自分の中にいる「困った人たち」/デヴィッド・リーバーマン
困難にも動揺せず、物事をありのままに受けとめるようにしよう。アメリカの神学者ラインボールド・ニーバーの『静かな祈り』の言葉を借りると、
「神よ、変えられぬものを穏やかな心で受けとめられるよう、われわれに潔さを与えたまえ。また、変わるべきものを変えられるよう、勇気を与えたまえ。そしてものの区別ができるよう、知恵を与えたまえ」
この言葉をよく頭に入れておこう。でなければ、書きとめて、毎日、目に触れるところに置いておこう。今度、何かについて不安を覚えたら、それは自分でコントロールできるものなのかどうか、自問してみよう。
人は誰もが悩む。
悩むことによって人は成長すると言っても良い。
しかし、合理的に考えれば、悩む必要のないことは、できれば悩まない方が良い。
では、悩む必要のないこととは何だろうか。
それは、自分の力では変えることのできないもの。
例えば、過去のこと。
たとえ過去どんな過ちを犯したとしても過去は変えることはできない。
過去のことを教訓として、今後同じ過ちを犯さないようにすることはできるが、過去そのものを変えることはできない。
過去の過ちは受け入れることが大事。
また、今起こっていることであっても、自分の手に負えないことであれば、受け入れることが大事。
そして自分がコントロールできる事を変えるためにベストを尽くす。
そういう生き方をすれば、より多くのことを成し遂げることができるであろう。
でも、そううまくできないのもまた人間というもの。
変えられないこととわかっていても悩み苦しむことで、優れた哲学や小説が生まれる。
先日観た映画でも、過去の過ちに悩み苦しむ主人公に、ある老人が「過ちは人生の深みを増すものだよ」と語る場面があった。
つまり、そのような矛盾した部分を持っているからこそ人間なんだと言えなくもない。
ニーバーの『静かな祈り』の言葉も、頭でわかっていてもそのようにできない人間であるからこその、内側からのうめきのようににじみ出てくる祈りではないだろうか。
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