勇気の出る経営学/米倉誠一郎
いま日本に必要なのは、“転んだ奴を笑わない”ことと、それから“失敗を嫌うシステムをなくす”ことです。ベンチャーというのは失敗するのが普通です。よく『成功するベンチャービジネス』というような題のついたビジネス書がありますが、こういう感覚自体がすでに違うと思います。
アメリ力のように、失敗を許容して、失敗に寛容な世界をつくらないといけないと言いますが、じつはアメリカは失敗に寛容なのではなく、合理的なのです。失敗というのは人生のなかでも最も大きな経験だし、その経験をした者は多くのことを学ぶはずだという前提があるからです。それを学んだ人物を、日本の場合だと、二度とビジネスシーンに出てくるなという叩き方をして、足腰を立たせなくしてしまいます。あいつは倒産者だと言われるようになったらどうしようもなくしてしまうのです。
アメリカでは過去会社を倒産させたことのある経営者は、むしろ投資家から高く評価される、ということを聞いたことがある。
それに対して、日本では会社を倒産させた人は、社会的な信用もなくしてしまう。
多くの場合、二度とチャンスは与えられない。
この違いはどこから来るのか。
アメリカは失敗者に対して寛容であり、日本は不寛容な社会だからなのか?
単なる国民性、民族性の違いなのか?
米倉氏は、それはアメリカが失敗した者に寛容な社会だからではない、
合理的だからだと言う。
合理的に考えれば、失敗したというのは人生の中でも大きな経験だし、その経験をしたものは多くのことを学ぶはず。
そのような者に再度チャンスを与えるのはきわめて合理的な考え方だという。
では、そう考えられない日本人は非合理なのか?
確かにその通りなのだろう。
日本人は、物事を合理的に考えるより、周りの目や空気、雰囲気、そして人の和を中心に物事を考え判断する。
特に、日本社会は、ウチとソトをはっきり分けるムラ社会。
例えばベンチャーを立ち上げて起業する人は、そもそも「ソト者」であり、和を乱す「けしからんヤツ」
まして、その者が失敗でもしようものなら、「それ見たことか」と潰しにかかる。
二度とチャンスは与えない。
日本に起業家が少ないのは、そのような非合理な考え方が社会に蔓延しているからではないだろうか。
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