の対立、抗争のために、太平洋戦争の真実を、それぞれの政治的立場を守るために、勝手に歪曲したり、変造したりして、日本の次代をになうべき若い青少年大衆にたいし、誤った戦争認識をあたえたり、あるいは敗戦無視を教えたりすることには大いに反対する。
なぜなら、そのような姑息な、近視眼的な太平洋戦争観こそ、かえってこの戦争の貴重な教訓を忘れて、平和な民主日本をふたたびつぎの戦争へ、知らず知らずのうちに巻きこみ、引きずりこむ危険がきわめて大きいからである。英国の世界的軍事評論家リデル・ハートがつねに強調しているように、「平和を欲するならば、戦争を理解することである」という警句は、けっして欧米諸国にかぎらず、日本の場合にも、ピタリと当てはまるだろう。
すなわち、私たち日本人が、われわれの子孫代々のために、あらゆる努力を惜しまず、平和を守りぬく覚悟であるならば、まず、なによりも、太平洋戦争の、もろもろの苦い教訓を正確に知り、戦争の起因と責任までも、厳正に理解することが必要である。
ドイツ初代宰相のビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と語ったという。
人間は過去、何千年にも渡って戦争という愚かな行為を繰り返してきた。
人類の歴史が始まって以来、世界中の何処かで戦争が行われてきている。
「正義の戦争」という考え方もあるにはあるが、基本的に戦争は悪だと私は考える。
しかし、では、平和を叫べば平和になるのか。
歴史を学んでゆくと平和主義者が戦争の原因を作り、引き金をひいてしまったことすらある。
日本人は歴史に学ぶことが下手である。
いや、失敗にすら学ぶことができない。
日本軍は、ある作戦が失敗すると、その原因などを分析するのではなく、失敗を覆い隠すことをしていた。
作戦を立てた指揮官は、いつのまにか後方部隊などに配置転換されていた。
このような行動は非常にもったいない話である。
平和を欲するが故に、戦争に向き合う必要がある。
リデル・ハートが「平和を欲するならば、戦争を理解することである」と言ったように。
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